神殿の帳簿と最初の債務免除:文字は、負債のために生まれた
メソポタミアの粘土板は穀物、銀、租税、労働を持続する債務へ変えた。正確な帳簿が社会の基盤を壊すとき、王の免除令がなぜ必要になったのかをたどる。
この篇の目次
一 最初の文字は、一件の勘定だった
人類が最初に書き残したものは、一篇の詩でも、一節の祈りでも、一つの物語でもなかった。それは一件の勘定だった。
ティグリス川とユーフラテス川のあいだに広がる土地、メソポタミア。いまでは、その大部分がイラクに属している。この地で見つかった最古の粘土板は、紀元前三三〇〇年ごろのウルク周辺にさかのぼる。そこに刻まれているのは神話ではなく、品物と数だ。神殿が配った穀物、倉庫に残る在庫、引き渡しの記録、まだ納められていない分。後世、この土地から掘り出された楔形文字の粘土板も、七、八割は帳簿や行政・法律文書である。貸し借り、利息、債務の取り消し、小作、罰金。湿った粘土へ葦の筆を押しつけると、楔の形の跡が残る。その跡が、これらの記録を担った。文字はまず物語を語るために生まれ、あとで便利だから帳簿にも使われたのではない。生まれたときから、一つの問いのなかに深く食い込んでいた。誰が、誰に、何を負っているのか。いつ返すのか。何を基準に換算するのか。
人間は、まず勘定をつけることを覚えた。同じ記号で詩を書くようになるのは、ずっとあとのことだ。文学に先立って、会計があったのである。なぜ、ほかでもない勘定が、文字を必要としたのか。記憶だけでは抱えきれなかったからだ。自分に親切にしてくれた人、こちらに一つ借りのある相手くらいなら、覚えていられる。けれども神殿には、数百人の食糧、返済期日の違う何十件もの穀物の貸し、季節をまたいで入れ替わる小作の取り決めがある。頭と口だけで管理しようとすれば、いつか必ず混乱する。負債がある量を超えると、それを人の頭の外へ出さなければならない。忘れず、情にもほだされない、外部の面へ移す必要が生じる。文字の最初の仕事は、その面に勘定を書きつけることだった。
ごく初期の粘土板には、品物を表す図が並び、そのあとに数が添えられているだけのものが多い。いまの倉庫の在庫表や借用証に、よく似ている。文章はない。文法もない。まだ言語と呼んでよいかさえ怪しい。ただ、どれだけあるか、どれだけ負っているかが、泥の上に残されている。人間が初めて葦の筆を手にしたのは、胸のうちを後世に伝えたかったからではない。一件の勘定を忘れないためだった。この地味な出発点が、その後のほとんどすべてを決めた。書くという技術は、世に現れたその日から、人の負い目を記録するために働いていたのである。
それまでの世界は、書かれない記憶によって動いていた。立ち会った者の証言、世間の評判、ある品物が誰の手を渡ってきたかという来歴に支えられていた。そこへ初めて、負債が、文字を刻める一枚の面に押し込まれた。測ることができる。比べることができる。記録を根拠に返済を求めることができる。まだ到来の途中にあった、あの総勘定が、ついに身体を得た。その身体は、一枚の粘土板だった。
身体を持てば、気性も生まれる。人の胸にある勘定なら、人情に応じて緩む。葬儀があった、窮地を救ってもらった、心のこもった一言をかけられた。そんなことで、誰にも告げずに帳消しになることもある。粘土板に刻まれた勘定は、それよりはるかに硬く、冷たい。今年あなたが災害に遭ったことを知らない。貸主の父親とあなたが旧知の仲だったことにも、関心がない。そこに刻まれた数と、支払うべき日付だけを知っている。それまで負債は、人間関係の一部だった。厳しくするか緩めるかも、その関係によって決まった。粘土板を得たとき、負債は初めて関係の外へ立ち、逆に、関係を押さえつけることができるようになった。
