Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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100 / 108 · 他者と空席

レヴィナス――顔

他者は、私が世界を理解するための対象だけではない。まだ理解していない相手に、すでに責任を負っているのではないか。顔が突きつけるのは倫理的な要求であり、視線で暴力を止める保証ではない。

一、五年間の捕虜収容所

一九四〇年六月。フランス、レンヌ。フランス軍の抵抗が崩れようとしていた。

軍の通訳の一人は、三十四歳で眼鏡をかけていた。いくつもの言語を話す、リトアニア生まれのユダヤ人。一九三一年にフランス国籍を得た人だった。名はエマニュエル・レヴィナス。

ドイツ軍は彼をフランス軍人として捕らえた。のちにドイツの捕虜収容所に送られ、スタラグXI-Bの管轄下に置かれる。捕虜という身分は、彼にとって決定的な保護となった。ただし、それは誰にでも通用する安全の保証ではなかった。ナチスはユダヤ人捕虜を隔離し、辱め、労働力として使役した。捕虜の扱いは国籍によっても大きく異なった。レヴィナスの場合、その身分が、一般のユダヤ人市民に加えられた移送と絶滅から彼を守る一つの層になった。

そのころ、リトアニアの家族には別の運命が訪れていた。父。母。二人の弟。全員がホロコーストで殺された。一九四一年のドイツ軍による占領後、リトアニアのユダヤ人たちは大規模な銃殺の犠牲となった。コヴノのゲットーは、虐殺、強制労働、移送を経て、一九四四年に最終的に破壊された。

レヴィナスは収容所に隔てられていた。森林での作業など、強制労働に従事した。ユダヤ人捕虜はほかの捕虜と区別された。周囲の人々の眼差しは、生きている人間を、まるで人間ではないかのように扱うことができた。制度は彼の命を残した。しかし、それによって彼の尊厳のすべてを認めたわけではなかった。

そこで五年近くを過ごした。ほぼ五年。およそ千八百の昼と夜。

そんな日々にも彼は本を読んだ。プルーストを読み、哲学を読み、ノートをつけた。捕虜時代の手帳は、のちに独立した形で刊行される。その時期に育てられた思考は、一九四七年の『実存から実存者へ』にも流れ込んだ。これが最初の著作だったわけではない。一九三〇年にはすでに、フッサールを論じた博士論文を出版していた。

戦前のヒトラー主義についての考察から、捕虜生活を通り、戦後へと道は続いていた。経験が完成済みの答えを手渡したのではない。ある問いを、もはや脇へ置けなくしたのだった。

少しずつ輪郭を現した問いを、こう言うことができる。

西洋哲学の強力な一つの伝統は、「存在とは何か」を中心に据えてきた。古代ギリシアからハイデガーまで、世界を理解し、人間の存在を理解することが、ほかのあらゆる問いの前提に見えた。レヴィナス自身、その伝統の内側で学んだ。

それは哲学の最も高い問いに思える。しかし彼はやがて問う。私があなたを理解し始めるより前に、すでに何かが起きているのではないか。

私はまだ、あなたが誰なのか知らない。どの分類に入るかも決めていない。けれど、あなたはもうここにいる。私はあなたに対して、どのような責任を負っているのか。この問いは、私の知識が完成するまで待っていられるのか。

中心にあるのは存在ではない。他者である。

これは、存在を研究すれば必ずナチズムに至るという意味ではない。西洋哲学全体が殺人を命じたという話でもない。彼が揺さぶるのは、別の確信だ。世界さえ十分に説明できれば、ほかの人々もその説明の中に適切に収められる、という確信。もし一人の人間が私の世界の一部分としてしか現れられないなら、その人が私の世界に異議を申し立てる場所は、どこにあるのだろう。

その後の仕事を通して、彼は幾度も哲学をこの問いへ連れ戻すことになる。

二、家

一九四五年五月。ドイツが降伏した。レヴィナスは五年間の捕虜生活から解放された。三十九歳だった。

自由は戻ってきた。だが、以前の暮らしまで一緒に戻ってきたわけではない。家はどこにあるのか。

カウナスは幼年時代の町だった。そこはソ連の占領、ドイツの占領、隔離、銃殺、移送を経験していた。第七要塞、第九要塞。町の周囲の場所を示していた名前が、大勢の死者の眠る場所の名前になっていた。

