一 計算すれば、負けるはずだとわかる
1971年、イギリスの生物学者メイナード・スミスが、ごく簡単な計算をした。若いころは飛行機を設計する技師で、生物学に転じたのは三十歳近くになってからという人だ。その計算が出した答えは、有性生殖は負けるはずだ、というものだった。設定はこうだ。
ある個体群では雌雄が分かれていて、相手を選ぶことなく交配し、雌と雄はほぼ半数ずついる。そこに突然変異によって、交配しなくても自分だけで子をつくれる雌が一匹現れたとする。ただし、それ以外はほかの雌と何も変わらない。産む子の数も、生存率も、食べるものも同じだ。
有性生殖をする雌が二匹の子を産むと、平均すれば娘が一匹、息子が一匹になる。無性生殖をする雌が産むのは、二匹とも娘だ。次の番が来たとき、そのまま子を産める雌は、無性型には二匹、有性型には一匹しかいない。二倍。一世代だけで、これだけ差がつく。
しかも、その差には複利がつく。第三世代で四対一、第四世代で八対一。二十世代たてば、およそ百万対一になる。この調子で積み上がるなら、有性生殖はわずかな世代のうちに、すっかり押し出されるはずだ。ところが、淘汰されなかった。これが今回の問いである。後に、いっそこれを「進化生物学の難問の女王」と呼んだ研究者もいる。
いや、「淘汰されなかった」では、まだ控えめすぎる。真核生物の圧倒的多数は、何らかの形で有性生殖をしている。動物も、植物も、菌類も、原生生物の大半もそうだ。計算上は跡形もなく押し出されるはずのものが、生命のこの広大な一角では、ごく普通の営みになった。
この二倍がどこから来るのかは、よく見ておく必要がある。いちばん直接の原因は、「子を産まない雄を産むこと」だ。有性生殖をする雌は、繁殖に使う資源のおよそ半分を息子に回すが、息子は自分では子を産まない。無性生殖をする雌は、そのすべてを娘に回す。
だから、より正確には「雄を産むための勘定」と呼ぶべきものだ。雌雄の分かれていない生物では、「子の半分が子を産めない」という事態は起こらないから、この二倍も自動的には生じない。法則というわけでもない。雌雄の比率が変わったり、雄が子育てを手伝ったりすれば、数字は変わる。
この勘定を、自然界の生物で直接測った例がある。ニュージーランドの湖には、大きさ数ミリほどの淡水の巻貝がいる。同じ湖に、交配が必要なものと、必要でないものが暮らしていて、同じものを食べ、同じ天敵から逃れている。
2017年、研究者たちはこの貝を大きな屋外水槽で飼育し、一年後、親の世代と子の世代で無性型の割合を比べた。無性型の増え方は、二倍のモデルと一致した。ほかの生物だと、二つの型は別々の場所に暮らしていることが多く、比べる際に生態の違いまで入り込んでしまう。
この貝が貴重なのは、両方が同じ水の中にひしめいているからだ。やがて船に乗ってヨーロッパや北米へも渡ったが、そこで大繁殖して問題になっているのは、すべて交配のいらないほうである。
性には、この二倍のほかにも支払いがある。組換えは、せっかくできあがった組合せを崩してしまう。いくつかの遺伝子がそろうと抜群の効果を発揮するのに、組換えがそれをばらばらにしてしまうのだ。
もっとも逆に、よい遺伝子と悪い遺伝子がひとまとめになっているときには、組換えによって両者を切り離せる。相手探しには時間がかかり、危険も伴う。交配しているあいだは餌を探せず、捕食もされやすい。交配だけでうつる病気もある。雄同士の競争もある。クジャクの尾、シカの角、求愛の歌。どれも交配のために費やす力だ。
もう一つの勘定は、私たち自身の体に記されている。精子や卵子をつくるときの特別な分裂、減数分裂は、染色体をいつも正しく振り分けられるわけではない。
人で確認された妊娠のうち、およそ一〜二割は流産に終わる。最初の三か月に流産した胚の約半数は染色体の数が正しくなく、その大半は卵子がつくられる段階で生じる。
女性が四十歳を超えると、染色体に誤りのある卵子の割合は、およそ半数にまで上がる。原因の一つは、女性の卵子が胎児のころに減数分裂を始め、途中で止まってしまうことだ。止まったまま数十年が過ぎ、排卵の直前になってようやく分裂を再開する。
染色体をつなぎ留めていたタンパク質の輪が、その数十年のあいだに少しずつ緩んでしまう。ダウン症候群では、二十一番染色体が一本多い。その大半も、卵子がつくられる段階で起こる。これらを足し合わせれば、有性生殖の支払いは、あの二倍だけでは済まない。
二 そもそも性とは何か
なぜ淘汰されなかったのかを考える前に、何について話しているのかをはっきりさせなくてはならない。まず分けておくべきことがある。性と繁殖は、同じことではない。
繁殖は数の問題だ。一つが二つになる。性は遺伝の問題だ。由来の異なる遺伝物質が、一つの生活環の中に入り、混じり合う。
二つは別々にも起こるし、一緒にも起こる。動物の生活環では一緒になっているため、一つのことに見えている。
そのいちばん明快な反例が、繊毛虫の接合だ。中学校の教科書にも出てくるゾウリムシが、これをする。二つの細胞が寄り添い、遺伝物質の一部を交換してから、離れる。
この一度の性の出来事によって、二つの細胞が四つになるわけではない。数が増えるのは、その後の普通の分裂によってだ。逆に、分裂、出芽、栄養繁殖なら、遺伝的な交換をまったく伴わずに個体数を大きく増やせる。「性が起きた」からといって、「その段階で繁殖が起きた」とは言えない。逆も同じだ。
分けておくべきことの二つ目。真核生物の性と、細菌の遺伝子交換は、同じ一連の過程ではない。この点を説明するには、まず減数分裂が何をしているのかを見なくてはならない。
あなたの体細胞では、一つ一つの細胞の中で染色体が対になっている。一本は父親から、もう一本は母親から来たものだ。同じ一組の遺伝子が両方に並んでいるが、その型は違っているかもしれない。一方、配子、つまり精子や卵子に入るのは一組だけでなくてはならない。そうでないと、染色体の数は世代ごとに倍になってしまう。
だから配子をつくる際には、対になった染色体を分け、それぞれに一本ずつだけ渡す必要がある。これが減数分裂だ。ただ「分ける」という言葉から想像するより、はるかに入り組んでいる。要は、その途中にある。
分ける前に、細胞はまず、自分から染色体に切れ目を入れる。父母から来た二本の相同染色体は、その修復を手がかりに互いを見つけ、対をつくって寄り添い、相手を鋳型にして切れ目を埋める。その結果、切れ目のところで二本の一部分が入れ替わる。この段階を、交叉という。
