第十二篇 無償労働:一度も帳簿に載らないからこそ、仕組みは回る
家事とケアは国民勘定の境界外に置かれながら、賃金労働と市場を再生産してきた。時間調査とサテライト勘定が示す規模と限界を考える。
この篇の目次
一 その規模は、疑いなく膨大である
一九〇七年、オーストラリアのある裁判所は、賃金に最低限の線を引こうとしていた。判決文には、熟練を要しない仕事に就く男性労働者の賃金は、妻と三人の子どもを養える額でなければならない、と記された。
この最低限は、のちに家族賃金と呼ばれるようになる。一つのことを認めた線だった。一人分の賃金が支えるのは、一人ではない。同時に、別のことを当然と見なしていた。妻と三人の子どもの側で生じる仕事は、家のなかで何とかするだろう。その仕事に、判決は値をつけなかった。判決の目には、値をつける必要のない仕事だったからだ。放っておいても、誰かがするものとされていた。
当時、この思い込みは特別なものではなかった。十九世紀から二十世紀前半にかけて、多くの工業社会は、同じ方向へ進んでいた。男は工場へ入り、賃金を受け取る。女は家事とケアを担う場所に据えられる。大切なのは、その仕組みが自然に生えてきたわけではない、ということだ。法律の条文、労働組合の規約、企業の規則、社会政策によって、一層ずつ補強されてきた。あの判決も、積み上げられた煉瓦の一つだった。制度によって何度も築き固めたものが、二世代もたつと、生まれつきの性質として語られるようになる。
一つの数が、書き留められた。その数が成り立つのは、書き留められない一群の仕事が、同じ時間に進んでいるからだった。
この一文を、この先のすべての入口にしてよい。一つの賃金、一つの貧困線、一つの成長率、一国の国民所得の総額。そうした数字は、どれも、ある範囲の内側で計算される。だが、その外側は、一度も真空だったことがない。範囲の外でも、何かが行われている。しかも、それが行われているからこそ、内側の数字は辻褄が合うのである。
二十七年後の一九三四年、アメリカ上院は、国民所得の推計を求めた。引き受けたのは、のちに近代的な国民経済計算の基礎を築いた一人として広く認められる、クズネッツだった。答えるべき問いは、きわめて実際的なものだ。この国は、一年に、いったいどれほど生産しているのか。
その報告のなかで、彼は同じものに行き当たり、目をそらさなかった。主婦や、家庭のほかの成員が提供するサービスは、その規模が疑いなく膨大である、と書いた。大きな塊がそこにあることを、彼は知っていた。その大きさを述べるのに、感嘆さえにじむ言葉を使っている。
そのうえで、やはり省略するのがよい、と書いた。
理由も記している。その種のサービスは、一国の具体的な商業生活というより、家庭生活に属するからだ。自分の推計が主として取り上げるのは、成果が市場に現れる営みである。そう範囲を定めたのである。
ここまでは、まだ、ありふれた取捨選択にすぎない。この頁を特別なものにしているのは、そのあとに書いた、三つ目の言葉だった。この欠落は、生産力の指標としての国民所得の価値を損なう。とりわけ、市場経済が縮小し、家庭内の活動が拡大するときには、そうなる。彼は、そこまで認めている。
何を落としたか、わかっていただけではない。その欠落が、どんな条件のもとで問題を起こすかまで、先に書いていた。自分の指標が役に立たなくなる条件を、同じ頁へ登録しておいたのだ。
この言葉は、この先もずっと役に立つ。まず、その形を覚えておきたい。彼は、その活動は生産ではない、と言ったのではない。この帳簿には入れない、と言ったのである。この決定に代償はない、とも言っていない。代償は何か、どんなときに大きくなるかまで、述べている。ここまで言葉を尽くした人に対して、後の者がなお争うなら、争点は、見えていたかどうかではない。この帳簿を変えるべきかどうか、ということになる。
同じ年、もう一冊の本が出た。マーガレット・リードが、家庭生産についての経済学の著作を書き、家庭を一つの生産の場として扱ったのである。彼女の示した判定基準は、のちに第三者基準と呼ばれた。原則として、代金を払って他人に頼むことができる活動、あるいは、市場の商品や有料のサービスで置き換えられる活動なら、それは生産活動である。家族だから当然する務め、というだけのものではない。
一九三四年は、その意味で、実に見応えのある年だ。同じ年、一人は、やはり省略するのがよい、と書いた。もう一人は、それを算入するために必要な物差しを示した。前者は、国家の帳簿に入った。後者は、図書館に入った。
二つの道は、そのあとも、別々に続いていく。一方には、国家が毎年発表する数字がある。予算がつき、機関があり、法律で定められた発表日がある。政府文書へ、ニュースへ、選挙の討論へ入っていく。もう一方には、学術書があり、判定基準があり、方法をめぐる議論がある。読む人は少なく、引用する人は、さらに少ない。九十年が過ぎても、二本目の道にあったものの大半は、まだ、二本目の道にとどまっている。