父。母。二人の弟。その具体的な人たちは帰ってこない。かつて彼に話しかけることのできた人が、もう答えられない。町は建て直せる。通りに人が再び暮らすこともできる。しかし、子どもだった彼を知っていた人が、それだけで食卓の席に戻ることはない。

妻ライサと娘シモーヌは生き延びた。友人で作家のモーリス・ブランショが、迫害から逃れるための手助けをした。娘は修道院にもかくまわれた。彼女たちが助かったのは、抽象的な仕組みが自動的に働いたからではない。危険の中で、手を差し伸べた人がいたからだった。

レヴィナスはパリに戻り、妻と娘に再会した。

幼いころの家庭をつくっていた最も近しい人々を失った。一方で妻と娘との生活を再開し、のちには息子も生まれた。新しい日常は、昔の喪失を埋め合わせる代金ではない。悲しむことと、暮らし続けることは、同時に起こりうる。

彼はのちに収容所のことを書いた。「犬の名、あるいは自然権」では、犬のボビーが捕虜たちを迎える。周囲の人間が彼らを人として認めないとき、動物が親しみをもって近づいてきた。人間の尊厳は、ただ厳かな言葉としてあるのではない。人間が拒み、一匹の犬が与える挨拶の中にも現れる。

しかし、彼の仕事は回想だけではなかった。『実存から実存者へ』から『全体性と無限』、そして一九七四年の『存在の彼方へ』へと、思考は変わり続ける。最後の本の献辞は、殺された近親者たちを、六百万人のユダヤ人の死者と、憎悪のほかの犠牲者たちの中に記憶する。

最も近しい人たちは、人類の死者の総数に呑み込まれない。献辞には家族の名がヘブライ語でも残されている。想像することさえ難しい数百万という数の前で、名前は一人ひとりの、取り替えのきかない人をそこにとどめる。

ここで追悼と哲学が触れ合う。両親や弟を論証の材料に変えるのではない。哲学が「人間」を語るとき、実際に生きたその人を見失わないようにするのである。

論証は死者を帰らせない。次の暴力を必ず止めることもできない。しかし誰かが「この人は犠牲にしてよい」と告げたとき、問うことはできる。その権限を、誰があなたに与えたのか。あなたの目的や計算に先立って、その人はすでに、あなたの所有物ではなかった。

彼は四十年以上をかけ、この問いを書き続けた。

三、顔

レヴィナス哲学の核心にある言葉は、「顔」である。フランス語ではヴィザージュ。

目や鼻や口を足し合わせたものではない。誰かの目を数秒見つめるための技法でもない。他者が私の前に現れ、私に要求を向けてくる、そのあり方を指している。

人を観察し、描写することはできる。だが、その人は描写の付属品にはならない。私に話しかけることができる。私がその人について下した結論を、中断することができる。

説明するのが難しいのは、それがあまりに基本的だからだ。それよりさらに基本的な何かを持ち出して説明することが難しい。それでも、試してみよう。

あなたは見知らぬ人を見る。年齢、服装、表情、職業についての推測。情報はすぐに整理される。「三十歳くらいの男性。地下鉄を待っているらしい」。分類そのものが間違っているとは限らない。問題は、それでその人のことを理解し尽くしたと思うかどうかだ。

ところが、その人が突然助けを求めるかもしれない。あなたの判断に異議を唱えるかもしれない。あるいは、あなたが少し立ち止まり、今の分類がこの人そのものの代わりにはならないと気づくかもしれない。これは「顔」へ近づく入口であって、必ず同じ反応を生む心理実験ではない。

その人は、その人自身である。「三十歳くらいの男性」は正しい記述であっても、その人のすべてではない。医師には年齢、病歴、検査結果が必要だ。資料が必要だということは、ベッドに横たわっているのが資料の束だけだということではない。

