公正価格と高利貸しの禁止:物差しが測ることを拒んだもの
中世の公正価格論と高利禁止は、他人の窮迫まで価格へ取り込まないための境界だった。信用を塞ぐ規範と、別名で戻る利子の両面を考える。
一 飢饉の町に着く穀物船
まず、一つの場面を思い浮かべてほしい。中世の大学で、何度も取り上げられた場面である。
ある町が飢饉に襲われ、穀物の値段が跳ね上がっている。そこへ、一人の商人が穀物を満載した船で入港する。商人は、町の人々の知らないことを知っている。明日、明後日には、さらに何隻もの穀物船がやって来る。穀物の値は、まもなく下がるのだ。では、この商人は、知っていることを黙ったまま、今日の高い相場で積み荷を売ってもよいのだろうか。
この問いには、その後、何百年にもわたって経済思想を悩ませる難題が、ほとんどすべて詰まっている。商人の売る穀物と、相手が手にしている金は、もともとまったく違うものだ。どうして一つの数へ換算できるのか。その数は何によって決まるのか。いまの相場か。穀物そのものの値打ちか。それとも、この町の人々が生き延びるために、どれほど必要としているかによるのか。商人だけが持っている知識も、売り物の一部なのか。そして、腹をすかせた人が払うと承知した額は、その船の穀物にとって、公正な値段なのだろうか。
ここで、商人は嘘をついていないことに気をつけたい。穀物が不足していると言ったのでも、でたらめな知らせを流したのでもない。ただ、何も言わない。それだけである。難しさは、まさにそこにある。売買する二人が、同じことを同じだけ知っているなどということは、まずない。黙っているかぎり欺いたことにはならないとすれば、多くを知る側は、その知識の段差から、いつでも利益を取り出せる。価格は二人で話し合って決めたように見える。だが、二人が手元に持つ札は、初めから違っている。
中世の神学者や法学者は、こうした問いを数百年にわたって考え続けた。その仕事を、当時の人は商売を嫌っていた、という一言に縮めてはならない。彼らが本当に問うていたのは、もっと別のことだ。貨幣が共通の物差しとして作られたのなら、その物差しは、何もかも自分のなかへ取り込めるのか。取り込みきれないとき、外へはみ出すのは、いったい何なのか。
はみ出すものの名を、彼らはすでに、かなり具体的に挙げていた。買い手の切迫した必要。売り手の被る損失。場所の遠さ、時間の長さ、危険、評判、人とのつながり。そして、この町では何を公正とするかについて、人々が共有する判断。それらは、実体のない飾りではない。一件の売買が成り立つかどうかを、どれも現実に左右する。それなのに、どれ一つ、きれいに値段へ折り畳むことはできないのである。
ここまでの三篇では、「構」、すなわち組み立てられた秩序は、いつも外へ向かって押し広げられていた。より多くのものを価格へ換算し、帳簿へ測り入れようとしてきた。ここで、その向きが変わる。今度の構は、価値の側に足場を置く。価格を公正さへ結び直し、その物には本来どれほどの値打ちがあるのかへ引き戻し、何をすれば人につけ込んだことになるのかという、共同体の判断につなぎ留めようとする。
だが、これもまた構である。すべてを収め、閉じようとする。そして、やはり取りこぼす。
しかも、この歴史は両側から見なければならない。片方だけをたどっては、見えなくなるものがある。価格を公正さにつなぎ留める側は、人を守ったと同時に、人を押さえつけた。その結び目を押し破った市場の自由も、人を解き放ったと同時に、人を踏みつけた。どちらか一方が、歴史の向かうべき先だったわけではない。
この点を、初めにはっきりさせておこう。そうしないと、この先の数百年の曲がりくねった道が、一本の直線に見えてしまう。人類はついに愚かな規制を脱ぎ捨て、自由な市場へたどり着いた、という線だ。史料は、そんなふうには語っていない。規制によって守られた人がいる。その規制に道を塞がれた人もいる。自由になって外へ出られたものがある。同じ自由によって、再び中へ入り込んだものもある。両側にはそれぞれの構があり、それぞれの綻びがある。
二 一点には定まらない
十三世紀の神学者トマス・アクィナスは、『神学大全』の二つの問いで、この問題を扱った。第七十七問では、売買における欺きと公正価格を。第七十八問では、高利貸しを。この二問は、のちのスコラ学における経済論の、ほとんど出発点となる。スコラ学とは、中世の大学で育った、神学と法学をめぐる学問の伝統である。
二つの問いが隣り合わせになっていることにも、意味がある。アクィナスにとって、売買と貸し借りは、同じ問題の二つの面だった。ある物に、どれだけの値打ちがあるのか。ある長さの時間に、どれだけの値打ちがあるのか。前者では物と金のあいだに、後者では今日の金と将来の金のあいだに、釣り合いを見いださなければならない。どちらも結局、この物差しは本当に正しく測れるのか、と問うているのである。
出発点は、ごく素朴だ。売買は、双方がともに利益を得るために設けられた。ならば、片方だけに、釣り合わない重さの負担を背負わせてはならない。人間の用に供される物は、価格によって、その値打ちの大きさを測られる。貨幣は、まさにそのために考え出された。価格が物の値打ちを上回る場合も、物の値打ちが価格を上回る場合も、交換のなかに保たれるべき対等さは損なわれる。
見落としてはならないのは、彼が貨幣という共通の物差しを否定していないことだ。むしろ、異なる物同士の勘定を済ませるための仕組みとして認めている。彼が退けるのは、欺くことによって、その物差しを勝手に伸ばしたり、縮めたりする行為である。
