一 境界の日に誰が生き残っていたか
六千六百万年前、直径十キロメートルほどの小惑星が、現在のメキシコ、ユカタン半島にあたる場所へ衝突した。
どうして分かるのか。世界の100か所以上で、薄い粘土層から異常に多いイリジウムが見つかる。地殻では少なく、隕石には多い元素だ。1980年、研究者はこの異常から衝突を提案した。ユカタンの異常な構造は石油探査で以前から気づかれており、1991年に境界の事件と結びつく巨大衝突クレーターと認定された。
その粘土層の下には、恐竜がいる。上には、いない。鳥を除いては。
「鳥を除いては」。ここで一度、立ち止まりたい。鳥は恐竜の遠い親戚ではない。鳥は恐竜そのものだ。獣脚類恐竜のなかから枝分かれし、いま空を飛ぶ一万種を超える鳥たちは、その枝で唯一、生き残った子孫なのである。
だから厳密には、恐竜がすべて絶滅したわけではない。鳥以外の恐竜がすべて絶滅した。この一篇で「恐竜がいなくなった」と言うときは、つねにこの意味である。
こうしてこの線は、地質年代表でもっとも名高い境界になった。線の手前の時代を白亜紀という。六千六百万年前までの時代だ。
線を越えたあとの最初の時代が暁新世で、六千六百万年前から、およそ五千六百万年前まで続く。この先で「境界」と呼ぶのは、この境界のことである。そしてこのあとの話は、誰もが聞いたことがある。恐竜が消え、哺乳類がそのあとを継いだ。
ただ、先へ進む前に、あの日、地上を歩いていたのがいったい誰だったのかを見ておこう。めったに問われないことだが、答えは一般に思い描かれているものとは違う。
恐竜の足もとにいた哺乳類は、似たり寄ったりの、虫ばかり食べる小さな連中ではなかった。 中生代にはすでに、穴を掘るもの、木に登るもの、滑空するもの、半水生のもの、もっぱら植物を食べるもの、肉を食べるものがいた。いくつもの異なる大きな系統に属していて、その違いは、いまのトガリネズミとリスの違いよりはるかに大きかった。
その一つに、多丘歯類という系統がある。臼歯には尖った突起が何列も並び、小さなやすりを並べたようになっている。種子や硬い植物組織をすりつぶすのに向いた歯だ。中生代に大いに栄え、境界を越えてからも長く生き続けた。どうにか生き延びただけではない。生き延びたあと、さらに数千万年も繁栄し、ずっとあとの時代になってようやく姿を消したのである。
滑空するものについても、ひと言添えておきたい。中生代にはすでに、四肢のあいだに皮膜を広げ、木から木へ滑空する哺乳類がいた。ふつう思われているより、はるかに早い。
水中にもいた。水をかくのに向いた四肢と、魚を捕らえるのに向いた歯を持ち、半水生の暮らしをしていた中生代の哺乳類が知られている。一方、前肢を土を掘るシャベルのように作り変え、長く地中で暮らすものもいた。穴を掘る、木に登る、滑空する、水に入る、草食になる、肉食になる。この一覧は、恐竜がまだいたころに、もう出そろっていた。
白亜紀後期の哺乳類の下顎を一つずつ測り、一枚の図にした研究がある。横と縦の二つの軸で、噛む力と、その歯で処理できる食物の種類を表す。それぞれの種が、一つの点として図に置かれる。
「恐竜時代の哺乳類は、みんな虫ばかり食べる小さな連中だった」という話が正しければ、点は図の片隅の狭い範囲にひしめくはずだ。実際の図では、かなり広い範囲に散らばっている。
つまり、恐竜がまだいたころから、哺乳類という系統は「何を食べられるか」を、何度も試していたのだ。
ここで一つ、はっきりさせておこう。この先のどの節でも必要になることだ。境界を迎えた日、そのスタート地点は白紙ではなかった。
では、主役は誰か。この一篇では、有胎盤類を主な筋として話を進める。まずはその言葉に、具体的な姿を与えておきたい。これから出てくる論争はすべて、この系統がいつ大きく枝を広げたのかをめぐるものだからだ。
有胎盤類には、イヌ、ネコ、ウシ、ウマ、ゾウ、クジラ、コウモリ、ネズミ、ヒトなど、身近な哺乳類の大半が入る。現生哺乳類には、ほかに二つの大きな枝がある。一つはカンガルーやコアラを含む有袋類だ。子はきわめて未熟な状態で生まれ、長い授乳期間に成長する。多くの種には育児嚢があるが、すべてではない。
もう一つは、カモノハシやハリモグラの仲間だ。こちらは卵を産む。
「有胎盤類」という名は誤解を招きやすい。有袋類にも機能する胎盤はある。大きな違いは有無ではなく、発達を妊娠と授乳にどう配分するかだ。有胎盤類は一般に子宮内でより長く育つが、生まれたときの成熟度はさまざまである。子馬は数時間で立ち、カンガルーの赤ん坊は落花生ほどしかない。だが生まれたてのネズミも自立できない。子馬だけで有胎盤類全体は語れない。
現在、世界の哺乳類は六千種余り。その大半が有胎盤類で、有袋類は三百種余り、卵を産む系統はわずか五種が残るだけだ。
この系統を主な筋に選ぶ理由は、もう一つある。いま扱おうとしている問いについて、もっとも厚い資料がそろっているからだ。分子の側にはゲノムから算出した時間系統樹があり、化石の側には大量の化石産出記録をまとめてモデル化した研究がある。形態の側には、骨格の特徴を大きな表に整理し、そこから系統樹を求めた解析がある。この三つが、同じ時点について、直接突き合わせられる答えを出している。では最後に、この一篇で何をするのか。
「あとを継ぐ」という言い方は自然に聞こえる。だがそのなかには、三つの主張がひそんでいる。ある一群の場所がある。恐竜が消えたあと、その場所が空いた。後から来たものが、そこへ入った。
三つの主張は、順を追って重くなる。第一は、世界が区画に分かれているという主張。第二は、その区画がある瞬間には空だったという主張。第三は、後から来たものが入ったのも、同じ区画だったという主張だ。
どれも、自明ではない。第八節で結論を出すが、それは「正しい」「間違い」のどちらよりも、少し面白い形になる。初めの二つは、一方が成り立ち、もう一方は成り立たない。三つ目は、問い方そのものに問題がある。
このあとの七節は、時間を追って進んでいく。最後まで歩いてから振り返れば、こうなる。「継承ではない」は成り立つ。だが「場所を占めた」は、額面どおりには受け取れない。
二 最初の百万年