では、現実のその人とは誰なのか。あなたの言葉では完全には記述できない存在。自分の内面をもち、自分の過去と未来をもち、苦しみと喜びをもち、この瞬間を自分で経験している存在。あなたに似ているが、あなたのものではない存在。

この「あなたのものではない」が大切になる。彼はあなたの延長ではない。あなたの対象でも、道具でもない。持ち上げて使えばよい物ではない。彼は彼自身なのだ。

その事実が、顔を通して私に現れる、とレヴィナスはいう。単に「誰もが尊重に値する」という一般論に賛成するのではない。具体的な一人を前にして、私の自由が問いにさらされる。消されずにいるために、その人は有用さや好ましさ、賢さを先に証明する必要はない。この要求を、彼は一つの言葉に凝縮する。

「私を殺してはならない」。

それは倫理的な要求であって、顔の筋肉が発する音ではない。赤ん坊も、老人も、見知らぬ人も、敵も、愛する人も、私の好き嫌いだけで存在を取り消されてよいわけではない。目の見えない人、話せない人、こちらを見返すことのできない人にも、顔はある。視線を合わせる能力や認知能力についての入場試験は、ここにはない。

それでも人間は、知っている人を殺すことができる。「敵」「異端者」「障害」「付随的損害」。そんな呼び名が、目の前の命を迂回する助けになることがある。宣伝、命令、距離も、加害を容易にする。だが、だからといって、すべての殺人者が被害者の顔を見ていなかったことにはならない。

顔は銃弾を防いではくれない。

レヴィナスのいう抵抗は、まさに銃より強い力ではない。傷つきやすい人は私を止められないかもしれない。それでも、私の暴力を問いに付す。「してはならない」は、私にそれが可能だからといって、「してもよい」にはならない。

ここで彼は、倫理の出発点を置き直す。自己完結した規則をまず用意し、そのあとで目の前の人をどこに収めるか考えるだけでは足りない。規則は、この人からの問いを受け続けなければならない。他者は、制度が一通り動いたあとで検討する追加項目ではない。

これは、法律や権利や制度が不要になるという意味ではない。目の前の人のほかに第三者がいる。等しく守られる必要のある人々がいる。ぶつかり合う要求をどう比べ、限られた資源をどう配るか。公共的な判断は依然として必要だ。顔は、判断が誰のためにあるかを思い出させる。判断する責任を免除するのではない。

だからレヴィナスは、倫理こそ第一哲学だという。知識が無用なのではない。知識は、それだけで他者を無制限に処分する権限を自分に与えられない。この優先は倫理的な優先である。誰もが時間の順序として、出会いを経験してから考え方を学ぶという意味ではない。

四、ハイデガー

一九二八年から一九二九年、レヴィナスはドイツのフライブルク大学にいた。二十二歳。それ以前はストラスブールで哲学を学んでいた。フライブルクへ来たのは、フッサールのもとで現象学を学ぶためだった。しかしそこで、十七歳年上の哲学者が、この学問の方向を変えつつあった。マルティン・ハイデガーである。

レヴィナスは講義を聴き、一九二七年に出た『存在と時間』を読んだ。影響は深かった。本棚に置いておく一つの学説ではない。人間が世界の中で生きること、時間に関わること、死を前にすることを、新しく考えさせる思想だった。

フランスへ戻ると、彼はフッサールとハイデガーの重要な紹介者になった。執筆と翻訳を通して、その思考の道筋をフランスの哲学的議論へ運び込んだ。

そして一九三三年が来る。五月二十七日。フライブルク大学の学長就任講演。ハイデガーは演壇に立っていた。五月一日には、すでにナチ党へ入党していた。

講演の題は『ドイツ大学の自己主張』。学識に富む話だった。ギリシア語を引き、知の奉仕、労働の奉仕、国防の奉仕という三つの奉仕を語った。ドイツの大学はドイツ民族の運命に奉仕すべきだ、と述べた。

