一 森で一頭のシカが死ぬ
森で一頭のシカが死ぬ。そのあと、何が起きるだろう。
数日のうちに、死体は腐りはじめる。カラスやキツネや甲虫が少しずつ解体し、骨はあちこちへ引きずられていく。数か月もすると、地面には骨がいくらか散らばっているだけになる。日にさらされ、雨に打たれ、骨にはひびが入る。まず表面に細い筋が走り、その筋に沿って層が一枚ずつ剥がれ、最後にはばらばらのかけらになる。
この過程を、年を追って見つづけた人がいる。アメリカの古生物学者ベーレンスマイヤーは1975年から、ケニアのアンボセリ国立公園で、草原で死んだヌーやシマウマやゾウの骨に番号をつけ、数年おきに様子を見に戻った。それを四十年以上つづけた。
彼女は骨の風化を六つの段階に分けた。あの草原では、地表にさらされた骨はふつう十年から十五年で、何の骨かわからないほどに砕けてしまう。同じ一本の骨でも、上を向いて日を浴びる側は、地面に接する側より風化が速いことが多い。木陰の骨は、開けた場所の骨より遅い。骨の運命を考えるには、どちらの面が上を向いていたかまで勘定に入れなければならない。
つまり、地表に残された一組の骨格に与えられる猶予は、十年あまりしかない。森や草原で毎年死ぬ動物の圧倒的多数が、この道をたどる。
海底も避難所にはならない。クジラが死んで深海に沈むと、まずサメやヌタウナギやカニが肉を食べる。そのあと、群れをなす小さな動物たちが、骨の上に何十年も住みつく。
2002年には、アメリカのモントレー湾の深海で、クジラの骨を専門に食べる虫まで見つかった。口も消化管もなく、根のような組織を骨に差し込み、酸を分泌して骨の成分を溶かす。そして体内の細菌の力を借りて、骨のコラーゲンや脂肪を消化する。化石になるのが当たり前だったことなど、一度もない。化石は例外なのだ。 人間も変わらない。
人口学者の推計では、これまでに生まれた人間の数をすべて足すと、一千億人を超える。一方、数百万年にわたる人類とその祖先の化石は、世界中のものを集めても数千個体にすぎない。その大半は、歯が一本、あごがひとかけらというものだ。この回で問うのは、その例外がどんな規則で選び出されるのか、ということである。
化石になるには、まずこの十年あまりの間に埋まらなければならない。洪水で運ばれてきた泥や砂に覆われる。崖崩れに巻き込まれる。湖や川に落ちる。それでもいい。だが、森の地表の大部分には、そうした条件がない。
この一連の過程を研究する学問を、タフォノミー、化石生成学という。名づけたのは1940年、ソ連の古生物学者エフレーモフで、語の意味は「埋葬の法則」だ。モンゴルのゴビ砂漠で恐竜を掘った彼は、のちにソ連を代表するSF作家の一人となり、長編『アンドロメダ星雲』を書いた。
ここまでは、まだ最初の関門にすぎない。埋まったあとにも、関門がいくつも待っている。
初期の化学環境が、骨がそのまま溶けつづけるか、鉱物に置き換えられて固定されるかを決める。隙間を満たす水には何が溶けているのか。酸性かアルカリ性か。酸素はどれだけあり、周囲の微生物は何をしているのか。それらが、溶けてなくなるか、残るかを分ける。この段階は化学反応らしい速さで進み、数年から数十年しかかからないことも多い。
さらに深く埋まると、圧力で押しつぶされる。早くから鉱物化していれば、立体的な構造を保てる。そうでなければ、一枚の薄片になる。もっと深くへ行けば、地熱に温められ、鉱物も有機物の残りも変質していく。
そして、ひときわ運のよさを必要とする段階が来る。もう一度、地表へ戻らなければならない。地下十キロに永遠に埋まったままの化石は、私たちにとっては存在しないのと同じだ。そして堆積物の圧倒的多数は、そのまま地下に埋もれつづける。
ひとたび地表へ戻れば、新たな破壊が始まる。酸化、凍結と融解、木の根、流水。どの岩層にも「採集できる期間」がある。「深すぎて手が届かない」と「露出していた時間が長すぎて、もう壊れてしまった」の間に挟まれた窓である。
最後の関門は、もはや自然の過程ではない。誰かがそこへ行き、それが何かを見抜き、書き留めなければならない。1996年、遼寧省北票の農民が自宅近くの斜面で、小さな恐竜のまわりを綿毛が縁取る化石を掘り出した。のちにシノサウロプテリクスと名づけられた恐竜だ。この一帯が世界でもっとも重要な羽毛恐竜の産地になったのは、半分は一億年以上前の火山灰と湖のおかげであり、もう半分は、石の板を裏返してきた地元の何千、何万という手のおかげだった。
露頭は道沿いにあるか。研究者はその国に入れるか。その生物群を専門にする人はいるか。標本は名前をつけられるほど揃っているか。その一つひとつが、最終的にデータベースに載るかどうかを左右する。
2022年、過去数十年の世界の古生物研究を集計した研究では、化石データの生産のおよそ97パーセントに、高所得国と上位中所得国の研究者が関わっていた。別の研究は、各地で地表に現れうる堆積岩の面積を基準にし、北米とヨーロッパ以外の地域の平均的な採集の強さは、この二地域の約45パーセントにとどまると見積もった。
この関門の連なりを一本の鎖として書けば、もっとも大切な性質が見えてくる。これは掛け算なのだ。 各段階の確率は一より小さく、それを次々と掛け合わせることになる。 各段階の確率は、それ以前の関門を通ったという条件つきだ。関門同士が独立している、と仮定するわけではない。
どこか一か所でもほとんどゼロになれば、あとの確率がどれほど高くても取り返せない。ある生物群が記録に入れるかどうかは、しばしばその鎖のいちばん弱い環で決まる。
二つ目の性質は、さらに重要だ。どの段階も、同じものを落とすわけではない。腐敗は柔らかいものを、運搬は軽いものを、圧密は中が空洞のものを、地熱は有機物を、採集は小さく目立たないものを落とす。一枚一枚のふるいは、目の形が違う。最後まで来られたのは、「すべてのふるいの目を同時に通れる条件を満たした一群」なのである。
たとえば、ある海底に百種の動物がいたとしよう。五十種には殻があり、五十種にはない。残る化石は、その百種から無作為に選ばれた十種ではない。殻のある五十種の中から選ばれた十種になる。
