一 あなたの体には二組のDNAがある
あなたの体のほぼすべての細胞には、互いに独立した二組のDNAがある。一組は細胞核の中にあり、父と母から半分ずつ受け継いだものだ。もう一組は別の場所にあり、母親からしか受け継がれない。
その場所を、ミトコンドリアという。細胞の中で食べ物と酸素をエネルギーに変える小さな構造で、よく「細胞の発電所」と呼ばれる。一つの細胞に、ふつう数百から千個以上ある。とりわけ多いのは、心筋や肝臓といった、エネルギーを大量に使うところだ。
そして、一つひとつのミトコンドリアが、自分自身のDNAを何コピーも持っている。そのため、一つの細胞にあるこちらのDNAのコピー数は、核のDNAの千倍以上になることもある。
精子の尾の付け根にも、ミトコンドリアがぐるりと巻きついている。泳ぐためのエンジンだ。けれど、父親由来のミトコンドリアは受精後、ほぼ取り除かれてしまう。だから、こちらのDNAは母系だけを一筋に伝わっていく。
母系しか通らないからこそ、祖先をたどる格好の道具になった。これを手がかりにさかのぼると、いま生きているすべての人の母系は、約十数万〜20万年前にアフリカにいた一人の女性に行き着く。「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれる女性だ。
当時、女性が彼女一人しかいなかったわけではない。すべての人の母系をたどると、たまたま彼女のところに集まる、ということだ。このDNAは、血縁の確認にも使える。1993年、イギリスのフィリップ殿下は血液を提供し、ロシア最後の皇后とその娘たちの遺骨の身元確認を助けた。皇后の姉が、殿下の母方の祖母だったのである。
ミトコンドリアDNAは変化が速く、近縁の種を見分けるためにもよく使われる。動物に「バーコード」をつけるときによく使うのも、ミトコンドリアにある遺伝子の一部分だ。売られている魚の切り身が、ラベルどおりの魚かどうかも、これで調べられる。その遺伝子は、どれに異常が起きても病気につながりうる。そして、受け継がれるのは母親からだけだ。
2015年、イギリスはある方法を法律で認めた。母親の異常なミトコンドリアを、別の女性が提供した健康なミトコンドリアに置き換えるという方法だ。生まれてくる子は、三人のDNAを持っている。 2025年、イギリスのニューカッスルの医師たちは、この方法ですでに8人の子が生まれたと報告した。
問題はここだ。細胞の部品に、なぜ専用のDNAがあるのか。あなたの肝臓には、肝臓だけのDNA一式はない。骨にもない。細胞の中で輸送や分解、合成を担う構造にも、軒並みない。なぜ、この部品にだけあるのか。しかも、持っているのはDNAだけではない。
ミトコンドリアは、自前の装置でそのDNAを読み、タンパク質をつくる。その装置は、細胞のほかの部分のものより、細菌のものによく似ている。細菌を狙い撃ちする抗生物質の中には、細胞質で行われる同種の過程には手をつけず、この装置だけを妨げるものがある。外側を包む膜も、一枚ではなく二枚だ。そして、細胞に一からつくってもらうのではなく、二つに分かれて増える。
最後の点は、とりわけ示唆的だ。細胞内の構造の多くは、細胞が分裂するときに組み立て直される。ところが、ミトコンドリアはそうではない。自分で大きくなり、自分で二つに分かれる。細菌のように。これらを並べてみると、ひどくすっきりした説明が一つ浮かぶ。かつては細菌だったのだ。
遠い昔、ある細胞が別の細胞をのみ込んだ。けれど、消化しなかった。のみ込まれた側は中に居残り、複製を続け、しだいに独りで暮らす力を失っていった。そして最後には、宿主の部品になった。
この説明を「細胞内共生」という。ある生物が別の生物の体内に住みつき、それきり離れなくなることだ。いまでは中学校の教科書にも載っているが、最初に提案されてから広く受け入れられるまでには、半世紀以上もかかった。
1905年、ロシアの植物学者メレシュコフスキーは、ドイツ語の雑誌に論文を発表した。植物細胞で光合成を担う葉緑体は、かつて独立して暮らしていた藍藻のような生物に由来する、と唱えたのだ。1920年代には、アメリカの解剖学者ウォーリンがさらに踏み込み、動物の組織からミトコンドリアを取り出して、単独で培養できたと主張した。
本当なら、これ以上直接的な裏づけはない。ミトコンドリアを単独で培養できるなら、まだ細菌なのだから。けれど、その培養物に外から細菌が混入した可能性は排除できず、ほかの人が試しても再現できなかった。かえって、この考え方全体の評判を落とすことになった。
1967年、アメリカの生物学者マーギュリスは「有糸分裂細胞の起源」を発表した。著者名はリン・セーガン。最初の結婚で名乗った姓で、元夫は天文学者のカール・セーガンだった。彼女は、いくつもの細胞構造を、一つの細胞内共生の枠組みに収めた。ミトコンドリアは呼吸をする細菌から、葉緑体は光合成細菌から、そして真核細胞の鞭毛はスピロヘータから来た、というのだ。
最初の二つには、のちに強力な分子の証拠が得られた。三つ目には得られなかった。この論文は15誌ほどに投稿を断られたという話が広まっているが、その数字は、彼女自身が何年もたってから語った回想による。
1920年代から70年代にかけて出された反対意見は、まとめると五つになる。どれにも、きちんとした理由があった。第一に、そもそもミトコンドリアの中に独自の遺伝物質があるのか。1960年代の初めまでは、誰も直接見たことがなかった。
第二に、似ているだけでは証拠にならない。二重の膜、細菌ほどの大きさ、二分裂による増殖。どれも細胞内共生とは矛盾しないが、それだけでは、もとになった生物が誰なのかわからない。第二篇で見たように、似ている理由は、共通の祖先かもしれないし、別々に進化して似た姿になっただけかもしれない。
第三に、指揮権が核へ強く集中している。ミトコンドリアのタンパク質の多くは、細胞核にある遺伝子にコードされている。タンパク質をどうやってミトコンドリアへ送り込むのかがわからなかったころには、これは「独立した細菌らしくない」ことの証拠とも読めた。
第四は、ウォーリンの培養実験が残した悪評。第五は、マーギュリスの理論のうち、のちにも受け入れられなかった部分が、説全体への疑いを招いたことだ。
判断を変えていったのは、一つひとつの具体的な発見だった。初めの二つは、マーギュリスの論文より前に出ている。彼女自身も、それらを根拠にしていた。