これは、文字どおり物理的な切り貼りだ。顕微鏡をのぞくと、対になった染色体のあいだに交差する点が見える。1909年、ベルギーのある細胞学者が、この交差点こそ二本の染色体が断片を交換する場所ではないかと、初めて提案した。
つまり、あなたが子に渡す染色体は、父からもらったそのままの一本でも、母からもらったそのままの一本でもない。二本を切ってつなぎ直した、新しい一本なのだ。
人には二十三対の染色体がある。それぞれの対から無作為に一本ずつを配子に入れるだけで、一人の人間から八百万通りを超える組合せがつくれる。そこに交換まで加わるから、まったく同じ配子が二つできることは、ほぼない。あなたときょうだいの見た目が違うのも、その理由の大半はこの段階にある。そして、この段階は細胞が自分から起こしている。事故ではない。
細胞は、そのための酵素を一群つくり、自分の染色体に切れ目を入れ、相同なもう一本を鋳型にして修復する。直す途中で、交換が起こる。言い換えれば、混ぜるために、細胞は自分のDNAをわざわざ切っているのだ。
その後、細胞は続けて二回分裂する。そのあいだにDNAは複製しない。最初に離れるのは、対をつくっていた相同染色体で、二回目になってようやく姉妹染色分体が離れる。
こうして一つの母細胞から、染色体を一組ずつ持つ四つの配子ができる。男性では、この四つすべてが精子になる。精原細胞が分裂を始めてから精子ができるまでには二か月余りかかり、毎日つくられる精子は億単位に上る。
女性では、四つに分けたうちの一つだけが卵子になり、残りは小さな「極体」として捨てられる。一生に排卵する卵子は、四百個ほどしかない。最後に二つの配子が融合し、染色体は再び対に戻る。
対をつくるところで相手が合わなければ、手順全体が止まってしまう。ウマの染色体は三十二対、ロバは三十一対だ。両者の交雑で生まれるラバは頑丈だが、ほとんど繁殖できない。減数分裂になると、染色体が対になれる相手を見つけられないからだ。種なしスイカも、同じ理屈である。染色体を三組持っているため、減数分裂で二つずつ対をつくれず、正常な種ができない。
ここでまとめたのは、よく見られる減数分裂型の性周期だ。対をつくる。切って交換する。半分にする。融合する。どの段階も誤りうるし、専用の装置を必要とする。ただし、どの系統もこの一覧をそのままたどるわけではない。たとえばキイロショウジョウバエの雄の減数分裂では、通常、交差による組換えが起こらない。
細菌は、この道をまったく通らない。水の中からDNAの断片を直接拾うことも、管を通して受け取ることも、ウイルスに運んでもらうこともできる。第二篇で述べた、三つの経路だ。
だが、そのどれにも「対をつくる、半分にする、融合する」という循環は要らず、生活環の決まった場所に組み込まれているわけでもない。しかも非対称だ。片方が渡し、片方がもらう。細菌の交換は、「役に立つものを一切れ拾って取り付ける」に近い。真核生物の性は、「毎世代、自分と相手のカードを一緒にして、もう一度切る」なのだ。
だから、最も広い定義を採って、性とは遺伝的な交換のことだとするなら、細菌も含められる。ただし、この篇で仕組みを問うときには、減数分裂を伴う性に話を限らなくてはならない。
三つ目。減数分裂は、普通の細胞分裂に大がかりな改造を施したものだ。
肝心の改造は、少なくとも三組ある。最初の分裂で離すのは姉妹染色分体ではなく、対になった相同染色体。一回の複製に、二回の分裂が続く。そして、姉妹染色分体を結び付ける接着は、一度には全部ほどかない。腕の部分を先に、セントロメアの近くを後にほどく。だからこそ、最初の分裂では相同染色体を離しながら、姉妹染色分体はまだ一緒にしておける。
この三組の改造は、かみ合っている。どこか一つを取り去れば、残りも成り立たない。「減数分裂は普通の分裂を改造して生まれた」というのは、今ある仕組みからさかのぼって推し量ったことだ。その歴史を見た者はいない。
三 部品は、もっと古いところから来た
ある生物が減数分裂をするかどうか。今では、調べる方法が一つある。あの専用の部品一式を持っているか、確かめるのだ。
よく調べられる部品には、対をつくる前に自ら切れ目を入れる酵素がある。主に減数分裂で働く、DNAの鎖を交換するタンパク質がある。染色体の軸でチェックを担うタンパク質もある。
相同染色体どうしの交換を促す、対合のためのタンパク質。そして、二本の相同染色体をファスナーのように並べて留める、一組の構造タンパク質もある。
この一斉調査が最初に変えたのは、性の理解そのものではなかった。「どの生物群が、本当に無性なのか」という問いのほうだった。それまでは、微生物に性があるかどうかを、顕微鏡の下で交配する姿が見えるかどうかで判断していた。ところが、多くの微生物では性の段階がごく短い。必要な条件が厳しい。あるいは、その条件を実験室でうまくそろえた人が、まだ誰もいない。
2005年、当時利用できたゲノムを横断して調べる研究が行われた。とりわけ詳しく調べられたのは、長く「原始的な無性生物」とされてきたジアルジアだ。汚れた水を飲んでお腹を壊すとき、よく犯人になる生物の一つである。その中から、減数分裂の中核を担う遺伝子がいくつも見つかった。
2008年には、調べる道具箱の中身を増やし、当時まだ広く認められた有性周期のなかった、ほかのいくつかの生物群にも調査が及んだ。ここでも、かなりそろった一式が見つかった。
いちばんなじみ深い例は酵母だ。暮らし向きがよければ、一つが二つになって増えていく。飢えて初めて減数分裂をし、小さな袋の中に四つの胞子をつくる。
こうして、少なくとも一部の「無性の真核生物」は、「性の段階はまだ観察されていないが、ゲノムの中に減数分裂の装置を残す真核生物」になった。ただし、この推論を逆向きには使えない。専用の遺伝子が複数見つかれば、かつて、あるいは今も減数分裂があることの強い手がかりになる。ある遺伝子が見つからないことは、無性であるという強い証拠にはならない。
これは、第十一篇で取り上げる原則と同じだ。ないことを示す証拠の強さは、「もしそれがあったなら、こちらはどれほどの確率で見つけられたはずか」による。原形をとどめないほど変わってしまったかもしれない遺伝子では、その確率が低い。