それを比例的に膨らませても、もとの百種には決して戻らない。化石記録は、選び直された目録なのだ。 無作為に間引いた場合は、一定の仮定のもとで元の個体数などを統計的に推定できることがある。それでも、比率を掛けるだけで全種の名簿が戻るわけではない。選び直したのなら、残りには系統的な偏りがあり、比例計算では元に戻せない。この回のこれからの話は、すべてこの一点から始まる。
二 素材によって条件は違う
同じ硬い殻でも、残る可能性には一桁以上の差がつくことがある。もっともわかりやすいのは、二種類の炭酸カルシウムだ。
貝殻の主成分である炭酸カルシウムには、よく見られる結晶が二種類ある。一つは方解石で、比較的安定している。イギリスのドーヴァーに続く真っ白な崖は、数マイクロメートルしかない方解石の小片が、無数に積み重なってできたものだ。海に暮らす単細胞の藻の殻が、白亜紀後期の三千万年以上にわたり、海底へ一層ずつ降り積もった。
もう一つはアラゴナイト、和名で霰石という。埋没した環境では溶けやすく、あるいはゆっくりと方解石へ変わっていく。アラゴナイトという名は、最初に記載された産地、スペインのモリーナ・デ・アラゴンに由来する。
化学組成は同じでも、並び方が変われば運命が変わる。真珠や、貝殻の内側できらきら光る真珠層は霰石だ。カキの殻は、大部分が方解石でできている。
カタツムリの殻の多くは霰石だ。現在の造礁サンゴの骨格も霰石である。腕足動物の殻は、たいてい方解石だ。この違いが化石記録にどれほど深い跡を残すかは、第四節で見ることになる。
それぞれの動物がどちらを使うかは、その系統で遠い昔に決まった。だが、その勘定が精算されるのは、数億年後の岩層の中だ。2000年、イギリスの二人の研究者は、スウェーデンのゴットランド島にある四億年以上前の地層で、きわめて早い時期に二酸化ケイ素が入り込み、いわば「凍結」された貝殻の層を見つけた。
彼らは、その層と、すぐ隣にある保護を受けなかった地層を比べた。珪化によって守られた貝殻層では、種のおよそ七割を軟体動物が占めていた。守られなかった地層では、約3パーセントしかいなかった。霰石を使う軟体動物は、ほとんどまるごと溶け去っていたのである。
同じ海底にいた同じ顔ぶれなのに、あるものの殻は残り、別のものの殻はもうない。なくなった側は、化石記録の中では、初めから存在しなかったのと同じになる。
変わるのは、「どの生物群がより豊富に見えるか」だ。標本がいくつか減るだけではない。この溶失の程度は場所によって大きく異なり、時代も堆積盆もまたいで使える、一つの換算率は存在しない。
リン酸カルシウムからなる歯や骨や鱗は、ふつうずっと長持ちする。では、骨にもともとあった有機物はどれほど残るのか。これをめぐって大きな論争が起きた。2005年、アメリカのシュヴァイツァーが六千八百万年前のティラノサウルスの脚の骨を弱い酸に浸し、鉱物を溶かしたところ、弾力があり、血管のように見える細い管が残った。
それがもとの組織なのか、あとから細菌が残した膜なのか、議論は今も続いている。サメの歯は、一生のうちに一万本以上も生え替わる。そのためサメの歯は、もっともよく見つかる脊椎動物化石の一つになっている。
古代には、体長が十メートルを超えたと推定される巨大なサメがいた。その名の意味は、そのまま「大きな歯」である。現在このサメについてわかっていることは、ほぼ歯と少数の椎骨だけに頼っている。軟骨でできた骨格は、完全な形では一つも残らなかった。
歯のエナメル質は、体の中でもっとも硬い。哺乳類の化石研究は、そのかなりの部分が歯の研究である。恐竜の時代にいた小型哺乳類の多くは、今も数本の歯でしか知られていない。研究者は歯の突起の並び方から、虫を食べたのか、植物を食べたのかを推し量る。
リン酸塩は、埋没の初期に軟組織を写し取ることもできる。ただし条件は厳しい。きわめて腐りやすい筋肉を写し取るには、死後わずか数日のうちに鉱物化が始まらなければならないことが多い。
二酸化ケイ素は、生物そのものの骨格にもなり、あとから組織の中へ入り込むこともある。日本の立山の温泉では、こんな実験が行われた。ケイ素を豊富に含む温泉水に木片を浸しておくと、七年以内に、その重さの四割近くをシリカが占めるようになった。
条件さえ揃えば、鉱物による固定は、人が地質学的な時間として思い描くよりはるかに速く進む。アメリカ、アリゾナ州のペトリファイド・フォレスト国立公園では、二億年以上前の木の幹が荒野に横たわり、年輪の一つひとつが色とりどりの石英に変わっている。骨も同じだ。恐竜の骨の化石では、隙間が鉱物で満たされていることが多い。骨の微細な構造は残っていても、重さはもとよりずっと増している。
節足動物の外殻は、また別の素材だ。主にキチンとタンパク質でできている。腐敗実験によると、外殻の有機構造の一部は選択的に残る一方、中の柔らかい組織はずっと早く消えてしまう。
だから昆虫の化石は、しばしば殻だけであり、筋肉も内臓も神経も、とうになくなっている。古代の昆虫には、一対の翅しか残さなかったものが多い。三億年前にいた、翅を広げると約七十センチにもなる巨大なトンボも、最初はフランスの炭鉱で見つかった翅の化石から、その存在を知られた。
植物も同じだ。木質化した部分は、柔らかい部分より腐りにくい。葉の表面の蝋質やクチクラは、一枚の有機質の膜を残すことがある。古代の葉を見るとき、見えているのは輪郭、気孔、表皮細胞の模様であって、細胞の中身はとうに失われている。
植物には、もう一つ、ほとんど壊しようのないものがある。花粉や胞子の外壁だ。きわめて安定した高分子からできていて、濃い酸に放り込んで浸しても壊れない。
地質学者が岩石を溶かすと、あとに残るのはしばしば何千、何万という古い花粉である。それらは、その地層がどの時代に属し、周囲にどんな植物が生えていたかを教えてくれる。石油を探す人々は、早くから花粉を使って、別々の掘削井から得た地層を照合していた。
三 柔らかい体が通れる、いくつかの狭い道
硬い殻のない体も残ることはある。ただし、通れる道は何本かの、ごく狭い道に限られる。
第一は、炭素質の圧縮膜になる道だ。1909年、アメリカのスミソニアン協会のウォルコットは、カナダのロッキー山脈にあるバージェス頁岩で、黒い薄膜に押しつぶされた、柔らかい体の動物群を発見した。触手も脚も、腸の輪郭も残っていた。
