鑿構の周期律 · 古生物 · 10

カンブリア紀 説明としての相転移、覆い隠す言葉としての相転移

カンブリア紀に「爆発」したのは、体か、暮らし方か、それとも私たちが見つける機会か。

秦漢 · 読了の目安:約42分 · 公開日

一 5億年前の海底

約5億1800万年前、現在の雲南省、昆明近郊の澄江は、暖かな浅い海だった。当時、地球の陸地の大半は南半球でひと続きになり、ゴンドワナ大陸をなしていた。陸上はまだむき出しで、植物も動物もいなかった。

華南は赤道近くに浮かぶ小さな陸地で、周囲には暖かな浅瀬が広がっていた。一日は、およそ21時間しかない。月は今より近く、潮の満ち引きも大きかった。

海底の泥の上を、数匹の三葉虫がゆっくりとはっていく。体は左、中央、右の三つの葉に分かれ、背を覆う節ごとの甲羅が水の中で光る。対になった柔らかな肉厚の脚をいくつも備えた虫が、ひとかたまりの海綿にしがみついている。背中には、鋭い棘が二列に並ぶ。泥から顔を出すのは、頭に長い触角を一対つけた節足動物だ。丈夫な殻をもち、今のエビによく似ている。それでいて、どのエビとも違う。

水の中を、この海で最大の狩り手が泳いでいる。アノマロカリスだ。体長は50センチほど、もっと長いものもいる。体の両側には、ひれのように波打つ葉状の部分がずらりと並ぶ。頭の前には、棘のついた大きな腕が一対、二挺のペンチのように突き出している。口は歯の板が輪になったつくりで、開くと、輪切りのパイナップルに見える。

短い柄の先には、大きな複眼が一対ある。三葉虫の硬い殻をかみ砕けたのかどうかは、今も論争中だ。2023年には、あの腕にかかる力をコンピューターで再現した研究者が、柔らかな獲物を捕らえるのに、より向いていたのではないか、と結論づけた。

三葉虫の目も変わっている。複眼をつくる小さなレンズの一つひとつが、透明な方解石の結晶なのだ。結晶の光軸は、ちょうど光の入ってくる方向を向いている。

石で世界を見ていた動物たちなのである。 その石の目は、化石になっても、しばしば形をよくとどめている。2011年、研究者たちはオーストラリアのカンガルー島で、少し後の時代の地層から、アノマロカリス類の見事に保存された複眼を見つけた。一つの目に1万6000を超える個眼がある。今のたいていの昆虫より多い。

数センチほどの、小魚に似た動物も、体をくねらせて泳いでいる。1999年、西北大学の舒徳幹らは、澄江の化石の中から、こうした動物を二種見いだした。体内には一本の脊索が通り、二重の山形に折れた筋節が幾列も並ぶ。知られている最古級の脊椎動物だ。あなたや私の遠い祖先は、そのころ、この海にいた。

澄江の化石は、神経が見えるほど細部まで残っている。2012年、雲南大学とイギリス、アメリカの研究者たちは、フーシェンフイアという節足動物の化石に、脳が保存されていることを突き止めた。その構造は、現在の昆虫や甲殻類の脳にすでにかなり近い。5億年以上前の小さな頭が、泥岩の中に、ひとしみの濃い影を残していた。

澄江には、今なお、分類上の落ち着き先が見つからない動物もいる。古虫動物と呼ばれる仲間は、体が前後の二つに分かれている。前半は、鰓孔が一列に開いた箱のようで、後半は節のある尾のようだ。

2001年、舒徳幹らは、この仲間のために新しい門を設けた。その後、後口動物の早い時期の傍系だと考える人もいれば、別の場所に置く人もいる。長さ数センチの小動物が、分類学者たちのあいだで、20年以上もあちらへこちらへ運ばれている。

泥には、別の虫の仲間も潜んでいる。鰓曳動物だ。体はソーセージに似ており、先端から、棘がぐるりと並んだ吻を裏返すように突き出せる。それを伸ばしては縮め、泥の中を掘り進む。澄江でもバージェスでも、ごくありふれた動物で、現在の海底の泥にも、わずかな子孫が残る。次の節で取り上げる、カンブリア紀の始まりを定めた探り穴も、おそらくこの仲間の祖先のような動物が掘ったのだろう、と考える人がいる。

これらの動物は、幾重にも重なった黄緑色の泥岩に保存されている。目も腸も、脚の細い毛まである。澄江の化石は、もとは黒い炭素の膜と黄鉄鉱の層だった。地表で風化すると、多くはさび色や淡い赤色に変わる。黄緑色の泥岩を地にして浮かぶ姿は、石に描かれた精緻な工筆画のようだ。1984年7月1日、中国科学院南京地質古生物研究所の侯先光は、澄江の帽天山で泥岩を割り、一匹の柔らかな節足動物が丸ごと残っているのを見た。後にナラオイアと呼ばれる動物だった。

あの瞬間、まだ生きていて、湿った岩肌を泳ぎ出しそうに見えた、と彼は語った。こうして澄江生物群が発見された。現在までに200を超える種が記載され、2012年には世界遺産に登録された。

中国は、カンブリア紀を見るには、世界でもとりわけ恵まれた場所の一つだ。湖北省の清江は雲南省の澄江とほぼ同時代、雲南省の関山は少し後、貴州省の凱里はさらに後にあたる。化石の宝庫が時間順に連なっている。アルバムの前後のページに並ぶ写真のように、同じ海が数千万年をかけてどう変わったのかを見せてくれる。

それ以前の数十億年、地球の主役はたいてい微生物だった。ほかには、第九篇で見た、平べったくて正体のつかめないエディアカラの生き物がいた。それが、わずか数千万年のあいだに、目があり、脚があり、殻があり、追いかけたり逃げたりする動物で、海のそこかしこが満たされる。現在の動物の大半の門について、その初期の仲間を、この時期の岩石に見つけることができる。

これがカンブリア爆発である。「カンブリア」という名は、イギリスのウェールズの古い呼び名に由来する。1835年、イギリスの地質学者セジウィックが、ウェールズ一帯で最も古い、化石を含む地層に、この名を与えた。

ダーウィンは、このことで頭を悩ませた。『種の起源』でも、複雑な動物がカンブリア紀にいきなり現れ、その下の地層には何もないことは、自分の理論が直面する難問の一つだと認めている。

160年以上が過ぎ、カンブリア爆発は進化史上、最も有名な出来事の一つになった。同時に、ひと言で片づけられやすい出来事にもなった。この篇で問いたいのは、こういうことだ。この爆発のうち、何が実際に起きた変化で、何が私たちの観測から生まれたものなのか。そして、それを一度の「相転移」と呼ぶとき、いったい何を説明したことになるのか。

