殺人より葬儀を審理する
海辺でムルソーはアラブ人を一発撃ち、間を置いてさらに四発撃つ。事実は認めているのに、法廷が集めるのは養老院長、門衛、マリーの証言である。珈琲、煙草、涙、翌日の喜劇が、射撃の経緯より長く検討される。裁かれる対象は一つの行為から、葬儀で示された人物像へ移る。
悪い心と良い心
検事は、母を殺人者の心で葬ったと述べ、葬儀と殺人を同じ魂の二つの現れにする。弁護人は反対に、貧しさから母を預け、悲しみを堪えた孝行息子を作る。内容は逆でも、展示できる「心」を本人へ装着する点は同じだ。争点は彼の内面を作るべきかではなく、何を入れるかに限られる。
代理された一人称
弁護人は「私は」とムルソーの感情を語り、本人には発言を控えさせる。彼は自分の裁判から締め出されたように感じる。「太陽のせいだ」という説明が笑われるのは、感覚的な経過であって動機の物語ではないからだ。法廷は憎悪、復讐、衝動なら処理できるが、光の反射を人格の理由として読めない。
真実から作られる偽像
院長も門衛もマリーも本当のことを言う。だが真実の断片は、検事の並べ方で殺人者の心になり、弁護人の並べ方で悲嘆する息子になる。ムルソーだけが断片を物語へ束ねない。その沈黙は隠し事と解釈され、死刑は殺人だけでなく、社会が検査できる自己説明を提出しなかったことへの判決となる。
対象作品: Albert Camus, The Outsider (L’Étranger). カミュの原作を主要テキストに、感覚・内面の物語・社会的可読性を読む独立した日本語批評です。