第十一篇の終わりで、あの帳簿の底に、一つの空白の欄があると述べた。これからたどるのは、なぜその欄が空いているのか、誰が、何年に、空けておくと決めたのか、そして九十年のあいだに、その欄のために人々が何をしてきたのか、という話である。
二 境界は、どこに引かれているのか
戦後の国民経済計算体系は、この取捨選択を制度にした。しかも、はっきりと書き定めた。
一九九三年版と二〇〇八年版には、ほとんど一字一句変わらない一文がある。世帯の成員が、自分たちの世帯の最終消費のために行う家事サービスと対個人サービスは、伝統的に、測定の対象となる生産から除かれてきた、というものだ。そのあとには一覧も続く。住居の清掃と維持、家庭用耐久財の清掃と修理、食事の用意と配膳、子どもの世話と教育、病人・高齢者・身体の弱い人の世話、家族や家財の運搬。
この一覧は、ゆっくり読み直してみる価値がある。一日のなかで、最も時間のかかる仕事が並んでいるからだ。
朝、目を開けてから、夜、目を閉じるまで、人がしていることの多くは、この数種類に入る。食材を買い、食事を作り、皿を洗い、床を拭く。ぐらつく椅子を直し、子どもに勉強を教え、高齢の家族を病院へ送り、また迎えに行く。一日が、それで埋まる。一年が埋まり、多くの人の一生が埋まる。ところが、あの一文によれば、それらは初めから、測られる側には置かれていない。
ただし、除外は一律ではない。同じ文書は、家庭の活動のうち三種類を、生産の境界の内側へ入れている。第一は、自給のための財の生産。自分で穀物を育て、自分で食べるような場合だ。第二は、持ち家が、その所有者自身に提供する住宅サービス。第三は、賃金を払って雇った家事労働者が提供する、家事サービスである。
二つの一覧を並べると、境界がどこを通っているか、すぐに見えてくる。
自分で料理をすれば、数えない。料理人を雇って作らせれば、数える。自分で子どもを見れば、数えない。子守を雇えば、数える。同じ台所、同じコンロ、同じ食事でも、作る人の立場が変わるだけで、その仕事の統計上の身分まで変わる。
境界は、活動と活動のあいだに引かれているのではない。活動を組織する形と形のあいだに、引かれている。
ここで、少し立ち止まる必要がある。これまでの篇に現れた余項には、さまざまな形があった。測られなかったもの。正確に測られながら、細かく見てもらえなかったもの。この学問の管轄ではない、と宣言されたもの。ここでの余項は、ある種類の活動ではなく、ある種類の関係である。同じ仕事を、同じ人がしていても、賃金のある側で行われれば帳簿に入り、賃金のない側で行われれば帳簿の外へ出る。構が測っているのは、つねに、その仕事そのものではなく、仕事がどう組織されているかなのである。
第二の項目は、なおさら目を留める価値がある。持ち家の住宅サービスとは、自分の家に住む人について、統計機関が、誰にも払っていない家賃を計算し、その額を総勘定に入れることをいう。取引もなければ、価格もない。それでも統計機関は計算する。条件の近い賃貸住宅を見つけ、その家賃を使えばよいのである。
この一項は大切だ。市場価格がないという理由が、一貫して適用されているわけではないと、わかるからだ。算入すべきだと考えるものなら、価格がなくても価格を作る。算入すべきでないと考えるものなら、価格を作れる場合でも、作らない。
価格を作る方法は、すでにある。各国の統計機関が、毎日使っているものだ。条件の近い賃貸住宅を探し、その家賃を取る。これが代替である。家事に置き換えるなら、市場で同じ仕事をしている人を探し、その人の賃金を取ればよい。技術の面に障害はない。障害は、別のところにある。
では、どんな理由が示されているのか。文書を読むと、おおよそ三つある。どれも、ばかげた理由ではない。
第一に、家庭が自分たちのために提供するサービスは、そこで完結し、経済のほかの部分への影響が限られる活動だと考えられている。財なら、そうではない。まず生産してから、自分で使うか、貯蔵するか、売るかを決められる。第二に、家庭のサービスは、その多くが市場向けに生産されないため、通常、適切な市場価格を欠く。貨幣取引を土台とした帳簿へ、無理に加えれば、その帳簿の意味が曖昧になる。第三に、国民経済計算は、そもそも福祉の指標ではない。さまざまな分析や政策上の用途に応えるものなのだから、暮らしに役立つものを、何でも入れるわけにはいかない。
三つとも、それぞれに筋が通っている。これを偏見と呼んで済ませるのは、不誠実である。
問題は、理由そのものにはない。その理由が制度となったあとに生じる副産物にある。同じ帳簿が、日々発表され、引用され、決定の根拠として使われる。それが長く続くと、強い錯覚が生まれる。市場に姿を現す労働だけが本当の生産であり、境界の外には何もないかのように、見えてくるのだ。
アメリカの統計機関は、いまも自らのウェブサイトに、料理、掃除、育児など、無償の家庭内労働は国内総生産に含まれないが、補足的な計算を行えば重要な情報を補える、と記している。帳簿を作る側も、自分たちの描く図が、意図的に切り取られた図であることは、認めているのである。
