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Non Dubito

政府論 · 05

川の水かさが増す

Han Qin ·

緊急事態

五年目の春、川が増水した。その夜、苹果市の市長は『苹果市緊急事態条例』に基づき、緊急事態を宣言した。夜十時から朝六時までの外出禁止。市教育局が管轄する河堤通り中学校を避難所として徴用。堤防の外側の住民には、期限を定めた避難。条例には、緊急命令は市長が三十日ごとに更新し、市議会は三分の二の多数で終了できる、とある。この権限は市議会が条例で市長に授けたものであり、市議会は条例制定の手続きによって、その授権を変更または廃止することもできる。避難所のベッドは三百床、堤防外の住民は約五百人だった。

二週間後、水は引いた。三年前、治水堤を造るため収用した野菜畑の場所では、その堤防が持ちこたえた。収用の勘定は第二篇で書いた。外出禁止は五週目に解除された。夏になり、三か月が過ぎても、河堤通り中学校はまだ徴用されていた。避難所には、帰るところのない六十世帯が残っていた。緊急命令はなお毎月更新され、三か月目の更新命令の理由欄には、初回と同じ一文があった。「河川が増水し、堤防外の住民が危険にさらされている」。学校の生徒は、市の東部にある仮校舎へ移って授業を受けていた。

三つを先に書く。誰に対してか。堤防外の住民、河堤通り中学校の生徒と教職員、そして外出禁止のために市民全員。どの境界か。外出禁止、徴用、避難はいずれも、制限できる行為に作用する。基本的権利の境界は、緊急でも変わらない。基準状況は、洪水前の日常。

緊急時には、通路が動き終わるまで判断を待てない。水は増し、堤防外の人々は夜のうちに移動し、避難所は夜明けまでに開かなければならない。平時なら先に議論し、審査し、問うべきことも、その夜には間に合わない。だが、間に合わないのは何なのか。市長がその夜に下した判断は、いつまで通用するのか。水が引いても残る緊急命令は、何に基づくのか。五百人に三百床しかないとき、ベッドのない人はどうするのか。この間に越境があれば、「緊急」の二文字で勘定を済ませられるのか。制度論は、この種の問いを委ねていた。「できるかどうか、できないときにどう移行し、どう帰責するかは、判断力を伴う事柄であり、政府論、企業論などの個別の制度論に委ねる」。外出禁止、徴用、避難をそれぞれ何に基づいて強制できるかは、第二篇の連鎖に従って調べる。本篇が書くのは時間のあり方と、できないことだけであり、強制への許可を新たに出さない。

変わらないもの

その夜、河堤通りは姿を変えた。堤防外の家族が荷物を引いて中学校へ向かい、教室から机と椅子が運び出され、ベッドが置かれた。夜十時以降、通りに人がいてはならなかった。緊急は多くを変えた。まず反対側を問う。何は変えられないのか。

第一、第二の当為。市自身の行為は、内部のどの人の境界も越えない。避難する住民、避難所で眠る人、外出禁止の夜を家で過ごす人、すべて含まれる。制度論は、この当為は「関係の厚みに応じて調節されず、いかなる条件によっても割り引かれない」と言う。緊急も一つの条件であり、しかも最も割り引く理由にされやすい条件だ。避難所は人が住むところであって、閉じ込めるところではない。一人の退出を塞ぎきれば越境になる。三百のベッドが並んでも、人と人の境界を市は同じように守らなければならない。守り方自体も、市の行為である。「守ること自体が制限でなければならない。守るのは構築体の行為であり、第一の当為に属する」。

第四の当為の、通路を塞がないこと。避難が制限するのは堤防外にとどまることであって、誰を頼るかではない。避難所がどんな規則を定めても、親族や友人の家へ移るのを妨げず、家族との往来を断ってはならない。第五の当為の、問われる通路。一件に答え終えれば終結できるが、「撤回できないのは、問われることと説明の条件である」。外出禁止の夜も、避難所のベッドの傍らでも、人が問いを口にでき、問えば受け止める者がいなければならない。承認に基づく権利を保障する仕方。学校が徴用されても生徒の就学は止まらず、市東部の仮校舎へ移った。就学がすでに組み込まれた位置なら、校舎は移せても、その位置を名前だけにしてはならない。緊急時に組み込まれた位置を本当に停止する必要があるなら、停止そのものも公にし、問い直されうるものでなければならない。

