Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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097 / 108 · 他者と空席

ヒュパティア――円錐が切られる

教室、書簡、そして政治の噂によって障害物にされた人。知識があとに残っても、彼女自身の代わりにはならない。

一 教壇

五世紀初め、アレクサンドリア。まずは想像の教室に入ろう。彼女の最後の授業を目撃したふりをするのではない。

一人の女性が円錐曲線を教えている。

学生は遠くから来た。信仰の境を越えて来た者もいる。ただし、この日の名簿は残っていない。町のあらゆる共同体の代表を勝手に席へ座らせることはできない。それでも、確かに呼べる名が一つある。シュネシオス。後にキリスト教の司教となる彼は、病床からも彼女を母、姉妹、師と呼んだ。

彼女の名はヒュパティア。

教えているのはアポロニオスの『円錐曲線論』だ。一つの円錐を平面で切る。切り方によって円にも楕円にも放物線にも双曲線にもなる。同じ立体から、これほど違う形が現れる。

数学、天文学、哲学。父テオンも数学者だった。古い記録は彼女の仕事をディオファントス、アポロニオス、天文学の書物と結びつけている。シュネシオスはアストロラーベについて語るときにも師の教えに触れる。ただし、彼女が特定の器具を発明した、改良したとまで確言できる証拠は、よく知られた物語ほど豊富ではない。

彼女はこの町で長く教えた。学者は仕事を続け、その周りで宗教と政治の対立は深まっていた。412年にはキュリロスが司教となる。彼女の晩年は、彼と帝国の長官との争いに巻き込まれる。

けれども、いまはまだ授業ができる。きょうは円錐曲線を教える。

前には学生がいる。円錐を切ると、楕円が現れた。彼女はゆっくり線を描く。よく知っている人の顔を描くように。

二 アストロラーベと円錐

彼女の名で確実に伝わった完本はない。シュネシオスは同時代の証言を残し、ずっと後の『スーダ』は著作名を伝える。現存する本文のどこを彼女が校訂し、どの箇所に仕事が残っているのか。いまも議論がある。その不確かさも含めて、一人の学者を読む必要がある。

『スーダ』には、ディオファントスの『算術』への注釈が挙げられている。この本が多く扱うのは正の有理数による解であり、今日の整数解中心の「ディオファントス方程式」とそのまま同じではない。注釈の細部は失われた。それでも仕事の種類はわかる。難しいものを、次の読者にも読めるようにする。教師の仕事だ。

天文学では、テオンによる『アルマゲスト』第三巻注釈の見出しに、娘ヒュパティアの校訂が記されている。対象は父の注釈なのか、プトレマイオスの本文なのか。解釈は分かれる。彼女をその仕事の中に置くことと、本全体の後世への伝承を彼女一人の功績にすることは違う。

シュネシオスがアストロラーベを贈る際に書いた文章には、師から学んだ知識への言及がある。天球を平面へ写し、刻み目から天体の位置を読む器具だ。教えること、数学、手仕事が一つになる。「発明者」という未確認の称号を贈るより、このつながりのほうが具体的である。

複雑なものを開き、他の人が入れるようにする。ディオファントスを読み、天文書を整理し、器具を教える仕事に、私はそんな共通点を見る。

円錐曲線にも、その姿がよく見える。

頂点を通らない平面で、頂点を接した二つの円錐を切る。軸に垂直なら円。傾けて片側だけを切れば楕円。母線と平行なら放物線。両側を切れば双曲線。ここでいうのは退化していない場合であって、どんな切り方でも必ずこの四つになるわけではない。

四種類のなじみ深い曲線。一つの円錐。平面の位置と向きが変われば、切り口も変わる。

この図を、教室を読むために借りたい。同じ対象に違う方向から近づけば、違う姿が見える。これは私たちの比喩であり、失われた講義録から発見された彼女の政治思想ではない。

アレクサンドリアも、多くの切り口をもつ町だった。ギリシア人の町、ユダヤ人の町、キリスト教徒の町、エジプトの人々の町。互いに重なり、こすれ合いながら、相手の見ている町が次第に見えなくなる。

少なくともシュネシオスの歩みは、信仰の異なる人が学ぶという営みの中で出会えたことを示している。教室は町を丸ごと救わなかった。それでも、宗教的な「私たち」の外にいる人に、座れる場所を残した。