この身体が形を取ると、一つの新しいものが現れた。影を、一緒に引き連れて。
新しいものとは、すべてを計算し尽くそうとする総勘定である。影とは、どう計算しても帳尻の合わない、あの余項だ。メソポタミアで、二つは初めて同時に姿を見せる。勘定は、一件また一件と負債を粘土板へ取り込んでいく。ところが、最もきつく締め上げた場所から、どうしても取り込めないものが押し出されてくる。それが王を何度も振り向かせ、出来上がった帳簿をまるごと崩し、初めからつけ直すよう迫ることになる。
二 すべてを同じ物差しに押し込む
神殿と宮廷が重要なのは、異なるものを、同じ一本の物差しに押し込んだからだ。
かなり早い時期から、銀と大麦、そして少量の銅、錫、金は、交換の媒介、勘定の単位、財を蓄える手段を同時に務めていた。貸し付けには、銀にも大麦にも、法で定めた利率があった。価格の体系にも、長く使われる換算の基準がある。よく見られるのは、大麦一グルを銀一シェケルとする比率だ。一グルはおよそ三百リットル、一シェケルの銀はおよそ八・五グラムに当たる。穀物、銀、地代、賃金、罰金を、できる限り同じ勘定の面に載せ、互いに換算できるようにする。さまざまな負い目を共通の尺度で測れるものにするうえで、これは決定的な一歩だった。総勘定が本当に動き始めるのも、ここからである。
共通の物差しは、総勘定の土台になる。それがなければ、穀物は穀物、銀は銀、地代は地代、労役は労役のままだ。互いに換算できず、一つの勘定へまとめられない。大麦を銀に、銀を労賃に、労賃を罰金に換える決まりがあって初めて、それまで別々だった負債が、同じ帳面の上に並ぶ。足せるようになり、引けるようになり、一件ずつ差し引きして、最後の残高まで出せるようになる。この物差しを握る神殿と宮廷は、社会全体のやり取りを数に置き換える権力をも握った。共通の尺度で測れることは、自然に育った性質ではない。十分に大きな中心があり、換算の規則を一つずつ定め、それによって異なるものを同じ面へ押しつけた結果なのだ。
この物差しは、抽象的な法典のなかだけにあったのではない。細々とした日常の記録にも、そのまま現れる。初期のある配給粘土板には、神殿がおよそ二百人の働き手とその子どもたちへ、大麦を支給した記録がある。大人には一か月に三十から四十シラ、子どもには二十シラ。シラは当時の容量の単位だ。神殿はその時代の最大の雇い主であり、農耕や織物に携わる数百人を、年間を通じて働かせていた。最初期の賃金、大規模な配給、行政の記帳は、財政、企業経営、福祉という三つの仕事に分かれてはいなかった。同じ種類の粘土板の上へ、一件ずつ書き込まれていたのである。
賃金も配給も、賦役も税も、同じ粘土板へ記す。その意味は、一見するよりずっと重い。ある人が神殿のためにどれだけ働いたか、どれだけ穀物を受け取ったか、地代をいくら滞納し、どんな労役を務めるべきか。そのすべてが、一つの勘定へ集まる。相殺でき、精算でき、未払い分を取り立てられる。生きた人間が、その労働と負債ごと、一冊の帳面の一欄に丸ごと収められるのだ。この仕組みは、のちの世で、私たちにきわめてなじみ深いものとなる。記帳できるものは、いずれ帳簿の項目として管理される。そして人が帳簿に入った途端、その人のうち、記帳できない部分は、存在しないか、重要ではないかのように扱われ始める。
ところが、その同じ粘土板の上で、記帳はすべてを抽象化しながら、抽象化の限界を繰り返しさらけ出す。共通の物差しを使えば、人も土地も物も、一つの額に換算できる。だが、不作、洪水、病死、逃亡、葬儀、老後の扶養は、帳簿に載ったからといって、帳簿の言うことを聞きはしない。物差しのなかへ押し込まれたのは、銀と大麦だけではなかった。人の身体、家々の暮らし、労役、土地も、そこに押し込まれていた。そして、まさにその身体と家々と労役と土地こそが、勘定どおりになることを最も強く拒むものだった。
