鑿構の周期律 · 古生物 · 16

真社会性 選択の単位がもう一段上がる

自分で繁殖する暮らしから巣の一員へ。境界はどこで変わったのか。

秦漢 · 読了の目安:約44分 · 公開日

一 一匹の働きバチの生涯

卵が産みつけられてから二十一日目、一匹の働きバチが、蜜ろうでできた六角形の巣房のふたをかじり破り、這い出してくる。母親は女王バチ。群れに一匹だけいて、忙しい季節には一日に千個から二千個もの卵を産む。父親は雄バチだが、この働きバチが生まれるずっと前に、もう死んでいる。

その一生は仕事で埋まっている。しかも、おおむね年齢に応じて持ち場が変わる。最初の数日は巣房の掃除だ。空いたばかりの部屋をなめてきれいにし、女王がまた卵を産めるようにする。

次は子守になる。頭部の腺から乳白色の液を分泌し、幼虫に与える。これが、いわゆるローヤルゼリーだ。もう少し育つと、腹の下面にあるろう腺から薄片状のろうを出すようになり、巣を修繕したり、巣房を築いたりする。その後は巣の入口で門番を務め、入ってくるハチを一匹ずつにおいで調べる。よその群れのハチなら、そこで止める。

門番の働きバチには、返しのついた毒針がある。人やほかの哺乳類を刺すと、返しが皮膚に引っかかって抜けなくなり、毒の袋ごと針が体から引きちぎられる。その働きバチは、ほどなく死ぬ。皮膚に残った針は、その後も毒液を送り込みつづける。だからミツバチに刺されたら、できるだけ早く針をかき取る必要がある。

羽化しておよそ三週間たって、ようやく初めて蜜を集めに飛び立つ。採集は、いちばん体を酷使する仕事だ。夏の働きバチの寿命はふつう五、六週間しかなく、最後の二、三週間はほとんど外を飛び回って過ごす。翅の縁は擦り切れ、ぼろぼろになり、やがて野外で死ぬ。

よく引かれる見積もりでは、一匹の働きバチが一生かけてつくる蜂蜜は、ティースプーン十二分の一杯ほどにすぎない。ただ、この仕事の順番も絶対ではない。養蜂家が群れから採集係のハチを取り除くと、まだ若い子守のハチが、数日のうちに予定を繰り上げて採蜜に出る。

採集から戻った働きバチは、巣板の上で八の字を描くように踊る。中央の直線部分を進む向きが、太陽を基準にした蜜源の方向を示し、その直線上で体を振る時間の長さが、蜜源までの距離を示す。このダンスの言葉を解読したのは、オーストリアの動物学者フリッシュだった。その業績により、1973年、ほかの二人の動物行動学者とともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。

勢いのある群れには、夏になると二、三万から五、六万匹の働きバチがいる。すべて雌だが、その圧倒的多数は一生繁殖しない。働きバチが働いて育てているのは、すべて女王の子、つまり自分の弟や妹たちだ。

巣にいる雄バチは、わずか数百匹。働きバチより体が大きく、目も大きくて頭のてっぺんでつながっている。毒針はなく、蜜も集めず、家事もしない。唯一の役目は巣を出て、よその群れの新しい女王と交尾することだ。秋になって花が減ると、働きバチは生き残っている雄を巣の外へ引きずり出し、二度と中に入れない。

中国で飼われているミツバチには、二つの種類がある。一つは在来のチュウゴクミツバチ。小柄で寒さに強く、山にぽつぽつと咲く花からも蜜を集められる。もう一つは二十世紀初め以降に導入されたイタリアミツバチで、体が大きく、採れる蜜も多い。今日の養蜂場では、こちらが主力だ。両者の社会の仕組みは、おおむね同じである。

働き蜂と女王蜂の違いは、二組の固定した階級の遺伝子で決まるわけではない。同じ女王が産んだ受精卵も、遺伝子の組み合わせがすべて同一とは限らないが、異なる雌の発育経路をたどる可能性を持つ。幼虫が何を、どれだけ、いつ食べるかが、遺伝子の働き方などを通じてその道を変える。適切な女王用の餌を継続して与えられる幼虫と、働き蜂用の給餌を受ける幼虫では、進む道が異なる。

2008年、オーストラリアの研究者は、幼虫のDNAに化学的な印を付ける酵素の働きを抑えた。すると、働き蜂として飼育された幼虫の多くにも女王の特徴が現れた。幼い時期の栄養と遺伝子の調節が、生殖能力の発達を別の道へ向ける。食べ物がすべての遺伝子を書き換えるという意味でも、働き蜂が一切産卵できないという意味でもない。未受精卵を産み、雄を生む働き蜂もいる。

このことは、かつてダーウィンをひどく悩ませた。1859年の『種の起源』で、繁殖しない働き虫は特別に難しい問題だと述べ、「初めは、克服しがたく、私の学説全体にとって致命的なものに思えた」と書いている。自然選択では、より多くの子孫を残せる個体がものをいう。子を産まない個体の形質は、いったいどうやって次の世代へ伝わるのか。

ダーウィン自身も、一つの答えを出していた。牛を育てる話にたとえたのである。肉質のよい牛を屠って食べてしまえば、その牛自身にはもう子孫を残せない。だが、牛を育てる人は、同じ家系の牛を探して交配させるだろう。そうすれば、よい肉質はやはり受け継がれる。選択は個体だけでなく、家族にも働きうる。このたとえのなかには、すでに、その後百年以上にわたる論争の種が埋まっていた。

ミツバチのような社会を、生物学では真社会性と呼ぶ。1966年、アメリカの昆虫学者バトラがインドのコハナバチを研究するなかで使い始めた言葉で、のちに三つの条件に整理された。同じ巣に繁殖専門の個体と、繁殖しないか、ほとんどしない個体がいること。少なくとも二世代の成虫が、同時に巣で暮らしていること。そして、自分の産んだ子ではない幼虫を、共同で世話すること。この三条件は、主としてアメリカのハナバチ研究者ミチェナーが1969年に、そしてウィルソンが1971年刊行の『昆虫の社会』で整理し、定着させたものだ。

このシリーズでいう「構」とは、突き詰めれば一本の線を引くことだ。線の内側は数に入れ、外側は入れない。判定基準のように人間が引く線もあれば、一枚の膜のように自然が引く線もある。真社会性の三条件は、社会生活という広大な領域に、人間が引いた一本の線である。

では、その線の内側にいるのは誰か。顔ぶれは、多くの人が思うよりもずっと多い。すべてのアリ、すべてのシロアリ。ミツバチ、ハリナシバチ、マルハナバチ。一部のコハナバチ。そしてスズメバチ科のアシナガバチ類とスズメバチ類。