1962年、ある緑藻の葉緑体の中に、DNAらしい領域が見つかった。翌年には、夫婦の研究者が、ニワトリの胚のミトコンドリアに、DNAの特徴を備えた細い糸を見つけた。
第一の反対意見は、これで直接崩れた。けれど、一つ崩れたからといって、説が立証されたわけではない。とりわけ第三の反対意見は、タンパク質がどうやってミトコンドリアに送り込まれるのかがわかって、初めて反証から裏づけへと変わることになる。
次は、タンパク質をつくる装置だ。ミトコンドリアと葉緑体の装置が細菌型だと確かめられ、細菌を狙う一部の抗生物質が、こちらの働きまで妨げることもわかった。抗生物質の副作用の中には、ミトコンドリアのこの細菌式の装置を、巻き添えにしてしまうために起こるものがある。
ただ、これらの証拠には共通の天井があった。「細菌に似ている」とは言えても、「どの細菌にいちばん近いか」は言えない。その天井を突き抜けたのが、配列だった。
1975〜1976年、紅藻の葉緑体のリボソームRNA、つまり第二篇で系統樹をつくるのに使ったあの分子を、原核生物のものと比べた研究者たちがいた。すると、葉緑体はシアノバクテリアの側に入った。1978年には、アメリカのシュワルツとデイホフがタンパク質と核酸の配列を合わせて比較し、原核生物、真核生物、ミトコンドリア、葉緑体の系統関係を描き出した。
第二篇のあの木は、ここで役に立つ。木を描ければ、「どの枝に入るのか」と問える。形が似ているだけでは答えられなかった問いだ。ただし、二つの合意が同じ日にできあがったわけではない。
葉緑体とシアノバクテリアの関係は、やや早く定まり、見通しもよかった。ミトコンドリアと、その近縁の細菌との関係を突き止めるには、もっと多くの配列と、もっと複雑な補正が必要だった。それは次の節の話になる。
二 どの枝から来たのか、いつ入ったのか
ミトコンドリアが細菌に由来することには、強い証拠がある。けれど、具体的にどの枝から来たのかは、長いあいだ定まらなかった。理由も、具体的だった。
ミトコンドリアは、約20億年ものあいだ細胞の中にいる。その20億年のあいだ、ゲノムは急速に変化し続けた。自由生活をする細菌より、はるかに速く。以前は自然選択によって保たれていた機能の多くが、もう要らなくなったからだ。その結果、系統関係を描くと、ひときわ長い枝になる。そして長い枝ほど、間違った場所につながれやすい。
まず、大きくどの仲間に属するのか。アルファプロテオバクテリアは細菌の大きなグループで、ほかの細胞内に住む種も多ければ、海で自由に暮らす細菌も多い。マメ科植物の根粒にいて窒素を固定する根粒菌も、この仲間だ。ミトコンドリアとこのグループが深いところでつながっていることには、配列からの強い裏づけがある。定まらないのは、その中のどこに枝をつなぐかという点だ。
かつて最有力だったのは、リケッチア目だった。発疹チフスの病原体もここに含まれる。どれもミトコンドリアと同じく、ほかの細胞の中に住んでいるからだ。1998年、スウェーデンの研究者たちが発疹チフスの病原体のゲノムを解読し、ミトコンドリアとの共通点を数多く見つけた。一時は、ミトコンドリアに最も近い親戚と見られた。
けれど、細胞内で暮らすこと自体が、配列の変化を速め、塩基組成にも偏りを生む。それこそが「長枝誘引」を起こす条件だった。第二篇で見たあの見かけの現象だ。進化のとても速い二つの枝は、近い血縁がなくても、図の上では互いに引き寄せられてしまうことがある。
2018年の研究は、調べる生物を増やし、この偏りを重点的に処理した。その最良のモデルでは、ミトコンドリアは、当時知られていたすべてのアルファプロテオバクテリアの外側に置かれた。2022年には、さらに精密なモデルによって、「ミトコンドリアは既知のアルファプロテオバクテリアの大半と姉妹群をなす」という結果が出た。だから、いま言えるのはこうだ。ミトコンドリアは、アルファプロテオバクテリアと祖先を共有する枝から来た。最も近い、生きた親戚は、もういないのかもしれないし、まだ見つかっていないのかもしれない。
いつ入ったのか、となるとさらに厄介だ。話がぐるりと一周してしまう。鶏が先か卵が先か、という問いに少し似ている。いまの細胞が細菌をのみ込むには、ひとそろいの装置がいる。細胞骨格が膜を変形させ、相手を包み込み、小胞をつくり、それを融合させる。複雑な仕組みで、エネルギーも食う。
完成した食作用の装置が先にあったと仮定すれば、細菌が入ってくる場面は説明しやすい。だが、その場合には、内部に「発電所」をまだ持たない宿主が、どうやって先にそのエネルギー食いの装置をつくったのかを説明しなければならない。逆にミトコンドリアが早く入ったとすれば、別の説明が要る。まだものをのめない宿主が、どうやって細菌と十分に密接な関係を築き、最後には体内へ収めたのか。いまのアメーバや白血球は、食べ物を食べるにも細菌を捕まえるにも、のみ込む仕組みを使っているのだ。
1998年、マーティンとミュラーが、最も大きな影響を与えることになる水素仮説を提唱した。宿主は、水素を糧にする古細菌型の細胞だった。一方、細菌の相棒は、条件しだいで呼吸もできれば、水素をつくることもできた。
二者を初めに結びつけたのは、物質のやりとりだった。食作用の仕組みが先にできている必要はない。二軒の店が隣り合っていて、一方の廃材が、ちょうどもう一方の原料になる。長く隣同士で商売しているうちに、一軒にまとまってしまったようなものだ。第二篇に出てきたアスガルド古細菌は、いま見つかっている中で、この宿主に最も近い親戚にあたる。
この仮説の強みは、多くの嫌気性真核生物が、それでもミトコンドリア由来の構造を持っている理由を説明できることだ。その後のゲノム研究によって、かつて「もともとミトコンドリアを持たない」とされた生物の多くに、実は退化したミトコンドリアがあるとわかった。説明できない部分も、同じくらい具体的だ。核や内膜系、複雑な細胞骨格が、どのような手順で生まれたのかは、この仮説から直接は出てこない。
2014年、父方のいとこ同士のバウムの二人が、別の形を描いた。一人は細胞の形を、もう一人は植物の進化を研究していた。彼らの「内外逆転モデル」では、宿主の細胞膜が外へ向かっていくつも突起を伸ばし、表面にくっついていたミトコンドリアの祖先を包み込んでいく。
