Non Dubito Essays in the Self-as-an-End Tradition
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鑿構周期律 · 世界サッカーシリーズ — 第14篇、全22篇

ローズボウル

根のない土地へ売り込まれたワールドカップと一人にのしかかった勝敗

(切り口:1994年アメリカワールドカップ)

Han Qin (秦汉) · 2026年
この篇の目次

一 最もよく売れたワールドカップ

1994年のワールドカップはアメリカで開かれた。当時、まともな国内トップレベルのプロリーグさえない国での開催だった。

まず、この意味をはっきりさせておこう。アメリカが開催権を得たのは1988年で、招致計画の柱の一つに、最上位のプロリーグを新設するという約束があった。つまり、サッカーの土壌が育ったからワールドカップを迎えたのではない。ワールドカップが先に来て、土壌はあとから整えると約束したのである。その約束のリーグ、メジャーリーグサッカーが正式に開幕するのは、大会が終わったあとの1996年だ。ワールドカップは、まだ根のない土地に降り立った。

この順序について、少し立ち止まりたい。普通は、一つのスポーツがその土地に根づき、リーグが生まれ、ファンが育ち、世代を重ねて選手が育つ。そうして枝葉を広げて初めて、ワールドカップを開くにふさわしい場所になる。アメリカはこの順序を逆にした。世界でいちばん大きな果実を先に摘み取り、それから木を植えようとしたのだ。それができたのは、主催する側にとってワールドカップが、何よりもまず木に実る果実ではなく、どんな市場へも空輸して売ることのできる商品だったからである。土壌があるかどうかは重要ではない。そこに買い手がいるかどうかが重要だった。

ところが、その根のない土地で開かれた大会は、商業的には大成功を収めた。全52試合に延べ350万人以上が入り、1試合平均は6万9000人近く。この平均観客数の記録は、その後も長年破られなかった。大会が終わると、アメリカの主催者側には約5000万ドルの黒字が残った。当時の当局や主要メディアも、おおむねワールドカップ史上とりわけ収益の大きい大会の一つと受け止めていた。

この商売を最も正直に語るのは数字だ。延べ350万人以上の観客、5000万ドルの黒字。文句のつけようのない数字であり、ワールドカップは商売として手がければ、見事に成功させられることを証明している。だが、数字には照らせない場所がある。何人がチケットを買ったかは見えても、その人たちがどんなサッカーを見たかは見えない。どれだけ儲かったかは見えても、その金のために選手が真昼の炎天下でどれほど汗を流し、屋内へ移された芝を保つためにどれほどの手間と気配りが要ったかは見えない。数字で測れることなら、この大会は極限までやり遂げた。だが、その数字だけで、何がこのスポーツにとって大切なのかは決まらない。その物差しがすべてになると、選手の身体もプレーを支える条件も、いかに売るかという問いに従う側へ回される。そのスポーツの根づいていない場所で、スポーツが一流の商売に仕立てられたのである。

この成功そのものを責める理由はない。見事に運営し、利益を出し、何百万人もの人をスタジアムへ呼び込むのは、確かな実力だ。問題は成功したことではなく、どう成功したのかにある。そのやり方は、一つのスポーツを商売として極めると同時に、そのスポーツのなかで何が重んじられ、何が軽んじられるかを、ひそかに変えていった。帳簿があらゆるものの物差しになると、帳簿に載せられないものの価値は、少しずつ下がり始める。

追っていきたいのは、この商売の背後にあるものだ。サッカーが純然たる商品として根のない土地に移され、念入りに包装され、売られるとき、そこにはどんな顔が現れるのか。そして、この商売の勘定は、最後には誰に回されたのか。

二 サッカーを商品として扱う

まずは、どのように商売をしたのかを見よう。

この商売の巧みさは、すべてを細かく計算したところにある。どの時間帯の中継がいちばん高く売れるか。どのスタジアムなら最も多くの観客を詰め込めるか。どんな仕掛けなら最大の話題になるか。そうしたことは、すべてきっちり計算されていた。計算に長けた商売であり、サッカーのうち金に換えられる部分は、ほとんど限界まで搾り取った。だが、これほど抜かりなく計算された商売だからこそ、計算から漏れたものの重さが際立つ。計算できるものは何でも計算できても、人間に根ざし、数字への換算を拒むものは計算しきれず、計算によって消し去ることもできない。

いくつかの細部が、この商売の論理をはっきりと示している。全52試合のうち、34試合が正午のキックオフに組まれていた。アメリカの真昼は頭上から日が照りつけ、選手たちは高温と湿気のなかで必死に持ちこたえた。当時の記事にも、関係者や選手、監督が酷暑への不満を繰り返し口にしたことが記録されている。それでも、彼らのために開始時刻が変わることはなかった。アメリカの正午はヨーロッパの夕方から夜にあたり、テレビ中継が最も高く売れる時間帯だったからだ。いつ試合をするかを決めるのは、選手が気持ちよくプレーできるかどうかではなく、海の向こうの視聴者にとって都合がよいかどうかだった。選手の身体よりも、放送時間の都合が優先された。

