メキシコ
カラー映像に封じ込められたチームと、測れない「最も美しい」
(起点:1970年メキシコ・ワールドカップ)
この篇の目次
一 史上最も美しいチーム
サッカーを語る人なら、ほとんど誰もが一度は聞いたことのある言葉だろう。1970年のブラジルは、史上最も美しいチームだった。
このチームの実力は、紛れもなく本物だった。1970年のメキシコ・ワールドカップで、ブラジルは6戦全勝、19得点を記録した。ジャイルジーニョはグループリーグから決勝まで、1試合も欠かさずにゴールを決めた。決勝ではイタリアを4対1で破り、前線からも中盤からも、さまざまな選手が得点を挙げた。ペレがいた。ジェルソン、リベリーノ、トスタンがいた。そして右サイドバックの位置から猛然と駆け上がり、勝負にとどめを刺す一撃を放った主将、カルロス・アウベルトがいた。どれも動かしようのない記録であり、誰にも否定できない。
これらと並べて、よく語られる記録がもう一つある。監督のマリオ・ザガロは、1958年と1962年に選手としてワールドカップを制し、1970年には監督としてブラジルを頂点へ導いた。選手と監督の両方の立場でワールドカップを制した、史上初の人物となったのである。6戦全勝のチーム。全試合で得点したウイング。二つの立場で優勝を果たした監督。それを並べれば、たしかに輝かしい実績だ。これほどの実績を「素晴らしい」と呼ぶことに、何の問題もない。だが、人々がこのチームに与えた言葉は、「素晴らしい」ではなかった。「最も美しい」、しかも「史上最も」だった。問題はそこにある。
「素晴らしい」と「最も美しい」の隔たりは、単なる程度の差ではない。そもそも性質の違う二つの言葉なのだ。「素晴らしい」は実績についての記述であり、事実の裏付けがあって、誰でも確かめられる。一方、「最も美しい」は王冠である。求めているのは記述ではなく、戴冠だ。これまでサッカーをしてきたすべてのチームの中から、ただ一つを選び出し、唯一無二の最高位に据える。そのような王冠を授けるには、そのチームが優れたサッカーをするだけでは足りない。世界中が同時にそれを見つめ、その王冠を認めなければならない。1970年のブラジルは、ちょうどそんな瞬間に巡り合った。
それ以前にも、偉大なチームはあった。1954年のハンガリーも、1958年のブラジルも、人を驚嘆させるサッカーをしていた。だが、それらのチームは1970年のブラジルのように、カラー映像を通じて世界中の人々に同時に見られ、同時に記憶されることはなかった。その偉大さの多くは、実際に見た人々の語りの中に、断片的な白黒の映像の中にとどまっていた。1970年のブラジルは、プレーしているまさにそのとき、世界中から一斉に神の座へ押し上げられた、最初のチームだった。その「最も美しい」の半分は、あのカラーテレビの画面が与えたものなのだ。
これは、このチームをおとしめるための話ではない。見落とされがちな事実を、改めて見つめるための話だ。一つのチームが「最も美しい」と呼ばれるかどうかは、どれほど優れたサッカーをしたかだけでは決まらない。どれほど多くの人が、どのような条件のもとで、その素晴らしさを目にしたかにも左右される。同じように見事なサッカーでも、カラーテレビも衛星中継もない時代に行われたのなら、おそらく少数の目撃者の記憶に残るだけで、世界共通の神話にはならなかっただろう。1970年のブラジルを勝たせたのは、その足元の技術であり、その時代でもあった。映像が初めて世界全体を包み込めるようになった、その瞬間にプレーしていたことも、このチームの勝利だった。
しかし、「史上最も美しい」となると、話は別である。それは記録ではなく、評価だ。6戦全勝は数えられる。19得点も数えられる。だが「最も美しい」は数えられない。後の人々が何度も繰り返し、繰り返すうちに、まるでスコアと同じくらい確かなものに思えてきた、一つの言い方なのである。
このチームが世界中に同時に記憶され、そろって「最も美しい」とたたえられた背景には、もう一つ、忘れられがちな前提がある。1970年は、世界中がカラーテレビと衛星を通じて、一つのワールドカップを同時に見られるようになった、最初の年だった。このチームと、世界中を駆け巡ったその映像は、一緒に生まれたのだ。
二 ワールドカップに色がついた
1970年のワールドカップは、放送の歴史における重要な節目である。
最も慎重に言うなら、初めて大規模なカラー放送が行われたワールドカップであり、衛星を通じて試合を生中継し、より広範な海外の視聴者に届ける最初の試みにおいても、重要な一歩となった大会である。