突起が大きくなり、互いに融合して、細胞質と内膜系になる。そして、いまの細胞核にあたるのが、祖先の細胞のもとの本体だ。これなら「核膜と内膜系がひと続きになっていること」と、「先にものをのめる必要がないこと」を、一緒に扱える。難点は、肝心の途中の形を示す直接の記録がないことだ。
ミトコンドリアが入ったころには、宿主はすでにかなり大きく、動く膜や細胞骨格を備え、ひょっとすると食作用までできた、とするモデルもある。「生まれつきミトコンドリアのない真核生物がいる」という古い考えは否定されたが、だからといって、こうした後期取り込みのモデルがすべて脱落したわけではない。
いま確かなのは、真核生物の最終共通祖先が、すでにミトコンドリアを持ち、複雑な真核細胞の装置も備えていたということだ。酵母からコンブ、人間まで、みなその子孫である。これらの装置がどの順番でそろったのかは、ずっと決められずにいる。 2025年末のある研究は、遺伝子重複の前後関係から順序を組み立て、核、細胞骨格、膜輸送、それにものをのみ込む装置まで、ミトコンドリアより先にあったとした。ミトコンドリアは、最後に入ったというのだ。まだ定説ではないが、後期取り込み説の側に、大きな重りが一つ加わった。
その共通祖先がいつ生きていたかについても、分子時計の答えは、約10億年前から23億年以上前まで幅がある。陸には植物が一本もなく、海には動物が一匹もいなかったころだ。この差は、時計合わせに使う化石の選び方、モデル、サンプルの取り方、そして、どこをその共通祖先と定義するかによって生まれる。
三 いまも進んでいる取り込み
細胞内共生は、20億年前だけの出来事ではない。2024年、アメリカと日本の研究者たちは『サイエンス』で発表した。海に暮らすある単細胞藻類の中のシアノバクテリアが、窒素固定を専門にする細胞小器官に変わっていたのだ。
研究者たちは、これを「ニトロプラスト」と名づけた。宿主は円石藻の一種で、五角形の炭酸カルシウムの小片を身にまとっている。この二者の共同生活は、約1億年前に始まったと推定されている。
窒素固定とは、空気中の窒素ガスを、生物が使える形の窒素に変えることだ。植物も動物も、自力ではできない。マメ科植物は根粒の中の細菌を頼り、作物は化学肥料を頼る。
それまで知られていた真核細胞の細胞小器官に、窒素を固定できるものは一つもなかった。研究者たちは、この仕組みが、たいへん魅力的な目標への手がかりになるかもしれないと言う。いつか、こうした細胞小器官を作物に組み込む、という目標だ。
このシアノバクテリアは、早くも1998年に太平洋の海水から検出されていた。けれど、宿主を培養できずにいた。日本のある研究者は、300回以上も海へ採集に出かけ、十数年を費やして、ようやくこの藻を実験室で育てることに成功した。生きた材料が手に入って初めて、二者がどう暮らしているのか、はっきり見えるようになった。
証拠は三つある。プロテオーム解析から、宿主の核がコードする300種類以上のタンパク質が、この共生体へ送り込まれているとわかった。共生体の分裂は、宿主の細胞周期とそろっている。宿主が二つに分かれると、こちらも二つに分かれ、二つの娘細胞へ均等に渡される。大きさも、いつも宿主の大きさに比例している。ミトコンドリアや葉緑体と同じだ。そしてゲノムは大幅に縮み、約140万塩基対しか残っていない。完全な光合成装置や、中核をなす代謝のいくつかが欠けている。
では、細胞小器官と呼んでよいのか。主な争点は、観察されたこれらの事実ではない。「細胞小器官」という言葉の境界を、どこに引くかだ。ゲノムが小さいだけでは決められない。細胞内でしか暮らせない細菌には、ゲノムが極端に小さくても、なお共生細菌と呼ばれるものがたくさんいる。
分裂の同期や、次の世代へ安定して受け継がれることも、強い指標ではある。けれど、それができる共生細菌もいる。一部の珪藻にも、窒素固定をするシアノバクテリアが住んでいるが、統合の程度はまちまちだ。すべてを細胞小器官と呼ぶのは適切ではない。
いちばん強いのは、宿主のタンパク質が送り込まれているという証拠だ。もう宿主からの仕入れなしではやっていけないことを意味する。生物学には、「この条件を何個満たせば、自動的に細胞小器官へ改称する」という決まりはない。
そうは呼べない例と比べると、違いがわかる。あるウミウシは、藻類を食べるときに葉緑体だけを取り置き、自分の細胞にしまい込む。それを使って日を浴び、何か月も暮らしていける。
けれど、宿主がその葉緑体へタンパク質を送り込んでいる証拠は、いまのところない。ウミウシの細胞が分裂しても、葉緑体は一緒には分裂しない。盗んだ葉緑体は複製されない。使い潰したら、また食べなければならない。
もう一つ、生きた実例がある。こちらはもっと前から知られていた。パウリネラという、殻を持つアメーバの仲間だ。主に淡水に暮らし、体内に「クロマトフォア」と呼ばれる光合成用の構造がある。一つの細胞に二つだけで、二本のソーセージのような形をしている。
これは別の系統のシアノバクテリアに由来し、葉緑体の起源とはまったく別の、独立した取り込みだった。初期の推定では、少なくとも6,000万年前には起きたとされた。2016年の分子時計が示した年代の上限は、9,000万〜1億4,000万年前だった。
葉緑体を生んだ取り込みに比べ、経過した年月は10分の1にも満たない。だから、途中の状態がまだたくさん見える。クロマトフォアのゲノムは約102万塩基対で、約867種類のタンパク質をコードしている。近縁の自由生活をするシアノバクテリアでは、その数は約2,917種類だ。
残っているのは、約4分の1から3割。葉緑体では、それがすでに5%未満にまで減っている。別々の取り込みに由来するが、似た統合過程の異なる段階を見せてくれる。ただし、若い系統が同じ終点へ進む保証はない。
宿主の核には、このシアノバクテリア由来だとはっきりわかる遺伝子が、すでに数十個見つかっている。2012年の実験は、宿主の核がコードするタンパク質が、クロマトフォアへ入ることを直接示した。
2017年のプロテオーム研究では、送り込まれるタンパク質は、移った数十個の遺伝子の産物を、数ではるかに上回ることもわかった。宿主からタンパク質を供給してもらわなければ動けない仕組みに、すでになっているのだ。