これらを、本シリーズはまとめて「貫くこと」と呼ぶ。これは制度論の「貫くこと」より広い。先行論文が、いかなる条件でも割り引かないと明言するのは、第一の当為だけだ。これらをまとめて緊急という条件にまで広げるのは、本シリーズの一歩である。広げる根拠は、制度論自身の区別にある。「貫くのは当為であって、仕組みではない」。この一文はもともと境界を守ることを述べていた。ほかの要件にも借りることは、本シリーズ自身のその一歩に含まれる。緊急が変えるのは仕組みだ。誰が決め、何を先に行い、何をあとで審査するか。変えられないのは当為である。

早められるもの

平時、市が一校を別の用途へ回すには、市教育局が提案し、市議会が議決しなければならない。今回は市長一人が、一夜のうちに決めた。市議会は先に議論せず、事後に三分の二で終了する権限と、条例制定の手続きで授権を変更または廃止する権限を保持した。緊急は三つを変えた。一つは速さ。平時に進めるべき手続きを、一夜で進める。二つ目は順序。先に実施し、あとで審査する。学校の徴用、避難範囲の設定、外出禁止の宣言は、すべて先に行い、その是非や継続の要否はあとで審査する。三つ目は一時的な役割分担。平時は複数の位置で共同して下す決定を、一時的に一つで下し、市議会は事前の議決から事後の終了へ移った。これらは変えてよい。「仕組みは変えてよいが、三条件は撤回できない」。事前審査を事後審査へ、事前に問われることを事後に問われることへ変えてもよい。

「事後に問われる」には、見過ごしやすいところがある。事後へ移すのは審査と回答の時点であって、声を上げる時点ではない。通路の三条件の第二は、「内部の主体が実際に起動できる」ことだ。緊急の間も通路は起動できなければならない。避難所のある家族が荷物を調べられ、身分証を押収されたなら、その時点で訴えられるところが必要であり、そこを当の巡査やその上司が一人で決めてはならない。調査の完了や回答は多少あとでもよいが、声を上げることを緊急の終了まで待たせてはならない。事後に問われることを「事後にしか問わせない」と読めば、緊急の間に通路がなくなる。それは時点を移したのでなく、三条件を撤回したのだ。どの手順をあとへ回せるかも、項目ごとに説明しなければならない。遅らせれば、その項目へのコントロールが無効にならないか。避難範囲への疑問の回答が水の引くまで待たされるなら、避難はもう終わっている。異議を受け取れるだけでは、修正が間に合う証明にはならない。

境界は動いていない

境界をもう一度述べる。洪水の夜、堤防外の家はいつ浸水してもおかしくなく、そこにとどまれば人の身体が水際に置かれる。平時も今夜も、測る境界は同じだが、測られるものが違う。連鎖も物差しも変わらず、変わったのは物差しの下の事実だ。外出禁止も同じである。全市の人々は夜に出歩けなくなるが、その大多数は誰の境界も越えておらず、堤防外に住んでもいない。何に基づくかは第二篇の連鎖に従って調べ、本篇では時間のあり方だけを記す。一時的なものであり、五週目に撤回された。

逆に、緊急でも変わらない事実もある。避難所の家族の携行品と身分証について、洪水はそれらと家族の間の何も変えていない。根拠なく調べ、取り上げることは、平時に越境なら緊急時にも越境だ。したがって三つを分ける。緊急が手続きを変えることは、よい。緊急が事実を変えるなら、変わるのは事実そのもので、境界は従来どおりそれを測る。緊急が境界を変えることは、できない。三つ目はしばしば前二つを装って現れる。「手続きが間に合わない」「状況が変わった」と言いながら、行おうとするのは、もとからある境界を越えることだ。

三か月目の更新命令

三つの措置には、それぞれ理由があり、同時に理由を失ったのではない。外出禁止が対したのは夜間の水の状況であり、水が引いてからもしばらく続き、五週目に解除された。避難が対したのは堤防外の水であり、水が引くと大半の家族は帰宅したが、六十世帯には帰るところがなかった。学校は当初、避難してきた人の住まいとなり、三か月後もその六十世帯が住み、生徒はなお市の東部にいた。