シルバードームもあった。屋内でワールドカップの試合を行うために、主催者は天然芝を移植する技術的な実験を試み、別の場所で育てた芝を、この屋内スタジアムへ運び込んだ。そこで行われたのは、ワールドカップ史上初の屋内での試合だった。

この芝にも、この商売の順序が映っている。もともとは屋外の日光のもとで育っていたものが、日光の1割も通さない屋根の下へ運ばれた。屋内にいたのは3週間足らず。その間も芝刈りや傷んだ箇所の補修など、丹念な管理が続けられた。計画に携わったミシガン州立大学のチームによれば、4試合と6回の練習を終えたあとも、芝は良好な状態を保っていた。運び出された芝は、ベルアイルの新しいサッカー場で再び使われた。技術も手入れも、確かに実を結んだのである。それでも、何を何に合わせたのかという問いは残る。草が育つ場所が先にあり、そこへ試合が来るのではない。まず屋内でワールドカップを見せるという舞台があり、芝の生育条件は、その舞台に合わせて技術で補うものになった。屋内開催という目新しい売り物のために、生きた芝まで運び込める。見せたい場所へスポーツを運べるようにしたことは、この商売の大きな力だった。だが、運べることと、どこでどんな条件のもとにプレーするのがよいかは、別の話だ。技術が見事に答えを出しても、スポーツと商売のどちらが条件を決めるのかという問いまで、片づいたわけではない。

一つひとつを見れば、どれも大きな悪事とまではいえない。芝を良好に保ち、別のグラウンドで再び使えるようにした仕事には、確かな価値がある。だが、それで全体を動かす論理が変わるわけではない。サッカーは製品で、観客は市場であり、まず決まるのは、その製品を最もよく売るための条件だ。芝は技術と手入れでその条件に応え、選手は身体で暑さを引き受ける。その手入れの成功が、選手の負担まで消してくれるわけではない。いずれの場合も、いつどこでプレーするか、どんな試合を見られるかという問いが、いかに売るかという問いのあとに来る。その順序は同じなのである。

商品は売り方が洗練されるほど、それ自身の性質ではなく、買い手を中心に回るようになる。正午のキックオフは選手の身体を傷めるが、ヨーロッパのテレビには都合がよい。芝の生育に不向きな屋内でも、技術と手入れで条件を補えば、目新しい試合の舞台をつくれる。こうして二の次になるのは、サッカー自身にとって何がよいかという問いであり、先に来るのは市場の側の都合だ。いつ、どんな場所で、どんな姿の試合を見せるのか。その決定権はますますスポーツ自身の手を離れ、いくらで売れるかに移っていく。徹底して商品化されたものに共通する運命である。少しずつ、自分自身のものではなくなっていく。主催者の心根が悪いと言いたいのではない。一つのスポーツを徹頭徹尾商売として営めば、その内側にある金に換算できないものは、一つずつ二の次へ追いやられるということだ。この大会は、その論理を当時の極限まで推し進めた。それだけに、その代償も初めてあれほど明瞭に見せることになった。

サッカーを徹底して商売とすることと、サッカーそのものとの間には、どうしても埋められない亀裂がある。商売が求めるのは確実さであり、管理できることであり、投じた金の一つひとつについて見返りを計算できることだ。ところがサッカーの魅力は、不確実さ、思いどおりにならなさ、誰にも計算しきれない結果から生まれる。この亀裂は普段、成功を祝う騒ぎに覆われて見えにくい。だが商売の論理が極限に達すると、姿を現す。1994年、それは誰も予想しなかった凄惨な形で現れた。帳簿の上ではなく、二人の人間の上に。

三 勘定は最後に人間へ回された

それまでの大会でも、構は幾度となくワールドカップを徴用してきた。ムッソリーニは拡声器に使い、アルゼンチンの軍事政権はアリバイに使った。ただ、その徴用の代償は、おおむね名誉や自由の次元にとどまっていた。政権が自分を飾り立てるために借り、人々の歓声が別の用途へ流用される。1994年の大会は、その勘定をさらに重いところへ押し進めた。人の命にまで請求したのである。

そこには、代償が重くなるはっきりした筋道がある。政権による徴用が奪うのは象徴だ。国のイメージを体裁づくりに借り、傷つくのは名誉という抽象的なものだった。徹底した商品化の論理が奪うものは、はるかに実体がある。商売は最後には具体的な成否、誰が勝ち、誰が負け、誰が責任を取るのかに行き着くからだ。そして、それらは一人ひとりの具体的な人間から切り離せない。象徴なら、国家という抽象的な存在が引き受けられる。だが成否と責任は最後には、血肉があり、痛みを感じ、死ぬこともある人間にしかのしかからない。徴用が象徴から具体的なものへ移るほど、人間の血肉に近づいていく。