三 牛の乳と、人の乳
この境界がどこを通るかを、ひときわ明るく照らす例がある。抽象的な記帳の技法ではない。一つの、具体的な物である。
経済学者ナンシー・フォルブレは、現行の国民経済計算では、自家生産された穀物、野菜、牛乳、薪が、すべて境界の内側に入ると指摘している。自分の家で飼う牛から搾った乳は、帳簿に載る。
母乳は、ほとんどどこでも、無視されている。
無視、というのは、まだ穏やかな言い方だ。実際には、候補の一覧にさえ上がったことがない。穀物、野菜、牛乳、薪が境界を越えられるのは、市場に対応する物がすでにあるからである。穀物一斗はいくらか。薪一束はいくらか。調べれば、わかる。母乳には、そうした価格表がない。だから、ゼロと計算されたのではない。計算するかどうかを考えるところにさえ、届いていないのだ。
ところが、家族が育児用の粉ミルクを買えば、その支出によって国内総生産は増える。置き換えられたもののほうが、栄養の面では優れていたとしても、増える。
同じ乳という液体であり、同じ用途に使われる。牛から出る分は帳簿に入り、人から出る分は入らない。人の乳を、哺乳瓶で与える代わりの品へ換えれば、帳簿の上では、経済が成長したことになる。
この論理を、もう一歩進めると、もっとよく見える。ある国の母親が全員、粉ミルクに切り替えれば、総生産額は上がる。上がる幅は、粉ミルクの売上高に、輸送と小売の上乗せ分を加えた額だ。全員が母乳に戻れば、総生産額は下がる。どちらでも、乳を飲ませてもらう赤ん坊の数は、一人も変わらない。帳簿の増減は、この営みが本来果たそうとしていたことと、関係がないのである。
誰かが間違えたのではない。生産の境界が、実際にどう働くかを、正確に示している。有用なら数える、という仕組みではない。どんな経路を通じて、価格と取引に組み立てられたかが、問われているのだ。
ここで、古い話を一つ、重ねてみてもよい。リュディア人が物差しを鋳貨にしたとき、それまでは高いとも低いとも言えなかったものに、高低が現れた。あのときの問題は、物差しが照らし出すものが、多すぎたことだった。ここでは逆になる。照らし出されるものが、あまりに整然としているのだ。光の届く範囲では、何もかも明瞭で、単位があり、数値があり、年ごとに比較できる。その外には、影一つない。ぼんやりした輪郭さえ、見えない。
一九八八年、マリリン・ウォーリングは、この問題を問い詰める本を出版した。総生産の指標には問題がある、と大づかみに言ったのではない。一つずつ、問いを立てた。なぜ、母親としての仕事、家事、ケア、自然環境、母乳は数えず、軍備、汚染の除去、粉ミルクの販売は数えるのか。
彼女の仕事を論じる人は、のちに、国民経済計算の神秘を剝ぎ取った、とよく述べるようになる。技術的で中立なものに見えていた前提を、彼女は一つひとつ外し、机の上へ並べた。それぞれの背後に、ある年、ある人が下した選択があることを、見えるようにしたのである。
その一覧を左右に並べて読むと、不思議な感触がある。子どもを産む。育てる。歩けなくなった高齢者の世話をする。これは数えない。森がそこに育っていることは数えないが、伐って木材を売れば数える。漏出事故が起きたときは数えず、金をかけて除去するときに数える。しかも、除去に金がかかるほど、帳簿の数字はよくなる。一覧の左右を分けるのは、重要か、重要でないかではない。帳簿に入るか、入らないかだ。だが、日常の言葉のなかでは、この二つの区別が、ずいぶん長く同じこととして扱われてきた。
ある研究者は、もっと率直にまとめている。戦後に築かれたこの帳簿が、当時、優勢だった価値の置き方に、どれほど深く染まっているか。それを、彼女は示したのだ、と。
第三篇では、物差しは余項を作るのではなく、照らし出すのだと述べた。ここで、もう半分を付け加えなければならない。
物差しの光が届かない場所を、人は、何もない場所だと思うようになる。
これこそ、構の最も深いところでの成功である。余項を平らに押しつぶす必要も、余項など重要ではないと論証する必要もない。帳簿を十分に整え、十分な権威を持たせ、十分に頻繁に発表すればよい。境界の外は、ひとりでに、更地のように見えてくる。その更地には、本当は、人が隙間なく立っている。ただ、帳簿に、その人たちの行がないだけだ。
さらに徹底した段階では、その更地に立つ人自身まで、同じ見方をするようになる。一日十数時間も働いていても、給与明細がなく、職名がなく、数字を記す欄がなければ、何をしているのかと聞かれて、何もしていない、と答えるかもしれない。構の説得力が最も強くなるのは、周りの人を納得させたときではない。余項自身を、納得させたときなのだ。
四 彼らは、それを愛と呼ぶ
一九七二年三月、マンチェスターの女性解放会議で、セルマ・ジェームズは、家事に賃金を払うべきだと、初めて明確に提起した。