今の私たちにとって、カラーテレビも衛星生中継も当たり前すぎて、それが当時どれほどの意味を持ったのか、実感するのは難しい。だが1970年には、新しい出来事だった。それ以前、遠くヨーロッパにいる人々は、ワールドカップの映像を生で見られないか、見られても白黒の放送しかなかった。それが1970年、緑のピッチも、ブラジルの黄金色のユニフォームも、次々と生まれるゴールも、初めてカラーで、ほぼ同時に、はるか遠くの居間に現れた。これほど生き生きとした姿のサッカーを、これほど多くの場所の人々が同時に目にするのは、初めてだった。英国の科学・メディア博物館の史料にも、明確に記されている。1970年の大会は初のカラー放送であっただけでなく、ヨーロッパの視聴者が大西洋を越える衛星中継によって、ワールドカップを初めて生で見られた大会でもあった、と。FIFA自身の回顧も、1970年を、初めてカラーで世界中に放送されたワールドカップと位置づけている。
ただし、ここには一つ留保が必要だ。サッカーが世界規模のテレビイベントになるまでの変化は、1970年の一夜にして成し遂げられたわけではない。メディア史の研究には、サッカーとテレビの結びつきの本当の転機を、1970年ではなく、それより早い1966年に置くものもある。だから、より正確に言うなら、1970年はカラー放送と衛星生中継という面での重要な一歩だった。ワールドカップが世界的なテレビイベントになる動きは、1966年から1970年にかけて少しずつ加速したのであり、ある大会で突然、何もないところから現れたのではない。
転機を特定の一年に固定すると、話は簡単になる。だが、往々にして正確ではなくなる。現実の変化が一夜にして起こることは、めったにない。カラーテレビの普及、衛星技術の成熟、放送網の拡大は、何年もかけて積み重なったものだ。1970年が記憶されているのは、その積み重ねが、この大会でちょうど強い印象を残す形になったからである。だからといって、1970年の大会がサッカーを無から世界的なイベントへ変えたのだと言ってしまえば、段階的な過程を、突如起きた奇跡に読み替えることになる。
さらに重要なのは、この映像の背後には、すでに体系だったビジネスが存在していたことだ。研究によれば、FIFAは早い段階で、この大会の放映権をメキシコのテレビ会社に160万ドルで売却していた。その後、ヨーロッパ向けの放送をめぐって欧州放送連合と交渉を重ね、1969年には第三者を介した再販売も行われた。つまり1970年には、ワールドカップの中継は、ただ試合を放送するだけの行為ではなくなっていた。国際的な権利取引と放送信号の配信をめぐる、一つのビジネスの仕組みになっていたのである。
これは大事な点だ。ここからは、サッカーを見るという行為が、もはや無償で自然に成り立つものではなくなったからである。ある試合を見られるかどうか、どのような形で見られるか。その背後には、契約、価格、交渉が幾重にもつながっている。ピッチで繰り広げられる、あの最も純粋な営みと、それを見たいと願う無数の人々との間に、商売が張り巡らせた網が一枚、かかるようになった。サッカーそのものは変わらない。だが、それを人々の目の前へ届けるまでの全過程は、ますます大きくなるビジネスの中へ組み込まれていった。
当時、そのビジネスはまだ原形にすぎなかった。だが、そこから伸びる道は、後にずっと遠くまで続いていく。一つの競技をこれほど大規模に放送でき、これほどの放映権料で売れ、これほど多くの視聴者に届けられる。そのことがわかると、商売をする人々の目に映るサッカーの価値は、ファンの目に映る価値とは少しずつ分かれていった。ファンが見ているのは、サッカーそのものだ。一方、その背後にある開拓できる巨大な市場を見る人が、次第に増えていく。1970年は、この二つのまなざしが並んで進み始めた、一つの出発点だった。
もちろん1970年には、すべてはまだ始まったばかりだった。当時の放映権料は、後の、当たり前のように天文学的な額になる放送契約に比べれば、端数ほどのものだった。商業化も、後のように緻密で、隅々まで入り込むものではなかった。それでも、方向はすでに定まっていた。一つの試合を世界中が同時に見られること、何度でも再生できること、高値で売れることに気づいた以上、サッカーはもう、会場の数万人だけのものだった、かつての純粋で素朴な姿には戻れない。ビジネスへと変わり始めたのだ。しかも、拡大を続けるビジネスへと。
実際に何人が見ていたのかについては、当時からかなり大きな推計があった。大会終了後の1970年、米国のある雑誌は、およそ7億人という規模の数字を示している。これは当時の推計として引用できる。ただし、後の統一された基準による、現代の視聴率調査と直接比較できる精密な統計として扱うことはできない。
三 サッカーが映像になった
1970年に本当に起きた大きな出来事の一つは、ピッチの上ではなく、あの画面の中にあった。この年からサッカーは、もう一つの存在の仕方を持つようになった。
それまでの一試合は、基本的に、あの90分間の中だけで生きていた。一度行われると、消えてしまう。スタンドにいた人はそれを見た。見なかった人の大半は、翌日の新聞でスコアと数行の記事を読むしかなかった。試合そのものは一回限りで、たちまち過ぎ去るものだった。
