政府論 · 02
一晩と一日
三つの強制
河堤通りのあの酒場の外で、第一篇の口論が乱闘になり、一人が酒瓶をつかんだ。駆けつけた巡査は、その男を押さえつけて手錠をかけ、警察署へ連行した。男は手首を骨折した。同じ夜、ソーシャルワーカーはあの子どもの家へ行き、九歳の子どもが継続的な虐待を受けていることを確認した。その晩のうちに家から連れ出し、里親家庭へ預けた。翌日、市裁判所の家事部は児童家庭局を一時的な後見の担い手に指定した。その日の昼、税務局は河堤通りの食料雑貨店の店主の銀行口座を凍結した。店主は二年分の不動産税を滞納していた。税務局は二度の書面通知と一度の聴聞を経て、基本的な生活を維持するための額を残したうえで凍結した。
三つとも強制であり、三つとも作用を受ける人の同意を待っていない。しかし根拠は同じではない。巡査が止めたのは、目の前で起きている傷害だ。税務局は傷害を止めたのではない。店主は誰かを傷つけたのではなく、税を払わなかった。ソーシャルワーカーが子どもを連れ出した瞬間には、家庭内の傷害を止めていた。しかし翌日から、局が子どもに代わって署名し、手続をするのは、もう誰かを止めることではない。制度論は境界を守ることを書いた後、立ち止まったところで一文を委ねた。「強制は何を根拠に正当なのか。それは政府論の仕事である」。第二篇が引き継ぐのは、この一文だ。
一本の連鎖
構築体は何を根拠に、人の意志に反して、その人へ力を及ぼせるのか。制度論は一部を答えた。構築体の行為は境界を越えない。内部の主体同士の境界を守り、その守り方自体も制限にとどまらなければならない。これらは構築体がどこまで行えるかを限るが、どの位置が、どの事柄について、どの強制の権限を得るかには、それだけでは答えない。『第二批判』も、人による他者への傷害を外部の構築体へ委ねる際、「構築体に委ねることは、その正当性と有効性がすでに証明されたことを意味しない」と明記した。そこで論文は、強制の種類ごとに四つの環からなる連鎖を立てる。規範的根拠、事項と権限、必要かつ限定された手段、執行と問いへの応答である。
規範的根拠は、なぜここで強制があってよいのかを問う。この環には二つの必要条件がある。一つは越境しないこと。基本的権利を侵害してはならないことは政府にも当てはまり、強制そのものが越境すれば、根拠を論じる余地はない。もう一つは政府に固有で、組み込んだ承認に基づく権利を保障することだ。税務局は凍結前に二度通知し、一度聴聞を開いた。通知と聴聞が条例に組み込まれた手続上の位置なのに、紙の上にしかなければ、凍結はこの条件を欠く。どちらも必要だが、十分ではない。事項と権限は、この位置が何を根拠にこの件を扱うかを問う。権限の有無は、一件ずつ明記しなければならない。必要かつ限定された手段は、どれほどの力を使い、どの手続を取るかを問う。瓶を持つ男を押さえ、手錠をかけた後、さらに力を加える根拠はない。口座の凍結では生活に必要な額を残す。執行と問いへの応答は、強制後を問う。押さえつけられた男は訴えを起こすことができ、店主は問い、子どもの後見は再審査される。この連鎖は強制の仕方を教えるのではない。一つの強制が答えられなければならない四つの事柄を並べている。
強制は分類も必要だ。根によって三つに分ける。阻止は、起きている越境を止める。執行は、越境の阻止を目的としない規則を遵守させる。代行は、ある人がその件で、まだ、または一時的に自ら行使できない機能を代わって行使するが、その機能の一人称への帰属は取得しない。事後の処置は第四の根ではなく、阻止が時間の中で取る一つの場面である。一つの動作が複数の枠にかかわることもある。子どもを連れ出す瞬間は阻止であり、その後の後見は代行である。
「のみ」は引き受けない
論文の出発点は、『制度はいかにして可能か』第一版にあり、後に撤回された一節だ。著者は、その行き先を政府論と定めた。その節の答えは明快だった。「制度の強制力は防御的であり、植民化するものではない」。処罰と阻止を分け、「処罰は違反者が主体より下位にあることを前提とする」のに対し、阻止は、行為が他者を侵害していても、本人をなお主体として扱うとした。そこからいくつか境界を引き、最初にこう述べた。「強制力は、他の主体の核心領域への侵害を阻止するためにのみ使え、服従の強制には使えない。服従は植民化であり、防御ではない」。