境界後、最初の百万年は、この一篇でもっとも風景が見えてくるところだ。驚くほど細かい記録が残っているからである。どれほど細かいのか。北米のいくつかの地点では、識別可能な暁新世の哺乳動物群を、境界後およそ八万年以内という、ごく初めの時間枠にまで絞り込める。
地質学で八万年は、短い。新生代全体は六千六百万年あるから、そのなかで八万年が占める割合は、二時間の映画の、およそ八秒にあたる。しかも私たちは、その八秒のあいだに、顔ぶれが何度入れ替わったのかを見分けられる。
同じ地域を扱った、それ以前の高分解能の研究でも、暁新世のごく初めに群集が急速に入れ替わったことが、すでに示されていた。境界のあとに沈黙が続き、ずっと待ってからようやく動きだしたのではない。ほどなく交代が始まっていた。
この分解能を得るには、いくつかの条件が同時にそろわなくてはならない。その場所で、その期間ずっと安定して堆積が続いていて、途中が流し去られていないこと。岩層のあいだに、直接年代を測れる火山灰や、ほかの年代の目印が挟まっていること。
そして、化石が十分にあること。どの層からも、まとめて取り出して数えられるだけの量がなくてはならない。この三つのうち一つでも欠ければ、分解能は下がる。すべてを満たす場所は少ない。だから一か所一か所が貴重なのだ。
コロラドに、ひときわ条件のよい場所がある。岩層が途切れることなく、上へ上へと重なり、下から順に数えていける。こうした連続して読める岩の壁が、地層の断面だ。その壁から、こんな並びが読み取れる。
境界から約十万年後には、哺乳類の種数がすでにはっきりと持ち直している。約三十万年後には、二十五キログラム前後の個体が現れる。中型犬一頭ほどだ。
約七十万年後には、最大のものが五十キログラム前後に達する。三つの数を結ぶと、上向きの曲線になる。しかも、かなり急な上り方だ。 では、そのころ地上を歩いていたのは何だったのか。暁新世の哺乳類は、いまのどんな動物にも似ていない。
それらの足首の骨と四肢の骨を、一つずつ測った研究がある。足首の骨はたいへん役に立つ。その動物がどう歩いたかを、直接映し出すからだ。速く走ったのか、よじ登ったのか、地面をゆっくり動いたのか。四肢の骨の太さからは、どれほどの重さを支え、どれほど激しく動いたかがわかる。
結果はこうだった。骨格の頑丈さと足首の構造において、暁新世のこの動物たちは、白亜紀後期の祖先にも、いまいるどの仲間にも似ていない。それらだけの領域に位置していた。
新生代初期の北米の哺乳類について、機能の組み合わせを比べた別の研究も、同じ結論に達している。暁新世には独特の組み合わせがいくつもあり、それらはのちに珍しくなり、やがて見られなくなった。そこは「現代の動物を小さくした世界」ではなかったのである。
もし境界から五十万年後の北米へ行けたとしても、小さなシカや、小さなオオカミや、小さなリスの群れに出会うわけではない。ずんぐりと頑丈で、おそらく動きはそれほど速くない動物たちを見るだろう。その歩き方に、いまの世界で対応するものはない。その後の数千万年で消え、現生の子孫を残さなかった枝も多い。一方で、続いていった系統もあった。
よくある物語には、この動物たちはほとんど登場しない。その物語が気にかけるのは、「最後に誰が勝ったか」だけだからだ。だが、彼らは敗者でも勝者でもない。あの時代に、確かに暮らしていた住人なのである。
ここで一つ、覚えておいてもよい。暁新世は、およそ一千万年続いた。一千万年は、長い。最初のヒト属が現れてから今日までの、三倍、四倍にもなる。
二つの時代のあいだの、ほんの短い過渡期ではない。それ自体が、独自の植生と食物網と動物たちを持つ、一つの完全な世界だった。その世界がまるごと、「恐竜の絶滅後、哺乳類が台頭した」という一文に押し込まれている。 ついでに、あの上昇曲線が何を意味するのかにも触れておこう。体の大きさという一つの数字の背後には、一式の仕組みがある。
五十キログラムの動物が生き続けるには、十分な食物が、長期にわたって安定して供給されなければならない。その食物にも、また安定した供給源が必要だ。つまり境界から七十万年後、あの土地には、五十キログラムの体を支えられる食物連鎖が、すでに組み直されていたのである。
少し時間を戻してみる。十万年で種数が持ち直したということは、居場所を確保できる種類が増えたということだ。三十万年で二十五キログラムの動物が現れたということは、食物の供給がある程度まで安定したということだ。曲線が測っているのは、いちばん大きな一頭である。だが実際には、その一頭がシステム全体に代わって、数値を報告している。
この節の二つの風景を並べると、よくある物語とはまるで違う一文ができる。境界の前は白紙ではなく、境界のあとの世界も、いまの動物たちの小型版ではなかった。 そのあいだの時代には、その時代だけの住人がいた。その多くの枝には現生の子孫がいないが、すべての系統が途絶えたわけではない。
最後に、制約を一つだけ。八万年、十万年という分解能を与えてくれるのは、とりわけ条件のよい数か所であって、陸上の記録すべてがそうなのではない。別の大陸では、同じ時期がぼんやりとしか見えないこともある。だから、ここまで見てきた曲線は、一枚の岩壁に刻まれた曲線なのだ。
三 扇はいつ開いたのか
暁新世の初めの百万年を見てくると、一つの疑問が自然に湧く。やがて現代のさまざまな哺乳類へつながる系統は、いったいいつ分かれたのだろう。境界を越えて初めて分かれ始めたのか。それとも恐竜がいたころに、すでに分かれていたのか。論争全体の核心はここにある。ただし答える前に、二つの言葉を具体的にしておく必要がある。
第一は、「目」だ。生物分類の階級の一つで、綱より小さく、科より大きい。三つ例を挙げればわかる。食肉目にはネコ、イヌ、クマ、アザラシが入る。翼手目は、すべてのコウモリ。長鼻目は、ゾウだ。同じ目に属する動物の共通祖先は、ふつう数千万年前にさかのぼる。
第二は、一枚の絵で考えてほしい。扇がゆっくり開いていくところを想像する。その柄が、現生の有胎盤類すべての最後の共通祖先だ。柄から十数本の扇骨が分かれ、それぞれが、現在の一つの目につながる。そして一本一本の扇骨も、のちにさらに枝分かれしていく。
ここには、まったく異なる三つの時点がある。日常の言い方は、それを一つの言葉で覆ってしまう。扇の柄は、いつ現れたのか。それが一つ。十数本の扇骨は、いつ互いに分かれたのか。それが二つ目。
