第十八篇 金融化:帳簿が、別の帳簿を記しはじめる
オプション価格、株主価値、証券化、影の銀行。危険を分解し取引可能にした金融化が、連結部分の危険を見失うまでを追う。
この篇の目次
一 九百十一枚
一九七三年四月、シカゴに新しい取引所が開いた。株式オプションだけを扱う取引所だった。
初日の売買は、九百十一枚。上場していた株式は、わずか十六銘柄だった。
それまで、アメリカの株式オプションは、たいてい取引所の外で話がまとまっていた。売り手と買い手が直接向き合い、契約の条件を一件ずつ詰める。期間も、権利行使価格も、受け渡しの方法も、それぞれ違う。一枚のオプションは、具体的な二人が相談して決めた、具体的な約束だった。誰が誰と、どんな条件で取引するか。他の人は知らず、知る必要もなかった。
このやり方には、道理がある。オプションは、将来のある日に、あるものがいくらの値を持つかを賭ける約束だ。そして、その賭けに応じるかどうかは、相手がこちらを信用できると思うか、逆向きの持ち高を持っているか、以前に取引したことがあるかによって変わる。条件を一件ずつ話し合うとき、話し合われていたのは、条件だけではなかった。
新しい取引所がしたのは、それを標準化することだった。権利行使価格は決まった目盛りに並べ、満期日は月ごとにそろえる。契約の単位を統一し、清算を一か所で引き受け、価格を公開して掲げる。
もともと人と人との関係に深く根を下ろしていた取引が、比較でき、計算でき、途切れずに値をつけられる市場の対象へと作り替えられた。
標準化の代価は、すべての契約を同じ形にそろえなければならないことだ。望む満期日が目盛りに入っていなければ、いちばん近いところを選ぶしかない。望む権利行使価格と五十セント違っていても、やはり近いところで折り合う。契約がこちらの必要に沿って形を変えるのではなく、こちらの必要を契約に合わせる。その代わりに手に入るのが、流動性だった。今日買った標準契約を、明日には、自分をまるで知らない誰にでも売ることができる。
同じ年、二人の学者が、オプションの価格づけについての論文を発表した。示したのは、一つの公式だけではない。一つの考え方である。原資産と無リスク資産を組み合わせ、動的にヘッジする持ち高を作れるなら、そのオプションには、計算でき、理論上も整合する価格がある。
標準化された契約と、計算できる価格。この二つは、同じ仕組みの半分ずつを担っていた。前者がオプションを比較できるものにし、後者がそれを計算できるものにする。
九百十一枚の契約は、この先に現れる機械が立てた、最初の音だった。
この数は、覚えておくとよい。小さいからこそ、後と比べられる。三十数年後、世界の店頭デリバティブの未決済残高は、想定元本で百兆ドルの単位に達する。その間のどの一年にも、突然の飛躍はなかった。毎年、前年より、ほんの少し多く手がけただけだった。
この点は、この先のどの節でも繰り返される。構が広がるとき、ほとんど、一度きりの跳躍には頼らない。毎年、前年より少しだけ先へ進む。そして、一回ごとのその少しは、それだけ見れば、どれも理にかなっている。後になって、あの年にブレーキを踏むべきだった、と振り返ろうとしても、その年は見つからない。一年ごとの増分は、どれも、その年の合理性の範囲に収まっていたからだ。
これまでの十七篇をたどると、構は、ずっと同じことをしていた。同じ物差しでは測れないものを、そこへ押し込み、帳尻を合わせる。そして、押し込まれるのは、いつも外の世界だった。一片の土地。一群の人々。ある長さの時間。一種類の金属。一国の対外的な帳簿。
これからの数十年に起きることは、それとは違う。
帳簿は、外を指し示すことが、次第に少なくなる。別の帳簿を記しはじめる。
比喩ではない。後で、具体的な数字を見る。ある一群の金融商品の中間部分は、八割近くが、同種の商品を運用する人々に買われ、次の組み合わせのなかへ入れられた。構がここまで来ると、共通の尺度へ収めようとするものは、もう外の世界ではない。前の工程で、自分が作り出したものなのである。
二 値を見積もるのは、ほとんど不可能
一九七五年五月一日、アメリカの証券市場で、売買委託手数料の固定制が廃止された。後に、メーデーと呼ばれる日である。
それまでは、手数料は固定され、しかも、ひとまとめの金額になっていた。当時、ある規制当局者は、率直に述べている。固定手数料の制度では、取引の執行と調査サービスが、歴史のなかで形づくられた一つの総手数料に包まれており、この二つの値を見積もるのは、ほとんど不可能だ、と。
値を見積もるのは、ほとんど不可能。この言葉は、書き留めておきたい。
認めているのは、ごく素朴なことだ。証券会社が顧客のためにすることは、注文を取引所へ送り、成立させるだけではない。調査を見せ、電話で相場の話をし、人を紹介し、よい機会がないか気を配り、必要なときには少し融通も利かせる。それらが混ざり合い、一つの関係になる。その関係がいくらの値打ちを持つかは、誰にも、はっきりとは言えない。
はっきり言えないときは、慣行による総額を一つ、つけておく。
このやり方は、いいかげんなのではない。そこには注意したい。手間と費用の少ない処理の仕方なのである。一つずつ取り出して計算し尽くすより、ひとまとめに値をつけたほうが、誰にとっても手がかからない。第一篇で述べたとおり、帳簿が現れる前の世界で、人と人とのやり取りを支えていたのは、こうした、一式まとめての取り決めだった。精密ではない。それでも、持ちこたえることはできた。