意外な顔も混じっている。1977年、日本の研究者は、一部のアブラムシが戦い専門の「兵隊アブラムシ」を生み、それらはそれ以上成長して繁殖することがないと発見した。兵隊は前脚が太く、頭にとがった角がある。テントウムシやヒラタアブの幼虫が這ってくると、飛びかかって角で突き、脚で挟みつけ、しばしば相討ちになる。オーストラリアの乾燥地に生えるアカシアにも、虫こぶのなかに集団で暮らすアザミウマが何種類かいて、やはり兵隊がいる。

海にもいる。1996年、アメリカのダフィーは、中米ベリーズのサンゴ礁で、海綿の管のなかに暮らすテッポウエビの一種を見つけた。一つの集団は数百匹からなるが、卵を産む雌は一匹だけで、ほかは門を守り、敵と戦う。オーストラリアにすむナガキクイムシの一種も、生きたユーカリの幹にトンネルを掘って暮らし、一生卵を産まない働き虫をもつ。

いちばん意外なのは、二種類の哺乳類だ。東アフリカの乾燥地にすむハダカデバネズミは、体長十センチほど。毛はほとんどなく、皮膚はしわだらけで、地下に総延長数キロメートルにもなるトンネルを掘る。一つの巣には平均七、八十匹、多ければ三百匹近くいるが、繁殖する雌は一匹だけだ。アフリカ南部のダマラランドデバネズミも、よく似た暮らしをしている。

ハダカデバネズミの話には、前日譚がある。1970年代、アメリカのミシガン大学の昆虫学者アレグザンダーが、授業のなかでこう推論した。脊椎動物にも真社会性があるとしたら、おそらくそれは地下にすみ、大きな塊根や地下茎を食べ、熱帯の乾いた粘土質の土壌で暮らす齧歯類だろう、と。

その後、まさにそんな動物がいる、と教えてくれた人がいた。ハダカデバネズミである。1981年、南アフリカのケープタウン大学のジャーヴィスが、その集団では一匹の雌しか繁殖しないと『サイエンス』に報告した。予言と発見は、こうしてつながった。

ハダカデバネズミは、ひときわ長寿でもある。同じくらいの大きさのネズミは、ふつう二、三年しか生きない。ところがハダカデバネズミは、実験室で三十年以上生き、老齢になっても死亡率がほとんど上がらない。繁殖を担う雌は、研究者のあいだでは一般に「女王」と呼ばれる。

奇妙なところは、それだけではない。ハダカデバネズミの皮膚は酸に触れてもほとんど痛みを感じず、体温は冷血動物のように巣穴の温度に合わせて上下する。2017年、研究者が酸素をまったく含まない箱に入れると、十八分間意識を失っていたが、空気中に戻すと再び息を吹き返した。心臓と脳が一時的に代謝を切り替え、果糖を分解してエネルギーを得ていたのである。ほかの哺乳類では、めったに見られない仕組みだ。

今回は、この顔ぶれがどうやって現れたのか、何度現れたのか、なぜ現れたのか、どんな化石を残したのかをたどる。そして、生物学者たちが半世紀以上もこれをめぐって論争しつづけているとき、いったい何を争っているのかを見ていこう。

二 十五回なのか 五回なのか

まずはシロアリから。姿はアリに似ていて、名前にも「アリ」がつき、暮らし方もアリそっくりだ。だが、アリとは近縁でもなんでもない。アリはミツバチやスズメバチと同じ膜翅目に属するが、シロアリの親戚はゴキブリである。

2007年、イギリス自然史博物館の三人の研究者が、DNAを使ってゴキブリとシロアリの系統樹を描き直した。すると、シロアリはゴキブリの系統樹のなかにすっぽり収まり、木を食べる一群のゴキブリにもっとも近いことがわかった。論文につけられた題は「一つの目の死」。シロアリを独立した一つの目として扱うのをやめる、という意味だ。シロアリとは、社会生活を営むようになり、高度に特殊化したゴキブリの一群なのである。

そのもっとも近い親戚はキゴキブリと呼ばれ、北アメリカ、ロシア極東、中国の一部の山林で、朽ち木のなかにすんでいる。一組の雌雄は一生添い遂げ、朽ち木のトンネルで子どもたちと暮らし、子どもが家を出るのは何年もたってからだ。さらに重要なのは、腸内の原生動物の力を借りて木を消化していることである。孵化したばかりの子には、それらの微生物がいない。親の肛門から微生物を含む液をなめ取り、分けてもらわなければならない。

シロアリも、同じ方法で腸内微生物を受け渡している。

十分に育った大きなシロアリの巣では、女王の腹は指ほどの太さにふくれ、長さも数センチになる。白くふくらんだ体はほとんど動かせず、働きアリに食べさせてもらい、体もきれいにしてもらう。推定では一日に一万個以上の卵を産み、十数年、ときにはそれ以上も生きる。その傍らには、いっしょに巣をつくった王が、ずっといる。一つの巣が一つの家族であり、親は長生きし、子は家に残って養ってもらわなければならない。この条件がそろえば、もうシロアリの巣まで、そう遠くはない。

シロアリという分類群全体で、真社会性の起源は一回と数える。現生のシロアリはすべて真社会性で、共通祖先もすでにそうだったからだ。アリも同じである。いま知られている一万四千種以上はすべて社会性をもち、こちらも一回と数える。

起源は一度でも、その後に枝分かれした暮らし方の多さには驚かされる。南アメリカやアフリカのグンタイアリは定まった巣をもたず、数十万から百万以上の働きアリが連れ立って行進する。夜には互いの体をつなぎ合わせ、生きた仮の野営地を組み上げ、その真ん中に女王と幼虫を囲い込む。

華南のツムギアリは、木の上で葉を使って巣をつくる。働きアリの列が大顎で二枚の葉の縁を引き寄せ、別の働きアリが幼虫をくわえて往復する。幼虫の吐く糸が、葉の縁を縫い合わせるのだ。晋代の嵇含が著した『南方草木状』には、広州のあたりで、ツムギアリを巣ごと袋に入れて売り、柑橘の木につるして害虫を防いだという記録がある。世界でもっとも古い生物的防除の記録の一つで、成立年代は一般に西暦304年とされる。

ハナバチとスズメバチの仲間では、事情がずっと複雑になる。ミツバチ科のうち、ミツバチ、ハリナシバチ、マルハナバチ、シタバチを含む系統では、社会性が一度か二度生じた可能性がある。コハナバチ科では真社会性が何度も生じ、その後いくつもの系統が単独生活に戻った。スズメバチ科では、アシナガバチ類とスズメバチ類の社会性も、独自に生じた。

アシナガバチの巣は、紙でできている。枯れ木や樹皮の繊維を大顎で削り取り、唾液と混ぜて練り、それを塗り重ねて灰色や褐色の薄い紙にする。1719年、フランスの博物学者レオミュールは、ハチが巣をつくる様子を見て、人間も木から紙をつくってみてはどうか、と同業の人々に提案した。当時、ヨーロッパの紙は、まだぼろ布からつくられていた。