遺伝子は失われることもあれば、見分けがつかないほど変わることもある。別々の系統が、相同でないタンパク質を使って、似た構造上の役割を果たす場合もある。こうしたことを踏まえて推定される祖先の姿は、真核生物の最終共通祖先には、減数分裂の装置一式があった、というものだ。
理由は、「ある一つの遺伝子が古いから」ではない。働きが互いにかみ合う部品がいくつも、遠く隔たった系統に分布しているからだ。しかもそれらは、切れ目をつくる、組み換える、対をつくる、交換する、つなぎ留めるという、異なる段階にまたがっている。
大きな系統の一つ一つが、それぞれ独立に同じ組合せを組み立てたと考えるには、「共通祖先がすでに持っていて、その後、各系統で失われた」と考えるよりも、多くの独立した起源を仮定しなくてはならない。そして、もう一段さかのぼると、部品そのものは減数分裂より古い。
いちばんはっきりした例は、鎖交換酵素だ。細菌はすでにそれを持ち、古細菌にも相同なものがある。真核生物で普段の修復に使われる酵素も、主に減数分裂で使われる酵素も、このさらに古い一族に属している。
二つ目の例は、もっと面白い。1997年の実験で、減数分裂の切れ目をつくる酵素が、共有結合を介して切断そのものに関わることが確かめられた。さらに構造を比べると、古細菌にある、ある種のトポイソメラーゼとのつながりが見えてきた。DNAを切り、つなぎ直すことで、絡まりをほどくための酵素だ。
もともと「切ってつなぎ直す」という保守の仕組みに属していたタンパク質の一族が、減数分裂では、あえて切れ目をつくる仕事を引き受けた。だから、「減数分裂の組換えは、古いDNAの保守機構を組み直してできた」という見方には、相同性に基づくかなり強い証拠がある。
だが、「DNAの修復こそ、減数分裂が初めて現れた唯一の、あるいは第一の理由だ」というのは、別の段階の主張になる。相同性だけでは証明できない。現代の減数分裂は、それどころか、大量の切れ目を自らつくってから、修復装置を動員して処理している。もう一か所、その遠い起源が組換え酵素よりずっと見えにくい部分もある。
二本の相同染色体を並べて留める、あの構造だ。電子顕微鏡で見た全体の姿は、両側に軸があり、中央に領域があり、そのあいだを糸が横切っている。遠く隔たった真核生物どうしでも、驚くほどよく似ている。
ところが、その構造をつくるタンパク質の配列には、相同性の手がかりがごく弱くしか残っていないことが多い。従来の配列比較では、つながりがまったく見えないものもある。2021年の線虫の研究は、進化があまりに速いため、配列よりも構造と機能のほうが、はるかによく保たれていると指摘した。2025年のショウジョウバエを使った比較でも、同じ結果が得られた。
つまり、構造の原理は古い。けれども、それを組み立てる個々のタンパク質の多くは、遠い起源が今もはっきりしない。
ここには、もう一つ非対称な点がある。道具箱の部品は、どれも同じように判定に使えるわけではない。切れ目をつくる酵素と、専用の鎖交換酵素は、いちばん使いやすい。ほぼ減数分裂にしか現れないからだ。二本を並べて留める構造は、ちょうど逆になる。姿はきわめてよく保たれるのに、配列はきわめて速く変わってしまう。
同じ装置の中にも、はるかな過去をたどる目印に向く部品と、まったく向かない部品があるということだ。同じ装置の部品でも、時間の中に残した跡の読み取りやすさには、何桁もの開きがある。
だから、生物群をまたいで一斉調査をするなら、自分がどちらの部品を使っているのか、知らなくてはならない。取り違えたときに得られるのは、「見つからなかった」という結果であって、「存在しない」という答えではない。
四 いくつもある説明、どれも足りない
では、なぜ淘汰されなかったのか。現在ある説明は、五つとも六つとも数えられる。本当の食い違いは、それぞれの説明を支えるパラメータの条件にある。
一つ目は、ラチェット。一方向にしか回らない機械の仕掛けから来た名だ。1964年にマラーが提案し、1978年にヘイグが定量化した。肝は、「世代が進むたび、必ず悪くなる」ということではない。
こういうことだ。ある個体群を思い浮かべてほしい。一匹一匹が、それぞれいくつかの有害な突然変異を持っている。少ないものも、多いものもいる。変異のいちばん少ない階級は、たいてい頭数が多くない。ある世代で、たまたまその「いちばんきれいな」個体が一匹も子を残せなかったら、その階級はなくなってしまう。
組換えがなければ、それはもう戻ってこない。よりきれいな個体をつくり直すには、すでにある突然変異を取り除かなくてはならず、それが消える確率はきわめて低いからだ。こうして、最も軽い負荷が、一段、また一段と重くなる。ラチェットのように、一方向にしか回らない。
たとえるなら、一冊の本を大勢で書き写しているのに、誰もほかの人の写しと照らし合わせてはならないようなものだ。いちばん誤りの少ない一冊が失われたら、もう取り戻せない。組換えなら、その歯車を戻せる。三つずつの突然変異を持つ二個体から、組換えによって、変異を一つしか持たない子ができるかもしれない。
必要なパラメータの条件は、かなり具体的だ。ラチェットの回る速さは、有効集団サイズ、有害な突然変異が起こる率、一つ一つの変異の効果の大きさに強く左右される。個体群が非常に大きい場合、変異率が非常に低い場合、あるいは淘汰が非常に強い場合には、回転をきわめて遅く抑えられる。
この説明で答えられないのは、大きな個体群の多くでも、なぜ性が頻繁に起こるのかという問いだ。そして、ときどきでなく、なぜ毎世代なのか。たまに組換えをするだけで負荷の低い個体をつくり直せるのなら、頻繁な性には、なお別の説明が要る。
実測による裏付けは、まだ半分までだ。有害な突然変異が絶えず生じることは確かである。本当に難しいのは、自然界のある系統について、有効集団サイズ、有害な突然変異率の全体、変異の効果の分布を、すべて独立に測り、その値から実際のラチェットの速さを予測することだ。
二つ目は、突然変異の重なり合い。
コンドラショフが1982年と1988年に発展させたモデルは、ラチェットとは違う。ある特殊な条件を必要とする。複数の有害な突然変異が重なったとき、損傷の合計が、単純に足したものより大きくなるという条件だ。一つなら損失は一点、二つなら二点では済まず、五つなら、そのままおしまいになるかもしれない。
