メキシコ
カラー映像に封じ込められたあのチームと、測れない「最も美しい」
(起点:1970年メキシコ・ワールドカップ)
一 史上最も美しいチーム
サッカーを語る者ならほとんど誰もが、この一言を聞いたことがあるはずだ。1970年のブラジルは、史上最も美しいチームである、と。
このチームの実力は、正真正銘のものだ。1970年のメキシコ・ワールドカップで、ブラジルは六戦全勝、十九ゴールを挙げた。ジャイルジーニョは全試合で得点し、グループリーグから決勝まで一試合も欠かさなかった。決勝ではイタリアを四対一で下し、フォワード陣とミッドフィールド陣の双方から得点が生まれた。チームにはペレがいた。ジェルソンがいた。リベリーノがいた。トスタンがいた。そして右サイドバックから猛烈な勢いで駆け上がり、とどめの一撃を決めたキャプテン、カルロス・アルベルトがいた。これらはすべて動かぬ記録であり、誰にも覆せない。
ここにはもう一つ、よく一緒に語られる記録がある。このチームの監督マリオ・ザガロは、かつて選手として1958年と1962年に二度ワールドカップを制しており、1970年には監督としてブラジルを頂点へ導き、選手としても監督としてもワールドカップを制した史上初の人物となった。六戦全勝のチーム、全試合で得点したウイング、選手と監督という二つの立場で優勝を成し遂げた指揮官——これらを合わせれば、確かに輝かしい経歴である。この経歴を「優れている」と呼ぶことに、何の問題もない。だが問題は、人々がこのチームに与えたのが「優れている」という言葉ではなく、「最も美しい」、史上随一という言葉だったことにある。
「優れている」と「最も美しい」の間にあるのは、程度の差だけではない。両者は性質そのものが異なるものだ。「優れている」は経歴についての記述であり、事実に支えられていて、誰でも検証できる。だが「最も美しい」は王冠である。それが求めているのは記述ではなく戴冠であり、あるチームをこれまでボールを蹴ってきたすべてのチームの中から引き出し、唯一無二の、至高の座に据えることである。あるチームにそのような戴冠を与えるには、そのチーム自身が良いプレーをしただけでは足りない。世界全体が同時にそれを見つめ、同時にその王冠を認めなければならない。1970年のブラジルは、まさにそのような瞬間に居合わせたのだ。
それ以前にも、偉大なチームはあった。1954年のハンガリー、1958年のブラジル、いずれも人を驚嘆させるサッカーを見せた。だがそれらのチームは、1970年のブラジルのように、同じ時間に世界中の人々からカラーの映像で一斉に見られ、一斉に記憶される、ということはできなかった。彼らの偉大さの多くは、その場に居合わせた者たちの語り伝えの中に、白黒の断片的な映像の中に、とどまるほかなかった。ところが1970年のブラジルは、プレーをしているまさにその瞬間に、世界全体から同時に神格化された最初のチームだったのである。その「最美」の半分は、あのカラー画面が与えたものだ。
これはこのチームを貶めるための話ではない。むしろ、しばしば見落とされがちな事実を元に戻すためのものだ。あるチームが「最も美しい」と冠せられるかどうかは、そのチームがどれほど良いプレーをしたかだけで決まるのではなく、どれだけ多くの人が、どのような条件のもとで、その良さを目にしたかにもよっている。同じように素晴らしいサッカーであっても、カラーテレビも衛星中継もない時代に行われたのであれば、おそらくごく一部の目撃者の記憶に残るだけで、世界中で共有される神話にはなり得なかっただろう。1970年のブラジルは、その足で勝ち取ったと同時に、その時代によっても勝ち得たのであり、映像が初めて全世界を抱き込めるようになった、まさにその瞬間にプレーしたことによって勝ち得たのである。
だが「史上最美」は、また別の話である。それは記録ではなく、一つの評価にすぎない。六戦全勝は数えられる。十九ゴールも数えられる。だが「最も美しい」は数えられない。それは後世の人々が何度も繰り返し、繰り返すうちにほとんどスコアと同じくらい紛れもない事実であるかのように思わせてしまった、一つの言い分にすぎないのだ。
そしてこのチームが全世界から共に記憶され、共に「最も美しい」と冠せられ得たことには、もう一つ、見落とされがちな前提がある。それは1970年が、まさに全世界が初めてカラーテレビによって、衛星を通じて、一つのワールドカップを同時に見ることができた年だった、ということだ。このチームと、世界中に広まったあの映像とは、共に生まれたのである。
二 カラーのワールドカップ
1970年のワールドカップは、中継の歴史において一つの重要な節目である。
最も手堅い言い方をすれば、これは大規模にカラーテレビで中継された最初のワールドカップであり、また衛星を通じてワールドカップの試合をリアルタイムでより広範な国際的な視聴者のもとへ届けた、重要な一里塚でもあった。
今日の人々にとって、カラーテレビや衛星生中継はとうに当たり前のものであり、それが当時どのような意味を持っていたかを実感するのは難しい。しかし1970年当時、これは新奇な出来事だった。それ以前、遠くヨーロッパの視聴者は、ワールドカップのリアルタイムの映像を見ることができないか、白黒の、遅延した、不鮮明な中継しか見ることができなかった。ところが1970年、あの緑の芝生、あの金色に輝くブラジルのユニフォーム、そして一つ一つのゴールが、初めてカラーで、ほぼ同時進行に近い形で、何千マイルも離れた居間に現れたのである。サッカーは初めて、このように生き生きとした姿で、これほど多くの場所の人々に同時に見られることになった。イギリスのある科学・メディア博物館の史料もはっきりと記しているとおり、1970年のワールドカップは初めてカラーで放送されただけでなく、ヨーロッパの視聴者が大西洋を横断する衛星を通じて生中継でワールドカップを見た最初の機会でもあった。FIFA自身の回顧録も、1970年を初めて世界にカラーで中継されたワールドカップとして、直接的にそう位置づけている。