この区別は大切だ。スコラ学者を商売に反対する人々として描いてしまうと、後の歴史は説明できなくなる。なぜ彼らは数百年もかけ、為替、共同出資、危険の負担、損害の補償について、あれほど細かな区別を磨いたのか。物差しを捨てたかったのなら、その必要はなかったはずだ。彼らが求めたのは、物差しを認めながら、誰かがひそかに目盛りを変えるのを許さないことだった。測ることを認めることと、測る道具で人を苦しめさせないこと。この二つを、同時に守ろうとしたのである。
ところが、まさにここで、アクィナスは、後世に数えきれないほど引かれる一言を記している。物の公正価格は、いつでも一点のように厳密に決まるわけではなく、むしろ、ある種の見積もりのなかにある、と。
この言葉の重みは、急いで読み過ごさないほうがよい。言っているのは、この体系の土台を据えた本人なのだ。その本人が、自分の立てようとする物差しでは、値を一点にまで絞り込めないと認めている。価格を測ることはできる。しかし、計算で一つに決め切ることはできない。そこにはつねに、見当をつけること、その場の事情、共同体の判断が入り込む。後のあるスコラ学者は、この考えをさらに押し進め、数学的に厳密な公正価格を知るのは、神だけであると述べた。
謙遜をしているのではない。構が、自分の力の最も充実したところで、自分には届かない場所を、自ら言い表しているのである。
公正価格は結局、市場価格のことなのか。後世の論争の多くは、この一言の周囲を巡ってきた。一方の研究者は、欺きも強制も独占もない通常の条件では、公正価格とは普通の市場価格だと言う。スコラ学者を、需要と供給も知らずに説教をした人々にしてはならない、と。他方は、共同の評価を認めることと、市場に任せれば自動的に正しい答えが出るという後世の考えを認めることとは違う、と注意する。彼らは同時に、公定価格を論じ、物が足りないときの価格上限を論じ、取引の乏しい市場では費用と危険をどう考慮するかを論じていた。公正価格は数学上の一点ではなく、ある幅のなかにある、とも繰り返している。争われているのは、市場を使うか使わないかではない。皆が共有するその値踏みの、どこまでが市場で生まれ、どこからが制度や道徳のなかに埋め込まれているのか、ということなのだ。
アクィナスの議論には、もう一つ、区別の細やかさが際立つ場所がある。おそらく、本篇で最も大切なのは、そこだ。
彼は、二つの場合をはっきり分ける。売り手がある物を手放すために、現実の損失を被るなら、物そのものの値打ちを上回る価格でも、なお正当でありうる。その人が差し出すのは物だけでなく、手放すことによって自分が負う損害も含むからだ。だが、買い手のほうが格別に困っていて、その物から特に大きな利益を得られるだけなら、話は違う。売り手自身には、手放しても何の損害もない。その場合、相手の必要が切実だからという理由で、値をつり上げてはならない。
売り手が自分の損失として説明でき、現に引き受けるものは、価格に入れてよい。買い手に逃げ道がないことは、入れてはならない。
同じ上乗せの金でも、どこから来るかによって、一方は勘定に入り、一方は入らない。その区別の底には、一つの判断がある。誰かが壁際まで追い詰められていることは、別の誰かが値札をつけてよいものではない。自分が失うものの代価は求めてもよい。相手が逃げられないことの代価を求めてはならないのである。
この非対称な扱いにこそ、規則の慎重さが表れている。売り手の損失は、その人自身の身に起きることだ。何を失うかを説明でき、損失を負うのも本人である。それを価格に加えるのは、その人だけがただ損をしないようにするためだ。買い手の窮状は違う。売り手が何かを差し出した結果ではなく、買い手が置かれた境遇そのものなのだ。他人の境遇を代金の根拠にするなら、相手に行き場がないという事実が、そのまま自分の収入になる。
飢饉の町で腹をすかせた人が、いくらなら払うと言うか。その額は、まさに、その船の穀物の公正価格ではない。その人が出そうとする額は、穀物を測っているのではなく、自分にはもう逃げ道がないことを測っている。この規則は、人に逃げ道がないという、その一点を、物差しの及んではならない側へ、はっきり区切って置いたのだ。
ここに引かれた線のところに、余項がある。飢えた人が払うと承知した額なら、測れる。硬貨を一枚ずつ数えれば、少しも曖昧ではない。ところが、この規則は言う。その数は出せても、有効な答えにはならない。それを公正価格と呼ぶことはできない、と。構がここでしているのは、珍しいことだ。自分には測れるが、測ってはならない領域があると、自分から認めているのである。
これは、これまでとは違う動きとして、覚えておく必要がある。前の三篇では、測りきれないものに出会うたび、構は何とかして、それを測れる側へ取り込もうとした。毛布に換え、銀に換え、銅板一枚の値段に換えた。ここで初めて、逆の身振りが現れる。測れるのに、自分から測らない。技術が足りないからではない。この一画は帳簿に入れるべきではないと、誰かが判断したからである。
三 存在しないものを売る
アクィナスが利息の取得を論じた問いは、公正価格を論じた問い以上に、鋭い刃を持っている。
まず、今日の読者が取り違えやすいことを、はっきりさせよう。この時代に高利貸しとして禁じられたのは、利率が高すぎる貸し付けだけではない。元金を上回るものを受け取ること、そのものだった。百を貸して百一を返させれば、それだけで禁止の範囲に入ったのである。