この一回限りという性質は、かつてサッカーにとってごく当たり前のことだった。その場で起きるすべての出来事と同じように、過ぎたものは過ぎたままだ。居合わせた人の記憶や語り、後から書かれる断片的な文章を頼りに、かろうじてわずかな痕跡を残すしかない。どれほど見事な試合でも、その輝きの大半は、終了の笛とともに、その午後の中へ消えていった。それを余すところなく味わえたのは、その場にいた人だけだった。
ところが1970年から、サッカーには分身ができた。カラーで、世界中へ届けられ、何度でも見返せる映像という分身だ。カルロス・アウベルトのあの豪快な一撃も、ペレがゴールキーパーをかわしたあの場面も、バンクスのあのセーブも、その場にいた数万人の記憶の中だけに生きるものではなくなった。映像となって世界各地へ送られ、世代が替わるたびに取り出され、見直される。一度行われれば消えるはずだった試合が、その映像によって、ほとんど永遠ともいえる命を得たのである。
もちろん、これは喜ばしいことだ。この映像のおかげで、何十年後の人々も、1970年のブラジルがどのようにプレーしたのかを、自分の目で見ることができる。あのゴールやセーブに、今も驚嘆できる。それらの瞬間は、あの午後と一緒に消えてしまわずに残され、人類に共通の財産となった。その意味で映像とは、たちまち過ぎ去る試合を引き留めようとするもの、美しいものを残そうとする営みなのである。
それは素晴らしいことだ。同時に、その仕組みを見極める必要もある。映像と、あの試合そのものは、同じものではないからだ。映像は、試合から切り取られ、送られ、保存された分身である。だが、ひとたび独立すれば、元のものとはずいぶん違う性質を持つようになる。元の試合は一回限りだが、映像は無限に再生できる。元の試合は偶然に満ちているが、映像は何度も見ていると、すべてが初めから決まっていたように見えてくる。元の試合には、撮られもせず、記憶にも残らなかった瞬間が無数にある。映像が残すのは、最も鮮やかな数場面だけだ。そして人は、あの試合もあのチームも、その数場面のようなものだったと思うようになる。
そこで、微妙なすり替えが起きる。人々は、あの試合を覚えていると思っている。だが、本当に覚えているのは、あの試合の映像なのだ。その映像は、試合から選び取った、最も映えるごく一部分でしかない。映えない場面、平凡なパス回し、ミスやためらい、撮られなかった部分や、誰も繰り返し見たがらない部分は、そっと省かれる。やがて巧みに編集された映像のほうが、実際に行われた、粗さを含む試合全体よりも、本物らしくなってしまう。
こうして本物に取って代わるのは、映像が生まれながらに備えた力だ。現実の一断面を切り取り、それを何度も人々の前に差し出す。そうしているうちに、人々はそれが一断面にすぎないことを忘れ、現実のすべてとして受け取るようになる。90分の試合は数分のハイライトに編集され、ひと月を戦ったチームは、いくつかのまばゆい瞬間に凝縮される。切り落とされるのは、膨大な、平凡な、けれど同じように本物だった部分だ。残ったほんの一部は、何度も見られることで、かえって現実を圧倒する重みを持つ。人々が最後に覚えているのは、起きたことではなく、繰り返し再生されたことなのである。
サッカーにとって、その影響はとりわけ大きい。これ以降、チームや選手が歴史に記憶されるかどうか、どのような姿で記憶されるかは、どんなプレーをしたかだけでは決まらなくなる。どう撮られ、どう編集され、どう放送されたかにも左右されるのだ。カメラに愛されたものは際限なく拡大され、カメラが逃したものは、ひっそり忘れられていく。偉大な瞬間も、撮られていなければ、起きなかったかのようになる。ありふれた瞬間も、何度も流されれば、名場面に祭り上げられる。サッカーの歴史と、その映像の歴史は、ここから切り離せなくなった。
この映像は、サッカーへの恵みであると同時に、足かせでもある。恵みであるのは、たちまち消えてしまう美しさが、ようやく永遠に大切に残せる形を得たからだ。足かせであるのは、現実のサッカーが、巧みに編集され、美化された自分の影と、人々の記憶を奪い合わねばならなくなったからだ。しかも、たいていは勝てない。人々は、粗さを含んだ現実を苦労してたどり直すより、完璧な映像を信じたがる。やがて映像が主役となり、それが記録したはずの本当の試合は、ぼんやりした背景へと退いてしまう。
そして、その映像がまず行ったのは、1970年のブラジルを、永遠の記念碑に固めてしまうことだった。「史上最も美しい」という記念碑に。
四 「最も美しい」は測れない
だが、「最も美しい」という言葉は、問い詰められると持ちこたえられない。
最も美しいとは、どういうことか。誰より美しいのか。それを測る物差しはあるのか。1970年のブラジルは、1954年のハンガリーより美しいのか。優勝できなかった1982年のブラジルよりもか。さらに後の時代に現れた、パスとボール保持の名手たちよりもか。どれ一つとして、決まった正解のある問いではない。美しさは、得点数のように横へ並べて、優劣を測れるものではないからだ。「史上最も美しいチーム」と言えば、きっぱりと言い切ったように聞こえる。だが、その言葉が約束する最終判定、これ以外にはなく、永遠に一位なのだという判定こそ、裏付けることができない。