但し、ここで一つ慎重な留保を加えておきたい。サッカーを世界的なテレビイベントに変えたこの出来事は、1970年に一夜にして成し遂げられたわけではない。メディア史の研究の中には、1970年ではなくそれより早い1966年こそを、サッカーとテレビが結びついた真の転換点と見るものもある。したがってより正確な言い方をすれば、1970年はカラーと衛星生中継というこの層における決定的な一歩であり、ワールドカップが世界的なテレビイベントとなっていく過程そのものは、1966年から1970年にかけて少しずつ加速していったのであって、ある一回の大会だけで突然何もないところから生まれたのではない。
転換点をある一年に固定してしまうのは、手っ取り早い語り方ではあるが、往々にして正確さを欠く。真の変化が一夜にして起こることは滅多にない。カラーテレビの普及、衛星技術の成熟、中継網の拡大は、幾年にもわたって少しずつ積み重ねられてきたものだ。1970年が記憶されるのは、これらの積み重ねが、たまたまこの大会において、人の印象に強く残る形にまとまったからにすぎない。だが、だからといって1970年のこの大会が何もないところからサッカーを世界的な出来事に変えた、と言ってしまうなら、それは漸進的な過程を突然の奇跡へと読み違えることになる。
さらに重要なのは、この映像という層の背後に、すでに体系立ったビジネスが存在していたことだ。研究によれば、FIFAはこの大会の放映権を早々にメキシコのあるテレビ会社に百六十万ドルで売却しており、その後もヨーロッパでの中継のために欧州放送連合と繰り返し交渉を重ね、1969年には第三者が介入して権利が転売される一幕まであったという。つまり1970年の時点で、ワールドカップの中継は、単に試合を放送するだけのものではもはやなく、国際的な権利関係と信号の分配をめぐる一連の取引そのものになっていたのである。
この点は重要である。なぜならそれは、この時点から、サッカーが見られるあり方が、もはや無償で自然なものではなくなったことを意味しているからだ。一つの試合があなたの目に届くかどうか、どのような形で届くかの背後には、一連の契約と価格と交渉がぶら下がっている。ピッチの上で行われている最も純粋なもの、そのボールと、それを見たいと願う無数の人々との間には、この時から、ビジネスによって張られた網が一枚、挟まることになった。ボールはあくまで同じボールでありながら、それが人々の目の前に届けられるまでの過程全体は、すでにますます大きくなっていく一つのビジネスの中に組み込まれてしまっていたのである。
このビジネスは、当時はまだ原型にすぎなかったが、それが指し示す方向は、後になるほどますます遠くまで進んでいくことになる。あるスポーツがこれほど大規模に中継され得ること、これほど可観な放映権料を売り上げ得ること、これほど膨大な観客層に届き得ることが発見されたとき、それが商売人の目に映る重みと、サッカーファンの目に映る重みは、次第に分かれ始める。ファンが見ているのは、ボールそのものである。一方、ますます多くの人々が見るようになっていったのは、そのボールの背後にある、開発可能な巨大な市場である。1970年は、この二つのまなざしが並走し始める、一つの起点だったのだ。
もちろん、これらすべては1970年の時点では、まだ始まりにすぎなかった。当時の放映権料は、後にしばしば天文学的な数字となる放映契約と比べれば、端数のようなものにすぎなかったし、当時の商業的な開発も、後年のように緻密で隙のないものにはまだほど遠かった。しかし方向はすでに定まっていた。一つの試合が全世界から同時に見られ得ること、何度も繰り返し再生され得ること、良い値段で売れ得ることに人々が一度気づいてしまえば、サッカーはもう二度と、かつてのような、現場にいる数万人だけのものであった純粋で素朴な姿には戻れなくなる。サッカーはこうして一つのビジネスへと、しかもますます規模を拡大していくビジネスへと変わり始めたのである。
では実際にどれほどの人数が視聴していたのかについては、当時から高い推計値が出されていた。1970年の大会後、あるアメリカの雑誌はおよそ七億人という規模の数字を示している。この数字は当時の一つの推計として引用することはできるが、後年の統一された基準のもとで得られた、現代の視聴率測定と直接比較できるような精密な統計として扱うことはできない。
三 サッカーは映像になった
1970年に本当に起きた大きな出来事は、ピッチの上にではなく、あの画面の中にあった。この年から、サッカーは第二の存在様式を持つようになったのである。
それ以前、一つの試合は、基本的にはあの九十分間の中でしか生きていなかった。一度プレーされれば、それで消えてしまう。スタンドにいた者はそれを目にしたが、目にしなかった者の多くは、翌日の新聞でスコアと数行の記事を読むしかなかった。試合そのものは、一回限りの、瞬く間に過ぎ去るものだったのである。
この一回性は、かつてサッカーの本分であった。それはその場で起きるあらゆる出来事と同じく、過ぎ去ればそれきりであり、その場にいた者の記憶に、口伝えに、事後の断片的な文章に頼って、かろうじて痕跡をとどめるほかなかった。どれほど見事な試合であっても、その輝きの大半は、終了の笛とともに、その特定の午後の中へと散り去っていく。それを余すところなく味わえたのは、その場に居合わせた人々だけだったのである。