したがって、この禁令の射程は、私たちが想像するより、はるかに広い。金利を高くしすぎないよう管理するだけの話ではなかった。時間そのものを売ってよいのか、と問うていたのだ。今日では、金にも値段があることを、私たちは当たり前に受け入れている。銀行へ預ければ利息がつき、金を借りれば利息を払う。だが当時、それは弁護を必要とする主張だった。しかも、受け入れられるまでに、数百年にわたる弁護が必要だったのである。
アクィナスの論証は、こう始まる。貸した金に対して利息を取るのは、その行為自体において不正である。なぜなら、存在しないものを売っているからだ。
その先の説明は、さらによく知られている。使うことが、そのまま消費することになる物がある。酒は飲むためにあり、麦は食べるためにある。そのような物について、物そのものを売ったうえで、使う権利をもう一度、別に売ることはできない。同じ物を二度売ることになるからだ。アクィナスにとって、貨幣も、まず交換の媒介だった。使って支払えば、手元からなくなる。その意味で、酒や麦と同じ種類に属している。したがって、金そのものを返させるほかに、その金を使った代金まで取るのは、同じものの二重販売になる。
隙間のない論証である。ただし、一つの前提がある。金は、交換を仲立ちするものに尽きる、という前提だ。
金がそれ以外のものになれば、たとえば事業の元手となり、さらに多くの金を生む道具になれば、この前提は成り立たなくなる。そして、その後に起きたのは、まさにその変化だった。禁令を最も深く裂くひびは、外から入ったのではない。初めから、この前提のなかにあった。構を支える最も頑丈な梁が、そのまま、最も脆い場所でもあったのである。
ここでも、少し立ち止まりたい。この論証が緻密であるのは、金を、使えばなくなる物として、動かないように定義したからだ。後に支えきれなくなるのも、金が、その定義のなかにおとなしく収まってくれなかったからである。定義を固く閉じるほど、定義される物そのものが変わることには弱くなる。その後の数百年を通じた緩みは、誰かが巧みに論破した結果というより、論証が足を置いていた物のほうが、別の姿へ変わっていった結果だった。
もっとも、アクィナス自身も、扉を隙間なく閉じてはいない。同じ問いのなかで、貸し手が損害の補償を受ける約束を結ぶことは、明確に認めている。本来なら持ち続けられたのに、貸したために失ったものを補うのであればよい。金を使わせたこと自体への代金でなければよい、というのである。
この細い隙間は、やがて押し広げられ、人の通れる扉になる。
四 パンの重さ
公正価格は、大学の教室だけに生きていたのではない。町の条例のなかに、市場を巡回する役人の仕事のなかに、そして職人の工房の決まりのなかにも、生きていた。
それがよく見えるのは、イングランドのパン規制である。考え方は、拍子抜けするほど単純だ。パンを品質ごとに分け、それぞれ一個の値段を、決まった小額の貨幣に対応させる。一ファージング、半ペニー、一ペニー、といった具合である。では、穀物が値上がりしたらどうするのか。パンの値段を上げるのではない。同じ値段で売るパンを、小さくする。地方の役人は毎年、基準となる穀物の法定価格を定め、そこから、それぞれのパンが持つべき法定の重さを算出した。
誰でも確かめられる、一枚の換算表である。パンの品質と重量、貨幣の額面、原料の費用、さらには町の秩序までが、一続きの計算につながれていた。
このやり方の背後には、ごく切実な配慮がある。貧しい人がパンを買うときには、手元にたった一枚ある小銭を出し、その一枚で一個を買うことが少なくなかった。値段を上げてしまえば、その小銭では、どのパンも丸ごと一個は買えなくなる。パンのほうを小さくすれば、少なくとも一個は買える。小さくなったにせよ、買うこと自体はできる。値を動かさず、量を動かす。その規則が守ろうとしたのは、一枚の小銭しか出せない人だった。同じ硬貨を出すなら、どの町でも、その額に見合う重さを受け取れるはずだ。構の野心が、ここでは手に取るようにわかる。公正さを、測れ、調べられ、違反すれば罰せられる表へ、書き上げようとしたのである。
ところが、その表こそが、物差しの届く範囲を露わにする。表を作るには、穀物の相場は動くと認めなければならない。運ぶ距離は異なり、町と農村では事情が違い、原料にも豊作と不作がある。焼くための費用も掛かる。パン職人とその手伝いが、合法的な取り分として、どれだけを手元に残してよいかまで、書き込む必要が出てくる。
公正さを表にするたび、表のなかへ収めきれなかったものを、改めて連れ戻さなければならない。働く手、途中で生じる目減り、季節、危険。表が精密になるほど、連れ戻すものは増えていく。
おそらく、公正さを余さず計算しようとする試みは、ほとんどすべて、ここへ行き着く。規則を細かくするほど、例外が多くなる。例外を一つ認めれば、その例外を扱うための規則が、もう一つ要る。表は隙間を残したくない。しかし、現実はいつも、その隙間のほうにいる。しかも、塞いでも塞いでも、塞ぎきれない。ついには表そのものが、人の解釈を必要とする複雑な文書になる。すると今度は、誰がその解釈をする権限を持つのかをめぐり、別の争いが始まるのである。