重要な哲学者が、公の立場からナチ体制に自分の権威を貸していた。その瞬間、何が起きたのか。

このシリーズの橋を借りて、その選択を想像してみよう。ここからの道は、記録された彼の内心ではない。一つの寓話である。

橋の向こう端は、いつも遠い。そこにカントがいる。しかし橋だけが方向ではない。橋とは反対のほうにも道がある。その道にも人が歩いている。

橋の外の道では、違いが障害に変わり、排除が解決に変わる。歩く者たちは、信仰を守るためだ、命令に従うためだ、歴史的使命を果たすためだというかもしれない。だが、どれほど壮大な理由も、傷つけられる人の代わりに答えることはできない。

その道は、誰もが手段に還元されうる場所へ続いている。他者が文字どおり消えてしまったのではない。消えつつあるのは、「あなたは私の道具でも、邪魔物でも、取り除ける何かでもない」と認める意志だ。

その場所を、手段の王国と呼ぶ。そこでは関係が、利用と命令と排除にますます似てくる。その道を歩く者も、同じ権力に呑まれることがある。しかしそれは、運命が自動的に執行する正義ではない。加害者が逃げ切ることもある。無実だからといって被害者が傷つかずに済むわけでもない。

私たちは共同生活のこの悪化を、天候として描く。いつまでも降りやまない暴風雨として。

ハイデガーは歩き、立ち止まった。彼はカントを読んでいた。難解な哲学を説明できた。人間の尊厳という考えを、聞いたことがないわけではなかった。だが知識は、必要な一歩を代わりに踏み出してはくれなかった。

彼は止まった。その道で一人の男が右腕を高く上げ、早く来いと合図していた。その人物に特定の名はない。どの時代にも繰り返される誘いを表している。私たちに加われば、邪魔な人間の話をもう聴かなくてよい。腕は高く掲げられ、ためらいのない道を指し示しているかのようだった。

ハイデガーは、その男と橋の間にいた。ためらった。

彼は具体的なユダヤ人を知っていた。師のフッサール、教え子のレヴィナス。彼らは本の中の抽象的な用語ではなかった。知っていることは、それでも彼の公的な選択を止めなかった。想像の中で腕が上がる。実際の彼がこのようにためらったかは分からない。何に加わったかは分かっている。

史実に戻ろう。ハイデガーは一九三四年に学長を辞任したが、ナチ党を離れなかった。戦後も、政治的責任に十分応える公的な総括をしなかった。『存在と時間』のフッサールへの献辞は、一九四一年版から姿を消した。思想上の継承と政治的な選択が、自動的に同じ方向を向き続けるわけではなかった。

彼の私的な哲学日記である『黒ノート』は、二〇一四年から刊行され、そこには思考の構造に組み込まれた反ユダヤ的な言明があった。時代に流されて一時的に口にした言葉だけではない。考えられた立場だった。

ここで私たちは、難しいことをしなければならない。二つとも本当だと認めなければならない。

ハイデガーは哲学に重大な貢献をした。『存在と時間』は二十世紀の多くの議論を変えた。技術、言語、真理をめぐる思索は今も影響を残している。それは、彼のすべての命題が正しいということではない。まして思想上の業績で政治的責任を相殺してよいということではない。

彼のナチズムへの関与も、同じく現実だった。入党、学長講演、ノートの反ユダヤ的な思考を、「そういう時代だった」の一言で消すことはできない。二つの真実は一人の人間に属している。その同じ生の中で起きた。

その選択は、判断されてよいし、判断されるべきだ。公的な行為は他人を傷つける。単なる私事ではない。しかし行為を裁くために、その人を一語に縮める必要はない。思想を認めるために、被害者へ赦しを要求する必要もない。

橋の外の嵐は、誰もが使い捨てにされうる関係の比喩だ。現実の被害者が担ったものは、一つの比喩よりはるかに重い。その苦しみを、哲学者の内面劇に書き換えることはできない。それが彼の選択だった。それがその雨の天候だった。

