SAE第二批判 · 10 · 主張の根拠を記録する
一冊の登録簿
一つひとつの「そうせざるをえない」は、何に立つのか。内容、地位、根拠、反対者と分岐、依存関係、立てられた箇所を記します。定義にも代案と代償がある。登録は証明でなく、それぞれを、得ている根拠の範囲に置く仕事です。
四つの欄に、あと二つ
前の二章は診断でした。診断には、照らし合わせる記録が要ります。枠組みの述べた一つひとつの「そうせざるをえない」は、何に立つのか。『第一批判』にも同じ登録簿があり、役目を明記しています。「書式は帳簿の約束を実行する。登録は何一つ証明せず、各項目を、それが獲得した場所に立たせる」。
一項目ごとに四つを記します。内容――何を主張するか。地位――公理か、公準か、定義か、他項目からの導出か。根拠の出所――導けるか、人が引き受けるか、仮説にとどまるか。反対者と分岐――理解できる反対の立場を想像できるか、代わりの分岐に実際にいる人はあるか。さらに二つを足します。依存関係は、どの他項目によって支えられているかです。これがあって初めて、公準が変わったら、何が支えを失うかをたどれます。支えを失うのは、偽になることではありません。いったん結論を保留し、新しい仮定で照合し直すことです。
もう一つは、どこで立てられたか。枠組みのどの連載のどの節にあり、そこで何と名乗ったかです。本書は場所を記すだけで、代わりに立てません。批判として、審査し、記録し、自分がそれを持つのではありません。出典があっても審査免除ではなく、どの連載に書かれたものも、四欄を同じように通します。
定義にも、反対者がいる
定義は、いちばん調べずに済ませやすいところです。何かを主張するのではないから、反対することもないように思える。でも違います。方法論0の第二版は、「非の源」の定義にも反対者を登録し、「争点は定義そのものだ」と明記しました。だから、ここでは各定義にも、代わりの定義と、採用する代償を記し、証拠にはしないと断ります。定義は言葉がここで何を指すかを示すのであって、誰がそこに入るかを示すのではありません。
たとえば15DDは、「私だけが目的なのではない」。本人が自分で行う一刀で、主体同士の間に横向きに成り立つ規範ではありません。代案として、論文5のように能力と定義することもできます。その代償は、15DDが段階に分けて測れるものになることです。能力の測定で誰が入るかも決めるなら、測定の根拠が別に要ります。証拠ではない。この定義では、誰が15DDかはわかりません。植民にも、道徳律の行為としての定義と、価値論の状態としての定義があります。前者だけでは、行為者がおらず、占められた位置だけが残る場合を置けない。後者だけでは、組織がしている行為を、それが生んだ状態から振り返って述べるしかない。両方を、それぞれの場所で使います。
自分の法は、価値論の定義を採ります。「担い手が自分に立法し、展開し、改めていく構造形式であって……特定の一内容ではない」。代案は二つ。カントの自律なら、普遍法の形式が、自分の法それぞれの構成条件になります。あるいは、いま何を欲するかと読むこともできます。その代償を価値論は、三概念を分けなければ「統一線は、すぐ主観的な気ままさへ滑る」と述べました。証拠ではない。この定義は、人の法の内容を教えません。
七つの公準
① 他人が目的であることを疑わない。二行に分けます。地位の行は、論文4の「人はそれ自体で目的である」。対象範囲の各人が持つ、功績によらない規範的地位です。態度の行は論文6の不疑で、「君に、目的であることの証明は求めない。そうだと初めから扱う」。二行の間には、論文4自身が隙間を残しています。「地位はどんな検査でも変わらない」から、「証拠を求めず、目的として扱わねばならない」へは、「まだ人の扱い方についての橋が一本欠けている」。欠けは記すだけで、橋を架け足しません。
② 横向きの「べき」はない。人が他人に負う義務はなく、唯一の義務は内へ向かいます。③ 一人称を代筆しない。本人が本当に何を肯認するかを、外から代わりに決められません。外からの読みは正しくも誤りもしますが、最終判定にはしません。④ 出所を外に置かない。ある内容が本人の価値かどうかの資格は、その源の外からは来ません。宣言からも――「私の価値だと言えば私の価値になる、という一歩は成り立たない」――、時間からも――「十分長く持ったのだから、もう自分のものだろう」――、外の保証からも来ません。