1984年、中国科学院南京地質古生物研究所の侯先光は、雲南省澄江の帽天山で泥岩を割り、硬い殻をもたない節足動物が、まるごと一匹残っているのを見つけた。これが、バージェスより約一千万年古い澄江生物群の発見につながり、その産地は2012年に世界遺産に登録された。ここではすでに二百種以上が記載されている。その多くは、最初に姿を現したときから、眼も、節のある脚も備えている。
ウォルコットは生涯にバージェスで六万点以上の標本を集めた。かなりの数が、彼の死後何十年もたってから、ようやく引き出しから取り出され、改めて詳しく調べられた。炭素質の圧縮膜がよく残すのは、全身の輪郭と、内臓の平面的な位置関係だ。厚みはほぼ失われる。押しつぶした標本の写真を見ているようなものだ。
第二は、リン酸塩化である。スウェーデン南部には、地元の人が「臭い石」と呼ぶ黒い石灰岩の団塊がある。割ると臭気を放つ。研究者がこの石を酸に浸してゆっくり溶かし、濾し取ると、五億年前の、一ミリ前後の小さな節足動物が出てくる。立体のままで、脚の剛毛まで残っている。リン酸塩の沈殿が十分に早ければ、筋肉や消化管は細胞の大きさにまで及ぶ精度で写し取られる。だが、その窓が開いているのは死後わずか数日だ。
第三は、黄鉄鉱化である。十九世紀末、アメリカのニューヨーク州の小川沿いにある頁岩から、四億五千万年前の三葉虫がまとまって見つかった。全身が金色の黄鉄鉱に置き換わり、ふつうは残らない脚や触角まで揃っていた。
イェール大学のビーチャーは何年もかけてこれを研究し、三葉虫の脚や触角の全体像が、初めてここまで明瞭になった。黄鉄鉱化には、鉄、硫黄、微生物、有機物の分解が、同じ時と場所にうまく揃う必要がある。だが、のちに黄鉄鉱が酸化すると、今度はそれが化石を壊してしまう。救ってくれたものが、あとで滅ぼす側に回ることもあるのだ。
ドイツのフランクフルト近郊にあるメッセル採掘場は、別の形の圧縮保存を見せてくれる。四千七百万年前の湖底だった油頁岩の中に、腹に胎児を抱えた小さなウマが横たわる。羽毛の色が読み取れる鳥も、胃に残された最後の食事もある。1970年代から80年代にかけて、この廃坑はごみの埋立地にされかけた。地元の人々と科学者が何年も反対を続け、最後には州政府が買い取り、1995年には世界遺産になった。
同じドイツのバイエルン地方、ゾルンホーフェンには、きわめてきめの細かい石灰岩がある。十九世紀には石版印刷の版材に使われたほどだ。採石場の労働者は石板を一枚ずつ剥がし、1861年には一枚の羽毛が残した跡を、まもなくして始祖鳥そのものを掘り出した。それから百年以上たっても、この地で出土した始祖鳥は十数点しかない。
第四は、珪化である。第六回で取り上げたスコットランドのライニー・チャートは、四億年前の植物を、細胞ごとシリカの中に封じ込めた。
第五は、琥珀である。ミャンマーの琥珀には、九千万年以上前の昆虫やクモ、羽毛、ときには小さなトカゲまで閉じ込められている。剛毛も表皮も、その細部までくっきりと見える。
1993年の映画『ジュラシック・パーク』を見て、琥珀の中の蚊から恐竜のDNAを取り出せると信じた人は多い。実際には、琥珀の中で完全に残っているように見える「軟組織」は、しばしば空洞や薄膜、あるいは色素の残りでしかなく、DNAは残っていない。
形が完璧だからといって、分子も完璧だとはいえない。2015年、中国地質大学の邢立達は、ミャンマー北部ミッチーナーの琥珀市場で、羽毛のついた小さな尾の一部が封じ込められた琥珀を見つけた。2016年の報告では、幼い恐竜の尾だと確認された。九千九百万年前のものなのに、羽毛の細部だけでなく、骨まで中に残っていた。
第六は、凍結と乾燥である。シベリアの永久凍土からは、毛皮と筋肉のついたマンモスが掘り出されている。アルプスの氷河からは、五千三百年前のアイスマンが姿を現した。
目に見える組織は残っていても、分子の情報は少しずつ失われていく。2012年の研究は、ニュージーランドで絶滅したモアの脚の骨158点を測定し、一定の長さのミトコンドリアDNA断片について、平均半減期を約521年と求めた。それだけの時間がたつたびに、まだ読める断片は半分になる。
これは、どんな環境にも当てはまる普遍的な数字ではない。低温なら、半減期はずっと長くなる。2022年には、グリーンランド北部の二百万年前の堆積物から環境DNAが読み取られ、現在の最古記録となっている。死体を保存することと、読み取れる遺伝情報を保存することは、別々の問題なのだ。
通れる道だけでなく、環境そのものも選別をする。ロサンゼルス市内のラ・ブレア・タールピットでは、何万年もの間、動物が次々とアスファルトに足を取られ、数百万点の化石が掘り出されている。
ふつうに考えれば、草食動物は肉食動物よりはるかに多いはずだ。ところが、ここの哺乳類化石は約九割が肉食動物である。一頭のバイソンがはまると、それを食べようとオオカミや剣歯虎が次から次へと集まり、自分たちもはまってしまう。この穴が残したのは、罠によって選び直された名簿なのだ。
ある研究は、現在の海の生物群集と化石データベースを照らし合わせ、「現生の属に化石記録があるかどうか」を指標にした。その割合は、外洋の群集で約15パーセント、浅海と深海の群集で約34パーセント、サンゴ礁で約44パーセント、海山で約51パーセントだった。
浅海と深海には、あまり差がない。決め手になるのは、しばしば埋まる速さが壊れる速さに追いつくかどうかだ。酸素がないだけでも足りない。酸素が乏しければ、大きな腐肉食動物は追い払えるが、嫌気性微生物は構わず分解を続ける。実験でも、酸素を断つだけでは軟組織は保てず、早期の鉱物化、粘土への吸着、あるいは急速な脱水が、さらに必要になる。
体の大きさと数も、選別に加わる。過去約四億八千五百万年間の海洋動物9,408属を分析すると、小型の属は全体として採集されにくいことがわかった。
数の多い生物群は標本も多く、最初と最後の出現も、本当の始まりと終わりに近づく。まれな生物群では、初めての出現は遅れ、最後の出現は早まる。この点は、第五節でもう一度使う。
四 どれほどを取りこぼしたのか