制度論は、守るための仕組みについて一つを立てた。「一時的な保護の仕組みは、その条件が変わったら再審査し、出自だけで自動更新してはならない」。また、「常設の保護措置は、存続し続けるだけで抑圧と判定されるものではない」とも言う。これはもともと、人と人の越境を防ぎ、境界を守る場面に書かれていた。苹果市の外出禁止、避難、徴用が防ぐのは水であり、作用を受ける大多数は誰の境界も越えていない。措置を取るのは、強制を持つ政府だ。主語も対象も尺度も変わり、緊急権力へ広げるのは本シリーズの一歩となる。広げられるのは、その骨格が措置の防ぐものに依存せず、二つに依存するからだ。措置が一時的であること、特定の理由によって成立すること。緊急権力は両方を持つ。戦争論も同じ方向のことを言う。「戦後のどの動きも新しい動きであり、正当であるには新しい『そうせざるをえない』を必要とする」。ここへ広げると、骨格は四文になる。特定の理由が特定の一時措置を支える。理由の変化が再審査を発動する。継続には現在の根拠を要し、過去の出自だけで更新しない。常設の保護措置に別の根拠があるなら、それを別に説明し、常設というだけで侵害とは判定しない。

この四文で、あの更新命令を見る。三か月目の理由欄に書かれているのは、一か月目の理由だ。これこそ、出自だけで更新する姿である。当初なぜ緊急命令が成立したかは述べても、いまなぜ継続する必要があるかは述べていない。水が引き、理由が変わったので、再審査が発動する。再審査は撤回と同じではない。本シリーズにおける返還は、あらかじめ決めた日付ではなく、再審査で現在の根拠が見つからないときの結論だ。そのときは措置を撤回し、占有したものを返さなければならない。三か月は再審査の理由であって、失効の閾値ではない。三か月で緊急命令が自動的に無効になるという意味ではなく、時間が過ぎ、条件が変わったなら、誰かが「いま、何に基づくのか」と問わなければならないという意味だ。

あの六十世帯

いま何に基づくかは、調べなければならず、先回りして答えてはならない。学校には六十世帯が残っている。制度論は言う。「具体的な人の保護に必要な仕組みなら、その存続が継続の理由たりうる」。また、「継続も撤去も、保護される人々、課題、権限、代価、既存の約束に戻して調べる」。この五つで調べる。保護される人々は、帰るところのない六十世帯。課題は、水を避けることから住まいの確保へ変わった。権限は、緊急命令の権限が洪水のために与えられたものであり、住まいの確保がなお範囲内か、説明を要する。代価は、生徒が市東部の仮校舎で学んでいること。既存の約束は、一方が六十世帯へのもので、他方が生徒へのものだ。五つを調べた結果、住まいの確保は続けるべきで、学校ももうしばらく使う必要がある、となるかもしれない。しかし、それは別の理由であり、それについて別に判断し、それ自身の手続きに従わなければならない。「河川が増水している」という一文の名を借りて、月ごとに更新し続けてはならない。

堤防は別の件だ。あの堤防は常設であり、洪水時に持ちこたえた。ずっとそこにあるだけで抑圧にはならず、その根拠には当初の収用時の別の勘定がある。一時と常設を分ける。緊急命令は一時的で、期限が来れば再審査する。苹果市に常設の居住支援策が必要なら、別に設け、別に説明すべきであり、緊急命令を更新して常設化してはならない。

現在も、同じ物差しを使わなければならない。市は、学校はいずれ返す、と言うかもしれない。将来返すつもりなのは将来の計画であり、現在塞ぎきっていないことを、それだけで証明しない。現在、どの行為を一時的に制限し、独立して問う道と回復の道をどれだけ残しているかは、現在に即して調べる。学校の件で一時的に制限されているのは校舎の利用であり、生徒の就学は市東部で続いている。生徒や保護者が徴用について問いを口にでき、市長一人では決められないところへ届けられるかは、いま調べなければならない。返還の日まで待ってはならない。この年の秋、ある保護者が問いに行った。どこへ行き着いたかは、第六篇で書く。