二 釘は虫の通り道に

カンブリア紀は、どの日に始まったのか。その答えは、ある場所である。

地質年代表に引かれた多くの境界線は、世界のどこかに実在する岩壁の一点によって定められている。この層より上は新しい時代、下は古い時代。こうした点は、通称「ゴールデンスパイク」、黄金の釘と呼ばれる。第十四篇でも再び触れ、第二十三篇では、あらためて詳しく扱う。

カンブリア紀の釘は、カナダのニューファンドランド島南東部、ビュリン半島のフォーチュン・ヘッドにある、海辺の崖に打たれている。正確には、チャペル・アイランド層と呼ばれる地層の中で、もともと第二部層と番号を振られていた層の底から、2.4メートル上の地点だ。この一点が、カンブリア紀、古生代、顕生代の始まりを同時に定めている。顕生代とは「目に見える生命」の時代という意味で、1930年、アメリカの地質学者チャドウィックが名づけた。それ以前の、生命がほとんど見えない長い時代と対になる名前だ。

カンブリア紀は、その後、さらにいくつもの「階」に区分された。それぞれの階の始まりにも、一本ずつ釘が要る。そのうち四本は中国にある。湖南省花垣の排碧、同省古丈の羅依渓、貴州省剣河の烏溜・曽家岩、浙江省江山の碓辺だ。

あの釘の位置を選ぶのに、20年かかった。1972年、国際地質科学連合が専門の作業部会を設け、世界中で候補となる地層の断面を調査した。比較し、議論し、それを何度も繰り返す。投票で決着したのは、ようやく1992年だった。

1992年の投票で釘の位置が決まったとき、対抗候補には中国の地点もあった。雲南省晋寧の梅樹村である。その地層には、カンブリア紀最初期の小さな殻の化石が大量に含まれ、中国の地質学者たちが長年かけて調べてきた。最後に選ばれたのは、フォーチュン・ヘッドだった。

フォーチュン・ヘッドの釘は、ある動物そのものではなく、ある行動が残した跡に打たれている。その生痕化石には、ほぼ水平な幹の通路があり、そこから上下左右へ、斜めの小さな探り穴が規則正しく枝分かれしている。地層の下面から見ると、アーモンド形の小さなこぶが、一列につながって見える。

ふつうは、こう説明される。左右対称の、ミミズのような動物が、泥の中を進みながら、あちこちを探って食べ物を求めていたのだ。その動物が何者だったのか、姿を見た人は誰もいない。顕生代の出発点は、正体不明の一匹の動物が食べ物を探した動作によって、定義されている。

これが選ばれたのには理由がある。三葉虫が現れるのは、明らかにもっと後だ。しかも、初期の三葉虫は、大陸ごとに地域色が強い。小さな殻の化石はもっと早くからあるが、ばらばらの破片になっていることが多く、誰のものなのかわからない。複雑な潜り穴なら、ありふれた岩石にも残る。穴を掘った動物自体が保存される必要はなく、それでも複雑な動物が活動していたしるしになる。

後に、気まずいことが起きた。第九篇に登場した、デスマスク・モデルの提唱者ゲーリングらが、2001年にフォーチュン・ヘッドを再調査したところ、釘の3メートル余り下と4メートル余り下の両方で、指標にしたあの生痕が見つかった。さらに釘の7〜15メートル下にも、形のよく似た、同じ属に属する潜り穴があった。定義である釘は、それによって移されはしなかった。だが、「この痕跡が初めて現れる場所に、ちょうど釘が打たれている」とは、もう言えなくなった。

年代も動いている。2019年、ナミビアのある地層の最上部から、似た生痕が報告された。二層の火山灰に挟まれていて、火山灰の年代は、それぞれ約5億3900万年前と約5億3860万年前だった。

カンブリア紀は約5億3880万年前に始まった、という数字も、一部はこの資料にもとづいている。2026年には再検討を行った研究が、あの古い痕跡は別の種類の潜り穴であり、本来の指標生痕のうち、年代が確かに裏づけられた最古のものは、約5億3300万年前にすぎないかもしれない、と提案した。

数値の根拠になるのは、主に、世界各地の境界付近に挟まれた火山灰である。オマーンにもナミビアにも、境界近くに火山灰層がある。その中のジルコンが示す年代が、この数字を何度も現在に近いほうへ引き戻してきた。

カンブリア紀の始まりを示す数値は、ここ数十年、繰り返し書き換えられてきた。20世紀後半には約5億7000万年前、1990年代初めには約5億4400万年前に修正され、2004年には5億4200万年前、2012年には5億4100万年前、2022年には5億3880万年前になった。フォーチュン・ヘッドの岩壁にある、物理的なあの一点は、一度も動いていない。 カンブリア紀の年代は変わる。カンブリア紀の境界は動かない。

三 実際に起きた順序

あの時期の化石を順番に並べてみると、見えてくるのは段階を踏んだ過程だ。一発の轟音ではない。

カンブリア紀が始まる前に、すでに、第九篇で見たクラウディナは硬い殻をもっていた。殻には、捕食者が開けた穴まである。カンブリア紀の最初の数百万年、海底は「管の世界」だった。さまざまな細い管、原始的な歯のような小構造、海綿の骨針。化石の目録は短い。その中に、わずか1〜2ミリの、鉤形の小さな棘がある。数本一組で見つかり、現在のヤムシが口のそばにつけている、獲物をつかむ鉤によく似ている。知られている最古級の、捕食者の「歯」なのかもしれない。

次に現れるのが、小型有殻化石である。ミリ単位の、鉱物でできたかけらだ。小さな帽子のような殻、うろこ、骨片、小さな管。梅樹村や、世界各地のこの時期の地層では、石灰岩を酸で溶かすと、何千、何万という粒を取り出せる。研究者はしばしば、数十キロから100キロを超える石灰岩を、一塊ずつ酢酸に浸す。何週間も待った後、残ったくずの中から、顕微鏡をのぞいて一粒ずつ拾い上げる。

小型有殻化石は、一種類の動物の名前ではない。いろいろなものを入れておく籠だ。一匹の動物が死ぬと、形の異なる何十、何百もの骨片にばらけることが多い。鎖かたびらがほどけたようなものだ。拾えるのは、形のそろわない小片の山である。

後になって、つなぎ直された鎖かたびらもある。シリウス・パセットという化石産地が、グリーンランド地質調査所の研究者によって発見されたのは1984年。澄江が見つかったのと、同じ年だ。

