Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
EN / 中文|繁體|日本語|Français|Deutsch|Español|한국어
← Great Lives――108の生

098 / 108 · 他者と空席

トマス・アクィナス――藁

黙った牛、五つの道、止まったペン。思考の限界を認めることは始まりだが、異論者の尊重を保証しない。

一 口数の少ない学生

1245年前後のパリ。初期の伝記にある「唖の牛」の話から、ドミニコ会の教室を想像してみよう。

体の大きな青年が片隅で読んでいる。あまりしゃべらない。同級生は鈍いと思い、牛になぞらえてからかう。本人は聞いても言い返さない。

伝記は師アルベルトゥス・マグヌスに、こんな言葉を託す。君たちはこの学生を声の出ない牛と呼ぶが、その声はいずれ世界へ響くだろう。教室の速記ではない。そこに残るのは、周囲のラベルを受け入れなかった教師の姿だ。

青年はトマス・アクィナスという。

二十歳ほどで、すでに家族の将来設計に逆らっていた。家族はモンテ・カッシーノにつながるベネディクト会での有力な地位を期待した。彼は清貧を選ぶドミニコ会に入りたかった。1244年、家族に拘束され、考え直すよう迫られ、翌年ようやく自由になる。女性を送り誘惑させたという話も伝記にはある。若い日の物語では、証拠と聖人伝と後世の想像を分けなければならない。

パリからアルベルトゥスとケルンへ、そしてまたパリへ。イタリアとフランスの諸都市で教え、書いた。1225年ごろ生まれ、1274年に没したおよそ四十九年の生涯に、膨大なラテン語の著作を残す。推定語数を出生からの日数で割らなくても、仕事の大きさはわかる。

どうやって書いたのだろう。

複数の助手への口述能力が伝記に記され、四つの原稿を同時に口述した話として知られるようになった。どう順番を回したのかは留保できる。それでも作品と共同作業はそこにある。紙も筆記者も時間も要らない魔法のペンだったわけではない。

何を書いていたのか。

アリストテレスの思考の道具を用いながら、キリスト教の信仰を大きく整理し直す。途方もない仕事だった。

当時、それは学問だけの問題ではなかった。自然哲学やその解釈には禁止と論争が伴った。異教の思想家の論証を、キリスト教の大学でどこまで用いられるか。制度にかかわる問いだ。アリストテレス自身がキリスト教内部の異端なのではない。その読者が異端を疑われることはあった。

青年は、その疑わしいとされた相手を神学の中心へ招き入れようとしていた。

二 アリストテレスが帰ってくる

中世初期のラテン西欧には、長くアリストテレスの一部分しかよく見えていなかった。

『範疇論』『命題論』などの論理学はボエティウスの翻訳と注釈によって残る。自然哲学、形而上学、その他の書物の流通は違った。ビザンツやアラビア語圏の読者まで一斉に彼を失ったわけではない。「失踪」は、特定のラテン語読者の側から見た言い方である。

やがて、戻ってくる。

道は一つではない。アラビア語からラテン語へ。ギリシア語から直接ラテン語へも。

ギリシア語の著作はシリア語やアラビア語の世界で読まれ、訳され、批判され、育てられた。トマスにとって特に重要な名が二つある。医学と哲学の著作を残したイブン・スィーナー、アヴィセンナ。そしてアリストテレスに大規模な注釈を書いたイブン・ルシュド、アヴェロエス。

ラテン世界ではアリストテレスが「哲学者」、アヴェロエスが「注釈者」と呼ばれるほどだった。重みを示す呼び名であり、解釈の独占を意味しない。トマスは真剣に読み、共通の知性をめぐる問題などでは強く反論した。

十二、十三世紀のトレドなどで、言語と宗教をまたぐ翻訳が進んだ。全員が一つの和やかな翻訳室に集まったわけではない。モールベケのウィリアムに代表されるギリシア語からの直接翻訳も欠かせない。多くの手を経て、書物は大学に入った。

ラテン語で読めるアリストテレスが、急に大きくなる。

それは揺さぶりだった。

すでにアウグスティヌス、偽ディオニュシオス、ボエティウスが神学を形づくっていた。プラトン的伝統は魂、上昇、光の語彙を与えたが、キリスト教と摩擦なくつながったのではない。継承にはいつも選択と変形がある。