そうだとすると、組換えは、一部に「とりわけ負荷の高い」子をつくる。その子たちが一度に淘汰される一方で、負荷のとりわけ低い子たちが残る。散らばった重荷を一か所に集め、まとめて片付けるようなものだ。ただし、必要な条件は厳しい。損傷は、足し算を超える勢いで重ならなくてはならない。
五つの変異による損失が、一つの変異のちょうど五倍にしかならないなら、この仕組みはまったく働かない。組換えをしても、同じ重荷の分け方が変わるだけで、総量は変わらないからだ。
1988年の論文が強調したのは、一世代に一ゲノム当たりで生じる有害な突然変異の数がおよそ一以上なら、この仕組みは十分に強い選択上の差を生み出せる、ということだった。そして、このパラメータの条件こそが、モデルをめぐる最大の争点になった。
1997年、線虫で突然変異を蓄積させる実験から得られた、一倍体ゲノム当たりの有害な突然変異率は、およそ0.0026だった。「一以上」より、はるかに低い。その後、種や方法を変えて求められた値には、一を大幅に下回るものから、一に近いもの、一を上回るものまである。
さらに重要なのは、「重ねると、足し算を超える」という関係が、普遍的だとは証明されていないことだ。実験が違えば、足し算を超える結果も、下回る結果も、ちょうど足し算になる結果も出てくる。
三つ目は、連鎖による干渉だ。これは、いちばん絵にしやすい。ある個体群に、二つの有利な突然変異が現れたとする。変異Aは個体Aに、変異Bは個体Bに生じた。
組換えがなければ、AとBは競い合うしかなく、最後には片方が勝つ。もう片方の有利な変異は、失われる。Bがよくないから失われるのではない。生まれついた個体が悪かったのだ。組換えがあれば、AとBが交配して、両方の変異を持つ子をつくれる。
この考えを、それぞれ1930年にフィッシャーが、1932年にマラーが提案した。1966年にはヒルとロバートソンが、連鎖した遺伝子座どうしの干渉へと一般化した。この仕組みが最も力を発揮するのは、複数の有利な突然変異が同時に存在できるほど、個体群が大きい場合である。
実測の裏付けは、実験進化から得られている。2002年の緑藻の実験では、組換えによって選択への応答がよりはっきり強まるのは、大きな実験集団のほうで、小さな集団では効果が弱かった。酵母の実験で観察された、組換えの重要な働きの一つは、二つのよい変異を足すことではなく、よい変異を、それに便乗する悪い変異の背景から引き離すことだった。
四つ目は、赤の女王。
名は『鏡の国のアリス』に出てくる赤の女王の言葉に由来する。「同じ場所にいるだけでも、全力で走らなければならない」。仕組みの核心は、漠然と「環境が変わる」という話ではない。こういうことだ。寄生生物が宿主に感染するには、通常、まず宿主を「見分ける」必要がある。そして、どの宿主の遺伝子型を見分けるのが得意かは、寄生生物によって違う。
そこで、ある宿主の遺伝子型がありふれたものになると、寄生生物の集団でも、それにうまく感染できる型が増える。結果として、ありふれた遺伝子型ほど割を食う。珍しい型は、一時的に有利になる。その珍しい型が増えてありふれると、寄生生物がまた追いついてくる。
だから、「これが最適」という遺伝子型が一つに定まることはない。人の遺伝子の中でも、ことに変異の多い一群が、ちょうど免疫系による病原体の識別を助ける遺伝子であることも、これで説明できるかもしれない。
有性生殖は毎世代、組合せを崩して新しくするから、まさに新しい希少な型を生み出す。赤の女王が求めるのは、「もっとよくなること」ではない。「前の世代とは違うものになること」だ。
ここが、それまでの三つの説明と根本的に違う。前三者が気にするのは突然変異のよしあしだが、この説明で問題になるのは、組合せが新しいか古いかだけである。モデルが必要とする条件には、宿主と寄生生物のあいだに遺伝子型の水準で対応関係があること、寄生生物の殺傷力が十分に強いこと、互いを追う変化が十分に速いことなどがある。
ただ「寄生生物がいる」だけでは、赤の女王の条件を満たしたことにはならない。 この説明を調べる自然界の系で、最も重要なのは、やはりあのニュージーランドの淡水の巻貝だ。
もとの生息地では、有性個体と無性個体が、同じ湖、ときには同じひと続きの岸辺で共存している。有性個体の割合は、ほぼゼロからほぼすべてまで幅がある。重要な寄生生物の一つが、吸虫である。
この幅そのものが、実験の条件になる。同じ種、同じ水域でありながら、有性個体の割合にこれほど差があるのだ。
1998年、五年間にわたる追跡から、ありふれた宿主クローンに対する寄生生物の応答には、時間の遅れがあることが示された。また、実験的に感染させると、過去数年間ずっと珍しかった宿主クローンのほうが、かつてありふれていたクローンより、地元の寄生生物に感染しにくかった。これは希少な型の優位を示す証拠だ。単に「有性個体の多いところには寄生生物も多い」という話ではない。
2009年の後続研究では、二つの生息環境で、当初最も多かった無性クローンが、およそ七〜十年のあいだに、もとは珍しかったクローンに置き換わる一方、有性型は存続したと報告された。時間がたつにつれ、かつて多かったクローンは地元の寄生生物に感染しやすくなったが、よその寄生生物に対しては、同じ変化を示さなかった。
留保もまた具体的だ。野外の相関からは、水深、宿主の密度、それまでの来歴、そのほかの生態上の違いを完全に切り離すのが難しい。そこで、実験室に持ち込んだ人たちがいた。
2011年のある実験では、宿主に線虫、病原体に毒性の強い細菌を使った。この系では、繁殖の仕方を人為的に三つに分けられる。自家受精しかできない集団、自家受精と他個体との交配を併用する野生型、他個体との交配しかできない集団だ。鍵は、病原体について設けた三つの処理にあった。
一つ目は、病原体を加えない対照。二つ目は、毎世代、同じ固定された病原体の株にさらす処理。三つ目は、共進化させる処理だ。感染して死んだ線虫の体から細菌を回収し、次の世代への感染に使うことで、病原体も宿主とともに変わっていくようにした。宿主で約三十世代にわたって続けると、結果はくっきり分かれた。
共進化させた処理では、自家受精しかできない集団が、すべて二十世代以内に絶滅した。病原体を加えない処理と、固定した病原体を使う処理では、同じことは起きなかった。