扇骨の内部でいつ枝分かれが始まったかは、第三の問いだ。この三時点は数千万年も離れうる。「現生有胎盤類の大きな枝は恐竜の時代にできた」という言葉は、それらを一緒にしてしまう。共通祖先のことか、目どうしの分岐か、目の内部の多様化か。答えは同じとは限らない。哺乳類そのものの起源は白亜紀末よりはるかに古い。恐竜絶滅後に初めて哺乳類が生まれた、という議論ではない。
2023年の二つの大きな研究は、それぞれ問いの一部に答えた。まずゲノム研究を見よう。2023年の研究は有胎盤類241種を対象とした。65分類群の遺伝子座系統樹の年代推定には、柔らかい境界を持つ37の化石較正を使い、241種の連結解析にはさらに23を加えた。以下の37の固定点は原理を説明するための数であり、全体解析の総数ではない。
この「基準点」には、ひと言説明がいる。遺伝子配列だけでわかるのは、二つの種のあいだに、どれだけ違いがたまったかまでだ。そこに何年かかったかは、わからない。
違いを年数へ換算するには、系統樹のいくつかの位置で、化石にこう言ってもらう必要がある。「この系統は、少なくともこの年代以前には存在した」。三十七の基準点とは、そんな杭が三十七本打ってあるということだ。この研究が出した数字では、扇の柄が現れた可能性がもっとも高いのは、約一億二百万年前。恐竜がいた、白亜紀のさなかである。
もっとも根元に近い分岐のいくつかは、九千四百万から九千六百万年前にあたる。一方、大部分の扇骨の内部で起きた初期の枝分かれは、六千五百三十万から五千三百六十万年前、つまり境界よりあとに収まる。
同じ研究が、「白亜紀に起源を持つ」と「暁新世に展開した」を、同時に示している。矛盾ではない。三つの時点には、それぞれ別の年代があるということだ。
二つ目の研究は、分子をまったく使わず、化石だけを用いた。哺乳類五百三十九科、二万二千三百八十一件の化石産出記録をひとまとめにモデル化し、それぞれの科について、もっともありそうな起源年代を逆算した。
その結果、有胎盤類は白亜紀後期にはすでに存在していた。しかも少なくとも七つの科は、設定を変えて計算し直しても、起源年代の推定区間全体が、なお白亜紀のなかに収まった。一方、現代の目の大部分については、起源年代の区間が境界をまたぐか、その後に位置した。
二つの研究。一方は遺伝子から出発し、もう一方は石から出発した。それでも指し示す形は同じだ。扇の柄は古く、扇骨が大きく広がるのは遅い。では、何がまだ争われているのか。あいだの部分である。扇骨どうしが分かれたのは、境界のどちら側だったのか。
文献には、いくつかの名前がある。誰が支持しているかよりも、「どの時点が境界を越えるのか」で覚えるほうがよい。爆発モデルでは、三つの時点がすべて、境界付近か、その後に置かれる。
長い導火線モデルでは、柄の出現と、かなりの扇骨の分離が白亜紀に置かれ、扇骨の内部での展開は境界後とされる。短い導火線モデルは、もっとも徹底している。扇骨内部の分岐さえ、その多くを白亜紀に置く。中間的な案として、ソフトな爆発モデルもある。少数の扇骨については境界を越えてさかのぼることを認めるが、大多数は境界付近に集中させる。
いまのところ、短い導火線モデルの根拠がもっとも弱い。現代の目に属すると広く認められた白亜紀の化石が、いまだに見つかっていないからだ。主な争点は、長い導火線とソフトな爆発のあいだにある。しかも、化石だけを使ったあの研究自身が、はっきり書いている。推定区間の古い側は長い導火線を支持し、新しい側はソフトな爆発を支持する。同じ一群の化石では、両者に決着をつけられない。論争全体の形を、とてもよく示す具体例がある。
2011年、モンタナの、境界よりさらに三十万年古い地層から見つかった哺乳類の歯が報告された。争われたのは、その歯が白亜紀のものかどうかではない。その点を疑う人はいなかった。
争われたのは、その動物群が扇の柄の内側に入るのか、外側なのかだった。 同じ一つの歯でも、内側に置けば、柄が白亜紀にすでに現れていた証拠になる。外側なら、柄の下から分かれ、とうに途絶えた傍系の一つでしかない。岩石の年代は一文字も変わっていない。それなのに結論は、まるで桁が違う。
最後に、この一篇で繰り返し必要になる心得を一つ。南米のティウパンパは、長いあいだ、最初期の暁新世の哺乳動物群に数えられてきた。ところが別の年代づけでは、岩層に記録された地磁気の向きと、堆積層の前後関係から、およそ五千九百万年前、暁新世のずっと遅い時期に置かれている。
この二つの数字を平均して、六千二百万年前にしてはいけない。 同じ量を二度測ったのではなく、異なる二つの年代解釈なのだ。食い違いが方法の違いに由来するとき、中間を取るのは折衷ではない。誰も唱えなかった第三の説を、作り出してしまうことである。
四 大きくなるとはどこまでか
先へ進む前に、新しい世界の顔ぶれを見渡しておこう。恐竜が明け渡したいくつかの役割を、その後、誰が担ったのか。
大型の陸生植物食動物。白亜紀の終わりに消えたのは、主に数トンから数十トン級のものたちだった。暁新世には、大きくなる方向へ進む哺乳類がいくつも現れた。続く始新世、およそ五千六百万から三千四百万年前には、さらに大きな植物食動物が登場する。その後、この役割は、大陸ごとに異なる系統が担った。
大型の陸生捕食者。哺乳類の肉食系統、南米の大型の飛べない捕食鳥、ワニ形類、巨大なヘビ。組み合わせは、大陸によってまるで違った。次の節で、改めて見ていく。
海の大型捕食者。サメは境界の両側にいて、一度もいなくなっていない。古第三紀には、大型の硬骨魚が再び多様になった。クジラ類が記録に現れるのは、約五千三百五十万年前になってからだ。
もっとも大きな飛行動物。鳥類は初めから終わりまで存在し、古第三紀以降には大型の海鳥も現れた。
もう一行、もっとも見落とされやすく、実はいちばん大事な項目がある。中小型の樹上生活、地上生活、穴掘り、雑食という役割だ。これらは境界の前から哺乳類が担っており、境界のあとも、生き残った哺乳類、鳥類、爬虫類が担い続けた。この一行には、「どのくらい空いていたか」と書きようがない。そもそも空いたことがないのだから。