このシリーズは方向を認めるが、「のみ」は引き受けない。そのまま引き受ければ、税務局の凍結を論じられなくなる。店主は誰も侵害していないからだ。しかし政府が動くには、徴税、登録、徴用、証人への出廷強制などが必要で、それらが止めるのは進行中の侵害ではない。根拠があるかは別に問わなければならない。「のみ」の一語ですべて締め出せば、問うべき問いまで閉ざしてしまう。したがって、この限定は阻止という一種類の中だけに残す。そこでは今も正しい。後半の「服従の強制には使えない」は、狭い意味で引き受ける。服従自体を目的とすること、または政府の目的を本人自身の法として認めるよう求めることだ。期限内の納税など、根拠のある具体的な行為要求は、従うことを求めるだけで服従の強制になるわけではない。ほかの二つの境界は引き継ぐ。「過剰な強制自体が、違反者の主体性を侵害する」。適正な手続を経ない強制は、一方的な暴力である。この二つを、違反者だけでなく、強制を受けるすべての人へ広げる。
「のみ」という語はミルを思わせる。『自由論』は言う。「文明的な共同体の成員に、本人の意志に反して権力を正当に行使しうる唯一の目的は、他者への危害を防ぐことである」。形は同じで、一致する点もある。本人自身の利益は、「身体的なものであれ道徳的なものであれ、十分な理由にはならない」。分かれるのは「唯一」だ。ミルの原理は、本人の意志に反する権力のすべてを扱う。このシリーズが「のみ」を引き受けないのは、危害原理が誤りだからではなく、執行には別の根があり、別の連鎖をたどる必要があるからだ。これは分け方の違いであり、論破ではない。
止める
酒場の外へ戻る。巡査が着いたとき、酒瓶はすでに男の手にあった。彼は男を押さえつけ、手錠をかけた。これは阻止である。殴られる側の身体への越境が起きており、巡査の手が間に入る。根は、内部の主体同士の境界を守るという制度論の第二の当為にある。制限もそこにある。守衛は「操作を判定し、人を判定しない」。巡査が押さえ込むのは、瓶を持つあの動作だ。押さえ込むことによって、その人に「人を殴る者」という身分を与えるのではない。
強制される側が、あらかじめ越境者である必要はない。ある旅行者が入国後、空気感染する感染症と診断された。保健局は指定場所での隔離を求める。期間は規定に従い、毎日食事が届き、家族と通話でき、期限が来れば再検査する。本人は同意せず、症状は軽いから自宅で休めばよいと考える。誰も殴らず、害するつもりもない人に、なぜ力を及ぼせるのか。境界は「動機ではなく構造で決まり」、「越境に故意は要らない」からだ。この二文は、もともと制度論が構築体の行為について述べたものだ。一人の作用が他者へ及ぶ場合に用いるのは、このシリーズ自身の一歩である。根拠は、そこで引き継ぐ権利論の判定基準が、もともと動機を見ていないことにある。空気感染する病気が他者に及ぶことは、悪意がないからといって起こらなくなるわけではない。ただし、この一歩は狭く書く。「故意がなければ越境しない」という必要条件を取り除くだけで、ある危険がすでに侵害であると、それだけで判定するのではない。危険に基づく阻止では、二つを明記する。どの根拠ある危険を防ぐのか。ここでは、診断済みの空気感染症が同居人や接触相手へ及ぶ危険であり、「何かの病気かもしれない」でも「この人は危険だ」でもない。もう一つは、行為が誰に向けられるか。ここでは越境していない人に作用するので、さらに一層答える必要がある。それは執行の枠の負担だ。
第一篇の飲食店への営業停止命令も、この種の阻止である。防ぐのは従業員と客の一酸化炭素被害の危険で、作用する相手は越境していない店主だ。二週間後、検査はその危険を裏づけなかった。当時、危険に根拠があれば、阻止にも根拠がありうる。検査で裏づけられなかったからといって、過去の根拠がなかったことになるわけではない。しかし答えるべきことは、すでに生じている。何を根拠に危険と判断したか。なぜ箱だけでなく店全体を止めたか。損失をどう勘定するか。
執行