取り込みは、入れ子にもなる。ある藻類がのみ込んだのは、すでに葉緑体を持っている真核細胞だった。できあがるのは、マトリョーシカだ。いちばん外に宿主があり、中間にはのみ込まれた細胞の残骸があり、いちばん奥に、最初のシアノバクテリアの子孫がいる。そのため、葉緑体の外側を3〜4枚の膜が包んでいるグループもある。二つの藻類のグループでは、のみ込まれた細胞の核の名残まで、わずかに残っている。
海の珪藻も、その道を通ってきた。地球上の光合成のおよそ5分の1を担う生物だ。赤潮を起こす渦鞭毛藻の多くも、そうだ。人をマラリアにかからせるマラリア原虫も例外ではない。体内には、とっくに光合成をやめた退化葉緑体が残り、一部の抗マラリア薬はそこを狙う。それが退化した葉緑体だとわかったのは、ようやく1990年代になってからだった。
こうした二次的な取り込みが何回あったかについて、合意された整数の答えはない。紅藻由来と緑藻由来の複雑な葉緑体が、同じ一回の出来事から生まれることはないので、少なくとも二回。互いに独立したいくつかのグループも数えると、控えめに数えても、すでに少なくとも三回になる。
四 ゲノムはどこへ行ったのか
1981年、イギリスのケンブリッジの研究グループが、ヒトのミトコンドリアDNAをすべて解読した。人の体にあるゲノムのうち、初めて最初から最後まで読み通されたものだ。ヒトのミトコンドリアゲノムは、16,569塩基対、37遺伝子。そのうち13個がタンパク質をコードし、残りは翻訳に必要なRNAをコードする。比較すると、ある自由生活をするアルファプロテオバクテリアのゲノムには、約400万塩基対、3,700個以上の遺伝子がある。
ヒトのミトコンドリアゲノムは、その約240分の1しかない。ただし、ゲノムの長さと、祖先から受け継いで残った遺伝子の数とは、同じ話ではない。
マンテマ属という、ナデシコ科の野草の仲間には、ミトコンドリアゲノムが約1,130万塩基対もあるものがいる。しかも、100本以上の小さな環状染色体に分かれている。シベリアカラマツでは、約1,170万塩基対ある。
これらの長さは、多くの細菌のゲノム全体を上回る。けれど、遺伝子の数がそれに比例して増えたわけではない。膨らんだのは、タンパク質などをコードしない配列、繰り返し配列、そして外から来た配列だ。
だから、「ゲノムはどこへ行ったのか」を考えるとき、比べるべきなのは長さではない。まだ仕事をしている遺伝子だ。
典型的な葉緑体ゲノムは約12万〜16万塩基対で、ふつう100〜120個ほどの遺伝子が見分けられる。ミトコンドリアより、ずっと多い。光合成の中核部品のかなりの部分が、もとの場所に残っている。一方、自由生活をするシネココッカスのゲノムは、約270万塩基対ある。
だから、葉緑体側の縮小も、ミトコンドリア側と同じ形をしている。どちらも、自由生活をする近縁種の、ほんの一部にまで縮んでいる。ただし、どこまで縮んだかは、系統によって違う。
見当たらなくなった遺伝子は、どこへ行ったのか。道筋は三つある。核へ移り、そのまま働き続ける。丸ごと失われる。宿主が同じ機能の仕組みをすでに持っていたり、その機能がもう要らなくなったりしたためだ。あるいは、ほかから来た遺伝子に置き換わる。
パウリネラでは、それが直接見える。クロマトフォアに残った遺伝子は、近縁の自由生活をするシアノバクテリアの約4分の1から3割だ。一方、核で見つかり、由来をはっきり確かめられた遺伝子は、数十個しかない。その差の大部分は、遺伝子の喪失による。すべてが核へ引っ越したわけではない。
つまり、「引っ越し」では、一部分しか言い当てていない。大半の遺伝子は、どこかへ移ったのではなく、なくなった。宿主が同じ働きの仕組みをすでに持っていたか、その機能が細胞内では不要になったからだ。本当に引っ越したのは少数で、居残ったのはさらに少ない。
引っ越しのほうは、直接測れる。1990年、酵母のミトコンドリアに、核に入らなければ働かない遺伝子を入れた研究者たちがいた。核へ逃げ込む頻度を測ると、細胞分裂10万回につき、およそ2回だった。逆向きに、核DNAがミトコンドリアへ入る頻度は、そのおよそ10万分の1か、それ以下だった。
この10万倍という非対称が重要だ。双方向へ無作為に広がっているのではない。向きのある一方通行だとわかる。核へは流れていくが、ほとんど戻ってこない。
2003年のタバコの実験も、巧みだった。核に入らなければ発現しない遺伝子を、葉緑体ゲノムに組み込んだ。約25万個体の子孫から、互いに独立した16件の組み込みが得られた。花粉約1万6,000粒につき一つが、移ってきた葉緑体DNAを持っていた計算になる。
人の体でも、これはいまなお起きている。誰の核にも、ミトコンドリアから来た古いDNA断片が、数百か所に残っている。研究者たちは、これを核内ミトコンドリアDNA断片と呼ぶ。
ある集団ゲノム研究では、それまで記録されていなかった挿入位置が141か所見つかった。最近入った断片は、集団によって、さらには個人によっても違う。もっと大規模な解析では、起きたばかりの新たな挿入も捉えられた。出生数千件につき、およそ一件の頻度だった。
言い換えれば、生まれる赤ん坊数千人のうち一人ほどは、ミトコンドリアから核へ移ったばかりのDNA断片を持っている。この過程は止まっていない。いまこの瞬間にも起きている。 こうした断片は、ときに法医学者や古代DNAを扱う研究者を困らせる。核の中にある古い断片を、ミトコンドリアDNAと取り違えることがあるからだ。
五 移しきれない部分
移動はいまも続き、しかも約20億年も続いてきた。となると、問いはこうなる。なぜ、まだ13個残っているのか。その答えを探す前に、一つはっきりさせておきたい。その13種類のタンパク質は、いま、どうやってつくられているのか。
ミトコンドリアのタンパク質の大半は、細胞質でつくられ、それからミトコンドリアへ運び込まれる。膜には専用の通り道がある。タンパク質についた「宛先ラベル」が読み取られ、膜の向こうへ引き込まれ、中で折り畳まれて形になる。だから理屈の上では、どのミトコンドリア遺伝子も、核へ移せるはずだ。できた産物を送り戻せるならば。
では、なぜ13個は送り戻せないのか。いくつかの説明がある。けれど、どれも全部は説明できない。
第一の説明は、現場での制御だ。イギリスのアレンが1993年に提案した考え方で、呼吸鎖の中核部品の発現を、同じミトコンドリアの中にある遺伝子が担えば、その場の状態に直接応じられる、というものだ。このミトコンドリアは忙しいのか。何か異常が起きていないか。遠くの核には、わからないかもしれない。
