Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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099 / 108 · 他者と空席

ベルクソン――持続

時計は進み、人は待ち、記憶し、選ぶ。1922年の論争から笑いと連帯へ。現在はなぜ点だけではないのか。

I. 討論

1922年4月6日。パリ、フランス哲学会。時間を考える二つの道が、ここで向き合う。

アインシュタインは四十三歳。相対性理論によって世界的な名声を得ていた。1921年のノーベル物理学賞の受賞が発表されるのは、この年の後半である。主な対象は光電効果の法則であり、相対性理論の受賞者としてこの四月の会に来たわけではない。

ベルクソンは六十二歳。著書も講義も、多くの人をひきつけていた。1913年のニューヨーク講演も評判を呼んだ。「ブロードウェイで最初の交通渋滞を起こした哲学者」という話は鮮やかだが、史実として同じ確かさで語れるわけではない。

議題は時間だった。ベルクソンが問うのは、物理学の時間の扱いによって、時間を生きることの問いも尽くされるのか、ということだ。持続、durée。数珠玉のように離れて並ぶのではなく、前の瞬間が次の瞬間へ浸み込む連続である。「ちょうど三十分の演説」を想像するより、残された議事録を読むほうがよい。

アインシュタインは心理的時間と物理的時間を区別して応じた。あとから繰り返される鋭い一言も、その文脈に置かなければならない。

彼は独立した「哲学者の時間」を否定した。しかし、心理的な時間と物理的な時間の区別は認めている。「哲学者の時間は存在しない」を「主観的経験は存在しない」と言い換えることはできない。

争点は、時計と気持ちが共存できるかだけではなかった。ベルクソンは相対性理論の同時性や、現実の時間と可能な時間についても解釈を示した。そこには実際の技術的な反論がある。経験の居場所を守るために、物理学について彼が必ず正しいことにする必要はない。

後世は、科学が勝ち、哲学が負けたという話にしたがる。だが、その判定は二人の問いよりずっと単純だ。

ベルクソンの評価は思想の流行、政治、学問制度のなかで変化した。1927年のノーベル文学賞は、科学の世界からの公式な降格ではない。一度の反論で消えたわけでも、再評価によって全議論が正しくなるわけでもない。

それでも、と言いたい。人が時間をどう生きるかは、問うに値する。そのために相対性理論をまず倒しておかなくてもよい。

II. 持続

若いベルクソンに戻ろう。1878年、高等師範学校に入った。同級生にはジャン・ジョレスがいる。数学の訓練も十分に受け、幾何学の解答を発表していた。計算できないから計算の外を語ったのではない。

卒業後はアンジェやクレルモン=フェランで哲学を教えた。持続の考えは、そうした仕事の日々のなかで育っていった。

黒板を一枚、思い描こう。以下は、記録された特定の授業の再現ではない。問いを目の前に置くための場面だ。

物体がAからBへ動く。時間に応じて位置はどう変わるか。ある瞬間の速度は何か。微分を用いる、よく知られた問題である。ベルクソンには解き方がわかる。

それでも、この場面では手を止める。黒板を見る。

微分は瞬間の変化率を表す。そのために宇宙の中から最小の時間粒子を発見する必要はない。連続的なモデルでは、区間をさらに分けられる。「割れない最後の時間」が見つからないから微積分は誤りだ、という話ではない。

問題は別のところにある。時間を表した線を分割し計算できることが、そのあいだを生きる経験のすべてを説明したことになるのか。

黒板の前の沈黙は、想像した場面の一部だ。ノートが保証する啓示の瞬間ではない。時間を線として描くのは非常に役立つ。ただ、互いに外側にある点として扱うと、経験から抜け落ちるものがないか。

自分が生きている時間は、流れている。今の瞬間には、さっきの経験が別の箱としてではなく、今のあり方そのものとして入っている。次に来るものへの期待も、すでに今の一部だ。過ぎた経験を生きなかったことにはできない。まだ来ないことを先に経験し終えることもできない。

彼はこの流れを持続と呼んだ。Durée。フランス語では「続くこと」を表す普通の言葉である。ここでは、意識の内側から生きられ、互いに独立した区画に切り分けられない時間を指す。

それは教室での名言一つで終わる発想ではない。1889年の博士論文『意識に直接与えられたものについての試論』、1896年の『物質と記憶』、1907年の『創造的進化』、1932年の『道徳と宗教の二源泉』。著作のなかで論じ、修正し、広げ続けた。