顔ぶれを見渡したところで、体の大きさに戻ろう。境界を越えたあと、もっとも目に見えて変わるのが体の大きさで、これには直接測れるデータがある。新生代を通じた陸生哺乳類の最大サイズを、大陸ごとに集めた研究がある。追っているのは、それぞれの時期でもっとも大きかったものだ。平均ではない。
ここで使う2010年の集計と当時の体重推定では、境界付近の最大の陸生哺乳類は約10キログラムで、のちに約17トンに達した。増加は約3.2桁である。17トンはこの資料での推定値であり、変わらない上限ではない。絶滅した巨獣の体重推定は、その後も見直され、議論されている。
細かな時期は大陸によって違う。けれども、いずれも初めに急上昇し、大きな体に達すると頭打ちになる。十七トンとは、どれほどか。いまの最大のアフリカゾウの、二倍を超える重さである。
この「三桁を少し超える」を、ほどいてみよう。十キログラムから十七トンへは、千七百倍だ。体重が倍になるたびに、それを支える骨、動かす筋肉、血を送る心臓、食物を処理する腸も、いっしょに作り直さなければならない。どれもが同じ比率で大きくなるわけではないからだ。脚の骨の断面積は、体重の増え方についていけない。だからゾウの脚とネズミの脚は、そもそも同じ形をしていない。
十キログラムから十七トンになるとは、一つのものを拡大することではない。体を成り立たせる一式の設計が、何度も書き換えられるということだ。それが六千六百万年のあいだに、それぞれの大陸で別々に起きた。
大陸ごとに細かな時期は違っても、曲線の形は同じだ。初めは急速に上がる。大型になると頭打ちになり、それ以上は上がらない。
そのあいだの数千万年には、いまの世界に対応するもののない巨獣が現れた。始新世と漸新世のユーラシアには、肩までの高さが数メートルもある植物食の哺乳類がいた。長く孤立していた南米でも、独自の大型植物食動物群が育った。互いに遠縁の動物たちが、それぞれ小さな体から大きな体へ進み、最後には同じくらいの規模で止まった。
だから、「哺乳類はのちにとても大きくなった」は、まったくそのとおりだ。ただ、このあとに一つの比較が続く。それが、この一篇の後半の進む方向を決める。
最大の竜脚類恐竜、あの長い首と長い尾を持つ巨獣たちは、確かな推定でも数十トンに達する。上限をめぐる議論では、六十から八十トン、あるいはそれ以上という数字が、よく挙がる。
陸生哺乳類の信頼できる体重推定は、最大級の竜脚類の約60〜80トンという規模には届かない。17トンと70トンなら4倍以上だが、この倍率は推定によって変わる。確かに言えるのは既知の最大値のあいだにまだ隔たりがあることであり、哺乳類が永遠に17トン以下に縛られることではない。
ここで、曲線そのものへ戻ろう。どれほどの速さで上昇したのか。自然な問いに見えるが、どこに線を引くかを先に決めなければ、答えは出ない。
「大きい」をどこに置くかによって、かかる時間はまるで違う。「中生代の哺乳類の、典型的な上限を超える」と定めるなら、境界から数十万年後には、もう現れていた。
五十キログラムなら、ある地域では約七十万年。トン単位なら、もっと待つ必要がある。竜脚類のような数十トンを線にするなら、新生代を通じて、陸生哺乳類はそこを越えていない。海で同じことを問うと、違いはいっそう極端になる。 ここでの線は最大級の竜脚類の約60〜80トンであり、陸生哺乳類に数十トンの推定が一切ないという意味ではない。
「海に大型の頂点捕食者はいたか」と問うなら、その役は一度も空いていない。サメは境界の両側にいた。これについては次の節で詳しく見る。ところが、「完全に水生で、肺で呼吸し、十数メートルの体長を持つ、四肢動物の捕食者はいたか」と問うなら、クジラ類が完全な水生に進化するまで待たなくてはならない。二千万年以上あとである。
同じ海でも、問い方を二つにすると、一方の答えはほぼゼロ、もう一方は二千万年以上になる。 だから「回復にどれくらいかかったか」と問うなら、何まで回復するのかを、まず言わなければならない。五十キログラム、五百キログラム、一トン、十トン、七十トン。それぞれ別の、五つの問いだ。
その五つの答えは、順に、数十万年、数百万年、それより長い時間、数千万年、そして「一度もない」である。これをまとめて「新生代の回復にはどれくらいかかったか」と言うのは、異なる五つの答えをかき混ぜて、存在しない平均値を作るようなものだ。
五 哺乳類だけではない
ここからの節は、この一篇でもっとも面白いところだ。たいていの人が、使っているとすら気づいていない等式を崩すからである。恐竜が明け渡した場所は、その後、哺乳類が占めた場所と等しい。 南米で、大型の陸生捕食者という区画に入ったのは、鳥だった。
飛ぶ鳥ではない。立てば人の背丈を超え、脚は柱のように太く、頭は不釣り合いに大きく、嘴の先が鉤になった鳥たちだ。足は速いが、飛べない。南米で、数千万年ものあいだ、大型の捕食者を務めた。
巨大な飛べない捕食鳥の記録は、主として南米にある。確かな最古の記録はアルゼンチンの始新世中期、四千万年以上前のものだ。のちには、二つの大陸がつながったのを機に、一つの系統が北米へ進出した。南から来た動物群が北へ渡り、そこで定着した珍しい例である。その統計的な意味については、第七節でも触れる。
大きさの幅は広く、数十キログラムから数百キログラムに及ぶ。
ただし、「小型のティラノサウルス」ではない。約四十キログラムの個体について、頭骨にかかる力を解析した研究がある。その結果、頭骨は上下方向の力には強いが、左右に激しくねじる力には向いていなかった。
そこから推定された狩り方は、素早く、何度も、垂直に打ち下ろすというものだ。獲物に噛みついたまま、長く引き裂くのではない。同じ生態的な役でも、体が変われば、動作まで変わる。
ついでに、体の大きさについてひと言。同じ科でも、小さなものは数十キログラム、大きなものは数百キログラムあり、ほぼ十倍も違う。下腿骨の力学から走力を推定した研究が扱ったのは、四十から三百五十キログラムという範囲だ。体重が十倍違う二種類の鳥が、食物網でまったく同じ仕事をしているとは、考えにくい。
