第十一篇 マルクスと労働価値:余項の帳簿をつける人も、自分の勘定は合わせきれない
労働と労働力を分け、等価交換の内側で生じる剰余を追ったマルクス。その理論にも残った歴史的・道徳的要素と、賃金契約の隠れた信用を読む。
一 四人と四千の工場
一八三三年、イギリス議会は、一つの工場法を成立させた。九歳未満の子どもを工場で働かせてはならない。九歳から十三歳までは、一日八時間、週四十八時間を上限とする。十三歳から十八歳までは、一日十二時間まで。そう定めた法律だった。
これらは、上から押し下げられた数字である。押し下げる前はどうだったのか。条文に書く必要はない。読む者が、自分で勘定できる。
九歳未満を工場で働かせてはならない、と法律に書かなければならない。その前提にあるのは、九歳未満の子どもが、実際に工場にいたということだ。九歳から十三歳の子どもを、一日八時間より長く働かせてはならない。その前提にあるのは、それまで、もっと長く働かされていたということだ。条文は、止めようとする部分しか書かない。止められないものと、すでに過ぎてしまったことは、条文の沈黙のなかに残る。
数字を現実のものにするため、議会は同時に、工場監督の制度を設けた。監督官は、全部で四人。当時、監督を必要としていた工場は、およそ四千あった。後の議会記録は、隠しようのない事実を認めている。この法律は、広く潜り抜けられていた。
四人に四千。この比率だけで、一つの判決になっている。立法者は、何を取り締まるべきかを知っていた。同時に、この取り締まり方は、設計したときから、本当に守らせるつもりではなかったこともわかる。一日の長さは、一つの数として書き込まれた。だが、その数が現実になるかどうかは、見に行く人がいるか、何人いるか、すべてを見て回れるかどうかにかかっている。数字は、紙を離れたとたん、もう一度、人の手へ返さなければならない。
これまでの篇でも、同じことが何度か起きていた。第三篇では、鋳貨に刻まれた重さを、刻印を確かめる人が支えていた。第五篇では、帳簿の欄を、細かく見る気のある人が支えていた。第六篇では、交子に書かれた文字を、それをなお有効と認める官府が支えていた。規則は、いくらでも厳しく書ける。規則は、自分では歩かない。
十一年後、一八四四年の法律は、女性労働者と、十三歳から十八歳までの年少労働者の一日の労働時間を、十二時間に抑えた。健康と安全を守るための、最初期の規定もいくつか盛り込まれた。機械に防護柵をつける、というのが、その一つだった。一八四七年の十時間法は、繊維工場で働く女性と年少者の法定労働時間を、さらに十時間へ縮めた。
十四年にわたる三度の立法は、同じ方向へ、一段ずつ強く踏み込んでいる。どれも、原則から出発したものではなかった。一つひとつの争いのなかから、ようやく押し出されたものだ。これ以上縮めたら操業できない、と工場主は言う。子どもの骨がまっすぐ育たない、と医師は言う。礼拝へ行く時間もない、と聖職者は言う。そして労働者自身が、門の前に立ち、中へ入ることを拒む。最後に紙へ残るのは、いくつかの整数だった。
整数は、構の最も好む形である。子どもとして過ごす歳月、まだ育ちつつある身体、機械の脇に立ち続けて、いつ間違いを起こし始めるか。それらは、整数ではない。整数であってよいはずもない。だが、法律を作り、監督し、裁判で誰が違反したかを決めるには、整数が要る。八時間と十二時間のあいだのどこに線を引いても、理由は見つかる。そして、いったん引けば、その両側は、合法と違法になる。構は、手を動かそうとするとき、整数を使うほかない。
立法のたびに争われたのは、同じことだった。一日は、どこまで引き延ばしてよいのか。そして争いが一つ終わるたび、その結果は、必ず一つの数になり、条文へ書き込まれ、人の手で確かめられることになる。
ロンドンで、監督官たちの記録を読んでいた人がいる。何年も読み続け、書いている本のなかへ、長いくだりを何度も書き写した。その本は、一八六七年に出版された。『資本論』第一巻である。
写したのは、文章の飾りにする材料が欲しかったからではない。証明したいことがあり、そのために、この数字が必要だった。一日をどこまで引き延ばせるかは、技術が決めるのでも、道徳が決めるのでもない。力が決める。そして、力関係は変わる。労働時間の線をどこに引くかは、世代ごとに争い直して決まる。決まれば条文になり、その条文は、また、人の手で確かめられる。
これまでの十篇で、構はずっと帳簿をつけ、余項はずっとあふれ続けていた。余項を扱うやり方は、何度か変わった。もっと大きな構を使って、縛りを緩める。名前を変える。問わずにおく。費用に織り込む。境界を内側へ引き直す。だが、今回は違う。余項のために帳簿をつける人が現れる。
その人は、あふれたものに名をつけ、それがどこで生じるのかを示し、計算できる量まで与えた。この方向で、構の側ではなく、余項の側に立って帳簿をつけた最初の人だった。しかも、ひどく真剣につけた。いまなお、その計算式を確かめる人がいるほど、真剣だった。
ただし、余項のためにつけた帳簿も、やはり帳簿である。
二 三十分
『資本論』第一巻が、冒頭でまず行うのは、互いに何の関係もない物を、同じ一本の物差しへ載せることだ。亜麻布、上着、金、鉄、パン。