固定手数料の廃止は、単なる値下げではなかった。ひとまとめになっていたものをほどき、一つずつ、値を示すよう迫ったのである。執行はいくらか。調査はいくらか。助言はいくらか。関係はいくらか。
この動きには、前の篇でも、何度も出会っている。第五篇の複式簿記。第十篇の限界革命。第十二篇の家事労働。毎回、姿を変えて現れるのは、同じ問いだった。関係のなかに混ざっているものを、取り出して、単独で値づけするのか。
今回の答えは、取り出す、だった。
ただし、今回の分解には、これまでと違う特徴がある。もっとはっきりさせたいと望む誰かが、始めたのではない。競争に押し出されて始まったのだ。固定手数料がなくなれば、執行という一項目の値を先に下げた会社が、先に注文を取る。そうなると、いったん始めた分解は止められない。分解しない会社は、分解した会社に負けるからである。
分けたとたんに、起きたことがある。単独で値を出せるものは、価格が下がりはじめた。競争にさらされるようになったからだ。単独で値を出せないものは、難しい立場に置かれた。値札はない。だが、ただでは渡せない。そこで、別の何かの価格へ折り込まれるか、少しずつ消えていくか、どちらかになる。
一つだけで値をつけよと求められれば、そのものは、その値に見合うと証明しなければならない。ところが、あるものの価値は、まさに、それだけを取り出して計算しないところにある。
感傷を述べているのではない。損を出した月にも、担当の仲介人が電話をくれる。まだ書き上げていない見立てを、分析担当者が先に話してくれる。そんなことが起きる理由の一部は、まさに、値がついていないことにある。だから、投入した手間と得られる成果を計算しなくてよい。一つ一つに値札をつければ、どれも、同じ問いを突きつけられる。この一項目だけで見て、割に合うのか。
その後の数年、同じ方向へ向かう動きが相次いだ。一九八〇年のある法律は、預金を受け入れる金融機関への制約を緩めた。一九八一年には、世界銀行とあるコンピューター会社が、後に何度も引かれる、最初の正式な通貨スワップを成立させた。通貨も、期限も、資金調達の費用も違う債務を、一つのデリバティブ契約によって、切り分け直し、組み替え、もう一度値づけできるようになった。
この取引を境に、債務は、ただの債務ではなくなる。別のキャッシュフローと組み直せる、原材料になった。
組み直す。この言葉が、この先、数十年の主要な動きを言い表している。もともと、一つの債務は、一人が別の一人から借りた金だった。期限も、通貨も、金利も、その関係に根を下ろしていた。スワップは、それらをばらばらにする。そちらの欲しい期限はそちらへ。こちらの欲しい通貨はこちらへ。利息は、別の尺度で計算し直す。分けたあとも、債務は同じ債務のままだ。それでも、もう、もとの関係のなかには収まっていない。
三 カメラではなく、エンジン
ある研究者は、一九八〇年代を、取引の十年と呼んだ。
彼女がアメリカのデータから見いだしたのは、次のようなことだった。非金融企業のキャッシュフローに対する証券収入の比率が、一九七〇年代から、はっきりと上がりはじめる。金融部門の利益と非金融部門の利益の比率は、一九五〇年代と六〇年代には比較的安定していたが、七〇年代に上がり、八〇年代には急上昇した。分析対象となった期間の終わりには、五〇年代、六〇年代の典型的な水準のおよそ三倍から五倍になっていた。
さらに重要なのは、その内訳である。非金融企業で急増した証券収入は、主として、株式市場での値上がり益によるものではなかった。利息収入によるものだった。
つまり、製造業、工業、小売業といった、名目上は実体経済に属する会社が、債権債務の関係へ、ますます深く入り込んでいた。工場は、まだ動いている。商品も、まだ売っている。それでも、損益計算書のなかで、金そのものが生む部分が、次第に大きくなっていた。
社内への影響は、具体的だった。製造会社が、生産ラインをもう一本増やすより、手元の資金を貸して利息を得るほうが、確実で、早く、四半期報告にも表れやすいと気づく。そうすれば、次にラインを増やすか決めるときには、すでに、比べる相手が頭のなかにいる。生産を禁じる必要はない。同じ表の上で、他の金の使い方と比べるだけで足りる。
同じころ、価格モデルは、描写を超えたことをしはじめていた。
後に、ある社会学者は、この種のモデルを、カメラではなくエンジンだと呼んだ。傍らから市場を撮っているだけではない。市場のなかへ入り、市場を変えてしまうのである。
まず、標準化されたオプションが作られる。次にヘッジがあり、次にマーケットメーキングがあり、次にインプライド・ボラティリティという曲線が現れる。そして、ボラティリティそのものが取引の対象になる。新しい価格公式が一つできるたびに、新しい取引対象が生まれ、その対象が、また新しい公式を必要とする。
一九八七年十月の株価暴落は、その裏側を照らし出した。
当時、ポートフォリオ・インシュアランスと呼ばれる手法が広まっていた。理屈は、すっきりしている。市場が下がったら株価指数先物を売り、損失をヘッジする。一つの保険。一組のモデル。一つの、自動的に実行されるルール。
ところが、大勢が同時に同じモデルに従うと、下げ相場で、こんなことが起きる。モデルが、さらに売るよう求める。売りが、価格を押し下げる。下がった価格を受け、モデルが、もっと売るよう求める。
リスクを避けるために設計された仕組みが、下落のなかで、下落を加速させる仕組みに変わった。