店主は越境しておらず、口座凍結が止めるのも進行中の侵害ではない。これは執行だ。越境を止めるために設けたのではない規則を、遵守させる。徴税、登録、規制、徴用、証言の強制はこの枠に入る。根拠は何か。法学シリーズに一つの推論がある。「法に積極的な条項、すなわち登録、手続、規則があるなら、その正当性は否定的な根へさかのぼれなければならない。抑圧の防止、問い直す通路の保障、または共に構築する空間の維持である」。続いて言う。「否定的な根へさかのぼれない積極的条項は、法ではなく、行政または植民化である」。論文はこれを政府の執行に伴う強制へ借り、自らの一歩と明記する。強制は、この三つのどれかへさかのぼれなければならない。同時に、つい読み込みやすい解釈も防ぐ。さかのぼれない強制は、行政と言い換えても成立しない。行政上の目標に根拠があっても、それだけで強制手段の根拠にはならない。
執行の強制は、多くの場合、越境していない人に及ぶ。そのときは立証の負担が一層増す。本人が負う分は、本人の操作が招いたものではなく、強制する側が説明するほかないからだ。五つに答えなければならない。誰が負い、誰を保護するか。根拠は何か。必要性と比例をどう判定するか。代替手段はあるか、時間の限界はどこか。損失と救済をどう勘定するか。凍結では、負担するのは店主一家で、保護されるのは税が支える共同の事柄と、期限内に納税した人々だ。二度の通知と一度の聴聞が先にあり、生活費を残すことで、一家の生命の基盤を脅かすところまで凍結が圧迫しないようにする。隔離では、旅行者が独居で独立した出入口を持ち、自宅隔離でも同じ効果が得られるなら、指定場所での隔離は「必要」の条件を通らない。阻止の根は残るが、手段を変えなければならない。
土地の収用では、この五つが最も難しい形で現れる。洪水を防ぐ堤防を造るため、苹果市は川沿いの菜園を収用した。土地は、河堤通りの飲食店二軒へ野菜を納める農家のものだった。補償は市場価格に基づく。しかし本人は、それでは同じように川に近く、水を引ける土地が買えないと不服を申し立てた。この不服は二段階で読む。人がすでに持つ維持の回路を能動的に切断し、それによってその人がすでに取り入れた次元を閉じるなら、それは侵害であり、いくら補償しても制限には変わらない。ただし土地そのものは資源であり、収用によって何かが閉じたかどうかは、代わりの通路が残っているかによる。記録では、この点は「別途確認」とされている。閉じていなければ、初めて収用は境界内にとどまる。そのときも市場価格の補償が答えるのは、損失はいくらに当たるかであって、代わりの通路がどこにあり、影響がどこまで及ぶかではない。その部分の勘定はまだついていない。
証言の強制は、問い直しに最も近い。ミルもこれを認める。「他者の利益のための積極的な行為にも、正当に強制しうるものは多い。たとえば法廷で証言することだ」。彼は不作為も悪を生む一つの仕方と数え、危害原理に含め、すぐにこう付け加える。「確かに後者の場合には、前者よりはるかに慎重な強制の使用が求められる」。結論の方向は同じだが、置き方が違う。このシリーズは証人を執行の枠に置く。証人は越境していない。受ける強制は、問い直しの通路の保障へさかのぼらなければならず、増える負担に一つずつ答えなければならない。
事後に
ある夜、十六歳の少年が河堤通りのバス停のガラスを割り、破片でバスを待つ人がけがをした。市検察局が公訴を提起した。越境はすでに起きている。このとき政府がするのは、事後の処置だ。第一版のあの節には、「処罰は違反者が主体より下位にあることを前提とする」とあった。このシリーズが引き受けるのは、その否定の半分である。「違反者は主体より下位だ」という前提に立つ処罰を認めない。人を主体より一段低いものとして扱うなら、その処置自体が越境になる。
事後にすることは三つあり、分けなければならない。第一は、越境が残し、今も続く作用を止めること。破片はまだ停留所にあり、次に待つ人も傷つくかもしれない。そこで片づけ、停留所を閉鎖して修理する。第二は再発防止だ。これも阻止であり、将来の同じ操作を止める。やはり根拠ある危険を明記し、「この人は危険だ」で代えてはならない。守衛は「操作を判定し、人を判定しない」。確認した操作は本人に帰せるが、「人に恒久的な身分を与えない」。防ぐのはバス停を壊す操作の再発であり、十六歳の人に「公共物の破壊者」という一生つきまとう身分を与えることではない。第三は、すでに生じた損害への応答である。負傷者の医療費、停留所の修理費だ。これは阻止ではない。賠償は、すでに起きたことを止められず、別の根拠が要る。論文は候補として、共に構築する空間の維持を挙げるが、そこへの遡行を最後まで終えてはいない。守るのは、この根拠を再発防止へすり替えないことだ。すり替えると賠償が「どれほど危険そうに見えるか」で増減し、操作の判定から人の判定へ滑る。あるいは金額を損害でなく威嚇の効果で決める。それは名を変えた処罰である。