はっきりした裏づけが一つある。最も一貫して残っている遺伝子は、呼吸鎖の中核をなす膜タンパク質に、強く集中している。
説明できないのは、ミトコンドリアゲノムに、翻訳に必要なRNAやリボソームタンパク質の遺伝子も残っていることだ。これらは電子の受け渡しに直接は加わらない。一方、呼吸鎖を失ったミトコンドリアの派生型では、ゲノムまで失われていることが多い。こちらは、この考えが予想するとおりだ。
第二の説明は、脂っぽすぎて運べない、というものだ。ここは、絵を思い浮かべてほしい。タンパク質はアミノ酸をつないだ鎖で、アミノ酸には、水になじむものと、水を嫌うものがある。
呼吸鎖の中核部品は膜に埋まっているから、表面は水を嫌う性質でなければならない。そうでないと、膜の中に居続けられない。では、極端に水を嫌うタンパク質を、細胞質という水の環境に置いたら、どうなるか。
固まってしまう。油の一滴が、水の中で丸くまとまるように。分子同士がくっつき合って、もうほどけなくなる。あるいは、違う膜に迷い込む。あるいは、輸送の通り道につかえて、通り抜けられなくなる。
2002年の研究は、これを直接裏づけた。ダイズなどのマメ科植物では、あるミトコンドリア遺伝子が自然に核へ移っており、そのタンパク質は、水を嫌う度合いが明らかに弱くなっていた。実験で水嫌いの度合いを下げても、取り込みは改善した。2016年には、ヒトの細胞で二つの遺伝子を核へ移し、できたタンパク質をミトコンドリアへ帰そうと試みた研究があり、なんと一部は成功した。
これで説明できないのは、なおミトコンドリアに残る親水性タンパク質やRNAの遺伝子だ。それから、水を嫌う度合いが似たタンパク質でも、ある系統では核へ移り、別の系統では残っているのはなぜか、という問いも残る。
第三の説明は、暗号が違うこと。DNAは三文字を一組としてアミノ酸を指定する。その暗号表は、ほぼすべての生物で共通だ。
ところが、ミトコンドリアのいくつもの系統では、ある三文字の意味が書き換えられている。ヒトのミトコンドリアにも、ほかでは「止まれ」を意味する三文字を、あるアミノ酸として読むものがある。だから、ミトコンドリア遺伝子を何も変えずに、標準の暗号表を使う核へ移せば、別のアミノ酸に翻訳されたり、途中で読み終わってしまったりしかねない。
これも、万能の答えではない。多くの系統では、核の暗号との差は限られている。移った後で、変異によって該当する三文字が変わることもある。そもそも暗号の意味の変更自体が、大量の遺伝子が引っ越した後に起きた可能性もある。
ほかにも、輸送シグナルの制約、遺伝子自体の塩基組成、その場で組み立てる必要性などがある。いまのところ、「一つの理由ですべてを説明できる」という合意はない。これらの説明のどれが強く、どれが弱いかを見分けるために、直接試せることがある。別々の系統に残った遺伝子は、同じ小さな組み合わせへと収束しているだろうか。
ヒトのミトコンドリアの13個のタンパク質コード遺伝子は、すべて呼吸鎖と、あの回転装置の中核をなす膜タンパク質をコードしている。7個は呼吸鎖の最初のプロトンポンプ、3個は最後のポンプ、2個は回転装置に属し、あと1個はその中間にある。
どれもミトコンドリアの内膜に埋まり、「プロトンを膜の外へくみ出す」、あるいは「プロトンを戻して回転子を動かす」ことに、直接かかわる部品だ。第三篇で見たダムの仕組みの、最も中心的な部品にあたる。つまり、いちばん移しにくい遺伝子がコードしているのは、いちばん深く膜に埋まったタンパク質なのだ。
このごく小さな集合は、「膜の中核部品ほど残りやすい」という傾向によく合う。けれど、ほかの生物にも、この13個だけが残っているわけではない。
1997年に解読された、ある原生生物のミトコンドリアゲノムは、約6万9,000塩基対で、約97個の遺伝子を保っていた。知られている中で、遺伝子の豊富だった祖先の状態に最も近いミトコンドリアの一つだ。別のものでは、約100個が残っている。動物の何倍もの遺伝子を保つ系統もある。
ミトコンドリア全体を比べて、最も強い部分的な収束が見られるのは、シトクロム酸化酵素やシトクロム還元酵素複合体の中核サブユニット、それにエネルギー合成装置の中核をなす膜サブユニットといった種類だ。ただし、具体的にどのサブユニットをミトコンドリアがコードし続けるかは、系統によって違う。
だから、残るものは、でたらめな数個でもなければ、全員共通の名簿でもない。部品の種類は同じいくつかに集まるが、そのうち何が残るかは、それぞれ違う。 制約は一つではなく、重なっているということだ。
系統ごとに残る遺伝子は、一部が重なり、一部は異なる。共通の制約と系統ごとの違いを、どちらも考える必要がある。「水嫌いと膜での組み立て」と「現場での制御」は、ともに説明に関わりうる。ただし、この名簿だけでどちらか一つの仕組みが十分だとは決められない。「まだ運び終わっていない」という言葉は、仕組みを調べる代わりにはならない。
反対の端には、完全な喪失がある。2016年、ある嫌気性の単細胞真核生物に、ミトコンドリアも、そこから変わった構造も、まったくないと報告された。
住んでいるのは、チンチラの腸の中だ。ペットとしてよく飼われている、あの動物である。単に顕微鏡で見つからなかった、という話ではない。ゲノムにもトランスクリプトームにも、ミトコンドリアへのタンパク質取り込みや、鉄硫黄クラスターの形成に必要な、一群の目印となるタンパク質が見つからなかった。
しかも、ミトコンドリアを獲得する前の枝が、そのまま生き残ったわけではない。系統の証拠は、祖先がミトコンドリアを持ち、その後に完全に失ったことを示している。鍵となった代替手段の一つは、細胞質で働く仕組みを手に入れたことだった。もともとミトコンドリアに依存していた鉄硫黄クラスターの合成を、細胞質で済ませられるようになったのだ。
つまり、知られている真核生物のすべての系統は、かつてミトコンドリアを持った祖先へたどり着く。けれど、ごく一部の系統は、後からそれを丸ごと手放せる。そして、構造が消えるより先に、ゲノムだけが消えることもある。
ジアルジアは、不衛生な水を飲んでおなかを壊したとき、よくある犯人の一つだ。その退化したミトコンドリアにはゲノムがなく、主に鉄硫黄タンパク質を組み立てる働きが残っている。トリコモナスのものも、ふつう独自のゲノムを持たないが、ミトコンドリア由来のタンパク質取り込み系や、エネルギー代謝の一部は残っている。