これらを交換できるのは、物理的な性質がどこか似ているからではない、とマルクスは言う。同じ一つの社会的なもの、抽象的人間労働へ還元できるからだ。したがって価値を決めるのは、その物が自然に備える属性ではなく、社会的必要労働時間である。彼自身の定義は、明瞭だ。通常の生産条件のもとで、その時代の社会における平均的な熟練度と労働強度によって、ある物を生産するために必要な時間をいう。
肝心なのは、社会の平均、というところだ。彼の挙げた例は、その言葉の重みを、余すところなく見せている。
イギリスに力織機が導入され、一定量の糸を布に織る時間が、半分になったとしよう。すると、相変わらず手で織っている織工は、以前と同じだけ時間をかけても、その一時間を、社会的な労働の三十分としか数えてもらえなくなる。織り上げた布の価値も、それに伴って半分に落ちる。
その織工は、怠けるようになったわけではない。腕が鈍ったわけでも、手順を一つ変えたわけでもない。一日十二時間、同じように腰をかがめ、同じ部屋で働いている。変わったのは、よそにある一台の機械だった。自分の外にある物差しが、自分の一時間を、三十分へ測り直した。しかも、弁明する場所さえない。その物差しは、個人の事情を尋ねないからだ。
ここには、もう一つ、もっと見えにくい意味がある。織工が失ったのは、誰かから受け取るはずの金ではない。賃金を差し引かれたのでも、約束を破られたのでもない。失ったのは、自分の一時間について、社会が認めてくれる分だった。そして、その分をどれだけ認めるかは、初めから本人の手元にはなかった。自分が持っているのは、腕に覚えのある仕事と、この両手だと思っていた。だが、実際に持っていたのは、いつでも外から測り直される、一つの比率だったのである。
これで、事態はむき出しになる。物差しは、働く者の手にない。社会の側にある。それは、ある人の時間にどれほどの値打ちがあるかを、いつでも書き換えられる。しかも、書き換える理由は、その人と何の関係もない。
マルクスは続けて、この物差しには、最後に共通の表し方が必要になると説明する。それが貨幣だ。価格は、価値を貨幣で表したものにすぎない。貨幣は、商品の価値に、独立した、同質の形を与える。彼は、奇妙な言い方もしている。商品は、社会的な象形文字になった、と。人間はまず、価値形態を使って、物を、互いに交換できる一組の記号へ書き換える。そのあとで、振り返って問わずにはいられなくなる。この記号は、いったい何を語っているのか。
研究者のなかには、この理論を、労働時間という物量を並べただけの一覧と読むなら、大半を読み落とすことになる、と注意を促す人もいる。同時に、貨幣の理論であり、社会関係の理論でもあるからだ。
この点は、第三篇につながる。リュディアの鋳貨は、物差しを、持ち歩ける形にした。ただ、その物差しができたからといって、新しい違いが生まれたわけではない。それまで置き場所のなかった違いが、置けるようになっただけだ。抽象労働という物差しも、同じことをしている。ただし、今度、測られるのは、生きた人間の時間である。同じ一日十二時間でも、十二時間と数えられるものもあれば、六時間と数えられるものもある。物差しができる前には、そのような比較自体が成り立たなかった。構が物差しを一本増やしても、世界に何かが増えるわけではない。ただ、もう一群のものが、互いに比べられる場所へ置かれるのである。
そして、その物差しから何がはみ出すかも、すでに同じ頁に書かれている。計算へ入るのは、ある一人の労働者が、この一時間に、どれほど深く命をすり減らしたかではない。ある種類の労働について、社会が認める、平均的で比較可能な時間である。平均より遅いことも、速いことも、身体をいっそう損なうことも、長年の経験がなければできないことも、家の誰かが支えてくれるからこそ続けられることも、まず平らにならされなければ、その物差しに載らない。平らにすることは、消すことではない。それらは別の場所で、別の形になって戻ってくる。
戻る先は、たいてい帳簿の上ではない。仕事を終えたあとの、一人の沈黙へ戻ることもある。四十歳になったとき、もう伸ばせなくなった腰へ戻ることもある。家の別の誰かが、余分に働く数時間へ戻ることもある。どれも実際に起きている。代償があり、言葉にして記すこともできる。だが、社会的必要労働時間という言葉へ換算できるものは、一つもない。その言葉が数えるのは、定義からして、平均だからだ。
マルクスは、この事態に、商品の物神性という名を与えた。人と人との一定の社会関係が、人々の目の前で、物と物との関係という幻影的な形を取る。彼は、そう書いている。
この一文は、しばしば、人々が幻を見ているという意味に読まれる。それでは、軽すぎる。彼の言っていることは、もっと重い。市場は、実際に、社会関係を価格と貨幣と商品形態のなかへ書き込むことに成功した。その結果、人と人との支配、依存、平均化、競争が、表に現れるときには、本当に、物と物との関係として働いている。匿名の交換は、偽物ではない。人間の関係を、物の文法へ書き換えたのである。
三 売っているのは何か
先行する労働価値論に、マルクスが加えた最も大切な変更は、価値は労働から生まれると、もう一度言うことではなかった。労働と労働力を、分けることだった。