しかし1970年以降、サッカーはもう一つの分身を持つようになった。カラーで、世界中に伝わり得て、何度でも見返すことのできる映像である。カルロス・アルベルトのあの強烈な一撃も、ペレがゴールキーパーを交わしたあの場面も、バンクスのあのセーブも、もはやアステカ・スタジアムにいた数万人の記憶の中だけに生きているのではなく、映像となって世界各地へ送られ、世代を超えて何度も引き出され、見返されるようになった。一度プレーされれば消え去るはずだったあの試合は、この映像によって、ほとんど永遠に近い生命を手に入れたのである。
これはもちろん良いことである。これらの映像のおかげで、数十年後の人々もなお、1970年のブラジルがどのようにプレーしたかをこの目で見ることができ、あのゴールに、あのセーブになお驚嘆することができる。それらの瞬間は、あの午後とともに消え去ることなく、留め置かれ、人類全体の共有財産となった。この意味において、映像とは、あの瞬く間に過ぎ去る試合を引き留めようとする一つの行為であり、美しいものを留めておこうとする一つの努力なのである。
これは大したことである一方、はっきりと見極めておくべきことでもある。なぜなら、この映像とあの試合とは、決して同じものではないからだ。映像とは、あの試合から切り取られ、伝送され、保存された一つの分身にすぎない。しかしそれが一度独立してしまえば、原物とはまるで異なる性質を帯びることになる。原物は一回限りだが、映像は無限に再生できる。原物は偶然に満ちているが、映像は何度も見るうちに、まるで最初から定まっていたことであるかのように見えてくる。原物には撮られなかった、記憶されなかった無数の瞬間があるが、映像はそのうちの最も見事ないくつかしか残さない。そしてその結果、人々にあの試合、あのチームとは、まさにそのいくつかの瞬間そのものであったかのように思わせてしまうのである。
こうして、ある微妙なすり替えが起きる。人々は自分が記憶しているのはあの試合そのものだと思っている。しかし彼らが実際に記憶しているのは、その試合の映像にすぎない。そして映像とは、その試合の中から選び出された、最も画面映えのするごく一部分でしかない。画面映えのしない瞬間、平凡なパス回し、ミスやためらい、撮られなかった、あるいは誰も繰り返し見たいと思わなかった部分は、いつの間にか省かれてしまう。そうしているうちに、その精巧に編集された映像のほうが、あの現実の、粗削りで、完全な試合よりも、かえって本物らしく見えてくるのである。
このように偽物で本物を紛らわせることは、映像というものが生まれつき持っている芸当である。それは現実のある断面を切り取り、その断面を人々の前に何度も繰り返し提示し続け、ついには人々にそれがただの断面にすぎないことを忘れさせ、それを現実のすべてであるかのように思わせてしまう。九十分間の試合は、数分間のハイライト集に編集される。一か月にわたって戦い抜いたチームは、いくつかのハイライトの瞬間へと凝縮される。切り捨てられるのは、大量の、平凡ではあるが同じように真実であった部分だ。そして残されたわずかな部分は、何度も見られることによって、かえって現実そのものを凌駕するほどの重みを帯びていく。人々が最終的に記憶するのは、実際に起きたことではなく、繰り返し再生されたことなのである。
この現象は、サッカーに当てはめてみると、その帰結はとりわけ深いものとなる。なぜならこれ以降、あるチームやある選手が歴史に記憶されるかどうか、どのような姿として記憶されるかは、もはや彼らがどのようにプレーしたかだけでは決まらず、彼らがどのように撮られ、どのように編集され、どのように放送されたかにもよるようになったからだ。カメラに好まれたものは際限なく拡大され、カメラが捉え損ねたものは、いつの間にか忘れ去られる。偉大な瞬間も、撮影されていなければ、まるで起こらなかったかのようになる。平凡な瞬間も、繰り返し放送されれば、名場面として祭り上げられ得る。サッカーの歴史は、これ以降、その映像の歴史と、二度と切り離せなくなったのである。
この映像という層は、サッカーにとっての恵みであると同時に、その枷でもある。恵みであるのは、あの瞬く間に過ぎ去る美しさが、ついに永久に大切にしまっておける形を得たからだ。枷であるのは、現実のサッカーが、これ以降、精巧に編集され美化されたその影と、人々の記憶を奪い合わなければならなくなり、しかもたいていの場合、負けてしまうからである。人々は、あの完璧な映像を信じるほうを選び、あの粗削りな現実をわざわざ復元しようとはしない。そうしているうちに、映像のほうが主役となり、それが記録していたはずの現実の試合のほうは、かえってぼんやりとした背景へと退いていくのである。
そしてこの映像がまず最初にしたことは、1970年のブラジルを、一つの永遠の記念碑へと固め上げること、すなわち史上最も美しいチームに仕立て上げることだった。
四 「最も美しい」は測れない
しかし「最も美しい」という言葉は、問い詰めに耐えられない。
そもそも「最も美しい」とは何を指すのか。誰が誰よりも美しいかを測る物差しなど、存在するのだろうか。1970年のブラジルは、1954年のハンガリーより美しいのか。後の1982年、優勝を逃したあのブラジルより美しいのか。何年も後に現れたポゼッションサッカーの名手たちより美しいのか。これらの問いのいずれにも、標準的な答えは存在しない。なぜなら美というものは、そもそもゴール数のように並べて優劣を測れる性質のものではないからだ。あるチームを史上最美と言い切ることは、いかにも断定的に聞こえる。しかしそれが約束しているような、これで決着がついた、これ以外にはあり得ない、永遠に一位である、という類いの結論こそが、まさに確定させようのないものなのである。