ここが最も重要で、最も重い層だ。危険も不確実さも、何もかも緻密に計算する商売が、一分の隙もない結果を求めたとしても、計算の対象にされたものがどこかへ消えるわけではない。ただ付け替えられる。システムから、具体的な人間へ。前回の大会では、守備を固めるチームがリスクをゼロにし、その代償としてサッカーは退屈になった。今回は代償が別の姿を取り、二人の具体的な人間にのしかかった。一人はバッジョ、もう一人はエスコバルである。

一方は誰もが注目する大スターで、もう一方はそれほど名の知れた選手でもないディフェンダーだった。一方の悲劇は決勝のスポットライトのもとで起き、もう一方の悲劇は異国の深夜の路上で起きた。置かれた状況はまるで違う。それでも、二人を打ったものは同じだった。この商売、完結を求めるこの論理は、計算しても消せない重さを、最後には誰か一人の人間に引き受けさせようとする。運命はこの二人を選び、一人には一本の足で、もう一人には命で、華やかな大会全体に代わって、帳簿の裏に隠れていた勘定を支払わせた。

試合には必ず勝ち負けをつける。これが構の鉄則だ。結果には必ず誰かが責任を取る。これが人の心の執念である。この二つが、どうしても決着をつけねばならない試合と、誰かに責任を負わせねばならないミスに重なると、その重さをシステムは背負わなくなる。代わりに、ある人の一蹴り、ある人の一つのオウンゴールへのしかかる。構が明快な結果と明確な責任を求めれば求めるほど、耐えられない重荷は抽象的なシステムから、血肉を備えた具体的な人間へ移されていく。この大会で最も凄惨だったのはピッチ上の出来事ではない。ピッチが自らの重みで、二人の人生を押し潰したことだった。

ただ、重荷を個人へ転嫁する仕組みは、1994年の大会が発明したわけではない。競技スポーツには昔からある。一試合が終われば、誰かが英雄になり、誰かが罪人になる。それでも、この大会ではそれが極端なところまで演じられた。一方のバッジョには、一国の栄光が一本の足に託され、その足が踏ん張れなくなった瞬間、国じゅうが失意に沈んだ。もう一方のエスコバルには、一敗の責任が、最も血なまぐさい形で命に請求された。普段は隠れて見えない転嫁が、この大会では、目をそらせない二つの姿で同時に世界の前へ差し出されたのだ。

四 一人の人間の一本の足

まず、バッジョの話から始めよう。

あの大会のイタリアは、出だしからつまずいた。初戦でアイルランドに0対1で敗れ、死のグループで苦しみ、各組3位の成績上位チームとして辛うじて勝ち上がった。そこからはバッジョ一人が、ほとんどイタリア全体を引きずるようにして決勝へ連れていった。ナイジェリア戦ではイタリアが一人少ないなか、88分に同点ゴールを決め、さらに延長でPKを決めて2対1。スペイン戦では88分に決勝点を挙げた。ブルガリアとの準決勝では2得点を一人で決め、2対1。一人の選手が3試合続けて、イタリアが最も必要とする瞬間に、何度も前へ出てきた。

あの数試合は、ほとんど一人芝居だった。イタリアのサッカーはよいものではなく、いつ敗退してもおかしくなかった。そのたびに崖っぷちから引き戻したのが、土壇場のバッジョのゴールだった。彼はチーム全体の唯一の頼みとなり、希望はすべてその身にのしかかった。一人で一国を背負う。それはこの上ない栄誉だった。だが、その裏には同じくこの上ない重荷がある。すべての重さが一人に集中するとき、その重さを分け合ってくれる相手は、もう誰もいない。

しかも、彼はけがを抱えてプレーしていた。準決勝で右脚のハムストリングを痛め、試合後は人に支えてもらわなければ壇から下りられないほどだった。決勝を前に、最大の気がかりになったのはその脚だ。本人は後年、ただ筋肉が疲れていただけだと振り返っている。だが同時に、たとえ脚をのこぎりで切り落とされることになっても試合には出る、という趣旨の言葉も残した。そうして彼は、傷めた脚を引きずって決勝のピッチに立った。

この逸話はのちに、真の闘士なら多少の傷では戦列を離れないという、英雄主義を裏づける話として繰り返し語られるようになった。だが裏側には、残酷な人質扱いにも近いものがある。一国が希望のすべてを彼に託す。その期待は拒めない圧力であり、けがをしていても出場しないという選択肢はなかった。英雄的な気概と呼ばれるものは、ときに本人の意思だけで生まれるのではない。状況によってそこへ押し上げられ、そうせざるをえなくなったものでもある。脚をのこぎりで切り落とされても出るというバッジョの言葉は悲壮に響くが、その下には、退路を断たれた者の重苦しさも横たわっている。

決勝は1994年7月17日、ローズボウル。イタリア対ブラジルだった。90分を終えて0対0、120分を終えても0対0。ワールドカップの決勝で、初めてPK戦によって優勝を決めることになった。一本ずつ蹴り進め、最後の局面ではイタリアがすでに後れを取っていた。バッジョが決めなければ、イタリアの望みはつながらない。彼はペナルティーマークの前に立った。そして、外した。ボールはクロスバーのはるか上を越えていった。ブラジルが優勝した。

