この版について
日本語版について:中国語原作をもとに、日本語の読者に向けて独立に書き直した版。原文は同じページで簡体字と繁体字を切り替えて読める。
ゼントラーディ軍第118基幹艦隊の司令長官は、ボドルザーという。
彼が率いるのは第118基幹艦隊であって、すべてのゼントラーディを一人で支配しているわけではない。それでも、作中で示される艦隊の規模は数百万隻に及ぶ。
彼は、一つの命令を下した。
実行された結果、地球の表面は、ほぼ完全に破壊された。後年の設定では、しばしば「約99パーセントの生命が失われた」とまとめられる。作中でも、戦後に生き残っているのはごくわずかな人々だけだ。
なぜその命令を下したのか
まず動機をはっきりさせておきたい。この一篇で考えることは、すべてそこにある。
彼は、ブリタイが連れ帰った地球人の捕虜を見た。捕虜たちが身につけ、持ち歩いているものも見た。
そこから疑問が生まれる。この地球人たちは、自分たちを造った、あの文明の者ではないのか。
彼は、あの要塞にスパイを送り込む。
スパイの報告が届き、さらにブリタイが地球側と同盟を結んだという知らせが届く。それによって彼は判断を下す。
恐れたのは、あの文明の文化に汚染されることだった。
そこで、地球の人類とブリタイの艦隊を、一緒に消し去ることにした。
殺そうとしたのは敵だけではない。自分の部下も含まれていた。
ここは曖昧にできない。ブリタイの艦隊は彼自身の部隊であり、指揮下の編制に属する、現役の軍隊だった。その艦隊を、抹消する対象に数え入れたのだ。
理由は、もう接触してしまったから。
残虐さというだけではない
ここで、この一篇でいちばん大事なことを言いたい。
この決定は、「残虐」の一語では説明できない。既存の軍事体制を維持することを目標にした、戦略上の計算でもある。
彼自身の体系の中では、筋の通った考えから出ている。広がっていくものがあり、それが広がると元の形が失われるのなら、接触した範囲を残らず消せばいい。
防疫の論理だ。
彼の側では、「文化」がどう作用するのか、すでに十分な観察記録があった。三人の偵察兵は触れた後、帰りたがらなくなった。人形を一体持ち帰ると、ほかの兵士たちも変わった。ブリタイは接触した後、敵と協定を結んだ。
感染の経路は明らかだ。感染源も明らかだ。潜伏期間、発症したときの様子、伝わり方。それぞれに観察記録がある。
その一方で、この種族の存在の仕方そのものが崩れかけていた。戦うという一つの機能だけで、何千年も安定して動いてきた体系が、これによって解体されつつある。
しかも、負かされて崩れるのではない。戦いに一度負けた、という話ではない。自分の兵士たちが、一人、また一人と、戦いたくなくなっている。
彼が当てはめたのは、汚染を隔離する論理だ。だが「接触した範囲」として除去されるのは病原体ではない。考えることも、変わることもできる人々だ。
しかも、その判断は正しい
ここは十分に書かなくてはならない。そうしなければ、この一篇は道徳的な非難だけで終わってしまう。
事実についての判断として、限られた範囲では彼は正しい。
それは確かに広がっている。確かに接触から始まる。確かに、一人の兵士を、もはや兵士ではない者へと変えうる。そして、この種族を、これまでのこの種族ではなくしてしまいうる。
彼は計算を間違えていない。守ろうとしているものは、現に、それによって壊されつつある。
問題は、判断が正確かどうかではない。
何を守ろうとしているのか、だ。
彼が守ろうとするもの
戦う以外に、生きるすべを持たない種族。
家庭も、音楽も、物語も、子どももない。戦闘と関係のないものは、一つもない。現れてから死ぬまで、部隊に属し、任務を果たし、やがていなくなる。それが一生のすべてだ。
そうした暮らしの可能性を、かつて排除した者がいた。第1篇で触れたように、彼らを造った文明が、文化と非軍事的な生活を設計から外した、というのが作品の設定だ。
つまり、ボドルザーが必死に守っている状態そのものが、別の誰かが彼らに代わって下した決定の産物なのだ。
彼はそのことを知らない。作品は、彼にそれを知らせることもしない。何十億もの人を殺してまで守るものは、彼自身が選んだことも、選ぶ機会を与えられたこともない、ある取り決めだった。
そして、それを守るやり方は、かつてそれを決めたやり方と同じ形をしている。ある地位にいる者が、全員に代わって、彼らは何であるべきかを決める。
この一篇では、ここまで言うにとどめる。
もう一つだけ記しておこう。彼が消そうとする者の筆頭は、自分の部下だった。体制が足元の緩みを感じたとき、最初に処理しようとするのは、たいてい外にある何かではない。内側にいて、すでにそれに触れてしまった者たちだ。
受け入れることと、消されること
さらに、彼らの側にいるすべての者に関わる問題がある。
一人のゼントラーディにとって、「文化」を受け入れる代価とは何だろう。
自分が一生をかけてしてきたことは、しなくてもよかったと認めることだ。所属していた部隊、実行した一つひとつの命令、殺してきた一人ひとり、そして自分が造られた理由。そのすべてが、違うあり方でもよかったのだと。
けれども、もうやり直すことはできない。
このように自分を捉えている者にとって、別の暮らしを受け入れることは、消し去られることにさえ似てくる。これまでの一生はいったい何だったのか、答え直さなくてはならないからだ。
違いがあるとすれば、受け入れた場合には、生きてそれを見続けなくてはならないことだけだ。
作品はここをうまく扱う。拒絶するゼントラーディを、一人も愚か者には見せない。拒絶に、ちゃんと中身を与えている。自分の一生は無駄だったと認めたくない者の反応であり、そんな反応は、どの種族にだって珍しくない。
あの戦闘
最後に、命令がどのように実行されたかを見よう。
軌道上からの攻撃。地表への繰り返しの砲撃。作品が映すのは短い場面だ。街、海、雲。次には、何もなくなっている。
アラスカの地下司令部は全滅する。
地表はほぼ完全に破壊され、生命も人口も、その大半が失われる。
人類側の反撃は、いわゆる「リン・ミンメイ作戦」だ。敵艦隊の全域に歌を流し、混乱を引き起こし、その隙に旗艦へ突入する。
旗艦は破壊され、ボドルザーは死ぬ。
人類の勝利とは言えない
この一篇を終える前に、はっきりさせておきたい。
これは、人類の文明が野蛮な種族を打ち負かした物語ではない。
人類側だって、立派なものではない。軍は初めから計算していた。艦に乗る何万人もの民間人は、たびたび意思決定の条件として扱われる。地球統合軍があの艦をどう扱い、見捨てるかどうかをどう秤にかけるのか。それだけで、物語の一本の流れになっている。
そして最後の戦闘が終わったとき、地球に残っているのは、ほんのわずかな生存者だけだった。
戦いに勝った側は、この星の人口の大半を失っている。生命全体についての数字と、人の死者数とは、そのまま同じ統計として扱えない。
だから、この勝利は、きれいにひとくくりにされた「人類」陣営のものではない。ブリタイ側のゼントラーディはマクロスと並んで戦い、地球はほぼ空っぽになっていた。生き残った者たちは、種族の違いを越えて、廃墟の中でともに暮らすことを学び直すしかない。
第27話で、戦争の物語を終えることはできた。だが作品は、さらに9話を続けた。二年後の仕事、人間関係、なじめずに終わる暮らし、そして世界を救っても歌い手自身を救えるとは限らない歌に、カメラを向け続けたのだ。