分けなければ、先へ進めなかった。労働者が市場で売るのが、労働そのものだとしたら、誰もが等価交換の規則を守っているのに、資本家はどうして利益を得続けられるのか、説明が難しくなる。少なくしか払わなかったというなら、それは詐欺であり、契約違反であり、ある個人の品行の問題だ。制度の問題にはならない。マルクスが説明したかったのは、まさに、詐欺のない場合だった。
これは、厳しい制約を自分に課すことである。賃金を勝手に差し引く工場主を、ここでは持ち出さない。秤に細工する者も、手抜きや粗悪な材料の使用も、暴力による追い立ても持ち出さない。どれも実在し、しかも、至るところにあった。それでも、それらに支えられた論証から導けるのは、悪い人間がいるという結論だけだ。彼が導きたかったのは、全員が行儀よく規則を守っても、なお、この結果になるという結論だった。
そこで、売られる商品を捉え直した。労働者が売るのは労働ではなく、労働力、すなわち一定の時間、働くことのできる能力だ。この商品には、価値と使用価値という二つの側面がある。前者は、その能力を維持し、再生産するために必要な生活必需品によって決まる。一方、その使用価値は、使われる過程で、自分自身の価値を上回る新たな価値を生み出せる。剰余価値は、この二つのあいだの隙間から生じる。
彼自身の例に沿えば、話は難しくない。一人の労働者が一日に必要とする生活必需品の価値が、三シリングだとしよう。それらを生産するには、平均して六時間の労働が必要だとする。すると、この労働者の労働力は、その日、三シリングの価値を持つ。資本家が三シリングを払って、その日の労働力を買えば、少なく払ったことにはならない。一銭の不足もない。
問題は、買ったのが六時間ではなく、その能力を丸一日使う権利だということだ。労働者は六時間働けば、自分に支払われた三シリングの価値を、すでに生み直している。それでも、あと六時間、働き続けなければならない。その六時間が生んだ価値は、本人のものにはならない。
マルクスは、これを、資本家が等価交換の規則を守りながら成し遂げた、一つの仕掛けと呼んだ。その仕掛けが、どんな形をしているかに気をつけたい。契約は破られていない。法律にも違反していない。紙の上では、帳尻が合っている。合わないところは、紙の上にはない。
一八六五年、労働者の組織で行った演説で、彼はこの区別を、もっと率直に語り、同時に、一本の境界を引いている。労働者が直接売るのは、自分の労働ではなく、労働力である。そう述べた直後に、もし人が、その能力を期限なしに売ることを許されるなら、奴隷制はただちに復活する、と続けた。
これは、技術上の命題にとどまらない。第八篇では、境界が完全に踏み越えられていた。一人の人間が、頭から足まで、価格の平面へ押し込まれ、保険証券に書かれ、トン数に算入された。賃金関係で、それとのあいだにあるものは、期限だとマルクスは指摘する。売るのは、時間を限った支配の権利であって、自分を丸ごと売り渡すのではない。賃金関係を、あの事態と違うものにしているのは、善意でも、道徳の高さでもない。その期限である。期限を取り払えば、境界は、たちまち消える。
この境界は、確かに成り立つ。だが、ひどく薄い。二つのことを分けているのは、一つの時間の値にすぎない。そして、その値は、長くすることができる。一日十六時間、週七日。いつまでも返せない借金。抜けられない契約。離れることを禁じられた住まい。一段長くするたびに、境界は一段薄くなる。彼のあの一文は、あの事態が、もう過去になったと言っているのではない。いま目の前にある関係とのあいだには、動かせる一つの量しか隔てるものがない、と言っているのだ。
だからこそ、労働力という商品は、初めから、一人の人間全体とぴたりとは重ならない。契約で譲られるのは、ある能力の使用権である。だが、その能力を担っているのは、疲れ、病み、子を産み、拒み、ストライキをし、そして死ぬ、一人の人間だ。
マルクスには、ひどく冷たい一文がある。労働力の使用価値、すなわち労働そのものは、油商人に売った油の使用価値と同じく、もはや売り手のものではない。契約が移すのは、使用価値である。一方、痛み、疲れ、老い、屈辱は、その使用価値が実際に消費される過程で、すべて生じる。
値をつける作業は、さらに細かくなる。時間賃金は、一日を、一時間ごとに切り分ける。出来高賃金は、労働を個数で精算する。マルクスは、のちに、出来高賃金は時間賃金の転化形態にすぎず、その時間賃金もまた、労働力の価値または価格の転化形態だと、端的に述べている。何を成し遂げようとしているかは、はっきりしている。人間の働く能力を、油や綿花や石炭や機械と同じように、値をつけ、精算し、比べ、監督できる一項目にすることだ。
四 歴史的・道徳的な要素
ここまで来ると、答えなければならないことが一つある。労働力の価値は、結局、どう決まるのか。
体系の道筋に従うなら、答えはこうなるはずだ。その能力を維持し、再生産するために必要な生活必需品を割り出す。その価値を足し合わせれば、労働力の価値になる。ここまでの本全体の論証は、そのように進んできた。商品から価値へ、価値から貨幣へ、貨幣から労働力へ。
ここから先を、彼は導き出せなかった。