権力論は、教育、行政上の管理引受け、治療的な拘束を含む中間状態を示している。「錠は一時的で、自己清算的であり、予定された返還の道がある」。同時に、「本篇では中間状態を展開せず、その位置だけを示す」と言う。ここでは、同じ方向だけを取る。一時的な錠は、返還へ向かう。それは許可を出すものではなく、個別の緊急措置がその中間状態であると証明するものでもない。予定された返還の道は、その種の中間状態の構造的な特徴であり、要求として採れば、制度論の一項より多くを求めることになる。両者は同じ件の強弱二つの形ではないので、原則として取ることも、国家論へ留保することもしない。戦争論の一項は違い、同じ件の強い形だ。戦時に設けた一時的構造は、緊急権力を含め、戦後にすべて自ら撤去し、その正当性は戦争終了と同時に消える。本シリーズは制度論に従って弱い形を取り、強い形は国家論に残す。

誰が緊急と認定するか

その夜、緊急と認定したのは市長だった。条例は、宣言も更新も市長一人に任せている。市議会が終了するには三分の二を集める必要があり、条例制定の手続きで授権を撤回することもできる。三か月の間、市議会は終了も撤回もしなかった。まず前半を言う。認定は、一つの位置が行ってよい。この点は遠回りしなくてよい。水が増し、複数の位置が話し合うまで待てないからこそ、緊急と呼ぶ。突発的な行動のたびに、先に関係者を集めて共同判断することを求めるのは、緊急が起こらないことを求めるに等しい。原論文は機能だけを立て、形態を決めない。一つの位置が先に判断し、先に実施してよい。

次に後半を言う。認定がなされ、措置が取られた時点で、「緊急はまだあるのか」は、措置を取った側への問いになる。あなたの措置は、いまも根拠を持つのか。この問いを、問われる側が一人で決めてはならない。制度論は言う。「審査される側は、疑問が存在するか、解決したかの決定を独占してはならない」。まとめはさらに短い。「問い直される側は、門を閉じる権限を独占してはならない」。同じ当為には、前半にまさしく対応する一文もある。「自己点検はしてよいが、独立して問われる位置の代わりにはならない」。市長は自ら認定しても、自ら再審査してもよい。しかし、その再審査は、市長が独占しない審査に代わらない。この文型を、緊急の認定、確認、延長、終了へ当てはめるのは、本シリーズの一歩だ。

この一歩は、さらに一層進めなければならない。措置が取られたら、確認と終了は審査だけではない。終了は措置を本当に止められなければならず、確認が成立しなければ、更新が本当に起こらないようにできなければならない。問われる層だけを守り、審査は通常どおり行われても、終了の効力をなお措置を取った側が握るなら、門はやはり閉じられる。したがって確認と終了は、効力の層にかかる。調べるべきは、措置を取った側が一人で阻止できない、確認または終了の道だ。この層も本シリーズ自身の一歩であり、第六篇で一般形へ広げる。

この二層で苹果市を見る。認定は市長。更新も三十日ごとに市長一人。終了は市議会で、三分の二を要する。授権の撤回も市議会で、条例制定の手続きを通る。終了と撤回の権限は別の位置にあり、紙の上では独占ではない。しかし独立は機能に即して調べる。「独立とは機能上の意味であり、制度の外にあることを要求しない。防ぐべきなのは、審査される側が、自分への審査を単独で塞ぐことだ」。三か月にわたり市議会が終了しなかったことだけでは、独占と診断しない。議員が調べて、現在の根拠がなおあると考えたのかもしれない。仮に市議会の多数が市長と同じ党で、三分の二をどうしても集められないとする。同党であることは証拠にならず、集められないだけでも独占とは診断しない。調べるのは、その多数が市長の意思だけに従っているかどうかだ。調べてそうだったなら、終了には三分の二、撤回にはその多数の通過が必要で、更新の再審査も市長一人の手にある。すると市内には、措置を取った側が阻止できない確認または終了の道がない。構造として、緊急がいつ終わるかを措置を取った側が決め、市の層で非独占を果たしていない。調べてそうでなければ、三分の二を集められないのは、議員がそれぞれ判断した表決結果にすぎない。