では、いったいどれほどを取りこぼしたのか。まず、古い推計を一つ見よう。1977年、当時知られていた現生動物約124万種を母数として、化石になる見込みが比較的高いのは約十万種、全体の約8パーセントだと見積もられた。言っているのは「見込みが高い」であって、「最後には必ず化石になる」ではない。
こうした方法の背後には、一人の人間が二十年以上かけて編んだ名簿がある。シカゴのセプコスキは1970年代から古生物学の文献を片端から読み、海洋動物の属ごとに、最初と最後の出現をカードとコンピューターに書き込んでいった。最後には三万属以上が集まった。
彼は1999年、五十歳で急逝した。名簿は三年後、同僚たちの手で整理され、公刊された。現在の古生物データベースには、すでに百万件を超える化石産出記録が収められている。その裏には、世界中の数千人の研究者が一件ずつ入力してきた仕事がある。
もっと役に立つのは、問いを変えることだ。ある生物群が、ある時間区間の中で採集される確率はどれくらいか。1999年、アメリカのシカゴ大学のフートとセプコスキは、約二万四千属のうち一万六千属以上を使い、一つの時間区間を平均約530万年とする方法を考えた。
やり方は出席を取るのに似ている。ある生徒が月曜日にも水曜日にもいたのに、火曜日の出席簿には名前がない。おそらく火曜日もいたが、点呼から漏れたのだろう。ある属が最初の区間と三番目の区間には現れ、二番目には現れないなら、その属は二番目にも生きていたはずで、ただ採集されなかっただけだ。この「確かに生きていたのに見落とされた」事例がどれだけ頻繁に起きるかを数えれば、各区間の採集確率を逆算できる。もともと世界に何属いたかを知る必要はない。
結果には驚くほどの差があった。各区間で採集される確率は、腕足動物で約0.9、頭足類で約0.8から0.9、三葉虫で約0.7から0.9だった。
多毛類、つまり海のゴカイの仲間では、約0.05しかなかった。同じ時間尺度で比べても、条件のもっともよい群と悪い方の群では、二十倍近く違っていた。
腕足動物が先頭に立つのは、第二節で見た方解石の殻と無関係ではない。硬くて安定した殻をもち、しかも浅い海の底に群がって暮らすことが多い。二枚の殻があってハマグリに似ているが、まったく別の門に属する動物で、殻は左右ではなく、上下についている。
古生代の浅海には至るところにいた。今は数百種しか残らず、冷たい水や深い海に身を寄せている。十区間のうち一区間で見落とされることと、二十区間のうち一区間でしか採集されないことは、まるで違う境遇なのだ。
硬い殻がなく、ごく少数の特別な保存の窓にしか現れない群は、この計算に載せにくいことが多い。点呼の方法には、「一番目と三番目にはいるが、二番目にはいない」という記録が十分に必要だ。それが少なすぎると、採集確率が低いというだけでなく、この方法では確かな推定値を出せない。量が小さいことと、手元のデータでは量を推定できないことは、別の話である。
もっと厳しい生物群もある。クラゲの体は九割以上が水で、死後数日で溶け崩れる。化石記録の全体を見ても、クラゲだとわかるものが出る場所は、ほんのわずかしかない。
アメリカのイリノイ州、メーゾン・クリークでは、三億年以上前の河口の泥に、鉄を含む団塊が何千、何万と包み込まれている。割ると、ときどき押しつぶされたクラゲが見える。これは特例であって、ふつうの姿ではない。鳥も残りにくい。骨は中が空洞で薄く、押されればすぐに砕ける。鳥の化石には、骨が数本まばらに残るだけのものが多い。
完全さには、ほかの測り方もある。現生の科に、少なくとも一つは化石として知られる仲間があるか。その割合は、ふつう属や種で測るより高くなる。また、ある属が記録されたからといって、骨格が完全に残っているとは限らない。「その動物を発見した」と「その解剖学的構造をどれだけ知っているか」は、別々のことだ。
岩石自体も、古いほど少なくなるという単純な話ではない。アメリカのウィスコンシン大学のマクロ層序データベースには、およそ33,900の層序単元が統合されている。
時代に対して岩石量を描いた曲線には、段差も山も谷もある。堆積盆の誕生と消滅、海の進出と後退につれて上下する。生物が生まれる過程にまったく起伏がなくても、採集できる岩石の量が増減すれば、化石の計数には山と谷が入り込む。
地層の間には、何ページもまとめて抜け落ちた箇所もある。アメリカのグランドキャニオンの岩壁には、有名な境界面が走っている。下には十数億年前の古い岩石があり、その上には五億年以上前の砂岩がじかに載る。その間の数億年から十億年以上にわたる時間は、そこには一ページも残っていない。
「発見された化石種は、かつて存在したすべての種の何割なのか」という問いには、信頼できる世界全体の数字がない。かつていた種の総数は、数十億年にわたる種分化率と絶滅率、種をどう定義するか、そしてまったく採集されていない大量の系統に左右される。
現生種も、公平な比較の基準ではない。それ自体が、歴史上の絶滅というふるいを通り抜けた生き残りだからだ。広く言われる「見つかったのは千分の一だけ」「百分の一だけ」という数字は、どれも一定の仮定のもとでの推計であり、測って得られた値ではない。
五 曲線の形はどう書き換えられるか
ふるいは、数を減らすだけではない。形まで書き換える。
最初の効果には名前がある。1982年、アメリカのシグノールとリップスが体系的に説明し、のちに二人の名を取って呼ばれるようになった。百種の生物が、同じ日にすべて消えたと考えてみよう。
その中には、化石がよく見つかるものも、めったに見つからないものもある。よく見つかるものなら、その日にごく近い地層でも見つかる。まれなものは、最後に保存されたのが、もうずっと前だったかもしれない。十年に一度しか姿を見ない相手なら、三年前に死んでいてもわからない。描かれる曲線は「徐々に減った」形になる。本当は、一日のうちにすべていなくなったのに。
この効果を自分で経験した研究者がいる。アメリカ、ワシントン大学のウォードは、1980年代、スペインのバスク海岸にあるスマイアでアンモナイトを採集していた。