こう言うと、いささか興ざめに聞こえるかもしれない。あるチームを最も美しいと言うこと自体が、間違いだとでもいうのか。もちろんそうではない。誰もが心の底から、1970年のブラジルこそ最も美しいと感じることができる。その感覚は真実であり、心を動かすものでもある。問題は「好き」であることにあるのではなく、あの「最も」という言葉にある。好みは個人的なものだが、「最も」は、個人を超えた、すべてのチームを比べ合った末の最終的な順位づけを暗示している。そしてそのような順位づけには、審判もいなければ、終着点もない。あなたがこのチームを最も美しいと言い、私が別のチームを最も美しいと言ったとしても、誰一人として、それを一言で決着させられるような、万人が認める物差しを持ち出すことはできないのである。
これは1970年のブラジルだけに与えられた特別な扱いではない。同じ大会の中で、イタリアと西ドイツの間で行われたあの準決勝、四対三、延長戦だけで五得点が生まれたあの試合は、後に「世紀の一戦」という呼び名で定着し、アステカ・スタジアムの外には今なおこの「世紀の一戦」を記念する銅板が立っている。バンクスのあのセーブは「世紀のセーブ」と呼ばれた。カルロス・アルベルトのあのゴールは「史上最高のチームゴール」と呼ばれた。これらの呼び名は、例外なく、当時の試合記録に記された公式な表現ではなく、後世の人々が最上級の評価とともに付け加えたものである。
これらの最上級表現には、一つの興味深い共通点がある。そのほとんどすべてが、この一回の大会に集中して生まれているということだ。最も美しいチーム、世紀の一戦、世紀のセーブ、史上最高のチームゴール——まるで1970年のこの大会が、サッカーにおよそ考えつく限りのあらゆる「最」を、根こそぎ独占してしまったかのようである。これは必ずしも1970年が本当にあらゆる面で史上一位だったからではなく、むしろこれが全世界からカラー映像によって同時に見られた最初のワールドカップであったからだと考えるほうが、より説得力がある。これほど多くの人に同時に見られたものだけが、これほど多くの人から共に「最」と冠せられる資格を得るのだ。最上級表現の氾濫こそ、まさに映像時代の到来を告げる一つの兆候なのである。
最上級表現の誘惑は、まさにここにある。それは人に、一言で決着をつけたかのような爽快感を与える。まるでこれで議論は打ち止め、答えはすでに書き込まれたかのように。しかしそれが確定させているのは、もともと確定しようのないものなのだ。この世に、どの試合が史上最高か、どのチームが史上最美か、どれが史上最強かを測れる装置など、存在しない。これらの言い方は、結論のように聞こえるが、実のところ永遠に決着のつかない論争を、美辞麗句によって一時的に覆い隠しているにすぎないのである。
このことをはっきりさせるのは、1970年のブラジルを貶めるためではない。このチームは確かに大したものだった。その全勝も、そのゴールも、忘れがたいそれぞれの瞬間も、すべて本物である。ここで区別すべきなのは、その真実の実力と、後から付け加えられ、あたかも最終的な答えを与えたかのように自任するあの最上級表現である。前者は事実であり、後者は評価にすぎない。そして評価というものは、どれほど多くの人によって繰り返されようとも、測定可能な事実には変わり得ないのである。
このように評価を事実と取り違えることは、一見どうということのないように見えて、実は容易には気づかれない罠を潜ませている。ひとたび「最も美しい」が定説として扱われてしまうと、後の人々は、その定説の覆いの下で、自分自身の判断の余地を容易に失ってしまう。彼らはこう考えるようになる。1970年のブラジルが最も美しいというのは公認の事実なのだから、それに異を唱えることは、サッカーを分かっていないことの証だ、と。しかし本当にサッカーを分かっているということは、まさにどれが数え上げられる事実で、どれが語られた評価にすぎないのかを見分け、そして後者については、同意しない自由を留保しておくことにほかならないのである。
最上級表現の本当の問題は、それが対象を選び間違えたことにあるのではなく、本来終わるはずのない議論を、終わったかのように装ってしまうことにある。美とは、世代ごとの人々がそれぞれ自ら感じ取り、論じ合い、そして新たに発見し直していくべきものだ。今日「最も美しい」と感じられたものが、明日には別の美しさに心を動かされるかもしれない。この世代が至高とあがめるものに、次の世代はまったく新しい基準を持ち出すかもしれない。このような絶えざる評価のやり直しは、本来健全なことであり、それによって美は生き生きとした活力を保ち続けるのだ。しかし「史上最美」という一言は、まるで蓋のように、本来永遠に続くはずのこの議論を、一度きりで封じ込めようとする。それは、流動的で開かれたものを、無理やり固まりきった、すでに定説となったものへと言い換えてしまうのである。
これはまさに、凝固と流動との間で繰り広げられる、決して止むことのない綱引きである。人は常に、美しいものを固定し、封じ込め、永遠の、疑いようのない位置を与えたいと願う。しかし美しいものというのは、あいにく流動的なものであり、世代を超えた人々のたえざる感じ直しの中でしか、その生き生きとした姿を保てないものなのだ。ひとたびそれが無理やり一つの「最」へと凝固させられてしまえば、それはかえって硬直しはじめ、人々が崇め奉るだけで、もはや感じ取ることのない標本へと変わり果ててしまう。だが現実のサッカーは、こうした称号など一切気にかけることなく、相変わらずプレーを続け、相変わらず絶えず、新たな美しさを、新たな偉大さを、世の人々のもとへと届け続けているのである。
したがって、1970年のブラジルが果たして史上最美であるかどうかにこだわるよりも、むしろ次のことを認めるほうがよい。この問いには、そもそも答えなど存在しないし、答えを必要としてもいない、と。それが最も美しかったのであれ、最も美しいチームの一つにすぎなかったのであれ、そのいずれであっても、あの一か月の間に、それが実際に人の心を動かすサッカーをプレーしたという事実には、何の影響も及ぼさない。「最も美しい」という帽子は、被せようと外そうと、変わるのは後世の人々による順位づけの遊びだけであって、その一か月の間に実際に起きたことのすべてを変えることはできない。虚妄な「最」を奪い合うことから意識を切り離してこそ、かえってそのチームの本来の姿を、より明瞭に見て取ることができるのである。