そしてレヴィナス。一九二八年、フライブルクの演習で敬意をこめて熱心に聴いていた、あのユダヤ人学生は、その選択に、生涯の哲学的仕事をもって応答した。

彼はハイデガーを批判しながら、その問いの重圧のもとでも考え続けた。単に道標を取り替えたのではない。その思想の道に十分な場所を与えられていなかったものを問うた。

ハイデガーは存在の意味を問う。レヴィナスは、その問いに先立つものとして、他者から私への倫理的要求を置く。前者では、私の状況、可能性、有限性が大きな意味をもつ。彼はそれらを否定しない。ただ、他者を理解するのに、私自身だけを出発点としてよいのかと尋ねる。

自分の死に向き合うことと、他人の死によって心を動かされることは、同じ経験ではない。彼は後者の重さを持ち込む。「私はどう死ぬか」だけでなく、「あの人の死は私に何を問うか」。

これは、すべての命題を機械的に裏返すことではない。存在を中心に置けば必ずナチ党を選ぶという話でもない。哲学に対する厳しい問いなのである。これほど深い思想が、なぜ他者を見捨てる一人の人間を止められなかったのか。

彼の答えは、哲学の重心を移すことだった。思考は善を保証しない。しかし倫理の問いに応じなければならない。どこへ移すのか。他者の顔へ。

五、無限の責任

レヴィナスの倫理には、初めに聞くと過剰に思えるところがある。他者が私に求める責任は、無限だというのだ。「合理的な」責任ではない。「できる範囲の」責任でも、「釣り合いのとれた」責任でもない。無限である。

どういう意味だろう。顔があなたに求めることは、どんな具体的な応答によっても完了しない。飢えた人に食べ物を渡す。道に迷った人を案内する。病む人の世話をする。それぞれが応答であり、よい行為だ。それでも、その一つをもって顔の要求を永久に済ませたことにはならない。

できる限りのことをしても、なお負い目は残る。過剰で、恐ろしくさえ聞こえる。レヴィナスは責任を気楽なものとして書いていない。「人質」という重い言葉も使う。この思想に異論や困難がないふりをする必要はない。

彼がまず拒むのは、相手が署名して初めて有効になる契約としての責任である。誰かが助けを求めるとき、将来同等の助けを返してくれる証拠を、先に要求することはできない。

一度助けたことも、永遠に「すべて支払った」と言う権利を買い取らない。人は複雑だから無限の請求書が発生する、という計算ではない。他者の呼びかけを、私の自己満足だけで完全に清算することはできない、ということだ。

それが無限という意味になる。完璧になれというのではない。失敗すれば罪人だというのでもない。要求の構造そのものが開かれていて、閉じ切らないのである。

ただし、実際に何ができるかは現実の事情に戻って考えなければならない。介護する人にも休息が要る。傷つけられている人は、その場を離れてよい。自分と子どもを守らなければならない人もいる。こうした境界は、他者を「それ」に変えて切り捨てることではない。

レヴィナス自身も第三者について語る。私と目の前の人だけがいるのではない。別の人も助けを必要としている。しかもその人は、目の前の相手によって傷つけられているかもしれない。だから責任は、比較、正義、法、制度を求める。一人の要求を無制限に満たすことではない。

病棟に空きベッドが一つしかない。私が先に見たというだけで、その患者以外を永久に外へ置くわけにはいかない。配分には規則が必要になる。その規則も、ベッドの上の人を番号だけにしてはならない。

取り替えのきかない人と、それでも下さなければならない公共的判断。この緊張は簡単には消えない。「手続きには問題がなかった」で問いを終わりにしにくくすることが、レヴィナスの力である。同時に、無限責任が、最もよく世話をする人々から無限に取り立てる仕組みにならないためにはどうするか、と問う理由もある。

橋は、一人を押し潰して別の一人の足場にする場所ではない。他者のために場所を空けることは、ほかにも多くの他者がいる事実を引き受けることでもある。無限の責任は、自分の高潔さを証明する勲章ではない。都合よく消せない問いを残すのである。

六、ユダヤ教

レヴィナスが読んだのは哲学だけではない。生涯を通してタルムードも読み続けた。

タルムードにはミシュナと、それをめぐる議論が含まれる。法、物語、解釈、論争。何も決めずに続くだけの注釈ではない。判断を下しながら、異なる多くの意見も保存する書物である。