イタリアを背負い続けて決勝まで連れてきた人が、最後の一蹴りで優勝を逃した。のちにこのPKを語ったとき、彼は、自分の選手生活から一つだけ瞬間を消せるなら、あの瞬間を消したい、という趣旨のことを述べている。

チーム全体を背負って決勝まで来た人が、選手生活のなかで最も消し去りたいのは、それまでの劣勢を覆すゴールではなく、この最後の一蹴りだ。ここに、このスポーツの記憶の残酷さがある。人を功績で覚えるのではなく、結果で覚える。バッジョはこの大会であれほど多くのことを成し遂げたのに、人々の記憶へ最後に凝縮されたのは、上へ外れたあのPKだった。輝かしい功績のある人間が、一瞬によって定義される。しかもその一瞬は、彼が最もなすすべを持たなかった瞬間なのだ。

五 ペナルティーマークの前にいる一人

バッジョのあの一蹴りは、これまで何度も現れてきたものを、もう一度目の前へ押し出した。PKは、サッカーにおける最も純粋な偶然である。

距離は12ヤード。一人の選手と一人のゴールキーパーが向き合う。どれほど名声があり、どれほど重い期待があり、どれほど深い蓄積があっても、その一蹴りによるボールの行き先を封じ込めることはできない。ベルンやゴールポストについて書いたときも、同じことを述べた。構がどれほど大がかりに手を打っても、ボール一個を包み込めない。PKはその道理を、最も残酷なところまで凝縮する。チーム全体が数週間かけて歩んだ道、一国の期待、一選手の全キャリアの重み。それらを一人の人間、一本の足、一つの瞬間へ圧縮する。入るか、入らないかを決めるのは、システムでも、積み重ねてきた厚みでもない。その瞬間のその人の神経と、誰にも計算しきれない、ほんのわずかな偶然である。

これまで繰り返し書いたように、構はあのボールを閉じ込められない。ベルンのハンガリーにも、ゴールポストを前にしたオランダにもできなかった。そしてPKは、この閉じ込められなさを最も鋭く純化したものだ。ほかの場面では、封じられない偶然は、流れ続ける試合のなか、大勢の選手がぶつかり合うなかから、ひそかにすり抜けていく。PKは、その偶然だけを取り出して一人の前に置く。世界じゅうが見ているところで、誰にも制御できないものと、たった一人で向き合わせる。あらゆるものを剝ぎ取り、人間と偶然のむき出しの対面だけを残すのだ。

PKとは、構が自ら偶然のために設けた祭壇のようなものである。試合の複雑さも、技術も、戦術も、連係も、すべて取り払う。残るのは一人の選手、一個のボール、一人のゴールキーパー、そして12ヤードの距離だけだ。この祭壇では、どんな偉大な選手も、その能力の大半を失う。ドリブルでも、動き出しでも、十数年かけて鍛えたサッカーの判断力でも勝つことはできない。ただ一度蹴り、あとはわずかな運の裁きを待つしかない。構が勝敗をPKに委ねるのは、もう優劣をつけられなくなったときには、偶然が執り行う公開の儀式へ結果を預けるほうを選ぶ、と認めるに等しい。

バッジョは、その一瞬に押し潰された人間だった。

運命が彼に用意した筋書きには、嘲りさえ感じられる。それまでの3試合で頼りにしたのは、まぎれもない実力だった。意志と技術によって勝ち取れるものであり、彼は実際に何度も勝ち取った。ところが最後にすべてを決めたのは、もはや実力ではなく運だった。ほんのわずかなずれによって、あのボールが高く飛ぶかどうかだった。実力でチームを決勝へ運んだ人間が、最後は実力の通じないことで裁かれる。これは能力を試す場ではない。彼を、その努力も才能もろとも、偶然の処分に委ねることだ。彼はずっとイタリアを背負い、チームの重みのほとんどを一人で受け持ってきた。その果てに運命が差し出したのは、純粋な偶然に委ねられた12ヤードだった。技術と意志が必要なそれまでの3試合は背負えても、最後の、運だけが必要なPKは背負いきれなかった。運は誰にも背負いきれないからだ。

このことは覚えておきたい。人は責任を背負える。技術的な難題も、何千万もの人の期待も背負える。それらには実力で応えることができる。だが運は違う。運は実力を顧みず、努力を認めない。何をもってしても、誰にも制御できない変数である。勝敗を運に賭けるのは、どれほど努力しても結果を保証できない場所へ、一人の人間を置くことだ。バッジョの悲劇は、強さが足りなかったことにはない。最後の一蹴りでは、強いかどうかはもう重要ではなかった。重要なのは、誰にも握れないわずかな偶然だけだった。高く外したからといって、彼が十分に偉大でなかったのではない。むしろ、このスポーツの最も理不尽な一面が、その最も偉大な選手の一人に降りかかったのである。