同じ年、彼女がダラ・コスタと共著した小さな本が出版され、主婦が分析の真ん中に据えられた。かなり挑発的な一文がある。すべての女性は主婦である、というのだ。すべての女性が外で働いていない、という意味ではない。外に仕事を持っていても、帰宅すれば、あの仕事を続けてしなければならない、という意味である。彼女たちは、社会工場という言葉も使った。働く能力が組織され、再生産されるのは、工場の建物のなかだけではない。地域、住まい、交通、医療、学校、家庭でも、それは行われているのだ。
何をしたのかは、突き詰めれば、簡単に言える。女が家にいるということを、道徳的な役割から、生産のなかで占める位置へ、書き換えたのである。
書き換えの向きは、第十一篇と同じだ。あちらでは、労働を労働力へ書き換えることで、当然と思われていたことの構造を見せた。こちらでは、家事を再生産労働へ書き換える。目的は同じである。どちらも、まず、あるものの呼び名を変える。変えたあと、それまで口にできなかった問いが、口にできるようになる。この仕事は誰がするのか。どれだけの時間、するのか。なぜ、この人がしなければならないのか。しなければ、どうなるのか。
一九七五年四月、シルヴィア・フェデリーチは、ブリストルで一冊のパンフレットを印刷した。イギリスでの価格は二十ペンス。アメリカへの郵送販売では七十セントだった。値段のような細部も、ここでは残しておきたい。これは、学術的な議論ではなかった。人の手へ配るためのものだった、とわかるからだ。
この冊子で、最も広く伝わったのは、次の一文である。彼らは、それを愛と呼ぶ。私たちは、それを無償労働と呼ぶ。
だが、この運動の論理を、本当にはっきりさせるのは、別の一文だった。家事に金を払えと言うことは、この家事をするのを拒むための、第一歩である。彼女は、そう書いている。
よくある誤解は、この一文ではね返される。賃金を求めるのは、女を永久にその位置へ釘づけにするためではない。逆である。生まれつきの務めや愛だと語られてきたことを、まず労働として露わにする。それができて初めて、拒むこと、分担を変えること、ほかの人や、別の制度に担わせることを、論じられるようになる。彼女は、さらに率直な言葉も残した。家事は、すでに、資本にとっての金なのである。
だから、この運動は、矛盾しながら互いを必要とする二つのことを、同時に行っていた。一つは、家事を値のつく対象にし、賃金、福祉、所得分配といった言葉のなかへ姿を現させること。もう一つは、それをするのは、家事を徹底して商品に変えるためではなく、あの幻想を壊すためだと、譲らずに言い続けることだった。
名をつけることが、値を交渉することに先立つ。いくらに相当するかを話すには、まず、それを一つのものとして認めなければならない。
この言葉は、裏返しても成り立つ。そして、裏返したほうが、冷たい。そこにあると認められないものは、いつまでも交渉の対象にならない。交渉に入らなければ、価格はつかない。価格がなければ、帳簿の上ではゼロになる。ゼロは、最も手のかからない数だ。予算を要さず、交渉を要さず、責任を負う人も要らない。
批判は、すぐに来た。一つの方向からだけではなかった。
ただ金を要求するだけで、複雑な状況を一枚の小切手へ縮めてしまう、と責める人がいた。賃金という一つの梃子ばかり見ていて、一面的だと言う人もいた。改良主義だ、さらには反動的だ、と言う人までいた。実際に家事へ金を払えば、かえって、いまの分業を固定するかもしれないからだ。一九七九年には、理論の側から、より冷静な疑問も出された。家事を、労働力の価値を押し下げる無償の補助と、自動的に見なしたところで、それに伴う一連の理論上の難問が解けるわけではない。一九八〇年代初めまでには、議論に加わっていた人のかなり多くが、この家事労働論争から先へ進もうと決めていた。概念の曖昧さと、同じところを回る論証が、多く残りすぎているというのが、その理由だった。
どの批判も軽くない。しかも、批判する人々は、運動そのものと、同じ側に立っていた。
これらを、そのまま並べておく必要がある。一方だけに理があり、もう一方にはない、という争いではなかった。同じ人々が、同じ問題の前で、別の道へ分かれたのである。労働と認めたら、値をつけるべきか。値をつけるなら、金はどこから出すのか。金が出るようになったら、かえって、その人を元の場所へ釘づけにしないか。三つの問いは、先へ進むほど答えが難しくなる。いまに至るまで、一つにまとまった答えはない。
それでも、この運動が残したものの一つは、長く生き、第十一篇につながっている。賃金が、人々の目に違って見えるようになったのだ。すべて支払い済みと示す領収書には、もう見えない。むしろ、一つの仕組みに見える。生命を保つために必要な費用の一部を、家庭の内部へ押し込み、賃金を受け取らない人に引き受けさせる仕組みである。
それとともに、問いの形も変わる。主婦に金を払うべきかどうかだけではなくなる。人が生き続けるために必要な、供給の仕組み全体を、家庭のなかで無償で担うべきなのか。それとも、社会で担う制度、公共サービス、共有する資源によって、分かち持つべきなのか。
五 衛星
政治の掛け声から、帳簿まで戻ってくるには、長い道を歩かなければならない。その道に、三十年がかかった。