同じころの南米には、肉食の有袋類の近縁群や、大型のワニ形類もいた。大型捕食鳥の遺骸から、ワニ形類の咬み跡が見つかったことさえある。少なくとも水辺では、その鳥たち自身が、ほかの誰かの食物だったのだ。だから、「南米の頂点捕食者はフォルスラコス類が独占していた」という一文は、仮説へと格下げしなければならない。熱帯には、さらに驚くような話もある。
コロンビアの、およそ五千八百万から六千万年前の化石産地から、巨大なボア類が出土している。推定体長は約十三メートル、体重は約一・一トン。十三メートルとは、どれほどか。バス一台を横から見れば、ほぼその長さだ。つまり境界からわずか六百万から八百万年で、熱帯の湿地には、もうトン級の大型捕食爬虫類がいたのである。
暮らし方は、おそらく今日のアナコンダと似ていた。半水生で、待ち伏せをする。ただし大きさは、まるで桁が違う。現在の最大のアナコンダでも、五、六メートルほどだ。
ワニ形類の話は、もっと長い。古第三紀と新第三紀の南米、アフリカ、アジアで、水と陸の境目の大型捕食者を長く担っていた。陸上を走るのに適した型も、何度も進化している。「鳥以外の恐竜が消えたあと、大型陸生捕食者の役割は哺乳類だけが引き継いだ」という一文は、地域の単位で見れば、一度も成り立っていない。
海で「空いた場所」の話を間違えやすいのは、まさに生存者をめぐる部分だ。サメは境界で大型捕食者の役を降りてはいない。標本抽出を標準化した解析によれば、新サメ類への影響は、従来の物語よりずっと小さかった可能性がある。その後も古第三紀を通じて放散し、始新世には高い多様性に達した。大型の海生爬虫類は消えた。それでも、海の頂点捕食者層が空になったことは、一度もない。
この点は、物語からとりわけ抜け落ちやすい。語る人の目は、つい「誰がいなくなったか」に向くからだ。サメという系統は、この出来事の最初から最後まで、ずっとそこにいた。誰かにあとを継いでもらう必要はなく、誰にもそのあとを継ぐことはできなかった。
硬骨魚の変化は、もっとはっきりしている。海の堆積物に含まれるサメの皮歯と硬骨魚の歯の相対量を見ると、境界のあと、外洋で硬骨魚の相対的な重要性が急速に増したことがわかる。
現代型のマグロ、カジキ、カマスといった、高速で泳ぐ大型捕食魚に近い仲間が、古第三紀の初めに現れ始める。この転換を、新たな魚類の時代と呼ぶ人もいる。
大げさな呼び方ではない。白亜紀の開けた海には、大型の遠洋性捕食硬骨魚がいくつもの系統にわたっていた。それらは境界で消えた。後からやってきたのは、同じ顔ぶれではない。のちに今日の外洋魚類へとつながる、新しい生態型の一式だった。海で起きたのは、欠員の補充ではなく、顔ぶれの入れ替わりである。
クジラ類は、ずっと遅い。確かな最古の記録は約五千三百五十万年前で、境界より千二百五十万年もあとだ。完全な水生になるのは、さらに遅れる。千二百五十万年とは、どれほどか。ヒト属の歴史全体の、四倍、五倍にもなる。
だから、クジラはサメを追い出して現れたわけではない。大型の魚類捕食者がとっくにいる海へ、別の一組の能力を持ち込んだ。肺で呼吸する。途方もなく大きくなる。深く潜る。音で獲物を探す。
とりわけ目立つのが、ひげ板による濾過摂食だ。ヒゲクジラも獲物の集まりを探し、追う。それでも、ひげ板を使えば大量の小さな獲物を水から漉し取れる。ただし巨大な濾過食動物を発明したのはクジラではない。中生代の海にはすでに巨大な濾過食の硬骨魚がいて、パキコルムス類の一部は白亜紀まで続いていた。海生爬虫類だけを海の住人と思えば、この先行者が見えなくなる。
だからクジラは「大型海洋動物」の枠を埋め直しただけではない。授乳、呼吸、運動、濾過を組み合わせ、新しい暮らし方を生んだ。新しい組み合わせが現れることと、似た機能が海に一度もなかったことは別である。
六 戻ってこなかったものたち
逆から問うてみよう。それ以降、二度と現れなかったものはあるだろうか。有力な候補が三つある。そのうち最初のものが、もっとも明瞭だ。
最大の翼竜は、確かな推定で翼を広げると十から十一メートル、体重は二百キログラム級とされることが多い。十から十一メートルとは、どれほどか。両翼を広げれば、小型飛行機とほぼ同じ幅になる。地面に立ったときの肩の高さは、キリンほどだ。もっと重要なのは、どう飛び立つかである。翼竜は四肢をいっしょに使い、体を地面から弾き出せる。膜状の翼と前肢への力のかかり方は、鳥とはまるで違う。
知られている最大の飛ぶ鳥は、それより明らかに一回り小さい。巨大な擬歯鳥の翼開長は、控えめな推定で約六・四メートル。南米のあの巨大な飛翔鳥は、約七十キログラム、翼開長は約六から七メートルだ。翼開長十メートル、体重二百キログラムで、しかも自力で地面から飛び立てる動物は、新生代には二度と現れなかった。
この違いがどれほど重要かは、力学を少し見ればわかる。鳥は後脚で地面を蹴り、そのあと翼に頼って飛び立つ。翼竜の前肢は翼であると同時に前脚でもあるから、四肢をそろえて力を出し、自分の体を弾き飛ばせる。
片方は二本脚で跳び、もう片方は四本脚で跳ぶ。最大級の体になると、その違いが、そもそも離陸できるかどうかを決める。だから同じように滑空していても、二つの動物群が発揮できる性能の範囲は、同じではない。
二つ目の候補は、大型海生爬虫類だ。クジラ類は確かに、のちに「大型で、海にすみ、肺で呼吸する」という空間へ、再び入っていった。だが、特定の泳ぎ方、歯の並び、繁殖の仕方、体の構造まで条件に加えると、クジラと白亜紀の海生爬虫類は、一部が重なるだけで、ぴったり一致はしない。ヒゲクジラにいたっては、大量の小さなプランクトンを濾し取って生きる、まるで別の場所へ進んでいる。
ここには、逆向きの事実も置いておかなければならない。海の頂点捕食者の役は、一度も空いていない。だが、白亜紀にいた十数メートルの海生爬虫類と同じ組み合わせは、確かに二度と現れていない。サメのように一生を水中で送る魚でもなく、クジラのように陸から海へ入った哺乳類でもない。別の道を来たものたちだった。そして、その道は途絶えた。
三つ目は、極端に巨大な陸生植物食動物である。新生代にも十七トンの巨獣はいた。だが、六十から八十トンという域は再現されていない。
七十トンを支えるには、ただ大きいだけでは足りない。竜脚類には、非常に特殊な一式の仕組みがあった。きわめて長い首のおかげで、同じ場所に立ったまま広い範囲の樹冠に口が届く。気嚢を備えた中空の骨は、自重を軽くする。そして、噛まない。食物を丸ごと飲み込み、巨大な消化管のなかで、ゆっくり発酵させる。