こう言うと、少し興ざめするかもしれない。あるチームを最も美しいと思うことさえ、間違いなのか。もちろん、そうではない。1970年のブラジルが最も美しいと、誰もが心から感じてよい。その感動は本物であり、心を動かすものだ。問題は好きだという気持ちではなく、「最も」という言葉にある。好きだという気持ちは個人のものだ。だが「最も」は、個人を超えて、すべてのチームを比べ終えた後の最終順位をほのめかす。そんな順位づけには、審判もいなければ終わりもない。あなたはこのチームが最も美しいと言い、私は別のチームだと言う。その決着をつける、誰もが認める物差しは、どちらにも出せない。
これは、1970年のブラジルだけに与えられた待遇ではない。同じ大会のイタリア対西ドイツの準決勝は、4対3、延長戦だけで5ゴールを数えた。後に「世紀の一戦」という呼び名が定着し、アステカ・スタジアムの外には、今もこの「世紀の一戦」を記念する銅のプレートが掲げられている。バンクスのあのセーブは、「世紀のセーブ」と呼ばれる。カルロス・アウベルトのあのゴールは、「史上最高のチームゴール」と呼ばれる。これらの称号は、例外なく、当時の試合記録に載っていた公式な表現ではない。後の人々が付け加えた、最上級の評価なのだ。
これらの最上級には、面白い共通点がある。ほとんどが、この大会に集中している。「最も美しいチーム」「世紀の一戦」「世紀のセーブ」「史上最高のチームゴール」。まるで1970年の大会が、サッカーについて考えられるあらゆる「最高」を独り占めしたかのようだ。それは必ずしも、1970年が本当に何から何まで史上一位だったからではないだろう。むしろ、世界中がカラー映像で同時に見た、最初のワールドカップだったからではないか。これほど多くの人に同時に見られたものだからこそ、これほど多くの人から、一斉に「最高」の称号を授けられる。この最上級の氾濫こそ、映像の時代が訪れた一つのしるしなのである。
最上級の誘惑は、ここにある。これで決着がついたという快感を与えてくれるのだ。議論はここまで、答えは決まった、と。だが、そこで決まったことにされるのは、もともと決められないものだ。どの試合が史上最高か、どのチームが史上最も美しいか、誰が史上最強かを測れる装置など、この世にはない。これらの言葉は結論のように響く。実際には、いつまでも決着のつかない議論に、耳当たりのよい言葉で、ひとまずふたをしているだけなのである。
それをはっきりさせるのは、1970年のブラジルを小さく見せるためではない。このチームは本当に素晴らしかった。全勝も、ゴールも、一つ一つの忘れがたい瞬間も、すべて本物だ。区別したいのは、その本物の価値と、後から付け加えられ、最終的な答えを出したかのように振る舞う最上級である。前者は事実、後者は評価だ。どれほど大勢が繰り返しても、評価が測定可能な事実に変わることはない。
評価を事実として扱うこの混同は、一見、害のないものに思える。だが、そこには気づきにくい罠が潜んでいる。「最も美しい」が定説として扱われると、後の人々はその定説に覆われ、自分で判断する余地を失いやすくなる。1970年のブラジルが最も美しいとみんなが認めているのだから、それに異を唱えるのはサッカーがわかっていない証拠だ、と考えるようになる。だが、サッカーを本当に理解するとは、数えられる事実と、言葉によって下される評価を見分けることにほかならない。そして後者については、同意しない自由を残しておくことなのだ。
最上級の本当の問題は、選んだ相手を間違えたことではない。終わらせるべきではない議論を、終わらせたふりをすることにある。美しさは、世代ごとに、それぞれが感じ、論じ、発見し直す必要があるものだ。今日、最も美しいと思うものがあっても、明日は別の美しさに心を動かされるかもしれない。この世代が極致としてたたえるものに対して、次の世代はまったく新しい基準を持つかもしれない。その絶え間ない評価のし直しは、本来、健全な営みであり、美しさを生き生きと保つものだ。だが「史上最も美しい」という一言は、ふたのように、本来いつまでも続くはずの議論を、一度で閉じてしまおうとする。流れ続け、開かれているものを、凝り固まり、答えの出たものだと言い張るのである。
これは、固定しようとする力と、流れ続ける力の、終わりのないせめぎ合いだ。人は美しいものをとどめ、封じ込め、永遠の、疑う余地のない場所に据えたがる。だが美しいものは、どうしても流れていく。世代ごとに新たに感じ取られてこそ、みずみずしさを保てるのだ。無理に一つの「最も」に固められた途端、それはかえって硬直し始める。拝むためにはあっても、もう感じ取るためにはない、標本になっていく。一方、現実のサッカーは、そんな称号には目もくれない。いつものように試合は続き、新しい美しさ、新しい偉大さを、次々と世界の前に差し出していく。