理由は、難しくない。生活必需品という籠に何を入れるべきかは、人が暮らすために最低限何が要ると、その社会が考えるかによって決まる。パンをいくつ入れるのか。肉は、どのくらいの間隔で食べるのか。住まいに窓は要るのか。子どもは学校へ通うべきか。病気になったとき、横になる余地はあるのか。生産の条件から導けるものは、一つもない。人々が言い争って決めたことなのだ。国が違えば、争いの末に決まることも違う。同じ国でも、時代が変われば、違うものになる。
そこで、労働力の価値を論じる章に、彼は不思議な一文を置いた。この価値には、労働者の体力を保つため、生理的に最低限必要な物だけでなく、歴史的・道徳的な要素も含まれる、と。
歴史的・道徳的な要素は、体系の内側から導くことのできない項である。何をもって、生きていけると言うのか。それは、生物学では計算できない、ということだ。そこには、慣習、闘争、社会の基準、教育の程度、家のなかで無償の支えを引き受ける人が何人いるか、そして、この国の人々がおおむね、どのような暮らしなら暮らしと呼べると思っているかが、入り交じっている。どれも変わり続ける。しかも、人と人との争いによって変わる。計算から出てくるものではない。
マルクスは、それを避けなかった。導き出せるふりもしなかった。定義に書き込み、そこにあると認め、それから先へ進んだ。
この動作は、ごまかしとは分けて見なければならない。彼は、その項を脚注へ押し込んだのではない。専門的な名前をかぶせ、導出できたものに見せたのでもない。使ったのは、歴史と道徳という二つの言葉だった。科学たろうとする本のなかで、この二語は、目に痛い。それを承知で、なお書いたのである。
マルクス自身の帳簿で、余項が占めるのは、この場所だ。見えていなかったのではない。見て、名を与え、そこに置いた。方程式のなかへは組み込まなかった。
面白いのは、同じ問題について、彼の対極に立つ者が、向きはまったく逆なのに、形は同じ動作をしていたことだ。第十篇で見たように、メンガーは、人が判断を誤ることを価値の定義へ書き込み、そのあとは、それをよけて進んだ。後の人々は、この隙間を、たいてい、判断は正しいと仮定することで扱った。マルクスの側では、人々が暮らしについて下す共同の判断を、労働力の価値の定義に書き込み、そのあと、やはり、それをよけて進んだ。後の人々は、その項に、たいてい、固定した生活必需品の籠を与えた。反対の方向から出発した二つの体系が、どちらも、最も大切な土台の部分に、導き出せず、取り除くこともできない項を残したのである。
したがって、尊厳は正面の入口から入ってきたのではない。価値を決めるとき、消しきれない歴史的・道徳的な余りとして、裏口から理論へ押し戻された。
裏口から入るものには、一つの特徴がある。入ることはできても、席をもらえない。定義のなかにはあるが、導出のなかにはない。結果を左右するが、計算には加わらない。先へ計算を進めるときには、その項はいつも、与えられた定数として扱われる。ところが、それこそが、この本全体で、最も一定しない項なのだ。構はここまで進んで、自分では導き出せないものに出会った。そこで、それを認め、名をつけ、固定する。後の手順を続けられるようにするためだ。
これは、マルクスの見落としでも、彼の勝利でもない。どちらかの得点に数えるのは、間違っている。その項がどうしても必要なのは、きわめて現実的な理由による。賃金が向き合うのは、一人の人間の生理だけではない。どんな暮らしなら暮らしと呼べるかという、人々の考えにも向き合う。後のほうは、慣習と闘争と時代によってしか決まらない。そして、決まったあと、次の世代が、もう一度決め直す。
だからこそ、賃金という数字は、見かけとは違う性質を持っている。見かけの上では、一つの価格だ。綿花の価格、石炭の価格、機械の価格と、同じ表に並んでいる。だが、その下には、別のものが敷かれている。その社会が、いま認めようとしている、人間の暮らしの最低限だ。価格表のほかの数字には、この層はない。綿花は、もっとよい暮らしをさせてやろうと皆が思ったからといって、値上がりはしない。
その項のなかで触れられながら、ついに独立した欄を与えられなかったものにも、目を留めておきたい。家庭のなかの、一度も帳簿に載らない仕事である。この本にも現れる。だが、労働として現れるのではない。労働力を再生産できるようにする条件として、現れるのだ。
五 どこでも、労働者が資本家に掛けで売っている
賃金関係は、あらゆる交換のなかで、最も匿名のものに見える。契約があり、勤務時間表があり、支払日があり、単価がある。双方は、知り合いでなくてよい。親しい必要も、互いを信じる必要もない。第六篇で見た、人が認めてくれて初めて成り立つ、あの種の証書は、ここでは、すっかり不要になったように見える。
契約のよさは、まさにそこにある。互いを知らない二人が、一つの取引を成し遂げられる。相手の素性を探らなくてよい。間に立って保証する人を見つけなくてよい。付き合いができるまで、始めずに待つ必要もない。これは、本当の解放である。それまで、出自のために門前払いされていた人々には、とりわけそうだった。第十篇で見た、市場全体で同じ比率を、という一文が打ち壊したのは、家柄によって値を変えるやり方だった。賃金契約も、同じことをする。人を、その来歴から切り離し、どれだけ働けるかだけを残すのである。
