版について:中国語原作をもとに、日本語の読者に向けて書き改めた。原作ページでは簡体字と繁体字を切り替えられる。設定、時系列、断定の強すぎる表現には小幅な修正が施されている。作中の発言は原文から独自に表現し直したもので、公式台詞や字幕の引用ではない。
黒の騎士団の信頼を崩してルルーシュに勝つために、シュナイゼルはダモクレスを必要としなかった。
ただ、ある事実を口にしただけだ。
おまえたちの指導者には、人を絶対服従させる力がある。その力を使ったこともある。行政特区での虐殺を引き起こしたのは、彼だ。黒の騎士団にそう告げた。
そして、証拠を示した。
十数年にわたって責められてきた場面
協議の末、黒の騎士団はルルーシュの引き渡しを決める。交換条件としてシュナイゼルが受け入れたのは、日本の独立だった。
おそらく全編で、最も激しく非難されてきたくだりだ。扇は作品きっての嫌われ役である。非難の理由もだいたい決まっている。恩知らず。自分が死ぬのが怖いだけ。口約束ひとつに買収され、自分たちをここまで率いてきた人間を売った。
その読み方には、それなりの理がある。だが、あの部屋で本当に起きていたことを見落としている。
騎士団が直面したのは、道徳の問題ではない。認識の根拠をめぐる問題だった。
確かめる手段がない
彼らが置かれた状況を、ひとつずつ見ていこう。
この世界には、意識を保ったまま、したくないことを実行させられる力がある。彼らは今、それを知った。自分たちの指導者がその力を持っていて、使ったこともあると。
すると、問題は「ルルーシュは善い人間なのか」ではなくなる。
問わなければならないのは、これまで自分が「賛成する」と言った一回一回を、本当に自分が言ったと確かめられるかだ。
答えはない。しかも、仕組み上、答えが出ない。
記憶で確かめることはできない。ギアスをかけられた人間には、かけられた記憶がないからだ。自分の心を調べても確かめられない。当時は自分の意志だったといくら確信しても、何の証明にもならない。その確信そのものが、命令の一部だった可能性がある。
ほかの人に証言してもらうこともできない。その人も、まったく同じ立場にいる。
ギアスをかけられていないと証明する方法は、何ひとつ存在しない。
あの部屋にあったのは、この状況だ。数十人が指導者を疑っていたのではない。数十人が同時に、自分を確かめるすべを失ったのだ。
奪われるのは過去だ
第一の論考では、ギアスが奪うのは「嫌だ」だと書いた。
それは、直接命令を受ける人にとっての話だ。ひと言の命令が、その人に直接作用する。命令を下すという行為は、それで終わる。
だが、その周囲にいる人々からは、別のものを奪う。しかも、もっと根こそぎに。
振り返った過去を、確かなものとする根拠を奪う。
これからの選択肢を奪われることには、人は耐えられる。少なくともそれは、今起きていて、目に見えて、抵抗のしようもある出来事だ。
耐えがたいのは、これまでに自分がした選択のすべてが、自分の選択ではなかったかもしれないと知ることだ。
なぜなら、人は、自分がしてきた選択によって形づくられるからだ。経験、立場、忠誠、代償を払ってまで貫いた判断。それらを合わせて初めて、あなたになる。それらを自分のものとする根拠を抜き取れば、あとに残るのは、いろいろなことをしてきた一つの体だ。
あの部屋で黒の騎士団が失ったのは、一人の指導者ではなかった。
だからまず 服従を断とうとした
このうえで、あの採決を見直そう。
あの前提のもとでルルーシュについていくことは、確かめようのない状況を、これからもずっと受け入れることを意味する。今後うなずくたび、それが自分なのか、彼なのかわからない。
まず、従い続けるのをやめなければならなかった。騎士団は、最も徹底していて、同時に最も性急な方法を選んだ。ルルーシュをシュナイゼルに渡すことだ。
彼にはっきり逆らう行為こそ、彼に命じられた可能性が最も低いからだ。
あの瞬間、裏切りにはこの役割があった。報復や自己保身だけではない。自分の行為がまだ自分のものなのかを、確かめようとする方法でもあった。