五 ペレにも外したシュートがある
映像はもう一つのことをしてしまう。それは偶然を、いつの間にか必然へと刈り込んでしまうことだ。
1970年のブラジルは、映像の中では、優勝すること、神格化されることがあらかじめ運命づけられていたチームであるかのように見える。しかし現実のあの一か月間には、いたるところに偶然があった。このことを何よりもよく物語っているのは、ほかならぬペレのあの最も有名な二つのシュートであり、そしてこの二つは、どちらも決まらなかったのである。
一つは、チェコスロバキアとのグループリーグの試合で起きた。ペレは自陣の中で、相手のゴールキーパーが前に出すぎているのを見て取り、超ロングシュートのループボールを蹴り上げた。ボールは弧を描いてキーパーの頭上を越え、ポストをかすめて外へそれた。それは常識を打ち破るような発想でありながら、外れてしまったのである。もう一つは、準決勝のウルグアイ戦で起きた。トスタンのスルーパスに、ウルグアイのゴールキーパーが飛び出してくる。ペレはボールより先に到達しながら、あえてそれに触れず、ボールをキーパーの片側から転がらせ、自分は反対側から回り込み、体をひねりながらシュートを放った。ボールは遠いほうのポストの外へそれた。またしても常人には思いもよらぬひらめきでありながら、またしても外れてしまったのである。
この決まらなかった二つのシュートは、後に、決まったゴールと同じくらい有名になった。しかしそれらは、映像によって覆い隠されがちな一つの事実を、人々に思い起こさせる。すなわち、公認の最も偉大な選手であっても、その最も天才的な瞬間においてすら、失敗することがあるのだ、ということである。あのループシュートは、あと少しで史上最も偉大なゴールの一つになるところだった。しかしその「あと少し」こそが、偶然そのものなのだ。それは決まっていたかもしれないし、決まらなかったかもしれない。そして、たまたま決まらなかったのである。
この出来事は、決まったゴールよりも、むしろ多くを物語っている。決まったゴールは、天才の必然として語られがちだ。しかし、あと少しのところで決まらなかったシュートこそが、天才の真の姿を暴き出す。彼もまた、偶然の中で命を懸けて戦っていたのだ、ということを。ペレの偉大さは、彼のひらめきのすべてがゴールへと結実したことにあるのではない。彼が、常人には思いもよらないことを、その多くが結局は外れに終わるとしても、繰り返し試みる勇気を持っていたことにこそある。彼の偉大さを、百発百中の神業として語ってしまうことは、かえって、失敗もするが、それでもなお賭けに出ることを恐れない、その生身の人間を、消し去ってしまうことになるのだ。
ブラジルというチーム全体についても、事情は同じである。六戦全勝とはいえ、そのどの一戦も、高地と酷暑に幾度となく苦しめられたあの舞台の上で、身を削って勝ち取ったものだった。高地と酷暑といえば、これは確かにこの大会において公認の難関であり、メキシコシティは標高二千メートル以上、そこに炎暑が加わることで、どのチームもそれを最大の懸念事項として扱っていた。しかし、ある一試合の勝敗を、単純に標高や気候のせいにしてしまうのもまた、後になってから作り上げられた単純化された説明にすぎない。現実の試合というものは、決してただ一つの要因によって決まるのではなく、無数の偶然がより合わさった結果なのである。
このように複雑なものを単一の要因へと還元してしまう衝動は、映像が最も好んで犯す過ちである。全勝したチームは、映像の中では、その勝利のひとつひとつがあたかも当然の帰結であり、実力の自然な発現であるかのように見えてしまう。しかし現実のどの一戦も、際どい局面に立たされ、危うい瞬間を経ており、何か一つの偶然によって、まったく別の結末を迎えていた可能性がある。こうしたあらゆる偶然を消し去り、ただひたすら前進し続ける優勝チームだけを残すことこそ、映像が最も得意とする美化であり、また最も人を欺きやすい部分でもある。それは、勝利が決して運命づけられたものではなく、いくらでも違う結果になり得た無数の瞬間の中を、際どく勝ち抜いて得たものであることを、人々に忘れさせてしまうのだ。
このような際どさを認めることは、1970年のブラジルの偉大さを少しも損なわない。むしろその偉大さを、より現実味のある、より貴重なものに見せてくれる。過酷な舞台の上で、いくらでも失敗に転びかねなかった無数の瞬間の中から、何度も勝利をもぎ取っていったチームのほうが、優勝が最初から決まっていたチームよりも、はるかに人の心を打つ。運命づけられた勝利には、物語がない。偶然の上に危うく成り立ち、いつ崩れてもおかしくなかった勝利だけが、後になって背筋を寒くさせ、また人に感銘を与えるのだ。映像が偶然を消し去ることは、一見このチームを持ち上げているように見えて、実のところ、その最も見事な部分——不確実さの中で戦い抜くあの勇気——を、いつの間にか奪い去っているのである。
ペレのあの二つの外れたシュートは、まさにこの勇気にとって最良の注釈である。堅実な選手であれば、自陣の中から軽々しくループシュートを蹴り上げたりはしないし、ボールに触れずに放置して、ゴールキーパーを回り込むという危険な賭けに出たりもしない。こうしたことを試みるのは、凡庸に甘んじることを良しとせず、あの一万分の一の驚くべき瞬間のために危険を冒す覚悟のある人間だけである。彼は失敗した。ボールは外れた。しかしまさにこの、あえて失敗の危険を冒そうとするその心意気こそが、彼をペレたらしめたのだ。映像は彼の成功した瞬間だけを記憶し、彼を神として祭り上げた。しかし本当の、血の通ったペレは、まさにこれらの失敗した、外れた、しかしこの上なく大胆な試みの中にこそ、隠れているのである。