コハナバチは小さなハチで、夏にはよく人の腕にとまって汗をなめる。英語では、そのまま「汗バチ」と呼ばれている。土のなかに細長いトンネルを掘り、その両側に育児室をつくる。中国語の「隧蜂」という名は、おそらくそこから来たのだろう。

こうして数えていくと、動物の真社会性は、いったい全部で何回、独立に生まれたことになるのか。以前の総説では、十回前後から十五回ほど、という数字がよく挙げられていた。

2021年、オーストラリアのアデレード大学のダ・シルヴァは、新しい膜翅目の系統樹を使い、それぞれの種の社会生活を七段階に分類したうえで、祖先の状態を推定した。得られた答えはこうだ。ハナバチとスズメバチの仲間では、広い意味での真社会性が、少なくとも十五回、独立に生まれている。ここにアリの一回は含まれない。一方、階級の分化が後戻りできないものとなり、集団を離れては生きられないタイプは、膜翅目全体でも五回しか生まれていない。

同じ研究、同じ系統樹で、十五回も五回も、どちらも正しい。数えているものが違うのだ。一方が数えるのは、「繁殖の分業と共同育児が現れたか」。もう一方が数えるのは、「元に戻れない不妊の階級が現れたか」である。

この二つは、野外ではずいぶん違う姿を見せる。あるコハナバチの巣では、「働きバチ」に完全な卵巣がある。女王が死ぬと、数匹の働きバチが卵を産み始める。わずか数日のうちに、その変化を目にできる。

ヒアリの働きアリは、生まれつき卵巣がない。女王が死んでも、母親になるすべはない。前者はいまは産まない。後者は、生涯産むことができない。

単独生活への逆戻りが、いちばんよく見えるのはコハナバチだ。ある種は、暖かい低地なら一年に二回子を育てられ、最初に生まれた娘たちが残って働きバチになる。ところが標高の高い場所では夏が短く、一回の子育てしか間に合わない。同じ種が、そこで単独生活に戻るのである。この側では、真社会性と単独生活を隔てる扉は開いている。入ることも、出ることもできるのだ。

こうした出入りがあると、数え間違いが起こる。いまは単独生活をする系統でも、祖先は社会性をもち、その後に元へ戻ったのかもしれない。それを「ずっと単独生活だった」と扱うと、隣の社会性の系統を、独立した起源として余分に一回数えてしまう。第八回で多細胞性の起源の回数を考えたときにも、同じ厄介な問題にぶつかった。

三 姉妹の算術

この勘定に初めて本腰を入れたのは、イギリスのハミルトンだった。1960年代初め、ロンドンの大学院にいた彼の研究課題は、ほとんど誰にも有望だと思われず、指導教員もあまり面倒を見なかった。彼はしばしば、一人でウォータールー駅の待合室に座って計算していた。1964年、『理論生物学ジャーナル』に二本の論文を続けて発表したが、最初の数年間は、ほとんど誰にも理解されなかった。

ハミルトンはのちに、進化生物学でもっとも尊敬される人物の一人になった。2000年、HIVの起源についてのある仮説を確かめようと、コンゴの熱帯雨林にチンパンジーの糞の標本を集めに行った。イギリスへ帰ってから病に倒れ、当初はマラリアと伝えられたが、のちの検死で死因は消化管の大量出血とされた。六十三歳だった。

彼の考えの核心は、言い伝えられる一つの冗談で説明できる。イギリスの遺伝学者ホールデンが、酒場でひとしきり勘定してから、こう言ったという。兄弟二人、あるいはいとこ八人のためなら、死んでもいい。兄弟は平均すれば自分と半分の遺伝子を共有するので、二人を足せば自分一人分になる。いとこは八分の一だから、八人でようやく釣り合う、というわけだ。

ハミルトンは、この冗談を一つの規則にした。いまでは、とても短い式で表される。ある行動が他者にもたらす利益に、その相手との血縁の近さを掛けたものが、自分の払う費用を上回るなら、その行動をとる傾向は個体群のなかに広まりうる。この規則が、のちにハミルトンの法則と呼ばれ、その背後にある理論が血縁選択と呼ばれるようになった。

ここでの「利他」は、あくまで専門用語だ。自分の繁殖を減らし、他者の繁殖を増やす、という意味であって、意図は問わない。働きバチは、女王が自分の母だと知っているわけでも、血縁度を計算できるわけでもない。

ハミルトンは、心を引くある数字にも気づいた。ミツバチ、アリ、スズメバチは、独特な方法で性が決まる。受精卵からは雌が育ち、受精しなかった卵からはそのまま雄が育つ。雄の染色体は一組しかなく、その雄がつくる精子はどれも同じなのである。

そこから、こういうことが起きる。同じ父親をもつ娘たちは、父から受け取る半分がすべて同じで、母から受け取る半分は、そのうち平均して半分が同じになる。足し合わせると、姉妹の血縁度は四分の三だ。一方、雌バチと、その雌が自分で産んだ娘との血縁度は二分の一しかない。娘よりも姉妹のほうが、血縁が近い。

これで、すべて説明できたように思えた。自分で娘を産むより、母親を手伝って妹を何匹か余分に育てたほうが割に合う。ならば、この仲間の昆虫で不妊の働き虫が繰り返し現れるのも、うなずける。この説明は、何十年ものあいだ教科書に広く載りつづけた。

ところが、のちに一つずつ、弱点が見えてくる。第一に、女王はしばしば、複数の雄と交尾する。ミツバチの女王は結婚飛行に出ると、空中で十数匹の雄と交尾する。雄は交尾後、生殖器がちぎれて女王の体内に残り、まもなく死ぬ。

女王は、合わせて数百万個にのぼる精子を体内の貯精嚢に蓄え、その後二、三年、ときにはそれ以上にわたって、受精卵を一個産むたびに少しずつ使う。そのため、一つの群れにいる働きバチの父親は十数匹に分かれる。母が同じでも父が違う姉妹の血縁度は、四分の一にしかならない。

第二に、働きバチが育てるのは妹だけではなく、弟もいる。雌バチとその兄弟との血縁度は四分の一しかない。弟と妹を合わせて数えれば、あのわずかな有利さは、消えてしまうかもしれない。

第三に、シロアリは雌雄とも染色体を二組もち、あの特殊な性決定の仕組みをもたない。それでも、もっとも社会性の発達した昆虫の一つである。第四に、膜翅目では十数万種がすでに記載されているが、その大半は単独生活をする。もし四分の三という数字が本当に決め手なら、大部分はとっくに社会性を獲得していたはずだ。