そこの崖は、白亜紀最後の地層を海辺に一層ずつ並べて見せてくれる。初めに調べたとき、アンモナイトは境界の何十メートルも下から一種ずつ消えていった。それを見て、彼はアンモナイトがゆっくり衰退したのだと考えた。
のちに戻って、各層をもっと丹念に探すと、境界にぴったり接する地層から、また一種、また一種と見つかった。彼は考えを変えた。おそらくアンモナイトは、境界で一斉に消えたのだ。それまで見えていた「衰退」は、自分の採集が足りなかったためだった。
恐竜についても、同じ議論があった。アメリカのモンタナ州のヘルクリーク層では、最後の恐竜の骨が境界の約三メートル下にあり、これを根拠に、大衝突の前から恐竜は衰えていたと言う人がいた。1991年、アメリカのシーハンは大勢のボランティアとともに、この場所をしらみつぶしに探した。境界の下の地層をいくつかの区間に分け、どの区間にも同じだけの労力をかけて調べたところ、最後の二百万年あまりで恐竜が徐々に減っていたという傾向は見えなかった。
まず、化石が記録される平均の率は一定で、個々の記録は独立だという単純化したモデルを考えよう。 この効果は計算できる。ある生物群の化石が、平均して百万年に一度採集されるとしよう。本当に消えた時点と、知られている最後の化石との間には、平均約百万年の隙間ができる。95パーセントの場合、その隙間は約三百万年以内に収まる。
一千万年に一度しか採集されないなら、平均の隙間は一千万年になる。本当の終わりに近づくほど、記録上の生物群の数は必ず少なくなっていく。ますます多くの系統が、すでに「最後に採集される時点」を通り過ぎているからだ。「境界より下で、一層ごとに減っていく」ことだけでは、生物学的に徐々に衰退したとは証明できない。
同じ理屈を逆にすれば、初出の遅れになる。ある系統がすでに現れていても、たまたま保存され、たまたま発見された最初の化石は、ふつうそれより少し遅い。
「知られている最古の化石」が示すのは、起源の古さの下限である。コウモリは目を引く例だ。現在、コウモリは約1,400種いて、哺乳類のおよそ五分の一を占める。だが骨は細く、多くは洞窟や森の中で死ぬため、化石は少ない。
知られている最古の完全なコウモリ骨格は、アメリカのワイオミング州にある約五千二百万年前の湖底堆積物から、数体見つかっている。初登場の時点で、すでに飛べるコウモリだ。翼の骨格は今のものと大きく変わらない。飛べなかったものが飛べるようになるまでの過程は、化石の中ではまるごと空白になっている。
二つ目の効果は、「現在による引き上げ」、プル・オブ・ザ・リーセントと呼ばれる。新しい岩石ほど破壊を受けた程度が小さく、地表にも現れやすい。さらに重要なのは、現生の生物群がそこにいるという事実だけで、今まで生きつづけてきたと研究者にわかることだ。
現生の属が、とても古い地層に一度でも現れていれば、従来の数え方では、初出から現在まで、すべての区間で存在したと数える。絶滅した属は、この無償の延長を受けられない。第七節で触れるシーラカンスがその例だ。六千万年以上の間、化石は一つもなくても、今なお生きているという理由で、層序上の存続範囲は一気に現在まで引き延ばされる。こうして現代に近づくほど、曲線が高く持ち上げられる。
どれだけ高くなるかは、実際に測らなければならない。2003年、シカゴ大学のヤブロンスキーらは現生二枚貝を調べた。化石記録のある現生の958属・亜属のうち、906は、実のところ過去五百万年の地層ですでに採集されていた。
「今まで生きていたという理由だけで埋めた」部分を取り除くと、現在による引き上げが説明できるのは、新生代の二枚貝の多様性増加のおよそ5パーセントだけだった。偏りは確かにある。だが、この生物群では、傾向の全体を作り出せるほどではない。
三つ目の効果は、岩石の量だ。1976年、アメリカのロチェスター大学のラウプは、各時代の海洋化石の多様性が、残っている堆積岩の量と強く相関すると指摘した。
一つの説明は、岩石が多ければ採集の機会も多く、だから化石が多い、というものだ。
もう一つの説明は、海面の上昇である。白亜紀には、海が北米の内陸にまで広がり、メキシコ湾から北極海へ通じて、大陸を二つに分けていた時期がある。
今のアメリカ、カンザス州の麦畑の下には、その内海にいたモササウルスや巨大な魚が埋まっている。海面が上がり、浅海の面積が増えれば、海の生物は実際に増えるし、海成層も多く残る。どちらも本当なのだ。
多様性をそのまま岩石量で割ってしまえば、本物の生態学的な信号まで一緒に取り除くおそれがある。モデルの比較は、この二種類の関係が同時に存在しうることを示している。
四つ目の効果は、保存が飛び抜けてよい化石産地そのものから来る。六億一千万年前から三百万年前までの、特異な保存を示す化石群集を約694例集めた研究では、それらが時代にも場所にも偏って、まとまって現れることがわかった。
ある保存の窓が開くと、それまで見えなかった、柔らかい体の数多くの形態が、一斉に記録へ入ってくる。爆発のように見える。窓が閉じると、それらは一斉に退場する。衰退のように見える。
五つ目の効果は、命名そのものから生まれる。1879年、アメリカのマーシュはブロントサウルス、雷竜を命名した。1903年、別の研究者が、それはマーシュが1879年の二年前に名づけたアパトサウルスと同じ動物だと判断した。先に発表された名を優先する規則に従い、ブロントサウルスの名は取り消された。
それから百年以上、博物館の説明板にも切手にも、その名前はずっと使われていた。2015年、数十点の標本を詳細に比較した研究は、両者の違いは十分に大きいと判断し、ブロントサウルスは独立した属として復活した。
2002年、北米の化石哺乳類を対象にした研究は、現在有効とされる種名のうち、およそ24から31パーセントが、最終的には無効と判断される可能性があると推定した。そのために、多様性が三割以上も過大評価されているかもしれない。 逆に、本当は別々の種が曖昧な一つの名前に押し込まれれば、種の豊富さは低く見積もられる。化石種は保存できる形態で分けるが、生物学的な種では交配できるかどうかも問題になる。硬い部分の形が同じなら、複数の種が化石では一種としか数えられない。