アリストテレスは感覚経験、自然的な原因、形相と質料、身体と魂を考える別の強力な道具をもたらした。世界の永遠性や知性のあり方は特に争われた。「体が死ねば魂も死ぬ」の一言で、彼と全注釈者をまとめることはできない。

信仰に鋭く触れる問題もあれば、神学が使える資源もあった。

パリでは1210年と1215年に自然哲学などの講義が制限され、1231年には審査も求められる。それでも後には教えられた。何行か消せば済む問題でも、一度の禁止で読書が永久に止まる問題でもなかった。

司教タンピエは1270年に十三命題、1277年には二百十九命題を非難した。後者の標的やトマスの説との関係はいまも議論がある。リスト全体を彼個人、あるいはアリストテレス全体への判決にはできない。

1277年にはトマスはすでに亡くなって三年たっていた。列聖され、制度上の位置が変わるのは後のことだ。結末を知る私たちは当時の争いを忘れがちだが、逆に「教会全体と一人で戦う英雄」を作ってもいけない。

では、真剣に読むとはどういうことか。

都合のよい引用を借りるだけではない。論理学から自然哲学、倫理学、魂の議論まで、相手の理由を神学の構造に入れて検討する。衝突が見えれば、解釈を問い、反論し、どこに啓示が必要かを区別する。

矛盾する二命題が永遠に両方真だと言ったのではない。正しい理性と正しい啓示は衝突しないと信じ、見かけの衝突から論証を調べ直した。その確信は批判できる。しかし現代的な相互不干渉の二領域へ書き換えてはならない。

その営みは、後にスコラ学の一つの頂点と呼ばれる。

支えたのは何世紀もの筆写、注釈、翻訳と新しい思考だ。ギリシア語の学者、シリア語の訳者、アヴィセンナ、アヴェロエス、ラテン語の翻訳者たち。ヒュパティアは以前の教える世界に属したが、彼の机上の一冊が必ず彼女の手を通ったとは証明できない。

孤立した天才でも最後の中継点でもない。言語と宗教を越える網の中で受け取り、新しい論争を次へ渡した人だった。

前篇のヒュパティアと彼を並べるのは、この共同の労働を見たいからだ。読めたものを開き、次の人が入れるようにする。全駅を確認済みの書物の旅程を創作するためではない。

三 五つの道

『神学大全』第一部、第二問、第三項。

巨大な本の、一か所に立ち止まろう。

神は存在するか。

まず異論を置き、反対側の典拠を置き、自分の解答を示し、異論に一つずつ答える。その形式の中で、トマスは五つの道を述べる。

第一は変化から始まる。可能的なものが現実のものになるには、現実に働くものが要る。すべての動かすものが力を借りているだけなら、その秩序ある系列は何によって働くのか。不動の第一動者へ向かう論証だ。ここで運動は位置移動だけではない。

第二は作用因の秩序から始まる。あるものは自分自身の作用因ではありえず、他に依存する系列にはその依存の説明が必要だという。「第一」を宇宙の時間軸の最初のビリヤード球とだけ描いてはいけない。

第三は生まれ、滅びるものから、可能的な存在と必然的な存在を考え、その必然性が他から来るかを問う。議論には争われる段階がある。「何かはなければならない」と言えば終わる証明ではない。

第四は真、善、高貴さの程度から、最大者と因果についての形而上学的主張を通って、完全性の源泉へ進む。どんなランキングにも一位がいる、という単なる常識とは違う。

第五は知性をもたない自然物にも規則的な方向づけがあることから、知性的な秩序づけへ進む。目的因が背景にあり、現代の「複雑な器官には設計者がいるはずだ」という標語にそのまま置き換えられない。

五つの道。

前提、依存の構造、推論を問い直してよい。現代科学との関係も検討できる。ただし「物理学なら無限後退を許す」「神は測定されていない」だけでは、実際の論証に答えたことにはならない。批判にも相手を見分ける手間がいる。

議論は何世紀も続いてきた。これからも続くだろう。

ここですべてを裁定はしない。

理由を差し出す姿勢に注目したい。

序文が初心者を相手にしているのは確かだ。だから問いと異論を先に置く。しかし証明のふりをしているのではない。彼は神の存在が証明できると明言する。謙虚さを称えるために、その確信を取り去ってはいけない。