賃金の支払いを論じるなかで、マルクスは、この印象を、さりげなく崩した。
資本主義の国々では、労働力への支払いは、それがすでに使われたあとになることが多い。彼は、そう指摘する。労働者は、先に仕事をし、月末か週末になって金を受け取る。つまり実際には、労働力の使用価値を、先に資本家へ掛けで売っているのである。彼の書き方に、曖昧なところはない。どこでも、労働者が資本家に信用を供与しているのだ。
この一文は、賃金関係を裏返す。表から見れば、最も現金で割り切れ、最も標準化された契約に従い、人柄にも親しい付き合いにも、最も頼らずに済む関係だ。ところが、実際に動くときには、先に働き、後で払う、そのあいだに、必ず時間の隙間がある。延期があり、未払いがあり、資本家の破産があり、金を受け取れない労働者がいる。最も人の顔を消した関係の内側に、相手が約束を守ると信じなければならない時間が、埋め込まれている。
しかも、その時間のリスクは、対称ではない。資本家が掛けで受け取るのは、すでに済んだ仕事だ。その仕事は、すでに商品となり、倉庫に並んでいる。労働者が掛けで渡すのは、すでに使い果たした力である。使えばなくなる。取り戻せない。工場が倒れれば、商品は清算できる。その数日、労働者が費やした力は、清算の表にはない。だから、これは、ただ互いに待つ時間ではない。片方だけが、取り戻せないものを差し出している時間なのだ。
労働者は、一方では、時間ごとに精算される、一つの能力として数えられる。その一方で、一人の人間として存在し続け、この時間のあらゆる不確実さを引き受けなければならない。契約に書いてあるのは、能力だ。そこに担保として置かれているのは、人である。紙の上では一つに書かれているが、現実では、一度も同じものだったことはない。
第六篇の交子の話では、貨幣から金属を取り除くと、重みのすべてが人格にかかる、と述べた。ここでは、向きが逆になる。賃金関係は、取引から人格を必死に追い出し、時間数、個数、単価、支払日へ置き換えようとする。だが、追い出しきれない。信頼は、消えたのではない。支払日までの、あの隙間へ退いたのだ。契約に書かれなかった場所へ、退いたのである。
二つの媒体は、どちらかがどちらかに取って代わったことなど、一度もない。一度たりとも、ない。
振り返れば、このつながりは、ずっとあった。第一篇の、帳簿のない時代には、人への借りを、双方がまだ覚えていることによって支えていた。第二篇の、粘土板に記された負債は、神殿の序列に支えられていた。ここで賃金を支えるのは、一枚の契約と、まだ門を開けている工場である。形は、そのつど冷たくなる。人格の跡が見えなくなるほど、冷たくなる。それでも、その冷たい端の先には、いつも、誰かが約束を守らなければ通れない道がつながっている。構は、この道を、ますます短くすることはできる。なくすことはできない。
しかも、この隙間を埋めているのは、労働者の生身である。給料日を迎えるには、そこに居続け、身体が持ちこたえ続けなければならない。この隙間へ差し入れられる担保は、ほかにない。一方では、時間ごとに精算される能力へ還元される。他方では、一人の人間として存在し続ける自分自身によって、その契約の最後の支えになることを強いられる。
この節の両端を、合わせて見てみよう。賃金関係は、一方で、あらゆる交換のなかでも、純粋な価格に最も近く見える。他方で、一人の人間が居続けることなしには、最も成り立たない交換でもある。二つのどちらかを選んだのではない。二つを、同時に極限まで進めたのだ。
六 疎外はどこへ行ったのか
一八四四年、二十六歳のマルクスは、パリで一群のノートを書いた。そのなかに、のちに、とりわけよく引用されることになるくだりがある。労働者は、労働の外でだけ、自分が自分のものであると感じる。労働しているときには、かえって、自分の外にいる。働いていないときにだけ、わが家にいるように感じる、と。
同じノートには、賃金関係にもっと直接触れる一文もある。労働者が受け取るのは、自分の存在を維持するために、どうしても欠かせない分だけだ。しかも、それによって認められるのは、人間としてではなく、労働者としての存在である。彼はさらに、もっと厳しく書く。資本がもはや必要としなくなれば、その者には、人間としての存在はない。労働者としての存在しかないのだ、と。
この一群のノートは、ふつう、四重の分離としてまとめられる。人が自分の生産物から離される。労働という活動から離される。自分の類的存在から離される。他者から離される。労働者は、生産すればするほど、自分は貧しくなる。生産物は、自分にとって異己の力となり、逆に本人を支配する。労働は、自由な活動から、生計を立てる手段へ落ちる。そして、生産物も活動も疎外されたあと、人と人との関係も、支配と従属へ書き換えられる。
これらのノートが書かれたのは、一八四四年の四月から八月だった。初めて出版されたのは、一九三二年である。
そのあいだに、多くのことが起きた。マルクスは『資本論』第一巻を書き終え、世を去った。エンゲルスは第二巻と第三巻を整理し、やはり世を去った。マルクスの名を掲げて生まれた政党は、いくつもの国で大きな政党になり、ある国では、その名のもとに、制度の全体が作り替えられた。それらがすべて起きていたあいだ、あのノートは、まだ箱のなかにあった。