これらの効果が変えるものは、それぞれ違う。最終出現の繰り上がりと初出の遅れは端点を変え、現在による引き上げは傾きを変える。岩石量は曲線全体の起伏を、特異な保存の集中は、ある種の形態が顔を出す時期を変える。そして命名は、数える単位そのものを変える。一つの補正方法が扱えるのは、ふつうそのうち一つだけだ。だから問うべきは、偏りがどの量を、どれほど変えたかなのである。
六 ふるいだけで山はできるか
このシリーズの第一回でも触れた問いがある。山の形は、まるごとふるいによって作られたものではありえないのか。
まず、形をはっきりさせておこう。観測される数は、おおよそ四つの量の積になる。本当の出来事の発生率、保存される確率、あとで再び地表に露出する確率、採集され同定される確率だ。そのすべてが時代によって変わる。
ここには、とても役に立つ規則がある。真の発生率が一定で、保存確率は古いものほど低く、残り二つが変わらないとする。その場合、観測される分布は、新しい方から古い方へ下がりつづけるだけで、最高点はもっとも新しい端に来る。途中に山はできない。途中に山を作るには、別の何かが必要だ。真の発生率そのものに起伏がある。保存や露出の確率が上がったり下がったりする。いくつもの過程が重なる。時間の窓が途中で切られる。あるいは、年代が混ざったり、リセットされたりする。
第一回では、月の岩石の年代が約三十九億年前に集中する山を見た。この規則に照らせば、その山は保存の過程でも作りうる。理由は、最後に挙げた項目にある。古い衝突溶融岩は、あとの衝突によって何度も砕かれ、再び溶かされ、同位体の時計がそのたびに巻き戻される。これは年代のリセットであって、単純に古いものほど少なくなるということではない。
海底の貝殻の山にも、似たことが起きる。放射性炭素で貝殻を一枚ずつ年代測定すると、古い殻ほど、海底に長く横たわる間に、より多くがすり砕かれたり溶けたりしているとわかる。すると、そこから推定される「ある時期には貝がとりわけ多かった」という山が、現代の方へ引っ張られる。ずれるのは、山があった時期そのものなのだ。
岩石の年代にも、同じ問題がある。地球でもっとも古い鉱物粒子は、オーストラリア西部のジャック・ヒルズにある古い礫岩中のジルコンで、約四十四億年前のものだ。
世界中で測定された数十万粒のジルコンは、年代が均等に分かれているわけではない。いくつかの山に集中し、その山はしばしば超大陸が組み上がった時代と重なる。一方の説は、その時期に地殻がまとめて生まれたのだと考える。
もう一方の説は、大陸同士が衝突するときにできた岩石は深く埋まり、壊されにくかったのだから、山は保存が作ったのだと考える。両者が争っているのは、まさにこの節の問いである。
逆方向の例も見ておこう。希薄化法は、もともと化石のために考えられた方法ではない。1968年、アメリカの海洋生態学者サンダースは、深海と浅海の泥にいる虫や貝を比べようとしていた。場所ごとに掘り上げた泥の量が違う。そこで、どの標本群も同じ個体数に換算してから比べる方法を考えた。
1975年、ラウプはこの方法を正式に化石の多様性へ応用した。理屈は、バードウォッチングで考えるとわかりやすい。ある人は公園で十時間、別の人は百時間、鳥を観察した。後者の記録した鳥の種類が多くなるのは当然だ。
二つの公園を比べるには、二人の観察を同じ労力のところで揃えて打ち切らなければならない。たとえば、どちらも最初の二百羽だけを数える。ラウプがこうして処理しても、古生代よりあとの時代にウニの科の数が増える傾向は残った。それは本物の増加だった。
さらによい揃え方は、暗号戦から生まれた。第二次世界大戦中、イギリスのブレッチリー・パークにいたチューリングと助手のグッドは、ドイツ軍の暗号帳を解読するために、一つの推定法を考えた。すでに傍受した暗号のうち、一度しか現れていないものがいくつあるかを見れば、まだ見ていない部分が全体のどれくらいを占めるか、おおよそ推し量れるのだ。
戦後、グッドはこの方法を発表した。のちには映画監督キューブリックの助言者にもなり、『2001年宇宙の旅』に登場する、言葉を話すコンピューターの構想を手伝っている。現在の古生物学者も、同じ発想を使う。二つの時期から同じ数の標本を採ることを求めるのではなく、それぞれの標本群が「潜在的な母集団の同じ割合をカバーしている」ことを求める。数を固定するより、公平な比べ方である。
ほかにも、それぞれ強みのある方法がある。一つは確率過程を使い、起源、絶滅、採集の率を同時に推定する方法だ。最初と最後の出現を、そのまま本当の始まりと終わりとは扱わなくなる。
化石の入っていない岩石を対照にする方法もある。化石を含まない地層の量まで、多様性の曲線と一緒に上下するなら、採集による説明はいっそう有力になる。また、同じ採集の仕組みに頼らないいくつかの証拠、たとえば多様性、形態の隔たり、生態的機能が、同じところで転換するかを見る方法もある。逆に、一つのデータベースの計数にだけ山ができ、それが採集の強さの山と完全に重なるなら、まず疑うべきは観察の過程だ。
これらの方法には、共通する限界がある。モデルが補正できるのは、パラメーターに書き込まれた不在だけなのだ。各群が百万年におよそ何回採集されるかを知っていれば、見えなかった端点を推定できる。
岩石の面積を知っていれば、それをモデルに組み込める。だが、ある保存過程が、見分けられる痕跡を一度も残さず、独立した対照もないなら、完全に見落とされている生物群がまだいくつあるかを、データそのものがモデルに教えることはできない。
データが無限にあっても、この量は定まらない。その量についての情報が、データの中にないからだ。 統計学では、これを識別不能という。先ほどの世界規模の属レベルの推定は、きわめて柔らかい体の群を対象から外していた。同時推定のモデルも、「少なくとも一度は姿を見せた」群を土台にする。二つの方法は同じ場所で止まる。そこが、この境界なのだ。
七 四つの「ない」
ここまで来れば、「ない」を分けられる。これから挙げる四種類は、この回で独自に整理したものだ。文献では、層序の統計、タフォノミー、科学哲学のあちこちに分かれて論じられている。
