マルクスと労働価値――余項を記す帳簿も閉じない
労働と労働力を分け、等価交換の内側で生じる剰余を追ったマルクス。その理論にも残った歴史的・道徳的要素と、賃金契約の隠れた信用を読む。
一日の長さを法律で切る
1833年イギリス工場法は九歳未満の就労を禁じ、九~十三歳を日八時間・週四十八時間、十三~十八歳を日十二時間へ制限した。約四千工場に監督官は四人で、法は広く回避された。数字を法へ入れることと現実の日を縮めることは違った。
1844年法は女性と青年を十二時間へ抑え機械柵などの安全条項を置き、1847年十時間法がさらに縮めた。争いは一日をどこまで延ばせるかをめぐり、結論は検査可能な数に固められた。
マルクスは監督報告と議会資料を理論の核心へ置いた。既存の構が延ばした労働日を、時間と身体の側から記録し直したのである。余項のための帳簿が初めて体系的に作られた。
昨日の一時間が半時間になる
資本論はリンネル、上着、金、鉄、パンを社会的必要労働時間という共通尺度へ置く。個人が実際何時間苦労したかでなく、平均技能、強度、通常条件で必要な時間が価値を決める。
新機械が社会的時間を半分にすれば、旧方式で十二時間働いた織工の生産物は六時間しか承認されない。怠けても技術を失ってもいないのに、外部尺度が彼の一時間を半時間へ書き換える。
疲労、熟練、危険、家庭の支えは平均へ圧縮されて初めて計算に入る。商品物神性とは、人間間の社会関係が物同士の関係として現れることだ。価格は嘘でないが、それを可能にした関係を物の属性のように見せる。
労働でなく労働力を売る
労働そのものを売ると考えれば、すべてが等価交換される中で持続的利潤を説明しにくい。マルクスは商品を一定時間働く能力、労働力へ変えた。搾取を悪い雇用主の詐欺でなく、規則を守る取引構造の中で説明するためである。
一日の生活手段が三シリング、社会的労働六時間分だとする。資本家は三シリングで一日労働力を正価で買うが、労働者は六時間後も働く。後半が生む価値は賃金へ戻らず、契約違反なしに剰余が生じる。
労働力の使用権と人全体の所有は期間で分かれる。無期限に売れば奴隷制が戻るとマルクスは警告した。しかし十六時間労働、週七日、終わらない債務のように期間は延ばせる。契約は能力を記すが、疲労、病気、拒否は人に起きる。
賃金の下の道徳と信用
生活手段の籠を計算しようとすると、何が必需かで止まる。窓のある住居、教育、肉、休息、病気の際の余裕は生物学だけで決まらない。マルクスは労働力価値に歴史的・道徳的要素が含まれると明記した。
その要素は時代、闘争、慣習、家庭の無償労働で変わり、理論から演繹できない。彼は隠さず定義に置いたが、後の計算では固定した生活籠のように扱うしかなかった。尊厳は消せない余項として理論に残る。
賃金は通常、労働後に払われる。労働者は週末や月末まで、すでに使われた労働力を雇用主へ信用供与する。企業が倒れれば設備は清算されても消耗した力は戻らない。契約の空白を担保するのは労働者の身体である。
二本のペンと閉じない欄
価値から生産価格への転形問題は、マルクスの帳簿も容易に閉じないことを示す。総剰余と総利潤を重視する説、価値と価格を二体系に分けない説、歴史時間で読む説が争う。限界主義とは同じ問いの別解というより、可比性の由来を問う点が違う。
1844年の疎外論は1932年に広く知られ、若いマルクスとの断絶か連続かが争われた。彼自身も1877年と1881年のロシア関係書簡で、西欧の道を全民族の運命にするなと大きな歴史矢印を曲げた。
鑿構周期律でマルクスは構の外に残る労働者の分を記す新帳簿を作った。しかし人間らしい生活の歴史的・道徳的基準を方程式へ閉じられない。時間は利潤率へ換算されても、機械前の人は一つの欄にはならない。
中国語原文の論証と史料を基に、日本語読者のために構成と文章を新たに組み直した独立編集・再構成版です。 中文・English