他個体との交配しかできない集団は、存続した。野生型では、もともと他個体と交配する割合は二〜三割ほどだった。それが病原体にさらされると、最初の八世代で、一気に七割を超えた。
いちばん大切なのは、その後の比較だ。病原体を固定した処理では、他個体と交配する割合はやがて下がった。病原体も一緒に進化する処理でだけ、その高い割合が実験の終わりまで維持された。これによって、「病原体による圧力のせいで、単に交配が増えただけだ」という、重要な別解釈を退けられた。
固定した病原体も圧力をかけていた。それでも、他個体と交配する割合は長く高いままにはならなかった。モデルの予測どおりの結果を生んだのは、変わり続ける病原体の集団だけだった。 この篇で取り上げる材料の中では、直接の因果検証に最も近い。
相関を眺めたのではなく、変数が一つだけ違う対照を置いたからだ。同じ圧力でも、片方は変わり、片方は変わらない。ただし、どこまで言えるのかも明記しておく必要がある。期間は数十世代にすぎない。宿主と病原体の組合せは、人が設定したものだ。
これらを合わせて見ると、現代の総説でよく採られる立場は、あらゆる生物に通用する一つの答えを探す、というものではない。小さな個体群では、ラチェットの影響が強いかもしれない。大きく、速く適応する集団では、連鎖による干渉の影響が強いかもしれない。寄生の圧力が強い系では、赤の女王の動態が現れるかもしれない。
現在の理論には、パラメータの領域が違えば、それぞれ無性の優位を相殺できる仕組みがいくつもある。ただ一つで、あらゆる真核生物の系統が減数分裂を伴う性を保つ理由になると証明された仕組みは、まだない。そして、これらの説明をめぐる争いの実質は、仕組み自体ではなく、パラメータにある。
ラチェットが回ることを疑う人はいない。組換えで連鎖を解けることを疑う人もいない。争われているのは、現実の個体群で、その効果が十分な大きさに達するかどうかだ。
それに答えるには、有効集団サイズ、突然変異率の全体、効果の分布、寄生の圧力を、それぞれ独立に測る必要がある。これらを一つの自然の系で、同時に正確に測れた例は、今もほとんどない。
五 無性生殖は消えたことがない
無性生殖は、ずっとあった。しかも、すぐそばにある。道端のタンポポには、受精せずに種をつくるものが多い。種は親株のクローンで、一株一株がほとんど同じになる。アブラムシは夏になると、雌が交配せずに、次々と雌を産む。生まれたばかりの娘の腹には、すでに孫娘が宿っていることも多い。秋になって初めて雄を産み、交配して、冬を越す卵を残す。一年のうちに、無性と有性が入れ替わる。
動物園でも見つかっている。2006年、イギリスの二つの動物園で、雄から隔離されていたコモドオオトカゲが、孵化できる卵を産んだ。
孵った子は、すべて雄だった。このトカゲの性は性染色体で決まり、雌が交配せずに産む子は、雄にしかなれない。2001年には、アメリカのある動物園の水族館で、雄のサメと一度も接触したことのない雌のシュモクザメが、一匹の子ザメを産んでいる。
2021年には、飼育下で繁殖させていたカリフォルニアコンドルに、母鳥が交配せずにもうけたひなが二羽いることがわかった。そばには雄鳥もいたのに、である。南米には、キノコを育てるアリの一種がいる。大半の個体群では雄アリが一匹も見つからず、女王アリはもっぱらクローンで命をつないでいる。雄がいるのは、ブラジルのアマゾン流域の、ごく一部の個体群だけだ。
ほとんど人の目の前で生まれたといってよい、無性の種もある。ザリガニだ。1990年代、ドイツの観賞魚店に、大理石模様のザリガニが現れた。雌しかおらず、どの一匹も同じクローンだった。
ペットの売買に乗って各地へ流れ、今ではマダガスカルなどで野生化し、大繁殖している。ミツバチは、また別のやり方を使う。雄蜂は、受精していない卵から育つ。母はいるが、父はいない。
アメリカ南西部には、種全体が雌だけというムチオトカゲも何種かいる。二種類の有性生殖をするトカゲが交雑して生まれた子孫だ。雌同士で交配のしぐさもする。それが排卵を促すのである。雄はいないのに、儀式は残っている。
実は、「無性」という箱には、いくつもの違うやり方が入っている。ほぼクローンというものもあれば、先に減数分裂をしてから、何らかの方法で対に戻すものもある。本来は分かれるはずだった二つの核が、再び一緒になる、といった具合だ。そこでも、遺伝子の組合せは一度、混ぜ直される。
植物が受精なしでクローンの種をつくることを、無融合生殖という。タンポポがそうだ。一方、自家受粉は無性には数えない。やはり減数分裂をし、やはり二つの配子が融合する。ただ、ほかの個体とは混ざらないだけだ。
それらは、どこから来るのか。無性の系統は、たいてい有性の祖先から繰り返し枝分かれして生まれ、その大半はとても若い。2009年、多くの動植物の無性系統について年齢をまとめた研究でも、本当に古いものは、ごくわずかだった。
ただし、この分布図は注意して読まなくてはならない。有性から無性への変化が絶えず起きているなら、たとえ両者が同じ速さで絶滅していても、枝先には若い無性系統が鈴なりになる。だから、「無性系統の大半は若い」は言える。「無性は必ずすぐ絶滅する」は、この図だけでは証明できない。
逆向きの例もある。地衣類は、菌類と藻類が一緒に暮らす生物だ。地衣類では、有性から無性への移行が二十六〜四十四回ほど起きた一方で、逆向きの移行も、およそ十四〜二十五回あったと見積もられている。アメリカのカリフォルニア一帯にいるナナフシの一群では、無性が何度も独立に現れた。2011年の研究で、その一部の系統は百万世代以上も無性生殖を続けてきたとわかった。
無性には、好む土地もある。近縁の有性型と比べると、無性型はより北へ、より高い山へ寄ることが多い。氷期に氷で覆われていた場所にも多く現れ、分布域も広い。
説明の一つは、氷が退いたあと、雌一匹だけで新しい個体群をつくれるから、というものだ。相手を待たなくてよい。だが、無性型の多くは同時に多倍体であったり、交雑から生まれた子孫であったりする。寒さへの強さは、無性ではなく、多倍性から来ているのかもしれない。いくつもの説明に、それぞれ当てはまる事例がある。すべてを覆うものはない。