パンの規制には、あまり語られない細部も残っている。規定の重さに足りないパンを売った場合の罰則だ。どれだけ軽ければ何を科すのか、繰り返したらどうするのかまで、明記されていた。法を作った側も、わかっていたのだ。紙に書かれた重さと、実際に秤に載せた重さは、必ずしも一致しない。そのずれは、放っておいても消えない。何度も見回り、何度も量り、何度も罰することで、押し戻すしかない。構は、立ててしまえば済むものではない。立てるより、保つほうに力が掛かる。そして、その力は、毎日出し続けなければならないのである。
この秩序を支えるもう一本の柱が、同業者の組合であるギルドだった。銀行や信用の仕組み、大企業がまだ十分に育っていない時代には、ギルドが商業と手工業を支える制度のほぼ中心を占めていた。誰が仕事に加われるかを決め、仕事ぶりを監督し、技術を管理する。そのなかに、公正な値段、安定した暮らし、欺きの禁止、品質の保証が、一緒に組み込まれていた。
ギルドの評価をめぐっては、今日の研究でも激しい議論が続いている。一方は、ギルドが長く高値を保ち、生産量を絞り、競争を抑え、新しい技術を阻んだことを重く見る。品質の保証や徒弟の養成に役立ったことは認めるが、全体として何をもたらしたかには、強い疑いを向ける。他方は、ギルドを価格維持のためのカルテルだけで捉えてはならないと言う。訓練、信用、情報、技術の伝播を支え、商人や土地の権力者と交渉するための枠組みも与えていた、と。
この争いを公正価格の歴史へ戻して眺めると、価格を道徳に結びつける経済のあり方が、買い手だけ、あるいは売り手だけを守る仕組みではなかったとわかる。いつも二つの望みのあいだで揺れている。町は、物が豊富で安いことを望む。工房は、職人が体面を失わず、秩序ある暮らしを送れることを望む。史料のなかには、豊かに供給し、安く売らせようとする都市当局の政策と、ギルドの政策とが、しばしば衝突したことを、明記するものさえある。
だから、ギルドの価格規制を単に時代遅れと書けば、多くのものが抜け落ちる。共同体による温かな保護と書いても、同じだけ歪む。誰が相手かを問わない価格競争を抑え、弱い立場の人が、極端に不利な条件で取引を強いられるのを防いだことはある。市場に何でもさせない一方で、よそから来た者、貧しい職人、女性の働き手、組合に属さない者の機会をも抑えた。何を解き放ち、何を押さえつけたのか。答えは、先に決めておけない。一つひとつの土地、一つひとつの事例、一つひとつの品物について、確かめるしかないのだ。
具体的に考えれば、この両立の難しさが見えてくる。徒弟は決まった年数を修業しなければ独立できない。その規則は、技術の水準を保ち、すでに働く職人の食い扶持も守る。しかし、覚えの早い若者が、早く自分の店を持つ道も塞ぐ。値下げして客を奪ってはならない。その規則は、大きな店が小さな店を押し潰すのを防ぐ。しかし、もっと安く作れる人が、その安さを客へ渡すことも妨げる。同じ規則が、こちらから見れば保護になり、向こうから見れば抑圧になる。そして、守られる人と押さえつけられる人は、たいてい、同じ人々ではないのである。
五 禁令が形を持つ
利息を禁じる教えは、穏やかに善行を勧めただけではなかった。歯があった。その歯は、少しずつ生えそろっていった。
三二五年のニカイア公会議が主に禁じたのは、聖職者が金を貸して利息を取ることだった。この段階では、まず聖職者を律する規則であり、社会全体を覆う金融の法ではない。十二世紀になり、教会法の体系が整うにつれて、利息取得の禁止は、その恒常的な主題になる。不正に得たものを返させ、禁令をかわす手段にも目を向けるようになった。一一七九年の第三ラテラノ公会議は、制裁をさらに重くする。秘跡を受けることを認めず、キリスト教の儀礼による埋葬も認めない。個人の道徳上の欠点だったものが、共同体の秩序をめぐる問題へ引き上げられたのである。
キリスト教徒として葬ってもらえない、と聞いても、今日では重みがつかみにくいかもしれない。当時、それは途方もなく重い罰だった。死後、教会の墓地に入れない。父母や子どもと同じ場所に眠ることもできない。その世界に生きた人々の想像のなかでは、死後のさらに遠い先にも関わる。利息を取る行為に、このような罰を科す。それは、その行為が商売上の規則違反にとどまらず、共同体全体の秩序を傷つけるものと受け止められていたことを示している。
一三一一年から一三一二年のヴィエンヌ公会議は、さらに遠くまで踏み込んだ。一部の都市では、成文の法や誓約によって、禁じられた利息の支払いを保障しているではないか。そう非難し、地方の役人に、そのような条例を削除するよう命じる。また、利息を取る契約は、しばしば隠され、巧みに仕組まれるとして、疑いのある貸し手に帳簿の提出を求めた。最も重い規定は、利息を取ることは罪ではないと頑なに言い張る者を、異端の疑いがある者として扱う、というものだった。
ここまで来ると、禁令は、帳簿と法廷と破門に、さらには死後どこへ葬られるかにまで、つながっている。
だが、禁令があったというだけで、貸し借りがなくなったわけではない。
一二一五年の第四ラテラノ公会議には、ユダヤ人の貸し手がキリスト教徒から、過度で圧迫的な利息を取ることを扱う、特別の条項がある。その条項自体が、二つの事実を示している。社会には、借りる金を求める大きな需要があった。そして禁令は、貸し借りを消したのではなく、その一部を、法的な地位も宗教上の所属も異なる人々の側へ、押しやっていたのである。
構が自分を閉じようとするとき、この動きは何度も現れる。はみ出したものを消すのではない。別の場所へ移し、特にしるしを付され、区別された人々の身に負わせる。その位置に置かれることには、のちに、非常に重い代価が伴った。