問題の重心を本当に移したのは、2008年の研究だった。イギリスのリーズ大学のヒューズと、オーストラリアのシドニー大学、イギリスのシェフィールド大学の共同研究者たちは、二百六十種以上のハナバチ、アリ、スズメバチの交尾記録を集め、系統樹の上に並べた。そして、真社会性が生まれるたびに、その祖先にあたる母親は何匹の雄と交尾していたのか、と問い直した。

結果は、独立した八回の起源すべてで、祖先の母親は一匹の雄としか交尾していなかった。一匹の雌が複数の雄と交尾する習性は、真社会性の集団ができたあとになって、いくつもの系統で現れたものだった。障害だと考えられていたものは、社会ができる前ではなく、できたあとに現れていた。

デンマークのコペンハーゲン大学のブームスマは、この考えを単婚仮説と呼んだ。彼は、こんなたとえを使う。一組の夫婦が一生互いとのあいだにしか子をもうけなければ、その子どもたちはみな両親を同じくする全きょうだいで、血縁度は二分の一、自分の子どもと同じだけ近い。家に残って親の子育てを手伝うのと、外に出て自分で子をつくるのとでは、血縁という項目は引き分けになる。このとき、手伝うほうが少しでも効率がよければ、残るほうが割に合う可能性がある。

このたとえは、シロアリにも当てはまる。シロアリの巣は一組の王と女王がつくり、二匹は生涯をともにする。巣の子どもたちは、みな全きょうだいだ。血縁を近く保つために、あの特殊な性決定の仕組みは必要ない。一夫一妻で、十分なのである。

一日の交尾で得た精子を一生使いつづけるという点で、アリの女王は極端な例だ。生涯で交尾するのは、結婚飛行に出たその一日だけ。精子を体内の小さな袋に蓄え、その後数年から数十年をかけ、一つずつ使っていく。実験室で飼われたケアリ属のラシウス・ニゲルの女王は、二十九年近く生き、そのあいだずっと若いときに蓄えた精子を使っていた。

単婚だけで、すべてが解けるわけでもない。膜翅目には単婚で単独生活をする種がいくらでもいるが、働きバチを進化させてはいない。手伝うことでどれほどの利益が生まれるのか。自分で独立して成功する見込みはどのくらいか。どこに巣をつくるのか。幼虫に餌を与えつづける必要があるのか。こうした生態的な条件が、天秤の傾く先を決める。単婚は扉を開ける。そこを通るかどうかは、扉の向こうの風景次第なのだ。

四 半世紀にわたる帳簿のつけ方の論争

ハミルトンの法則とは別に、もう一つの計算法がある。それを生んだのは、さらに風変わりな人物だった。アメリカの化学者プライスは、若いころ原子爆弾の開発計画に参加し、その後は記者を務め、コンピューター会社でも働いた。1967年にロンドンへ来ると、遺伝学を独学した。ハミルトンの論文を読み、いまプライス方程式と呼ばれる式を導き出す。それを見たハミルトンは大いに驚き、二人は友人となり、共同研究者となった。

晩年のプライスは非常に信心深くなり、自分の金も持ち物も、ロンドンの路上で暮らす人々に分け与えた。1975年、ロンドンで死去したときには、すでに一文なしになっていた。ハミルトンは、その葬儀に参列した。

プライスには、もう一つの功績がある。動物同士の争いは、なぜしばしば一定のところで手加減されるのか。その問題についてメイナード=スミスと共著した論文を1973年の『ネイチャー』に発表し、動物行動の研究にゲーム理論を持ち込んだ。メイナード=スミスには、あとの第八節でもう一度会うことになる。

プライス方程式の役目は、個体群のなかで起きるある形質の変化を、二つに分けることだ。ハチの群れを例にとろう。一つは、巣と巣のあいだの違いである。働きバチが多く、よく働く巣ほど、より多くの新しい巣を送り出したのか。もう一つは、一つの巣のなかの違いである。同じ巣にいる働きバチのうち、こっそり余分に卵を産むものほど、自分の子孫を多く残したのか。

前者を集団間選択、後者を集団内選択という。不妊の働きバチをもつ仕組みが広まるには、巣同士を比べたときの有利さが、巣のなかでこっそり繁殖しようとする力を上回らなければならない。

同じ総勘定を、別の方法で分けることもできる。「自分がどれだけ得をしたか、親戚をどれだけ助けたか、その助けに血縁度を掛ける」という分け方だ。これがハミルトンの血縁選択である。会社の利益を部門別に集計することも、商品別に集計することもできるのと同じだ。合計は同じでも、帳簿の姿は違う。1992年にはすでに、多くのモデルで、この二通りの分け方が数学的に相互変換できることが証明されていた。

帳簿のつけ方をめぐるこの争いが、もっとも激しく燃え上がったのは2010年だった。ハーバード大学のノワク、タルニタ、ウィルソンが『ネイチャー』に論文を発表し、血縁選択の理論が必要とする数学的条件は、一般に言われるよりはるかに限られていると主張した。真社会性を研究するなら、集団遺伝学と、集団の一生を扱う生活環モデルを直接用いればよい。包括適応度は必要ない、というのである。

この論争で、ウィルソンの立場ほど意外なものはなかった。彼は二十世紀でもっとも有名なアリ研究者であり、1975年の著書『社会生物学』こそ、ハミルトンの血縁選択を動物界全体へ広めた本だった。その三十五年後、彼は反対側に立った。2021年末、アメリカで死去。九十二歳だった。

ウィルソンがアリを研究するようになった背景には、子どものころの事故がある。七歳のとき、アメリカ南部の海辺で釣りをしていて、魚の背びれで右目を刺した。その目は、のちに失明した。

残ったほうの目は、近くならよく見えるが、遠くはよく見えなかった。後年の回想によれば、鳥や哺乳類を観察できないので、手近にいる小さなものを眺めるようになったのだという。それから一生、アリを見つづけた。ピュリツァー賞を二度受賞し、そのうち一度は、ドイツのヘルドブラーと共著した『アリ』によるものだった。

2011年3月、『ネイチャー』に反論が載った。署名はアルファベット順に並び、筆頭はアメリカのヴァンダービルト大学のアボット。連名の研究者は百三十七人にのぼった。生物学では、めったにない規模の連名だった。

彼らは、相手が包括適応度の数学的な適用範囲を誤解し、そこから生まれた予測を過小評価していると述べた。性比、働きバチ同士の監視、交尾の回数が協力に及ぼす影響。いずれも先に血縁理論の予測があり、あとからデータで確かめられたものだ。同じ号には、ほかにも独立した反論が何本か掲載された。その後も双方は論文を出しつづけ、今日まで、どちらも負けを認めていない。

議論を突き詰めると、重みの異なる三つの主張を取り出せる。第一に、選択によって生じるどんな変化も、二通りの帳簿に分けて書ける。この点では双方がおおむね同意している。第二に、係数を状況に応じて定義してよいなら、どんなモデルも、事後的には広い意味でのハミルトン型の式に書き直せる。これも、おおむね成り立つ。