帳尻を合わせようとすればするほど、合わないところが浮かび上がる。一区画の畑は、帳簿の上では一つの数だ。けれども今年は水に浸かり、来年は干ばつに遭う。数字は同じままでも、収穫はそれに追いつかない。一人の働き手は、帳簿の上では毎月何十シラかの食糧になる。しかし、その人が病み、老い、死に、あるいは逃げれば、配給の勘定はそこで途切れる。人も土地も、銀とは違う。銀は置いておけば変わらないが、人と土地は天候と病と生死のなかにあり、いつも帳面の数字からずれていく。帳簿がそれらを招き入れたのは、計算をきれいに済ませるためだった。ところが招き入れたその瞬間に、それらが抱えている、計算では済まないものまで、一緒に中へ入ってきたのだ。
三 帳簿から契約へ
倉庫の配給表にあった負債が、法廷へ持ち出せる私的な債権へ変わると、粘土板の姿も、硬い証拠としての性格を強めていく。
契約を記した粘土板の多くは、粘土製の封筒に納められ、その外側に当事者と証人の印章が押されていた。古アッシリアのある銀の貸付文書は、その手続きをはっきり記している。本文に証人を列記し、彼らの印章を封筒に押す。別の、銀の返済を終えたときの受領書には、この債務は完済され、今後いかなる返済請求も効力を持たない、と明記されている。これらの文書に共通するのは、将来起こるかもしれない争いに、前もって型を与えておくという性質だ。誰が借りたか、いくら借りたか、いつ返すか、遅れればどう計算するか、完済したあとの古い債権は無効になるか。そのすべてを、争いが起こる前に書き固めてしまう。
ここには、目立たないが重要な点がある。返し終わった債務は、本当に無効になるのか。ある受領書が、完済した、今後の請求は一切無効だ、とわざわざ付け加えるのはなぜか。書かれた勘定には、自分からは消えないという厄介な性質があるからだ。人情の借りなら、返せばそれで済む。ことさらに言い立てる必要はない。だが、印章の押された借用証がこの世に残っている限り、それを誰かが持ち出して、もう一度取り立てに来る可能性は消えない。債務を本当に終わらせるには、返済だけでは足りない。もう一通の文書を書き、前の文書は無効であると、正式に宣言しなければならない。書かれたものは、取り消すときにも、もう一度書くことを要求する。この小さな厄介事を、途方もなく拡大したものが、のちに王令の直面する難題になる。負債はこうして、人と人との関係から、繰り延べ、分割し、延滞利息を課し、裁判官に内容を伝えることのできる、書かれた対象へ変わっていく。
この変化は大きい。手に持てる。別の場所へ運べる。第三者に渡して裁いてもらえる。負債がそのような書かれた対象になれば、もはや二人だけの内輪事ではない。二人から離れても存在し続けるものになる。以前なら、誰かへの恩義は、その相手と自分とのあいだでこそ意味を持った。いまは文書になり、印章が押されている。二人が仲たがいしても、間に裁判官が入っても、債務は成立したままで、請求することができる。負債は関係から切り離され、単独で流通できる一つの物に作り替えられた。単独で動かせる物であれば、それを売買し、譲渡し、別の債務の弁済に充てられるようになるまで、あと一歩である。