この二つの外れたシュートは、もしかすると、全世界から記憶されているあのゴールよりも、サッカーの真実に近いのかもしれない。サッカーの真実とは、そもそも百発百中などではなく、十のうち八か九は外れに終わり、ただたまに一度だけ、それが決まるというものなのだ。映像はその決まった一度だけを切り取り、それを必然であるかのように拡大して見せることを好む。しかし切り捨てられたその八回、九回の外れこそが、このスポーツの真の下地なのである。映像はこうしたあらゆる偶然を消し去り、ただ全勝の、まるで最初から勝利を手中に収めていたかのようなブラジルだけを、後に残したのだった。
六 カルロス・アルベルトのあのゴール
映像によって最も完全な形で封じ込められたのは、決勝でのカルロス・アルベルトのあのゴールである。
それは「史上最高のチームゴール」としばしば呼ばれる。その経過については、各方面の回顧録もおおむね一致している。攻撃はブラジルの後方から始まり、まずトスタンがボールの回収と展開に関わった。クロドアウドは自陣の中で、複数のイタリア選手を次々とかわしていく。続いてボールは左サイドのリベリーノの足元へと渡り、ジャイルジーニョがそれを中央へ戻す。ペレはペナルティエリアの手前で一瞬ボールを止め、右へ流す。カルロス・アルベルトが右サイドから猛烈な勢いで駆け上がり、走り込みながら強烈な一撃を放ち、ゴールを陥れた。後方から前方へと連なる一連のパス回しは、最後に山をも動かすようなロングシュートによって締めくくられたのである。
このゴールが人の心を打つのは、それがこのチームの最良の部分を、わずか十数秒の中に凝縮していたからだ。後方から幾重にも層をなして押し上げていく、多くの選手が関わる、水が流れるような連携。それは誰か一人の天才の独舞ではなく、チーム全体による合奏だったのである。
これこそが、このブラジルの最も魅力的な部分である。ペレのような不世出の天才を擁しながら、その最良のゴールは、個人の英雄的なプレーの見せ場ではなく、十一人のうち何人もの選手が、後方から前方へと、鎖の輪のようにつながりながら押し込んでいったものだったのだ。それが証明しているのは、最高次元のサッカーとは、一人の天才による独奏ではなく、名手たちの集団による合奏だということである。個人のひらめきは、集団の流れの中に溶け込んで初めて、最大の輝きを放つことができるのだ。
しかし、これほど繰り返し語り継がれてきたゴールでさえ、その記録は、映像が見せてくれるほど整然としたものではない。このゴールについて、ある記録では八十六分とされ、別の記録では八十七分とされている。この攻撃に関わり、連続するパス回しの中でボールに触れたブラジルの選手の人数も、七人とする回顧録もあれば、八人、九人とするものもある。これらの食い違いは、それ自体大きな是非の問題ではなく、単に計時や集計の基準の違いにすぎない。しかしそれはまさに、映像によって完璧な一瞬として固定されたこのような場面でさえ、真剣に検証してみれば、その足元には、まだいくらかの説明のつかない粗さが残っているということを物語っている。映像は人に、すっきりと洗練された一枚の画面を与えてくれる。しかしその画面の下に横たわる現実の過程には、常にその画面そのものよりも多くの、曖昧な襞が残されているのである。
この曖昧さは、あのゴールの見事さを少しも損なわない。しかしそれは、映像が与えてくれるあの断定的な明瞭さに、いくぶんかの偽りが含まれていることを、人々に思い起こさせる。それは、そもそも複数の言い分が存在していた一瞬を、あたかも唯一の、あたかも精確な一枚の画面であるかのように固定してしまう。映像を見る者は、自分が目にしているものこそがすべての真実だと思い込んでいるが、実際にはそのゴールが何分のものだったのか、何人の選手がボールに触れたのかさえ、いまだに諸説紛々としていることを知らない。映像の明瞭さとは、切り取られたうえでの明瞭さにすぎないのである。
そして、この切り取りは、あのゴールをめぐる伝説の中で、さらに先まで進んでいる。それは何分だったか、何人だったかという曖昧さを切り落とすだけでなく、そのゴールの背後にある、チーム全体の日々の練習をも切り落としてしまっているのだ。世に広まっている映像の中では、このゴールはあまりにも自然に美しく、まるで数人の天才が思いつきで即興的に組み立てた協力プレーであるかのように見える。しかしその自然さの背後には、繰り返し稽古された動き出しがあり、すでに練り上げられた阿吽の呼吸があり、そしてあの瞬間にあのような連携を実現させるために、チームが無数の人目につかない午後に積み重ねてきた地道な努力があったのだ。映像は結果の華やかさだけを記録することを好み、その過程にある不器用さや苦労を、決して記録しようとはしない。
だからこそ、1970年のブラジルを、才能だけに頼り、訓練には頼らなかったチームとして語ることは、安易なロマンティシズムなのである。このチームが群を抜いた才能を備えていたことは確かだが、もし繰り返し磨き上げられたあの体系がなく、あの明確な役割分担と阿吽の呼吸がなかったなら、どれほど優れた才能があっても、あれほど水の流れるような一体感には到底まとまらなかっただろう。本当に得がたいものは、このチームに天才がいたことではなく、一群の天才たちを、精密でありながら華麗な一台の機械へと組織し上げたことにある。しかし映像はその華麗さだけを撮ることを好み、その精密さの背後にある単調な地道さを撮ろうとはしない。こうして才能は拡大され、地道な努力は隠され、後世に残されたのは、天才による即興の神話ということになってしまったのである。