だから、1970年のブラジルが本当に史上最も美しかったのかと悩むより、この問いにはもともと答えがなく、答えを出す必要もないと認めたほうがよい。最も美しかったとしても、最も美しい数チームの一つだったとしても、このチームがあの心を揺さぶるサッカーを実際にしたことは変わらない。「最も美しい」という冠をかぶせても、外しても、変わるのは後世の順位づけの遊びだけだ。あのひと月に実際に起きたことは、一つも変えられない。実体のない「最も」を奪い合うことから心を離せば、かえって、あのチームのありのままの姿がよく見えてくる。
五 ペレにだって、入らなかったシュートがある
映像は、もう一つのことをする。偶然をそっと刈り込み、必然の形に整えてしまうのだ。
映像の中の1970年のブラジルは、優勝することも、神格化されることも、初めから決まっていたチームのように見える。だが、実際のあのひと月は、至るところに偶然があった。そのことを最もよく物語るのが、ペレの最も有名な二つのシュートである。そして、そのどちらも入らなかった。
一つは、グループリーグのチェコスロバキア戦で生まれた。ペレは自陣で、相手のゴールキーパーが前に出ているのを見つけ、超長距離のループシュートを放った。ボールは弧を描いてキーパーを越え、ポストのすぐ脇へ外れた。常識をひっくり返すような想像力だった。だが、外れた。もう一つは、準決勝のウルグアイ戦だ。トスタンのスルーパスに、ウルグアイのキーパーが飛び出す。ペレはボールの先へ出ながら、わざと触れない。キーパーの片側へボールを通し、自分は反対側から回り込んで、振り向きざまにシュートした。ボールは遠い側のポストの外へ逸れた。またも、思いもよらないひらめきだった。そして、また外れた。
この二つの入らなかったシュートは、後に、入ったゴールと同じくらい有名になった。だがそれらは、映像に覆い隠されやすいことを、私たちに思い出させる。誰もが最も偉大だと認める選手でさえ、その天才が最も鮮やかに光る瞬間に、失敗するのだ。あのループシュートは、あと少しで史上最も偉大なゴールの一つになっていた。その「あと少し」こそ偶然だった。入ることも、入らないこともありえた。そして、たまたま入らなかったのである。
これは、入ったゴール以上に多くを語っている。決まったゴールは、天才の必然として語られる。だが、あと少しで入りそうで、結局入らなかったシュートこそ、天才の本当の姿をあらわにする。天才もまた、偶然のただ中で必死に勝負しているのだ。ペレの偉大さは、ひらめきを毎回ゴールに変えたことにはない。普通の人なら考えもしないことを、何度でも大胆に試したことにある。その多くが、最後には枠を外れたとしても、である。その偉大さを百発百中の神業として語ってしまえば、失敗してもなお危険を冒す、あの生きた人間を、かえって消し去ることになる。
ブラジルというチーム全体も、同じではないか。6戦全勝ではあった。だが、その一勝一勝は、高地と暑さに繰り返し苦しめられるピッチで、現実に戦い取ったものだ。高地と暑さは、たしかにこの大会で広く認められていた難題だった。メキシコシティーは標高2,000メートルを超え、そこへ暑さが加わる。各チームは、これを最大の問題として受け止めていた。だからといって、ある試合の勝敗を標高や天候だけに帰してしまえば、それもまた、後からこしらえた単一の説明になる。実際の試合は、一つの要因だけで決まるものではない。無数の偶然が絡み合った結果なのである。
複雑なものを一つの理由で説明したくなる。この衝動に、映像はとりわけ陥りやすい。全勝したチームは、映像の中では、どの勝利も当然の成り行きで、実力が自然に結果になったように見える。だが、実際のどの試合にも、危うい局面、危険な場面があり、何か一つの偶然で、別の結末へ向かう可能性があった。それらをすべて消し去り、何にも阻まれずに突き進む王者だけを残す。それは映像の最も得意な美化であり、最も人を欺きやすいところでもある。勝利とは初めから決まっていたものではない。別の結果もありえた無数の瞬間を、幸運にも、必死にくぐり抜けて得たものだ。そのことを忘れさせるのだ。
この幸運を認めても、1970年のブラジルの偉大さは、少しも減らない。むしろ、もっと本物らしく、もっと尊いものになる。過酷なピッチで、負けに向かってもおかしくなかった無数の瞬間から、何度も勝利を奪い返すチーム。そのほうが、優勝を運命づけられたチームより、はるかに胸を打つ。決まっていた勝利には、物語がない。偶然の上に危うく成り立ち、いつ崩れてもおかしくなかった勝利だけが、振り返る私たちをひやりとさせ、敬服させる。映像が偶然をならして消すのは、このチームを持ち上げているように見える。だが実際には、その最も素晴らしい部分、不確かさの中で戦う勇気を、そっと取り去っているのである。