後の公式な検証も、関連する研究も、このような動的ヘッジが、下げ相場で相場の動きに同調する売り圧力を強めたと指摘している。ここには、その後、繰り返される型が現れている。モデルは、市場の傍らに立って市場を描くのではない。市場の内側で、取引を動かしている。
構の性質が、ここにはよく表れている。これまでの篇では、物差しが余項を照らし、ある人の一時間の値をつけ直し、幅のある区間を一点へ押し縮めた。それでも、物差しの仕事は、あくまで測ることだった。ここへ来ると、物差しが手を動かしはじめる。測って出した数字が、一つの取引を起こす。その取引が、測られたものを変える。だから、次に測ると、別の数字が出る。
測られるものは、もう、じっと立ってはいない。物差しの示す読み取り値に従って、動く。
この道のりで、構が遂げた最も重要な形の変化である。前の十七篇では、構と、構が測ろうとするものとの間に、まだ、いくらか距離があった。帳簿が記すのは、すでに起きたこと。物差しが測るのは、もともとそこにあったもの。測り方が不正確でも、測られる側は、測られたというだけで変わりはしなかった。ここで、その距離がなくなる。価格が、自分の描く出来事へ入り込み、その出来事の一部になる。
一九九〇年代には、この言葉が全面的に広がっていく。一九九九年、アメリカの中央銀行の議長は、ある講演で、過去十年の金融における最も重要な出来事は、金融デリバティブの目覚ましい発展だったと述べた。翌年の議会証言では、店頭デリバティブによって、リスクを切り分け、それを引き受ける意欲と力が最もある投資家へ配分できるようになったとも語っている。
効率を説く議論の、たいへん典型的な表現だ。そして、道理もある。リスクは消えたのではない。よりふさわしい引き受け先へ、配り直された。農場主は、収穫物の価格リスクを、引き受けたい人へ渡せる。会社は、為替リスクを外へ移し、自分の商売に専念できる。
これらの利点は、本物だ。小さなことでもない。価格リスクを外へ移せる農場主は、相場を読むことに気持ちの半分を取られず、自分の得意なものを安心して育てられる。毎日、為替を見張らずに済む会社は、よい品を作ることに力を注げる。分業が深まるのは、他人が抱えたくない不確実さを、引き取ってもよいという人がいるからなのである。
この説明では、金融革新は、分業の深化として描かれる。リスクを部品のように分解し、組み直し、最もふさわしい持ち手へ売る。
成り立つための前提は、取り外した部品を全部合わせれば、もとのものになる、ということだ。
長いあいだ、この前提は真剣には確かめられなかった。理由は単純で、平時には成り立っていたからである。一つのリスクを三つに切り、三人へ売る。ふだんは、三人がそれぞれ自分の部分を扱い、互いにかかわらない。いつか、三人とも同時に手放したくなった日に、初めて気づく。その三つは、ずっと、つながっていたのだと。
四 何を第一の目標にするのか
金融化が起きたのは、ウォール街だけではない。会社の内側へも入っていった。
一九九七年、アメリカのビジネス・ラウンドテーブルは、企業統治についての声明に、きわめて率直に書いた。企業の第一の目標は、所有者のために経済的な利益を生み出すことだ、と。
同じ文書は、経営陣と取締役会の最上位の義務は、株主に対する責任であり、他の利害関係者の利益は、その株主への義務から派生するものにすぎない、とも述べている。
ふだんの言葉に直せば、企業が第一に考えるのは、雇用でも、技術の蓄積でも、この町の盛衰でもない。株主に利益をもたらすことだ、ということである。
この言葉がしようとしていることは、明瞭だ。会社のなかには、もともと、同じ尺度では測れない目標がいくつもある。働く人の仕事を守る。長期の研究開発へ投資する。仕入れ先との関係を育てる。地域での評判を気にかける。技術の蓄えを厚くする。共通の単位はない。何を多めにし、何を少なめにするかは、人が秤にかけて決めるしかなかった。
人が秤にかけるやり方には、欠点もある。遅い。不透明だ。その席に誰が座っているかで変わる。経営陣が、自分に都合よく語る余地も大きい。株主価値という言葉が力を持ったのは、まさに、これらの欠点へ向けられていたからだ。共通の数字が一つあれば、誰がよくやり、誰がしくじったかについて、もう説明を聞く必要はない。
株主価値は、それらに、共通の単位を与えた。
二〇〇一年、ある学者は、この考え方を、さらに体系立てて記した。すべての商品に価格がついているという条件のもとでは、企業が自社の長期的な市場価値の総額を最大にすることで、社会厚生の最大化を実現できる、という。そして、その総価値は、株式、債務、優先株、ワラントなど、あらゆる金融上の請求権の市場価値を足し合わせたものになる。
この説明の力は、ここにある。きわめて複雑な組織の問題を、市場価格によって一つに表せそうな、目的関数へ変えたのである。
ところが、そこからこぼれ出るものも、同じ文書のなかに見えている。
株主価値を高らかに掲げた、あの企業統治の声明は、会社の目標を株主への利益へ向ける一方で、こう認めていた。統治で本当に肝心なもの、取締役の資質、最高経営責任者と取締役の人柄、最高経営責任者に敢然と異を唱える人がいるかどうかは、ソフトな要素であり、主観的で、表に並べて比較しにくいものだ、と。
企業の目標を一つの数字へ還元することに、最も熱心な文書が、自ら認めている。会社は、測ることのできない人格の特性と、人間関係のなかでの判断なしには、動かないのである。