1990年、イギリスとデンマークの研究者たちは、グリーンランド北部のシリウス・パセットで、ハルキエリアという動物の全身化石を見つけた。長さ数センチの体の背中を、形の異なる何種類もの骨片がびっしりと覆い、頭側と尾側には、それぞれ小さな殻が一つ載っていた。それまで別々の分類群のものと思われていた破片は、じつは同じ一つの体の部品だったのだ。

ロシアのシベリア、レナ川とその支流アルダン川の両岸には、カンブリア紀の崖が長く続く。岩の層は、本のページのように幾重にも重なっている。前期カンブリア紀のいくつかの階は、この一帯の小さな土地の名を取っている。トンモトなどが、その例だ。1950〜60年代、ソ連の古生物学者たちは、そこで小型有殻化石を系統的に採集し、カンブリア紀最初期の動物たちを、初めて時間順に並べた。

約5億2500万年前になると、骨格をもつ動物が、さらに豊かになる。腕足動物、ヒオリテス類、そして古杯動物と呼ばれる海綿の仲間。古杯動物は微生物とともに、浅い海に、カンブリア紀最初の大規模な動物の礁をつくった。古杯動物は、二重になった杯のような姿をしている。壁には小さな穴がびっしり開き、多くは高さ数センチしかない。それが、浅海の底に群れて立っていた。

古杯動物は1000万年を超えて栄えたが、カンブリア紀中ごろには、ほぼすべて姿を消す。それから地球の礁には長い空白が訪れ、後になって、別の動物がその役目を引き継いだ。約5億2100万年前には、最初の三葉虫が現れる。中国の前期カンブリア紀で、とくによく見つかる三葉虫の一つがレドリキアだ。頭が大きく、尾は小さく、両頬から長い頬棘が伸びる。雲南省、貴州省、陝西省の頁岩のあちこちにあり、多くの地質学の学生にとって、最初に覚える三葉虫でもある。

近年の研究では、いくつかの大陸で、最初の三葉虫が約5億2100万〜5億2000万年前に、ほぼ同時に記録に現れたとされる。違いはおよそ100万年で、大陸どうしの地層を対比するときの誤差と大差ない。約5億2000万年前には、最初の棘皮動物が現れる。約5億1800万年前の澄江の軟らかな体をもつ動物群では、節足動物、脊索動物、そのほか多くの仲間が、すでに大きく分化していた。

ごく小さな動物も残されている。陝西省南部、寛川鋪一帯の約5億3500万年前の地層には、リン酸塩として保存された、ミリ単位の小動物が大量にある。

2017年、西北大学の韓健らは、そこで見つかった、わずか1ミリの動物を記載した。全身がしわだらけで、口を大きく開けている。サッコリタスという。当初は、人類も属する後口動物の、最古級の一員だと考えられた。ところが2022年、より完全なスキャンによって、じつは別の大きな動物群の初期の一員で、現在の昆虫や線虫の遠い親戚だとわかった。1ミリの小さなものが、5年で家系図を取り替えられた。

カンブリア紀の階の区分も、現在なお、すべてが決まったわけではない。いくつかの階は、その始まりに、まだ釘が打たれていない。どの大陸でも照合でき、しかも十分に唐突に現れる化石が、見つからないからだ。「爆発」がどれほど続いたかは、この一連の出来事の、どこからどこまでを爆発と呼ぶかで変わる。

5億3000万年前から5億2000万年前までを取れば、約1000万年。カンブリア紀の下限の境界から、三葉虫の出現まで数えれば、約1800万年。それ以前の助走も含めるなら、約3000万年になる。

もう一つ、覚えておきたい。「ある門が初めて現れる」と言うとき、多くの場合、初めて見分けられたのは、その門のトータルグループだ。第九篇で、トータルグループと冠群を取り上げた。カンブリア紀のある動物は、確かにその門の一枝に属していても、現在その門にいる動物の、おなじみの姿とは、まるで似ていないことがある。

現在の小型の動物門の中には、カンブリア紀の化石が、異論の余地なく確認されているわけではないものも多い。扁形動物や紐形動物などだ。1ミリ以下で、硬い部分を一切もたない動物が、カンブリア紀の記録に何かを残すことは、ほとんど不可能である。姿が見つからないからといって、そのころ存在しなかったとは言えない。

四 記録が明るくなる

カンブリア紀がこれほど豊かに見える理由は、一部、観測するこちら側にもある。

第一の経路は、軟らかな体が保存される窓である。1909年、アメリカのスミソニアン協会のウォルコットは、カナダのロッキー山脈、バージェス峠の周辺で、柔らかな体の動物を残した黒い頁岩を発見した。

ウォルコットは当時、スミソニアン協会の長で、毎年夏になると家族を連れて山に入り、化石を採集していた。夫人の乗った馬が山道で足を滑らせ、石の板を蹴って裏返したのが、発見のきっかけだったという。

この話が本当かどうかはわからない。それでも、バージェス頁岩は、これを機に名を知られるようになった。そこの動物たちは、海底の崖のふもとに暮らしていた。斜面から繰り返し泥流が流れ落ち、その場で、酸素の乏しい泥にたちまち埋めてしまう。死肉を食べる動物も細菌も手を出せないうちに、体は粘土に押しつぶされ、黒い薄膜となって幾重にも残った。

ウォルコットは生涯に6万点を超える標本を集め、動物の大半を、すでにある門に押し込んだ。最もよく見つかるのは、長さわずか2センチ、頭から二対の長い棘を伸ばした節足動物、マレッラだった。採集された標本は、2万点を超える。

60年後、イギリスのケンブリッジ大学のウィッティントンと、その弟子コンウェイ・モリス、ブリッグスが標本を調べ直すと、既知のどの門にも、どうしても収まらない動物が数多くあることがわかった。オパビニアという動物は、頭に五つの目があり、前方に消防ホースのような長い鼻を伸ばしている。その先端には、はさみがついている。1972年、ウィッティントンが学会で復元図を示すと、会場はどっと笑った。聴衆は、冗談だと思ったのだ。

アノマロカリスの話は、さらに込み入っている。あの大きな一対の腕は、1892年には、エビの一種の胴体として記載されていた。輪になった口は、クラゲの一種とされていた。

胴体は、初めはナマコの一種とされ、その後、クラゲと海綿が重なった化石だと考えられた。三つの部分には、それぞれ別の名前がついていた。それが一匹の動物のものだと、ウィッティントンとブリッグスが見抜いたのは、ようやく1985年のことだった。