ペレのあの二つの外れたシュートは、その勇気を最もよく示している。安全を重んじる選手なら、自陣から思い切ってループシュートを放ちはしない。ボールに触れず、キーパーの反対側を回り込む危険な手に賭けたりもしない。そんなことを試すのは、平凡であることに満足せず、万に一つの驚異のために、危険を冒そうとする人だ。彼は失敗した。ボールは外れた。だが、失敗の危険を引き受けるその気概こそが、彼をペレにした。映像は成功の瞬間を記憶し、彼を神として祭り上げた。けれど、本当の、血の通ったペレは、失敗に終わり、枠を外れ、それでも途方もなく大胆だった、これらの試みの中にこそ隠れている。
この二つの外れたシュートは、世界中に記憶されたあのゴールよりも、サッカーの真実に近いのかもしれない。サッカーの真実は、百発百中ではない。十のうち八つか九つは実らず、たまの一つだけが的を射る。映像は、その当たった一つを選び出し、大写しにして必然に見せたがる。だが、切り落とされた八つ九つの失敗こそ、この競技の本当の地色なのだ。映像はそれらの偶然をすべてならし、全勝した、まるで最初から勝利を手にしていたかのようなブラジルだけを残した。
六 カルロス・アウベルトのあのゴール
映像の中に最も完全な形で封じ込められたのは、決勝でのカルロス・アウベルトのゴールである。
これは、しばしば「史上最高のチームゴール」と呼ばれる。その過程については、各種の回顧はおおむね一致している。攻撃はブラジルの後方から始まった。まずトスタンがボールの回収と展開に関わり、クロドアウドが自陣で何人ものイタリア選手を次々にかわす。続いてボールは左のリベリーノへ渡り、ジャイルジーニョが中央へ運ぶ。ペレがペナルティーエリアの手前でわずかに間を置き、右へ横パスを出す。そこへカルロス・アウベルトが右サイドから猛然と駆け上がり、ボールをとらえて強烈な一撃を放つ。ゴール。後方から前方へとつながった一連のパスは、すべてを押し流すようなミドルシュートで締めくくられた。
このゴールが胸を打つのは、このチームの最良のものを、十数秒に凝縮しているからだ。後方から段階を踏んで前進し、多くの選手が関わり、よどみなくつながっていく連係。一人の天才による独舞ではなく、チーム全体の合奏だった。
ここにこそ、このブラジルのいちばんの魅力がある。ペレという、世にまれな天才がいる。それでも、チーム最高のゴールは、一人の英雄が見せ場をさらうものではなかった。11人のうち何人もの選手が、後方から前方へ、一つずつつながりながらボールを進めた結果だった。それは、最高のサッカーが、一人の天才の独奏ではなく、腕利きたちの合奏であることを示している。一人のひらめきは、集団の流れに溶け込んでこそ、最も大きく輝けるのだ。
だが、これほど繰り返したたえられるゴールでさえ、記録は映像ほどすっきりしていない。得点時刻を86分と記すものもあれば、87分とするものもある。この攻撃の連続したパス交換の中で、ボールに触れたブラジル選手を7人と数える回顧も、8人とするものも、9人とするものもある。この食い違いは、重大な正誤を争うようなことではない。時間の記し方や集計の範囲が違うだけだ。だが、それこそが示している。映像によって完璧なものに固定されたこんな瞬間でも、細かく確かめ始めれば、その下にはまだ、割り切れない粗さが残っている。映像は、明快ですっきりした画面を与えてくれる。だが、その下で実際に起きた過程には、いつも画面そのものより多く、曖昧さのひだがある。
この曖昧さは、あのゴールの見事さを少しも損なわない。ただ、映像が示す、あの断言するような明快さには、いくらか偽りがあることを教えてくれる。もともと複数の説明がある一瞬を、まるで唯一で、精密な一枚の画面に固定してしまうのだ。見る人は、真実のすべてを見ていると思う。だが、得点が何分だったのか、何人がボールに触れたのかさえ、なお説明が分かれることを知らない。映像の明快さは、切り取られた後の明快さなのである。
あのゴールの伝説では、この切り取りはさらに先へ進む。何分だったのか、何人だったのかという曖昧さだけを切り落としたのではない。そのゴールの背後にあった、チーム全体の日々の練習まで切り落とした。広く流れる映像の中で、ゴールはひとりでに生まれたように美しい。天才たちが、その場の思いつきで力を合わせたかのようだ。だが、その自然さを支えているのは、繰り返し練習した動きであり、すでに磨き上げた呼吸である。あの瞬間にあの連係を実現するため、チームが誰にも見えない無数の午後に重ねた、地道な努力なのだ。映像は結果の華やかさばかりを好んで記録し、そこへ至る過程の不器用さや苦労は、記録しない。