一九六〇年から、彼はフランス語圏のユダヤ人知識人の集まりで、タルムードの講読を行うようになった。その仕事は長年続き、複数の著作にまとめられた。

それは彼の哲学とどう関係するのか。彼にとって読むとは、古い一文を現代の標語へ変換するだけのことではなかった。別の解釈者の声が、私の確信を中断するのである。

議論の中には、最終的な決定にならなかった意見も残っている。後の読者は、結論がどんな反対に向き合ったかを知ることができる。決めることと、異論を記憶から消すことは、同じではない。

そこに一つの倫理的な練習を聞き取ることができる。私には私の解釈がある。しかし別の人の問いが、なおそこにいる。その問いは判断の放棄を求めるとは限らない。もっと丁寧に言い直すよう、私を促すかもしれない。すべての声を足せば自動的に真理になるのではない。ただ、最後の言葉を私の声だけが独占してはいない。

それは、意見の違いを消すこととは反対の営みだ。だからといって、この伝統全体が権威も排除も最終判断もない完全な世界だったことにはならない。伝統を尊重することには、その完全さを捏造しないことも含まれる。

離散、迫害、少数者として生きることは、ユダヤの歴史の重要な経験である。安全に身を置ける場所への要求を切迫させる経験だ。しかし、ある民族が他者を決して傷つけないという保証を自動的に与えはしない。傷つけられた人々も、自分たちが権力をもつときにどう行動するかを問われる。

レヴィナスはイスラエルを支持した。彼の哲学と、具体的な政治判断との関係は、常に滑らかだったわけではない。一九八二年のサブラ・シャティーラの虐殺後、ラジオの対談で、パレスチナ人こそイスラエル人にとっての他者ではないのかと尋ねられた。彼の答えは、敵、他人を傷つける人、そして正義の判断へと向かった。

その応答は長く批判と論争を呼んだ。何の亀裂もない普遍的な抱擁へと書き換えることはできない。逆に、一つの民族は生まれつき顔をもたないと彼が宣言した、と言うこともできない。難しさはもっと鋭い。具体的な人が敵と見なされたとき、取り消せないはずの要求は、政治的判断の中でどれほど生き残るのか。

私たちはこの問いを開いたまま彼を読める。顔を書いた人だから、あらゆる場面で顔を十分に見たはずだ、と決めつけずに。偉大な思想も、自分で他人に課した試練を受けなければならない。

自分と異なる人のために場所を残すこと。とりわけ自分が相手を傷つける力をもつときに。この要求は、読む人だけでなく、書いた人にも向けられている。

七、目的の王国

ここで一つ、言っておこう。前の三篇では、まだ直接には言わなかったことだ。時機が来ていなかった。橋の最も遠い端に、一人をずっと立たせてきた。だが、その人の立つ場所が何と呼ばれるかは、まだ言っていなかった。

いま、その名を言う。目的の王国である。

カントは一七八五年の『道徳形而上学の基礎づけ』で、この概念を展開した。理性的存在者たちが共通の法則によって結ばれ、それぞれが同時に目的として扱われ、決して単なる手段にはされない。義務や規則がなくなるのではない。どんな法則なら、ともに従うに値するかを問うのである。

一人ひとりを目的として扱う。ただ手段としてだけ扱わない。

その王国でも人は協力し、助け合い、互いのために働く。すべての有用な関係が拒まれるのではない。拒まれるのは、一人の人間の価値のすべてを、私にとっての有用性に縮めることだ。

現実にある国家の説明ではない。歴史が必ず従うと保証された予定表でもない。現実を判断するための方向である。制度が効率的になればなるほど、それが誰を省いてよい人として扱っているかを、問わなければならない。

ケーニヒスベルクに暮らした教授は、この方向を哲学に残した。彼を橋の遠くに置くのは、後の思想家を全員そこへ出頭させるためではない。それぞれの生が、その問いを照らせるようにするためだ。その標識は二百年以上、遠くに立っている。

