中国語原文をもとに、日本語で独立して書き直した批評。原文ページでは簡体字と繁体字を切り替えられる。対象は田中芳樹の小説と旧OVA本伝全110話。結末までの内容に触れる。作中の発言は、特記しないかぎり趣旨を日本語で再構成している。
帝国暦488年八月。
内戦のさなかである。一方は下級貴族の出から戦功を重ねてきたラインハルト・フォン・ローエングラム。もう一方は、門閥貴族を中核とするリップシュタット連合軍。
連合軍を率いるブラウンシュヴァイク公爵の領地に、ヴェスターラントという惑星がある。その住民が反乱を起こし、公爵の甥を殺した。
公爵は、この惑星に核兵器を使うと決める。
そこには二百万人が暮らしていた。
ラインハルトは事前に計画を知った。彼の艦隊なら間に合う。
オーベルシュタインの計算
後に軍務尚書となるオーベルシュタインは、別の案を出す。行かない、という案だ。
彼の理由は弱めずに、できるかぎり強い形で示さなければならない。そうしなければ、この一篇を書く意味がない。
虐殺が起これば、リップシュタット連合軍は全帝国の前で正当性を失う。自領の平民に核兵器を浴びせる陣営を、誰も弁護できなくなる。正当性が崩れれば、内戦は一気に終結へ向かう。
すでに両陣営を合わせて一千万人以上が死んでいる。帝国には二百五十億の臣民がいる。戦争が一日延びるたび、支払う犠牲も積み上がる。
つまり計算はこうだ。二百万人を犠牲にして、内戦を早く終わらせる。その後に死ぬはずの、さらに多くの人々を救う。
オーベルシュタインは、悪を行えと言っているのではない。一度、良心に損失を負い、その代わりに計算可能な長期の利益を得よ、と言っている。
作品は最後まで、この計算を数字の上で論破してはいない。
悪役の詭弁として片づけられるものでもない。
オーベルシュタインは、この物語で最も感情に左右されない人物だ。判断の的中率もきわめて高い。それ以前、ヤン・ウェンリーがイゼルローン攻略で使う手を予測し、見事に当てていた。あのとき要塞の司令官が忠告を聞いていれば、ヤンの作戦は失敗していたかもしれない。
自分だけを例外扱いすることもない。権力も富も、人から好かれることも求めない。帝国軍の将官は、ほとんど全員が彼を嫌っている。ミッターマイヤーもロイエンタールも、とりわけビッテンフェルトも、対立をほぼ隠そうとしない。本人は少しも意に介さない。
将官たちの反感、敵意、憎悪を自分一人に集めることで、ラインハルトの盾になろうとしているのではないか。作中では、そんな見方も語られる。ただし、別の人物による推測である。作品は肯定も否定もしていない。
彼が差し出しているのは組織の論理だ。そして組織の次元では、その論理は成り立っている。
アニメ版が加えた一手
ここから先は、小説とアニメで違う。この違いが大きい。
原作小説のラインハルトは、はっきりと黙認している。
アニメ版の彼は、ためらっている。
オーベルシュタインは、そのためらいを見て攻撃予定時刻を偽る。ラインハルトが気づいたときには、もう間に合わなかった。
その決定を下したのは彼ではない。それでも、その決定を背負うのは彼だった。
この一手で、出来事の形が変わる。
統治者が、残酷だが計算の立つ選択をした、という話ではなくなる。
決定的な場面で一人の人間がためらい、その部下が本人に代わってためらいに決着をつけた。そういう出来事になる。
すると、ごく具体的な問いが生まれる。ためらうことは、決めることに含まれるのか。
含まれるなら、その日のラインハルトは、出兵の命令を間に合ううちに出さなかった。責任は彼にある。含まれないなら、本当に決めたのは時刻を偽った者であり、ラインハルトを迂回して決定が下されたことになる。
作品は彼に代わって選ばない。彼自身に選ばせる。そして彼は前者を選ぶ。以後、この件を自分の責任として引き受け、一度として、あのときはだまされていたのだ、と釈明しようとしない。
ヴェスターラントは、抜けない棘としてラインハルトに残った。作品は、彼にそれを負わせたまま残りの生涯を歩かせる。新帝国暦二年、ヴェスターラントで妻子を失った男が彼の暗殺を企てる。それは、あの出来事から届いた請求書だった。
キルヒアイスは何を言ったか
ジークフリード・キルヒアイスはラインハルトの幼なじみであり、彼が飾らずに話せる、ただ一人の相手だった。
ヴェスターラントの件を知ったキルヒアイスは、ラインハルトを問いただす。
発言の趣旨をたどれば、こうなる。
あなたが覇権を求めることに意味があるのは、今の帝国、ゴールデンバウム王朝にはない公正を、あなたが実現するからだ。私はずっとそう考えてきた。
大貴族が滅びるのは歴史の必然であり、流血も避けられないだろう。
それでも民衆を犠牲にしてはいけない。新しい体制を支える土台は、解放された民衆なのだから。
その民衆を犠牲にすれば、自分の立つ足場を自分で掘り崩すことになるのではないか。