ここには残酷な仕組みがある。チーム全体の成否を、一人の一蹴りに結びつける。構が試合をきっぱり終わらせるために考え出した方法だ。どうしても勝敗をつけなければならない。90分でも120分でもつかなければ、結果のない試合を認めるくらいなら、途方もない重荷を丸ごと一人の肩へ載せることを選ぶ。バッジョはイタリア全体に代わり、本来一人で背負うべきではない重さを背負った。人々は彼が外した一蹴りを覚えている。だがその前に、このチームを一人であのペナルティーマークまで運んだのが彼だったことを、しばしば忘れてしまう。

六 一つのオウンゴールと10日後

バッジョが背負ったものを勝敗の重みとするなら、エスコバルが引き受けたのは結果の代償であり、支払ったのは命だった。

この部分は、いつにも増して慎重に、一つずつ層を分けて語らなければならない。あまりに重く、少しの曖昧さも誇張も許されないからだ。

まず、確かめられることから話そう。

ここでは一歩進むごとに、確かなことだけを述べる。それ以上の一語も加えない。このような事件で、物語をより胸に迫るものにしようと想像を付け足すことは、どんなに小さくても死者への不敬になる。事実にはそれ自体の重みがあり、脚色はいらない。抑制して事実だけを語ることこそ、この事件の重さを最もよく伝える。コロンビア代表には、大会前から大きな期待がかけられていた。ペレは公の場で優勝候補に挙げ、それ以前には27試合無敗の記録もあった。

その大きな期待も、のちに彼らを押し潰す重さの一部になった。公然と優勝候補と予想され、驚異的な無敗記録を打ち立てたばかりのチームは、国全体の誇りを背負って出発する。そんなチームが予想に反してグループリーグで敗退すれば、誇りの高さに比例して、転落の失望と八つ当たりも深くなる。予想が与える後光は、彼らをひときわ目立ち、ひときわ危うい高みへ押し上げた。大会前にあれほど多くの人が必勝を予言していなければ、あのオウンゴールに、あれほど重く、命を奪うほどの怒りが向けられることもなかったかもしれない。

予想など、普段はたわいない世間話の種でしかない。だが、無数の人が本気で信じるようになると、逆に予想された側を押し潰す重荷に変わる。コロンビアは優勝すると予言された。その後光が彼らを高く祭り上げ、高いだけに転落も凄惨になった。転落から生まれた失望と怒りは、最後には出口を、責めることのできる相手を求める。あのオウンゴールと、それを記録した人間は、そうして怒りの標的の真ん中へ押し出された。予想で高く持ち上げるほど、外れたときの反動は激しくなる。今回は、その反動が命を奪うほどにまでなった。実際、アメリカで彼らはまずルーマニアに負け、次いでアメリカに負け、グループリーグで姿を消した。

ここでもまた予想が外れた。ペレの予言と27試合無敗の実績は、優勝候補というイメージを築き上げた。未来について、広く信じられる判断ができあがっていた。ところがボールが転がり始めると、その判断は砕けた。彼らは実力不足で負けたのではない。ワールドカップの試合にある、情け容赦のない偶然にぶつかっただけだった。最後まで勝ち残ると計算されていたチームが、グループリーグで帰国する。こうした落差は以前の大会でも見たし、これからの大会でも見ることになる。予想が断言に近づくほど、現実に覆されたときの裂け目は大きい。そして今回は、その裂け目から血が流れた。アメリカ戦の前半、ディフェンダーのエスコバルは守備に入った際、ボールを自分のゴールへ突き入れてしまった。オウンゴールだった。アメリカが2対1で勝った。

そのあとに、あの犯罪が起きる。コロンビアの敗退後、エスコバルはメデジンに戻った。

戻らないことも、そこまで早く戻らないこともできたはずだ。あれほど期待を背負いながら敗退したチームの一員で、致命的なオウンゴールを記録した選手が、当時暴力で知られていた街へ戻ることには危険があった。それでも彼は戻った。普通の人が自分の家へ帰るように。ピッチ上の一度のミスが、数日後に自分の命を奪う銃弾へ変わるなど、予想する理由は何もなかった。

サッカーの世界で、オウンゴールはごくありふれた出来事だ。どんなディフェンダーも、選手生活のなかで何度かは、不注意で自分のゴールにボールを入れてしまうかもしれない。それはこのポジションにつきまとう危険であり、しばらく悔しがれば過ぎていく。本来はピッチのなかにとどまり、技術上のミスとして扱われるべきものだ。ところが1994年の夏、コロンビアという特殊な環境のなかで、そのミスはピッチの境界を越え、現実へ入り込み、生死を左右する出来事に変わった。オウンゴール一つで命を奪われるのなら、サッカーはもうサッカーだけではない。自分自身よりはるかに重く、暗いものに巻き込まれている。この隔たりは、ほとんど不条理なほど大きい。スポーツの試合でのミスと、一つの命の終わりは、本来途方もなく遠く離れた二つの出来事であるはずだ。1994年7月2日の未明、彼は地元のナイトクラブの外で口論になったあと、銃で撃たれて死亡した。1995年、犯人のムニョスに有罪判決が下り、43年の拘禁刑が言い渡された。この人物は、のちに地元のある人物の運転手だったと判明した。犯行は認めたが、その上にいる者については供述を拒んだ。結局、実際に服役したのは約11年だけで、2005年、いわゆる模範的な服役態度を理由に早期釈放された。

