Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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作り出された自発性

Han Qin (秦汉) · 日本語版 · 2026-10-09

この版について

この版について:中国語原作をもとに、日本語の読者に向けて独立した文章として書き直した。原作は同じページで簡体字と繁体字を切り替えて読める。

十二人が、カメラの前に立っている。

生中継の最中だ。難民問題についてひとしきり演説し、糾弾し、決起を呼びかける。そして自決を始める。互いの首を斬り落としていく。

カメラは回り続けている。

彼らは「個別の十一人」を名乗った。

その前にあったもの

まず、この国が当時どんな状況にあったかを押さえておきたい。ここを飛ばすと、あとの出来事が不条理劇にしか見えなくなる。

労働力不足を埋めるため、この国は国外からおよそ三百万人の招慰難民を受け入れた。

人々はやって来て、住みつき、この社会でますます目につく存在となった。その一方で、国家の孤立を主張する勢力との対立は深まり、テロ事件が頻発し始めた。

難民が置かれた境遇は現実のものだ。招かれ、使われ、指定された区域に住まわされ、やがて、彼らの存在そのものを問題とみなす人間が増えていった。

ここには一巡する構図がある。この国に労働力が必要だからと招かれた人々が、来てみるとこの国の問題になる。その問題の解決策として、「追い出す」という話が持ち出される。

呼び寄せた決定と、出ていかせようという主張は、同じ社会から出ている。

対立も本物だ。不安を抱く者は本当に不安で、怒っている者は本当に怒っている。

これらが捏造されたわけではない。これらこそが、材料になる。

合田がしたこと

合田一人は、内閣情報庁の人間だ。

彼は思想誘導ウイルスを作り、「個別の十一人」と名づけた。

その名は、ある論文に由来する。論文自体が、この物語では幽霊めいた存在だ。引用され、広められ、ある組織の綱領として扱われる。ところが、その組織は存在しない。

ここが、この篇で最も重要な仕掛けだ。順に見ていきたい。

「個別の十一人」という組織は、もともと存在しなかった。

合田はまず、それが存在するという話を流した。ネット上に名前を与え、主張を与え、姿を与える。そういう集団がいるのだと、人々に信じさせた。

そこから感染が広がり始める。

先駆者のイメージを作り、それによって追随者を生み出したわけだ。誰かを勧誘する必要も、組織を立ち上げる必要も、あとから動き出す者と一人でも会う必要もない。

その場所に一つ置いて、待つ。それが彼のしたことだ。

このやり方は、費用がきわめて低い。一つの話を広めるほうが、部隊を組織するよりはるかに安く済む。活動資金も拠点も要らず、秘密を守る必要も、人員を管理する必要もない。しかも、摘発できる中枢がない。そもそも中枢を持たないからだ。

危険もほとんどない。実行者の誰とも接触しないので、彼までたどり直せる線を一本も残さない。

この方法がいちばん節約しているのは、金ではない。彼自身が事件に顔を出す回数だ。

外からは同じに見える

ここで、この篇の核心に入ろう。

自分が傍観者だと考えてほしい。目の前には、ばらばらの人々がいる。同じことに怒り、同じ名を使い、同種の行動を取っている。

これは、前篇で見たような現象かもしれない。それぞれが同じものを見て、それぞれ動こうと決めた。誰も組織していない。

あるいは、今見ている現象かもしれない。誰かがそこに何かを置いた。それによって、人々が動き始めた。

外から見れば、自発的に起きた運動と、作り出された運動は同じだ。

「同じ」とは、見分けにくいという意味ではない。観測できる違いがないという意味だ。どちらの場合も、参加者の怒りは本物だ。理由は自分で考えている。行動も自分で決めている。

違いはただ一つ。ある時点で、誰かがそこに何かを置いたかどうかだ。そして、その行為は現場に痕跡を残さない。

合田の計画は、この現象を人工的に作れると証明した。その証明には副作用がある。それ以降、どんな運動も、自分たちは作られたものではないと証明できなくなる。

合田の側から

合田については、十分に書いておかなければならない。

世界が燃えるのを見たい男ではない。国家規模の工作を行い、具体的な政治的結果を求めている。難民の暴動が必要なのは、その暴動が自分の望む事態を前へ進めるからだ。

彼は怒りを作らない。すでにある怒りを利用する。難民の境遇も、社会の対立も、人々の不満も本物だ。彼がしたのは、そこに形と名前を与えることだけだった。

効率はきわめて高い。しかも事後に責任を問うのはきわめて難しい。手を下した者は全員、自分で手を下したのだから。

作品も彼を狂人として描いてはいない。話は筋が通り、判断は的確で、誰よりも情勢を把握している。九課を相手にするときも、ほとんど毎回、相手より一段深く読んでいる。

彼自身の言葉で言えば、彼がしているのは統治だ。

一人だけの例外

十二人が生中継の中で自決する。その中に、自分の意志を保った者が一人いた。

クゼ・ヒデオ(久世英雄)。通常、クゼと呼ばれる。

作品が示す理由は、具体的に二つある。

一つは、彼の革命思想が利他的だったことだ。自分のためではなく、人を救うための思想だった。そのため、ウイルスが誘導するものと、彼の内側とが完全にはかみ合わなかった。

もう一つは、少年時代に飛行機事故に遭い、義体化していたことだ。

こうして彼はウイルスを自分から切り離すことに成功し、その場を逃れた。

合田の計画に生じた、一つの誤算だった。

彼は同じものを見ていた

クゼの来歴が、この篇でいちばん容赦のないところだ。

2024年、彼は平和維持部隊の隊員として朝鮮半島へ渡った。

そこで見たのは、情報によって操られた難民たちが、自分たちの国を自らの手で壊す姿だった。

彼は強い衝撃を受けた。

つまり、合田が作り出した運動からただ一人抜け出せたのは、作り出された運動が一国を壊すところを、その目で見た人間だった。

見抜けたのは、同じものが一度やり遂げるのを見ていたからだ。

人より高潔だったからでも、意志が強かったからでもない。経験だ。他の者が持たない、照らし合わせるための実例が、彼にはあった。

その後、彼がしたこと

逃れたあとのクゼの行動は、ここまでの問いをもう一歩先へ進める。

彼は三百万人の難民の指導者となった。実際に人を動かす力を持った指導者だ。人々は彼の言葉を聞き、ついていき、彼のために動く。

作り出された運動から抜け出した人間が、今度は自分で、一つの運動の中心となった。

だから彼も合田になった、と作品は言っていない。動機ははっきりしている。人々を救いたいのだ。そのために、難民の記憶と魂、すなわちゴーストをネットへ移し、ネットワークと融合した新たな生命体へ進化させようと構想する。

狂気じみた構想に聞こえる。だが、それは彼自身の構想だ。

タチコマは疑問を呈していた。記憶をネットに保存できても、そこに魂が宿るとは限らないのではないか。この疑問に、その場では誰も答えなかった。

クゼは構わず進める。自分の構想に従って、最後まで進めていく。

それでも外からは、クゼについていく人々と、合田に動き出させられた人々とは、同じに見える。

ここでも作品は、見分ける方法を渡してくれない。クゼをそこに置き、彼のしたいことをさせる。そして九課を含め、誰もが自分の判断で彼に対処することになる。

さて、この物語には、自分の考えを持てないよう、わざわざ設計されたものたちがいる。

その状態を保つために、毎晩一度、記憶を同期している。

次の篇へ。