この動きは、前の三篇にも姿を見せていた。ただ、ここでは、とりわけはっきりしている。構は、自分のなかに収まらないものを、社会の端へ移す。すでに外側へ線引きされていた人々に、それを引き受けさせる。社会全体には必要なのに、同時に恥ずべきものとされる仕事を、その人々が担うのだ。場所を移しただけでは、問題は解けない。制度の真ん中にあった矛盾を、生身の人々の境遇へ移し、その身で制度を支えさせているにすぎない。法の上で、もともと守られていなかった人々に貸し付けの役割が割り当てられると、その人々は、社会に欠かせない機能と、社会が最も嫌う評判を、同時に背負うことになる。風向きが変わり、財産の没収や追放が始まれば、その位置に置かれた人々が、真っ先に打たれる。
禁令に、実際どれほどの力があったのか。この点でも研究は分かれる。かつての叙述には、禁令など抜け殻だった、誰もが抜け道を探し、商売はそのまま続いた、とするものが多かった。近年には、その見方を批判する研究がある。多くの契約は、そもそも禁令の対象ではなかったのであり、教会法廷も、いつでも利息の取得に目をつぶっていたわけではない、と指摘する。一方、別の角度から見る研究は、資金調達を合法的な形に書き直さねばならなかったからこそ、取引の費用が上がり、資本を融通する市場が分断されたと言う。複雑で合法的で、異議を向けられても弁護できる契約を使いこなせたのは、一部の商人に限られていたのだ、と。
後の二つの見方は、互いを打ち消すものではない。一方は、禁令に本当に拘束力があったと言う。他方は、その拘束が信用をなくしたのではなく、信用を選り分け、そこへ入るための敷居を組み替えたと言っている。
したがって、本当の問題は、金を借りる人がいたかどうかではない。借りる行為が、何として書かれたかだ。初めから禁令に当たらないと認められるのは、どんな契約か。資金の調達を合法的な姿に書き上げられるのは誰か。顔見知りのつながりと地元での信用だけを頼りに、金をかき集めるしかないのは誰か。教会の法廷は、どの土地で、いつ、真剣に追及したのか。禁令が変えたのは、誰が借りられ、どんな名目で借り、どんな文書を使い、どんな評判を頼りに借りるかだったのである。
とりわけ、最後の二つは重い。どんな文書を使うか。法律の専門家を雇い、複雑な契約を作れる人と、口約束一つで借りるしかない人とでは、通る道が変わる。どんな評判を頼りにするか。町で顔が利き、保証人になってくれる者がいる人と、そうした後ろ盾のない人とでは、借りやすさに大きな差がつく。禁令は信用を追い払わなかった。信用を、もう一度配り直した。その配り直しは、すでに弱い立場にある人にとって、いっそう不利なものになったのだ。
六 何という名で受け取るか
禁令が本当に緩んでいく場所は、正面からの論争ではなかった。受け取る金に、何という名をつけるか。その名目のなかで、緩みは進んだ。
スコラ学の伝統は、時間をかけて、「外在的な権原」と呼ばれる一群の根拠を育てていった。言葉は難しいが、考え方はこうである。貸し借りそのものの外側に、その貸し借りに伴って起きる、何らかの現実の事情がある。その事情によっては、元金以上の額を合法的に受け取る根拠が生まれる。
よく挙げられるものは、四つある。
四つにはそれぞれ理由があり、どれも、アクィナス自身が残したあの隙間に、足場を見つけることができた。証明しようとするのは、同じことだ。余分に受け取るこの金は、金を使わせた賃料ではない。ほかの何かの代価なのだ。その「ほかの何か」を説明できさえすれば、禁止された利息の取得には当たらない。外在的な権原という議論の力は、この身の翻し方にあった。
しかも、この転換が持ちこたえられるのは、つねに現実の何かを指しているからだ。貸し手は、金を貸したために本当に損をするかもしれない。その金は、本来なら商売に使えたかもしれない。元金は、本当に返ってこないかもしれない。名目を分ける技術は、何もないところに言い訳を作るだけの詭弁ではなかった。取引のなかで平らに押し潰されていたものを、一つずつ、立ち上がらせる技術だった。時間、危険、機会、損失。禁令は自らを成り立たせるため、それらを一つの平面へ押しつけていた。だが、消えたわけではない。今、名目と名目の隙間から、順に起き上がる。第一は、約束を破ったことへの違約金。期限までに返さないから、罰金を払ってもらう。これは利息ではない。第二は、現実に被った損失。貸したためにこちらが損をしたので、その分を埋めてもらう。これも利息ではない。第三は、得られたはずの利益。この金は、もともと商売の元手だった。貸したために稼げなくなった分を、補ってもらう。これもまた利息ではない。第四は、元金を失う危険。返ってこないかもしれない、その危険を引き受ける分として、いくらかを受け取る。やはり、金の使用料ではないというのである。
四つの口は、一度に開いたわけではない。初めは、違約金と現実の損害の補償が、比較的認められやすかった。十五世紀になると、得られなかった利益の補償も、次第に広く認められるようになる。元金を失う危険が含められるのは、それより後のことだった。
この変化をよく伝える、小さな言葉の履歴がある。西欧の言葉で、後に利息を指す語へつながるラテン語は、もとはむしろ、損害の賠償や補償に近い意味を持っていた。数百年のあいだに、その語の意味は少しずつ移っていく。こちらの損を埋めてほしい、というところから、金を使わせた賃料へと移っていく。言葉の意味がずれること自体、この緩みの歴史の一部だった。名は残っている。中身は、すでに入れ替わり始めている。