この早期釈放は、すでに欠けたところのある正義に、さらに亀裂を加えた。犯人が法の裁きを受けたことは、一つのけじめにはなる。だが43年の判決のうち、実行されたのが約4分の1では、そのけじめも割り引かれる。43年を宣告された殺人犯が、模範的な態度を理由に11年で自由を取り戻す一方、命を奪われた人の時間は、永遠に27歳で止まったままだ。刑期と命、罪と罰を載せた天秤は、最初から一度も本当には釣り合わなかった。唯一確定できたこの部分さえ、結局は納得のいく決着をもたらせなかったのである。

ここまでは、確定できる事実だ。

確定できる事実を並べるだけで、すでに十分重い。27歳の若者であり、代表チームのディフェンダーでもあった人が、一試合の数日後、自分の国の路上で射殺された。伝説でも、物語に仕立てた話でもない。文字に記され、記録に残っている出来事だ。この疑いようのない部分だけで、紛れもない悲劇である。生きていた一つの命が、最も暴力的な方法で突然断ち切られた。一つのオウンゴール、一つの命。犯行を認めながら首謀者については口を閉ざす犯人。そして43年を言い渡されながら、11年しか執行されなかった刑期。

七 確定できない動機

ここから先は、層を分けなければならない領域に入る。その線の引き方こそ、この一篇で最も大切なところだ。

最も広く伝わっている説明は二つある。一つは、エスコバルはあのオウンゴールを理由に殺されたというもの。もう一つは、賭けに負けた者、あるいは怒りを向けた麻薬組織の大物が、殺し屋を雇って直接報復したというものだ。どちらも根も葉もない話ではない。当時の記事は実際、口論の際の罵声にオウンゴールへの言及があったと伝えている。判決を報じた記事には、事件の際に「オウンゴールをありがとう」と誰かが言ったとの記録さえある。また、犯人か仲間が一発撃つたびに「ゴール」と叫んだという目撃談もあった。この細部は、その後きわめて広く語られるようになった。

しかし、これらはあくまで当時の報道に登場する証言や伝聞として書くべきであり、裁判所が解明した最終的な動機として書くことはできない。この境界は守らなければならない。法廷で確定したのは、銃を撃った者と殺人という二点だ。背後で誰が指示し、どのように犯行へつながったのか。その完全な連鎖を、裁判所が最終的に確認したわけではない。犯人は罪を認めたが、最後まで自分の雇い主を名指ししなかった。オウンゴールから賭博の借金、殺害の依頼、そして引き金を引くところまでの鎖は、今日まで司法によってつなぎ合わされていない。

上にいる者を明かすことを拒む犯人は、真相へ至る鎖を自分の手で断ち切ったに等しい。引き金を引いたという一つの環は認めながら、それより前のすべての環を、永遠に沈黙へ閉じ込めた。43年のうち約11年しか服役しなかったことも、それ自体、説明しきれない空白を残す。世界を震撼させた殺人で、なぜ犯人はそれほど早く出られたのか。こうした空白が重なると、事件全体は途中で建設が止まった建物のように見える。基礎と1階は確かにあるが、その上は宙に浮き、あとは後世の人が推測するほかない。事件の底まで本当に調べ尽くされないかぎり、エスコバルの死は永遠に大きな疑問符のなかに置かれる。

つなぎ切れないこの鎖こそ、悲劇のなかで最も人を苦しめるものだ。人々は完全な説明を切に求める。なぜこの命は失われたのか、いったい誰に償わせればよいのかを知りたがる。だが現実が差し出すのは、ばらばらに切れた断片だけである。オウンゴール、口論、口を開かない犯人、暴力の土壌。一つひとつは本当でも、どうしても一続きの因果には組み上がらない。つなぎ合わせられないからこそ、哀悼にも置き場所がない。誰に正義の回復を求めればよいのかさえ、確かにはわからないのだ。

当時の捜査側やメディアは一時、この事件を、オウンゴールを理由に処刑されたという一本線の話ではなく、ナイトクラブでの口論から起きた路上の暴力事件と捉えていた。その場での言い争い、酒の入った衝突、代表チームの成績、地域に蔓延していた暴力、犯罪組織につながる人間関係。そのいずれもが説明のなかに取り入れられたが、どれか一つが、唯一確実な動機に絞り込まれたわけではない。