シュミットと

誰が緊急と認定するかについて、シュミットは非常に直接的な答えを出した。『政治神学』第一章の冒頭で、例外状態について決断する者が主権者である、と定義する。その者は極端な緊急が存在するかも、それを取り除くために何をすべきかも決める。スタンフォード哲学百科事典の概説によれば、彼は、極端な緊急を統御できる法規範はなく、例外について事実上決断できる者が主権者であり、あらゆる法秩序は究極的に規範でなく決断に立つ、と考える。原論文は原著を手元に持たず、この概説に基づいて述べている。原論文は彼と、一つの反対方向の対照を行う。

まず、同じ問いを扱っているかを調べる。尺度は違う。シュミットの例外は、どの規範も予見できない極端な事態であり、そこで決断するのは実定法に拘束されない主権者だ。苹果市長は、市議会が定めた条例に従って緊急を宣言している。条例は市議会に終了権限を与え、市の上には王国州もある。市長がその夜、先に判断しただけで、シュミットの意味の主権者とは呼べない。シュミット自身も、主権者の代わりに行動する委任独裁と、新しい憲法を立てる主権独裁を分けている。市長は条例によって授権され、授権は撤回できるので、前者に近い。したがって、両者が同じ問いを扱うのは一つだけだ。緊急があるかの判断と、対処の仕方の判断が同じ位置に置かれ、その決断が以後は拘束を受けないのか、という点である。どこまで同意するか。一般規範では徹底した例外を包みきれないことは、第一篇の、規則は判断に代われない、という方向と一致する。緊急時には下すべき判断があり、一つの位置が先に下す必要がある。分かれるのは、シュミットが「決断が要る」から「決断する側は、いかなる実質的な法的制約も受けない」へ進むところだ。本シリーズはこの一歩を進まない。判断が必要であることは、その判断を問わなくてよいことではない。

原論文は相手に代わって最も強い反論を立てる。規範は極端な緊急を予見できない。その瞬間、あなたたちの非独占という規範がなお通用するかを、誰が決めるのか。それを決める側こそ主権者だ。応答は四つ。第一に、三つを分ける。シュミットの主権者は、一つの位置で三つを行う。緊急かどうかの判断、対処の判断、そして以後いかなる実質的な法的制約も受けないこと。極限の状況が与える理由は、「待てない」だ。待てないことは、前二つを一つの位置が迅速に行う理由であって、三つ目の理由ではない。しかも待てないことには期限があり、水が増すときには成立するが、水が引けばなくなる。苹果市の水は二週間で引いたのに、更新はなお一つの位置が単独で行う。これは局所的な反例であって、絶対的例外の理論への一般的な反証ではない。第二に、遡及をどこで止めるか。「この規範がまだ通用するかを、誰が決めるか」は、上へ上へと続く。本シリーズは、それを最高の決断者で止めず、一つの構造で止める。門を閉じる権限を複数の位置が分けて持ち、誰も独占しない。シュミットは、一つの秩序は最後の一つの決断によって閉じなければならないと前提する。本シリーズは、その前提を取らない。それが規範的な選択だ。最後の裁定者がなぜ不要かは、第六篇で述べる。第三に、事前に置く。極限状況で非独占を支えるのは、事前に置いた構造だ。緊急を確認し、終了する位置は、緊急の前から存在し、その存続、招集、議題は措置を取る側に依存しない。第四に、保証しないが、勘定も消さない。極限の事態がそうした位置までも一掃したとする。「本シリーズは、問い直しがいつ起き、誰が受け止め、どれだけ続くかを保証しない」。そのとき、シュミットの記述は事実かもしれない。しかし事実は規範の勘定を済ませない。「過去の未解決分は、問い直しを閉じても消えない」。通路が戻れば、問い直しを塞いだ決断そのものも問われなければならない。シュミットでは決断が秩序を基礎づけ、本シリーズでは決断自体も勘定に載る。これは本シリーズの構造上の主張だ。あらゆる極限状況で非独占を実際に保てると証明するものではない。国家全体の存亡にかかわる絶対的な例外には、本シリーズは答えず、国家論に委ねる。