これらがそろって初めて、あの大きさに達する。そして新生代には、それが再びそろうことはなかった。ここまで来ると、鋭い問いがひとりでに浮かぶ。何を根拠に、「戻ってこなかった」と言えるのか。
翼竜はいなくても、大型の海鳥はいる。竜脚類はいなくても、巨獣はいる。ある場所が「空いている」と言うとき、いったい何を言っているのか。答えはある。条件は三つで、順に満たすのが難しくなる。
第一に、動物群の名前を比べるのではなく、測れる次元を一組、先に並べなければならない。体重、食べるもの、歯や嘴の力学、移動の仕方、活動する足場、採食する高さ、遊泳や飛行の性能、体温にかかわる生理。二つの時代の動物が、これらの座標上で本当に重なって初めて、「同じ場所」を論じる資格が生まれる。
第二の条件はもっと難しく、しかもよく飛ばされる。環境の座標そのものが、比較可能でなくてはならない。数千万年も隔たった二つの生態系では、温度、植生の構造、獲物の体サイズ分布、大陸の配置が、どれも違っているかもしれない。白亜紀にあった資源の組み合わせ自体が、もう存在しないなら、「あの場所はまだ空いている」とは言えない。そもそも同じ定義域を、もはや持っていないのかもしれない。
第三に、「いちばん近いもの」と「本当に一致するもの」を分けなければならない。形態空間で、のちの動物群が白亜紀の動物群の最近傍に位置していたとしても、なお遠く離れていることはありうる。
厳しい三条件に見えるが、実際には、一つの言葉を空虚にしないための条件だ。「ある場所が埋まっていない」と言うのに、どの次元で「同じ場所」と数えるかを先に示さなければ、その一文は、どんな異なる二種の動物にも使えてしまう。そうなれば、何も言っていないのと同じだ。
この三条件で、さきほどの三候補を見直すと、言い方を少し変える必要がある。本当に戻らなかったのは、「翼竜型の生態的地位の全体」ではなく、「最大級の体と、特定の離陸方法と、特定の陸上での採食方法」の組み合わせだ。また、「巨大動物による植物への作用すべて」でもなく、「一個体が数十トンになる、その体サイズの域」である。五から十五トンの植物食動物が複数いれば、食圧、種子散布、踏みつけの強さは、合わせて同じほどにもなりうる。
いまのゾウは、同じことを、一回り小さな規模で行っている。木を倒し、樹皮を剥ぎ、踏み分けた通り道を作る。放っておけば森になる場所を、開けた草地のままに保つ。一頭のゾウが森に及ぼす影響は、主にどれだけ食べたかではなく、ほかのものが育つかどうかを変えてしまうことにある。 生態学では、こうした動物を「生態系エンジニア」と呼ぶ。
七十トンの竜脚類が森を一度歩けば、おそらく同じたぐいのことが、はるかに大きな規模で起きる。だが、その作用を、七トンの動物十頭が合わせて果たせないとは限らない。
七十トンの一頭がしていることは、必ずしも、切り分けられない一つの全体ではない。
七 もう一度再生したら
ここまで来ると、大きな問いを避けて通れない。テープを六千六百万年前まで巻き戻し、もう一度再生したら、やはり今日のような世界になるのだろうか。
この問い方には、出どころがある。1989年、グールドが一冊の本で提示した思考実験だ。彼はそれを、「生命のテープを再生し直す」と呼んだ。気をつけたいのは、彼が問うたのは「進化はランダムなのか」ではないということだ。歴史の結果は、それまでにたどった道筋に、どれほど左右されるのか。それが問いだった。
もっとも有名な反論者は、コンウェイ・モリスである。だが、その答えも「歴史など重要ではない」ではなかった。彼の主張はこうだ。物理、機能、発生の制約があるため、実現できる解は、論理の上で考えられる解よりはるかに少ない。だから異なる歴史をたどっても、似た機能の領域へ何度も入っていく。目、流線型の体、飛行のための構造、穴掘り用の前肢。互いに無関係な系統で、繰り返し現れる。
像を結ぶ目は、もっともよく挙げられる例の一つだ。動物界で何度も独立に生まれている。脊椎動物とタコは、それぞれかなり似た構造のカメラ眼を作り出した。網膜の取り付け方は、互いに逆なのに。飛行も、少なくとも四回、独立に現れた。昆虫、翼竜、鳥、コウモリである。確かに、何度でも見つかる解き方はある。
やがて、この思考実験は、本当の実験になった。ある長期進化実験では、初めはまったく同じ十二の細菌集団を用意し、同じ条件のもとで、世代から世代へ受け継がせた。そのうちたった一つだけが、酸素のある条件でクエン酸を大量に利用する能力を進化させた。しかも、三万世代を超えてからのことだった。
もっと重要なのは、その次の一手だ。研究者たちは、凍結保存しておいた祖先と中間世代を取り出し、本当に再生し直した。必要な遺伝的背景をいくらか蓄えた、後の世代のクローンからやり直すと、その新しい能力は、再び現れやすかった。もっと古い祖先から再生すると、めったに現れなかった。
結果は、二つの階層を同時に支持している。全体的な性能は再現されうるが、個々の重要な革新と、遺伝子レベルの道筋は、歴史に強く依存しうる。 グールドと反論者は、それぞれ一つの階層について正しかった。二人が語っていたのは、同じ階層ではなかったのである。自然界にも、再生し直しに近いものがある。もっとも古典的な一組は、フクロオオカミとオオカミだ。
百一点の標本と、百二十八か所の三次元ランドマークを使って比べた研究がある。フクロオオカミとハイイロオオカミの成体の頭骨は、非常によく似ていた。そればかりか、個体発生の軌跡まで強く平行しており、相関係数は約〇・九一にも達した。
似ていないところにも、一貫した傾向がある。頭蓋底、鼓室胞、歯列の細部は、同じにはならない。胚発生上の由来が異なる骨のまとまりは、同じ程度には収斂していなかった。
さらに機能を測ると、フクロオオカミの狩り方は、大型の獲物を主に狙うオオカミに、必ずしもいちばん近いとは限らない。いくつかの指標では、むしろ小さめの獲物を捕らえるイヌ科に近いとされる。写真ではオオカミに見える。測ってみると、それほど似てはいない。