持続は、時計の数字に付け足す「早く感じる、遅く感じる」という気分だけではない。経験そのものがどう続くかを問う。

物理学は、時計同士の関係も含め、時間を比較する手続きを精密にする。相対性理論は、全員に共通する巨大な外部時計を一つ置く理論ではない。その不可欠な仕事と、一人称で待つことの記述は、同じ作業ではない。

昨日笑ったことを思い出す。その笑いは消えた過去の標札としてではなく、今の自分に働いている。明日会う人を待つ。その人はまだ来なくても、期待は今にある。持続の現在には厚みがある。

座標上の点として表した現在に長さがないからといって、物理学が記憶や神経活動を研究できないわけではない。また、二つの記述があるだけで、独立した実体が二つあると証明されたわけでもない。

1922年の論争の背後には、数十年のこの仕事があった。アインシュタインは、人が待ち、記憶し、長さを経験することを否定したのではない。それを物理的時間の論証にどう入れるのかを問うた。その反論には答える必要がある。

逆に、物理的時間の概念が厳密だからといって、待つことや思い出すことが独自の記述に値しなくなるわけでもない。残したいのは反科学の勝利ではない。片方がもう片方をすぐに呑み込まなくても続けられる問いだ。

III. 笑い

時間を離れ、別のベルクソンを見よう。1900年、彼は『笑い』を出版した。同じ年にコレージュ・ド・フランスの教授となる。時間を論じる哲学者が、喜劇について小さな本を書く。

意外に見える組み合わせだが、読むと接点が見えてくる。人は何をおかしいと思うのか。

ここで主に扱うのは滑稽なものだ。喜び、緊張、親しさから生じるすべての笑いを、一つの登録簿に収めようとしているわけではない。彼の鋭い着眼は、生きたものの上に機械的なものが貼りつく、ということにある。

歩いている人がつまずく。状況に合わせて身を変えるはずの身体が、惰性で先へ行ってしまう。バナナの皮を置けば馴染みの場面になるが、それは原著に必須の小道具ではない。笑いが捉えるのは、生きた動きが故障した仕掛けに似てしまう瞬間だ。

繰り返す口癖では、言葉に機械が貼りつく。モリエールの守銭奴のような一つの性質に固まった人物では、人格に。双子の取り違えでは、人物の同定に。物まねは、小さな身振りを反復可能な型に取り出す。

多くの喜劇を照らす考え方だ。批判や補足の余地もある。あらゆる笑いを必ずこの窓口に届けなければならないわけではない。

これを持続の隣に置いて読みたい。二冊を同じ公式に潰すためではない。生きた過去が次の瞬間へ入るなら、同じ動きも同じ経験ではなくなる。人生は、外から繰り返せる運動の鎖だけではない。

それなのに、振る舞いや言葉や反応が固定し、次が読める機械になる。笑いはそこに気づく。硬くなるな、と生を促すものにも見える。「持続の免疫系」と呼ぶなら、それは私たちの比喩であって、彼の命題ではない。

しかも促しは矯正にも罰にもなる。ベルクソンは、周囲から外れた人を笑いで列に戻す社会的働きも見ていた。笑いのたびに自由が勝つわけではない。

もう一つ、笑いには一時的に同情を脇へ置くことが必要だという指摘がある。転ぶ人を見て、けがをしたのではとすぐ心配すれば、笑いは止まる。滑稽な効果が出るときには、その人の痛みより動きの仕掛けが前面に出ている。

笑いは自動的に悪意でも善意でもない。硬直を暴くことも、人の痛みを見失わせることもある。いま笑ったとき、その具体的な人が一瞬、見えなくなっていなかったか。この問いは残る。しかし、すべての笑いが人格の否定だという結論にはならない。

ここで本シリーズの「他者」の問いと接する。ただし、アインシュタインの理論的反論をベルクソンの人間性の否定にしてはいけない。反論、笑い、暴力は別のものだ。一つの札を貼って終えてはならない。

ベルクソンは問い続けた。私たちは彼の答えを批判し続けてよい。真剣に読むことは、反駁から保護することではない。

IV. 二つの時間

時間へ戻ろう。科学が哲学を打ち負かしたという筋書きから、少し外れてみる。ベルクソンを勝たせなくても、身近な経験は考えられる。時計では長いあいだが過ぎたのに、記憶には途中がない。