物語が最も簡単に削ぎ落としてしまうのは、まさにこの複雑さだ。オウンゴールのせいで殺された、という説明はあまりにすっきりしていて、劇的である。一度のミスのために選手が命を支払った。それは胸を締めつける、よくできた物語だ。だが現実は、その物語よりはるかに泥にまみれている。当時のコロンビアで暴力を成り立たせていた環境全体、はっきりしない酒席の衝突、裏社会のつながりが絡み合う。そのすべてを「オウンゴールのせいで殺された」の一言に押し込めれば、確かに覚えやすく、広めやすい。だがそれは、その命と複雑な真相を単純化することでもある。真相は往々にして伝説ほどすっきりしていない。それでも、真相であるのはそちらだ。

これが、この犯罪に残る最も深い余項である。命は失われたのに、なぜ失われたかは、今も一つの答えに閉じていない。構のなかで最も証拠を重んじ、最も完結を求める仕組みである司法も、この命を前にして、銃を撃った者までしかたどれなかった。その奥の動機と指示の連鎖は、永遠に宙づりのままだ。殺人犯を裁くことはできても、殺人の動機は確定できない。この亀裂は、ウェンブリーのあのゴールより、ブレーメのあのPKよりも重い。宙に浮いているのが、一つの命について誰に償いを求めるべきかという問いだからだ。

前の数篇でも、裁定はできるのに確定はできないという亀裂が、何度も現れた。ウェンブリーのあのボールは勝敗を決めたが、本当にラインを越えたのかは確定できなかった。ブレーメのあのPKは優勝を決めたが、その判定が公正だったのかは確定できなかった。それでも、宙に浮いていたのは勝敗であり、優勝であり、名誉だった。エスコバルの事件で宙に浮くのは命だ。なぜその命は失われ、誰が償うべきなのか。同じ「裁定はできるが、確定はできない」でも、重さはまるで違う。国なら、晴らせない無念を抱えて、優勝をめぐる論争を何十年も続けられる。だが、なぜ失われたかわからない命が遺族に残すのは、永遠に閉じることのない傷口である。

八 計算されるものと転嫁されるもの

バッジョとエスコバルを並べてみると、この大会の本当の姿が見えてくる。

一人はピッチの内側で、もう一人は外側で、同じものの二つの面を引き受けた。バッジョが背負ったのは、一試合には必ず勝敗をつけねばならないという重さだ。それが一本のPKへ圧縮され、彼一人の足にのしかかり、彼を押し潰した。エスコバルが受け止めたのは、ある結果には必ず誰かが責任を取るべきだという執念だ。それはねじ曲げられて一発の銃弾になり、彼の命を奪った。一方は勝敗の重み、もう一方は結果への責任。本来はシステム全体が、あの理不尽な偶然が吸収すべき二つのものが、最後には、具体的な一人ひとりの人間へ転嫁されたのである。

これこそ、あの商売、完結を求める論理の最も深い代償だ。何もかも計算し尽くそうとする商売にも、リスクを計算で消すことはできない。偶然も、一試合の不確実さも消せない。できるのは、消せないものをシステムの外へ押し出し、人間に付け替えることだけだ。システムは明快な結果を求め、バッジョの足がそれに代わって偶然の残酷さを引き受けた。人の心は明確な責任を求め、エスコバルの命が一敗に代わり、本来彼が払うべきでない負債を返した。構が完結を求めるほど、人は重くなる。構が望む確かさは、具体的な人間には耐えられない重さの上に築かれている。

しかも、この二つの重さには、最後まで本当の決着がつかなかった。バッジョの高く外れた一蹴りは、どれほど大きな期待にも、その瞬間を計算しきれないことを示した。エスコバルの未解決の事件は、どれほど執拗に責任を追っても、その動機を確定できないことを示した。構が求めた明快な決着は、どちらでも手に入らなかった。途方もない重さを人に押しつけ、人は押し潰された。それでも、望んだ完結は訪れなかったのだ。

九 切り落とされたもう一人の両脚

この大会では、もう一人の両脚も、別の形でこの機械にひかれた。

グループリーグでアルゼンチンはギリシャに勝ち、続いてナイジェリアに勝った。マラドーナの調子はよかった。ところがナイジェリア戦後のドーピング検査で、彼の検体からエフェドリン系の禁止物質が5種類検出された。アルゼンチンサッカー協会は直ちに彼を大会から外した。8年前、両足で世紀のゴールを決め、片手ではゴールを盗んだあの男が、今度は一枚の検査結果によって、自身最後のワールドカップから追い出された。

のちに彼は、両脚を切り落とされたうえ、自分を弁護することも許されなかった、という趣旨の言葉を残した。

この「両脚を切り落とされた」と、バッジョの「脚をのこぎりで切り落とされても出る」は、この大会における脚をめぐる二つの不吉な予言のように響く。一人は脚のけがに苦しめられながら、それでもその脚で決勝のピッチに立とうとした。もう一人の脚は、一枚の禁止命令によって象徴的に切り落とされ、ピッチに立つ機会さえ奪われた。ここで脚は、選手の尊厳と能力のすべてが宿る場所となる。この大会は、二人の偉大な人間に、異なる二つの形で脚を奪われる苦しみを味わわせた。一方は現実のけが、もう一方は権力の裁定だった。この言葉は、脚をのこぎりで切り落とされても試合に出るというバッジョの言葉と、苦く響き合う。同じワールドカップで、一人は本当に傷ついた脚を引きずって出場を求め、もう一人は一枚の禁止命令で、比喩として脚を切り落とされた。その後、国際サッカー連盟はさらに、マラドーナに15か月の出場停止処分を科した。