組織として取りえた対応は、それだけではない。指揮権を解き、拘束して調査し、説明を求め、あるいはギアスを解除できる証拠を探すこともできた。シュナイゼルが仕掛ける時機を握っていたのは、そうした中間の選択肢が形になる時間を与えないためだ。
だから、心理的には理解できる行動であっても、手続きとしてはなお性急だった。
観客だけが立てる場所
それなら、なぜこれほど多くの人が扇を憎むのか。
観客は、騎士団の知らないことを知っているからだ。
第一の論考で取り上げた場面を、私たちは見ている。ユーフェミアの事件は暴走であって、計画ではなかった。そのときルルーシュは手を引こうとしていた。仮面さえ外していた。あの言葉は冗談だった。
騎士団に見えるのは結果だけだ。示されたのは、ルルーシュがスザクに対して虐殺の責任を認める会話の録音だった。
観客は、作中の誰も立てない場所にいる。彼の動機を知っているのだ。その場所にいると、動機はほかの人にも見えるものだという錯覚に陥る。
ただ、それよりも大切なことがある。
仮に騎士団が、あれは暴走だったと完全に理解していても、結論は変わらない。
故意だったかどうかが、もともとの問題ではないからだ。彼には、あの力がある。
他人が拒む権利を消せる能力を持っている。その事実だけで、自発的な参加を土台にする組織は立ち行かなくなる。使ったか、何回使ったか、正しく使ったか、動機は潔白か。どれも、仕組みそのものにあるこの事実を変えない。
黒の騎士団は志願兵の軍隊だ。全員が、信じたから自分の足で入ってきた。ところがギアスのある世界では、その「信じる」という言葉を、もう土台に使えない。
カレンが残した問い
あの場で最初にルルーシュの前に立ち塞がり、せめて答えさせてほしいと求めたのは、カレンだけだった。
彼女も、ほかの者と同じ立場にいた。ギアスをかけられていないとは証明できない。記憶で確かめることもできない。持っている情報が、扇より多いわけでもなかった。
確かめられるふりはしなかった。彼女がしたのは、別のことだ。すでに銃口が並んでいても、「確かめられない」からそのまま有罪になることだけは認めなかった。
ルルーシュにとって、自分は何なのかと尋ねる。できるなら、そばに残りたいと伝える。
ルルーシュは彼女を生かすため、わざと、おまえは最も使い勝手のいい駒にすぎないと答えた。カレンも結局は別れを告げる。だがそれは、彼が自分の手で、問いに答え合う余地を閉ざしたあとのことだった。
この場面での彼女の重みは、無条件の信頼が報われたことにはない。疑われている関係にも、武力で結論を決められる前に、せめて一度は言葉を交わす機会があるべきだと求めたことにある。
遅れて届いた請求書
最後に、この論考でいちばん冷たいところへ進もう。
二期、全五十話を通して、ルルーシュはこの問題を一度も考えていない。
ギアスをどう使うか、いつ使うか、誰に使うか、使ったあとをどう処理するか。それは、じつに細かく考えている。
その力を自分が持つことは、周りの人にとって何を意味するのか。それだけは、一度も考えなかった。
ギアスを道具として見ていた。だが、それは同時にひとつの状況でもある。その力が存在するかぎり、彼とかかわる人はみな、その状況の中で生きることになる。彼は全員をそこへ入れてしまった。そうなったことに、本人さえ気づいていなかった。
だから、騎士団の裏切りは、単なる物語の急展開ではない。
二期分遅れて届いた、請求書なのだ。
次の論考へ
その請求書に対してルルーシュが取った行動は、この作品で最も驚くべきものだった。
弁解せず、報復せず、信頼を築き直そうともしなかった。
自分もまた、材料になることを選ぶ。
次はゼロレクイエムについて。そして、このシリーズが本当に問おうとしていることについて書く。人は、自分を純粋な手段として扱う権利を持つのか。
本シリーズは、TVアニメ『コードギアス 反逆のルルーシュ』第一期と『R2』の全五十話を対象とする。総集編三部作、およびそれに続く劇場版や派生作品は扱わない。