けれども、文書の細部には、生きた人の影が至るところに差している。ある記録では、二人が一人の商人に、銀六ミナ、およそ三キログラムを負っている。その三分の一は次の収穫時に返し、残りはさらに先へ繰り延べる。それでも遅れた分には、月ごとに利息をつける。紀元前一八〇〇年ごろの別の銀貸付契約では、借主はアムリトゥムという女性だった。当時としては、かなり珍しい。借入期間は年末の第十二月から翌年の第三月までの三か月で、ちょうど収穫の季節をまたいでいた。解説には、その年の閏月に大麦が不足したのではないか、という推測まである。共通の物差しといっても、汚れのない数学が宙に浮いているわけではない。農作業の時期、暦、収穫できる限られた期間、その人が家のなかで占める立場へ深く食い込んでいる。帳簿は名のない計算手順であっても、借りる人には名前があり、性別があり、どの家に属するかという背景があり、食糧に窮した具体的な時がある。
アムリトゥムという名の下には、一人の人間がいる。契約は彼女を、一人の借主、一つの期日、二割の利息として書き込む。だが彼女は女性であり、その世界では、銀を借りて文書を取り交わす女性そのものが少なかった。借りた三か月は、前の蓄えが尽き、新しい収穫にはまだ届かない、最も苦しい時期に重なっていた。その年はまた、閏月に穀物の価格が上がっていた。帳面の上では、すべてが、いくつかの整った数字へ圧縮される。数字の向こうには、具体的な苦境のなかで、返せるとも限らない文書を取り交わした、具体的な人が立っている。帳簿が彼女を標準的な債務者として正確に計算するほど、彼女を彼女たらしめていたものは、帳簿の外へ締め出されていく。
いまの私たちは、貨幣化が進めば、人間関係に支えられた信用は退いていく、と考えがちだ。しかし、粘土板が伝えているのは、二つのことが同時に起きていたという事実である。一方では、銀と大麦、一定の利率、約束された期日によって、負債を共通の手順で扱えるようになる。他方では、証人、印章、家ごとに保管された記録、ある商人の名声によって、その標準化は、個々の人に結びつく信用から離れずにいる。ある研究は、それを端的に「銀と信頼」とまとめる。銀は、持ち主の顔を問わない共通の物差しを与えた。しかし、その物差しを本当に働かせるには、依然として評判、封印、親族関係、法廷が必要だった。顔のない計算と、顔の見える保証は、最初の負債が書かれたときから絡み合っている。どちらも、もう一方を呑み尽くせなかった。
二つが互いを振り切れない理由は、難しくない。数と日付を書き込んだ粘土板は、自分で借金を取り立てには行かない。返済が滞ったその日には、証人が出てきて証言する。印章が、本人の取り交わした文書であることを証明する。法廷が、その土地の決まりに従って履行を迫る。商人が長年かけて築いた名声も、人々に、軽い気持ちで踏み倒すことをためらわせる。顔のない物差しが現実に効力を持つには、人物、評判、親しさや疎遠さを重んじる一連の仕組みが、下から支えなければならない。銀が、誰と誰の取引でも同じように扱おうとすればするほど、人を互いに異なる存在にしているものの保証を、いよいよ必要とするのだ。
四 利息が、粘土板をひとりでに育てる
書かれた勘定が、どうやって自分で大きくなるのか。それが最もよく見えるのは、利息である。
古バビロニアの王ハンムラビは、有名な法典を残した。そこには、穀物の貸し付けには年におよそ三分の一、銀の貸し付けにはおよそ五分の一の利息を認める条項がある。法制度に関する資料を広く見ても、銀は二割、大麦は三割ほどを法定利率とする例が多い。同時に粘土板は、実際の利率が、公に定められた数字よりかなり高い場合も、低い場合もあったことを示している。込み入った計算に立ち入らなくてもよい。不作の年、払えなかった年、未払いが繰り越された年を、いくつか重ねてみればわかる。一見それほど高くなさそうな法定利率が、どうして一枚の小さな粘土板を、たちまち一家の災厄に変えてしまうのか。