もっと数奇な運命をたどった動物もいる。背に二列の鋭い棘があり、柔らかな肉質の脚が一列に並ぶその動物は、1977年、上下逆さまに復元された。棘が脚に、脚が背中の触手にされていたのだ。名はハルキゲニア、中国語では「怪誕虫」という。1991年、研究者は澄江の近縁種と比べて、ようやく上下を返した。2015年には、どちらの端が頭なのかもわかった。

バージェスの物語は、まだ続いている。2014年、カナダのロイヤル・オンタリオ博物館のカロンらは、最初の産地から約40キロ離れたマーブル・キャニオンに、新しいバージェス型の化石産地を発見したと報告した。わずか数週間で数千点の標本が集まり、その多くは新種だった。中国、貴州省の凱里生物群は、バージェスとほぼ同時代で、こちらも大量の柔らかな体の動物を保存している。澄江からバージェスへ、そのあいだの時期をつなぐ橋である。

バージェス頁岩は1980年に世界遺産となり、後にカナディアン・ロッキー山脈自然公園群の一部に組み込まれた。現在、観光客が訪れるには、ガイドに従い、山道を何時間も歩かなければならない。

バージェスや澄江のような化石の宝庫は、知られているだけで50か所を超え、いくつもの古大陸に散らばっている。2019年には、西北大学の付東静らが、湖北省長陽の清江生物群を報告した。約5億1800万年前のもので、4000点を超える標本に含まれる分類群のうち、半数を超えるものが、それまで知られていなかった。クラゲやクシクラゲ、か弱い軟らかな体の動物が大量にあり、同時代の澄江とは、顔ぶれが大きく違う。

一つの化石産地が、海全体を代表するわけではない。バージェスも澄江も、世界的に軟らかな体の保存確率が異常に高かった時期に、保存の窓が開いていた場所である。 こうした窓は、カンブリア紀中・後期になると、明らかに減っていく。産地を替えるだけで、見えてくる「動物の多様性」が何倍も違うことがある。ある定量的な比較では、澄江に記録された分類群の数は、年代の近いシリウス・パセットより約300パーセント多く、つまり約4倍あり、バージェスの古典的な採石場より約27パーセント多かった。

もう一つ、もっと小さな窓もある。第十一篇で取り上げる、スウェーデンの「臭い石」、オルステンだ。後期カンブリア紀の石灰岩の団塊を酸に浸して溶かすと、1ミリ前後の節足動物が、立体のまま取り出せる。脚の剛毛まで残っている。澄江にもバージェスにも、鮮明には写せなかった層を見せてくれる。海底の泥の隙間にいる、いちばん小さな動物たちである。

第二の経路は、骨格化だ。地質学的にはごく短い時間に、多くの系統が、それぞれ独立に、鉱物でできた硬い部分を身につけた。材料も、炭酸カルシウム、リン酸カルシウム、二酸化ケイ素と、同じではない。

動物の炭酸カルシウムの骨格だけでも、独立に生まれた回数は、少なくとも20回ほどと見積もられている。殻、骨片、管、外骨格があれば、ふつうの浅海の石灰岩や頁岩にも、見分けのつく破片が残る。変わったのは、動物がどれほどいたかだけではない。どれほどの動物が、目に見えるようになったかでもある。 実際の種数がなだらかに増えていても、骨格化によって、多様性の曲線に急な立ち上がりをつくることができる。

骨格は、もう一つ、新たな残り方をもたらした。三葉虫は一生に何度も脱皮し、そのたびに海底へ、一着の抜け殻を残す。地層にある三葉虫の化石は、じつは脱ぎ捨てた古着であることも多い。一匹の動物が、何点もの「化石」を残せるわけだ。硬い殻をもつ動物は、保存されやすいだけでなく、繰り返し保存されやすくもある。

第三の経路は、岩石そのものだ。2024年、北米の地層データベースと古生物データベースを比較した研究があった。エディアカラ紀末から後期カンブリア紀にかけて、試料を採れる海成堆積岩は5倍を超える量に増えていた。化石の数と海成堆積岩の量の相関係数は、0.8以上だ。この相関には二通りの読み方がある。その話は、第十一篇でする。

この三つの経路を合わせると、見えているものの何割を占めるのか。今のところ、分けて計算するすべはない。多様性の一つの山を、「4割は実際の進化放散、6割は保存の効果」と切り分けられるような、広く認められた補正係数は存在しない。

五 四本の曲線

「カンブリア爆発」という決まった言い方が科学文献に登場したのは、およそ1960年代になってからだ。それが一貫して同じ量を指したことは、ない。

少なくとも四つの異なる曲線がある。ある分類群が初めて現れた時期、種や属の数、体のつくりの違いの大きさ、そして生態の複雑さ。この四本は、足並みをそろえて動くとは限らない。

生態の複雑さは、そのまま図に描くことができる。2008年、アメリカの研究者たちは、化石の胃の内容物、糞化石、かみ跡、口器の形を手がかりに、澄江とバージェスの食物網を、一つずつ線でつないだ。誰が誰を食べ、誰が誰に食べられるのか。捕食者の段階はいくつあるのか。

描き出された網は、構造の上ですでに、現在の海の食物網にかなり近かった。5億年以上前の海には、食うものと食われるものを結ぶ、立派な網が張られていたのである。

いちばん直感でつかみにくいのは、体のつくりの違い、形態的な差異度だ。たとえば、一軒の衣料品店では1000種類のシャツを売っている。もう一軒では、商品は全部で10種類しかないが、シャツ、ズボン、靴、帽子、傘が、それぞれ一、二種類ずつあるとしよう。

商品の種類が多いのは、最初の店。品物どうしの違いが大きいのは、後の店だ。同じように、一種ずつの動物に、体の特徴をいくつか選んで点をつけるとしよう。節があるか。付属肢は何対あるか。左右対称か。

すると、それぞれの動物は、多次元空間の中の一点になる。その点々が、どれほど広い範囲に散らばっているか。それが差異度だ。種の数とは別の話である。まるで違う姿の10種なら、広大な空間を占めうる。よく似た1万種では、小さな一角しか占めないかもしれない。

1989年、アメリカのグールドが、バージェス頁岩についての本を出した。『ワンダフル・ライフ』である。題名は、1946年のアメリカ映画『素晴らしき哉、人生!』から借りている。主人公が、自分が一度も生まれなかった世界を見せられる映画だ。グールドは、カンブリア紀の初めに、それ以後ついに到達しなかったほど多様な体のつくりが、一気に現れたと考えた。あの奇妙な動物たちは、それぞれ独立した門を代表しており、その後の歴史は、ただそれを削っていったのだ、と。