数えれば、八十八年である。つまり、マルクスの死後、五十年近くにわたって、人々が読んでいたのは、これらの言葉を一度も語っていないマルクスだった。一九三二年以降、疎外と類的存在を盛んに語る青年マルクスが、突然、すべての人の前に現れた。そこで初めて、一つの問いが、体系的に問われるようになった。初期と成熟期のあいだにあるのは、断絶なのか。それとも、連続なのか。
一方は、断絶という見方を、徹底して押し進めた。フランスの哲学者アルチュセールは、認識論的切断という考えを示した。一八四五年以前のマルクスは、なおイデオロギーの水準にとどまり、そのあとで初めて、科学的な政治経済学批判へ移った、というのである。疎外という概念は、何らかの統一された人間の本質を前提とする。したがって、まだ取り除かれていない残りかすに属する、とされた。
もう一方は、連続を主張する。近年、この筋道を整理した研究者のなかには、疎外は捨てられたのではなく、書き換えられたのだと考える人がいる。倫理と哲学の語彙から、商品の物神性、抽象労働、賃金形態、資本による労働力の消耗といった、もっと冷たく、制度に即した分析へ移されたのだ、と。権威ある哲学百科事典でも、この問題を扱う項目で、マルクスが疎外を論じたのは初期だけだという見方は、もはやテキストの証拠によって支えにくくなっていると指摘されている。
どちらの側にも、材料がある。しかも、弱くない。連続を主張する側では、一文ずつ対応させられる。一八四四年には、労働は外的なものであり、強いられたものだと書いた。『資本論』では、賃金形態が一つの見せかけを生むと書く。支払われたのは労働の一部だけなのに、労働の全体に支払われたように見える、と。一八四四年には、労働者は生産するほど貧しくなると書いた。『資本論』は、それを、労働力の価値はその再生産に必要な物によって決まるが、その使用価値は、もっと長い労働日のなかで、追加の価値を生み出せる、という形へ書き直す。一八四四年には、人と人との関係が、疎外のなかで変形すると書いた。『資本論』では、その変形を、人の関係が物の関係の形で現れると記す。語彙は変わっている。骨組みは、同じものと見て取れる。
断絶を主張する側も、何もないところから言い出したわけではない。後期のテキストでは、人間の本質という概念は、確かに、もはや論証の重みを担っていない。議論を進めるのは、価値形態、労働力商品、蓄積法則である。人間はどうあるべきか、という判断ではない。
ここで、代わりに裁く必要はない。むしろ、この論争自体を、一つの出来事として見る価値がある。ひと束の紙が、箱のなかで八十八年眠っていた。それが出てきたあと、一つの学問は、自分たちの著者を、さかのぼって分け直さなければならなくなった。どの時期を有効とし、どの時期を未成熟とするか、もう一度決めなければならなくなった。一つの世代の読む本の一覧からは、削れても、紙そのものは削れない。
このことが読解に及ぼす影響は、実際にある。一九三二年より前に形を得た解釈は、どれほど厳密でも、材料の足りない状態で作られたものだ。そのうちのいくつかは、すでに制度となり、教科書へ入り、組織にまでなっていた。テキストが後から来て、解釈が先に着く。この順序がいったん生じれば、後着のテキストは、もはや補足ではない。厄介ごとなのである。
七 帳尻の合わない欄
マルクス自身の帳簿にも、帳尻の合わないところがある。一か所だけではない。少なくとも三組の論争があり、それらは、しばしば混ぜて論じられる。
第一は、価値と価格をめぐる論争だ。『資本論』第三巻第九章の題には、平均利潤率の形成と、商品価値の生産価格への転化が掲げられている。この章でマルクスは、個々の部門の商品が、それぞれの価値どおりに売られるとは限らないと認めている。ある商品は価値を上回る価格で売れ、別の商品は、同じ割合だけ価値を下回る価格で売れる。そのずれによってこそ、平均的な利潤率が形成される。ずれは例外ではない。通常のあり方なのだ。
この巻は、死後に整理されたものである。エンゲルスが、一八六三年から一八八三年までの草稿をもとに編み、一八九四年になって、ようやく刊行された。したがって、論争には初めから、テキストがたどった歴史の影がある。どの手順までがマルクス自身の書き定めたもので、どの手順が編者によって筋道を整えられたものなのか。誰にも、完全には確定できない。
最初期の激しい砲撃は、オーストリアの経済学者ベーム=バヴェルクから来た。一八九〇年代、彼は、第三巻における平均利潤と生産価格の説明は、第一巻の価値理論と両立しないと断じた。二十世紀に標準となった批判は、ふつう、一九〇六年から一九〇七年にかけての、ある研究者の仕事までさかのぼる。マルクスは、産出を生産価格に転化したのに、投入を同じく生産価格に転化することを、一貫して行わなかった。そのため、同時に決定するという条件では、連立方程式の辻褄が合わなくなる、という批判だ。この読み方は、のちに、ほとんど入門教科書の定番になった。