三百床

三百床に五百人。避難所は到着順にベッドを割り当て、初日の夜には満床になった。ベッドのない人は、親族や知人を頼ったり、学校の体育館や廊下で床に寝たりした。三百床を一夜で五百床にはできない。これは、できないことの一つだ。誰に対してか。ベッドのない約二百人であり、ある三百人にもつながる。どの境界か。ベッド不足は供給が達成できていないことで、それ自体が越境ではない。誰かの生命の基盤を圧迫したかは、その人の状況に即して別に調べる。基準状況は、避難命令が出る前、それぞれに住まいがあったこと。

できないとき、口をついて出やすい説明が二つある。「私たちはベッドのある三百人にだけ責任を負う」。「避難所は正常に運営されている」。前者は当為をできる分まで縮め、後者はできなかったことを、起きなかったことにする。制度論は両方を退ける。「本シリーズは実際にはできない場合を認めるが、そのためにどの当為も撤回せず、割り引かない」。「資源不足は、どう履行し、どう移行し、どう帰責するかにかかわる。ここでどの当為も減らすものではない」。ベッドのない二百人は、ある三百人と同じく苹果市の内部にいる。避難命令が彼らに及び、それを避けられない。ベッド不足で、彼らの分が減るわけではない。本シリーズは「当為は可能を含意する」に対する立場を示さない。ただ、できないからといって、どの当為も項目を減らさない、と言う。廊下で夜を過ごすのが高齢者一人の場合と、一家で親戚の家に入れた場合は同じではなく、それぞれの状況で別に調べる。調べた結果がどうであっても、できないこと自体は、どの当為の項目も減らさない。

移行措置は説明しなければならない。避難所を開いたのも、ベッドを用意したのも、到着順と決めたのも市だ。制度は自ら作り出したものに説明責任を負い、「問われた件そのものに答えなければならない」。説明すべきなのは、どれだけ足りないか、何に従って順序をつけ、なぜその順序なのか、ベッドのない人がどこへ行き、市は知っているのか、移行をどう組み立て、いつまで続けるのか、誰が判断し、誰へ答えるのか、である。到着順の割当ては一つの判断であり、年齢順、子どもの有無、身体の状態によっても決めうる。本シリーズはどの順序が正しいかを言わず、判断の仕方を教えない。言うのは、順序づけ自体が判断であり、説明を要するということだ。説明も、達成と同じではない。できないことを理由に説明と修正の責任を取り消さず、説明したからといって達成済みと記録しない。

帰責は、構築体と個人を分ける。制度論は言う。「構築体の名義は、独立した根拠のある個人の責任を覆い隠さず、構築体の責任不履行も、自動的に個人の勘定へ移さない」。三百床という数を誰が、何に基づいて決めたかは、その数を決めた位置の勘定であり、苹果市という構築体の勘定でもある。入口で割当てをしていた人の頭に、自動的に落ちるわけではない。逆に、割り当てる人が満床になる前に誰かを門前払いしたなら、それはその人の勘定であり、「もともとベッドが足りなかった」では済ませられない。さらに一つ、区別する。ベッド不足はできないことであり、自動的に越境ではない。次の節の件は、できないことではない。

三日間

避難所が開いていた間、一人の巡査が、何の根拠もなく、ある家族の携行品を捜索し、身分証を押収した。返したのは三日後だった。この捜索は、事後の検証で越境と確認された。警官はあとで言った。「緊急事態の間、避難所の安全は私たちの管轄であり、調べるのは職責です」。市警察局の回答はこうだった。「個別の警官の行動であり、緊急事態下の勤務体制とは無関係です」。誰に対してか。この家族。どの境界か。自分の携行品と身分証を管理する、この家族の支配の境界。根拠のない捜索と身分証の押収が、それを越えた。基準状況は、避難所の同じ状況の家族なら、持ち物を根拠なく調べられず、身分証も手元にあること。