それで和解が完成したわけではない。数学が宗教問題を解決したわけでもない。ただ、この時間には、同じものを見ていた。

彼女は長く、その仕事を続けた。

三 シュネシオス

キュレネのシュネシオス。生年は370年ごろ、没年は413年ごろとされる。

キュレナイカの裕福なギリシア文化圏の家に育った。アレクサンドリアで学び、郷里へ戻り、結婚し、子を育て、土地を管理し、地域の問題に携わった。やがてプトレマイスの司教になる。彼の宗教的変化には単純な改宗日の線を引けず、就任した瞬間に哲学の学びを捨てたわけでもない。

教室を離れてからも、ヒュパティアへの手紙は続いた。

百通以上残る彼の書簡のうち、数通は彼女宛てで、他の宛先への手紙にも彼女の姿が現れる。海に隔てられ、職務が日常を変えても、師は過去から消さねばならない人にはならなかった。

母、姉妹、師。

尊敬だけでなく、助けを求める言葉もある。

家族の言葉と学びの言葉が、隣り合っている。

冥府で忘却が許されても、愛するヒュパティアは忘れまい。そのような言葉も残した。

もちろん、当時の修辞で書かれた手紙である。それでもキリスト教の司教が異教の哲学者にこう語りかけることは、抽象的な寛容の標語より具体的だ。「許容できる外部の人」と分類するのではない。自分を知っている人に話している。

病気になって書く。子を失って書く。公務に疲れ果てて書く。液体を測る器具の製作に力を貸してほしいと頼み、友人の世話を依頼し、判断を求める。教義上の緊張はあった。それでも関係は取り消されなかった。

彼にとって彼女は、ただ「まだ改宗していない気の毒な人」ではなかった。自分の教師だった。

教室にいたキリスト教徒は、名のない一つの集団ではない。これほど師を慕う人がいた。

後に彼女を殺した者たちもキリスト教徒だった。その前に、彼女を敬愛した者もそうだった。

だから町のキリスト教徒を一人の人間のように書くことはできない。一方にはこの手紙を育てる関係があり、別の動員は殺害へ進んだ。殺害を記録し非難した歴史家ソクラテスも、キリスト教徒だった。

シュネシオスは通常、彼女の死より前、413年前後に亡くなったとされる。もしその場にいたら、何をしただろう。止められただろうか。

わからない。

歴史に救援者を用意することはできない。あるのは手紙だ。殺害の前に、確かにこうして彼女を敬愛した人がいた。その後の出来事によって、その関係まで偽物になるわけではない。

四 キュリロス

412年、キュリロスがアレクサンドリアの司教になる。

叔父テオフィロスの後を継ぎ、後にはキリストをめぐる論争の重要人物となった。いくつものキリスト教の伝統で崇敬されている。神学史は彼を避けて通れない。ヒュパティアの死も、その名声を理由に彼を避けては通れない。

彼は政治的な力をもつ人でもあった。

町には二陣営しかなかったのではない。帝国の長官、司教、ユダヤ人共同体、さまざまなキリスト教徒がいた。歴史家ソクラテスは流血、追放、司教と長官オレステスの対立を記す。オレステス自身もキリスト教徒だ。ニトリアの修道士による長官襲撃はこの背景の一部だが、ヒュパティア殺害とは別の事件である。参加者をそのまま入れ替えてはいけない。

彼女はオレステスと往来し、有力者たちから尊敬されていた。社会から閉じこもった学者ではない。ソクラテスによれば、司教と長官の和解を妨げているのは彼女だという噂が広まった。教師が政治の障害に書き換えられた。

複雑な争いが、責めることのできる一つの身体を手に入れた。

キュリロスが殺害を命じたのかは確定していない。比較的早いソクラテスの記録と、より後代の敵対的な記録は同じではない。それらを区別せず、何もかも知る語り手を組み立ててはならない。

ソクラテスはこの事件が司教と教会の不名誉になったと明記する。権力、扇動、保護の責任を問う根拠はある。しかし、それだけで命令系統、事前の知識、全加害者の所属まで確定はしない。責任を問うことと、証拠の限界を守ることは、同時に必要だ。