反論には、少なくとも三つの道がある。一つは、個々の商品について、労働価値と貨幣価格を一対一で対応させる必要はない、というものだ。総利潤と、支払われていない労働時間との比例関係が保たれるなら、搾取の論証は成り立つ。もう一つは、マルクスが扱っていたのは、価値体系と価格体系という、二つの並行した体系ではない、とする。貨幣として前貸しされた資本を前提に、社会的総資本を分析していたのであり、いわゆる転形問題のかなりの部分は、後の読み方が作り出したものだという。さらにもう一つは、価格と価値は、歴史的な時間のなかで互いを決めるのであって、同一の時点で同時に解かれるものではない、とする。あの論理矛盾は、静態的なモデルによって、マルクスへ押しつけられたものだというのだ。
どの道が正しいかは、ここでは裁かない。ただ、この論争がいつまでも決着しない理由は、明らかにしておく価値がある。計算式が正しいかどうかだけの問題ではない。露わになるのは、マルクスが、両立させることの難しい二つのことを、同時に語ろうとしている点だ。剰余は、実在する。売買の手練手管からではなく、生きた労働から来る。ところが、その剰余が表面上どのように分配されるかは、剰余自身の出所を、体系的に歪めて見せる。つまり彼が求めているのは、実際に存在すると同時に、必ず覆い隠される量なのである。
必ず覆い隠される量には、帳面の上で、そのまま対応する欄が、いつまでも見つからない。
逆から言うこともできる。帳面の上に対応する欄が見つかる量なら、この厄介さはない。転形をめぐる争いが百年以上続くのは、まさに、マルクスの扱おうとする量が、彼自身の言い方によれば、直接には姿を見せないものだからだ。定義からして見えないものに、計算法を作ろうとする。そして、その計算法を確かめるには、そこから出た答えが、見える価格と合うかどうかを調べるのである。
第二の論争は、限界主義とのあいだにある。第十篇では、一八七一年の前後に、あの三人がしたことを見た。両側を並べると、どちらが正しいかよりも、面白いことが見えてくる。そもそも、同じ問いを立てていないのだ。
マルクスが問うのは、商品交換によって広く組織された社会で、まったく異なる労働が、どうして一本の社会的な物差しへ還元できるのか、ということだ。また、なぜ利益は、ただ安く買って高く売るだけでは生まれないのか、ということだ。限界主義が問うのは、希少性のもとで、一人の人間が、自分の主観的な満足を限界でどう比べ、それによって、需要、交換比率、均衡価格がどう形づくられるかである。後の読者には、両者は、ときに、別々の問いへ答えているように見える、と端的に言う人もいる。
すると、第十篇で見た境界は、別の言い方ができる。門の外へ出されたのは、正義、制度、時間だけではない。もっと土台に近い問いもある。比べられるということは、どこから来るのか。限界主義は、すでに比べられるところから出発する。違うものを同じ一本の軸に載せて、大小を比較できると仮定し、その上で、どう比べるかを調べる。マルクスが問うのは、ちょうど、その一歩前だ。その比較可能性は、どう作られ、何によって保たれ、代償は誰の身に落ちるのか。
第三の論争は、マルクス主義の内部にあり、最も奥に届いている。価値とは、生産のなかですでに存在する抽象労働なのか。それとも、市場での交換を通じ、社会的に認められて初めて成立するのか。一方は、抽象労働も価値も、製品のなかに出来上がった形で置かれ、表されるのを待っているのではないと考える。交換のなかで、実際に社会の承認を得て、初めて有効になる。したがって、価値は物の自然な属性ではなく、歴史的な社会関係なのだ、という。もう一方は、第一章が論じているのは、生産のなかですでに支出された抽象的人間労働だと譲らない。交換は、それを貨幣価格として表すだけで、もともとなかったものを作り出すわけではない、とする。
この論争は、最も専門家の内輪に閉じた議論に見える。だが、帰結は、最も直接的である。物神性をどう読むかが、ここで決まるからだ。すでに存在する労働の内容を覆う、一枚の覆いなのか。それとも価値は、初めから、この社会的な形でしか存在できず、覆いをめくっても、その下に、もっと真実の量が待っているわけではないのか。
八 二本の筆
最後に、まだ述べていないことが一つ残る。見つけ出された、あの剰余は、そのあと、どこへつながれたのか。
証拠として、最も持ち出しやすいのは、一八五九年の序言だ。そこには、数えきれないほど引用されてきた一文がある。どのような社会構成体も、そのなかに収めうる生産力のすべてが発展しきるまでは、決して滅びない、と。そのすぐあとでは、アジア的、古代的、封建的、そして近代ブルジョア的な生産様式が、いくつかの時代として並べられる。
この二つのくだりだけを読めば、強い段階論の筋道を、容易に読み取れる。それぞれの社会構成体には、果たすべき歴史的な仕事がある。生産力が収まる限度まで発展して初めて、もっと高い形態へ場所を譲る。二十世紀の研究の一派は、まさにこの方向をたどり、生産力が発展する傾向を核として、歴史的唯物論の全体を組み立て直した。