一九九五年、北京行動綱領は、政府間の文書として初めて、男女の行う仕事を、有償・無償の両方について十分に測定するよう、各国に求めた。適切な場合には、サテライト勘定、すなわち衛星勘定や、ほかの公式勘定を使って、無償労働を記録することも求めている。
衛星勘定とは、実によくつけた名だ。本体の勘定の周りを回る。軌道は安定し、数字は整っている。いつまでも近くにいて、いつまでも地上に降りない。
この配置の、微妙な加減に気をつけたい。拒絶ではない。拒めば、議論になる。これは、受け入れるという対応だ。しかも、かなり真剣に受け入れている。方法の解説があり、指針があり、国際会議があり、各国の試算がある。ただ、その受け入れ先を、本体の勘定の外にある、一本の軌道にしたのである。受け入れられたものは、そのおかげで、多くを得た。あの一欄だけは、得られなかった。
技術の面で、いま最も整っている道具は、生活時間調査である。誰が、何を、どのくらいしたか。一日二十四時間が、さまざまな人々のあいだで、どう配分されているかを記録する。時間勘定のよさは、一日の全体を捉えられ、誰に最も重い負担がかかっているかも、見えることだ。限界は、時間数しか出てこず、金額は出てこないことにある。
金額を出すには、価値を推計しなければならない。そして、推計は、口を開いた途端に枝分かれする。
一つの道は、投入法と呼ばれる。労働の投入、資本の消耗、中間投入から計算し、質のよい時間調査を必要とする。各種の無償の家庭サービスを、かなり漏れなく捉えられ、家庭のなかで誰が多く、誰が少なく担っているかという分布も残せるのが、長所である。もう一つの道は、産出法だ。生産され、消費されたサービスの単位を数え、市場でそれに相当する価格を掛ける。本体の勘定とは比較しやすくなるが、日々の負担の分布に関する情報は、大半が落ちる。国連の方法上の指針は、条件が許すなら、二つを使って互いの結果を確かめるよう、勧めている。
その下に、もう一段ある。どの賃金を使って推計するか、という問題だ。ふつう、三つの選び方が挙げられる。
第一は、機会費用法である。その仕事をする人が、市場で働いていたなら得られたはずの賃金を使う。第二は、代替費用法だ。自分に代わって同じ仕事をする人を雇うと、いくらかかるかを計算する。第三は、その代替費用法のなかを、さらに分けるやり方である。一方は、一般的な家事労働の賃金を使う。住み込みの家事労働者などの賃金で、一まとまりの仕事全体を推計する。もう一方は、職種別の賃金を使う。料理は料理人、掃除は清掃員、送り迎えは運転手、育児は保育に携わる人の賃金で計算する。職種別の賃金を優先するよう勧める指針もあるが、過度に高度な資格や経験を持つ専門職の賃金を、そのまま当てはめないよう、注意も添えられている。
技術的な細部の違いに聞こえる。だが、結果は、ひどく違ってくる。
経済協力開発機構が、いくつかの加盟国の二〇一八年のデータを使って推計したところ、無償の家事労働は、代替費用法なら国内総生産の約十五パーセント、機会費用法なら約二十七パーセントとなった。
同じ年、同じ人々が行った、同じ一群の活動である。計算法を持ち替えると、二倍近い開きが出る。
誰かが計算を間違えたのではない。二つの方法は、それぞれ、違う問いに答えている。機会費用法は、この人が何を断念したかを問う。代替費用法は、この仕事を人に頼むと、いくらかかるかを問う。どちらも、もっともな問いだ。だが、どちらも、その仕事そのものではない。その仕事自体には、価格がない。価格は、脇から借りてくる。どちら側から借りるかによって、数字が変わるのである。
同じ文書には、一つの注意も残されている。これらの数字は、いずれも強い仮定に立っており、無償家事労働の経済的な価値を、過大に評価している可能性がある。家族が自分で行うことと、市場で外注することは、完全には代替できないからだ。
この一文は、ゆっくり読むべきだろう。統計機関が、自分たちの文書のなかで認めているのである。あの共通の物差しへ、この営みを載せるには、まず、代替できるという見込みに賭けなければならない。しかも、賭ける側は、その見込みが心もとないことを、知っている。
各国では、すでに多くの試みがなされている。スイスの統計機関の推計では、二〇二〇年、全国の無償労働は計九十八億時間、貨幣に換算した価値は約四千三百四十二億スイスフランだった。ジョージアは、二〇二一年の無償の家庭サービス労働が生む付加価値を、国内総生産の二十三・三パーセントに相当すると推計した。その八十一・七パーセントを、女性が担っていた。カナダの統計機関は、二〇一九年について、五千百六十九億から八千六百二億カナダドルという幅を示している。あの総額の二十五・二から三十七・二パーセントに相当する。アメリカの統計機関は、家庭生産を独立した補足勘定として、継続して更新している。
カナダの示した幅は、それ自体が、答えの形をしている。同じ国、同じ年、同じ調査データでも、結果には五割を超える開きがある。そして、どの計算法も、正式なやり方なのである。