内面がわからないからといって、問いをしまうわけでもない。

町を正しくするとは、自分の外の声を黙らせることだ。権力がそう考えると、教師は教師として見られなくなる。誰と話したか、誰が耳を傾けたかが罪の証拠に変わる。この危険は検討できる。それは、残っていないキュリロスの告白を代筆することではない。

先に人が障害へ縮む。その後で、暴力が解決策に見えやすくなる。

学識はこの動きを自動的に止めない。信心もそうだ。整然とものを語る体系が、ある生身の人を配慮の外に置くことはある。彼の頭の中の分類をすべて知ったふりをしなくても、その可能性は見える。

シュネシオスの手紙は別の、実際にあった関係を示す。私には私の信仰がある。それでもあなたは私の師だ。

二人の信仰の深さを採点する話ではない。異なる人々が、一つの世界で場所をもち続けられるかという話だ。

五 通り道

ギリシア数学は、どうやって私たちまで届いたのだろう。

アポロニオス、ディオファントス、プトレマイオス、エウクレイデス。その書物は古代末期、中世、ルネサンスをどう渡ったのか。

一本道ではなかった。

本は写され、注釈され、直され、訳され、教えられて生きた。図書館の運命を数回の火災の年表に畳むことはできない。一冊の消失には劇的な日付さえないかもしれない。次の一冊が、ただ写されなかった。

ヒュパティアもこの労働に属する。書目、題記、学生の言葉が、彼女を数学と天文の伝授に位置づける。後世の何行が彼女の手を通ったか、すべては特定できない。それでも、その世代の授業がなかったことにはならない。

後の道は網の目だった。ギリシア語での保存、シリア語やアラビア語への翻訳、ビザンツの研究、アラビア語の学者による独自の仕事、ギリシア語からラテン語への直接翻訳。バグダードとトレドは重要だが、すべての本が同じ駅を通ったわけではない。

彼女にはその網の中の位置がある。唯一の中継者である必要はない。

彼女には遠い未来の地図は見えなかっただろう。自分の町で好きなものを教えていた。何十年も。その授業の遠い響きを、生きて聞くことはできなかった。

それでも、響きはありうる。

はるか後、フェルマーはラテン語訳のディオファントスの余白に有名な数論上の主張を書き、ケプラーは楕円で惑星の軌道を理解した。伝統の長さを感じさせる出来事だ。二人の読んだ特定の行が、必ず彼女の注釈を経たという証明ではない。

彼女の仕事は「伝えた」という大きな言葉より小さく、また大きい。同時代の学生に、それが見えるようにした。その次の世代まで管理できない。歴史の技師ではなく、教師だった。

少なくとも教わった人の中では、難しい知識が生きた知識になる機会を得た。

一人だけで通り道は完成しない。足元の区間を歩く。それが先までつながるかどうかは、次の区間を歩く誰かにもかかっている。

証拠が照らすのは彼女の歩いた一区間であり、その後のすべてではない。

誰も続かなかったらどうなるか。仕事は忘れられることがある。名を失った教師を一人ずつ挙げることも、古代図書館に女性教師の名簿を創作することもできない。しかし名前が残らなかったことは、その人に価値がなかった証拠ではない。

後世への継承が成功したかどうかだけで、彼らの仕事は採点できない。断絶は本当の損失だが、先にいた人の罪とは限らない。

彼女も消失に近づいた。主に他人の証言から姿を組み直し、数学の仕事の細部はいまも争われる。殺され方が目立つからといって、死だけをもつ人にしてはいけない。

忘れられた女性の一人に、なりかけたのだ。

六 破片

415年三月。キリスト教の四旬節。

ソクラテスによれば、彼女は馬車で帰宅する途中だった。生年は確かでない。この場面に正確な年齢を補う必要はない。

一群の人が道をふさいだ。

比較的早い記録は、先頭にいたのを読経者ペトロスとする。キリスト教徒の暴徒ではあったが、全員が修道士、あるいは病者の世話をするパラバラニだったとは確定しない。彼女を救うだけの保護はなかった。しかし当日の全官吏の行動記録まで持っているわけではない。

彼女は車から引きずり下ろされ、カイサレイオンという教会へ連れて行かれた。かつて異教の神殿だった建物だ。

記録には、殺害に用いられたものとしてostrakaという語がある。

陶片、瓦片、貝殻などと訳されてきた。それだけで何分かかったか、どんな手順だったかを再現することはできない。わかっているだけで十分に残酷だ。推測で残りを演じ直さなくてよい。