生命のビデオテープを巻き戻し、もう一度再生したなら、生き残るのは別の動物たちだろう、とも考えた。この本は、きわめて大きな影響を与えた。コンウェイ・モリスは後に、一冊をかけて反論する。『創造のるつぼ』という本だ。あの動物の大半は、すでに知られた門に収まり、進化をやり直しても、繰り返し似た解決へたどり着くはずだ、と。

バージェスの標本を自分の手で調べた人と、バージェスの物語を全世界に届けた人が、著書を通じて、公然と論争を始めた。コンウェイ・モリスが好んで持ち出すのは、目の例だ。像を結ぶ目は、動物の中で何度も独立に生まれている。タコの目と人間の目は、構造が似ていても、別々にできたものだ。

1992年、ブリッグス、フォーティ、ウィルズは、この問題を定量的に検証した。カンブリア紀と現代の節足動物を、同じ形態分析にかけたのだ。結果は、現代の節足動物が示す差異の幅も、カンブリア紀とおおむね同じ、というものだった。カンブリア紀には、急速な形態の進化があった。しかし、その後は二度と近づけない最大値に達したわけではない。以後、論争は「形態空間をどう計算するか」に移った。どの形質を選ぶか、距離をどう測るかで、結果が変わるのである。

グールドの本は、目立たない小動物で締めくくられる。バージェス頁岩のピカイアだ。長さは数センチ、体は平たく、背には脊索らしい構造が一本ある。当時は、脊索動物を代表する最古級のものの一つと考えられていた。テープを再生し直したとき、ピカイアが生き残らなかったなら、その後の脊椎動物も、私たちもいなかっただろう、と彼は書いた。後に、澄江のミロクンミンギアやハイコウイクチスが、ピカイアより古く、より魚に近いことがわかった。この一文の主役は交代できる。それでも、言っていることは変わらない。

二冊の隔たりは、結局のところ、偶然と必然をめぐる隔たりだ。グールドは偶然を強調する。もう一度やり直せば、結末はまるで違う。コンウェイ・モリスは必然を強調する。生命が進める道は、じつはそれほど多くない。やり直しても、また似た場所へたどり着く。どちらもバージェスの化石から、自分の例を見つけられる。この論争は、今も終わっていない。

あの「奇妙な」動物たちは、後に、一つずつ居場所を得た。アノマロカリスは、節足動物の幹群の一枝である。ハルキゲニアは、カギムシの遠い親戚だ。カギムシは今も、熱帯林の落ち葉や朽ち木の中に暮らす。体は柔らかく、短く太い脚が対になっていくつも並ぶ。狩りをするときには、頭の両側から二筋の粘液を噴き、小さな虫を貼りつけてしまう。オパビニアも、節足動物へ至る幹の系統にいる。以前ほど奇妙に見えなくなったのは、私たちが、彼らを置く場所をもてるようになったからだ。

「今も生きている」という観察の窓から生じる、もう一つの偏りもある。研究者が「過去の押し上げ効果」と呼ぶものだ。2018年、イギリスのバッドとマンは、現在まで生き残った系統は、過去にあったすべての系統から無作為に選ばれた標本ではない、と指摘した。初期に素早く広がり、大きな多様性を築いた系統ほど、現在まで持ちこたえやすいのである。

「現在生きているすべての門」を携えてカンブリア紀を振り返れば、当然、当時いちばんうまく広がった仲間に、視線が集まる。すると、現生の門はどれも、きわめて早く、急速に現れたように見える。特別な生物学的仕組みを持ち出す必要はない。私たちは結果の側から振り返っている。そのことに気づくだけでよい。

一方、反対方向の証拠も、同じように堅い。潜り穴や移動の跡は、しだいに複雑になる。これは、硬い殻の有無とは関係しない。いくつもの大陸で、数千万年のあいだに、互いに独立した鉱物化の仕組みが次々に現れた。

三葉虫も、いくつかの大陸に、ほぼ同時に現れる。約5億1800万年前の複数の軟体保存の化石産地には、すでに、互いに深く分化した多くの分類群が含まれている。この四つは、四種類の異なる記録にまたがっている。

潜り穴、鉱物化した硬い部分、炭素質で残る柔らかな体は、異なる経路で保存される。ただし、岩石の残り方や露出、採集の機会には共通の偏りがある。三つを完全に独立した証拠とはみなせない。それでも、鉱物化だけで、そこに見える複雑化のすべてを説明することはできない。 鉱物化は「初出」を大きく見せられる。だが、それだけでは、生態が複雑になったことを説明できない。

2019年、三葉虫の形態形質を使って、カンブリア紀全体の進化速度を推定した研究は、速度がおおむね安定していたことを示した。三葉虫が大量に現れたころには、体の基本構造の大きな違いを生んだ急速な変化の一巡は、大方すでに起きていた、ということになる。説明すべき「速さ」は、もっと前の、記録がさらに乏しい時期へと押し戻される。

六 なぜ、あのときだったのか

なぜ5億年以上前の、あのときだったのか。いくつもの説明があり、どれも、その一部分を捉えている。

まず、時機を見ておこう。カンブリア紀が始まったとき、最後の全球凍結の氷期が終わってから、まだ1億年もたっていなかった。凍りついた地球が解けた後、海と大気の化学状態は激しく揺れ動く。第九篇で見たエディアカラの生き物は、この雪解け後の時間に現れた。動物の台頭は、地球規模の大変動が次々に起きた、そのすぐ後を追っていたのである。

第一の説明は酸素だ。第四篇で述べたように、酸素の役割は、主張の強さを分けて考えなければならない。いちばん弱い主張は、「可能にする」。現在でも、酸素の少ない海域では、肉食動物の割合がはっきりと下がる。活発に動く大型動物には、十分な酸素が要る。

中ほどの主張は、「カンブリア紀の前後に、ある閾値を越えた」。2015年には、前期カンブリア紀に、酸素のある海底の面積が広がっていたと推定する研究が出た。いちばん強い主張は、「酸素の一時的な増加が、直接、爆発を引き起こした」。証拠が最も弱いのは、ここだ。最新の総合的な推定では、カンブリア紀の酸素は現在の1割から4割ほどだった可能性があり、幅が大きい。動物の側も、海の酸化状態を変えていた。因果の向きは、逆にもなりうる。