ここにはさらにもう一つの層が隠されている。1970年のブラジルは、世に広まった映像の中では、しばしばひとえに才能に頼った、即興的なプレーをするチームとして語られ、あの華麗な連携もすべて選手たちのその場のひらめきであったかのように扱われる。しかし後の戦術史家の多くは、この見方に賛同していない。彼らはむしろ、これが実際には極めて周到に準備され、役割分担が極めて明確なチームだったことを強調する。カルロス・アルベルトのあのゴールも、一見水が流れるような即興に見えて、その背後には繰り返し稽古された前進のパターンがあったのだ。映像が残しているのは、その自然な美しさだけであり、その美しさの背後にある地道な努力は、それとともに隠し去られてしまっているのである。
七 永久に持ち去られたトロフィー
1970年のブラジルは、この三度目の優勝によって、他の誰も成し得なかったことをもう一つ成し遂げた。
当時の規定では、最初にワールドカップで三度優勝した国が、あのジュール・リメ杯を永久に保有できることになっていた。1970年、ブラジルは三度目の優勝を成し遂げた最初のチームとなり、それによってこのトロフィーを永久に自国のものとした。本来であれば各国の間を順番に持ち回られるはずだった流動的なトロフィーは、これ以降、一つの国のもとに永遠にとどまることになったのである。
これは一見すると、申し分のない結末のように見える。一つのチームが三度頂点に立ち、至高の栄誉を象徴するあのトロフィーを完全に自らのものとする。物語はまるでここで、完璧な句点を打たれたかのように見えるのである。
ある輝かしい時代に句点を打ち、それを一度きりで永久に封じ込めてしまいたいというこの衝動は、十分に理解できるものだ。一つのチームが三連覇を成し遂げ、頂点を極めたとき、そのような栄光に、永久の、揺るぎない拠り所を与えたいと願わない者がいるだろうか。あのトロフィーを永久に保有するということは、まさにこの衝動を具体的な形にしたものであり、それはあたかも、この件はすでに極みに達した、これでもはや決着がついた、もはや争う必要はない、と語っているかのようである。
しかしこの句点は、実際には何一つ終わらせてはいない。ジュール・リメ杯は持ち去られたが、ワールドカップは止まらなかった。新しいトロフィーが一つ作られ、あの古いトロフィーの後を継いで、引き続き各国の間で争われることになった。永久保有によって固定しようとしたあの結末は、結局のところ、新しいトロフィーを、そして次なる争奪戦を、無理やり生み出しただけだったのだ。流動的なものを一度きりで永久に固定してしまおうとすれば、その結果として起こるのは、流動の停止ではなく、もう一つの新たな循環の始まりなのである。
これはむしろ、永久を、決着を求めようとするあらゆる試みに共通する運命なのである。流動するトロフィーの意味は、そもそもその流動性の中にこそある。次々とチームによって持ち上げられ、また次々と手渡されていくことの中にこそある。ひとたびそれがどこか一つのチームのもとに永久にとどめられてしまえば、それはもはや、あの循環を担うトロフィーではなくなってしまう。そこで、別に新しいものを一つ作り、その循環を続けさせるほかなくなるのだ。循環を終わらせようとした行為は、結局のところ、循環に新たな器を与えただけであり、循環そのものは、一瞬たりとも止まっていない。
そして、その永久に持ち去られたあの金のトロフィーが、その後たどった運命は、これらすべてに、意味深長な脚注をさらに一つ付け加えることになった。至高の栄誉を担うトロフィーは、ひとたびどこか一つのチーム、一つの国の私有物として確定されてしまえば、流動する象徴から、れっきとした一個の財産へと姿を変える。そして財産というものは、値踏みされ、狙われ、盗まれる可能性のあるものだ。栄誉が所有し得る実体へと固まっていけばいくほど、それは避けようもなく、実体につきまとうあの厄介事をも背負い込んでいく。これは、この同じ年にサッカーが、売買され得る映像として、権利契約の中に組み込まれ始めたこととまさに同じ道筋であり、本来最も財産などになってはならないはずのものが、少しずつ財産へと変わりつつあったのである。
この変化こそ、この大会が、あらゆる華麗な映像と最上級の称号の下に、最も深く埋め込んでいた伏線である。サッカーが生まれた当初は、一群の人々がグラウンドの上で、純粋な勝ち負けのために走り回る遊びにすぎなかった。しかし1970年に至って、それはもう一つの姿を持ち始めた。中継され、売買され、永久に占有され得るものとしての姿である。あの金のトロフィーに収められた栄誉も、あのカラー映像に封じ込められた試合も、いずれもこの新たな姿の兆しであった。最も純粋であったはずのものが、最も金になるものへと変わりつつあり、そしてこの両者の間にあるあの緊張は、この先の歳月の中で、ますます張り詰めていくことになる。
そしてその永久に持ち去られたトロフィーは、後にもう一つの意味深長な注釈となった。至高の栄誉として扱われ、ある国によって厳かに収蔵された金のトロフィー——その価値はあれほど重々しいものであったはずなのに、結局のところそれもまた、持ち去られ、保管され、あるいは狙われることさえある、一個の物にすぎなかったのである。栄誉がひとたび、誰かに帰属し得る一つのトロフィーへと凝固してしまえば、それもまたいくぶんかの財産としての性質を帯びてしまう。そしてこれは、サッカーがこの年、カラー映像の中に封じ込められ、著作権として売買されるようになったこととは、実は同じ一つの出来事の異なる側面にほかならない。最も純粋であったはずのものが、少しずつ、所有され、売買され得るものへと変わりつつあったのだ。
八 結び
これらすべてを結びとしてまとめよう。