二〇二五年三月、国連統計委員会は、国民経済計算体系の新たな改訂を採択した。一方では、無償の家庭サービスを、引き続き中核の生産境界の外に置く。他方では、以前よりはるかに大きな位置を与え、拡張勘定やテーマ別勘定の整備を求めている。
境界は、動いていない。境界の外に、付属の構造が育ち始めたのである。
六 物差しは、自分の目盛りを持ち込む
無償労働に値をつけるときには、さらに気まずい問題がある。これも、統計機関自身が指摘している。
カナダの統計機関は、わざわざ注意を書き添えている。機会費用法を使えば、労働市場にすでにある賃金格差が、そのまま推計へ持ち込まれる。つまり、ある女性が、より多くの無償労働をしていても、市場で得る平均賃金が低ければ、その仕事を金額へ直したとき、かえって価値が低く見えることがある。
統計上の事故ではない。途中のどこかで計算を誤ったわけでもない。共通の貨幣の物差しが、もともとするはずのことをしているのである。何かを測るとき、すでにある序列も、一緒に測り込んでしまうのだ。
別の言い方をすれば、もっとわかりやすいかもしれない。市場の賃金は、それ自体が、すでに一度、順位をつけた結果である。前の回に、誰がどこへ置かれ、誰の時間が、より値打ちのあるものとされたかが、記録されている。その賃金を使って、帳簿の外の労働に値をつけるのは、前の回の結果で、今回の採点をすることに等しい。多く働く人が、前の回で下位に置かれていれば、今回も下位になる。しかも、今度の順位には数字がつき、計算によって導かれたように見える。
同じ物差しは、もう一つのこともしている。こちらが物差しの功績として数えられることは、めったにない。
余項を物差しの上へ載せた瞬間、物差しは、自分の目盛りまで、そこへ刻みつける。
ほかの場所でも、同じことは起きていた。ただ、これほどむき出しではなかった。第七篇では、鉱山で働く人が、一つの徴発率と、具体的な人数へ換算された。使われたのは、当時の行政上の序列である。プランテーションでは、人が土地と同じ行に記され、当時の地価の体系が使われた。何かを帳簿へ運び入れるたび、使うのは、帳簿のなかにすでにある換算表だ。そして、その表は、前の秩序が残したものである。したがって、運び込まれたものが、新たな順序を持ち込めるわけではない。まず渡されるのは、古い位置なのだ。
認めるということは、中立な移し替えでは、一度もない。何かが帳簿へ受け入れられた瞬間、その帳簿にすでにある順序のなかへ、位置づけられる。その順序には、誰がいくらに相当するかが、とうに書かれている。構が余項を受け入れるのには、条件がある。余項の側が、構の度量衡を受け入れることである。
こうして、抜け出しにくい輪ができる。資源を求めるには、まず数字が要る。数字を持つには、あの物差しへ入らなければならない。入れば、数字は、すでにある高低に沿って並べられる。その数字がまた、資源をどう配るかの判断に使われる。求める側も、この輪を知らないわけではない。たいていは、もっとよい方法を示せないのだ。輪に入らなければ、あの欄は、いつまでもゼロのままである。ゼロには、争う資格さえない。
規模がどれほどかは、いまでは、数字がある。国際労働機関の世界推計によると、世界の無償ケア労働の七十六・二パーセントを、女性が担っている。一日平均で、女性は四時間二十五分、男性は一時間二十三分だ。二〇二三年には、ケアの責任のために労働市場に参加していない人が、世界で七億四千八百万人いた。そのうち、七億八百万人が女性だった。
このいくつかの数字だけでも、わかる。帳簿の隅に残る、小さな端数ではない。労働市場全体、賃金所得、雇用統計が、その上に立つ土台なのだ。
数字で何かを示すには、ふつう、比べる相手が要る。一日四時間二十五分と、一時間二十三分。そのあいだには、三時間余りの開きがある。三時間余りは、短時間の仕事一つに相当する長さだ。本を読み、休み、外へ出歩き、あるいは別の収入を得るために使えた時間である。それが毎日、一年に三百何十日も、一生に何十年も続く。金に換算するのも、一つの計算だ。過ごすことのできなかった日々へ換算するのも、別の計算である。ただし、後者の帳簿には、勘定科目がない。
この数字には、もう一つの使い道がある。個人の選択と呼ばれがちなことの、規模を露わにするのだ。一つの家庭で、誰が子どもを迎えに行くかは、二人で相談して決めた結果に見える。七億という数の上へ置くと、相談だけで説明しきれるとは、思えなくなる。個々の取り決めには、千通りの理由があるかもしれない。だが、その千通りを足すと、すべて同じ方向を指すのなら、ほかにも説明を探さなければならない。
だからこそ、測らないことは、中立でいることにはならない。フォルブレの判断は、ここでは明瞭だ。無償労働を測らなければ、市場経済の効率を実態より高く見せ、成長や生活水準についての理解も歪めてしまう。ゼロも、一つの数である。しかも、最も引用しやすい数なのだ。