全身麻酔のあとに語られる経験は、その入口になる。ただし、結論を押し広げすぎやすい例でもある。

手術前に薬が入り、場面が薄れ、次には回復室で目覚める。そう記憶する人がいる。すべての麻酔が同じ経験になるという話ではない。

三時間経っている。機械は動き、身体には処置が行われ、細胞も活動していた。外で待つ人には一分が長かったかもしれない。同じ区間に、違う位置からの記述がある。

自分の記憶には、語れる三時間の連なりがない。早送りの映画というより、ある場面が次の場面へ直接つながっている。それ自体、丁寧に聞く価値のある一人称の報告だ。

だが、あとから思い出せないことだけで、その全時間に意識が皆無だったと証明されるわけではない。麻酔は意識と記憶の両方に影響する。脳全体が単純に停止するわけでもない。

「私の三時間はどこへ行ったのか」は、力のある問いだ。問いを発しただけで、答えまで確定したことにしないようにしたい。

経験はどう中断され、記憶はどう残り、なぜその区間を空白として語るのか。物理主義は、物理的に経過した時間を一人の人がすべて経験しなければならないとは主張しない。特定の脳活動に依存する経験が、その活動の変化によって変わったり失われたりしても、時計が進むことと矛盾しない。

したがって、この例だけで物理主義を反駁したことにはならない。逆に、神経科学が研究できるからといって、「私には途中がなかった」という言葉が無意味になるわけでもない。

外の記録は経過時間を示す。回想は、その区間をいまどう取り出せるかを語る。異なる問いに答えている。その違いは大切だが、結論には節度がいる。

現代の実験がベルクソンの形而上学を証明した、という話ではない。経験を目盛りに直ちに置き換えるだけでは彼が満足しなかった理由が、少し近づく。問いの重さを理解することと、答えをすべて証明することは違う。

麻酔は1922年にもあった。アインシュタインには知りようのない新例ではない。彼の返答を勝手に作って打ち負かす必要もない。

少し小さく問おう。この区間はどう私の経験になり、あるいは思い出せる経験にならなかったのか。仕組みの問いと、経験の記述の問いがある。互いを存在しないものと宣言せずに、訂正し合うこともできる。

医師が薬と記憶を説明しても、その三時間を私がもう一度生きるわけではない。私が空白を語っても、それだけで神経科学への反例になるわけではない。

時計だけでは一つの人生を語り切れない。一人称の報告だけでは一つの身体を語り切れない。どちらかを全体の所有者にする前に、両方を机の上へ置く。持続を読むことから、日常へ持ち帰れる注意の一つである。

V. 二つの源泉

1932年、最後の主要著作『道徳と宗教の二源泉』が出る。長い年月をかけて考えた本だ。晩年はリウマチ性の病に行動を制約され、若い日のようには仕事が進まなかった。ただし、すべての頁に特定の口述風景を付け足す必要はない。

道徳と宗教の本でありながら、長年の時間の問いともつながっている。ベルクソンは、閉じた道徳と開いた道徳、静的宗教と動的宗教を区別する。

閉じた道徳は習慣や義務、社会的圧力によって共同生活を支える。重心は「私たち」の内側にある。戦争では、その境界がとくに露わになる。だからといって現実の閉じた集団が外部の人に一切親切にしない、という意味ではない。

開いた道徳は、呼びかけや感化によって既成の集団を越え、人類へ向かう。ソクラテスやキリスト、聖人が論じられ、仏教も検討されるが、すべての伝統を同じものとして扱うわけではない。ある人の行いが、服従を確保するだけでなく、より広い関心へ他者を動かす。

小さな輪を人数だけ増やして大きくすればよいのではない。開くためには、関係のあり方が変わらなければならない。

持続と響き合うが、同じ概念の改名ではない。硬い仕切りは比喩に使えても、物理的時間そのものが道徳的に閉じているわけではない。時計を見る人が他者を排除するわけでもない。

また、流動的で新しく感じられる経験なら善い、とも言えない。誰にまで心遣いが届くのか。それを問うのが開放性だ。連続や創造性だけで倫理的判断は終わらない。

静的宗教は、恐怖や死、社会のまとまりへの必要に、信念や実践、彼の言う作話機能によって応じる。役割もあり、限界もある。

動的宗教では神秘主義の創造的な力が、人類へ向かう行為として外に開く。ベルクソンはとくにキリスト教神秘主義を高く評価し、他の伝統への評価は一様ではない。その順位づけを批判しても、既成の型を保つことと道を開くことの区別は検討できる。