公訴についても述べよう。手続を始めたのは負傷者ではなく、公共の位置だ。法学シリーズは、ある種の行為は「公権力がすべての主体を代表して訴追しなければならない」と言う。このシリーズは「すべての主体を代表する」を、有効な公共の位置に基づき、保護の対象のために手続を始めることと読む。こうした事件には、市内でも憤る人、気にしない人、許すべきだと思う人がいる。公訴は、誰に代わっても法を立てず、負傷者自身が内心でどう見ているかも代わって引き受けない。許すかどうかは、負傷者自身の法だ。公訴は本人に代わって許さず、許さないこともしない。代表という名目も、検察局の位置を越える権限を与えない。この読み方を一般の公訴に用いるのは、このシリーズ自身の一歩である。
本人に代わって行う
子どもを連れ出した夜の後、事態は形を変えた。一時的な後見の間、局は子どもに代わって、医療への同意、入学登録、家事部の手続での陳述を行う。別のことは本人が行う。父親に会いたいか、どの課外活動を選ぶか、日常の友人関係などだ。局の規程は、子どもにかかわる決定では意見を聞き、記録に残すよう求める。里親家庭が日常生活を世話し、家事部は六か月ごとに再審査する。同意書への署名を代わることは、誰かを止めることではない。根拠は何か。強制の第三の根、代行である。どの枠に入るかは場面の名前でなく機能で決める。医療同意への代理署名は代行だが、父親に会いたいかは本人が表明できるので違う。本人が同意しないことを理由に、代行が必要とも判定しない。自ら判断でき、政府の目的に同意しないだけの人を、そのために代行が必要な人として登録してはならない。代行は三つに答える。どの機能か。なぜ今、代行を要するか。誰がどの権限で一時的に行うか。この子の場合、医療同意、入学登録、手続での陳述である。九歳ではまだ自ら行えず、それまで代わっていた家庭で傷害が起きていた。担うのは、家事部が指定した児童家庭局である。
代行の根は、政府の善意でも、本人のためになることを政府がよりよく知ることでもない。代行を受ける本人自身の地位にある。権利と権益の専論は言う。「準主体の権利は、すでに目的であり、現在の主体と等しい地位を持つことに基づく。これから主体へ生成することに基づくのではない」。子どもは将来大人になるから地位を持つのではなく、今すでに持つ。後見者に移るのは機能だけで、地位は一瞬も移らない。根にはもう一つの枝がある。すでに門が自ら機能していた人が、一時的に自ら行使できなくなる場合だ。そのときネットワークが再び提供する機能上の支援は、「機能の再代行であって、資格の後退でも、地位がネットワークへ戻ることでもない」。意味論はこの枝の境界を定める。「一時的な機能の喪失、表現の中断、行使の帯域の低下だけでは、一人称で引き受ける位置が退出したとは導けない」。これを家庭と後見のネットワークから公共の位置へ広げるのは、このシリーズ自身の一歩だ。公共の位置に加わるのは強制力なので、強制の制限も受ける。
一人暮らしの成人が、自転車で走っていて車にはねられ、昏睡状態になった。医師は数週間以内に目覚める見込みがあると判断した。緊急ではないが、二週間以上延ばせば今後の回復に影響する手術があり、誰かが受けるかどうかを決めなければならない。親族とは連絡がつかず、代理人の事前指定もない。ただ三年前、市立病院での診療時に書面の意思を残していた。「選べるなら保存的な治療を希望し、必要不可欠でない手術は受けたくない」。市立病院の申立てを受け、市裁判所は公共の後見人を指定した。この一件の医療判断だけを代行し、本人の覚醒か六十日の満了の早い方までとする。独居というだけで、公共の位置が代行を許されるわけではない。この代行は、ほかに代わる人がいないとき、裁判所を通じ、一件に限って成立したものだ。三年前の一文は、昏睡によって消えない。