⑤ 立場の条件。二行あります。一般の行動にある「そうせざるをえない」は、あの二層の形で読み、その立場は一件ずつ離れられます。⑥ 法と実行の間の偏りは、ゼロにならない。 ⑦ 目的の地位に段階はない。この地位について、高い、低い、等しいという比較は定義されていません。七つは、元の連載では多くが命題を名乗り、一部は導出されたとも言っています。でも、本書はなお、公準として登録します。非からは導けず、どれも理解できる反対の立場を想像でき、互いに独立しているように見えるからです。
構成例と、分岐
一つの公準がほかから独立しているとは、ほかを満たして、それだけ満たさない構成例があることです。実践の候補の多くは、既存の文章から探せます。約束の型。約束すれば相手への負い目が生まれ、相手が要求できる。他は守り、横向きの「べき」だけが加わります。誓いの型。立場から一件ずつ離れられず、一度離れれば全体から離れたとする。価値論の調整者は、あなたを目的とし、横向きの義務も課さず、ただ「本当に何を肯認しているか見える」と名乗ります。長く持ったことを根拠とする人。 階段状の序列。全員が目的でも高低をつける場合です。一つずつ確かめるまでは、どれも候補にすぎません。検証は本書自身が負う、付録で果たすべき宿題として残ります。
分岐の欄には、実際に人がいる別の道を記します。誤りとしてではなく、条件と代償を伴う別の道です。カントの普遍立法、法権と強制、構築しない法――「ある主体の自立の法は、まさに構築しないことだ。道を為しては日々に損じ、無為にして鑿たず」。理論上の唯我、能力を認めたうえでの支配、第一公準を拒む人。ノーを否認する支配も、矛盾の指摘を伴って記します。ただし、最初の総括はこの一行には当たりません。成り立たないのは、その否認の一文です。
旧版は、分岐として登録しません。枠組みの古い「離脱できない」を、いま生きる道としては載せない。『第一批判』の決まりでは、「公準が破られたら、旧版は死に、改訂に置き換わらねばならない。交換可能であることは死の免除ではなく、その形である」。ただし系譜は残ります。旧公準の組のもとで審査を通った主張は、「なお、その時点の立場についての有効な記録」です。
この分岐が、自分に立てる法
最後は、この本が「私たち」の名で守る、この分岐の法です。全員のための法ではありません。誰の法か、条件の前半、取り消せないこと、根拠、代償の五つを記します。代償は、守る側と離れる側を両方記します。離れる代償だけなら、守るのは無代償だという過剰な主張になります。引き受けること。すでに不疑を自分の法の前提とした人は、目的だと証明させてから目的として扱うことをせず、相手の行動を理由に、その人も目的だという前提を取り消しません。判定できるのは操作です。この法を守る代償は実在します。悪いことをしている相手にも、なお目的として接し、操作だけを判定することです。
問い返しを止めてはならない。目的を条件とした形です。記録の確かさと実際に得たものの増大を望むなら、問い返されることを止められません。取り消せないのは外から再検討する通路です。記録の確かさを掲げて主張しながら、原理的に外部の再検討から免れることはできません。ただし個々の問いに一時答えないことも、通路を変えることもできます。「必要なのは通路であって、際限なく居続けることではない」。『第一批判』が残した「問い返されるべき」を法にできるかという問いには、これで答えます。できますが、記録の確かさを求める人にとっての、この分岐の法としてであり、「すべての主体に向けた法ではない」のです。
登録簿は最後に、自分を登録します。本書の道具――領域内零点、正面の入口に追加した区分、認と承の区別、代償は余項であること、四欄の所在、該当しないという判定――にも、地位、依存関係、限界を記し、計十六項目です。『第一批判』の「自分を登録できない登録簿は、一ページ目から失格だ」は、こちらにも当たります。記録を立ててわかったのは、各項目の立つところだけです。法はなぜ、立てた人を拘束するのか。それは次章で問います。
出典と読み方
本連載は『SAE第二批判』の中国語原論文を底本に書き直した読者向け散文で、完全な論証の権威ある底本は原著です。日本語版は公開された中国語散文から独立に書き直したもので、原著の全訳ではありません。元の英語版も英語の読者に向けた独立の文章で、簡体字・繁体字の中国語版には全文があります。全十二篇が共通の一冊を読みます。中国語の原著を読む ↗ · DOI ↗