同時に、証明できることとできないことを区別する。

五つの道は自然神学の全体ではない。後の問いでは神の単純性、完全性、唯一性を論じる。互いに無関係な複数の神を道の交差点に残すのではない。ただし三位一体は、これら自然理性の論証からは出てこない。

私たちに知られやすい結果から原因へ進むのは、彼にとって証明の一形式である。少数の例からの統計的帰納ではない。形而上学的前提があり、それを含めて検討しなければならない。

存在を証明することは、本質を尽くすことでもない。自然理性はある神的属性を知りうるが、三位一体は証明できない。理性は玄関で完全に無言になるわけでも、信仰は空白なら何でも埋められる免許でもない。

五つの道には雄心と限界がある。「自分にはできないと認めた話」だけに縮めたら、真剣に証明したかった人を尊重したことにならない。

どのように知り、どこまで知るのか。

理性と啓示は神学の中で働き合うが、相手の根拠を自分のものと偽ってはならない。

単に「理性はここまで」と言うより、難しい区別だ。

彼だけが限界を発見したわけではなく、両側の顔を立てる調停者でもない。結論は明確で、反論も厳しい。それでもその問いの形式は、結論の前に異議を本当に語らせることを読者に求める。

自分の説明を対象の全貌と取り違えない。この慎重さを持ち帰りたい。

ただし、それだけで倫理は保証されない。神を尽くせないと認めることと、違う信仰の一人ひとりを尊重することは、自動的には一致しない。この裂け目には後で戻る。

多くを語れる人も、自分の言葉がどんな仕事をしているかを知る必要がある。何も語れないから黙る、というだけの話ではない。

四 藁

1273年12月6日、聖ニコラウスの祝日、ナポリ。初期の伝記は執筆中断の転機をこの日に置く。

ミサを捧げ、その後で仕事をする。長年の生活だった。

ところがこの朝、仕事へ戻らない。

部屋に帰って座る。書かない。

親しい同伴者レギナルドが再開を勧める。『神学大全』第三部はまだ未完成だ。ここからの会話は初期の証言と伝記を経て伝わったのであり、本人の日記ではない。

できない、と彼は言う。

勧めと拒否が伝わる。ただし一日ごとの全会話は再現できない。

やがて、あの言葉が語られる。

自分の書いたものはすべて、藁のように思える。

示されたものと比べれば、そう見える。

ラテン語のpaleaは藁や籾殻などを指す。部屋に本物の稲の収穫を置く必要はない。文字にしたものと受け取ったと信じたものとの隔たりが、比喩になっている。

『神学大全』『対異教徒大全』、アリストテレス注釈、聖書注釈、哲学と神学の討論。それほどの労働が、新たな比較の中に置かれる。

単に「書き方が悪かった」と自責する言葉としては読みにくい。

藁は無ではない。刈り入れから来たものだ。ただ、穀粒そのものではない。穀粒は別の場所にある。

彼が見たとするものに比べ、自分の書いたものが藁に見える。

何を見たのだろう。

外から経験を復元するだけの資料はない。伝記は啓示として語り、後人は病などを考えた。七百年後に診断できる病歴ではない。見た内容を保証することも、推測の病名で本人の理解を消すこともできない。

わからないとは、まず私たちの知識が限られていることだ。資料の空白を、そのまま絶対的な語りえなさの証明にはできない。それでも、これほど書いた人が止まると、後の読者は長くそのペンを見つめてしまう。

彼は『神学大全』を書き続けなかった。

ここが、この話の確かな中心だ。

言葉ですべてを占めなくてもよい、という抑制をそこに読むことはできる。それは私たちの読みであって、身体、動機、宗教経験の全説明が一つに確定したのではない。

その日の詳しい自述は残らない。だから一言も話さなくなった、思考を完全に捨てた、とまで言ってはいけない。物語が何もかも補わないことに、むしろ力がある。

認識の限界を論じた著作と並べて読める。

しかし人生を逆向きに並べ、この日へ必然的に至った一本道にしてはいけない。積極的に論証し、その後、資料だけでは説明しきれない中断が来た。厳密な思考と未完の本は、同じ人に属しうる。

彼は止まった。

1274年3月7日、第二リヨン公会議への旅の途中、フォッサノーヴァ修道院で没する。四十九歳前後。旅と病の記録には違いがあり、伝えられる衝突事故や十二月の経験を、医学的に確定した死因にはしない。