法律と財務の実務も、同じ方向へ押した。一九八二年のある規則は、発行会社が公開市場で自社株を買い戻す際のセーフハーバーを設けた。その後、アメリカ企業による現金の分配は、明らかに自社株買いへ傾く。S&P五〇〇の構成企業では、一九八〇年の自社株買いは、配当のおよそ十分の一にすぎなかった。それが、一九九七年と一九九八年には、配当を上回っていた。
さらに後、ある研究者が、二〇〇三年から二〇一二年まで、この指数に一貫して残った四百四十九社を調べた。利益の五十四パーセントが自社株買いに、さらに三十七パーセントが配当に使われていた。
この歴史を、鮮明に描いた研究者もいる。アメリカの大企業の戦略は、一九七〇年代より前には、利益を残して再投資することに重心があった。一九八〇年代以降は、削減、分配、そして、いわゆる株主価値を中心に、ますます動くようになったのだ、と。
最も大きな変化は、経営幹部が、より貪欲になったことではない。社内で目に見える尺度が、変わったことである。
長期の研究開発や、働く人が身につけていく技能を、その場で現在価値に直すのは難しい。一方、株価、一株当たり利益、自社株買い、買収プレミアム、部門ごとの収益率なら、毎日、順位をつけ、責任を問い、インセンティブと結びつけることができる。
生産は、消えたのではない。ただ、金融の言葉で、自らの必要を説明することが、ますます求められるようになった。工場も、小売網も、特許も、ブランドも、顧客との関係も残っている。だが、割引キャッシュフロー、資本コスト、株主へのリターン、市場の評価倍率という、何段もの換算を通って、ようやく正当なものと認めてもらえる。
この共通の尺度へ吸収しにくいものは、社内ではコストセンターとされ、資本市場では評価を引き下げる要因とされる。そして、外注され、削られ、証券化され、あるいは売り払われる。
順序に、目を留めておきたい。まず誰かが削ろうと決めたのではない。先に物差しができ、それで測ると、これらのものは、見栄えの悪い数字になった。そのあとで、削るという決定が、当然のように見えてくる。決める人は、何かを犠牲にしているとは感じていない。一つの数字を改善しているつもりなのだ。第十三篇でも、これに近いことを述べた。一つ一つの部品を単独で扱うとき、その扱いには、どれも道理がある。道理のある扱いを、すべて足し合わせると、あの居場所は、なくなっていた。
五 七つの工程
同じ分解の論理が、住宅ローンの流れのなかで、極限まで進んだ。
昔ながらの銀行では、一件の住宅ローンは、ひとまとまりの仕事だった。銀行が所得を調べ、貸すかどうか決める。銀行が自分の資金を貸す。銀行が返済を見守る。返せなくなれば、銀行が家の処分に当たる。これらの仕事は、初めから終わりまで、同じ貸借対照表のなかで絡み合っていた。
絡み合っていることにも、用がある。自分の金だから、銀行には、借り手を丁寧に審査する理由がある。満期まで持ち続けるから、見守る理由がある。家を抱え込むのは自分だから、返済が滞ったとき、すぐ取り上げる前に、まず話し合う理由がある。これらの仕事がつながっていたのは、分けることを誰も思いつかなかったからではない。つながっていれば、仕事を担う人に、その仕事をきちんとする理由があったからだ。
証券化は、このまとまりを分解し、一本の流れ作業にした。
サブプライムローンの証券化の連鎖を、詳しく解きほぐした研究がある。そこでは、借り手、融資を実行する業者、アレンジャー、ウェアハウス融資の提供者、格付け会社、サービサー、資産運用者、投資家のあいだに、少なくとも七種類の、重要な情報摩擦が数えられていた。理論上の対処法も、それぞれに用意される。デューデリジェンス、買い戻しの約束、ウェアハウス融資の担保評価の割引率、格付け、信用補完、債権管理・回収の契約。
この一式がしようとしていることは、一言にまとめられる。もともと書かなくてもよかった理由を、書き留められるものに置き換えることだ。以前、銀行が返済を見守っていたのは、自分の金だったからである。いま、サービサーが見守るのは、契約に、そうすべきだと書いてあるからだ。前者の理由は、利害の関係に根を持つ。後者の理由は、紙の上に根を持つ。紙も役に立つ。ただし、紙に書かれたことは、人が実行しなければならない。そして、実行する人には、自分の算盤がある。
シャドーバンキング全体も、同じ形をしている。ある研究では、その信用仲介を七つの段階に分けた。貸出の実行、貸出債権の一時保有、証券の発行、証券の一時保有、再組成商品の発行、証券の仲介、ホールセール資金調達である。
従来の銀行は、預金、貸出、満期変換、流動性の支援、資本による緩衝を、一つの屋根の下に置く。シャドーバンキングは、これらの機能を縦に切り分け、住宅ローン会社、特別目的事業体、証券会社、マネー・マーケット・ファンド、レポ市場など、それぞれ別の節点へ渡す。
規模は小さくない。二〇〇七年六月には、あるフローの集計基準による推計で、シャドーバンキングの負債総額は二十二兆ドル近くになっていた。同じ時期、従来の銀行の負債総額は、およそ十四兆ドルだった。また、このころのアメリカのレポ市場は、およそ十二兆ドル。アメリカの銀行システムの総資産、十兆ドルと、ほぼ同じ規模だった。
つまり、最も重要な信用活動のかなりの部分が、もはや、誰もが知る預金の受け入れと貸出のなかでは行われていない。高格付けの証券を担保に、翌日物や、ごく短い期間の資金調達を繰り返して生き延びる、ホールセール市場へ移っていたのである。