『Great Lives』の百八人は、さまざまな時代を横断する。ヒュパティア、トマス・アクィナス、ベルクソンは、それぞれ違う場所から近づいてくる。異なる信仰とともにある学問。自らの限界を認める思考。迫害に応じる一人の人間。誰もがすべてを完璧に成し遂げている必要はない。同じ一つの学説に属しているわけでもない。

レヴィナスは、この問いに簡単には置き去りにできない重さを加える。カントは、人を単なる手段として扱ってはならないと求める。レヴィナスは、まだ理解していないその人が、すでに私に何を求めているかを問う。

互いを照らすことはできる。同じ命題になるのではない。カントが重んじるのは、自律、普遍的法則、理性的主体の共同立法だ。レヴィナスの無限責任は、「あなたも私に同じだけ負っている」を私の応答の前提にすることを拒む。その非対称性は消せない。

一方は、誰も他人の恣意的な意志に支配されてはならないと思い出させる。もう一方は、私たちの自己完結を中断する。責任は、いつも私が先に同意してから始まるのではない。違いは残る。二人を同じ橋に置くのは、このシリーズの比較による読みであって、哲学史上の等号ではない。

ここで関心を寄せる共通の方向は、一人の人生を、別の一人の目的だけに合わせてすべて配置してはならない、ということだ。

そこには独自の天候がある。暴風雨ではない。晴れた空と穏やかな風。

病気も、死も、喪失も、利害の衝突も、難しい判断もなくならない。互いに場所を残すことは、誰も傷つかない保証ではない。傷つけることが起きても、相手がなお「いやだ」と言え、訂正と責任追及への道が残っている、という意味である。

その天候は善行への褒美ではない。ともにつくりたい生活条件の姿だ。誰もが「何の役に立つ」としか問わなくなれば、空気は狭くなる。「こう生きたくない」と言っても、聴いてもらう資格を奪われないなら、そこに少し空間が開く。

これは随筆の中の天候であって、歴史が必ずよくなるという気候法則ではない。カントは目的と法則で語り、レヴィナスは顔と責任で語る。私たちは風と雨を借りて、その問いを日々の感覚へ戻そうとする。

世代ごとに、自分たちの言葉で言い直す。どの世代も、もう一度それを聴く必要があるからだ。

八、橋

想像の橋へ戻ろう。レヴィナスが近づいてきたとき、夜になっていた。背は高くない。眼鏡をかけ、暗い色のスーツを着ていた。私たちは老年の静けさとともに彼を歩かせる。これまで、どれだけの顔が彼の前を通ったことだろう。それでも彼は、見るという仕事を終えたとは思っていなかった。

橋の中ほどに着いた。ヒュパティアがいた。手にはまだアストロラーベがあった。向かい側にアクィナスが立ち、手には何も持っていなかった。ベルクソンは杖をつき、軽くうなずいた。

レヴィナスはベルクソンにうなずき返した。それからヒュパティアに、アクィナスに。あまり近くまでは寄らず、橋の中ほどに場所を見つけて立った。

遠い端にはカントが立っていた。今夜はいつもより少しはっきり見えた。輪郭が分かり、おおよその体つきが見えた。それでも近づいてはこなかった。こちらへ来ることはない。だが、そこにいた。

橋の反対側、外へ続く道のほうでは、空が暗くなっていた。稲光。その道を、人々が歩いていた。最も足の速い者たちは、もう見えなかった。遠くへ行きすぎ、嵐の深いところに入っていた。

近くの道には、教授のガウンを着た一人の男が見えた。立ち止まり、歩き、また立ち止まった。橋のほうを見なかった。その男はハイデガーだった。

道の上で、一つの人影が右腕を上げ、先へ来いと招いていた。闇の中に読める名前はなく、仲間に加わるよう促す動作だけがあった。

ハイデガーは、腕を上げた男と橋の間に立った。ためらった。レヴィナスを見た。

レヴィナスは橋の中ほどにいた。ハイデガーの責任を取り消してはいなかった。もはや人間ではないと宣告してもいなかった。橋には、他者へ向き直るための場所を残すことができる。しかし被害者に、彼を連れ戻せとは命じられない。まして、まず赦せと求めることはできない。