『神学大全』は第三部第九十問で止まる。後人は初期の『命題集注解』から補遺を編んだ。材料は確かに彼の文章だが、その編集は彼自身が第三部を書き終えたことと同じではない。

あの学生だった人のペンが止まった。

伝わった比較の中では、書いたものは藁のようだった。

穀粒が何であるか、私たちに手渡される説明はない。

五 ナポリ

ロッカセッカ、1225年ごろ。

南イタリア、家の領地の城。父ランドルフォと母テオドラは貴族で、政治的なつながりは子どもの将来設計にも入ってきた。

息子を教会へ送ることは、家族にとっても進路だった。近くにはベネディクト会の重要な修道院モンテ・カッシーノがある。そこで地位を得れば、本人の宗教生活と家の影響力がつながる。

五歳ほどで入り、長く学んだ。

皇帝と教皇の対立で修道院の状況が危うくなり、彼はナポリへ移る。

フリードリヒ二世が1224年に創設した大学は、役人の養成など政治的な目的も担っていた。南イタリアの言語と学術の往来は、ラテン世界に新たに入る著作に触れる機会を生んだ。文化への関心と統治は併存する。権力のない自由の楽園として描くべきではない。

少年はここで、より広いアリストテレスに会う。

早い教育で知った範囲を越え、ギリシア語とアラビア語の注釈の問いも伴っていた。

自然哲学の教師としてよく挙げられるのはアイルランドのペトルスであり、マルティヌスというアイルランド人ドミニコ会士ではない。同時に彼はドミニコ会に出会う。1216年に認可された托鉢修道会は、説教、学習、教育を使命とし、家族の希望とは別の生を示した。

思想にも、その生活にも引かれる。

十九歳ほどで入会を決める。

家族が反対したのは宗教生活そのものではなかった。もともと教会へ進ませるつもりだった。ただし家の利益につながるはずの修会と地位を選ばなかった。修道院長の座は期待であって、すでに彼の手にある任命状ではない。

拘束と説得を経ても、彼は戻らない。家族はやがて譲る。

イタリアからパリ、ケルン、パリ、そして各地へ。1272年には学校を整えるためナポリへ帰り、翌年そこで『神学大全』が中断する。1274年、リヨンへ向かい、途中で死ぬ。

ナポリは思想生活への入口となり、主要な執筆の終わる場所にもなった。

少年の頃に広い世界へ入り、四十代の終わりにペンを止める。

その間、アリストテレスとキリスト教の間に橋を架けた。大部分を築いたが、すべてを書き終えはしなかった。

未完成であることと、あの中断にはどんな関係があったのか。

あるかもしれない。ないかもしれない。

経験が建築の意味を変えたのかもしれない。ただ病で続けられなかったのかもしれない。どれかを選べば、きれいな人生の円は描ける。

だが、わからない。

始めた町で止まり、別の町へ向かう途中で終わった。完成した本ではなく、未完を残す形で円を思い描くことはできる。

その円は彼が描いたのか、私たちが後から描くのか。

この結末を彼がどう感じたか、すべてを語れる資料はない。

六 塔

1269年、パリのサン・ジャック修道院。二度目のパリでの教授職に戻るトマスは四十代半ばで、すでに名高い神学者だった。

一日には祈り、ミサ、講義、討論、執筆がある。毎朝四時に始まる正確な時間割を作る必要はない。

神学の教師は聖書を説明し、討論を行う。異議は教師が勝ちやすいように弱めるのではなく、提示され、聞かれ、答えられる。そこから著作になったものもある。

空いた時間には書く。助手が記し、口述し、改め、清書し、また直す。複数の筆記者への驚くべき能力を伝える話があるが、速さだけでなく人々の労働がそこにある。

蝋燭の下、まだ写し終わらない紙を想像しよう。光も調度も仕事を感じるための場面であって、1270年のある夜の物品目録ではない。

小さな部屋。机、寝台、椅子、十字架、本。私たちはそれを塔と呼んでみる。

清貧は彼の選んだ生活だ。だから本も助手も教育条件も消えるわけではない。私有財産を持たないことは共同体の資源に依存しないことではない。

この塔には、執筆とは別の時間もある。

初期の伝記は、祈りに深く集中し、涙を流し、周囲を忘れたようになる姿を伝える。聖人伝として形づくられた証言を、本人がいつも「吸い込まれる」と言ったという直接話法へ変えるべきではない。