そして、この分類の技術が、どこまで大胆になりえたかをよく示すのが、「三重契約」である。
やり方は、一件の投資を、それぞれ単独なら合法とされる、三つの契約へ分けることだ。まず、共同出資の契約を結ぶ。二人で商売をし、利益を分ける。それは合法である。次に、保険の契約を結ぶ。元手を失うのが怖いから、そのための保障を買い、不確かな分け前を確かなものへ換える。これも合法だ。さらに、売買の契約を結ぶ。額の変動する収益を売り、一定の額を受け取る。これもまた合法である。三つの合法な契約を重ねた結果、投資家は商業活動へ安全に金を出し、決まった年率の収益を得られることになる。
形のうえでは、金を貸して利息を取る契約ではない。働きのうえでは、固定した収益を生む貸し付けそのものだった。
当時も、多くの法学者、神学者、立法に携わる者が、これに反対した。別の契約を装っているだけで、利息つきの貸し付けにしか見えないではないか、と。反対に、積極的に弁護する神学者もいた。その理由は実際的だった。至るところで行われていることを、ひたすら禁じるより、どんな条件なら許されるのかを、法と道徳の両方から明確にしたほうがよい、というのである。
ここは、曖昧にしてはいけない。古い禁令が公然と撤廃されたわけではなかった。契約を書く技術のほうが、ますます巧妙に、その周囲を回り込んでいったのだ。
これもまた、構が効かなくなる一つのあり方であり、前の三篇にはなかった形である。構が効力を失うのは、打ち倒されたときだけではない。呼び名が変わるだけでも、力を失う。同じ金を、同じ人が、同じ日に、同じ額だけ払う。それでも、別の名目を与え、別の種類に分類すれば、禁令の手は届かなくなる。禁令は残る。禁じようとしていた行為は、その禁令が名指す場所では、もう起きていないのである。
七 広場の値踏み
十六世紀に入ると、問題はいっそう難しくなる。大量に流れ込む金銀。物価革命。遠隔地どうしの為替。新大陸との交易。帝国の広さのなかで入り交じる、さまざまな貨幣。それらが、スコラ学者たちに、アクィナスの枠組みを、さらに細部へ押し進めるよう迫った。
最も力を入れて取り組んだのは、スペインのサラマンカ大学に集った学者たちだった。アクィナスを受け継ぎながら、貨幣、為替、通貨、信用、公定価格をめぐる新しい問題に応えようとする。その一人は、流通する金の多寡と物価の関係を明らかにしたことで知られている。貨幣もまた、特別な一種の商品である。したがって、その値打ちは、乏しいか豊富かによって変わる、という説明だった。
しかし、重要なのは、彼らがより市場を支持するようになった、ということだけではない。市場に答えを委ねてよいのは、どんなときか。別の条件を付け加えなければならないのは、どんなときか。その区別を、いっそう細かく定めていったことにある。
ビトリアは、人々による共同の評価を原則として守りながら、売り手も買い手もあまりに少ない場合を指摘した。取引が乏しすぎれば、そもそも共同の評価が育たない。そのときには、費用、労働、危険、希少性を考えなければならない。モリナは、さらに一歩進める。自然価格は主として人々の共同の評価から生まれるが、一点へ厳密に定まることはなく、ある幅のなかにある、と認める。同時に、公正価格が成り立つのを妨げる独占に反対し、ある種の硬直した公定の上限価格にも反対した。
サラマンカで、ついに自由市場が発見された。そう書けば、話はきれいにまとまる。だが、正確ではない。彼らがしたのは、値段を決める仕事を、いっそう広場の人々の値踏みに渡しながらも、取引は事情を知ったうえで行われ、欺きがなく、道徳上も理由を説明できなければならない、と言い続けることだった。当時のある文献は、その姿をよく伝えている。市場はまず、生身の人々が出会う場所である。良心を持たない自動的な過程として、受け入れられていたわけではない。
こうして、公正価格をめぐる論争も複雑になる。ある研究者は、ほとんどすべてのスコラ学者にとって、公正価格は共同の評価から来るのであり、単に費用を埋め合わせる額ではなかった、とまとめている。当時のある学者の説明は、さらに率直だ。値段を決めるのは、品物、商人、貨幣が、どれほど豊富か、乏しいかである。費用と労働と危険を一項目ずつ足して、出てくる数ではない、と。しかし、別の研究は注意を促す。費用と共同の評価は、必ずしも相容れないわけではない。皆の値踏みが低すぎて生産を続けられなくなれば、費用は再び顔を出す。市場の評価を補い、限界を設けるものとして、戻ってくるのである。
これが、価値の側に立つ構の、最も成熟した姿だった。個人の顔を離れ、統一された尺度となる市場の評価は、ますます強くなる。だが、その縁からは、いつも何かが生え戻る。生産を続けるための条件。危険を誰が負うか。法の判断の及ぶ境界。そして、共同体がどこまで耐えられるか。
したがって、サラマンカの仕事を、旧い秩序の降伏と読むのも、新しい秩序の凱旋と読むのも、どちらも行きすぎだ。むしろ、同じ構が、細部まで追い込まれた末に、自分の組み方を調整していると見たほうがよい。市場に任せるべきところは渡す。守るべきところでは、なお踏みとどまる。そこで守ろうとしたものの多くは、後には守りきれなかった。しかし、そのとき本当に守ろうとしていたことは、消してはならない。そして、守るために彼らが挙げた理由は、数百年後にも、人々によって使われ続けている。