第三の主張が、もっとも限定的だ。血縁度、利益、費用という三つの数を先に測り、あの簡単な不等式に入れるだけで、進化の向きを予測できるのか。一匹の働きバチの働きが、巣にすでに何匹いるかで変わるとしたら、たとえば、ある数がそろわなければ巣そのものをつくれないとしたら、利益も費用も固定した数ではなくなる。この主張は、成り立ちにくい。論争の実質的な食い違いは、主としてこの第三の点にある。

ノワクたちの集団生活環モデルは、一つの巣が一匹の母親から始まり、育ち、新しい巣を送り出し、最後に死ぬまでを追う。計算の結果、娘を働きバチとして巣に残す変異が広まりやすいのは、巣がまだ小さく、働きバチが二、三匹しかいない段階から、明らかな利益をもたらす場合だった。越えるべき敷居は、最初の数匹の働きバチにある。血縁度の小数点以下にあるのではない。

マルハナバチの一生は、その敷居が何かをよく示している。春、一匹の女王が地面の穴に単独で巣をつくり、自分で花粉を集め、自分で卵を温める。この数週間、女王が出かけるたびに巣は無人になる。一度の雨、一匹のネズミで、それまでの努力が水の泡になりかねない。最初の働きバチたちが巣房から出てくると、女王は巣にとどまって産卵に専念できる。巣が生き残る見込みは、そこで一気に高まる。

この結論は、単婚仮説と衝突するものではない。単婚が述べるのは遺伝的な条件であり、生活環モデルが述べるのは生態的な見返りである。両方が必要なのかもしれない。

五 対立はどこまで抑えられたか

働きバチが一生繁殖しないからといって、繁殖する能力がないとは限らない。ミツバチの働きバチは、たいてい卵巣を残している。ただ、抑えられているのだ。まず抑え役になるのは、女王の体のにおいである。

1950年代、イギリスのバトラーは、女王の大顎腺がある物質を分泌することを発見した。働きバチが女王をなめ、互いに餌を与え合ううちに、その物質は群れ全体に広がり、働きバチの卵巣の発達を抑える。彼はこれを「女王物質」と名づけた。主成分が脂肪酸の一種であることは、のちにわかった。

女王が老いたり死んだりすると、群れは急いで、とりわけ大きな「王台」をいくつかつくる。そして、ふつうの雌の幼虫を何匹か選んでローヤルゼリーに餌を切り替え、新しい女王を育てる。最初に巣房を出た新女王は、細く高い、きいきいという音を発する。笛のようなその鳴き声を、研究者は女王のパイピングと呼ぶ。それからほかの王台を探し、まだ中にいる競争相手を刺し殺す。一つの群れに残る女王は、最後には一匹だけだ。

女王が死に、新しい女王を育てるのも間に合わなかった場合、働きバチの卵巣は発達し始め、産卵するようになる。だが、生まれるのは雄ばかりだ。新しい働きバチのいなくなった群れは、数週間もすると衰えていく。

とはいえ、女王がいても、網をくぐり抜ける働きバチは必ずいる。働きバチは交尾していないので、産むのは未受精卵だ。あの性決定の仕組みに従えば、育つのは雄バチだけになる。1989年、イギリスのラトニークスとアメリカのヴィッシャーは、群れには第二の関門があると発見した。ほかの働きバチが巣房を見回り、働きバチの産んだ卵を見つけて食べてしまうのだ。

この相互監視は、きわめて効率がよい。実験で巣に入れた働きバチの卵は、短時間のうちに九割以上が取り除かれた。その結果、女王のいる群れでは、雄バチのうち働きバチに由来するものは、千分の一ほどしかいない。働きバチの繁殖を抑える主役は、女王ではなく、働きバチ同士なのである。

なぜ働きバチは姉妹の卵を食べるのか。血縁選択は、計算できる答えを出す。女王が十数匹の雄と交尾していると、一匹の働きバチから見て、母が同じで父が違う姉妹の息子との血縁度は、女王の息子、つまり自分の弟との血縁度よりも低くなる。それなら、姉妹の卵を母の卵に置き換えるほうが、血縁の勘定では割に合う。

この推論からは、一つの予測も生まれる。女王が一度しか交尾しない種では、働きバチ同士の血縁度が高いのだから、相互監視は弱いはずだ。この予測は、データが出そろう前になされた。その後の比較研究は、それを支持した。

性比もまた、測定できる対立の一つである。1976年、アメリカのトリヴァースとヘアは、あの性決定のもとでは、女王は息子とも娘とも血縁の近さが同じなので、両性の子に等しく資源を配分したいはずだと計算した。ところが働きバチは、妹との血縁度が弟との三倍になるため、望ましい配分は雌に偏った三対一になる。アリを調べると、実際に雌への投資が多かった。同じ巣に暮らす母と娘は、同じ比率を望んでいるわけではない。

守りの線が破られることもある。他家の蛹を奪い、自分の巣の働きアリにすることを専門とするアリがいる。奴隷狩りをするアリだ。ダーウィンは『種の起源』で、自らイングランド南部で観察したアカヤマアリについて書いている。このアリは、別の黒いアリの蛹を奪ってくる。奪われた蛹は成虫になると、よその巣で働くようになる。

マルハナバチの巣では、対立が目に見えるほどになる。夏の終わり、働きバチが自分で卵を産み始め、女王と雄の生産を競う。互いに押し合い、相手の卵を盗み食いし、ときには働きバチが女王を取り囲んで殺してしまう。研究者はこの時期を「競争期」と呼ぶ。

マルハナバチの仲間には、ヤドリマルハナバチという一群もいる。自分の働きバチをもたず、ほかのマルハナバチの巣に入り込んで、元の女王を殺すか押さえつけ、その巣の働きバチに自分の子を育てさせる。

ミツバチには、さらに徹底した例がある。南アフリカのケープミツバチは、働きバチが交尾せずに雌になる卵を産める。その子は、ほとんど自分自身のクローンだ。1990年、養蜂家がケープミツバチの群れを南アフリカ北部へ運んだ。それ以来、ある一匹のケープミツバチの働きバチに始まるクローン系統が、現地のアフリカミツバチの巣から巣へと入り込み、卵を産み、群れを崩壊させてきた。まるで、空を飛ぶ寄生虫である。

対立は、さらに深いところにも潜む。ヒアリには、女王が一匹しかいない巣もあれば、数十匹から百匹以上いる巣もある。どちらの道をとるかを決めるのは、染色体の長い一領域だ。