無性の弱点にも、誰もが見たことのある例がある。バナナだ。スーパーに並ぶバナナは、ほぼすべて同じ品種で、種がない。株分けで代々植え継がれ、一株一株が同じクローンになっている。
かつて主役だった品種は、1950年代前後に土の中の真菌に壊滅させられた。今の品種も、同じ真菌の新しい型に追い詰められている。畑一面のバナナが、どれも同じ姿をしている。病気が来れば、一緒に倒れる。そもそも農業や園芸は、クローンだらけだ。接ぎ木したリンゴも、挿し木したブドウも、そうである。
人も、無性の力を借りたいと思っている。ハイブリッドイネは収量が高い。だが、雑種の利点が保たれるのは一代だけで、その種をまたまくと形質が分離してしまうから、農家は毎年新しい種を買わなくてはならない。中国で何十年も栽培されてきたハイブリッドイネは、ずっとこの関門に阻まれている。種を通して自分のクローンをつくれれば、雑種強勢を何世代にもわたって保てるはずだ。
2019年、二つのチームがそれぞれ、イネの減数分裂を普通の分裂に変え、さらに卵細胞が受精なしに発生を始めるようにした。初めて、イネにクローンの種を実らせたのである。当時、クローン種子の割合は、最もよい場合でも一〜三割ほどだった。その後の改良をハイブリッドイネに適用すると、九割以上にまで上がった。この制度を止めるには、複数の遺伝子を同時に変えなくてはならない。調整は今も続いている。
六 あのスキャンダル
ヒルガタワムシは、ルーペを使わないとよく見えないほど、小さな動物の一群だ。体長は一ミリにも満たず、体の前端には繊毛が輪になって並び、動くと二つの車輪が回っているように見える。コケの中、軒先の雨どい、一時的な水たまりに暮らしている。
水が干上がると、体から水を抜き、小さな粒になってしまう。風に乗って別の場所まで飛び、水に出会うと、また生き返る。乾いたワムシは、そのまま何年も過ごせる。2021年、シベリアの永久凍土から、約二万四千年間凍っていたワムシが一匹取り出された。解凍すると生き返り、繁殖まで始めた。
どれも雌だ。知られている数百種のうち、雄を一匹でも見た人はいない。従来の説明では、何千万年も有性生殖をしていないことになっていた。1986年、メイナード・スミス、つまり第一節で勘定をしたあの人は、これほど大きく古いのに性が見つからない一群を、進化生物学のスキャンダルと呼んだ。第四節のあの理論たちに従えば、とっくに破綻しているはずだったからだ。
奇妙なところは、もう一つある。ゲノムには、細菌や菌類、さらには植物から「拾ってきた」遺伝子が大量にあり、その割合は動物としては飛び抜けて高い。脱水するとDNAは断片に切れ、水が戻ると、細胞はそれをつなぎ合わせなくてはならない。外からのDNAは、その隙に紛れ込むのではないかと考える人もいる。
寄生生物からは、どう逃れるのか。2010年、致死的な真菌に取りつかれたワムシには、乾いて飛び去るという逃げ道があるとわかった。真菌は、ついてこられない。ここから、寄生生物を振り切る手段は性ではなく、漂っていくことなのではないか、という考えも生まれた。
2000年、アメリカの遺伝学者メセルソンらが、数種の遺伝子を調べた。1958年にDNAの複製のしかたを示した、あの有名な実験をスタールとともに行った、そのメセルソンである。同じ遺伝子の二つのコピーが、驚くほど違っていた。有性生物のように、対どうしが近いわけではなかった。そこから、長いあいだ性がなかったのだという主張が生まれた。
一時はこれが、古くからの無性を支える最も強い分子的証拠だった。2013年に公表されたあるゲノムも、その見方をさらに強めた。ただし著者たちは、きわめてまれな、普通とは違う遺伝的交換を、完全には排除できないとも書いていた。
後になって、この一言が重みを持つ。2015年以降、別の属のワムシで、個体どうしがまとまった配列を共有していることが見つかった。ある種の性の過程、ひょっとすると普通とは違う対合の仕方をする減数分裂ではないか、と解釈された。2016年、別の研究グループは五百七十六匹のワムシを分析し、やはり個体間の共有を見つけたが、こちらは水平伝播に近いと考えた。あの「拾ってきた遺伝子」と同じ類いの方法である。
両者とも、交換があることは認めている。争っているのは、その方法だ。ただし2018年には、信号の一部は試料どうしの混入に由来するかもしれない、という指摘も出た。それでも、あのスキャンダルの中身は、すでに書き換わっていた。
もとの問いは、「大きな生物群が、何千万年もまったく交換せずにいることなど、どうして可能なのか」だった。今の問いは、「どれほど低い頻度で、どんな方法で交換しているのか」になった。前者が事実なら、理論全体への挑戦になる。後者は、そうではない。
2020年、野生のワムシ十一匹の全ゲノムを分析した研究では、遺伝子型の割合が、ランダムな交配から予測される比率に近かった。厳密なクローン繁殖だけを長く続けてきたという見方とは、両立しないとされた。2022年には、別の属でも、有性の組換えの特徴が報告された。
今言えるのは、何千万年もまったく交換していないという主張は、もう成り立ちにくい、ということだ。だが、普通の動物のように雄を生み、通常の受精をする姿を見た人もいない。論点は狭まった。交換はどれほどあるのか。すべての系統で行われているのか。どんな方法を使うのか。
スキャンダルの候補は、一つではない。ダーウィンにちなんで名づけられた、ダーウィヌラ科の貝形虫がいる。小さな甲殻類で、二枚の殻を持ち、歩く小豆のような姿をしている。長く雌しか見つからず、一億年、あるいは二億年も無性を続けてきたのではないかと考えられていた。
2006年、生きた雄が見つかった。一世紀ぶりとなる、信頼できる記録だった。ただし、この科の中には、今も雄が知られていない種がある。
土の中でよく見かけるササラダニは、種の約一割が雌だけで、その一部は何百万年以上もそうしてきた可能性がある。2007年の分析では、無性の祖先から続く系統の中に、有性の枝が入り込んでいることもわかった。つまり、無性から有性へ戻ったのだ。2017年の研究は、この古くから無性のササラダニでも、有害な突然変異を取り除く仕組みが、ちゃんと働いていることを示した。
陸上植物の大半の根に入り、リンの吸収を助ける、アーバスキュラー菌根菌という菌類もある。性に関わる構造が長く見つからず、これも古くからの無性と呼ばれてきた。2009年、畑のある集団で組換えが検出された。その後のゲノムからは、減数分裂の遺伝子も数多く見つかった。