別の一派は、ただちに難点を指摘する。この説明には、機能主義が潜んでいる。ある制度は、生産力を促進するから残されるとされる。だが、どんな仕組みによって、その制度が残されるのかを、誰もはっきり語れない。すると歴史には、目的があるように見えてくる。しかも、それは誰か一人の目的ではない。生物の進化になぞらえれば、理論は偶然をもっと含むものになるが、長い先を予測する力も弱まる。強い予測力を保とうとすれば、目的論ではないかという疑いが、いっそう濃くなる。
あの一直線に逆らう材料も、マルクス本人から出ている。しかも、軽いものではない。
一八七七年、彼はロシアのある雑誌の編集部へ手紙を書いた。西欧で資本主義が生まれた歴史について、自分が描いた素描を、すべての民族が従わなければならない普遍的な行軍路へ書き換える者がいる、と抗議したのである。逃げ道をほとんど残さない書き方だった。西欧での、あの成立の歴史を、運命があらゆる民族へ強いる普遍的な道だとするのは、私に過大な栄誉を与えると同時に、私を誤解することだ、と。ローマの平民が土地を奪われた例も挙げている。似た出来事でも、異なる歴史的な環境に置かれれば、まるで違う結果へつながる。したがって、歴史を超える一本の万能の鍵で、それらをまとめて開くことなど、決してできないというのだ。
一八八一年、ロシアの革命家ザスーリチへ送った手紙と、送られなかった数通の草稿では、さらに明瞭になった。ロシアの農村共同体は、別の社会の形へ進むために、まず、西欧型の資本主義の苦しみを一通り経なければならないと、運命づけられているわけではない。いわゆる歴史的必然性の及ぶ範囲を、彼は、明確に西欧諸国の内側へ限った。
この一群の晩年の資料を捉え、晩年のマルクスは、すでに単線的な発展の図式を離れていたと主張する研究がある。ヨーロッパを中心とする一本の道から、もっと世界全体へ開かれた、複数の道を認める視野へ移ったのだ、と。これを全面的な転回と呼ぶことには同意しない研究者もいる。意見が分かれるのは、たいてい、晩年のテキストに開かれたところがあるかどうかではない。その開かれ方が、以前の枠組みの修正と深化なのか、それとも、根本からの断絶なのか、という点である。
すべてを合わせたとき、材料に最も忠実な言い方は、おそらく、こうだ。マルクスの手には、二本の筆があった。一本は、大きな矢印を描きたがる。そこから出てくる文には、方向があり、段階があり、終点がある。もう一本は、具体的な材料に突き返され、そのつど戻って矢印を描き直す。ロシアの共同体に出会い、植民地に出会い、西欧以外の道筋に出会うと、描いた線を曲げ、ときには折る。どちらも、彼の筆である。どちらも、書いた跡を残している。一方が他方を消したわけではない。
そして、矢印というものを、一度、単独で見ておきたい。
それは、帳尻を合わせる、もう一つのやり方である。いまの帳簿が、どれだけ計算しても合わないなら、将来のある時へつなぐ。いま合わないのは、まだ、その日が来ていないからだ。その日が来れば、合わない項目は、すべて一度に清算される。終点は、合わないことを耐えられるものにする。同時に、合わないのは一時のことだと見せる。
余項のためにつけた帳簿は、ここまで来ると、また、閉じようとする構になる。自分の余項を扱う方法は、清算の日を先へ送ることだ。
ところが、マルクス自身は、二度、その矢を自分の手で曲げた。
二度とも、具体的な材料の前で曲げたのである。一度は、彼の本で別の国を説明しようとする人がいたとき。もう一度は、ロシアの農村共同体をどうすればよいかと、尋ねられたときだった。図式を守るために、材料を切り詰めたのではない。直したのは、図式のほうだ。このやり方は、彼の死後、あまり受け継がれなかった。
彼の思想のなかで、最も揺るがない半分は、ほかならぬ、矢印を必要としない半分である。賃金契約は、取引を清算したように見える。だが、値をつけたのは、一つの能力だけだ。この人の生命活動のすべて、体力の消耗、家のなかで誰も値をつけない世話、そして、自分が一項目の支出として扱われる、あの感じについては、勘定を済ませていない。この清算しきれなさは、どこかの悪い雇い主が作ったものではない。賃上げによって消せるものでも、いつかひとりでに消えるものでもない。人を、精算できる一項目として扱うとき、必ず残る部分なのである。
その部分のために、彼自身が、定義のなかへ名を残した。歴史的・道徳的な要素。どのような暮らしなら暮らしと呼べるかについて、人々が共有する判断である。その判断には、単位がない。足し合わせることもできない。世代ごとに話し合い直し、話がついたあとも、また変わる。方程式に入らない。だが、方程式から取り去ることもできない。だから、いつまでも、あの帳簿の端にとどまっている。
帳簿は、働いた時間を何時間という数に直し、時間をシリングへ、シリングを利潤率へ、一段ずつ、きれいに換算できる。換算できないのは、機械の前に座る、あの人だ。その人は、一つの欄ではない。一つの欄になることも拒む。疲れる。病む。その場を去る。来なくなる。他の人と相談する。一緒に手を止める。そのようなことが起きるたびに、帳簿の数字は、調整し直さなければならなくなる。そして、調整が済んでも、その下の一欄は、やはり空白のままである。
勘定はいまだ合わず、記帳はいまも続いている。
中国語原文の論証と史料を基に、日本語読者のために構成と文章を新たに組み直した独立編集・再構成版です。 中文・English