完全なミトコンドリア。エネルギー代謝を残した縮小版。主に鉄硫黄系の組み立てを担う縮小版。そして、完全な不在。ここには、いくつもの異なる終点がある。「ミトコンドリアがある」と「ない」の二分法では、この姿を描けない。
ある構造がまだ残っているかを判断するには、残された代謝、タンパク質の取り込み、遺伝的な統合を見なければならない。祖先が持っていたいちばん目立つ機能だけを見ていてはわからない。光合成を失っても、葉緑体がすぐ消えるわけではない。マラリア原虫がその例だ。呼吸鎖が失われても、ミトコンドリア由来の構造がただちに消えるとは限らない。
六 ほかに何が新しかったのか
真核細胞の「真核」とは、その名のとおり、本当の核を持つという意味だ。遺伝物質が二枚の膜に包まれ、細胞のほかの部分から隔てられている。ヒトの一つの核に入っているDNAは、伸ばせば約2メートルになる。それを、直径わずか数マイクロメートルの核へ詰め込まなければならない。細菌や古細菌にはこの包みがなく、まとめて原核生物と呼ばれる。
真核細胞に加わったのは、ミトコンドリア一つと核一つだけではない。細胞内部にはひとそろいの膜があり、荷物を小胞に詰めてあちこちへ運べる。形を変える細胞骨格があり、ほかのものを丸ごとのみ込める細胞も多い。これらがどこから来たのかは、真核生物の起源をめぐる、いちばん難しい部分だ。
核の起源には、大きく三つの考え方がある。一つは、宿主自身の膜が内側に折れ込み、遺伝物質を包んだというものだ。いまの核膜の外側は、「小胞体」という別の膜系につながっている。タンパク質や脂質をつくる、大きく折り畳まれた膜だ。核膜孔と、荷物を運ぶ小胞の外側のタンパク質にも、同じ折り畳み構造が使われている。どちらも、この考えとは矛盾しない。けれど、いまつながっていることから、昔の形の変化を復元することはできない。内側へくぼんでも、第二節のように内から外へひっくり返しても、核膜と小胞体がひと続きになる形はつくれる。語っている歴史は、正反対なのに。
二つ目は、大型のDNAウイルスに由来するという説だ。こうしたウイルスは細胞に入ると、自分で膜に囲まれた複製の区画をつくり、複製と翻訳を別の場所で行う。核に少し似ている。
ただし、これらのウイルスと真核細胞は、長いあいだ遺伝子をやりとりしてきた。共通のタンパク質があっても、どちらからどちらへ渡ったのかがわからない。ミトコンドリアのように、由来を安定してたどれる系統樹も描けない。
それでも、ウイルスがこうしたものをつくれることは確かだ。2017年、細菌に感染するある巨大ウイルスが、細菌の中に入ると、タンパク質で核のような小部屋を囲い、自分のDNAを中へ閉じ込めて複製するとわかった。さらに、微小管に似たタンパク質の糸を使って、その小部屋を細菌のちょうど真ん中へ動かしていた。
三つ目は、核そのものも細胞内共生から生まれたという説だ。けれど、いまの核の中には、独立した細菌や古細菌のものだと認められる、小さなゲノムは見つからない。
三つとも、決着はついていない。確かなのは別のことだ。真核生物の最終共通祖先は、すでに複雑な核膜孔を持っていた。一つの核膜孔は、数百から千個以上のタンパク質を組み合わせた、細胞内でも最大級のタンパク質複合体の一つで、毎秒千個以上の分子を通せる。2010年には、さまざまな真核生物のゲノムから、核膜孔の主要部品の相同物が見つかっている。
細胞骨格からは、もっとはっきりした答えが出た。昔の教科書には「原核生物に細胞骨格はない」とあったが、それはすでに覆されている。細菌のあるタンパク質は、2001年に構造が解かれると、アクチンとほとんど同じだった。私たちの筋肉を縮める、あのタンパク質だ。こちらも、つながって糸になれる。
細菌の分裂にかかわる別のタンパク質では、1998年に構造が解かれ、チューブリンと同じ種類の折り畳み構造を持つことがわかった。
これらと真核生物の装置は、同じ古い家族に属している。ただし、別々に長く進化してきたので、一方がもう一方の直接の前身というわけではない。つまり、細胞骨格をつくる部品は、真核細胞より先にあった。第二篇のアスガルド古細菌のゲノムにも、かつて真核生物だけが持つと思われていた、細胞骨格や膜輸送の遺伝子がいくつか入っている。
それらを組み上げ、膜を動かし、荷物を運び、染色体を引き離すネットワークにしたのは、後のことだ。細胞分裂のときに染色体を両側へ引っ張る紡錘体も、微小管で組み立てられている。
真核生物の新しさは、むしろ、タンパク質の家族が大きくなり、新しいつながり方が生まれ、分子モーターや制御が組み合わされたところにある。神経細胞の中では、分子モーターが荷物入りの小胞を背負い、微小管に沿って一歩ずつ歩く。一歩は8ナノメートル。脊髄から足の指まで行くとなれば、1メートルを歩かなければならない。
内膜系も同じだ。真核生物どうしのゲノムを比べると、最終共通祖先はすでに、たいへん充実した膜輸送の装置を持っていたとわかる。単純な小胞体だけではなかった。部品の中には、もっと深い相同関係を古細菌にまでたどれるものもあるが、数多くの家族が大きくなったのは、真核生物自身の枝の上でのことだ。
確かなのは、真核生物の最終共通祖先が、ミトコンドリア、核、核膜孔、複雑な膜輸送、そして成熟した細胞骨格を、すでに一緒に備えていたこと。何が先で何が後だったかは、いまも論争の中にある。第二節の2025年の研究では、ミトコンドリアが最後だったとされる。
直線状の染色体は、新しい問題も持ち込んだ。細菌の染色体は多くが環状で、端がない。ところが、直線状の染色体では、複製するたびに両端が少しずつ短くなる。
真核細胞は、端に繰り返し配列を並べて、減るぶんを受け止め、さらに専用の酵素で補充する。この酵素がテロメラーゼだ。これにかかわる発見は、2009年のノーベル賞に選ばれた。受賞した三人の中には、第三篇で生命の起源を研究していたショスタクもいる。
私たちの体細胞の大半では、分裂を重ねるにつれてテロメアが少しずつ短くなる。一方、がん細胞の大半は、この酵素を再び働かせている。ただし、染色体の端の仕組みは、真核生物どうしでも一様ではない。ヒトのやり方を、そのまま祖先に当てはめることはできない。
七 覆された一つの証拠
化石の話では、第一篇の分け方を借りよう。甲層は、比較的広く受け入れられているもの。乙層は、筋は通っているが、まだ足場が固まっていないものだ。