こうした例を並べると、同じ形が何度も現れる。雄が見えない、あるいは性のものとわかる構造が見えないため、無性に分類される。後から出てくる証拠が、その判断を揺るがす。ワムシと菌根菌のゲノムには、交換の痕跡や減数分裂の装置があった。貝形虫に至っては、生きた雄そのものが見つかった。ササラダニは例外で、今も本当に古くから無性であるように見える。
判定基準は、ずっと否定の側にあった。「見なかった」ことから、「起きなかった」と判定していた。 そして、これらの判断を覆した証拠の多くは、顕微鏡ではなく、ゲノムから来た。一度の性の出来事を見るには、たまたまそれが起きる瞬間にのぞかなくてはならない。残された跡を見るには、配列を読めばよい。
七 二つの性は必然ではない
交配型と、雄・雌は、同じ概念ではない。多くの生物では、二つの配子の大きさも見た目も、まったく同じだ。それでも、どれとでも融合できるわけではない。「相性の区分」が違うものどうしでなければ融合できない。その区分を、交配型という。
これで、すでに性の過程は成立している。減数分裂があり、配子の融合があり、組換えがある。けれども、大きさで定義される雌雄はない。だから、「二つの交配型」を「二つの性別」と言い換えてはならない。池の水にいる単細胞の繊毛虫、テトラヒメナには、七つの交配型がある。違う型どうしなら、どの二つが出会っても接合できる。
極端な例が、スエヒロタケだ。枯れ木に生える扇形のキノコで、ひだが真ん中から裂けたように見える。雲南では、炒めて食べることが多い。
相性は二つの領域によって共同で決まり、それぞれの領域に、たくさんの型がある。古典的な推定では、一方に約二百八十八、もう一方に八十一の特異性があるとされた。それを組み合わせると、潜在的な交配型は二万三千三百二十八になる。
途方もない数字に聞こえるが、理屈は素朴だ。二つの領域にそれぞれ多くの型があり、相性が合う条件は「両方とも違う」ことだけ。二個体が正常な有性発生を完了するには、通常、二つの領域のどちらも異なっていなくてはならない。
この数字は、「古典的な推定による、潜在的な交配型の数」と呼ぶべきだ。「二万三千三百二十八の性別」ではない。そして、この仕組みの利点は明快だ。別の個体と無作為に出会ったとき、相性が合う確率は、二つの型があって同型とは交配できない系より、はるかに高い。では、雄と雌はどこから来たのか。
1972年、イギリスのパーカーらがつくった古典的なモデルは、大きさの近い配子から出発する。一個体が繁殖に回せる資源には限りがあるから、「少数の大きな配子」と「多数の小さな配子」のあいだには、取捨選択がある。大きな接合子は生き残りやすいかもしれない。一方、小さな配子は数を増やすことで、出会う機会を増やせるかもしれない。
ある条件の下では、中くらいの大きさを選ぶ戦略が不安定になり、両極端の二つが共存する。どこまで分かれうるのかは、人を見ればわかる。人の卵子の直径は約0.1ミリで、かろうじて肉眼で見える。精子の頭は数マイクロメートルしかなく、体積には一万倍以上の差がある。
生物学では、大きいほうの配子をつくる型を雌、小さいほうの配子をつくる型を雄と定義する。つまり、雄と雌の二分は、配子の大きさが分かれたあとに生まれた分類なのだ。
なぜ雌雄がほぼ半々になるのかにも、見事な説明がある。1930年、イギリスの統計学者フィッシャーが指摘した。ある世代で雄が少なくなると、雄一匹当たりで残せる子の数は平均して多くなる。息子を多く産む親が得をし、息子が増えていく。雌が少なくなれば、逆向きに同じことが起こる。こうして比率は、何度でも一対一の近くへ引き戻される。
減数分裂も、組換えも、配子の融合も、雄と雌にまったく分かれていない系で成り立つ。雌雄があったとしても、それぞれが別々の体を持つとは限らない。花をつける植物の大半では、一つの花に雄しべも雌しべもあり、同じ一株が父にも母にもなる。クマノミの群れでは、いちばん大きな一匹が雌だ。その雌が死ぬと、いちばん大きな雄が雌になる。
ボルボックスは、池にいる緑の小球だ。数千の細胞が中空の球をつくり、水の中でゆっくり転がっている。このボルボックスの仲間の緑藻は、実際に確かめるための系を提供してくれる。近縁な種の中に、同型配子、異型配子、卵生殖をするものがそろっているからだ。2018年の比較では、異型配子が現れるために、巨大でまったく新しい性決定領域は要らず、関連する領域はむしろ小さくてもよいことがわかった。
別の研究では、同型配子を持つ種で交配型を決める調節因子が、異型配子を持つ近縁種では、雄の決定につながっていることも見つかった。交配型の仕組みと、その後の雌雄の仕組みのあいだに、遺伝的な連続性があることを直接比較した証拠だ。さらに根本的な点が、もう一つある。有性と無性は、一個のスイッチではない。
有性生殖を必要に応じて行う生物は、広く存在する。よく見られるのは、資源が豊富なときは無性で速く増え、栄養の制限、密度の変化、季節の合図によって、有性周期に入る確率を高めるというパターンだ。ただし、具体的に何が引き金になるかは、生物群によって大きく違う。「環境が悪くなると性が起きる」を、普遍的な規則にしてはならない。
野生酵母の遺伝子の分析が、教えてくれることもある。野外の酵母は、およそ千世代に一度しか減数分裂をしない。有性周期は、きわめてまれにしか起きなくてもよい。それでも、長い目で見た遺伝的な構造を大きく変えるには十分なのだ。だから、「自然の中で、無性の分裂ばかりを見ている」ことから、「その系統では性が一度も起きない」とは言えない。
八 化石の中に減数分裂は見えない
では、この制度は、いつできたのか。まずは遺伝子を見る。あの専用の部品は、真核生物の遠く隔たった系統に分布している。動物、植物、菌類から、さまざまな単細胞の原生生物まで、どこにもある。
最も無理のない説明は、共通祖先がすでに、かなりそろった減数分裂の装置を持っていた、というものだ。遺伝子から言えるのは、遅くともその共通祖先の時点には、装置があったということである。