後見人は本人の名の下で決定し、あの一文も本人の名の下にある。この手術が「必要不可欠でない」に当たるかは、後見人が判断し、説明しなければならない。しかし、一文がなかったことにはできない。期限は返す道である。目覚めれば機能は本人の手に戻る。六十日が来れば改めて判断する。制度論が守衛について言うとおりだ。「一時的な守衛の構造は、その条件が変われば再審査を要する。来歴によって自動更新されない」。また「一時的」も、事実が満たすべき前提であり、ここでは医師の予後判断による。予後が「回復するか判定できない」へ変わったなら、二つの枝のどちらにも入らない。この状態については、意味論と同じく、このシリーズも判定しない。「入らない」とは、ここで示した根が覆わないというだけであり、そのとき何もしてはならないという意味でも、何をしてもよいという意味でもない。
返す方へ向かう
代行には根があり、制限もある。論文は三つ立てる。第一は、返す方へ向かうこと。制度論は非対称な支援について言う。「非対称な支援には方向がある。退くのは、支配的な依存、他者の構成の役割を占めること、根拠を失った局所的な制限である」。元は支援についての文であり、代行へ用いるのはこのシリーズ自身の一歩だ。うち二つはそのまま移せる。後見中に子ども自身の中で育ったものは本人のものであり、局のものとして記さない。自分でできるようになった事項から、局は退く。「制限が根拠を失ったかは、それが解決していた問題がもうないかで決まる。来歴が保証するわけではない」。一年後、父親が面会の再開を申し立て、子どもも望んだとする。当初の制限が防いだ問題が今もあるかは、家事部が確かめることだ。子どもの希望だけでは結果は決まらないが、数えずに済ませることもできない。三つ目の支配的な依存は、そのまま移せない。子どもが代理の署名を要するのは、局が関門を設けたからではない。もともとあった交流を不必要に切断するなど、局が関係の中に別の関門を加えないかぎり、子どもが局に依存するというだけで、局が支配しているとは判定できない。返す方へ向かうという要求は、代行へ移されると強制の制限となり、「貫く」側に属する。人員と予算が足りないことは、代行を続け、返却を遅らせる理由にならない。
第二は、固定した二分法の閾値で一律に分けないこと。徐々に能力が成熟する子どもについて、年齢だけで一律に引き、事項を見ず、反証できない一本の線によって、自分ですることと他者が代わることをすべて分ければ、本人ができることまで他者へ渡す、体系的な誤分類の危険を生む。事項ごとに一覧をつくり、六か月ごとに再審査し、不服を申し立てられ、個別の事実で覆せるなら別である。この子の一覧がそうなっているかは、実際に見なければならない。昏睡した人についての制限は、機能の再代行は資格の後退ではないということだ。この一件で代行を受けても、それによって以後ほかのことでも代行を要する人と扱わない。第三は、どんな人になるかを本人に代わって決めないこと。制度論は守衛について言う。「本人に代わって境界を引かない。止めた後も、本人が何になるかを代わって決めない」。元は保護される側への文であり、代行を受ける人へ用いるのも、このシリーズ自身の一歩だ。局は子どもに代わって学校を選べる。価値論は、その加減を細かく述べる。「後見のネットワークにできるのは、候補となる内容へ到達できること、その表現、将来修正できることを守ることである」。「できないのは、候補となるどんな配置も、準主体がすでに完成した一人称の価値内容として固定することである」。
二つの門のどちらにも入らない例を見よう。住宅局は河堤通りの古い建物を危険と判定した。七十代の住民が退去を拒んだ。意識は明晰で、説明を聞き、危険を理解している。ただ四十年暮らした家を離れたくない。自ら判断でき、同意しないだけなので、代行には入らない。本人だけを危険にさらす半分については、他者の境界を越えていないので、阻止にも入らない。この半分で政府ができるのは、説明と条件の提供である。外壁が通りに面し、れんがが落ちて歩行者を傷つける危険があるなら、その部分は阻止となる。根は歩行者の境界で、手段はれんがを止めるところまでだ。歩道を閉鎖し、外壁を補強する。阻止を進めた末に退去が必要になるかもしれない。しかし、もともと望んでいた「退去」という結果を、阻止に紛れ込ませてはならない。