実際の宗教には両方の傾向が混ざる。宗派名の一覧を二色に塗り分ける分類ではない。

1932年のヨーロッパでは、閉じる力が強まっていた。ナショナリズム、反ユダヤ主義、硬くなる「私たち」と「彼ら」。この本は時代と無関係な抽象論ではなかった。閉じたものが自然に開く保証はない。誰かがその費用を引き受けることになる。

彼は七十歳を越え、身体の制約も増していた。危険は見えていたが、以後の出来事をすべて予言したわけではない。迫害のなかでの後年の選択を、この本の隣で読める。ただし、それは哲学全体を実験で証明したことではない。

VI. 登録

1940年6月、ドイツ軍がパリへ入る。占領地域のユダヤ人に登録を命じたドイツ側の命令は、9月27日付だった。ヴィシーの最初のユダヤ人法は10月に続く。1941年の後続法によって、ベルクソンの死以前の行動を説明してはいけない。

老いて病む彼は、アカデミー・フランセーズ会員でノーベル賞受賞者でもあった。しかし肩書きは反ユダヤ主義から人を切り離さない。特別扱いや免除の話には異なる伝え方がある。「名誉非ユダヤ人」を申し出る特定の手紙が発見されているかのようには書けない。

より確かに読み取れるのは、迫害されるユダヤ人たちから自分を切り離そうとしなかった方向だ。1940年の登録の経緯に彼の名は残る。何を着て、誰が車椅子を押し、何時間待ったかには、それぞれ証拠が要る。

細部を外すと映画らしさは薄れる。だが人を尊重するために、こちらが泣ける天候まで整える必要はない。

思いを置く、もう一つの文書がある。1937年の遺言だ。カトリシズムへ思想的に近づきながら、正式に改宗しなかった理由として、迫害される人々の側に留まりたいという意思を述べている。遺言の公刊と文言の経緯にも複雑さはある。それでも、確認できない雪中の行列より、ここに選択を読む根拠がある。

登録、寒さ、肺炎、死を、確立した因果の一本線に編集することはできない。ベルクソンは1941年1月4日、八十一歳で死去した。同時代の追悼は肺の病に触れるが、「一月に並び、三日後に死んだ」という物語を証明しない。

占領下のパリで死んだ。ポール・ヴァレリーは追悼を残した。あの時代の重さには、未確認の細部をもう一つ加えなくても届く。

なぜ自分だけ離れなかったのか。彼はまったく説明を残さなかったわけではない。遺言では宗教上の傾きと、迫害される人への連帯が一つの判断の中にある。持続から登録を演繹する論文を代筆しなくてよい。

開いた道徳という言葉が、ここでは身近な問いになる。私は信仰を持ち、出発点と異なる思想へ進んでもよい。しかし人が出自によって排除されるとき、自分の名声だけを、自分一人を救う扉にするのか。

功績で救われる資格を選別する例外の仕組みには、誘惑がある。それを拒む個人の選択はありうる。しかし、迫害される全員に生き延びる手段を捨てよと命じることはできない。

免除によって生き延びたことは、迫害への賛成ではない。こちらの英雄物語を演じなかったという理由で、生存者をもう一度裁いてはいけない。

ベルクソンの選択が大切なのは、万人への命令だからではない。信念が状況に出会うところで、あの人々から離れたくないと願ったからだ。開いた道徳を照らす。彼の全判断を証明はしない。

寝巻きも外套も、寒さの時間数もなくてよい。抽象語が人と人の関係になる重みは残る。持続と倫理は同じではない。それでも、過去と約束が目の前の人々に出会う現在には、時計の点以上の意味がある。その現在を覚えるために、伝説的な死因の保証は要らない。

VII. 敗者という札を外す

「1922年に負けた人」だけを残せば、続いていた問いを落とす。「後の生き方がアインシュタインを論破した」と言えば、別の単純化に取り替えただけになる。

ここで不遇の天才や時代に理解されない預言者を作りたいのではない。何をしたかを見て、どこから確かめられないかを示したい。

彼は生涯をかけて持続を考えた。相対性理論の解釈は批判できる。迫害の中での連帯は記憶できる。一枚の得点表で片方が片方を取り消さなくてもよい。

名誉回復も優勝も必要ではない。なした仕事と、この具体的な選択を受け取ればよい。それで生涯すべてに合格印を押したことにはならない。

アクィナスには膨大な著作と、藁という比喩に残る中断がある。ベルクソンには持続の哲学と、迫害される人々から離れまいとした選択がある。異なる行為を、私たちは「自分を全体としない」という問いの隣に置く。