熱を帯びた資金も、この連鎖へ向かった。二〇〇六年、アメリカの非エージェンシー住宅ローンの実行額は、一兆四千八百億ドルに達した。エージェンシー住宅ローンを上回る幅は、四十五パーセントを超えた。非エージェンシーの住宅ローン担保証券の発行額も、一兆三百三十億ドルとなり、エージェンシーによる九千五十億ドルを上回った。
最も熱を帯びた住宅向けの資金は、比較的統一された引受基準を備えるエージェンシーの仕組みからあふれ出し、証券化の連鎖、格付け、引受業務、ウェアハウス融資、レポによる資金調達に、いっそう依存する民間の機械へ流れ込んでいた。
この仕組みは、表から見ると、徹底して匿名である。
貯蓄する人が持っているのは、銀行預金ではなく、マネー・マーケット・ファンドの持ち分だ。資金は、窓口を通らず、コマーシャルペーパーやレポを介して流れ込む。担保は、格付けのある証券。リスクは、クレジット・デフォルト・スワップ、保険、流動性支援の条項で管理する。取引相手どうしが話をつけるのは、親しさによってではない。標準の基本契約と、担保の管理によってである。
第六篇で交子を扱ったとき、貨幣から金属をはがすことは、重さのすべてを人格へ載せることに等しい、と述べた。ここで試みられているのは、その逆である。一つ一つの工程から人格をはがし、文書、格付け、担保評価の割引率、標準条項へ置き換える。
しかし、はがしきれない。
アレンジャーは、やはり、上流にいるウェアハウス融資の提供者に、自分を認めてもらわなければならない。格付け会社や投資家に対しては、自分の評判を懸けて保証しなければならない。表明保証にも、署名しなければならない。サービサーにも、延滞した資産を、関係者の利害と自らの誘因が整合する形で処理するだろう、と信じてもらう必要が残る。
匿名の価格の下で、関係は消えていない。ばらばらにされ、連鎖のつなぎ目へ、一つずつ隠れただけである。
隠れていることと、消えたことの違いは、ふだんは見えない。一本の鎖に七つのつなぎ目があれば、それぞれに、信頼がなくては通り抜けられない、小さな箇所がある。平穏な日には、七つとも、それぞれは取るに足らないほど小さい。同じ日に、そろって問い直されたときに初めて、その総量が姿を現す。
六 帳簿が、帳簿を記す
ここまで来れば、最も肝心な現象を見ることができる。
住宅ローンは、証券化されると、一枚のまとまった証券になるのではない。いくつかの階層に切り分けられる。最上位のトランシェは、返済を最初に受け取り、損失を最後に負担する。一段下がると、負担が少し増える。いちばん下の何層かが、最初に損をする。それぞれに、格付けがあり、利回りの上乗せ幅があり、価格がある。
この切り方そのものには、道理がある。投資家によって、リスクの好みは違う。融資を切り分け、慎重な人には上を、危険を引き受けてもよい人には下を買ってもらう。それこそ、リスクを最も引き受けたい人へ配分することだ。
しかも、この切り方は、現実にある難しさを解決した。住宅ローンは、期間が三十年、金額が数十万で、借り手は特定の一人である。そのまま市場へ持ち出しても、ほとんど売りようがない。そうしたローンを数千件まとめ、損失を引き受ける順番によって、何層かに切る。すると、それまで売れなかったものに買い手がつき、長く保有したい人から、家を買う必要のある人へ、資金が流れるようになる。共通の尺度に載せることで、実際に成し遂げられたことなのである。
問題は、中間の何層かが、どこへ行ったかにある。
金融危機を調査した委員会は、二〇〇六年と二〇〇七年の再組成商品市場について、きわめて衝撃的な事実を明らかにしている。一部の標本では、メザニン部分の八十パーセント近く、あるいは八十八パーセントまでもが、同種の別の商品を運用する人に買われ、次の組成へ詰め込まれた。極端な事例では、ある商品の買い手が、すべて、同種の別の商品を運用する人だった。
この一文は、ゆっくり読まなければならない。
住宅ローンのリスクを外へ分散するはずの機械は、ますます、自分の作った商品どうしが互いを食い合い、互いを増殖させるものになっていた。
一回目の組成で中間部分が売れ残る。そこで、二回目の組成へ入れる。二回目でも、それを上、中、下の三つに切り、いちばん上には、再び最上位の格付けが与えられる。同じリスクが一周し、別の名前になり、格付けが上がった。
ここで、誰かが偽っているわけではない。どの段階にもモデルがあり、どの格付けも、当時の手法で計算され、どの段階も文書に記されていた。より高い格付けが出せたのは、一つの具体的な仮定に基づく。同じ束へ入れたものは、同時には問題を起こさない、という仮定だ。手法の説明には、その仮定も書いてある。誰でも読める。ただ、読みに行く人が、あまりいなかった。
帳簿は、もはや、住宅ローンのキャッシュフローだけを記してはいない。別の帳簿を記しはじめる。
前の十七篇で、構が相手にしたのは、つねに外部の対象だった。一片の土地。一群の人々。ある長さの労働。一種類の金属。一国の収支。構と対象のあいだには、緊張があり、こぼれ出るものがあり、帳尻の合わない部分があった。それでも、対象は、ずっと外に立っていた。
ここで初めて、構は、自分自身を対象にしはじめる。自分の作った商品に値をつけ、その価格にまた値をつけ、その価格づけをする契約に、さらに値をつける。一層ごとに計算は明瞭で、一層ごとに市場の価格がある。だが、その連鎖のいちばん下にあるのは、数十万件の具体的な住宅ローン契約と、毎月返済しなければならない、数十万人の人間である。