この発言には、具体的な論点がある。そこを取り出しておきたい。
彼は、不道徳だからいけない、と言っているのではない。抽象的な原則に訴えてもいない。それをすれば、新しい体制が成り立つ根拠を壊してしまう、と言っている。
旧政権を倒す新政権は、何をもって自分のほうがよいと言えるのか。旧政権が与えられなかったものを、民衆に与えることによってである。ところが成立の過程で、その民衆を賭け金として使い切ってしまったら、倒そうとしている相手との違いは、上に誰が座るかだけになる。
つまり、キルヒアイスとオーベルシュタインが争っているのは、道徳と功利ではない。二つの異なる収支である。オーベルシュタインはこの戦争の収支を計算し、キルヒアイスは新政権そのものの収支を計算している。
彼を止められる者がいてはならない
オーベルシュタインには、作中で「ナンバー・ツー不要論」と呼ばれる主張がある。
組織の中に、最高指導者に次ぐ地位を占め、しかもその指導者を左右できる人物を置くべきではない、という考えだ。
組織論としての理はある。固定したナンバー・ツーは、第二の権力の中心になる。下の者は誰に従うべきか迷い、最高指導者と組織の間には、もう一つの層が挟まる。歴史上、こうした構造が繰り返し問題を起こしてきたことは確かだ。
この主張が物語にもたらした結果を、作品は二つ記している。キルヒアイスの死と、後のロイエンタールの反乱である。
その主張に従えば、ラインハルトの前では全員が武装を解かなければならない。
それまでは例外が一人いた。キルヒアイスには、ラインハルトの前でも武器を帯びる資格が認められていた。帝国で彼一人だけの資格だった。
その資格が取り消される。
ほどなくリップシュタット戦役が終わり、ラインハルトはガイエスブルク要塞で捕虜を引見する。ブラウンシュヴァイク公爵の部下アンスバッハが、公爵の遺体に隠した武器を使って襲いかかった。
キルヒアイスが飛び出して、食い止める。
彼は武器を持っていない。
そして、死ぬ。
彼を止められる者から、彼を襲う者を止める力が奪われていた。その理由は、彼を止められる者がいてはならない、というものだった。
ここでいう「止める」には二つの意味がある。刺客を止めることと、決定を止めることだ。作品は、この二つを一つの出来事に重ねる。同じ理由で、両方が同時に取り上げられた。
なぜキルヒアイスは、あの時刻、あの場所に、あの状態で立っていたのか。その連鎖は、ヴェスターラントまでたどることができる。
あの体制は、本当によい
ここで、ラインハルトの側も十分に書かなければならない。この部分は、ここまでのどこよりも大切である。
彼が築いたローエングラム王朝は、専制政体だ。
そして、それはよいものだった。
民衆が統治者に何を求めているのか、彼はよく知っている。公正な裁判と、公正な税制。その両方を実現した。
門閥貴族の特権は打ち砕かれ、官職は平民に開かれた。どこまで進めるかが、何をできるかによって決まるようになる。社会福祉の充実も、直前のゴールデンバウム王朝からすれば、想像もつかないほどだった。
民衆の支持は本物で、幅広く、宣伝でつなぎとめておく必要がなかった。
暴君の話ではない。能力と意欲を備え、本気で仕事をする人間の手に専制が渡ったとき、どこまで行けるのか。その上限を描いている。
ヤン・ウェンリーの評価は、こういう趣旨だった。理想的な専制君主である。だからこそ、民主主義にとって最大の敵になる。
この一篇が行き着くのは、そこだ。
問題は、彼が悪いということではない。彼がよいという事実そのものから、問題が生まれる。
悪い専制君主なら、彼のしたことを挙げて反対できる。暴虐そのものが、反対するための材料になる。
よい専制君主は、よいことばかりをする。反対しようにも、使える実績が一つもない。彼が何をしたかとは別の話をしなければならないが、今まさに恩恵を受けている民衆には、その話は空疎に聞こえる。
しかも同じ時期、向かい側にある民主制の国は、彼よりもはるかに見苦しいことをしている。
そのよさは何にかかっているのか
この一篇の最後に置くのは、一つの事実である。
公正な裁判、公正な税制、平民に開かれた官職、充実した社会福祉。先ほど挙げたものはすべて、一人の判断と一人の意志から来ている。
制度によって保証されたものは、一つもない。皇帝にも変更できない憲法に書かれたものはなく、皇帝が誤ったときに作動する手続きもない。
それらが存在できるかどうかは、あの地位に座っているのがラインハルトかどうかにかかっている。
そしてヴェスターラントの後、その地位にいる人物に「いけない」と言える、ただ一人の人は、もういない。
向かい側には、手に入れようと思えば入ったものを、一度も取らなかった人がいる。
彼の国は腐敗し、無能で、愚か者と詐欺師たちに動かされている。しかも、その国は彼を絶えず取り締まろうとする。
次の一篇へ。