大まかに計算してみよう。年に二割と聞くと、ひどく苛烈な数字には思えないかもしれない。だが、それが積み重なる。今年の借りを一とすれば、翌年は元利合わせて一・二、その次は一・四四。何年かたてば、二倍になる。作物は、そんなふうには育たない。畑から一年に取れるのは、一年分の収穫だ。干ばつや洪水に遭えば、むしろ減る。利息に歩調を合わせて、収穫まで倍になることはない。一方には、計算どおりに膨らむ債務がある。他方には、天候次第で豊かにも乏しくもなる収穫がある。二本の線は、離れる一方だ。その間に一度か二度、不作の年があり、貸主が未払いの利息を元金へ組み入れて、さらに利息をつけることを認めれば、一家はもう、自分の負債に追いつけなくなる。
ここで一つ、忘れてはならない。初期メソポタミアの債務は、今日の銀行融資に当たるものだけではなかった。古代経済を研究するハドソンは、債務として記録された多くの取引が、まず金銭を貸したところから始まるわけではない、と繰り返し指摘している。いま何かを渡し、支払いはあとにする。そうした取り決めなら、どれも債務になりうる。職人が原料を受け取る。小作人が地代を払えずにいる。納税者が費用を滞納する。酒場でつけにする。宮廷に属する人々が貢納を納めきれない。どれも、借りとして書き込まれうるのだ。利息がつくのは借りた金だけではない。滞納した地代や、ほかの未払いにもつく。負債が膨らむのは、誰かが進んで借金に出向いたからとは限らない。暮らしそのものが、利息を課しうる延期された義務の長い連なりとして、組み立てられているからかもしれない。
これは、負債の性質を変える。金に困った人が金を借りるだけなら、借りたものは返すという理屈も、少なくともわかる。いくら借りたかに応じて、いくら返すかを決めればよい。だが、税、地代、諸費用、つけ、未納の貢物まで、すべて利息つきの債務として記されるなら、事情が違う。自分から金を一銭も借りたことのない人でも、ただ生きているから、他人の土地を耕しているから、今年の税を納めきれなかったからというだけで、増え続ける負債を背負わされる。借金は、ときどき自分で選ぶ行為ではなく、日々の暮らしを底から染めるものになる。社会全体が、互いに未払いを抱える一枚の網へ編まれていく。そして、その網の結び目が一つ残らず、利率に従って、音もなく締まっていく。
ハンムラビ法典には、ことに注意して読みたい条項がある。帳簿は膨らむが、自然はそれに協力しない。その矛盾に、正面からぶつかっているからだ。大意はこうである。負債を抱える者の畑が暴風で損なわれたとき、洪水で荒らされたとき、あるいは水が足りず、その年に収穫がまったく得られなかったときは、その年、債権者へ穀物を返す必要はない。自分の粘土板を湿らせ、その年の利息も払わなくてよい。粘土板を湿らせるというのは、ここでは文学的な比喩ではない。文字を載せる物そのものに対して行う、制度上の処置である。負債は湿った泥に書かれ、焼き固められて、硬い勘定になる。その増大を一時的に止めるには、粘土板そのものへ戻り、再び水に浸して軟らかくする。勘定は、書かれたその場所で、処理されなければならない。
粘土板を湿らせるという動作には、この問題のほとんど全体が縮んで収まっている。負債は泥に刻まれ、焼き固められると、誰も変えられない、命のない物になる。そこにある数字に従って、日ごとに利息を生むだけだ。その動きを止めようとすれば、もう一度あの泥へ戻り、完全に動かせないものになる前に水で軟らかくし、刻まれた跡をならすほかない。帳簿は、形が定まると、引き返そうとしない独自の勢いを持つ。それを動かすには、その身体へ手をかけなければならない。のちに王令が一括して債務を消すときにも、行っているのは同じことだ。ただし、軟らかくされるのは一枚の泥ではない。数え切れないほどの粘土板である。