第一は、そもそも一度も存在しなかった。第二は、存在したが、発見できる遺物を何一つ残さなかった。データの上では、この二つはまったく同じになりうる。どちらも記録はゼロだ。
1938年のクリスマス前、南アフリカのイースト・ロンドン博物館の若い学芸員ラティマーは、トロール漁船の漁獲の中に、一メートルを超す魚を見つけた。鱗は青く光り、ひれは肉のついた短い脚のようだった。彼女はタクシーの運転手を説得し、この大きく生臭い魚を博物館まで運んでもらった。だが、町じゅう探しても魚の入る冷凍庫はなく、内臓は保存できず、標本にするしかなかった。化学の教授スミスが、その正体を見抜いた。シーラカンスの一種だった。
この仲間の魚は、化石記録ではもっとも新しいものでも六千万年以上前のもので、恐竜とほぼ同時に絶滅したと考えられてきた。だが、ずっといたのだ。インド洋西部の深い海に。ただ化石を残さず、そこまで探しに行く人もいなかった。
1997年、アメリカ人の生物学者と新婚の妻が、インドネシアのスラウェシ島の魚市場で、また別の種のシーラカンスを見つけた。このように記録から消え、のちに再び姿を見せる群を、古生物学者は「ラザロ分類群」と呼ぶ。名は、聖書で死からよみがえったラザロに由来する。
植物にも同じことがある。1994年、オーストラリアの国立公園のレンジャーが、シドニーの北西にある深い峡谷で、見たことのない背の高い針葉樹を何本か見つけた。
それは、化石ではよく見つかりながら、とうの昔に消えたと思われていた、古い針葉樹の仲間だった。野生の成木は数十本しかなく、生育地は今も秘密にされている。2019年から20年にかけてのオーストラリアの森林火災が峡谷の縁に迫ったとき、消防隊員はヘリコプターで谷へ降り、水管を敷いて水をまいた。航空機は難燃剤を投下し、木々を守り抜いた。
この二つの「ない」を区別するには、別のことを知らなければならない。もし存在するのなら、本来どれほどの確率で見つけられたはずなのか。これは直接計算できる。独立した調査を一回行うごとに、対象が存在すれば一定の確率で発見できるとする。何度続けても見つからない確率は、「一度の調査で見つからない」確率を繰り返し掛けたものになる。
一回の発見確率が九割なら、存在しているにもかかわらず三回とも見つからない確率は、千分の一しかない。このとき「見つからなかった」は、「いない」を強く裏づける。一回の発見確率が1パーセントしかなければ、存在していても、十回探して一度も見つからない確率は、なお約九割ある。同じ「続けて何度も見つからなかった」でも、見落とす確率にはほぼ三桁の違いがあり、証拠としての重みも大きく違う。 ただし、調査後も存在する確率が九割だという意味ではない。その問いには、調査前に存在を信じる根拠がどれだけあったかも関わる。
見つからなかったことの証拠としての強さは、「存在するなら、本来見つかるはずだった確率」で決まる。 だから、「見つからないことは、存在しない証拠にはならない」という格言は、言いすぎなのだ。仮説が正しいときに証拠が見つかる確率が、正しくないときより高いのなら、見つからなかったことは何らかの程度で仮説を弱める。問題は、どれほど弱めるかだけである。地層における信頼区間は、この原理をとうに道具にしている。均等に出続けていた大量の化石が急に途絶えれば、本当の終わりを狭い幅に絞れる。もともと一千万年に一度しか現れない種が見えなくなっても、ほとんど何も絞れない。
第三は、遺物は残ったが、問われている属性がそこには残っていない。骨格は体格や関節や成長について答えられるが、皮膚の色には、たいてい答えられない。
どこまで読めるかは、大まかに三段階に分けられる。硬組織の形、大きさ、歯、関節、骨格各部の比率、骨組織、摩耗、けがや病気、産地と層準は、ふつう直接読み取れる。
皮膚や羽毛の構造、一部の色、筋肉と内臓、食性、移動の仕方、成長速度、繁殖行動には、特別な保存か間接的な指標が必要だ。琥珀は表皮の微細構造を、早期のリン酸塩化は筋肉を残す。安定同位体は、生理や環境を探る手がかりを与えてくれる。
第十七回では、化石に残るメラノソームから、恐竜の羽毛の色をどう読み取るかを扱う。完全なゲノム、ある瞬間の遺伝子発現、神経の状態、物理的な痕跡を何一つ残さなかった鳴き声や行動は、ふつう復元できない。
タンパク質は、DNAよりはるかに長持ちする。2019年、研究者は中国の広西の洞窟から出土した、約百九十万年前のギガントピテクスの臼歯一本から、エナメル質タンパク質の配列を読み取り、ギガントピテクスとオランウータンが近縁だと判断した。モアの骨で得られた五百年あまりの半減期が語るのは、まさに属性の情報の寿命である。それは形の寿命より、はるかに短い。
第四は、問うているその量が、与えられた範囲では定義されていない。第四回では、大酸化イベントの時代の絶滅率には分母がないと述べた。当時の微生物の化石は、小さな球が一つずつあるだけで、それが一種なのか十種なのかわからないからだ。
この言い方の限界は、「当時の化石」にある。研究者が追跡できる単位を定めさえすれば、形態種でも、ほかの何でも、その出現率と消失率は定義できる。未定義なのは、分子、分母、あるいは比較する単位に、一貫した扱いがまだないからであって、ある地質時代には絶滅を論じることが本質的に禁じられているからではない。
第一と第二は、分けられるだろうか。空白だけを見ても分けられないが、検出確率を介して、間接的には分けられる。同じ時代の同じ種類の岩石で、体格も硬い殻もよく似た「対照となる群」がよく保存されているのに、対象の群だけが一貫して現れないなら、「いたけれど何一つ残さなかった」という説明は、次第に苦しくなる。
逆に、似たような柔らかい体の動物がすべて保存されていないのなら、対象がいないことは、ほとんど何も語らない。同じ「最後の出現」でも、二つの群の間で、その重みは一桁以上も違いうる。
八 ふるいの形は測り定められる
ここまで来ると、化石記録からは何もわからない、という結論へ滑り込みやすい。その不安には、1992年の検証が答えてくれる。
アメリカ自然史博物館のノレルとノヴァチェクは、二人とも長年、野外で化石を掘ってきた人だ。数年後、彼らの隊はモンゴルのゴビ砂漠で、卵の巣に伏せた恐竜を掘り出すことになる。前肢を広げて一腹の卵を守るその姿は、今の鳥が卵を抱くのと同じだった。