本人のためになることを政府が代わって決めることに、カントは厳しい言葉を向けた。父権的政府は、臣民を、自分に本当に有益か有害かを見分けられない未成年の子どもとして扱い、どう幸福になるべきかについて、君主の判断と慈悲を待たせる。「これは、考えうる最大の専制である」。権利を享受しうる人について、このシリーズはこの文を引き受ける。危険な建物の老人は、まさにその人だ。代行と父権的政府は、根が違う。一方は代行を受ける本人の地位、他方は支配者の善意である。制限も違う。父権的政府は人がどう幸福になるべきかを決めるが、代行は本人が何になるかを決めてはならず、同意しないことを理由に代行を要する者として登録することもできない。論文はカント側の最も強い反論を組み立てる。どの父権的政府も、「この数項目だけを代わる」「期限がある」「成長したら返す」と言うではないか。応答は、違いは名目でなく、確かめられる構造にあるということだ。三つの立証事項を連鎖に書き込み、本人が自らできる部分を記録して代行せず、代行者以外の節点で検査し、来歴ではなく期限ごとの再審査で返す。これらを欠けば、代行はカントが退けたものへ戻る。代行という名も、検査免除にはならない。「代行にすぎない」という自称も、涵養しているという自称と同じく、問いを閉ざせない。
入館カード
果園里団地には、規約を可決する区分所有者総会と、それを執行する所有者委員会があり、委託先の管理会社を通じて仕事をする。規約には、管理費の滞納が六か月に達した場合、月ごとに罰金を科し、共用クラブ施設と地上駐車場を利用停止にするとある。六年目、一世帯の滞納が十二か月になった。委員会は、この世帯の住棟への入館カードを停止すると決めた。出入りのたびに管理会社の職員が開け、夜十時以降は開けない。同居人には高齢の母親もいた。誰についてか。滞納世帯と同居の家族。どの境界にかかわるか。断たれるのは自宅へ帰る道であり、利用条件を取り決められる施設ではない。基準状況は、期限内に払う住民の出入りである。
規約の処置一覧に入館カードはない。しかし、問題は権限だけではない。仮に規約にあっても、この遮断は認められない。住居そのものは資源であり、重要だからといって厚い層へ入るわけではない。ただし権利論は、もう半分を区別した。「資源が厚い層へ入らないことは、資源を介する作用が厚い層へ届かないことを意味しない」。「主体の既存の維持回路を能動的に切断し、遮って関門を設け、または排他的に独占し、すでに取り入れた次元を閉じる場合、その作用は閉じられる次元によって分類され、侵害となる」。クラブ施設と駐車場を止めても、一家は家で暮らせる。しかし住棟の扉は、一家が家へ帰る道だ。カードが止まっても扉は施錠されたまま、開けるかどうかは毎回職員が決め、夜十時以降は開けない。委員会は供給から退いたのではなく、開閉を握ったのである。毎晩十時を過ぎれば、遅く帰る人は家へ入れず、家にいる人は出られない。回復も本人たちの手にない。高齢の母親は滞納者ではなく、自分で精算できる勘定を持たない。支払えば開けてもらえるとしても、金を払わせて通すことこそ関門そのものであり、回復の通路ではない。問う道は、処置を決めた委員会への申立てか、一審に一年かかる訴訟である。これは一回の行使の制限ではなく、構造的な切断、すなわち閉鎖であり、越境している。
実在する滞納分を督促することには、根拠がありうる。罰金も、否定的な根へさかのぼれるなら根拠がありうる。しかし、根拠で手段を救うことはできない。強制そのものが制限にとどまらなければならず、双方に一層ずつある。強制される側には、越境せず、退出、拒否、撤回の通路を塞がないこと。瓶を持つ男を押さえ、手錠をかければ、阻止は済んでいる。それ以後に加える力には、さかのぼる根拠がない。最初の押さえ方が過剰だったかは、裁判所が判断する。保護される側には、本人に代わって境界を引かないこと。ただし、これらの通路を、どの命令にも即時に使える拒否権と読んではならない。権利論は、通路が塞がれることについて言う。「関係の中に期限、手続、条件、退出の費用があることとは違う。拒否し、継続する拘束を撤回し、または審査可能な手続へ移るための構造的な通路を、主体がもはや持たないことを指す」。滞納世帯は罰金を拒めば無効にできるわけではなく、店主も「同意しない」と言えば凍結を取り消せるわけではない。保つべきなのは、拒んだ後にも、事柄を審査可能な手続へ移せる道だ。だから強制は部分ごとに確かめる。口座の操作や開錠方法の変更のように、制限しうる行為へ作用する部分と、一家が夜に帰宅できなくなるように、境界に触れる部分を分けて判断する。前者に根拠があるからといって、後者まで通してはならない。