この条項によって、機械の全体が見えてくる。総勘定が夢見るのは、一件残らず明確に計算し、最後には出と入りを釣り合わせることだ。ところが利息は、作物より速く、債務をひとりでに膨らませる。一度の収穫で返せる量を追い越して、先へ進んでしまう。帳簿を閉じるためには、あらゆるものが借方と貸方の二つの欄へ収まらなければならない。だが利息が動き続ける限り、負債はつねに収穫の前を走る。最後の一項がいつまでも足りず、帳簿は閉じられない。閉じられない帳簿には、いつか誰かが、外から手を入れるほかなくなる。
外から手を入れる。この一点が、話全体の軸になる。帳簿自身には、止まる仕組みがない。利息は上へ上へと積み上がり、債務者は下へ下へと沈む。この仕掛けの内側の力だけでは、負債はいつまでもゼロへ戻らない。止める力は、帳簿の外から来なければならない。その債務に縛られず、しかも、あらゆる債権者より強いものから来なければならない。メソポタミアでは、それが王だった。その後の長い歴史では、幾度も顔を変えることになる。それでも役割は変わらない。帳簿の外から手を差し入れ、書き固められた勘定を、もう一度こじ開ける力である。
五 勘定が、人の身体にまで及ぶ
不作の年には利息を免じる。その条項よりさらに苛烈な現実を示すのは、勘定が人の身体にまで及んだことだ。
同じ法典の別の条項は、そこに払われる人間の代価を、ぼかさずに記している。経済的な窮迫に捕らわれ、妻や息子や娘を売り、あるいは自ら身を売って債務を返す者がいたなら、売られた者たちは買主または債権者の家で三年間働き、四年目には自由を回復される。この条項は、債務による隷属を廃止してはいない。期限を設けているのだ。それが語っているのは、書かれた負債があるところまで膨らむと、人間自身が、そのまま返済の仕組みへ組み込まれるということだ。まず、一人の人が一つの金額へ換算される。その額を返せなくなると、本人も家族も労働力へ換算され、債権者の屋敷へ送り込まれる。
この条文の一語一語の向こうに、実際に起きたことがある。畑を耕す人が、何年か不作に遭う。負債は返しきれない額まで膨らむ。最初に家の土地を売り、次には妻や子どもを差し出し、最後には自分までも、債権者の家で何年かただ働きするために差し出す。帳簿の上では、未払いの一件に、弁済の手段が見つかっただけである。人間の側では、一つの家が引き裂かれ、一人の人が自分の暮らしから引き抜かれ、他人の屋敷へ道具として押し込まれる。法典が三年という上限を設けたのは、こうした事態が、法で歯止めをかけねばならないほど身近だったからだ。人に値をつけ、返済の手段へ換えることは、例外的な暴虐ではない。この勘定の仕組みを端まで進めたとき、その先に当然のように現れる一歩なのである。
だからこそ、人を救い出す言葉には、深い意味が宿る。シュメール語には、自由を表す「アマギ」という語がある。字義どおりには、母のもとへ帰る、という意味だ。貧しい人にとって、自由とは、まず抽象的な政治上の権利ではなかった。債務による隷属から解き放たれ、もともと暮らしていた家へ帰されることだった。銀は、顔を問わない物差しを与えた。その物差しから人を救い出す言葉には、ほかでもない、家の匂いが濃く残っている。母のところへ帰る。のちの債務免除が、帳簿の数字を一行消して終わりにならず、必ず人を解放し、担保に取られた土地を返すことと結びついたのも、このためである。
ここで、二つの向きが正面からぶつかる。帳簿が見分けるのは数だ。いくら負っているか、いくらを弁済に充てるか、何年働けば払い終わるか。人を家へ帰す言葉が見分けるのは、関係である。その人は誰の子か。どの母のもとへ帰るべきか。どの一族に戻るのか。前者は外へ向かい、人と人のあいだで同じ基準の数を出そうとする。誰であっても同じだ。後者は内へ向かい、この一人の人と、その人だけの来歴を認めようとする。債務を消すとき、人を放し、土地を返さなければならないのは、数字を消すだけでは足りないからだ。数字は消えても、人が他人の屋敷にとどめ置かれ、土地が他人の手にあるなら、何もほどけてはいない。本人を本人の関係へ戻し、土地をもとの持ち主へ返して初めて、その勘定は本当に解かれる。