避難所は移行の仕組みだ。帰宅できないので、市が学校を当面の代わりにし、警官がそこで勤務するのもその一部である。捜索と押収は、この仕組みの中で、一つの位置を通じて行われた行為であり、越境は第一の当為に即して読む。二つの言葉は、それぞれ違う方向へ押しやる。前者は緊急へ押しやる。「緊急事態の間」という語で、この件を緊急の名の下へ入れようとする。しかし洪水は、この家族と荷物や身分証との間の事実を何も変えておらず、この件の境界を緊急は動かしていない。前節のベッドはできないことだったが、この件は違う。何かができなかったため、警官がこの家族の荷物を調べざるをえなかったわけではない。緊急はできないことを説明しても、越境は説明しない。緊急という名分も、手続きという名分と同様、そのとおりにすれば境界内にあることを証明しない。移行中の越境をどう勘定に記すかは、制度論は書かず、判断力を伴うシリーズへ委ねた。本シリーズは条件文で答える。ある移行上の行為が越境したと確認されたなら、移行という名はその帰責を取り消さない。

条件文には、その限定がある。一つは、積極的な保障を達成しなかった結果を、自動的に侵害と呼ばないことだ。ベッドのない二百人は、できないこと。市東部で学ぶ生徒は、校舎を転用されても就学は止まっていない。それらが別に第一、第二の当為に触れるかは、それぞれの基準で調べる。同じ緊急の間に起きたからといって、一括して越境に数えない。もう一つは、構築体の責任を個人へ自動的に記さないことだ。ここで後の言葉に至る。「個別の警官の行動」は、この件を丸ごと警官一人に負わせようとする。

警官の勘定は、あの捜索とあの押収である。「帰責先と実際の実施者は、互いを覆い隠さない」。「確認された具体的な操作は人に帰責できるが、その人に永久の身分を定めない」。本心で職責だと思っていたかは、この件が越境したことを変えない。「境界を越えるのに、誰かの故意は必要ない」。市警察局の勘定は別であり、別に調べる。避難所へ警官を派遣すると誰が決めたか。派遣時に捜索についての規則があり、どう書かれていたか。避難所には、家族がその場で訴え、身分証を返してもらえるところがあったか。なぜ三日だったのか。「勤務体制とは無関係」は市警察局の一つの主張であり、それも説明し、問われた件に答えなければならない。調べて欠けがあれば、その勘定は市警察局と苹果市という構築体にある。荷物を調べたのが一人だからといって、一人ですべて背負うものではない。身分証は三日後に返された。返還は続いていた効果を止めたが、勘定を済ませたのではない。すでに起きた三日間にどう応じるかは、別に根拠を立てる。

ロックと

臨機の権力が正しく使われたかを誰が判断するかは、ロックも問うた。『統治二論』後篇には、大権を専門に論じる章がある。まず、なぜ必要かを述べる。立法者はすべてを予見できず、執行者は権力を持つので、法律に指示のない多くの場合、「立法機関を無理なく招集して、それを規定できるようになるまで」、社会の利益のために権力を使える。法を厳格かつ硬直的に守ることが、かえって害を生む場合もある。例は、隣が火事なのに、延焼を止めるため罪のない人の家を取り壊さないことだ。続いて定義する。「公共の善のため、法律の規定を待たず、ときには法律に反してさえ、裁量によって行動するこの権力が、いわゆる大権である」。一言でいえば、「大権は、規則によらず公共の善を行う権力にほかならない」。

そして問う。「この権力が正しく使われたか、誰が裁くのか」。答えは、大権を持つ執行権と、その執行権に頼らなければ招集できない立法機関との間には、地上の裁定者はありえない、というものだ。「この件でも、地上に裁定者のいないほかのすべての場合と同様、人民には天に訴えるほか救済がない」。人民は、あらゆる人定法に先立つ法によって、天に訴える正当な理由があるかどうかの最終判断を自らに留保する。その判断が働くのは、不都合が大きくなり、多数者が感じるようになってからだ。

両者は同じことを問う。法が間に合わず、予見できないとき、誰が判断し、判断したあとに誰がそれを判断するのか。どこまで同意するか。法は予見し尽くせず、先に下す判断が必要であること。法の指示がない場合、大権は一時的な役割分担であり、執行側が先に行い、議する側が議せるようになれば返すこと。先例は出自になりうること。ロックはよく見ていた。よい君主の治世では人民はその大権を制限しないが、後継者は「よい君主の行為を先例として引き、自らの大権の基準とする」。出自だけで更新しないことが防ぐのも、同じことだ。