その人々と、自分たちのいる連鎖の位置とのあいだに、何層の隔たりがあるのか。上端にいる人には、もう数えられなくなっていた。
それでも、数えられないことは、繁栄のなかでは、問題にならなかった。価格があるからだ。
この一文が、本篇の骨をなしている。計算できないことと、知らないことは、同じではない。計算できなくても、値が一つあれば、人は、それ以上尋ねずに済む。価格が、問いに取って代わる。しかも、徹底的に。問い続けるより、価格のほうが、客観的で、即時的で、他人にも説明しやすく見えるからだ。
二〇〇六年一月、サブプライム証券の一群を追う指数が、取引されはじめた。複数のクレジット・デフォルト・スワップの価格を使い、それまでひどく不透明だったサブプライムのリスクに、続けて観察できる温度計を与えた。
それ以来、何千、何万もの住宅ローンの将来は、延滞率や担保権実行率だけで表されるのではなくなる。一つの指数の水準へ、即座に折り畳まれるようになった。
共通の尺度へ収めることの、もう一つの勝利である。しかも、本物の勝利だ。それまで、あの大量のローンがいくらの値を持つかは、誰もはっきりと言えなかった。いまは、毎日、一つの数字がある。
価格が透明になるほど、人は、目に見える価格を、知りうる価値そのものだと思いやすくなる。
その一方で、この統一された計測の仕組みの外には、ずっと数えられずにいるものがあった。
借り手は、自分が署名した契約を理解しているか。家は、手入れされるか。サービサーの誘因は、ゆがんでいないか。一つの地域で、住宅価格が一斉に下がることはないか。借り換えで返済を続けられるか。相場が醜い姿を見せる日にも、マーケットメーカーは買いを引き受けてくれるか。
どれも、気づけないものではない。ただ、記入する欄がない。
欄のないものは、みな、同じ立場にある。表にゼロと記されるのではない。そもそも現れない。報告書を見た人は、一項目、足りないとは感じない。足りなさを知らせる空欄が、表のどこにもないからだ。第十二篇では、物差しの光が届かない場所には、何もないと人は思ってしまう、と述べた。ここでは、さらに一歩進む。物差しの光が、あまりに明るい。明るすぎて、光の届かない場所は、影さえ見えなくなる。
そのなかで、最も重要なものが、相関である。
一件ずつ見れば、ローンの債務不履行の確率は推計できる。トランシェを一層ずつ見れば、損失の分布は計算できる。価格を一つずつ見れば、どれも市場に合っている。だが、同時に問題を起こすかどうかは、どの一つの資産の属性のなかにもない。
それは、資産と資産のあいだにある。
後の研究は、端的にまとめている。危機の前、格付け会社、リスク管理者、投資家、規制当局は、極端な状況での仕組み証券の価格相関を、広く過小評価していた。
ここで、余項の居場所が変わる。これまでの篇では、余項は、排除された側にあった。帳簿の外に。関係のなかに。中央銀行の金庫に。今回は、どの単独の項目のなかにもない。項目と項目を結ぶ線の上にある。ところが、帳簿は、まさに、項目ごとに記されるものなのだ。
一行ずつ記帳する帳簿には、行と行のあいだの関係のために、一欄を空けておくすべがない。
複式簿記が残した、構造上の制約である。五百年以上、変わらずにきた。第五篇で述べた、自ら正しさを証明する帳簿では、どの記入にも対応する記入が必要であり、借方と貸方が等しければ、帳簿は閉じる。その力は、一項目ずつ、しっかりつなぎ止めるところにある。できないのは、二項目のあいだを結ぶ線にも、勘定科目を一つ開くことだ。そして、この数十年、本当のリスクは、まさに、その線の上に育っていた。
七 九十七セント
二〇〇七年から二〇〇八年にかけて、この機械は止まった。その止まり方は、多くのことを語っている。
ある研究者は、あの二年間の恐慌を、レポ市場への取り付けとまとめた。
従来の取り付けとは、違う。投資家は、銀行の窓口に並ばない。代わりに、担保のヘアカットを引き上げ、取引の継続を断り、より質の高い担保を多く求め、期間を短くし、金利の上乗せ幅を広げる。
表面では、証券価格が揺れている。実際に起きているのは、全面的な疑いだ。取引相手への疑い。マーケットメーカーの在庫への疑い。格付けの確かさ、担保の質、最後に誰が買いを引き受けるのかへの疑い。
言い換えると、いっそうはっきりする。ふだんは、これらを尋ねる必要がなかった。価格があり、格付けがあり、標準契約があったからだ。取り付けとは、誰もが突然、金に困ることではない。誰もが突然、これらのことを、また尋ねはじめることなのである。そして、いったん尋ねれば、どの問いにも答えられない。この仕組み全体は、もともと、それらを尋ねなくて済むように作られていたからだ。
それより前に、一度、予行演習があった。しかも、かなり完全な形で行われている。一九九八年、あるヘッジファンドが、破綻寸前になった。後の調査は、率直に記した。四十八億ドルの資本の上に、想定元本で一兆ドルを超える店頭デリバティブの持ち高と、千二百五十億ドルの証券の持ち高を積み上げていた。主要な取引相手も規制当局も、事前にはその実際の規模を知らなかった。
十年後の危機の、直接の原因ではない。それでも、高いレバレッジ、取引所の外に広がる契約の網、相手の見えなさ、市場は自らを律することができるという信念。その問題一式を、すでに一度、演じていた。
一度、演じてみせた。その後の十年で、同じ仕組みは、数十倍に育った。