1970年、ブラジルは三度目のワールドカップ優勝を果たし、後世から「最も美しい」と認められることになるチームを残した。しかしこの大会の本当の転換点は、あのカラーの、衛星を通じて全世界に広がった画面の中に潜んでいた。この年から、サッカーは第二の存在様式を持つようになった。一度プレーされれば消えてしまう、あの偶然に満ちた試合そのものに加えて、無限に再生され、世界中に広まり、繰り返し称賛される映像という、もう一つの存在を得たのである。
この第二の存在様式は、一つの贈り物であると同時に、一つの難題でもある。それが贈り物であるというのは、それがあの瞬く間に過ぎ去る美しさを留め置き、後世の人々にもそれを味わえるようにしてくれるからだ。それが難題であるというのは、それがあまりにも容易く、あの試合そのものと取り違えられてしまうからである。人々があの映像を繰り返し見れば見るほど、映像は真実そのものではないこと、封じ込められたものはすべてではないこと、そして称賛される「最も美しい」も、測定可能で決着のついた事実とは違うのだということを、忘れやすくなってしまうのだ。
そしてこの映像という層、この「最も美しい」という王冠、このますます大きくなっていくビジネスの下には、生身の、失敗もすれば老いてもいく人間たちが立っている。ペレには外れたループシュートがあり、ゴールキーパーを回り込みながらも外れてしまったあのひらめきがあった。永遠の存在として冠せられたあのチームの一人ひとりも、いずれは老い、表舞台から遠ざかり、新しい偶像に取って代わられていく。映像は彼らを不朽のイメージとして固定してしまうが、そのイメージの外側では、彼らもまた他のすべての人間と同じように、偶然の中で命を懸けて戦い、時の流れの中で衰えていく、一人の凡人にすぎない。カメラによって封じ込められたのは、彼らの最も輝かしい一瞬である。そしてその一瞬の外にある、彼らの長い、現実の、血の通った人生こそが、かえってこの華やかな映像という層によって、最も見えにくいところへと押しやられてしまうのである。
したがって、1970年が後世に残したものは、「最も美しい」と冠せられた一つのチームだけにとどまらない。それが残したのは、サッカーが第二の存在様式を持ち始めたあの起点であり、カラー映像と世界的な中継と商業的な著作権とが共に作り上げた、サッカーをめぐる巨大な鏡像である。これ以降、人々が愛し、称賛し、論じ合い、売買するものの多くの部分は、もはや一度プレーされれば消えてしまうあの試合そのものではなく、決して消えることのないその影のほうになったのである。
そしてサッカー本来の姿をはっきりと見るためには、常に次のことを心に留めておかなければならない。あの決して消えることのない影の背後には、常に、一度だけ起こり、二度と戻ってはこない、現実の試合が存在しているのだ、ということを。影は繰り返し見られ、順位をつけられ、売買されることもできる。しかし現実のあの試合は、プレーされ終われば過ぎ去るものであり、誰もそれを再び取り戻すことはできないし、まして、それに一度きりで永久に決着のつく「最」を定めることなど、なおさらできないのである。
この映像は、三つのことを成し遂げた。それは、あの見事なブラジルを、一つの永遠の記念碑へと固め上げ、史上最も美しいチームとして冠した。それは、あの一か月の間にあった無数の偶然——ペレのあの二つの外れたひらめき、高地と酷暑に幾度となく苦しめられたあの舞台——をことごとく消し去り、まるで最初から勝つことが決まっていたかのようなブラジルだけを、後に残した。そしてそれは、本来一回限りの、純粋なものであったはずのそれを、伝送し、保存し、売買することのできる一個の品物へと変えてしまったのである。
しかし、この映像の中に封じ込められた「最も美しい」は、結局のところ、あの試合そのものではない。「最も美しい」は測ることができない。それが約束する永遠の一位というものは、決着のつかない論争にすぎず、美辞麗句によって一時的に覆い隠されているだけなのだ。あの数々の偶然は、決して消し去ることができない。どれほど偉大な選手であっても、外れたシュートはあり、失敗する瞬間はある。そして、あの金のトロフィーに収められ、あの映像の中に封じ込められた純粋さも、それによって誰かに本当に所有されたわけではない。ワールドカップは相変わらずプレーされ続け、新しいトロフィーは相変わらず争われ続け、次に「最も美しい」と呼ばれることになるチームは、今どこかで醸成されつつあるのだ。
映像はサッカーに、ほとんど永遠であるかのような姿を与えた。しかしサッカーそのものは、これまで一度たりとも永遠であったことはない。それは一回限りのもの、偶然に満ちたもの、失敗することもあるもの、そして次から次へと新しい物語によって塗り替えられていくものなのだ。カメラによって固定され、最上級の言葉によって封じ込められたあの瞬間は、終着点であるかのように見えるが、実際にはこれまで一度も終着点であったことはない。本当のあの試合は、プレーされ終われば過ぎ去るものであり、そこに残された映像の中にある、一言で決着をつけたはずの「最も美しい」は、ただもう一つの、閉じることのできない問いにすぎないのに、閉じられた答えであるかのように語られているだけなのである。
次に最も美しいと呼ばれるチームはこれからも現れるだろうし、次のトロフィーもこれからも争われ続けるだろう。そして誰であれ、「最も美しい」というこの言葉を、あるチームの上に一度きりで永久に打ち付けることなど、本当にはできないのである。映像は、あるチームを乗り越えがたい永遠の存在として何度も祭り上げていくだろう。しかし現実のサッカーもまた、次のチーム、次の息をのむような瞬間によって、そのいわゆる永遠を、そっと覆していくだろう。称号は死んでいるが、サッカーは生きている。打ち付けられて動かなくなった「最」が封じ込めているのは、すでに過ぎ去った一つの栄光にすぎない。そして生きているサッカーは、いつまでも、まだ名づけられていない次の栄光を、醸成し続けているのだ。循環は止まっていない。それは今もなお、回り続けている。