1992年の検証で、彼らは脊椎動物の24のグループを集め、互いに関係のない二つのものを用意した。一つは、骨の形だけから推定した系統関係の図だ。誰と誰が近いか、誰が先に枝分かれしたか。その推定の際には、岩層の年代を一切見ていない。
もう一つは、それらの動物が地層に初めて現れる順序だ。二つの順序は別々に組み立てた。骨から推定した系統樹に、地層の年代をあらかじめ組み込んだわけではない。ただし、どちらも同じ進化の歴史を反映している。化石の初出がでたらめな雑音だけなら、骨から推定した分岐順序と一致する理由はない。
結果は、24グループのうち18で、二つの順序が統計的に有意に一致した。片方は骨の形、もう片方は地層の順序。互いに無関係な二本の物差しが、同じ前後関係を測り出した。 2000年、イギリスのブリストル大学のベントンらは、検証を千点の系統関係図へ広げ、この一致が古い地層でも目立って悪くなるわけではないと確かめた。
記録は破れている。だが、大きな尺度での順序まで乱れるような破れ方はしていない。化石から並べた前後関係は、基本的には信頼できる。ただし、系統関係図を使って化石記録を逆に「埋める」ときにも注意はいる。採集が不十分なら、関係図そのものも不正確になるからだ。
生きた群集と死んだ群集も、照らし合わせられる。アメリカのシカゴ大学のキッドウェルらは、長年にわたり、海岸で生きている貝と、海底に積もる空の殻を別々に数えてきた。
空の貝殻の集積は、数十年から数千年分が混ざっている。それでも、種ごとの多さの順位は、生きた群集と明瞭に一致する。85組のデータをまとめた研究では、九割以上の比較で正の相関が見られた。選別は起きているが、もとの生態的な構造が、何もかもわからない混乱に変わったわけではない。
逆に、生きた群集と死んだ殻が食い違う場所にも、情報はある。キッドウェルは、人間の排水、底引き網、養殖で変えられた海岸では、空の貝殻の山が、人間が来る前の群集を記録していることが多いと見いだした。海底の死んだ殻は、誰も書かなかった古い帳簿になったのだ。「偏っている」と「情報がない」の間には、大きな隔たりがある。
1982年、ラウプとセプコスキは、セプコスキが編んだ海洋生物の科の名簿を使って、顕生代の五度の大量絶滅を描き出した。それから四十年以上、この曲線は、この回で見てきたあらゆる偏りを疑われ、繰り返し問い詰められてきた。希薄化や被覆度による補正、岩石量や現在による引き上げの検討。曲線の細部はずいぶん変わったが、五度の大量絶滅は、一つも消えなかった。
ここから、一つの規律が導かれる。採集の偏りを、何でも説明できる道具にしてはいけない。どんな山も谷も、放散も衰退も、あとからすべて採集のせいにできるのなら、「採集」という説明は、何も言っていないのと同じだ。
もっとよい問い方は、具体的に問うことだ。ある群、ある時間尺度、ある環境、ある形質について、この採集計画のもとで、記録は真の信号のどの性質を残し、誤差はどれくらいあるのか。この問いは重たく、扱いにくい。だが答えることができる。同じ世界全体の化石記録でも、各区間で採集される確率が約0.9の群もあれば、約0.05の群もある。「化石記録は全体としてどれほど完全か」という問いに、意味のある一つの答えはない。
この回の「構」へ戻ろう。このシリーズでいう構とは、突き詰めれば一本の線を引くことだ。内側にあるものは数え、外側にあるものは数えない。線は、一組の判定基準のように、人間が引くこともある。一枚の膜のように、自然が引くこともある。この回の線を引くのは、ふるいだ。すべての目を通り抜けたものが記録へ入り、数に入る。通り抜けられなかったものは、記録の中では、ないことになる。
これまでの十篇でも、いくつもの「ない」に出会った。同じ空白ではない。第七篇では、顕生代の記録を中原生代と比較しやすい水準まで間引き、なお残る違いを調べる対照を考えた。この種の方法は問いを前へ進められる。ただし、データを整え、比較の条件を明らかにする必要があり、説明が一つに絞れるとも限らない。この空白は追加の仕事で狭められるが、一度で消せるとは約束できない。
第八回で見た、遠くまでは進まなかった何十回もの多細胞化の起源は、ちゃんと見えている。ただ、自然に定まる単位のない物差しによって、後ろへ並べられた。第九回のエディアカラ生物には、標本が何千、何万とある。しかし分類の格子のどの升目も、彼らがまだ揃えていない一組の形質を要求する。第十回のカンブリア紀の多様性では、本物の放散、骨格化、軟体部を保存する窓、岩石量が、それぞれどれほどを占めるのか、すっきり分けきれない。
構には収まりきらず、それでも消すことのできない部分を、このシリーズでは余項と呼ぶ。この回の余項は、不在である圧倒的多数だ。これまでの回の余項は、座標軸の中にあり、升目の中にあり、きれいに切り分けられない係数の中にあった。
この回の余項は、ふるいの中にある。そして、ふるいの形は測り、目盛りをつけることができる。最後の出現には信頼区間があり、属レベルの採集率には点呼の方法がある。多様性には希薄化と被覆度があり、起源、絶滅、保存は同時に推定できる。岩石の量は地質図から測れ、研究の偏りは露出する岩石の面積と照らして測れる。
このふるいは、部分的に較正できる観察過程であり、中の見えないブラックボックスではない。 ここで挙げた道具の一つひとつは、何かを読み違えた経験に迫られて生まれた。スマイアでのウォードのアンモナイト、ラウプのウニ、ヤブロンスキーの二枚貝。ふるいの形は、何度も騙されたあとに、少しずつ測り出されたのである。
「部分的に」は残しておこう。較正できるのは何らかの痕跡を残した部分だ。どの経路にも痕跡を残さなかったものの総数は、この記録からは決められない。 分母が存在しないのではなく、私たちには分母がわからない。だから、この記録だけでは「何パーセントを見落とした」と計算できない。そこには何かがいたかもしれないし、何もいなかったかもしれない。この記録は答えてくれない。
判定基準はふるいにかけ続け、補正モデルも入れ替わる。それでも、何の痕跡も残さなかった部分の総数は、今ある記録からは計算できない。