約16億5,000万年前には、比較的広く真核生物と認められる微化石の記録が、すでにある。甲層に入るものだ。直径数十マイクロメートルの小さな袋で、壁には複雑な模様や突起、枝分かれがある。顕微鏡で見ると、とげのある小さなウニや、縁飾りをつけた小球のようだ。こうした、所属をはっきり決められない微化石を、研究者はアクリタークと呼ぶ。
真核生物と判断する理由は、大きさではない。こうした壁の構造や、自在に変わる形を、既知の原核細胞でつくるのは難しいからだ。その一部は、中国の華北、燕山一帯の地層から出ている。
もう一つ、甲層の資料にバンギオモルファがある。何かに付着して伸びる、細胞が連なった糸で、現生の紅藻の一部と生育のしかたがよく似ている。いま生きているグループに位置づけられる多細胞生物として、最古級のものだ。2018年に産出層の年代が測り直され、約12億年前から約10億4,700万年前へと改められた。1億5,000万年ほど若返ったことになる。産地は、カナダの北極圏の島だ。第七篇でも、また登場する。
乙層には、とても見事な資料がある。2017年、スウェーデンの研究者たちは、放射光を使った断層撮影によって、インド中部の約16億年前の岩石にある二種類の化石の、立体的な細胞構造を調べ、紅藻と解釈した。一部の細胞には、菱形の小さな構造まで見えた。研究者たちは、それを葉緑体で炭素固定を担う部品だと考えた。
本当なら、紅藻の記録は一気に5億年以上さかのぼる。けれど、あるのは形態だけで、独立した分子の情報はない。だから、ひとまず乙層に置く。
次は、一つの証拠が丸ごと覆された顛末だ。1999年、当時オーストラリアの博士課程にいた若いドイツ人、ブロックスらが、『サイエンス』に報告した。西オーストラリアの約27億年前の岩石から、ステランという分子が見つかったというのだ。
ステランは、コレステロールなどの分子が、長く埋もれた後に残す、安定した炭素の骨格だ。コレステロールの仲間は、真核生物には広く見られるが、細菌では珍しい。健康診断の結果に載る、あのコレステロールもその一つである。
そのため、岩石中のステランは、ふつう真核生物の痕跡とされる。この分子が岩石と同じ年代なら、真核生物は27億年前に、すでにいたことになる。最古の真核生物化石より、10億年近くも早い。
後から問題になったのは、「装置が見間違えたかどうか」ではなかった。この分子は、本当に岩石と同じ年齢なのか。2008年、岩石に含まれる有機物の粒の炭素同位体を調べた研究は、これらの分子が、約22億年前に岩石が熱で変成した後に入ったと指摘した。後の時代の流体に運び込まれた可能性が高かった。
2012年、いくつもの研究室が協力し、かつてないほど汚染を避けた方法で、西オーストラリアの同じ地層から岩芯を掘り直した。それを分け合い、互いに独立して分析した。2015年に公表された結果では、新鮮な岩芯の内部のステラン濃度は、操作ブランクとほぼ同じだった。つまり、測れた量は、試料を何も入れずに同じ手順をたどったときの背景値と変わらなかった。一方、従来の方法で採った岩芯の表面では、ブランクの10倍以上の値が出た。
この研究は、あの古い岩石に本来属する有機物が、地熱で焼かれ、すでに原形をとどめないほど変質しているのに、以前に報告されたステランは、比較的「若い」ことも示した。27億年前の真核生物を論じる根拠に使われた、あのステランは、もう証拠として使えない。 覆した論文の著者には、1999年のブロックス本人もいた。彼はその後、同じ種類の分子を使い、約6億5,000万年前の岩石から、海の藻類が大きく広がった出来事を読み取っている。
汚染の入口には、三つある。掘削、試料の表面、そして実験処理だ。どこからでも、現代や比較的若い時代の有機物が入りうる。また地下の流体は、長い地質時代のあいだに、若い有機物を、もっと古い岩石へ運び込める。現代の汚染がまったくなくても、分子が入った時期が堆積より後なら、その分子で堆積当時の生命を証明することはできない。
2023年には、新しい分子の証拠も出てきた。最古のものでは約16億4,000万年前にさかのぼる、原始的なステロイド分子の仲間が報告されたのだ。現在、コレステロールの仲間を合成するときに初期の中間産物となるもので、合成経路は現代のものより短い。模擬実験によって、その対応関係も確かめられた。論文の題名の前半は、「複雑な生命の失われた世界」。これらの分子をつくったのは、細菌もいれば、真核生物の系統の根元に近い、とうに絶滅した生物たちもいたのかもしれない。彼らは海で、何億年も栄えていた。
これは1999年の主張より約10億年新しく、分子の種類も違う。昔の主張が復活したわけではない。一つの証拠の道筋が覆された後、同じ道筋から出てきた新しい証拠が、昔の主張まで自動的に受け継ぐことはない。
八 一度だけ、そしてまだ残る十三個
ミトコンドリアは、真核細胞に何を与えたのか。2010年、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの生化学者レーンと、水素仮説の提唱者マーティンが、有名になる答えを示した。エネルギーだ。
彼らの論は、こういうものだった。細菌がエネルギーをもっとつくるには、呼吸に使う膜を広げなければならない。そして細菌の呼吸膜は、細胞全体を包んでいる、あの細胞膜だ。
それを広げるには、細胞全体を大きくすることになる。けれど、細胞が大きくなってもゲノムは一組のままで、より大きな体積をまかなわなければならない。真核細胞なら、数百、数千のミトコンドリアを持てる。一つひとつに呼吸膜があり、それぞれがごく小さなゲノムだけを残す。タンパク質の大半は、それよりはるかに大きい細胞核のゲノムにコードされている。
彼らの計算では、遺伝子一つあたりに使えるエネルギーは、真核細胞で原核細胞の約20万倍になった。これはモデルから出た数字であって、遺伝子を一つずつ測った結果ではない。レーンは後に、この考えを、よく売れた一般向けの科学書に書いた。
批判も、同じく数字で行われた。リンチは、ゲノム進化を研究するアメリカの学者だ。ゲノムが大きく複雑になるのは、必ずしも自然選択が押し進めた結果ではなく、小さな集団でのランダムな遺伝的浮動によることが多い、と一貫して主張してきた。