仕事の途中で沈黙し、再開したという話もある。受け入れても、沈黙の内側はまだわからない。

仕事をする場であり、祈る場でもあった。

ただ、個人的な経験のすべてを、論証の根拠にはしなかった。

著作はもちろん観想、脱我、神の認識を論じる。神学は自然理性だけでなく啓示からも働く。区別したいのは、それらを議論することと、「私は経験した」で全異論を封じることだ。

なぜ一つずつ報告しなかったのか。

謙虚さかもしれず、文体と職務の違いかもしれない。個人報告がないだけで、唯一の動機はわからない。

私はここに一つの要求を読みたい。何かを確かに見たと思っても、他人に書くなら、何を共有の議論の足場として差し出すのかを言う必要がある。

彼の仕事から読む教訓であって、代作する心理伝記ではない。

想像の修道士は部屋に帰る。書き、口述し、直し、祈り、未完の仕事へ戻る。

仕事と祈りは一つの生を分け合う。互いになりすます必要はない。

影響し合っても、同じ種類の証拠にはならない。1273年12月、そのペンが止まる。

中断の説明を一つ以外すべて消すことはできない。

そのまま残せる。巨大な体系にも、作者が書き続けなかった場所がある。

七 語り尽くせないもの

この楽章は他者と、その人のための場所を考える。

奇妙にも見える。トマスが生涯語った大きな「他者」は神なのか。神は中心、父、創造主ではないのか。

その奇妙さに立ち止まりたい。

前篇ではヒュパティアが政治的な噂によって障害へ縮められた過程を考えた。それでキュリロスの神学全体に超越がないと判定したり、トマスを完全な反対像にしたりはできない。どちらも便利な対照より複雑だ。

それでも、トマスにとって神が人間の説明に収まらないことは重要である。

誰より深く信じたかの競争ではない。偽ディオニュシオスなどの伝統を引き、人は被造物から神を知りうるが、現世で神の本質を尽くせないとする。否定、肯定、類比がともに働く。「何も言えない」だけにはならない。

属性や三位一体を論じながらも、それらを全部足したら神そのものになるとは考えない。藁という比喩を、そこに並べて読める。

説明する側が所有できないものが残る。

ただし、覆ってはいけない裂け目がある。『神学大全』第二部の二、第十一問第三項で、彼は頑迷な異端者を世俗権力に引き渡して死刑にすることを支持する。後人が勝手に押しつけた結論ではない。神を尽くせないと認めた人が、信仰の違う人の不可侵を一貫して認めたわけではなかった。

だからキリスト教徒を「他者を滅ぼす側」と「決して滅ぼさない側」に分け、彼を安全な側へ置けない。

藁から読む教訓は、これで難しくなる。思想上の限界を認めることは、他者を罰する力を手放すことの完了ではない。

SAEの言葉で言えば、私が気にするのは、説明がすべてを閉じ込められず、生きた人を説明の中の位置へ圧縮すべきでないことだ。これは私が持ち込む問いであり、彼がすでにSAE全体を受け入れていたという意味ではない。

自分が全体ではないと認めるのは出発点であって、倫理の全試験への合格ではない。

仏教の空、キリスト教の神、イスラームの唯一性、荘子の道、禅の言葉への警戒を対話させることはできる。同じ隠れた学説にはできない。本当に違っているからこそ、対話は自分の語彙への吸収ではなくなる。

彼の信仰には三位一体、受肉、秘跡という具体的な内容がある。「何か知らないものがある」だけではない。教義に賛成せずとも、その論証と区別、そして私たちが守るべきだと考える線を彼が守らなかった箇所を、真剣に読める。

キュリロス周辺の暴力を批判するときにも証拠が要る。複雑さを残すのは、害を免責することではない。

信じるか信じないかにかかわらず、ここから学べる問いがある。

ある思想の健全さは、限界の理解だけでなく、反対する人に実際にどんな場所を残すかにも現れる。

謙虚さを口にする体系でも迫害できる。一人の人がある場所では厳しく、別の場所では道を開くこともある。「開かれている」の一言で全面無罪にはせず、具体的な判断と行動を見なければならない。