捕食の証拠は、化石そのものに刻まれている。アメリカのバブコックは、カンブリア紀の三葉虫を大量に調べ、多くの個体に、治ったかみ傷があることを見つけた。一部をかじり取られた縁が、その後、再び伸びていたのだ。

傷跡のある三葉虫のうち、約7割は、体の右側を傷つけられていた。 捕食者が右からかみつく癖をもっていたのか、三葉虫が左へ逃げる癖をもっていたのかもしれない、と推測する人もいる。澄江やバージェスの糞化石にも、三葉虫の殻のかけらが、しばしば混じっている。

酸素には、もう一つ、目立たない使い道がある。動物の体を支えるのは、コラーゲンというタンパク質だ。皮膚にも靱帯にも骨にも含まれ、その合成の重要な一段階には、分子状の酸素が必要になる。1970年にはすでに、大型動物の体はコラーゲンを足場にして組み上がるのだから、酸素が足りなければ足場を築けない、という考えが提案されていた。

第二の説明は、捕食だ。食べられる側も、手をこまねいてはいない。カンブリア紀の三葉虫の中には、すでに体を腹側へ丸められるものがいた。ダンゴムシのように球になり、柔らかな腹と脚を硬い殻の内側へ隠す。オルドビス紀になると、この技は、きわめてありふれたものになる。

捕食者がいれば、運動能力、感覚、防御、骨格が、どれも役に立つ。そこから軍拡競争が始まる。クラウディナの殻に開いた穴は、すでに境界より下にある。捕食は、とっくに始まっていた。カンブリア紀は、それが激しさを増していく時期だ。イギリスのパーカーは、「明かりがついた」という仮説を提唱した。目が現れたことで、狩り手は初めて遠くの獲物を見られるようになり、獲物の側も、初めて隠れ場所や鎧を必要としたのだ、と。この考えを記したのが、『眼の誕生』という本である。

第三の説明は、海底の変化である。第九篇で見たように、エディアカラ紀の海底は、丈夫な微生物マットに広く覆われていた。泥に穴を掘る動物が増え、安定したマットの表面は、少しずつ、柔らかく、水を含み、かき混ぜられた泥底に変わる。研究者は、これを「農業革命」と呼ぶ。

この革命は段階的に進んだ。見積もりも、まだそろっていない。前期から中期のカンブリア紀の海底では、平均の混合深度は数ミリほどにとどまった、とするモデルがある。一方、前期カンブリア紀には、すでにかなりの混合層があった、と見る研究者もいる。いずれも、現在の海底の5〜10センチという混合深度には遠い。原因も結果も、動物である。動物が穴を掘って海底を変え、変わった海底が、また動物を変えた。

これは、一つの過程がどう加速するかを説明する。始まりがどこから来たかは、別に探さなければならない。また、ここにも勝者と敗者がいる。微生物マットに横たわったまま食べていた動物たち、あのエディアカラ式の暮らしは、わずかな隅へと追いやられた。第七篇では、先カンブリア時代末、とくに約7億〜6億年前にストロマトライトの多様性が大きく低下したことに触れた。10億年前から世界中で一様に減り続けた、という話ではない。カンブリア紀には、多くの海底環境でその居場所がさらに狭まった。

第四の説明は、発生の道具箱だ。1978年、アメリカのカリフォルニア工科大学のルイスが、何十年も研究してきたショウジョウバエの突然変異を発表した。ある変異が起きると、翅が二対になる。本来なら平均棍が生える節が、もう一つの、翅を備えた胸の節に変わってしまうのだ。

この研究で、彼は1995年のノーベル賞を受けた。動物の体の頭から尾まで、何をどう並べるかを制御する遺伝子の一群を、ホメオティック遺伝子という。ショウジョウバエでは、ある突然変異によって、触角のあるはずの場所から脚が生える。

ゲノムを比べると、こうした遺伝子や細胞間のシグナル伝達経路は、カンブリア紀よりはるか前、すでに動物の共通祖先に備わっていたことがわかる。動物より古いものさえある。目も同じだ。

1995年、スイスのバーゼル大学のヴァルター・ゲーリングは、ショウジョウバエを使って、驚くべき実験を行った。目の発生を制御する遺伝子を、脚と翅で働かせると、脚と翅に余分な複眼が生えてきたのである。さらに驚くのは、その遺伝子を、マウスの対応する遺伝子に取り替えても、ショウジョウバエには、やはりショウジョウバエの複眼ができたことだ。

昆虫と哺乳類の目は、まったく違う姿をしている。それでも、その発生を動かすのは、同じ古いスイッチだ。第五篇と第八篇でも、同じ形の出来事に出会った。部品が先にあり、使い方が後で変わる。いつ変わったのかは、ゲノムだけでは答えられない。

カンブリア紀初めの海水には、リンもとくに多かった。雲南省昆明近くの昆陽一帯には、カンブリア紀最初期のリン鉱岩の層がある。中国最大級のリン鉱床の一つで、そのすぐそばに梅樹村がある。あの小型有殻化石も、多くはリン鉱岩の中に保存されていた。栄養が増えれば、海が養える生き物も増える。

第五の説明は、海水の化学だ。第十一篇では、アメリカのグランド・キャニオンにある大不整合を取り上げる。何億年分もの地層が、そこでは一ページも残されていない。2012年、アメリカのピーターズとゲインズは、カンブリア紀初めの大規模な海進によって、長く風化していた大陸を海水が覆い、カルシウム、リン、カリウムなどのイオンが大量に海へ運び込まれたため、殻をつくる費用が一気に下がった、と提案した。化学は、殻をつくりやすくなったことを説明できる。目と脚は説明できない。

最後は、「引き金は一つではない」という総合的な立場だ。最も正しそうである一方、最もたやすく、後づけの一覧表にもなってしまう。合わない観測があれば、要因をもう一つ加えて埋め合わせられるからだ。役に立つ説明にするには、あらかじめ言っておかなければならない。どの要因が、どの出来事より先にあるはずなのか。どんな環境で最も強く働くのか。それがなければ、何が見られないはずなのか。

七 分子時計と化石

ダーウィンは、すでにこれを予言していた。『種の起源』で彼は、自分の理論が正しいなら、カンブリア紀の最下部の地層が堆積する前に、長い長い時間があったはずだと書いた。世界はすでに生き物で満ちており、私たちがまだ、その痕跡を見つけていないだけなのだ、と。それから100年以上たって、分子時計が、この言葉に数字を与えた。

分子時計は、化石で校正しなければならない。信頼できる最古の化石が与えるのは、年代の下限だ。たとえば最古の三葉虫があれば、節足動物とその近縁の仲間は、それより前に、すでに分かれていたことになる。