化石が与えてくれるのは、別の「遅くとも」だ。ある年代にはもう、具体的なある生物で性が起きていた。どちらが言うのも、「少なくとも、ここまではさかのぼる」ということにすぎない。どこまで古くなりうるかは、真核生物の枝が分かれたあと、という大まかな枠しかない。「いちばん最初はいつか」を、どちらも教えてはくれない。
最もよく引用される化石は、第五篇でも触れたバンギオモルファだ。カナダの北極圏の島から見つかった、約10億4,700万年前のもので、細胞が連なった糸が、岩に付着している。今の海苔になるような紅藻の仲間に、姿がよく似ている。
名前の意味は、「ウシケノリに似たもの」。ウシケノリは、中国では紅毛菜と呼ばれ、福建省の沿岸で今も食べられている海藻だ。2000年、ケンブリッジ大学のバターフィールドが記載した際、同じ一群の化石の中に、二つの異なる胞子形成の仕方と、二つの形態の生殖段階があると気づいた。全体を並べると、現生紅藻の有性生活環とうまく重なった。
紅藻の生活環は、今でも見抜きにくい。海苔には、貝殻の中に潜り込んで育つ糸状の段階があり、長く別の藻だと思われていた。1949年、イギリスの藻類学者ドリュー=ベーカーがこの関係を見いだした。日本では、その発見をもとに人工採苗ができるようになり、海苔の養殖はそこから一変した。今も毎年、彼女を顕彰する漁村が日本にはある。
これは、「丸いものが見えたから、卵だと言う」より、はるかに強い。一つながりの生活環全体の対応に基づいているからだ。それでも、化石には染色体の対合は見えない。交換も見えない。二つの配子の融合も見えない。だからこれは、有性生殖の最も古く、最も広く受け入れられている証拠の一つではあっても、減数分裂そのものを写した写真ではない。
中国には、ちょうど逆の側から問題を示す化石がある。2024年、中国の研究者たちが、華北の燕山一帯から見つかった約十六億年前の糸状多細胞生物を、改めて記載した。
一部の細胞の中には、直径十数〜二十マイクロメートルの丸い小体がある。研究者たちは、これを現生藻類の無性胞子になぞらえ、この生物はおそらく胞子で繁殖したのだろうと考えた。生殖のための構造だからといって、そのまま性の構造になるわけではない。 「細胞の中に生殖体がある」というだけで、十六億年前の性の証拠に数えることを、元の論文は支持していない。
時代を下ると、四つ一組の胞子が現れる。およそ四億七千万年前から、初期の陸上植物の胞子化石には、大きさのそろった四つが、きれいに並んだものがよく見つかる。減数分裂は、ちょうど一つを四つにする。仕組みが予告する数は四、化石の中に見えるのも四。実に美しい対応だ。
ただし、「四つ一組」は減数分裂の専売特許ではない。別の分裂の仕方でも、四つ連なった構造はつくれる。壁のつくり、並び方の幾何学、胞子嚢との関係、そして近縁の現生植物の発生の仕方まで一致して初めて、減数分裂という説明は足場を得る。
約四億年前になると、スコットランドのライニーと呼ばれる場所のチャート層が、温泉のそばの湿地を、そのまま石に封じ込めている。この地層を見つけたのは、1912年、地元の医師だった。植物の茎も、胞子嚢も、生活環のもう一方の世代も残っている。その世代はとても小さく、もっぱら精子と卵をつくる。ここまで来て、初めて植物の有性生活環一式を、化石から丸ごと組み立て直せるようになる。
今のシダにも、この二世代の交代が残っている。葉の裏に並ぶ褐色の小さな点は、胞子を入れた袋だ。胞子が地面に落ちて育つのは、新しいシダそのものではない。爪ほどの大きさの、ハート形をした緑の薄片である。精子は、その上の水の膜を泳いで初めて、卵にたどり着ける。受精したあとに、ようやく私たちの知る、あのシダが育つ。
さて、この篇の「構」に戻ろう。このシリーズでいう構とは、線を一本引くことだ。線の内側は数に入れ、外側は入れない。この篇で引かれた線は、一つの手順である。ここで述べる典型的な性周期に入るとき、対合、切断、交換、半減、融合は、調節された順序でつながらなくてはならない。ただし、これは階層の乗り換えではない。選択の単位は変わっていない。個体は、同じ個体のままだ。
ここでしているのは、別のことだ。もともとは偶然にも起こりえた遺伝的交換を、専用の装置があり、チェックポイントがあり、結び付きを段階的にほどいていく、必ず通る固定の工程にする。偶然を、制度にする。
この典型的な手順には、満たすべき条件があり、誤りも起こる。相同染色体の対合、切断、交差の形成、二段階での接着の解除が、うまくかみ合わなくてはならない。重要な段階の誤りは、不妊につながったり、染色体数の正しくない配子を生んだりすることがある。
第一節で触れた流産の一部には、減数分裂の誤りによる染色体異常が関わっている。すべての流産がこの手順のせいなのではない。制度にすることで手に入ったのは、融通ではない。繰り返せることだ。こうした周期に入るたび、同じ規格でカードを切り、違う結果が出る。そして、繰り返せること自体が、新しい壊れ方を用意する。この染色体の対合を飛ばす無性の個体は、その対合が失敗したために不妊になることはない。有性の個体には、それが起こる。
構の中に収まりきらず、それでも消せない部分を、このシリーズでは「余項」と呼ぶ。この篇の余項は、二か所にある。
一つは、あの二倍の差そのものだ。なくなったのではない。何か別のものによって、埋め合わされているだけだ。そして、何が埋め合わせるのかは、今も、どの生物群を、どれほどの大きさの個体群を、どれほど強い寄生の圧力を問うかによって変わる。どの説明も、自分のパラメータの範囲なら帳尻を合わせられる。すべての範囲で合わせられる説明は、一つもない。
もう一つは、無性の系統だ。消えたことは一度もない。何度も現れ、大半はとても若いが、少数は百万世代以上続いてきた。ごく一部の候補は、今もはっきりしない。
あの最も有名なスキャンダルは、今では両側から真ん中へと絞られている。大半の研究者はワムシに交換があると考え、争っているのは、その方法を性と呼べるかどうかだ。一部の信号は試料の混入によるかもしれない、と念を押す人もいる。食い違いが「どう交換しているのか」に狭まった時点で、すでに理論の危機から、技術的な問題へ変わっている。
この制度がいつできたのかといえば、化石の中に減数分裂は見えない。見えるのは、生殖のための構造だ。だから、この節目は、今生きている生物に共通する部品からさかのぼって推し量るしかない。第二篇のあの共通祖先と同じで、位置はわかるが、中身はわからない。