このことは、一項目、別に記しておきたい。構の性質を、もう一層、明らかにするからだ。構は、学べないわけではない。あの出来事のあとには、検証も、調査も、取引相手の透明性をめぐる議論も、確かにあった。ただ、検証から出る結論は、たいてい技術的だった。報告するデータを数項目増やすべきだ。証拠金をもう少し積むべきだ。このやり方全体が、同じ脆さを増幅している、という結論に至ることは、めったにない。その結論を受け入れれば、このやり方で稼いでいる人々は、別の商売へ移らなければならないからだ。
二〇〇八年九月十六日、あるマネー・マーケット・ファンドは、純資産価額が九十七セントに下がり、額面を割ったと発表した。
それまで、この種のファンドの持ち分は、現金に近いものとして扱われていた。人々は、預金のつもりで金を入れた。いつでも引き出せて、損はしないものだと。
額面を割った。この言葉が恐慌を招いたのは、一つの価格が崩れたからではない。一つの前提が崩れたからだ。
その前提を、誰かが正式に約束したことは、一度もなかった。ファンドの説明書には、純資産価額は変動する、元本は保証しない、投資にはリスクがある、と書いてあった。誰もが読み、誰もが決まり文句として受け流していた。本当に人々に金を預けさせていたのは、二十数年ものあいだ、一度も額面を割らなかったという事実だった。一度も書かれたことのない約束が、一度でも破れれば、もう元へは戻れない。
数日後、アメリカ財務省は、マネー・マーケット・ファンドへの一時的な保証制度を打ち出した。九月十九日時点で保有されていた、対象となるファンドの残高を保証するものだった。
最も現金の代わりに近いもの、最も人格を取り除いた持ち分が、最後には、国家に出てきてもらい、支えてもらわなければならなかった。
金融化で、最も皮肉なのは、この点である。
始まりでは、人格への依存を徹底してなくすものに見えた。地元銀行の支店長が、自分を知っているかどうかにも、長年の付き合いにも頼らない。統一された価格づけ、統一された格付け、統一された担保、標準の契約に頼る。
ところが、危機になると、市場が真っ先に問い直すのは、やはり、人格にかかわる問いだ。まだ資金を貸してくれるのは、誰か。その証券を保証すると、まだ言えるのは、誰か。最後の値をつけてくれるのは、誰か。最上位の格付けが、薄い殻にすぎないのではないと証明できるのは、誰か。最後に出てきて、引き受けられるのは、誰か。
匿名の交換手段が、人格に根ざす信用を、消し去ったことはない。
その信用を上流へ隠し、少数の重要な機関へ隠し、最後には、国家の背後へ隠しただけなのである。
第十七篇の結びでは、一九七一年に切り開かれたのは覆いであり、それまでずっと働いていたものが、初めて正面へ出された、と述べた。ここは、その言葉の続きである。覆いを切り開いたあと、人格に根ざすものは、一人ひとりの前へ戻ってはこなかった。さらに少ない節点へ、集められたのである。
人格から離れようとすればするほど、人格に根ざすある種の保証を、いっそう少数の、いっそう大きな力を持つ場所へ集めなければならなくなる。
八 大きすぎるのか、高すぎるのか
この数十年に、いったい何が起きたのか。研究者のあいだには、深い見解の隔たりがある。好みの違いで済む争いではない。
一つは、効率論と呼べる。一九八〇年代以降、金融部門が大きく膨らんだことは否定しない。ただし、そのかなりの部分は、実体経済の需要に応じたものだと強調する。デリバティブはリスクを切り分け、最もふさわしい持ち手へ配り直す。発達した金融システムは、情報を生み、リスクを分かち合い、資本を配分する助けになる。金融と成長についての研究では、株式市場と銀行の発展は、全体として、成長と正の相関を持つとされる。二〇一三年には、規模ではなく機能を問うべきだと、問題そのものを書き換えた学者もいた。金融が大きすぎるかを判断すること自体は、最も役立つ問いではない。肝心なのは、金融の機能が、うまく働いているかどうかだという。
もう一つは、取り分の吸い上げを論じる見方と呼べる。注目するのは、利益の構造だ。利益は、ますます金融の経路を通じて得られ、非金融企業も、利息や証券収入への依存を深めている。ある学者は、さらに広く定義し、金融化を、金融の動機、市場、機関、行為者が、経済全体の動き方へ圧力を加えていくことと捉えた。企業統治から見る研究も、株主価値は古くからの常識などではなく、一九八〇年代以降に、初めて支配的な原則へ上りつめたものだと指摘する。これらの見方では、金融の拡大は、中立的に仲介が深まる過程ではない。社会的な余剰の分配と、企業を支配する権限が、金融上の債権者、機関投資家、経営幹部へのインセンティブ、資産運用者の側へ、改めて傾いていく過程なのである。
その二つのあいだに、経験的な証拠をめぐる、とりわけ重要な争点がある。金融が膨らんだのは、仲介の対象になる資産が増え、それにつれて仲介も大きくなったからなのか。それとも、同じだけ、あるいは、もっと少ないサービスに、より高い料金を取るようになったからなのか。
ある学者の研究が、両方の側からよく引用されるのは、その答えが複雑だからだ。彼は、金融業の産出額の比率が、一九二〇年代には高く、六〇年代には低く、八〇年代以降には再び上がったと認める。また、アメリカの金融仲介の長期的な費用は、おおむね、仲介する資産の一・五パーセントから二パーセントのあいだに収まると推計した。同時に、自分の集計方法では、過去三十年の金融仲介の単位費用は、むしろ上がっていたことも見いだした。