帳簿は、人を数へ換える。それでも人は、その数に丸ごと溶け込もうとはしない。三年間、身を売ることはあっても、永遠に売り切られてよいわけではない。債権者の屋敷へ押し込まれても、なお四年目があり、母のもとへ帰るという言葉が、数字の外にその人の場所を残している。金額のなかへ押し込めず、しかも消せないもの。それが余項だ。ここで余項は、これまででいちばんはっきりした姿を取る。値をつけられながら、ついには折られきることを拒む、その人間である。
アマギという語が、自由と帰郷を結びつけているのは、偶然ではない。その世界で本当に行き場がないとは、どの家にも属さず、どの血筋にもつながらないことだった。債務のために隷属する恐ろしさは、そこにある。自分の家から引き抜かれ、他人の帳簿に載る一つの数、一つの道具にされる。だから救うとは、実体のない自由の証書を一枚渡すことではない。その人を知り、その人を必要とする関係の網へ、送り返すことである。ここで自由とは、何よりもまず、再び誰かがその人の母であり、ある一族がその人自身の一族であることを意味する。人が金額のなかへ溶け込むのを拒むのは、突き詰めれば、その身に、金額では決して計算できないつながりを結びつけているからなのだ。
六 帳消しにするという伝統
負債を書き残すことは、古い。負債をまとめて消すことも、それと同じだけ古い。
メソポタミアの歴史をたどると、債務を消す行為が何度も現れる。紀元前二三五〇年ごろ、ラガシュの支配者ウルカギナは、改革の碑文に、負債のために子どもたちを閉じ込めていた牢を空にし、彼らの解放を実現したと記した。孤児と寡婦を強者の手に渡さないことを、神と誓約したとも述べている。解放、負債、弱い者の保護を一つの言明で結びつける政治の言葉として、これは最も古いものの一つである。似た表現を、さらに一代前のラガシュの支配者へさかのぼらせる人もいる。そこではすでに、子を母のもとへ、母を子のもとへ帰し、利息を取り消す宣言がなされていた、という。ただ、この系譜は一般向けの文章では自信たっぷりに語られがちだが、厳密な学術研究では、ずっと慎重に扱われている。
細部にどのような争いがあっても、一つは明らかだ。債務の一括免除は、一人の王が思いついた独創ではなかった。何百年、時には千年という長い時間のなかで、次々に現れる王の即位碑文や布告へ、散らばるように残っている。ある程度の時間がたつと、再び作動する仕掛けにも見える。その繰り返し自体が、すでに問題を示している。一度消せば済むものなら、何度も消す必要はない。負債はまた膨らみ始める。だから、帳消しにする行為も、繰り返さなければならなかった。何度も戻ってくることこそ、それが一度で永久に解決する手段ではなかった証拠なのである。
時代を下り、紀元前一九〇〇年ごろの古アッシリアへ進むと、王の碑文に、解放を表す別の語が現れる。「アンドゥラールム」だ。あるアッシリア王は、アッカドの人々とその子孫に自由を確立した、と宣言した。ただ、遠距離交易の盛んな古アッシリアの文脈では、この語はときに減税や関所の通行料、関税の免除にも関わる。狭い意味で私的債務を消すことだけではない。紀元前一七九二年から一七五〇年まで在位したハンムラビの時代になると、その法典自体は独立した債務免除令ではないものの、不作時の利息免除や債務隷属の期限などが、すでに条文になっている。また、いくつかの研究の整理によれば、彼の王朝は、債務を帳消しにする措置を一度ならず実施した。その後のある王は、即位するとすぐに免除令を発した。宮廷のために農耕、牧畜、馬の飼育に従事する人々が宮廷に対して負っていた滞納分を消し、一部の兵士や一般の人々の債務も免じたのである。