彼らの判断の細やかさは、ここにも見える。値付けを広場へ渡せば、それで万事が済むとは考えていない。広場そのものも、操られうるからだ。少数の有力者が品物を抱え込めば、皆の評価であるはずのものが、数人の評価になる。役所が一つの価格に固定すれば、共同の評価という原則は、紙の上だけのものになる。だから、価格は多くの人々の見積もりによって決めるべきだと言いながら、その見積もりを成り立たなくするものにも、目を配る。この考え方は、後世の独占や情報の非対称性をめぐる議論から、実はそれほど遠くない。
八 言葉の領分が狭くなる
一七四五年、教皇ベネディクトゥス十四世は、一通の回勅を出し、この長い伝統を、後期の地点から総括した。
冒頭では、昔からの原則を改めて確認する。金を貸したということだけを根拠に、貸した額より多くを返してもらおうとするなら、元金を上回るそのような利益は、すべて不法であり、禁じられた利息に当たる。しかも、その汚点は、利益が多いか少ないかによって消えるものではない。借り手が貧しいか富んでいるかによっても、借りた金を事業の拡大に使うか、土地の購入に使うかによっても、消えはしない。そこまで、念を押していた。
ところが、そのすぐあとで、別のことも認めている。貸借契約には、貸し借りそのものに内在しない、別の正当な権原が伴うことがある。あるいは、貸し借りとは性質のまったく違う契約へ金を投じ、合法的な年々の収益や、商業上の利益を得ることもできる、というのである。
この回勅は、旧い原則を取り消していない。原則と例外を隔てる線を、いっそう細かく刻み直したのだった。
十九世紀になると、緩みは実務の段階へ進む。この歴史を振り返る記述によれば、ドイツでは早くも十六世紀に五パーセントの利息が認められ、フランスでは、一七八九年の革命期の法令まで、旧来の制限が続いていた。そして、一八三〇年から一八七一年にかけて、ローマから出された一連の回答は、近代の条件のもとでは、法律や商業慣行に従って利息を受け取ることを、事実上、許容していた。教会自身の財産についてさえ、利息を生むように運用することが求められるようになったのである。
ここでは、概念の足場が深く移っている。金は、もはや、使えばなくなる物だけではない。近代の経済条件では、貨幣を持っていること自体に、広く認められる安定した用途があり、別の機会へ使えるという価値があると考えられる。アクィナスの、あの隙間のない論証は、自分を支えていた前提を失ったのだ。
それでも、高利貸しを指す言葉は消えなかった。その領分を狭めた。元金を少しでも上回る取り立て全体を指していたものが、相手を圧迫し、搾り取るような、過大な利息の取得を指すようになる。
言葉は、こうして生き残ることがある。かつて治めていた領地の大半を手放し、最後の一画を守るのである。
この縮小には、もう少し目を向けたい。一つの概念が、現実に押されて後退する。守れなくなるたびに領分を譲り、最後には、はるかに小さな核だけが残る。しかも、その核がなお守れるのは、そこにこそ、出発点で最も大切だったものが残っているからかもしれない。高利貸しという言葉は、利息全体を裁く権限を失った。それでも、人の弱みにつけ込むことへの非難は手放さなかった。失われたのは、構の境界の広さである。残ったのは、余項がかつて構に迫り、引かせた、あの線なのだ。
だから、すべてが敗れ去ったという話にはならない。禁令は確かに退いた。遠くまで退き、ほとんど、出発した立場の反対側へ来てしまった。しかし、最後まで守ろうとした一点には、最初に言いたかったことが残っている。構は、大部分を押し流されても、なお一片を残すことがある。その一片は、しばしば、何のためにその構が立てられたかを伝える。今日、誰かを高利貸しと呼んで非難するとき、利息を取ったことだけを責めているのではない。取りすぎた、人の窮地につけ込んだ、と責めている。そして、その最後の領地は、アクィナスがかつて引いた線に重なる。人に逃げ道がないということを、そのまま値段にしてはならない、という線である。
ここまで来ると、二つのことが見えている。
価値の側に組み立てられた構は、公正さを、本気で計算できるものにしようとした。公正価格、法律で定めるパンの重さ、ギルドの規則、禁止の条文、法廷での追及。そのすべてが、そのためにあった。しかし、土台を据えた日から、自分には値を一点へ定められないとも認めていた。取り込めなかったものは、一つずつ縁からはみ出してくる。時間、距離、危険、商人が正当に暮らしを立てるための取り分、取引の少ない市場をどう扱うか。これらは、最後に構を打ち倒したのではなかった。自分のために別の名目を見つけ、構の分類の隙間を通って、外へ出ていったのである。
一方、その構を押し広げ、破った側も、解放だけをもたらしたわけではない。市場の自由は信用を流れやすくし、貧しい人にも、少なくとも金を借りる道を開いた。商売をする人は、資金を調達するたびに、別の何かを装う契約を作らずに済むようになった。だが同時に、アクィナスが明確に外へ留めていたものも、再び中へ入る。買い手の窮状を、価格へ入れられるようになるのだ。今日、どうしても今すぐ金を必要とする人に高い金利が示されても、それは当然の、危険に見合った価格だとされる。旧い規則が、最も勘定に入れてはならないとしたものが、勘定に戻ってくる。