分かれるのは二つ。第一は境界だ。ロックの大権は実定法を越えられるが、彼の根本法は越えない。ある場合、法は執行権へ道を譲らねばならず、「むしろ、自然と政府のこの根本法へ道を譲る」と言う。その根本法は、社会の全成員が可能なかぎり保全されることだ。本シリーズは、緊急が手続きの速さと順序を変えることを認めるが、境界の変更は認めない。無辜の人の家を取り壊して火を止める件は、本シリーズでは第二篇の連鎖へ戻り、家主の損失と救済を勘定に載せる。これはロックのその節が問わなかったことだ。越境したかどうかは、第二篇に従って段階ごとに調べ、この例だけで両者の最終的な境界が反対だとは言わない。制限できる行為は第二篇の連鎖に従って制限する。境界を越える一歩は、保全される人が多くても踏み出せない。境界のある保全目標と、一組の境界判定基準は両立しうる。原論文は、ロックが皆の保全のために自分で定めた制限を越えるとは言わず、彼を論駁済みだとも言わない。

第二は、誰が判断するか。両者とも、審査される者の手にない判断を必要とする。ロックはそれを憲制の外、人民に置き、最後の一歩とし、多数者が感じて初めて動く。本シリーズは、それを憲制の内に、事前から置くことを求める。内部の誰もが起動でき、起動しても報復されない。ロックの枠では、立法機関は執行側に頼らなければ招集できないので、地上の裁定者がいない。本シリーズがこの枠に読むのは、まさに防ぐべき配置だ。審査できる側が会議を開けるかどうかを、審査される側が握っている。天への訴えは、この地上の通路がないときに残るものだ。一つ正確にしておく。本シリーズで事後に問われることは、構築体への当為であり、既存の慣行の記述ではない。ロック自身も、大権の制限は、人民が損害を受けたところに明文法で引かれた、と記した。明文はあとからできたものだ。苹果市にそうした通路があり、十分かは、この例に即して調べなければならない。

原論文はロックに代わって最も強い反論を立てる。最終判断は、もともと人民の手にある。地上に審査の位置をもう一つ設けても、執行者に握られうる権力が一つ増えるだけだ。審査する側も誤り、濫用する。さらに一層を設けて審査しても、難題を上へ移しただけである。しかも、悪い執政者を防ぐため、よい執政者の臨機の判断を毎回審査へ回せば、緊急が最も必要とする速さを遅らせるだけだ。応答。この通路は、さらに上位の裁定者ではない。審査者も審査され、自分への審査を独占できない点は同じだ。最後の裁定者がなぜ不要かは、第六篇で述べる。速さは損なわない。認定と先行する対処は、なお一つの位置が行ってよく、審査するのは確認、延長、終了で、時点はあとだ。人民の最終判断も取り消されない。問うかは内部の人自身のことだ。通路が開いていることは、毎回誰かが問うことではない。判断は誤りうるから、問い直されうる必要がある。ロック自身の先例の話は、よい判断も後世の人によって出自に使われうることを、まさに示している。

第五篇を合わせると、こうなる。緊急時も、貫くべき要件は止まらない。緊急は手続きの速さ、順序、一時的な役割分担を変え、事前の審査と問われることを事後へ移せるが、通路は緊急の間も起動できなければならない。緊急が変えるのは境界の適用される事実であり、境界ではない。緊急権力は条件が変われば再審査し、出自だけで更新せず、現在の根拠が再審査で見つからなければ返還する。緊急は一つの位置が認定してよいが、確認、延長、終了は措置を取った側が独占しない。できないときも、当為を撤回せず、割り引かない。移行は説明し、構築体と個人を分けて勘定を置く。越境したと確認された移行上の行為は、移行という名で帰責が取り消されない。あの川、あの学校、あの六十世帯は、あとでも使う。

原論文と読み方について

学術原論文:Qin, Han (2026). 緊急(SAE政府論 第五篇)。self-as-an-end.net ↗ · DOI: 10.5281/zenodo.23413413

中国語の本文をもとにAIの支援で作成し、今回の公開に向けて内容と表現を校訂しました。人間の母語話者による校閲を受けたと主張するものではありません。

原論文 ↗