遺体はばらばらにされ、別の場所で焼かれた。

記録が伝えるのは、その死である。

もっと詳しく書き、読者の怒りを強くしたい誘惑がある。

私はそうしない。

残酷でないからではない。残酷さを見せるだけでは届かない問いが、そこにあるからだ。

何を問うのか。

その人々は、自分が何をしていると思っていたのだろう。

信仰を守るつもりの者もいたかもしれない。何かの示唆に従った者、群れに押された者、彼女を個人的には知らず噂だけを聞いた者もいたかもしれない。

敵意のラベルが教師を覆うと、彼女が教えたこと、助けた人は見えなくなる。加害者一人ひとりの心は読めない。だが、そのラベルに一人の人間を消す力を与えたのは何か、と問える。

正しいことをしているという確信も、人を傷つける理由になりうる。

そこに、立ち止まりたい。

「悪魔のような者がいる」「宗教は必ず人を狂わせる」という結論ではない。噂、権力争い、集団の熱が出会うと、残酷さを義務と理解できてしまう。その危険だ。

すべての暴力の原因がこれ一つなのではない。悪いと知って行う者も、利益を狙う者も、命令に従う者もいる。ただ、相手が先に除去すべき障害へ変えられているほど、傷つけるのをやめる理由は届きにくい。

障害なら、取り除けばよい。

一つの言葉が、一人の人を覆ってしまう。

彼女の最期の言葉は伝わらない。言えなかったのか、言っても誰も記さなかったのか。わからない。

その日殺されたのは、具体的な一人だった。彼女の声は止まった。だから町の哲学と数学もすべて同じ日に止まった、としてはならない。

あの手紙を書いたシュネシオスは、すでに先に亡くなっていたと考えられている。

七 空いた場所

彼女の死後も、町は町であり続けた。

教会は建ち、神学は発展した。キュリロスは431年のエフェソス会議で重要な役割を担い、444年まで生きた。一人の死で都市全体が止まったのではない。

それでも、一人の教壇は空いた。

彼女の場所であって、アレクサンドリアの学問すべてではない。後にはアンモニオスやヨアンネス・ピロポノスらが教え、書いた。彼女の死を古代学術の整った終止符にすると、その後実際に働いた人まで消してしまう。

642年の征服は、さらに二世紀以上後のことだ。415年の殺害から一直線の必然的衰退を引けない。都市、言語、制度は複雑に変わり、イスラーム世界の翻訳と創造も、完全に死んだ土地への単なる補習ではなかった。

バグダード、トレド、後のヨーロッパの町々は新しい道をつくった。アレクサンドリア自体も瓦礫だけではない。新しい仕事は生まれる。それで失われた人が戻るわけではない。

彼女の損失を数えるために、都市が永遠に滅びる必要はない。

歴史を「置き換え」の連続として読む癖が私たちにはある。ある学問が次の学問へ、ある時代が次の時代へ。新しいものが来たのだから、何も失っていないかのように。

けれども、置き換わらず、ただ失われるものもある。

彼女の授業の声は丸ごと残らなかった。数学と天文の仕事は、題記、書目、議論のある本文から探るしかない。本人が作ったと確実にいえる星盤も残っていない。学生との多くの会話には記録がない。

拾えるのは名、輪郭、学生の手紙、そして記録された死だ。

ほとんど消えた人に、なりかけた。

彼女には名が残った。残らなかった人も多い。保存の歴史は公平な成績表ではない。最もよい仕事をした人が必ず後世から見えるわけではない。

空いた場所がすべて埋まるとは限らない。何があったか知らずに、その上を歩いてしまうこともある。

ソクラテスの後にはプラトンやアリストテレスがいた。ヒュパティアの後にも働く学者がいた。どちらの町も直ちに沈黙しなかった。それでも後の声は、殺された人の声の代わりではない。