こうした下限をいくつも系統樹に置き、遺伝子が変化する速さを組み合わせて、初めて、化石のない枝分かれがいつ起きたかを推定できる。分子時計が示す動物の起源は、概して化石より古い。2004年のある研究では、左右相称動物の共通祖先は、約6億5000万〜5億7000万年前に置かれた。

動物の系統樹の、いちばん根元の分岐も、まだ決着していない。長いあいだ、最初に分かれた動物の枝は海綿だと考えられてきた。神経も筋肉もなく、つくりが最も単純だからだ。

ところが、ゲノム解析の中には、根元にクシクラゲを置くものがある。クシクラゲには神経も筋肉もあり、列をなす繊毛で泳ぎながら、水の中で虹色にきらめく。2023年、染色体上の遺伝子の並び順を比較した研究が、再び、クシクラゲが最初に分かれたという結果を支持した。もしそうなら、神経と筋肉は何度か生まれた可能性がある。あるいは、海綿もかつてはもっていて、後に失ったのかもしれない。

カンブリア紀以前にも、確かな左右相称動物はいた。第九篇で見たキンベレラとイリンギアは、5億5000万年余り前に、すでに海底をはって、餌をこそげ取っていた。

分子時計の研究には、動物の冠群の共通祖先について、推定の中心を約7億年余り前に置くものもある。一方、2024年に校正をやり直した研究は、それをエディアカラ紀初期へと新しくした。多くの推定は、カンブリア紀の化石より数千万年から1億年以上古い。それぞれの信頼区間も、しばしば1億年もの幅をもつ。

分子時計自体が、古いほうへ偏る可能性もある。動物の系統が分かれたばかりのころ、体が小さく、世代交代が速ければ、遺伝子の変化も、その後よりはるかに速かったかもしれない。

後の時代の、遅い速度を使ってさかのぼると、分かれた時点を古く見積もりすぎてしまう。系統樹の中で速度が変わることを、どう認め、どう扱うか。分子時計の研究で、最も手間のかかる段階だ。

隔たりの大きさは、どの二つの端点を比べるかによる。6億5000万〜6億年前の分岐を、5億3800万年前の複雑な潜り穴と比べれば、差は6000万〜1億1000万年となる。

5億2100万年前の、はっきり動物とわかる化石と比べるなら、8000万〜1億3000万年だ。「分子時計によれば、動物は化石より1億年早く現れた」。この1億年は、特定の二つの端点のあいだを測った値なのである。

第九篇で述べたように、2024年には華南でも、エディアカラ紀の海綿に似た化石を、海綿動物の冠群に置く研究が出た。カンブリア紀以前には、もっと古い動物を示唆する手がかりもある。貴州省甕安の、約6億年前のリン鉱岩からは、1998年以降、大きさがわずか数分の一ミリの球形化石が大量に見つかっている。中には分裂中の細胞が、二つ、四つ、八つと並ぶ。動物の胚の卵割のように見える。

動物の胚なのかどうかは、20年以上、論争が続いている。別の単細胞生物の休眠体に、むしろ近いと考える人もいる。6億年余り前の岩石から、海綿だけがつくると考えられていた分子化石を見つけた人もいれば、その分子には別の由来がある、と考える人もいる。動物は、おそらくカンブリア紀以前に、すでに存在していた。ただ、小さくて柔らかく、残した跡は少なく、見分けにくかったのだ。

小さな動物は、もともと跡を残しにくい。現在の海底で、何気なくひとすくい泥を採ってみれば、1ミリ以下の動物が、数百、数千と入っていることがよくある。線虫、カイアシ類、ごく小さな環形動物。海底の動物の大半を占めていながら、ほとんど化石にはならない。カンブリア紀以前の動物の大半が、こんな小さなものだったなら、記録にいないことから、多くは言えない。

昔ながらの写真の現像に、少し似ている。フィルムを露光した瞬間、像はすでにある。ただ見えない。現像液に浸して、少しずつ浮かび上がらせなければならない。動物の系統も、ずっと前に「露光」されていたのかもしれない。カンブリア紀は、その像が岩石の中に現れてくる時間だった。

よく用いられる折り合いのつけ方は、こうだ。系統の枝分かれは早く起きたが、当時の動物は小さく、柔らかく、数も少なく、生態の中でも目立たなかった。さらに数千万年が過ぎ、大きさ、骨格、運動能力、個体数がそろって増し、初めて、ふつうの化石記録に入ってきた。分子時計が制約するのは、系統がいつ分かれたか。カンブリア紀が主に記録しているのは、その系統が、いつ見えるようになったかである。

面白い事実が一つある。保存されやすい硬い部分をもつ分類群では、化石はその起源に敏感に反応する。この場合、分子による推定と最古の化石は、比較的よく一致することが多い。

最大の食い違いは、まだ硬い部分のない、幹群の深い段階に集中している。硬い部分のある分類群で、二つの方法の精度そのものが上がったわけではない。そこで化石の側が、より敏感になっているのである。

八 相転移と、覆い隠す言葉

「相転移」は、物理学から借りた言葉だ。水が摂氏0度で氷になる。温度の違いはわずかでも、水分子の並び方は、ばらばらな状態から、一気に整った状態へと変わる。臨界点を越えた後に起きる、この突然の状態の変化を、物理学者は相転移と呼ぶ。魅力的な比喩だ。カンブリア紀もまた、地球の生命が、ある臨界点を越えたときのように見える。

このシリーズでも、ある種の瞬間を描くのに、何度かこの言葉を使ってきた。相転移。「カンブリア紀は一度の相転移だった」と言うと、何かを説明したように聞こえる。ここでは、できるだけ狭く定義してみよう。そのうえで、カンブリア紀が、その定義に当てはまるかを考える。

このシリーズでいう相転移は、選択の単位が変わる瞬間を指す。もとは別々に複製でき、それぞれが適応度を担っていた単位が、ひとまとまりとして繁殖する、新しい上位の階層に組み込まれる。そして下位の単位は、その独立性を、仕組みとして失っていく。この定義には、「大きい」「速い」「重要だ」といった言葉は入っていない。問うのは、ただ一つ。誰が選択されているのか。

第五篇のミトコンドリアは、その一例だ。自由に暮らしていた細菌が、別の細胞に取り込まれ、独立して生きる能力を失う。以後、その合体したものが一つの全体として複製され、選択される。第八篇の多細胞化も、そうだ。細胞はそれぞれ別々でいるのをやめ、一緒に繁殖する体をつくる。最も広く数えれば、この出来事は45回起きた。この判定基準が拾うのは、「途方もない大事件」ではない。特定の構造変化である。その変化は、かなりありふれたものでもかまわない。