現在の言葉では、リスクに応じた価格設定という。中立的で、技術的な響きがある。返済する力が弱いほど、約束どおり返せなくなる可能性が高い。だから金利も高くなる。この説明は、自分の枠組みのなかでは、筋が通っている。しかし、アクィナスの規則と並べると、二つは、同じ場所で違う道へ進んでいることがわかる。一方は、追い詰められた人ほど、多く払わなければならないと言う。他方は、追い詰められた人ほど、その追い詰められ方に値をつけてはならないと言う。本シリーズは、どちらが正しいかを裁定しようとはしない。確かに言えるのは、かつてそこに引かれていた線が、のちに動かされたということである。
線を動かす側にも、十分な理由がある。危険に応じて金利をつけることを許さなければ、貧しい人が低い金利で借りられるとは限らない。むしろ、誰も貸そうとしなくなることのほうが多いだろう。金利を低く固定すれば、信用は、それを最も必要とする人を避け、別の場所へ流れていく。これは、規制を緩める側の最も強い論拠であり、現実を指している。しかし、反対側の現実も、同じだけ動かしがたい。行き場のない人が、実際には返しきれない契約書を前にしている。そのとき、署名するかしないかは、本当に選べる二つの道とは言えない。両方とも現実だ。そして、両方を同時に満たすことができない。そのために、このせめぎ合いは、数百年にわたって終わらないのである。
どちらも人を守った。どちらも人を押さえつけた。どちらの側も、歴史が進む向きを示す、あの一本の矢ではない。
数百年をまとめて見渡して浮かぶのは、右肩上がりの一本の線ではなく、行っては戻る綱引きである。価格を公正さにつなぎ留める。きつく縛りすぎれば、信用が流れず、商売もできなくなる。商売ができないところでは、貧しい人の暮らしは、かえって難しくなる。そこで縄を少しずつ緩める。あるところまで緩めれば、他人の窮地につけ込むことが、また合法の収入になる。すると、もう一度つなぎ直せ、という声が上がる。この綱引きは、いまも終わっていない。金融危機のあとに繰り返される議論も、高利貸しや消費者向け融資の金利上限をめぐる論争も、同じ綱引きの、新たな一巡なのである。
そして、この数百年を通じて、変わらなかったことが、もう一つある。十五世紀の終わりになっても、イングランドの教会法廷で争われた負債の訴訟は、いくら借りているかより、交わした約束が破られたことを、しばしば中心に据えていた。人の信用がどれほどあるかは、社会的な地位と緊密につながっていた。誓いそのものが、信用を作る道具だった。金銭上の借りと、精神や人づきあいのうえでの負い目は、本当には切り離されていなかったのである。貨幣と標準化された価格は、確かに交換を計算しやすくした。しかし、評判、誓約、身分から交換を解き放ったとは、とても言えない。一方の仕組みが終わって、他方へ代わったのではなかった。二つは長く共存し、互いを利用し、ときには相手を呑み込んだ。
金を借りる場面では、それが最もよく見える。借りられるかどうか。いくら借りられるか。金利はいくらか。それを決めるのは、差し入れる担保の値打ちだけではない。ほかの人の目に、その人自身がどれほどの値打ちを持つかでもある。言ったことを守る人か。借り倒したことはないか。家は堅実な暮らしをしているか。信用のある人物が保証人に立ってくれるか。そのどれも、契約書の金額欄へ、そのまま書き込むことはできない。それなのに、実際には、その欄の数字を決めている。貨幣が取引をきれいな算術にしようとすればするほど、計算にできないこうしたものに、下から支えてもらわなければならないのだ。
あらゆる価格表からはみ出すものは、やはり、同じである。公正価格でも測りきれない。パンの重量表でも測れない。禁令の条文でも、その禁令に開いた四つの口でも測れない。それは、壁際まで追い詰められた、あの人だ。その人が払うと承知する値段は、何かの公正価格ではない。逃げ道がないという、境遇そのものについた値段である。構は、公正さの勘定を何度もつけ直す。そして、その人の前へ来るたびに、また、勘定を合わせられなくなる。
ここでも、順序に注意したい。物差しができたあとに、測れない人間が生まれたのではない。その人は、ずっとそこにいた。物差しが細かくなるたび、その輪郭がいっそう明瞭になる。公正価格が立てられれば、窮状につけ込んで値をつり上げてはならない買い手として現れる。禁令が立てられれば、返せない額の書かれた文書に署名を迫られる借り手として現れる。名目を分ける技術が発達すれば、法律家を雇う金がなく、口約束だけで借りるしかない人として現れる。構は何度も組み替えられる。その人もまた、そのたびに、新しい位置へ姿を現すのである。
数百年の努力を重ね合わせると、実は、ずっと同じことをしようとしてきたのだとわかる。あるものに値段をつけたい。ところが、そのあるものとは、ほかの人が置かれた境遇なのだ。穀物の値段は、町の人がどれほど飢えているかに左右される。利息の額は、借り手がどれほど急いでいるかに左右される。構が二つの勘定をきちんと済ませようとするほど、その人の窮迫を測らなければならなくなる。そして、そこを測ろうとするたびに、誰かが立ち上がり、ここを、そのように測ってはならないと言う。その声の主は、神学者であることも、ギルドであることも、法廷であることも、蜂起した群衆であることもある。口は変わる。それでも、言っていることは同じなのだ。
勘定はいまだ合わず、記帳はいまも続いている。
中国語原文の論証と史料を基に、日本語読者のために構成と文章を新たに組み直した独立編集・再構成版です。 中文・English