尊敬は服従でなくてよい。批判も、その人を丸ごと消すことでなくてよい。

私はなお、止まったペンを残したい。巨大な体系の作者が、言葉は指し示すもののすべてではないと感じる。その問いかけは聞くに値する。他の結論の検討を免れる免許ではない。

藁は恥ではなく、有限さを認める比喩として読める。穀粒を、この手の説明として全部差し出せるわけではない。

その承認を人と人の関係に移すことは、まだ私たちの仕事だ。

上から存在を許してやることではない。平等を同一性と誤解することでもない。等しい資格は本当の違いを収容でき、私の判断はその人を余さず記述できない。

ヒュパティアの教える仕事とトマスの停筆は、この問いのそばで出会える。同じ教義の証明ではなく、一人の運命をもう一人の理論の挿絵にしなくてもよい。

八 橋のたもと

橋に一人増える。

中央にヒュパティアが立ち、星盤を持っている。

トマスが歩いてくる。

大柄な修道士がドミニコ会の衣を着てゆっくり歩く。今夜の想像の橋では本を持たない。清貧ゆえ一生道具を持たなかったのではない。今日は書物を自分と相手の間に置かずに済む。

中央まで来て、彼女を見る。

立ち止まる。

八百年以上後に生まれた。直接彼女から受け継いだ読書目録は作れない。それでも二人とも、読む、教える、注釈するという仕事を知っている。直接の系譜を証明しなくても、出会える。

彼は自分の言葉で話し、彼女は自分の言葉で答える。言語の距離は残る。相手へ向かう姿勢は、それでも伝わる。

彼は少し頭を下げる。

近くでアウグスティヌスが見ている。彼もギリシア哲学とキリスト教の関係を生きた。こちらへ歩み寄るのでなく、自分の位置から見る。

遠くにソクラテスが座り、プラトンが図を描く。

トマスはそちらを見て、彼女を見て、方程式、トウモロコシ、詩、星図の人々を見る。

ここでは多くの手を思い出せる。ギリシア語の筆写者、シリア語の訳者、アラビア語の学者、ラテン語の机。一駅ずつ確認した単線でなく、読書の中で出会う道の網だ。

自分は終点ではない。1273年に止めた彼には、次に誰が来るかはわからない。

自分の区間を歩いた。

第三部第九十問で止まった本は、道具はどこまで連れていけるかという問いを残す。後世の全境界を描き終えたのでも、本人の矛盾を消したのでもない。

できた仕事は、そこにある。

遠い端の人が、ヒュパティアに向けた後、もう一度目を向ける。

今度はトマスへ。

何も言わず、見る。

トマスは見られていると気づくが、振り向かない。彼女の手の星盤を見ている。

夜が深まり、目盛りに月の光が宿る。

今夜、彼はもう書かない。藁の比喩を借りても、本が無価値になったとは言わない。藁は本当の労働から来た。後の読者はなお読めるし、なお反論できる。

刈り入れた人は、いま手を休めている。

八百年以上の隔たりをはさんで、二人は遠くを見る。星盤とペン。道具は人を助ける。人の代わりにはできないこともある。

今夜は、相手を自分の道具の中へ押し込めなくてよい。

橋は先へ続く。どの本も、書き終えてはいない。

読書のための注記と出典

五つの道は『神学大全』I, q.2, a.2–3、三位一体の自然的証明の限界はI, q.32, a.1。藁と牛の話は初期伝記を介し、日記ではない。停筆から病名を断定しない。補遺は本人の以前の『命題集注解』に基づく。

II–II, q.11, a.3は頑迷な異端者を世俗権力による死刑に渡すことを支持する。異論者を常に守る模範としては描かない。翻訳はアラビア語経由とギリシア語直接訳など複数。1277年の219命題は彼個人への一括判決ではない。

教室、部屋、橋の具体的な場面や会話には文学的想像を含む。現場の記録ではない。人物の比較とSAEへの接続は著者の読解であり、近い問いが同じ思想や無過失の人生を証明するわけではない。

Aquinas — Summa I, question 2 · Aquinas — Summa I, question 32 · Aquinas — Summa II–II, question 11 · Early biography excerpts, translated by Kenelm Foster · Benedict XVI — Thomas Aquinas, 2 June 2010

中国語・英語版を基に、日本語の読者に向けて独立に再構成したエッセイ。史料と詳注は 原版。