シリーズの先では、もう一つの候補に出会う。第十六篇の真社会性だ。アリやミツバチの集団では、大半の個体が繁殖を手放し、巣の全体が、一つの体のように選択される。

この考え方は、1995年、イギリスのメイナード・スミスとハンガリーのサトマーリが共著で出した本、『進化する階層』に由来する。メイナード・スミスは、第六篇に登場した、もとは飛行機を設計していた生物学者だ。二人は生命史の重大な転換を挙げた。分子が膜に包まれ、一つの複製システムに入ること。原核細胞から真核細胞へ、無性から有性へ、単細胞から多細胞へ、単独生活から分業する社会集団へ。そして、人間の言語。

二人の一覧は、ここでの判定基準より広い。情報の伝え方の変化も含めていた。カンブリア紀の動物の放散は、その一覧に入っていない。

判定基準は、確かめられる三つの問いに分けられる。もとは別々に繁殖していた単位が、独立して繁殖する力を失ったか。適応度をひとまとまりとして担う、新しい繁殖主体が現れたか。下位の単位どうしの対立が、何らかの仕組みによって、系統的に抑え込まれたか。三つとも成り立って、初めて、階層が切り替わったと呼ぶ。

第十二篇と第十四篇でも、同じ物差しで、陸への進出とペルム紀末の大絶滅を測る。カンブリア紀を当てはめてみると、この三つは、どれも成り立たない。

多細胞動物は、カンブリア紀以前に、すでにいた。カンブリア紀に記録された変化は、骨格、付属肢、目、大きくなった体、捕食、潜り穴。どれも、すでにあった動物の個体という階層の内側で起きた。食物網と生態系は複雑になり、異なる動物どうしの運命は、ますます互いに依存するようになる。それでも、生態系全体が、一つにまとまって繁殖するものになったわけではない。

カンブリア紀の後にも、大きな放散が起きた。約4億8000万〜4億5000万年前のオルドビス紀には、海の動物の属数が何倍にもなった。腕足動物、コケムシ、サンゴ、オウムガイの仲間などが、次々に分化したのである。研究者はこれを、オルドビス紀生物大放散と呼ぶ。

多様性の増え方は、カンブリア紀より大きい。それでも、これを「爆発」と呼ぶ人は少ない。どこにラベルが貼られるかは、ある程度、どの時期が先に見つかり、先に物語として語られたかによっている。

逆に、本当に階層が切り替わった瞬間は、しばしば静かだ。第八篇で見たように、細胞が集まって体になる出来事は、45回ほど起きた。大半は、目立たない糸状のものや塊しか残さず、化石では見分けにくい。壮観な出来事かどうかと、階層が変わったかどうかは、別の問いである。

変わったのは、別の三つだ。すでに存在する動物個体の体の組み立てに、より多くの違いが生まれた。動物どうしの生態的な関係が、ますます複雑になった。化石記録での見えやすさが、急に高まった。別の物差し、たとえば生態の複雑さを基準にすれば、カンブリア紀は、きわめて上位に来るだろう。

この言葉には二つの使い方があり、取り替えることはできない。 「相転移」が、互いに結びついた多くの変数が閾値を越え、全体の状態が急速に変わることを指すだけなら、カンブリア紀をそう描くことに、何の問題もない。「相転移」に選択単位の転換を求めるなら、カンブリア紀には、今のところ、その証拠がない。

患者について「体質が変わった」と言うのに、少し似ている。診断のように聞こえるが、症状を別の言葉で言い直しただけだ。いったいどの臓器に問題があるのかには、まだ答えていない。

前の意味を、いつの間にか後の意味にすり替えると、この言葉は説明から、覆い隠すものに変わる。「これは相転移だ」と口にした途端、問いに答えたような気になる。だが、どの問いに答えたのか。選択の単位が変わったのか。いくつかの変数が、一緒に速く動くようになったのか。それとも、この時期だけ、私たちのレンズが急に明るくなったのか。

同じ危うさは、ほかの大きな言葉にも潜んでいる。ある出来事を「革命」「爆発」「飛躍」と呼ぶと、それだけで、何かを説明したような気がしやすい。大きな言葉が多くをまとめられるほど、それが具体的に、どの変数を指すのかを問わなければならない。

このシリーズでいう「構」は、突き詰めれば、一本の線を引くことだ。線の内側は数に入れ、外側は入れない。その線は、一組の判定基準のように、人が引いたものでもよい。一枚の膜のように、自然が引いたものでもよい。この篇の構は、「カンブリア爆発」というラベルが引いた線である。線の内側には、見えた爆発がある。

構に収まりきらず、それでいて消し去れない部分を、このシリーズでは「余項」と呼ぶ。この篇の余項は、きれいに切り分けられない部分だ。カンブリア紀に見える多様性のうち、どれだけが実際の進化放散に由来するのか。どれだけが、骨格化によって、ふつうの岩層が化石を受け入れるようになったためなのか。どれだけが、軟らかな体の保存の窓が世界的に開いていた、一時期のおかげなのか。どれだけが、海成堆積岩が5倍に増えたためなのか。いくつもの保存の仕組みは、柔らかな体、硬い部分、微小な体、潜り穴に、まるで違う働き方をする。共通の分母はない。

これらを重ねると、カンブリア紀の姿は、およそこうなる。動物は、それより早い時期に、すでにひそかに、いくつもの枝へ分かれていた。小さく、柔らかな体だった。数千万年のあいだに、多くの系統がそれぞれ殻や骨片を身につけ、目をもち、つかんだり走ったりできる付属肢を備える。泥には、ますます複雑な穴が掘られ、捕食者が追い、獲物が逃げる。その応酬が続く。

同じころ、海水が大陸を覆い、化石を残せる岩石は何倍にも増えた。柔らかな体まで、形をよくとどめたまま泥に押し込められる、めったにない時間もあった。実際に起きた変化と、見えるようになった変化が、同じ時期に重なり、一緒になって、あの「爆発」をつくり出した。

あの釘は、今もフォーチュン・ヘッドに打たれている。3メートル余り下には、釘が本来、その始まりを示すはずだった虫の通り道が横たわる。その通り道自体について、信頼できる最古の年代を取ると、近年の再検討によれば、その通り道が目印になっている境界より、500万年か600万年も若いのかもしれない。判定の基準は、今も選り分けている。釘は、まだ打ち直されていない。

関連研究・確認に用いた資料