2013年、研究者はこの領域が「社会染色体」のように働くと発見した。ある型をもつ働きアリは、その型をもたない女王を殺してしまう。ヒアリの原産地は南アメリカだが、中国では2004年に広東省で見つかってから、すでに南部の多くの省へ広がった。田畑の畔に並ぶ、あの軟らかな土の小山が、その巣である。

だから、働きアリに卵巣が一つもなくても、巣の女王同士、母親と働きアリ、さらには一匹の働きアリの体内にある父由来の遺伝子と母由来の遺伝子とのあいだに、なお利害の違いがありうる。対立はきわめて低く抑えられたが、ゼロになったわけではない。 第八回で見た、多細胞の体のなかの対立と、同じ形をしている。

六 化石は何を語るか

この仕組みがいつできあがったのかについて、化石はかなり具体的な年代を示してくれる。

琥珀は、樹脂が変わったものだ。幹に傷がつくと、粘り気のある樹脂が流れ出す。そこを這う小さな虫が貼りつき、その上を、あとから流れてきた樹脂が何層にも覆っていく。土に埋もれ、数百万年を経て硬くなれば、琥珀になる。小さな虫の剛毛も複眼も、そのまま閉じ込めておける。

琥珀に保存されたアリ化石のうち最古級のものには、約一億年前のものがあり、主にミャンマー北部とフランスから見つかっている。ミャンマーの琥珀は、カチン州のフーコン渓谷で採れる。約九千九百万年前、白亜紀中ごろの熱帯林で流れ出た樹脂だ。

そのなかに、奇妙な姿の「地獄アリ」と呼ばれる一群がいる。大顎は上向きに反った一対の鎌のようで、頭には角まで生えている。2020年、研究者が記載した約九千九百万年前の琥珀には、一匹の地獄アリが大顎と頭の角で昆虫の若虫を挟み込んでいた。獲物を捕らえるその一瞬が、樹脂に封じられたのである。

2016年、アメリカ自然史博物館で博士号を得たばかりのバーデンと、そこでの指導教員グリマルディは、同じ時代の琥珀から、同じ種のアリの働きアリと、有翅の女王アリを見分けた。さらに、複数の働きアリが同じ琥珀のなかに寄り集まっている例もあった。約一億年前には、アリはすでに形態の異なる階級をもち、おそらく集団生活を営んでいたことが、ここから読み取れる。

同じ年、ミャンマーの琥珀から、シロアリの兵アリ、働きアリ、有翅の繁殖個体も記載された。こちらも約九千九百万年前のものだ。さらに古いシロアリ化石は、スペインやイギリスなどの約一億三千万年前、白亜紀前期の地層から見つかっている。ロシアのザバイカルには、ジュラ紀と白亜紀の境目の記録もある。

ハナバチの歴史は、もう少し短い。2006年に最古のハナバチ化石として記載されたのは、ミャンマーの琥珀に入った約一億年前の小さな昆虫だった。体長は三ミリにも満たず、まだスズメバチなどに見られる特徴をいくらか残していた。最古のハリナシバチ化石は、アメリカのニュージャージー州の琥珀から見つかり、六千万年以上前にさかのぼる。

興味深い数字に、琥珀のなかのアリの割合がある。白亜紀の琥珀に含まれる昆虫のうち、アリは一パーセントにも満たない。それが数千万年後のバルト海の琥珀では五パーセントほどになり、さらに後のドミニカの琥珀では二十パーセントを超える。

アリは一億年前からいた。だが、本当にいたるところにいるようになったのは、恐竜が絶滅してからのことだ。 なぜ、それほど長く待たなければならなかったのか。よく挙げられる説明の一つは、花を咲かせる植物と結びついている。白亜紀後期に被子植物の森が広がり、落ち葉の層が厚くなり、小さな虫が増えた。それが、地表で餌を探すアリに、より多くの獲物と隠れ場所を与えたというものだ。この説明については、いまも議論が続いている。

バルト海沿岸の琥珀は、およそ四千万年前のものだ。現地の浜ではいまも、波に打ち上げられた琥珀を拾うことができ、そのなかにはよくアリが閉じ込められている。

中国にも、同じような窓がある。遼寧省撫順の炭鉱からは、約五千万年前の琥珀が出る。そこにはアリやハチ、さまざまな小さな虫が封じられている。中国の研究者は近年、ミャンマーの琥珀に含まれる昆虫も数多く記載してきた。初期のアリやシロアリも、そのなかに含まれる。

ただし、琥珀が証明できることには限界がある。一つの琥珀に、翅のない働きアリと翅のある女王がいっしょに入っていても、それが証明するのは、形態が二つに分かれていたことだけだ。その働きアリの卵巣が空だったとは証明できない。繁殖の分業という条件については、現生の近縁種から過去を推し量るしかない。

巣穴も化石になる。生痕化石という。1990年代、アメリカのアリゾナ州にある化石の森国立公園で、約二億二千万年前、三畳紀の「シロアリの巣」が報告されたことがあった。本当なら、シロアリの社会生活は、恐竜時代の始まりまでさかのぼる。だが、のちの研究者は調べ直したうえで、その構造がシロアリのつくったものとは限らず、一部は巨大な植物の根系が残した跡かもしれないと考えた。いまでは大半の研究者が、シロアリの巣という解釈を採っていない。

現生のシロアリが残す跡も、その規模には驚かされる。2018年、研究者は衛星画像を使って、ブラジル北東部の乾燥した森林に、およそ二億個のシロアリの土塚を数えた。一つが高さ二、三メートル、間隔は十から二十メートルほど。分布域は約二十三万平方キロメートルに及び、イギリス本土とほぼ同じ広さだった。土塚の土を年代測定すると、四千年近く前から存在するものもあった。

この土塚は巣ではない。ある種のシロアリがトンネルを掘る際に運び出した、残土の山である。ブラジルのその一帯に積まれた土の量は、推定十立方キロメートル。ギザの大ピラミッド四千基分にあたる。

中国の人々とシロアリのつき合いも古い。『韓非子』には「千丈の堤も、螻蟻の穴によって崩れる」とあり、のちに「千里の堤も蟻の穴から」という成句になった。中国南部の河川の大堤防にある「アリの穴」は、実際にはシロアリの巣であることが多い。今日も長江や珠江沿いの堤防では、専門の担当者がシロアリを探し、防除している。

アフリカの大型のシロアリは、巣の上に数メートルもの土の塔を積み上げる。塔の内部には通路が張り巡らされ、昼には暖かい空気が上がり、夜には冷たい空気が下がって、巣の二酸化炭素を外へ出す。まるで呼吸する肺だ。ジンバブエの首都ハラレで1996年に完成したあるオフィスビルでは、設計者がこのシロアリの塔の換気を参考にした。通常の空調を設けなくても、涼しさを保てるのである。