ゼロのよさは、手入れが要らないところにある。数字のある項目は、毎年更新し、何をどこまで数えたかを説明し、疑問に答えなければならない。ゼロの項目には、何も要らない。静かにそこにあり、今年はなぜ変わったのかと、尋ねる人もいない。構にとって、最も手間のかからない状態は、余項を小さく押し縮めることではない。余項のいる場所に、初めから数を置かないことである。
七 二つの世界
では、すべて算入すれば、それでよいのだろうか。ここで、本当の意見の違いが現れる。しかも、どの側にも、示せる理由がある。
値をつけ、勘定へ組み込むことを、より強く求める側の言い分は、実際的である。数字さえなければ、保育、高齢者ケア、医療、社会的保護の予算は、なかなか獲得できない。計算に入らなければ、いつまでもゼロと見なされる。予算に入らなければ、家庭のなかで、当然のように引き受け続ける。所得や福祉の設計に入らなければ、最も交渉する力の弱い人々が、担い続ける。一九九五年の行動綱領、その後の国際機関による一連の方法上の指針、そして、無償ケア労働を認め、減らし、再分配し、有償のケア労働者には報酬と代表の機会を確保するという政策の道筋は、いずれも、この方向へ向かっている。
慎重な側の言葉も、空論ではない。何もかも金額に直せば、ケアに含まれる関係、信頼、感情の関わり、道徳上の義務は、統一された貨幣の尺度の下で、容易に平らにされる。さらに厄介なのは、平らになったあと、別の形で組み立て直されるかもしれないことだ。低賃金、業績評価、安価な外注へ変わるかもしれない。フォルブレ自身、この点については、少しも曖昧に書いていない。ケアを、純粋に経済の言葉だけへ還元することは、決してできない。技術的な説明もしている。市場を通さない労働のなかで、その人ならではの関わりや感情を伴うケアの比重が大きいほど、市場価格で価値を推計したときの過小評価は、深くなるのである。
第五篇では、測れる、正確に測れる、それでも測り終えたときには、触れていない、と述べた。ここでは、もう一段、話が入り組む。測ることはできる。しかも、出てきた数字のほうが、測られた営みを、逆に変えてしまう。
社会学の一つの流れからは、第三の道も出ている。よくある二つの言い分を、同時に退ける道だ。一方は、金銭と親密な関係を、触れ合えば互いを汚す、敵対する二つの世界と見る。金が入れば、情は汚れる、という考えである。もう一方は、親密な関係も、結局は利益の交換にすぎず、温かな感情は包み紙だ、とする。この流れは、どちらも違う、と主張する。本当に見るべきなのは、具体的な取り決めのなかで、金と関係がどう置かれ、どの組み合わせがふさわしく、どれがふさわしくないか、ということなのだ。
この道を進めば、問いは、金を払うと愛が壊れるかどうかではなくなる。どんな制度のもとなら、金、責任、信頼、ケアが共にあり、しかも、危険をどちらか一方へ、すべて押しつけずに済むのか、という問いになる。
肝心なのは、最後の半分だ。これまでの篇で、互いに無関係に見えた例も、底までたどれば、同じところへ行き着く。第五篇で、帳簿に残った漏れ口のリスクを負ったのは、質問する資格のない人々だった。第十一篇で、先に働き、あとで賃金を受け取る労働者のリスクは、ほかに担保を持たない側へかかっていた。愛と金が同じ部屋で暮らせるかは、言い切りにくい問いだ。誰にリスクがかかるかは、そのつど、数えられる問いである。
これまで何度も現れたことが、ここでようやく、最も直接的な言葉になった。匿名の価格と、人の顔を持つ関係は、互いの代わりになったことがない。ずっと、同じ一つの営みのなかで、同時に働いてきた。そのつど、配分が違うだけだ。そして、その配分を決めるのは、制度であって、人間の本性ではない。
そう見れば、ある仕事を家庭から市場へ移しても、人の顔を持つ半分が、消えるわけではない。高齢者の世話をする人を雇えば、契約には、時間と賃金が明記される。だが、その人が、夜に、あと十分だけ長くいてくれるか。相手の嫌いな食べ物を覚えていてくれるか。様子がおかしいとき、まず一本、電話をかけてくれるか。どれも契約には書かれていないのに、世話がうまくいくかどうかを決める。金を払えば、来てもらうことはできる。心を配ることまでは、買えない。
ケアの経済学には、ケア・ダイヤモンドという言葉がある。ケアを提供する側を、家庭、政府、市場、ボランティア組織という、菱形の四つの頂点へ分ける考え方だ。この言葉のよさは、あるかないかという問いを、それぞれがどれだけ担うかという問いへ変えることにある。一つの仕事を、家庭の頂点から市場の頂点へ動かしても、解決したことにはならない。引き受ける人が変わり、値をつける仕組みが変わり、問題の起きる場所も変わった、というだけのことである。
フォルブレは、価値の推計を批判しながらも、推計すること自体に反対してきたわけではない。その立場は、おおよそ、こう捉えられる。貨幣で価値を測ることには、確かに危険がある。だが、それによって、露わにできることもある。市場での取引は、私たちが生きるために頼っているもの全体の、一部分にすぎない、ということだ。
両方とも正しい。しかも、違う次元で正しい。おそらく、それが、この論争が五十年たっても閉じない理由なのだろう。