つまり収斂とは、「動物が丸ごと、別の大陸の対応物になる」ことではない。同じような機能を担ういくつかの構造が、それぞれ異なる程度で近づくことだ。ほとんど複製のようになる部分もあれば、それぞれの家から受け継いだものを、そのまま残す部分もある。
ほかでも、同じ形が見える。肉食哺乳類の頭骨を比較した研究では、似た食性と狩り方が、確かに異なる系統を近づけていた。しかし、頭骨の各部は、それぞれ異なる発生上、力学上の制約を受ける。収斂の程度は均一ではない。ある領域は強く似通い、別の領域には、系統の違いが色濃く残る。
滑空する哺乳類にも、別の姿で同じ傾向が現れる。異なる系統が、それぞれ独立に体側の滑空膜を進化させ、外見の収斂はきわめて強い。だが、骨格を定量的な形態空間へ置いても、一つの集まりにはまとまらない。骨盤、手首と足首、長骨どうしの比率には、それぞれの祖先の刻印が残っている。内側の構造よりも、機能の結果のほうが収斂しやすいのだ。
島々のトカゲは、さらに大きな規模で、再生し直しに近い事例を見せてくれる。同じ仲間のトカゲが、別々の島でそれぞれ放散すると、似た型が繰り返し生まれる。もっぱら樹冠の高いところにいるもの、幹にいるもの、地面にいるもの。それに対応する脚の長さ、体の大きさ、動き方も、繰り返し現れる。自然界の収斂を数値で示した事例のなかでも、とりわけ強力なものだ。
ところが、その同じ動物たちも、タンパク質をコードする部分では、外見と同じほどの収斂を示していない。見た目が同じでも、その下まで同じとは限らない。最後に、「誰が勝ったか」という話を一つ、修正しておこう。この一篇で、もっとも覚えておいてほしいことだ。
南米は、それ以前、長く孤立していた。独自の有蹄類、独自の大型ナマケモノやアルマジロの近縁群、独自の肉食有袋類、そしてさきほどの大きな鳥たち。ほかにはいない動物の一式が、そこで育った。約三百万年前、パナマ地峡が南北アメリカをつなぐと、両側の動物の行き来が大幅に増えた。 これは交流の大幅な拡大を指す。それ以前にも移動はあり、300万年前に初めて動物が渡ったわけではない。
今日の結果だけを見ると、話は明瞭に見える。南米の現生動物群には、北方由来のものが多い。一方、北米への進出に成功し、そこで高い多様性を残した南方の動物群は、比較的少ない。かつてはよく、北の動物のほうが競争力に優れていたからだと説明された。
2020年に、およそ二万件の化石産出記録をモデル化し、分散、起源、絶滅の速度を、それぞれ推定した研究がある。その結果、北から来たものと南から来たもののあいだで、分散率や、移入後の起源率に、この非対称を説明できるほどの系統的な差は見つからなかった。本当の理由は、別のところにあった。南米在来の哺乳類は、鮮新世に高い絶滅率を示していた。そのため、北へ広がりうる南方の供給源そのものが、小さくなっていたのだ。
同じ年の別の解析では、400点を超える化石の安定同位体を使った。歯に残る同位体は、その歯が形成された時期の食物を反映する。一生の食歴すべてを示すわけではない。食べる植物が違えば、歯に残る炭素同位体の比率も違う。
結果を見ると、移入してきた動物群は、しばしば食べ物の幅が広い。在来と外来のあいだにも、明瞭な資源の使い分けが生じていた。きれいな一対一の置き換えではない。相手を押し出したというより、互いに入り込める隙間を見つけたように見える。最後の勝敗から、初めの優劣を逆算することはできない。
八 余項は動いていく座標系のなかにある
これで、初めの問いに答えられる。「継承ではない」という半分は成り立つ。しかも、揺るぎなく成り立つ。後から来たものは、誰一人、前のものの組み合わせを再現していない。最大の体サイズの域は戻らず、飛行動物の極端な大きさも戻らなかった。捕食の機能は、哺乳類、鳥類、ワニ形類、ヘビへと分かれた。そして海の生存者たちは、初めから終わりまで、そこにいた。
「場所を占めた」という残りの半分は、割り引いて考えなければならない。なぜ割り引くのか。そこに、この一篇が本当にたどり着いたものがある。「場所」という言葉は、あるものを前提にする。占めるものより先に存在し、占められていく過程でも動かない、一つの区画だ。三つの証拠は、どれもその前提を支持しない。
第一の証拠は、第二節で見た。暁新世には独特な体の設計がいくつもあり、のちには二度と現れなかった。「古い区画を一つずつ埋めていった」のではない。新しい形がいくつも生まれ、それがまた消えていったのである。
第二は、第六節にある。環境の座標そのものが変わる。白亜紀の資源の組み合わせが、もうなくなっているのなら、その場所は同じ定義域を持たない。「まだ空いている」と言うのは、存在しない座標系を使って現在を描くことになる。第三が、もっとも重要だ。それには名前がある。ニッチ構築という。
生物は、植生の構造、土壌、栄養循環、火が起こる環境、水の動き、隠れ場所、そして互いの関係を変える。だから、その子孫が受け継ぐ外部環境は、手つかずのままの環境ではない。
目に見える例を挙げよう。ビーバーが一本のダムを築くと、小川が湿地になる。それ以降、そこで暮らすあらゆる動植物が向き合うのは、その湿地であって、元の小川ではない。ビーバーは出来合いの場所へ引っ越したのではなく、場所そのものを作った。 しかも作ったのは、自分の場所だけでなく、ほかのものの場所でもある。
もっと大きな尺度では、陸上植生の構造が、利用できる採食の高さに、どれほど種類があるかを決める。土壌の深さは、穴を掘れるかどうかを決める。そして、その両方を長い時間をかけて形づくっているのも、生物自身だ。ある放散で場所を占めていくもの自身が、資源の量を変え、ほかの種が受ける選択圧まで変えるのなら、機会の空間は、占められていくのと同時に動いていく。
機会の空間へ入ることと、自分の活動によって、その機会の空間を変えることは、同時に起こりうる。話がややこしくなる理由の一部は、「生態的地位」、つまり「ニッチ」という言葉そのものにある。初めから一つの定義があったのではなく、三つの伝統が同じ言葉を使ってきたからだ。1917年には、それを、ある種がどのような物理環境で存在できるか、と捉えた人がいた。
1927年には別の人が、群集のなかで種が果たす機能的な役割、とりわけ食物や天敵との関係を重視した。1957年には、ある種が個体群を維持できる多次元空間として、形式化した人がいた。この捉え方は、きわめて種を中心に据えている。