シロアリは、キノコも育てる。アフリカやアジアの大型のシロアリの仲間は、かみ砕いた植物でスポンジ状の菌園をいくつも巣のなかにつくり、特定の菌を栽培している。

この菌がシロアリの巣から地表に顔を出したものが、雲南の人々が雨季になると先を争って食べる「鶏樅」というキノコだ。その一本一本の下には、シロアリの巣がある。

アリは牧畜もする。多くのアリはアブラムシの群れにつき添い、その背を触角でそっとたたく。するとアブラムシは、お尻から糖分を含む甘露を一滴出す。アリはそれを飲み、返礼にテントウムシを追い払ってやる。庭のバラの枝先でも、よく見かける光景だ。

南アメリカのハキリアリも、菌を育てる。葉を小さく切って巣へ運ぶのは、葉を食べるためではない。その葉で菌を育て、菌を食べるためだ。アリの菌栽培の歴史は、分子時計の推定によると、およそ五千万年から六千万年に及ぶ。ハキリアリの大きな巣には、数百万匹の働きアリが暮らし、地下には菌を育てる部屋が数百もある。

分子時計の原理は、二つの種のDNAの違いを比べ、おおむね一定の速さで変化が蓄積すると考えて、いつ分かれたのかを逆算することだ。分子時計の示す起源は、化石の年代よりも古くなることが多い。

アリの起源は、分子時計では一億四千万年前前後と推定されることが多く、もっとも古いアリの琥珀より数千万年も早い。この隔たりがどうして生じるのかは、第十九回で詳しく扱う。

最後に、いまの規模を見ておこう。2022年、ドイツと中国香港の研究者たちは、世界各地の五百件近い野外調査を集め、地球上のアリはおよそ二京匹と見積もった。乾燥重量を炭素量に換算すると、約千二百万トン。世界中の野生の鳥類と野生の哺乳類を足し合わせた量よりも多い。

ところが、ものさしを替えると結論も変わる。アリは一万四千種以上、シロアリは三千種ほどで、昆虫全体と比べれば多くはない。ハナバチは二万種以上いるが、社会性をもつものは、そのごく一部にすぎない。大半は一匹の雌が独りで巣をつくり、独りで卵を産む。「社会を進化させなかった」からといって、単独生活のハナバチやスズメバチの仲間が消えたわけではない。そこから枝分かれした種の数は、社会性をもつ親戚をはるかにしのぐ。

だから、「真社会性は大成功した」という言い方は、個体数と重量については成り立つが、種数については成り立たない。数百万匹の働きアリがいる巣は、重さでいえば大きな塊だが、種を数えるときには一つでしかない。何を量って順位をつけるかで、一位になるものが決まる。

七 三つの問いと 一つの連続体

第十回では、階層の転換が本当に起きたのかを見極めるため、三つの基準を立てた。それまで独立して繁殖できた単位が、その能力を失ったか。全体として繁殖する、新しい単位が生まれたか。一つ下の階層の対立が、仕組みとして抑え込まれたか。いまからこの三つを、真社会性について一つずつ調べてみよう。

第一の問いには、「真社会性」全体をひとまとめにして、はいとも、いいえとも答えられない。系統ごとに並べ、一つの連続体として見る必要がある。その一方の端にいるのは、初歩的な真社会性をもつコハナバチ、アシナガバチ、マルハナバチだ。

これらの働きバチには、完全な卵巣がある。卵を産まないのは、女王に抑えられているから、季節が合わないから、巣の情勢が許さないからにすぎない。女王が死ねば、働きバチがあとを継いで産卵する。この端では、条件を部分的に満たすとしか言えない。

ミツバチは、その中間にいる。働きバチは女王のように交尾し、新しい雌の系統をつくることはできない。それでも大半は卵巣を残し、雄になる卵を産める。だから「繁殖能力を完全に失った」とするのは正確ではない。正確には、大多数は一生繁殖せず、通常の繁殖の道はふさがれているが、雄バチを産むという細い隙間だけが残っているのである。

反対の端にいるのは、一部のアリとハリナシバチだ。ヒアリやオオズアリ類の働きアリでは、発生の段階から卵巣がまったくつくられない。女王が死んでも、どうあがいても母親にはなれない。この端では、第一の条件は強く満たされる。

アリの内部も一様ではない。インドや東南アジアに分布するDiacamma属には通常の女王階級がなく、交尾した働きアリが繁殖を担う。研究者はこれを「ガメルゲート」と呼ぶ。この属の一部の種では、ガメルゲートが羽化直後の仲間の胸にある一対の小さな付属器官、ジェマをかみ取り、交尾を妨げる。これは未発達の翅芽ではない。失うのは卵巣そのものではなく、交尾して繁殖するための道なのだ。

シロアリは、また事情が違う。集団はきわめて安定し、兵アリ、働きアリ、繁殖個体の区別もはっきりしている。だが、多くのシロアリの働きアリには、発生上の柔軟性が残っている。王や女王が死ぬと、さらに何度か脱皮して、代わりの繁殖個体になれるものがいる。固くまとまっていることと、後戻りできないことは、別の話なのだ。

第一の条件で見ると、ハダカデバネズミの点数はさらに低い。ほかの雌の卵巣が育たないのは、女王に抑えられているからだ。女王が死ぬと、数匹の雌がその地位をめぐって激しく戦い、勝った個体は体が長くなり、繁殖を始める。近縁のダマラランドデバネズミでも、繁殖しない個体が一生家に閉じ込められているわけではない。研究によっては、雨上がりで土が軟らかくなると、かなりの個体が家を出て、別の場所で配偶相手を探し、自分の所帯をもつと考えられている。

第二の条件は、それを支持する材料がもっとも強い。ミツバチの群れは、一つの体のように体温を調節できる。育児域は年間を通じて摂氏三十四、五度ほどに保たれ、暑ければ働きバチが入口で翅を扇ぎ、巣に水をまいて冷やす。寒ければ身を寄せて塊になり、飛翔筋を震わせて熱を出す。

どれか一匹のハチが温度を調節しているのではない。群れ全体が調節している。アリの巣にも、生まれ、育ち、成熟し、新しい巣を送り出し、最後に死ぬという一生がある。アメリカのウィーラーは、1911年にはすでに「生物個体としてのアリのコロニー」を発表し、アリの群れを一つの体になぞらえていた。女王と雄は生殖細胞、働きアリは体細胞にあたる、というのである。のちに、こうした集団は「超個体」と呼ばれるようになった。

ただし、集団が「子を産む」方法には、大きく異なる二通りがある。ミツバチは分蜂する。古い女王が働きバチの大半を連れて巣を離れ、別の場所に、ひとそろいの新しい群れをつくる。一つの体が、そのまま二つに分かれるようなものだ。