マラドーナが大会を去ったこと、バッジョがPKを外したこと、エスコバルが殺されたことは、もちろん同じ性質の出来事ではない。それでも同じ大会に並べると、共通する影が見える。完璧さと曇りのなさを求めるこの巨大な機械は、どこかの工程で必ず一人の具体的な人間をひく。ある者の足を、ある者の名誉を、そしてある者の命を。

この機械は、誰のためにも止まらない。バッジョがPKを外したあの日も、表彰式はいつもどおり行われ、スポンサーとの約束はいつもどおり果たされた。エスコバル殺害の知らせが届いても、ワールドカップは変わらず決勝まで進んだ。マラドーナが追い出された瞬間にも、日程は予定どおり進んだ。機械の偉大さと残酷さは、まさにこの「いつもどおり」にある。あまりに巨大で、あまりに頑丈なために、一人の人間の悲劇では、歯車の動きを一目盛り遅くすることさえできない。英雄も必要とするし、犠牲者も必要とする。だが英雄であれ犠牲者であれ、その巨大な運転のなかでは、一瞬で過ぎ去る一つの環にすぎない。

それほど巨大で冷淡な機械も、結局は欲しいものをすべて手にできなかった。明快に優勝を決めようとしながら、ペナルティーマークの前で、その栄冠の行方を誰にも計算できない一蹴りの偶然へ委ねた。明確な決着を求めながら、メデジンの路上には、永遠に底まで調べ切れない事件を残した。機械は人をひくことができ、歯車を変わらず回し続けることもできる。だが、ひいたあとにも、本当に欲しかった確実さと完結は、一つとして手に入っていない。人を犠牲にしても、その犠牲と引き換えに得ようとしたものは得られなかった。ここにこそ、この機械の最も深い徒労がある。機械はいつもどおり動き、優勝者はいつもどおり生まれ、商売はいつもどおり繁盛する。ただ大会のたびに、一人か二人が機械の歯車のなかに取り残される。

十 結び

ここまでを結び合わせよう。

1994年のアメリカは、サッカーを一つの商品として根のない土地へ売り込み、見事な成功を収めた。1試合平均6万9000人の観客、5000万ドルの黒字、テレビ中継に念入りに合わせた開始時刻、屋内スタジアムへ移され、手入れを受け、のちに別のサッカー場で再び使われた芝。それらを合わせると、一流の商売の姿が浮かぶ。だが、芝を移して育てる技術が成功しても、勝敗の不確実さまで思いどおりに管理できるわけではない。商売は、何もかも計算し尽くし、明快でリスクのない結果を追うほど、計算しきれないものを外へ転嫁しなければならなくなる。その転嫁が最後に行き着くのは、人間だ。

こうしてこの大会は、構がサッカーを徴用する代償が、どのように段階を踏んで重くなったかを見せた。初めに徴用したのは名誉だった。政権がワールドカップを借りて自分を飾り立てた。次に徴用したのは自由だった。歓喜の騒ぎが、通りを数本隔てた場所にある牢獄を覆い隠した。そして1994年には、勘定が命にまで回ってきた。バッジョは一本の足で、チーム全体に代わり、勝敗の理不尽な重さを引き受けた。高く外れたあの一蹴りが、無数の人の記憶に彼を釘づけにした。だが人々はしばしば、その前に一人でイタリアを決勝まで背負ってきたのが彼だったことを忘れる。エスコバルは一つの命で、一敗に代わり、本来支払うべきではなかった負債を返した。しかし、その負債は本当は誰に請求すべきなのか。動機も、指示の連鎖も、司法は銃を撃った者より先へ進めず、永遠に宙づりになっている。

この機械にひかれた人々も、結局は、機械が求める曇りのない完結をもたらせなかった。勝敗はついた。だがバッジョの一蹴りは、どれほど厚い蓄積も、あの偶然の瞬間を計算しきれないと示した。犯人への判決は下った。だがエスコバルの事件は、どれほど執拗に責任を追っても、真の動機を確定できないと示した。構は途方もない重さを一人ひとりの具体的な人間に押しつけ、押し潰した。それでも夢にまで見た確かさを手には入れられなかった。機械はまだ回り、商売はまだ続く。そして歯車の下に押しつけられた人々、PKを外して一人で立ち去るあの背中、墓前からいつまでも消えない哀悼こそ、この華やかな商売の本当の代償なのだ。あらゆるものを計算し尽くそうとする商売も、結局、人間を計算し尽くすことはできない。誰にも行方を計算しきれないあのボールも、誰にも説明しきれないあの命も、閉じ込められない。循環は止まっていない。今も回り続けている。