そのため、「空いた場所」には、まったく異なる二つの問い方が生まれる。「環境のなかに、まだ誰も果たしていない役がある」。これは、その役を占めるものが現れる前でも定義できる。「ある種が個体群を維持できる条件の集合がある」。その種が存在しないなら、その種のための場所がすでに存在すると言うのは難しい。
だから「空のニッチ」は、すでに決着のついた専門用語ではない。現実に続いている、概念をめぐる論争なのだ。比較的使いやすい折衷案は、「あらかじめ線が引かれた空欄」の代わりに、生態的機会と考えることだ。環境には利用できる資源がある。だが、いまいる生物の能力と、その機会とのあいだには、かみ合わない部分がある。こう考えれば、新しく場所を占めるものが来る前から、環境が機会を用意することは認められる。同時に、未来の動物の居場所が、完全な形ですでに存在すると仮定せずにすむ。
そこで、この一篇が余項の表へ加えるのは、十三番目の型になる。余項は、占められるにつれて動いていく座標系のなかにある。
これは、第八篇の「余項は座標軸のなかにある」とは、分けて記しておかなければならない。あちらの余項は、選択から生まれる。研究者がどの軸を選んだか。軸を入れ替えれば、余項も入れ替わる。こちらは、過程から生まれる。測られる対象そのものが、軸を書き換えてしまう。測る人を誰に替えても、この余項は残る。
ここから、一つの決まりを立てられる。「ある場所が埋まっていない」と言うなら、まず三つを差し出すこと。機能軸の一覧。環境の座標が比較可能だという論証。「最近傍」と「一致」の区別。
一つでも欠ければ、その一文は、結果を見てから設けた分類にすぎず、発見ではない。もう一つ、並べておきたいことがある。「新生代の放散」は、複数形で理解するほうがよい。
扇骨内部の分岐は、およそ六千五百万から五千四百万年前に集中する。陸生哺乳類の最大サイズは、最初の百万年で、すでにはっきりと増加した。だが、世界規模での最大級に達するには、数千万年を要した。クジラ類が記録に現れるのは、五千三百五十万年前になってからだ。
草の話が、もっともよくこのことを示している。イネ科という分類群は、白亜紀にすでに存在した。けれども本格的な開けた草原は、はるかに遅い。しかも大陸ごとに足並みがそろわない。北米で開放的な草本の生育環境が徐々に広がるのは、三千四百万年前以降だ。低緯度で、乾燥と暑さにより強いタイプの草が大規模に広がるのは、主として八百万から五百万年前に集中する。
東アフリカで複数の指標を使った研究は、このタイプの草が当地に豊富にあった時期を、さらに古くへさかのぼらせている。ある分類群が古いからといって、その分類群が主役となる環境まで、すでに現れていたとは限らない。
鳥類の側も、時期はそろっていない。暁新世の初めに、すでに急速な形態分化と系統分化があったことを強調する研究もある。一方、白亜紀後期から境界をまたいで連続する、より長い放散を支持する研究もある。
昆虫は、さらに慎重に扱う必要がある。主要な植物食昆虫や送粉昆虫の系統は、その多くが白亜紀にすでに存在した。境界後に比較的はっきり見えるのは、植物と昆虫のつながりが、地域ごとに失われ、回復し、組み直されたことだ。植物の種の豊かさが戻る時期と、昆虫の摂食の型が戻る時期も、一致するとは限らない。二本の曲線は、一本ではない。
南北アメリカ大陸のあいだの動物交流が頂点に達するのは、さらに遅く、鮮新世と更新世になってからだ。これらの時間には、共通の始点がない。世界じゅうで一斉に、一度きりで完了した「後継ぎの瞬間」を裏づける資料は、ない。
第十八篇へ戻ろう。地層が残すのは実際に起きた歴史であり、直接比較できる第二の地球ではない。それでも反実仮想の推論は進められる。細菌実験なら、保存した祖先試料から再出発し、新たな進化の過程を観察する方法が加わる。これは反復実験であって、起きた一回の過去を文字どおり巻き戻すことではない。
代わりに失うのは尺度だ。12集団、3万世代余り、一つの形質。管理した実験は再出発できても、地球史の一章を同じようには再出発できない。 大きな問いもモデルや証拠で絞れるが、実験室の反復可能性をそのまま移すことはできない。知りたいことは、まさに直接やり直せない尺度で起きた。
この一篇では、階層の交代を判定する場面はない。境界の前後で、選択の単位は変わっていない。ここで示されたのは、別のことだ。ある構が「一つの場所が空いている」と主張するとき、同時に一つの座標系を主張している。そしてその座標系は、その構が記述しようとする過程によって、いまも書き換えられている。
生き残ったものたちは、後継ぎではない。ただ、そのときまだそこにいた。その足もとで、世界は形を変え続けていた。
越えられなかったからといって、本来劣っていたわけではない。あの日、どの能力が役に立つかが変わった。かつての強みが重荷になり、目立たない形質が命綱にもなった。生存と能力が無関係なのではない。役立つかどうかが環境によって変わるのだ。越えたことは、永遠の優越の証明ではない。
誰も場所を待ってはいなかった。場所も、誰かを待ってはいなかった。 「場所」という言い方は、結果の側に立つ私たちが、振り返って、過程に取り付けたものなのだ。
今日の住人を知っているから、空席は彼らを待っていたように見える。晴れかけたあの塵の中へ目を戻そう。のちに私たちが現れることを、そこで知るものはいなかった。
関連研究・確認に用いた資料
- Foley et al. (2023) · A genomic timescale for placental mammal evolution
- Smith et al. (2010) · The evolution of maximum body size of terrestrial mammals
- Friedman et al. (2010) · A 100-million-year dynasty of giant planktivorous bony fishes
- eLife (2017) · Molecular conservation of marsupial and eutherian placentation and lactation