分かれた群れは、まず近くの木の枝にぶら下がり、ぶんぶんと鳴る大きな蜂球になる。数百匹の偵察バチがあちこちへ樹洞を探しに行き、戻ると蜂球の表面で踊って報告する。同じ場所をよいとする偵察バチが増えていき、ある候補地の支持者が一定の数に達すると、群れはそろってそこへ飛んでいく。アメリカのミツバチ研究者シーリーは、この過程を『ミツバチの民主主義』という一冊の本にまとめた。

中国南部の人なら、多くが結婚飛行を見たことがあるだろう。春から夏へ移るころ、ひと雨降ったあとの蒸し暑い夕暮れに、灯りの下へ、翅をもつ小さな虫が突然どっと飛んでくる。地面に降りてまもなく、抜けた翅があたりを埋める。人々が「大水蟻」と呼ぶものだ。その多くは、結婚飛行をしているシロアリの繁殖個体である。雌雄が対になって地面に降りると、翅を落とし、前後に連なって這い去り、新しい巣をつくる場所を探す。

大部分のアリも結婚飛行をする。元の巣から、翅のある女王候補と雄が数千、数万と飛び立つ。交尾を終えた一匹の女王は単独で地上に降り、翅を落とし、穴を掘って新しい巣を始める。その途中には、母親が一匹しかいない段階を通らなければならない。

第三の条件については、高度な真社会性をもつ昆虫で強い証拠がある。先に見た数値が、それを示している。ただし、ここでも対立は低く抑えられているのであって、ゼロになってはいない。

三つを合わせてみると、初歩的な真社会性をもつハチは、どの条件も部分的にしか満たしていない。永久に繁殖しない階級をもつアリやハリナシバチでは、三つとも、はるかに強く満たされる。これで、第二節の二つの数字の意味がわかる。十五回以上とは、この連続体に入った回数。五回とは、後戻りできない側の端に達した回数なのだ。

八 階層の転換にも層がある

1995年、イギリスのメイナード=スミスとハンガリーのサトマーリが、一冊の本を書いた。メイナード=スミスは若いころ航空機の設計技師をしており、二十代になってから動物学に転じた。ハミルトンと同じ世代のなかで、進化生物学にゲーム理論を持ち込んだ人物である。

二人の本は『進化における大転換』と題され、生命史の八つの「大転換」を挙げていた。分子から細胞へ。原核生物から真核生物へ。単細胞から多細胞へ。その一項目は、原文では「単独生活をする個体から、繁殖しない階級をもつ集団へ」となっている。

鍵となるのは、「繁殖しない階級」という言葉だ。「単独生活から、どんな形でもよいから社会生活へ」とは書かれていない。繁殖しない成員を、転換の中心に据えている。2015年、イギリスのオックスフォード大学のウェストらは、この一覧を改訂したときにもその項目を残し、さらに「内部の対立をどう抑えるか」を、転換の過程としてはっきり書き込んだ。

このシリーズでこれまで見てきた階層の転換では、答えは比較的すっきりしていた。第五回では、一つの細菌が別の細胞に取り込まれ、ミトコンドリアになった。三つの条件は、すべて満たされていた。

第八回では、多細胞の体が一つの細胞から育ち、生殖細胞と体細胞が分かれた。やはり三条件はすべて満たされていた。今回は、条件を満たす程度が、一つの連続体に沿って分布している。

連続した幅の一端では、ヒアリの働きアリに卵巣はない。繁殖単位としての巣の重要性は明らかで、巣ごとの生存と繁殖を比べることがとりわけ有効になる。だからといって個体レベルの選択が消えるわけではない。もう一端では、一部のコハナバチの働き蜂が繁殖を引き継ぐ可能性を残し、個体間の違いがより目立つ。二つのレベルは同時に働きうる。難しいのは、各事例でそれぞれの重みを見極めることだ。

アメリカのクエラーとストラスマンは、覚えやすい見方を提案した。何かが一つの個体らしいかどうかを判断するには、二つを見る。内部の協力がどれほど大きいか、内部の対立がどれほど小さいか。一つの細胞、一つの多細胞の体、一つのヒアリの巣、一群のコハナバチを、この二軸で同じ図の上に並べられる。互いのあいだに、自然の切れ目があるわけではない。

その中間に広がる大きな領域は、移行途中の状態ではない。初歩的な真社会性のハチは、「アリになりかけているもの」ではないのだ。自分たちの位置で、すでに数千万年も生きてきた。単独生活に戻ったものさえいる。この連続体の定住者であって、通りすがりではない。

だから、今回の相転移については、単に「ある」とは書けない。正確には、ある系統では完了し、別の系統では一部だけが完了している、と書くべきだ。どっちつかずにしているのではない。「真社会性」というラベルそのものは判定基準には使えない、という意味である。ある系統を判断するには、三つの問いに戻り、一つひとつの系統について確かめなければならない。

構のなかに収まらず、かといって消すこともできない部分を、このシリーズでは余項と呼ぶ。今回の余項は、二つある。

一つは、あの連続体そのものだ。行動のうえで抑えられるところから、生理的な抑制へ、発生の段階で固定される状態へ、さらに解剖学的に卵巣そのものが存在しない状態へと続いている。三つの基準がこの上に線を引こうとしても、自然が用意した切り分けどころはない。

もう一つは、帳簿のつけ方をめぐる論争である。双方が実験室で行うのは同じ一連の実験であり、野外で数えるのは同じ巣だ。争っているのは、同じ過程を「自分と親戚」で帳簿につけるのか、それとも「巣と巣のあいだ、巣のなか」でつけるのか、ということなのである。この論争には、たしかに帳簿のつけ方にすぎない部分がある。だが、そうではない部分もある。

利益と費用を一定の数として扱えるとき、二つの帳簿の対応は見えやすい。一匹の働き蜂の貢献が、巣にすでに何匹いるかに依存するなら、その数値も巣の状態に応じて変わる。固定した係数の単純な不等式を、そのまま使うわけにはいかない。ただし、それで血縁選択が事後的な当てはめに限られ、群選択だけが予測できることにはならない。どちらの枠組みも、この相互依存を具体的なモデルに組み込める。比べるべきなのは、巣の成立と繁殖をどこまで明示し、何を測定でき、どの予測が事実によって覆されうるかだ。

かつてダーウィンは、一頭のおいしい牛を使って、選択の話を個体から家族へ押し広げた。それから百五十年たっても、生物学者はなお争っている。選択が働くのは、一匹の働きバチなのか、一つの家族なのか、それとも一つの巣全体なのか。あの三万匹の働きバチは、いまも蜜を集め、幼虫に餌をやり、門を守り、姉妹がひそかに産んだ卵を食べている。

判定基準は、いまもふるいにかけつづけている。集団生活が必須となる真社会性への転換の回数も、状態を分類するときの敷居に応じて変わりつづける。いまは産まないことと、生涯産めないことのあいだには、いまだに誰もが認める切れ目がない。

関連研究・確認に用いた資料