一方の神学を他方の倫理へ書き換えてはいけない。倫理的選択に、物理学の解釈を代わりに弁護させてもいけない。二人とも完成済みの模範ではない。問いを受け取り、判断の責任は手放さない。

時計は正確に進み続ける。そのあいだにも、いまをどう生きるかは人に残る。測定はその責任を代行しない。理解に値する時間になるために、先に討論に勝つ必要はない。

VIII. 橋

今夜、橋にまた一人が来る。中央には星盤を手にしたヒュパティアがいる。その隣に、手ぶらのアクィナス。ベルクソンがゆっくり近づく。

暗い色の服、金属縁の眼鏡、整えた髭。関節の病で手の動きは遅く、杖をついている。この想像の橋では、アクィナスよりさらにゆっくり歩く。

二人を見る。ヒュパティアから直接受け継いだ読書一覧は作らない。アクィナスと同一の教説を宣言させもしない。異なる仕事と異なる限界を持つ三人が、今夜会う。

中央まで来て、足を止める。ヒュパティアへ小さくうなずき、アクィナスへもうなずく。二人が返す。すぐ自分の場所を決めず、少し橋を眺める。

ソクラテスが座り、プラトンがかがんで図を描く。方程式を書く人、トウモロコシを見る人、詩や小説を読む人、星図を広げる人。読んだことのある人も、この橋で初めて会える人もいる。

アインシュタインが見える。別の一角で時空図を描いている。座標と光円錐。仕事に没頭し、こちらを見ない。

ベルクソンはしばらくその手を見る。それから、近づかず、声もかけず、自分の位置からわずかに頭を下げる。

小さな身振りだ。近くの人には見えても、図に集中するアインシュタインには見えないままにしておこう。ここでは、和解を試みる仕草として想像する。

私が勝った、君が間違った、ではない。君の仕事には厳密な要求があり、私の問いにも続ける価値がある。答えが衝突しても、語り続ける場所まで消さなくてよい。

ヒュパティアはそれを見る。星盤を少し傾け、月光を目盛りに合わせる。アクィナスも見る。ラテン語で何か言う。ベルクソンは微笑み、返そうとする。わざわざラテン語が半分しかわからない人にして距離を演出する必要はない。

六百年以上の隔たりがある。隣り合う問いがあっても、同じ人にはならない。

橋の遠い端、これまでヒュパティアとアクィナスに目を向けた人が、今度はベルクソンを見る。

ベルクソンは少し頭を下げる。感謝か、応答か。感謝は劣位を意味しない。この場面では、「あなたが見えています」と言うようだ。遠い人が、かすかにうなずき返す。

この楽章で三度目のまなざしが、一人の人に届いた。今度は返事がある。

ベルクソンはゆっくり歩き、ヒュパティアのそばで止まる。月が動き、星盤の刻みに冷たい光がある。測れる関係は残り、人はそれぞれ夜を生きる。月光はどの形而上学の証明も完成させない。

彼の手に観測器はない。けれど現在がある。若いころからの問い、1922年の終わらない論争、反ユダヤ主義のもとでの選択、そして橋のこの一秒。過去はばらばらの札ではない。いま、ここに立つあり方を変えている。

彼は立っている。

その現在には、厚みがある。

読書のための注記と出典

1922年は会議記録と『持続と同時性』付録を参照。アインシュタインは主観経験を否定していない。『笑い』は主に滑稽を論じ、『二源泉』は諸宗教や持続と倫理を同一視しない。麻酔後の記憶欠落は全区間の無意識も物理主義の誤りも証明しない。

登録令は1940年9月27日。1937年遺言には迫害される人への連帯があるが、公刊と文言には複雑な経緯もある。雪中の行列から三日後の死という因果は採らない。ヴァレリーの追悼は1941年1月4日没を記す。免除で生き延びることを迫害支持としない。

教室、部屋、橋の具体的な場面や会話には文学的想像を含む。現場の記録ではない。人物の比較とSAEへの接続は著者の読解であり、近い問いが同じ思想や無過失の人生を証明するわけではない。

Bergson — Durée et simultanéité, including meeting record · Bergson — Laughter · Paul Valéry — Hommage à Henri Bergson, 1941 · Published testament correspondence — Éditions Allia excerpt · Mémorial de la Shoah — chronology of persecution · Consciousness and Anesthesia — research review

中国語・英語版を基に、日本語の読者に向けて独立に再構成したエッセイ。史料と詳注は 原版。