効率を説く側は前半を取り、批判する側は後半を取る。だが、この発見の本当の重みは、最も激しい批判を一切受け入れなくても、情報技術によって金融は次第に安くなる、という一つの常識さえ、簡単には成り立たないことにある。
不安定性を論じる見方もある。一九九二年、ある経済学者は、金融システムの資金調達の関係を、ヘッジ型、投機型、ポンツィ型の三つに分けた。彼は、はっきりと書いている。ヘッジ型の資金調達が主なら、経済は自らを律する方向へ向かうかもしれない。一方、投機型とポンツィ型の比重が大きくなるほど、経済は、ずれを自ら増幅するシステムになりやすい、と。
彼には、さらに率直な一文もある。銀行家と金融仲介者は、債務を売る商人であり、革新が利益を保証する、というのだ。
この見方と効率論の違いは、金融がリスクを移せるかどうかにはない。別の点にある。繁栄期の成功こそが、システム全体を誘い、安全の余白を、さらに薄く、さらに薄く削らせる。ついには、最も流動的で、安全で、測りやすく見えた資産までもが、最も脆くなる、という点だ。
始まりの理解も、分かれている。後のある研究は、アメリカの金融化は、政策担当者が最初から意図して追い求めた目標ではなかった、とした。一九六〇年代末から七〇年代に成長が鈍ったあと、国家が、分配をめぐる対立、財政の圧力、正統性への圧力を避けるために取った、一連の応急措置に近い。政治上は安く済んだが、経済上の帰結は、遠くまで及んだという。
この説明に従えば、金融化は、陰謀とも、天才の設計とも同じではない。論争、試行、先延ばし、代わりの案の失敗を通じて、形づくられた道なのである。
あの公式の危機調査でさえ、一筋の物語にはまとまらなかった。多数意見は、規制の失敗、レバレッジ、シャドーバンキング、証券化、デリバティブを強調した。一方、異論は、世界的な信用バブル、発展途上国の資本余剰、リスクの過小評価、利回りの上乗せ幅の縮小を、より中心に置いた。
ここでは、裁定しない。
ただ、並べてみると、争われているのは、実は、きわめて具体的な三つのことだとわかる。価格は、本当に価値へ近づいたのか。金融上の債権は、本当に、その下にある資産へ近づいたのか。匿名の市場は、本当に、人間関係に根ざす信用より確かなのか。
三つの問いに、三つの、異なる証拠の筋がある。どの筋からも、きれいにそろった答えは出ていない。
ここで裁定しないことは、とりわけ大切だ。三つの答えが、同じ向きにそろわない可能性は、十分にあるからである。金融上の債権が、土台となる資産から遠ざかったことは、資料から比較的はっきり読み取れる。価格が価値へ近づいたかどうかは、どの時期の、どの種類の資産を指すかによる。匿名の市場と、人間関係に根ざす信用の、どちらが確かか。この数十年が示す答えは、どちらも機能しなくなることがあり、その壊れ方が違う、というものだ。
その三つの問いの下には、さらに素朴なことが、一つ横たわっている。
一件の住宅ローンのいちばん下には、毎月、金を返さなければならない人がいる。その人には仕事がある。あるいは、かつてはあった。自分には読み解けないかもしれない契約に、署名している。一軒の家に住んでいる。その家が手入れされるかどうかは、その人に、どれほど気力が残っているかにかかっている。
これらは、一つとして、あの機械に入らない。機械が必要とするのは、その人の信用スコア、担保価値に対する借入額の比率、所得に対する毎月の返済額の比率だ。それらの数字は、確かに、返せるかどうかと関係がある。だが、その人そのものではない。構は、何もないところから何かを作ったことはない。一人の人間から、数字を出せる部分をいくつか取り、その部分に、その人を代表させる。ふだんなら、それでも十分だった。
その人から機械の頂上までのあいだには、七つの工程、何層ものトランシェ、何回もの再組成、一つの指数、いくつものモデル、そして一通一通の基本契約が隔たっている。
どの層も、一つ下の層に値をつけている。そして、どの層にも見えるのは、一つ下の価格だけだ。その、さらに下ではない。
繁栄のなかでは、問題にならない。各層の価格は、どれもつじつまが合っているからだ。危機が来ると、誰もが同時に、下を見なければと思い出す。だが、下へたどる道は、すでに七つに分けられ、一つ一つを、別の人が管理している。
あの機械を最後に止めたのは、国家が乗り出したことだった。そして、国家にできることも、一言を告げることだけだった。この持ち分は、私が認める。
認める。この道のりで、最も古くから続いている行為である。第二篇の粘土板に刻まれた債務は、神殿の位階によって認めてもらう必要があった。第六篇の交子は、官府に認めてもらう必要があった。第十七篇のドルは、人々が、その勘定を認め続けるかどうかにかかっていた。これほど多くの層を巡り、これほど多くの工程に分け、これほど多くの標準契約を書いても、最後には、誰かが出てきて、私が認める、と言わなければならない。
一冊の帳簿は、世界を、きわめて細かく分けることができる。一片ごとに値があり、その値を計算でき、一片ずつ、別々に売り買いできるところまで。
分けきれないのは、片と片のあいだにあるものだ。平穏な日には、それらは存在しないように見える。価格もなければ、記入する欄もないからである。すべての片が同時に落ちはじめて、ようやく人は気づく。それらは、ずっと、そこにあったのだと。
勘定はいまだ合わず、記帳はいまも続いている。
中国語原文の論証と史料を基に、日本語読者のために構成と文章を新たに組み直した独立編集・再構成版です。 中文・English