ハイデガーは数秒、レヴィナスを見ていた。それから身を返した。右腕を高く上げた男のほうへ歩いた。

歩みは少し遅かった。一歩ごとにためらっていた。それでも歩いていた。

その道には暴風雨が降っていた。雨はもう、彼にも降り始めていた。レヴィナスは名前を呼ばなかった。目をそらすこともしなかった。ただ見ていた。

アクィナスが向こう側から歩いてきて、隣に立った。何も言わなかった。二人ともハイデガーのほうを見ていた。どちらも呼びかけなかった。

ヒュパティアも一度そちらを見た。手の中のアストロラーベの角度は変わらなかった。ベルクソンは少し近くに立っていた。彼もハイデガーを見たが、うなずきも、首を横に振りもしなかった。雨は降り続いた。誰も他人の選択を、自分が針を動かせる時計のようには扱わなかった。

橋の中ほどが、しばらく静かになった。

やがてレヴィナスは向き直った。ヒュパティアの手の中のアストロラーベが、風の中で月光を受けていた。穏やかな光だった。

橋の遠い端、カントの立つ場所では、風が吹いていた。やわらかく、ゆっくり吹く風。反対側の道には暴風雨が降っていた。中ほどでは風が静まり、月光がやさしかった。

レヴィナスはヒュパティアのそばへ行き、隣に立った。何か一言、話しかけた。ヘブライ語だったかもしれない。ギリシア語だったかもしれない。二人だけに分かる、別の言葉だったかもしれない。ヒュパティアはかすかに笑った。目盛りにもっと正確に月光が当たるよう、アストロラーベを傾けた。

反対側でアクィナスが、小声で何かを言った。ラテン語だった。ベルクソンは半分を聞き取り、フランス語で答えた。

ずっと遠くを見ていた人、橋の最も遠い端に立っていた人は、ヒュパティアを見た。アクィナスを見た。ベルクソンを見た。今度はレヴィナスを見ていた。

レヴィナスは気づき、見返した。二人の視線が短く交わった。どちらも、相手の付属物にはならなかった。遠くの人が静かにうなずいた。レヴィナスも静かにうなずいた。

それから二人は、それぞれの方向へ戻った。カントは再び遠くを見た。レヴィナスは橋の中ほどを見た。

外の道で、ハイデガーはますます遠ざかっていた。そこではまだ暴風雨が降っていた。橋の月光は、変わらず穏やかだった。

レヴィナスは立っていた。両親と二人の弟は戻ってこなかった。妻と娘は戦争を生き延び、生活は続き、老年にも新たな喪失が訪れた。書き、教え、聖典を読んだことが、世界から嵐を取り除いたわけではなかった。この橋にいる誰も、すべてを終わらせてから来たのではない。

向かいにあるものは無限だった。彼は知っていた。

自分のしたことは有限だった。その有限さを理由に、向こうからの呼び声を閉ざすことはなかった。

読書のための注記と出典

捕虜生活と著作年表はレヴィナス研究所、1944年まで続いたコヴノのゲットーは米国ホロコースト記念博物館を参照。1974年の献辞には家族の名がある。『実存から実存者へ』は最初の著書ではない。

顔と第三者は生理的な認識や介護者一人への無限の要求ではない。1982年の対談は敵と正義の議論を含めて読む。パレスチナ人が生来顔を持たないという主張に還元しない。ハイデガーの自己弁明は免責ではない。

橋、分かれ道、天候、時代を超えた会話は文学的な想像で、伝記上の記録ではない。人物の比較は著者の読解である。問いの近さは学説の同一性を意味せず、人の価値を認めることは行為への判断を取り消さない。

Institut d’études lévinassiennes — biography · USHMM — The Holocaust in Kovno · Emmanuel Levinas — scholarly overview and primary bibliography · Levinas’s Ethical Politics — the 1982 interview · Heidegger — Der Spiegel interview (self-account) · University of Freiburg — Edmund Husserl

中国語・英語版を基に、日本語の読者に向けて独立に再構成したエッセイ。史料と詳注は 原版。