賛同の宣言
六年目、市議会は条例を可決した。公営住宅への新入居者は「苹果市の精神」という講座に六回出席し、終了時に「苹果市の価値への賛同宣言」へ署名する。署名しなければ罰金を科し、翌年の賃貸契約を更新しない。ここで罰するのは特定の行為ではなく、賛同しないことだ。これは、政府の目的を本人自身の法として認めさせる、狭義の服従の強制そのものである。境界を越えている。「外部の力による排除、代筆、引き直しは、すべて侵害である」。講座は教育のように見える。しかしまず名目でなく境界で判断する。教育を装う側面は、狭義の植民化と呼べる。
制度論は、条件の提供でも同じ境界を立てていた。「条件に『この発展の方向を受け入れよ』という要求が付けば、外部の人による代筆になる」。この件は、さらに一段重い。あちらは支援に方向を付ける場合で、こちらは強制に方向を付ける場合だ。支援に方向を付けても代筆なのだから、強制ならなおさらである。軽い場合から重い場合を示すこの一歩は、このシリーズ自身が踏み出す。ここから一文が出る。強制は通路を保護できるが、方向を維持してはならない。政府は通路を塞ぐ人を強制で止められるが、人を一つの方向へ進ませることはできない。向かう先は目的の王国で、それをつくるのは人であり、制度が宣言すれば完成するのではない。強制で維持する方向は、すでにその方向ではなくなっている。講座が防火とごみ分別の説明だけで、出席のみを求め、署名を求めないなら、それは外的な行為要求である。執行の枠に戻して別に確かめる。出席を強制する根は何か。越境していない新入居者に対し、増える負担へどう答えるか。
まず保護する
果園里団地の同じ棟で、上階と下階の住民が漏水をめぐって三か月争っていた。ある夜、上階の住民が廊下で下階の住民を塞ぎ、「また管理会社へ行ったら、この扉から出られなくしてやる」と言った。下階の住民は警察に通報した。巡査が来て二人を離し、下階の住民が市裁判所へ一時的な保護命令を申し立てるのを助けた。三か月の争いは二人の間の事柄で、自ら話し合っても、管理会社や裁判所へ持ち込んでもよい。しかし廊下のあの一言の後では、状況が変わる。衝突論はこの枠を書いていた。非対称な操作が、人の中断、退出、表現、基本的条件を実質的に狭め始めたとき、「保護は、どのような相互的な処理より先に行ってよい」。『存在どうしの関係はいかにして可能か』は、同じ箇所を引き継ぎとして書く。「まず保護し、次に相応の権限を持つ手続へ移す」。衝突論のその箇所は、二人の間の段階的な引き継ぎを述べている。政府の阻止へ広げるのはこのシリーズ自身の一歩で、根拠は原文にある。その枠に達したら、法と安全の仕組みへ委ねると明記されているからだ。二人を離すのは先行する保護、保護命令は引き継ぎである。漏水の争いは、それまでどおり争ってよい。
先に保護するという文は、いつかを述べ、誰かは述べない。何かが狭められたからといって、どの政府にも介入権限が自動的に生じるわけではない。誰が保護するかは、事項と権限の環へ戻る。この件では市警察局が保護し、市裁判所が命令を出す。それによって所有者委員会に強制権限が生じるのではない。規約が扱うのは管理費、施設、住宅の売却であり、廊下での身体への脅迫ではない。上階の住民の入館カードを止め、下階の住民を「保護」することはできない。その遮断については、すでに前で判定した。
市長が指名する裁判官