八 空いたままの、あの欄
一九三四年の、あの頁へ戻ろう。
クズネッツは、やはり省略するのがよい、と書いたとき、その省略が、どんな条件のもとで問題を起こすかも、同時に書いていた。市場経済が縮小し、家庭内の活動が広がるとき、この帳簿の、生産力を示す指標としての価値は下がる、と。
九十年後、国連自身の方法上の指針は、同じことを確かめている。ただ、向きを逆にして述べている。無償の家庭サービスを勘定に入れなければ、経済成長率は、実際より高く見積もられることがある。もともと家でしていたことを市場へ移すだけで、帳簿には一件、数字が加わるからだ。実際には、生命を保つ活動の総量は、増えていない。
一つの構が、動き始めた年に、自分はどんな条件で誤るかを、同じ頁へ書いておいた。そのまま、九十年、動き続けた。
この点は、第九篇と重ねて見る価値がある。あちらでは、構が、自分の削ったものを、自分の記録のなかへ、そのまま保存していた。削る側と、削られたものが、同じ表紙の下にいた。ここでは、もう一段深い。保存されているのは、削られたものだけではない。説明書まで残っている。どんな場合に、この削除によって機械全体が誤った数を出すか、そこに書いてある。説明書は、ずっとある。機械は、ずっと回る。
隠したのではない。隠すにも、少しは労力が要る。ここでは、誰もその労力を使っていない。あの頁は、いつでも印刷されており、誰でも開ける。構の強さは、覆い隠すことからではなく、慣性から生まれる。毎年発表し、毎年引用され、毎年、資源の配分に使われる。それが一年、また一年と続くと、あの境界は、誰かの決定には見えなくなる。一つの事実に見えるようになる。
九十年のあいだに、あの欄のために声を上げた人々は、多くのことをした。判定の基準を示した人がいる。掛け声にして、二十ペンスの冊子へ印刷した人がいる。前提を一つずつ外してみせた人がいる。政府間の文書へ書き込んだ人がいる。時間勘定と衛星勘定を作った人がいる。時間数と、貨幣に換算した額を、計算した人がいる。
二〇二五年になっても、境界は、元の場所にある。
九十年は短くない。一つの境界が、九十年ものあいだ、これほど多くの人から、これほど多くの方向へ押され、それでも元の場所に残る。このことには、説明が要る。その説明は、境界が正しいかどうかというところには、おそらくない。毎年数字を出し、その数字が大きな決定に使われる帳簿にとって、最も怖いのは、漏れることではない。変わることだ。漏れなら、付表を一枚足せばよい。何をどこまで数えるかが変われば、それまで何十年分もの数字が、比較できなくなる。この種の構にとって、安定は、最も譲れない要求である。正確さよりも、なお強い。
一方で、境界の外は、もはや更地ではない。細かな字で、埋め尽くされている。時間勘定、衛星勘定、拡張勘定、テーマ別勘定。どれも、同じことを言っている。あの欄にも、数字を入れるべきだ。そして、どれも、欄の外に置かれている。
これが、構による、余項の扱い方の六番目である。消化せず、否認せず、名を変えず、境界をさらに内側へ引くこともしない。余項に一本の軌道を与え、帳簿の周りを回らせる。数字は整い、引用にも便利だ。いつまでも近くにあり、いつまでも中へ入らない。
中へ入れない理由は、すでに、公式文書自身が語っていた。自分の家でする分と、金を払って人に頼む分は、そのまま取り替えられる、同じ一つのものではないのである。
代替できることが、帳簿に入る前提になる。ほかの人が同じように行い、出来上がったものも同じものだと見なされて初めて、値をつけ、精算し、あの欄へ書き込める。ところが、この営みは、完全には代替できない。
だから、帳簿の外に残るほかない。
ある人が夜中に起きて、熱のある子どものタオルを替える。どの計算法でも、この行為には数字を出せる。代替費用で計算すれば、夜勤のケア労働者を雇う、一時間当たりの賃金になる。機会費用なら、眠れなかったために、翌日、彼女が稼げなくなる分だ。二つとも計算できる。二つとも正式な方法に従っている。二つの数字は違う。しかも、後の方法では、彼女の稼ぎが少ないほど、この行為の値打ちも低くなる。
だが、彼女が起きて、あのタオルを替えたときにしていたのは、二つの数字の、どちらでもなかった。していたのは、そのこと自体である。値段は、あとから来た人が、脇から借りて貼りつけた。借りたのは、ほかの人の値段だ。貼りつけられた先は、彼女の夜だった。
帳簿は、この先もつけられる。そして、年を追うごとに細かくなる。数え方を調整し、付表を加え、軌道上の数字は、ますます正確になる。あの欄は、元の場所で空いたままだ。きわめて正確に計算された数に取り囲まれ、いつまでも下りない、一件の許可を待っているように。
それでも、あの仕事は、変わらず毎日、行われている。する人は、許可を待たない。
勘定はいまだ合わず、記帳はいまも続いている。
中国語原文の論証と史料を基に、日本語読者のために構成と文章を新たに組み直した独立編集・再構成版です。 中文・English