堀木が開いた道
堀木は葉蔵を酒、煙草、質屋、女、左翼の集まりへ連れていく。悪意ある罠ではなく、都会の先輩が自分も遊ぶ場所へ後輩を誘っただけだ。堀木には生活、体面、引き返す理由がある。葉蔵は自分で行き先を選ばなかったため、連れていく者が去った場所にそのまま残る。
「いや」を支える別の予定
拒否には「自分は別の場所へ行く」という理由が要る。住居、学校、政治、酒、療養まで葉蔵の転機には父、堀木、ヒラメ、シヅ子らの名が並ぶ。自分の側の予定が空なら「行こう」に対抗する言葉がない。しかも彼は場を読むのがうまく、同行者を喜ばせるため、誰もその受動性を危機と感じない。
他者の「その人」を読まない
ツネ子との入水で彼女だけが死ぬが、手記には疲労や貧しさ以外、彼女自身が何を望んだかがほとんどない。葉蔵が読んできたのは、他人が自分へ何を求めるかであって、他人自身の目的ではなかった。自分の固有の欲望を持たないため、他者にも固有の中心があるという発想を見落とす。
消える決定と一度の要求
シヅ子とシゲ子の笑いを扉の外で聞き、葉蔵は自分がいない方が幸せだと判断して去る。相手へ尋ねず望みを代筆する点で、幼い日の獅子舞と同じである。対照的に、信じることのできるヨシ子へ結婚を求めたのは、彼が自分から何かを望んだほぼ唯一の瞬間だった。
対象作品: Osamu Dazai, No Longer Human (Ningen Shikkaku). 太宰治の原作語彙と枠物語の構成に即し、道化・受動性・自己証言を読む独立した日本語批評です。