酒場の外で押さえつけられ、手首を骨折した男は、後に市警察局を訴え、巡査の力が過剰だったと主張した。この事件を審理する裁判官は、市長が指名し、市議会が承認した者である。敗訴した側は州裁判所へ上訴できる。強制は最後には裁定へ至ることが多いが、裁定も政府の行為だ。衝突論は、両者がいつ外部へ裁定権を渡せ、何を渡すかを述べた。「譲り渡すのは行為上の争いについての手続的な裁定権であって、自分自身の法を構成する権能ではない」。政府の裁判所へ、この文をそのまま移せない。強制的な管轄の下で裁定することが多く、被告側は何も譲り渡していないからだ。あの十六歳の少年も裁判所の判断に同意していないが、裁判所はなお判断できる。したがって裁判所の権限の根拠は、あの連鎖へ戻らなければならない。裁定の範囲は、衝突論に従う。「どちらの法が一人称においてより真であるかも、誰の主体の資格がより高いかも、決定できない」。裁判所が判断するのは、押さえつける力が必要な範囲を越えたかであり、巡査が乱暴な人間かでも、原告があの夜そうされて当然だったかでもない。
この件では、政府自身が当事者である。被告の市警察局は苹果市の一部であり、裁判官は苹果市長が指名した。衝突論は警告した。「強い側だけが選んだ第三者は、その側の権力の延長にすぎないことがある」。『存在どうしの関係はいかにして可能か』は、逆の側も正確に述べた。「第三者を一方が指名したという事実だけでは、その側に取り込まれたことは証明されない。調べるのは、なおその側の意志だけに従っているか、独立した手続と適用権限を持つかである」。したがって、市長による指名は確かめるべき関係であり、取り込まれたことの自動的な証明ではない。指名と承認は市長と市議会に分かれている。任命後も、市長は裁判官の進退を一方的に左右できるか。この事件について裁判官は、独立した手続と適用権限を持つか。州裁判所への上訴は別の水準の道であり、その水準でも独立性を改めて確かめる。
ミルと
論文はミルとの対話で終わる。三点で一致する。本人の利益は、その人を強制する十分な理由ではない。証言を強制できる。まだ自分のことができない人には、他者が代わってする事柄が必要である。分かれるのも三点だ。ミルは一つの門、「唯一の目的」を立てる。証言や共同防衛の分担も通すため、不作為を悪を生む一つの仕方と数える。論文は三つの根を立て、それぞれの連鎖をたどる。越境していない証人を、ここでは危害を与えた者と数えない。さらに一層の負担に答える必要があるだけだ。ミルは子どもや他者の世話を要する人を学説の適用外に置く。論文は除外せず、代行を事項ごとに枠へ入れ、期限を設け、返す方へ向かい、本人が何になるかを決めない。ミルの根拠は最も広い意味での効用であり、論文の根は人が目的それ自体であることだ。根拠の違いを記録するだけで、どちらが正しいかは裁定しない。
論文はミル側の最も強い反論を組み立てる。三つの根より一つの原理の方が政府を制約できる。「他者への危害の防止」という一つの門だけを開き、それ以外を許さない。執行に別の道を開けば、門を広げることになる。根が多ければ、政府はいつでもどれかを見つけられるではないか。応答はこうだ。門の広さは、そもそも数では決まらない。証言や防衛の分担も、不作為を危害と読むことによって、ミルの一つの門を通った。論文は同じことを明るみに出し、どの強制がどの根に基づき、どの追加負担に答えるかをすべて書く。損失と救済の勘定も含む。それはミルのその箇所では問われなかったことだ。執行の道も広くはない。否定的な根へさかのぼれなければ成立せず、行政と言い換えても成立しない。論文自身が遡行を終えていない箇所、たとえば防洪堤の土地収用やバス停事件の賠償については、終えていないことは、さかのぼれないことを意味しないので、不成立とは判定しない。しかし終えるまでは、その部分の強制の資格も保証せず、残る問いとしておく。それによって危害原理を論破したとは主張しない。得られるのは範囲と分け方の分担である。
酒場の外での押さえつけ、防洪堤の土地収用、果園里団地は、後の篇でも戻ってくる。第二篇をまとめれば、こうなる。強制の各種類は、四つの環の連鎖をたどる。阻止、執行、代行のいずれかであり、それぞれに根がある。強制そのものが制限にとどまらなければならない。通路は保護できるが、方向を維持してはならない。
原論文と読み方について
学術原論文:Qin, Han (2026). 強制(SAE政府論 第二篇)。self-as-an-end.net ↗ · DOI: 10.5281/zenodo.23413056
中国語の本文をもとにAIの支援で作成し、今回の公開に向けて内容と表現を校訂しました。人間の母語話者による校閲を受けたと主張するものではありません。