幸運を比べるのではない。「伝統が続いた」を「本当には何も失っていない」にすり替えない。彼女の位置は彼女の代わりに生きられない。

何年も教え、その後殺された。学生は別の教師を見つけられ、町は動き続けられる。それは彼女が生き続けたことと同義ではない。

伝統の中のある本は残り、別の本は失われた。ギリシア語、アラビア語、ラテン語の道は知を他所へ運んだ。その現存版のどこに彼女自身の寄与があるか、整然と確定はできない。

通り道は、一本の途切れない線とは限らない。

一か所で切れ、別の場所でつながることもある。だからといって「どうせ誰かがつなぐ」とは言えない。断絶は毎回、本当の断絶であり、接続は別の人々の労働だ。

教室の現場は戻らず、ある知識の伝統は教え続けられた。継続と損失は、ともに真実でありうる。

彼女には何が残るかは見えなかった。自分の授業をし、本を読み、自分の区間でできることをするしかなかった。

通り道は世代ごとの共同作業だ。どの世代も最後になりうるし、ならずに済むこともある。

彼女は町の最後の学者ではなかった。しかし、彼女自身として生きる人は彼女一人しかいなかった。仕事に反響があっても、その死は埋め合わせられない。

八 橋のたもと

橋には多くの人がいる。

立つ人、座る人、図を描く人、方程式を書く人、トウモロコシを眺める人、詩を読む人。離れた場所ごとに影が集まる。いちばん遠くにはカントがいる。よく見えなくても、皆そこにいると知っている。

ヒュパティアが歩いてくる。

私たちの想像では、白髪の細身の女性で、目が明るい。ギリシア風の衣を着ている。手には精密な目盛りと星図を刻んだ円盤、アストロラーベがある。

足取りは落ち着いている。

ソクラテスが寄ってくる。裸足で、大きな鼻をしている。二人は言葉を交わさない。死の事情は同じではないが、自分の町で殺されたというものが、二人の間にある。

近くにはアウグスティヌスがいる。同じ時代に生きた二人だ。何か言いたそうで、言わない。これは悔恨の告白の復元ではなく想像の出会いだ。キュリロスと同じキリスト教の伝統に属していても、彼は別の人であり、彼女はキリスト教神学者になることを目指していなかった。出会わせても差異は消さない。

遠くでプラトンが図を描く。彼女は目を向ける。彼女の哲学はプラトンとプロティノスの伝統に属し、実用数学だけではなかった。今夜はその目を楕円にとどめておこう。具体的な図も、遠い思考へ開かれている。

中央には、方程式、トウモロコシ、詩、星図に向かう人々がいる。大半は彼女の知らない人だ。それでも各々の区間を歩く仕事はわかる。彼女は頷き、相手も頷く。

決まった場所にはまだ立たず、ゆっくり進む。手の星盤に月明かりが触れる。

夜が深くなる。目盛りを見て、空を見る。

空と星盤が対応している。

少し笑う。

誰かに見せる笑顔ではない。長く教えてきたことを一つ確かめた。空はあちらに、器具はこちらにあり、両者の間に読み取れる関係がある。誰かの許可を待って現れる関係ではない。

歩き続ける。星盤は手に、月明かりは身に。

いちばん遠い端で、いつも遠方を見ていた人が、今度は遠方を見ていない。

彼女を見ている。

彼女は知らない。知らなくてもよい。橋の下の、ここから見えない場所で、円錐曲線がまた誰かに教えられている。

読書のための注記と出典

主な資料は教会史家ソクラテスVII.13–15とシュネシオス書簡。後者は通常413年没とされる。液体測定器の書簡と星盤の資料は別で、著作・校訂の帰属にも未確定部分がある。

殺害は415年の四旬節。ソクラテスはペトロス率いる暴徒と教会の不名誉を記すが、キュリロスの直接命令は立証しない。以後も同市の学問は続く。それは彼女個人の喪失を償わない。

教室、部屋、橋の具体的な場面や会話には文学的想像を含む。現場の記録ではない。人物の比較とSAEへの接続は著者の読解であり、近い問いが同じ思想や無過失の人生を証明するわけではない。

Socrates — Ecclesiastical History, VII.13–15 · Synesius — Letter 16 · Synesius — Letters to Hypatia (Éduscol) · Hypatia — Dictionary of Scientific Biography · Ammonius — subsequent Alexandrian teaching

中国語・英語版を基に、日本語の読者に向けて独立に再構成したエッセイ。史料と詳注は 原版。