だから、1970年のブラジルを、練習には頼らず才能だけで戦ったチームとして語るのは、怠惰なロマンにすぎない。たしかに、群を抜く才能はあった。だが、繰り返し磨き上げた仕組みも、明確な役割分担も、互いの呼吸もなければ、どれほどの才能を集めても、あのよどみない全体は生まれない。本当に得がたいのは、天才がいたことではない。天才たちを、一つの精密で美しい機械へと組み上げたことだ。ところが映像は、その美しさは撮りたがっても、精密さを支える単調な仕事は撮りたがらない。そうして才能は拡大され、苦労は見えなくなり、後の世に残るのは、天才たちの即興という神話になる。
ここには、さらにもう一つの層がある。広く流布した映像の中で、1970年のブラジルはしばしば、天賦の才と即興だけでプレーするチームとして語られる。華麗な連係はすべて、選手たちが試合中に思いついたものだったかのように。だが、後の戦術史家の多くは、その説明に同意しない。彼らがむしろ強調するのは、このチームが極めて入念に準備され、役割分担も極めて明確だったことだ。カルロス・アウベルトのあのゴールは、よどみない即興に見える。だが、その背後には、何度も練習したボールの運び方がある。映像は自然に生まれたような美しさを残しながら、それを支えた地道な努力まで、一緒に見えなくしてしまった。
七 永久に持ち帰られたトロフィー
1970年のブラジルは、三度目の優勝によって、他のどこにもできなかったことを、もう一つ成し遂げた。
当時の規定では、ワールドカップで最初に3回優勝した国が、ジュール・リメ杯を永久に保有できることになっていた。1970年、ブラジルは史上初めて3度の優勝を達成し、このトロフィーを永遠に自分たちのものにしたチームとなった。本来、国から国へ渡り、それぞれに掲げられるはずの持ち回りのトロフィーが、一つの国のもとに、永久にとどまることになったのである。
それは、円満な結末に見える。一つのチームが三度頂点に立ち、最高の栄誉を象徴するトロフィーを、完全に自分のものにする。物語はここで、完璧な終止符を打たれたかのようだった。
一時代の輝きに終止符を打ち、それを二度と揺らがない形で封じ込めたい。その衝動は、よくわかる。一つのチームが3度の優勝を果たし、頂点を極める。そんな栄光に、永遠の、動かしようのない居場所があってほしいと思わない人がいるだろうか。トロフィーの永久保有は、まさにその衝動が形になったものだ。これは極致に達した。もう最終的な評価を下せる。これ以上争う必要はない。そう告げているかのようなのである。
だが、その終止符は、本当には何も終わらせなかった。ジュール・リメ杯は持ち帰られたが、ワールドカップは止まらなかった。新たなトロフィーが作られ、古いものを引き継いで、国々の間で争われ続けた。「永久に保有する」ことで動かぬものにしようとした終局は、結局、新しいトロフィーを生み出させ、次の争いを生み出させただけだった。流れるものを、これで最後と固定しようとする。その結果は、流れが止まることではなく、新たな巡りが始まることだったのである。
これは、永遠や最終的な決着を求める、あらゆる努力に共通する運命なのだ。持ち回りのトロフィーの意味は、そもそも持ち回られることにある。次々と別のチームに掲げられ、そしてまた手放されることにある。一つのチームが永久に手元へ置けば、それはもはや、巡りを担うあのトロフィーではなくなる。だから、新しいものを作り、その巡りを続けるしかない。循環を終わらせようとする行為は、結局、循環の担い手を取り替えるだけに終わる。循環そのものは、一瞬も止まっていない。
永久に持ち帰られたあの金杯が後にたどった道は、このすべてに、意味深い脚注を添えるようなものだった。最高の栄誉を担うトロフィーも、一つのチーム、一つの国の私有物として確定されれば、流動する象徴から、具体的な財産へと変わる。そして財産には値がつき、人から狙われ、盗まれることもある。栄誉が所有できる実体へと固められれば固められるほど、実体に付きまとう厄介事を、避けがたく抱え込む。これは、この年サッカーが売買できる映像として扱われ始め、放映権契約に収められていったのと、実は同じ道である。財産として扱うのが最もふさわしくないものが、少しずつ財産へと変わっていくのだ。
この変化は、この大会のあらゆる華麗な映像と、最上級の称号の下を、最も深く流れているものだ。サッカーはもともと、人々がピッチを走り、純粋に勝敗を競う遊びとして生まれた。だが1970年には、もう一つの顔を持ち始める。放送でき、売ることができ、永久に所有できるもの、という顔だ。金杯に収められた栄誉も、カラー映像の中にしまわれた試合も、この新しい顔のしるしである。最も純粋なものが、最も高く売れるものへと変わりつつある。その二つの間にある緊張は、後の歳月の中で、ますます強く張り詰めていく。
そして、永久に持ち帰られたトロフィーも、後に、意味深い脚注となった。最高の栄誉とされ、一国がうやうやしく保管する金杯。その価値は、これほど重いものだった。だが結局のところ、それもまた、持ち帰ることができ、保管でき、さらには誰かに狙われもする、一つの物である。栄誉が、誰かの所有に帰するトロフィーに固められると、そこには財産としての性質も宿る。それは、この年サッカーがカラー映像に収められ、放映権として売られ始めたことと、実は同じ事態の異なる側面なのだ。最も純粋なものが、少しずつ、所有でき、売買できるものへと変わっていく。