2015年、リンチとマリノフは、遺伝子の複製から転写、タンパク質の生産、さらにタンパク質の入れ替えまで、すべての費用を計算した。その結果、細胞のエネルギー予算のうち、遺伝子そのものにかかる割合は、「ミトコンドリアがなければ大きなゲノムを養えない」という壁になるほどではない、とした。2017年の種をまたいだ比較でも、実測した代謝出力を、細胞の体積、表面積、バイオマスあたりに換算したが、ミトコンドリアによって真核細胞の単位体積あたりの産出エネルギーが一桁跳ね上がった、という結果は得られなかった。
数字には、もう一つ直接の食い違いがある。典型的な細菌が持つタンパク質コード遺伝子は3,000〜4,000個。現生の真核生物の多くは6,000〜4万個だ。実際には、せいぜい約1.5〜10倍で、20万倍ではない。
理論上の余裕が本当にそこまで大きいなら、なぜ遺伝子数は数倍しか増えなかったのか。遺伝子の数は、エネルギーだけで決まるわけではないのかもしれない。モデルで選んだ分母が、適切でなかったのかもしれない。どちらの可能性も、まだ排除されていない。
第三の異議は、肉眼で見える細菌から来た。2009年、フランスのある研究者が、カリブ海のグアドループ島のマングローブで初めて採集した。それから十数年たった2022年、研究者たちは、この巨大な硫黄細菌を正式に記載した。細胞一個の長さは、平均で9ミリメートル余り。長いものは2センチメートル近い。大きさも形も、まつ毛のようだ。その名は「壮麗な硫黄の真珠」を意味する。ふつうの細菌は数マイクロメートルしかないので、数千倍の大きさになる。
ゲノムは1,100万塩基対以上と、大半の細菌より大きく、同じゲノムが一つの細胞に数十万コピーもある。DNAと、タンパク質をつくる装置は、膜に包まれた多数の小袋に集まっている。細胞の真ん中には巨大な液胞があり、体積の大半を占める。そのため、活動する部分は外周に沿う薄い層へ押しやられ、拡散しなければならない距離が短くなる。
この細菌が破ったのは、細菌の大きさの記録だ。それまで知られていた最大の細菌でも1ミリメートルに届かなかったのに、一気に約50倍になった。破られなかったのは、「巨大な細菌は、拡散や遺伝子発現の問題を、特別な構造で解決しなければならない」という点だ。大きな液胞、数十万コピーのゲノム、そして小袋は、その問題が実在することを、まさに示している。
あの小袋も、核の相同物だとはまだ言えない。だから、言えるのはここまでだ。ミトコンドリアが、真核細胞のエネルギー生産の空間的な配置を大きく変えたことに、異論はない。それが、なければ越えられない一線だったのかどうかは、いまも争われている。
どちらが多いかは、第四篇ですでに数えた。炭素量で見ると、真核生物が圧倒的に多い。主に陸上植物のおかげだ。細胞数で数えると、地球全体では原核生物が圧倒的に多い。
では、真核生物のこの組織のしかたは、何回現れたのか。現存する真核生物は、核、核膜孔、細胞骨格、膜輸送系、それにミトコンドリアの祖先という、大きな一群の複雑な相同の仕組みを共有している。それらをたどると、同じ最終共通祖先へ行き着く。
したがって、「現代の真核生物の基本的な組織を持つ系統」として数えるなら、地球上で確認できる起源は一度だけだ。ただし、この事実から、ほかの惑星で同じ組織が生まれる確率を計算することはできない。サンプルは一つしかないのだから。
けれど、細胞内共生そのものは、一度きりではない。葉緑体で一度。パウリネラでは、それとは独立に一度。複雑な葉緑体には、二次的な取り込みが何度も重なった。窒素固定の細胞小器官も別の一回で、しかも、まだ若い。「真核生物の基本的な組織は、一度の起源にさかのぼる」と、「細胞内共生は一度しか起きなかった」は、同じことを言っていない。
ここで、この一篇の「構」に戻ろう。このシリーズでいう「構」は、人間がつくった判定基準だけではない。境界を引き、何を内側に数えるかを決めるものは、すべて含まれる。この一篇では、それは、一段上の階層にできた単位だ。
自由に暮らしていた細胞が、別の細胞へ取り込まれる。独立して複製する力を失い、ゲノムはばらされ、機能の大部分は移されるか、削り落とされる。統合が済むと、この一段上の単位が、ひとまとまりとして複製され、選択を受けるようになる。
選択される単位が、一つ上の階層へ移った。このシリーズでは、初めてのことだ。これまでの篇では、一つの「構」に収まらなくなると、手直しをしたり、外へ広げたり、同じ階層の別の「構」に取り替えたりしていた。この篇のやり方は違う。階層を変える。もとは別々に複製できた二つの単位が、一緒に増える一つの新しい単位になった。
「構」に収まらず、それでも消し去れない部分を、このシリーズでは「余項」と呼ぶ。この一篇の余項は、移しきれない、あの一握りの遺伝子だ。「まだ引っ越しの途中」ではない。
ミトコンドリアが取り込まれてからの歴史は、約20億年に及ぶ。ヒトのミトコンドリアには、タンパク質をコードする遺伝子が13個残っている。いまもミトコンドリアDNAの断片は核へ入り込み、その頻度は出生数千件につきおよそ一件と測定されている。ただし、断片が核へ入ることと、核が働くタンパク質をつくってミトコンドリアへ送り返せるようになることは違う。DNAを核へ移すことと、機能を移すことは、同じ一歩ではない。
20億年。出生数千件に一件。そして、残り13個。特別な一例ではない。パウリネラの若いクロマトフォアも、祖先の遺伝子の約4分の1から3割を保っている。葉緑体にも100個以上が残る。自前のゲノムを保つこれらの細胞小器官は、取り込むことが、元の遺伝システムをすべて空にすることとは限らないと示している。
あなたの体のほぼすべての細胞で、その13個の遺伝子は、いまこの瞬間もミトコンドリアの小さなDNAの輪に居残っている。細菌式の装置を使い、何か所か書き換えられた暗号表に従って、読み出されている。これは、余項の最も純粋な姿の一つだ。すべて解読され、存在も丸ごと認められ、移そうとする動きが続いている。それでも、もとの場所に残る。なぜ移らないのかを、すべて説明できる理由は一つもない。
極端な水嫌い。現場で制御する必要。輸送と組み立ての制約。塩基組成。系統ごとの暗号。それぞれが、一部分を説明する。残るのは同じいくつかの種類の部品だが、そのうち何が残るかは、それぞれ違う。
この「構」は、これまでの篇にはできなかったことをした。階層を変えたのだ。できなかったのは、取り込んだ相手を、完全に溶かし切ることだった。