八 結び
ここまでの話を、一つにつないでみよう。
1970年、ブラジルは三度目のワールドカップ優勝を果たし、後世に広く「最も美しい」と認められるチームを残した。だが、この大会の本当の転機は、衛星を通じて世界中へ届いた、あのカラーの画面に潜んでいた。この年から、サッカーはもう一つの存在の仕方を持った。一度行われれば消える、偶然に満ちた試合に加えて、無限に再生でき、世界中へ伝わり、何度もたたえられる映像を持ったのである。
この第二の存在は、贈り物であると同時に、難題でもある。贈り物であるのは、消えやすい美しさをとどめ、後の人々にも味わわせてくれるからだ。難題であるのは、それが試合そのものだと、あまりにも簡単に取り違えられてしまうからだ。その映像を繰り返し見るほど、人は忘れやすくなる。映像は真実と同じではない。封じ込められたものが、すべてではない。たたえられた「最も美しい」も、測定でき、最終的な決着をつけられる事実ではないのだ。
そして、この映像の下、「最も美しい」という王冠の下、ますます大きくなるビジネスの下にいるのは、失敗し、年を取る、生きた人間たちである。ペレには、外れたループシュートがあり、キーパーをかわしながら枠を外したひらめきがある。永遠と呼ばれたチームの一人一人も、いずれ老い、表舞台を去り、新しい偶像に取って代わられる。映像は彼らを不朽の姿に固定した。だが、その像の外側で、彼らは他の人々と同じく、偶然の中で必死に勝負し、時とともに衰えていく、一人の人間だ。カメラに封じ込められたのは、彼らが最も輝いた一瞬である。その一瞬の外に広がる、彼らが血の通った人間として実際に歩む長い人生のほうが、かえって、この華やかな映像の後ろに隠されやすい。
だから1970年が後世に残したのは、「最も美しい」と呼ばれるチームだけではない。サッカーが第二の存在を持ち始めた、その出発点だった。カラー映像、世界規模の放送、商業的な放映権が組み上げた、サッカーの巨大な鏡像である。ここから、人々が愛し、たたえ、論じ、売買するもののかなりの部分は、一度行われれば消える試合ではなく、その決して消えない影になった。
サッカーの本来の姿を見極めるためには、忘れずにいなければならない。その消えない影の背後には、ただ一度だけ起き、二度と戻ってこない本当の試合が、必ずある。影は繰り返し見られ、順位をつけられ、売買される。だが本当の試合は、終われば過去になる。誰にも取り戻せない。まして、これで永遠に決まりだという「最も」を、与えることなどできない。
この映像は、三つのことをした。あの素晴らしいブラジルを永遠の記念碑に固め、「史上最も美しい」と名づけた。あのひと月の無数の偶然、ペレが放った二つの枠外へのひらめき、高地と暑さに繰り返し苦しめられたピッチを、すべてならして消し、勝つことを運命づけられたかのようなブラジルだけを残した。そして、本来は一回限りの純粋な営みだったものを、送ることができ、保存でき、売買できる物へと変えた。
それでも、映像に封じ込められたこの「最も美しい」は、あの試合そのものではない。「最も美しい」は測れない。その言葉が約束する永遠の一位とは、決着のつかない議論を、美辞麗句でひとまず覆ったものにすぎない。偶然をならして消すこともできない。最も偉大な選手にだって、外れるシュートがあり、失敗する瞬間がある。金杯の中に、映像の中に収められたあの純粋さも、それで誰かが本当に所有したわけではない。ワールドカップは変わらず続き、新しいトロフィーは変わらず争われる。次に「最も美しい」と呼ばれるチームも、どこかで育ちつつある。
映像はサッカーに、ほとんど永遠ともいえる姿を与えた。だが、サッカーそのものは、もともと永遠ではない。一回限りで、偶然に左右され、失敗し、新しい物語に次々と覆われていく。カメラに固定され、最上級の言葉で封じ込められるその瞬間は、終着点に見える。だが、本当の終着点だったことは一度もない。本当の試合は、終われば過ぎ去る。残された映像の中で、すべてに決着をつけるかのような「最も美しい」は、また一つ、閉じられない問いが、閉じられた答えとして語られたものなのである。
次の「最も美しいチーム」は、また現れる。次のトロフィーは、また争われる。誰にも「最も美しい」という言葉を、ある一つのチームに永遠に釘づけにはできない。映像は何度でも、一つのチームを、超えることのできない永遠へと祭り上げるだろう。そして現実のサッカーもまた、次のチーム、次の息をのむ瞬間によって、その「永遠」を何度でも、そっと覆すだろう。称号は死んでいる。サッカーは生きている。固定された「最も」が封じ込めるのは、すでに過ぎ去った輝きだ。一方、生きているサッカーは、まだ名づけられていない次の輝きを、いつも育んでいる。循環は止まっていない。今も回り続けている。