古バビロニアの債務免除令のうち、最もよく保存されているものは、紀元前一六四〇年ごろの王によるものだ。債務を取り消し、それによって隷属していた人々を解放している。その最も知られた条項は、大麦または銀を人に貸し、利息を取り、文書を作っていた者に対し、王が全土に正義を確立したいま、その文書は無効となり、もはやそれを根拠として大麦や銀を徴収してはならない、と告げる。核心は、貧しい者の負担を軽くするだけにとどまらない。文書を根拠に返済を請求する権利そのものを、債権者から奪っている。当時、このように秩序を広く正し、正義を立て直す王の行為には、「ミーシャルム」という名があった。一方、債務のために隷属する人々を家へ帰す側面に重きを置くのが、先に出てきたアンドゥラールムである。二つは同じ王令に結びつくことが多かったが、重心はそれぞれ異なっていた。
この、最もよく残された免除令には、読むと独特の重みがある。思いやりのある統治を、抽象的にうたっているだけではない。どの種類の債務が無効か、何が対象外か、誰を帰すべきか、どんな文書を二度と取り立ての根拠にしてはならないかを、一つずつ列挙している。すでに書かれた帳簿へ、正確に刃を入れ、特定の項目を一行ずつ切り取っていく手術のようだ。書かれた勘定が細かければ、それを消す命令も、同じだけ細かくなければならない。精密な取り立ての仕組みに対抗するには、漠然とした慈悲の一言では足りない。同じほど精密で、しかも、それより上位にある文字が必要になる。債務の帳消しは、帳簿の言葉を捨てて行われるのではない。帳簿自身の言葉を使って行われる。
ここで、重要な仕組みが姿を現す。債務を消すとは、それを忘れることではない。それまでの取り立ての構造を、力によって書き換えることである。文字にされた勘定を一括して消すには、それより上位の文字、すなわち王令が要る。一枚の粘土板が一家を押しつぶしているなら、それを上から押さえられる、さらに大きな粘土板がなければ解けない。そして、この上位の文字もまた、一つの「構」、組み立てられた秩序にほかならない。帳簿を終わらせたのではない。帳簿の上へ、もう一つ覆いかぶさったのである。
この意味を、見過ごしてはならない。債務免除は帳簿の反対物ではなく、それ自身が、より大きく、より上位にある一つの勘定でもある。無数の粘土板に記された負債を消すには、それらを忘れてしまえばよいのではない。もう一つ何かを書き、これらの文書はすべて無効であると宣言しなければならない。文字をもって文字を解き、より大きな構によって、より小さな構を緩める。帳消しにするのがいつも王でなければならなかったのも、そのためだ。あらゆる債権者の上に立つ権力だけが、あらゆる貸付文書に優越する文書を書ける。貧しい人は、自分を押さえつける粘土板を、自分の力では破れない。それを代わりに軟らかくしてくれる、十分に大きな者を待つしかなかった。
もっとも、免除令は、すべてを鮮やかに一線で消して終わる行為ではなかった。ある研究は、債務免除のあとに財産に関する文書が破棄された例を挙げるが、それも布告された当日に決着したわけではなく、その後の司法審査や異議申し立てへつながっている。帳消しは、新たな争いを生む。誰の負債が免除の対象になるのか。誰の家屋の証書、債務証書、保証書を破棄すべきか。何を保管すれば合法で、どこからが免除令に乗じた横取りなのか。宮廷がとりわけ気を配ったのは、自らの税収、兵力、賦役の土台を揺るがす債務だった。王室の土地の小作人、兵士、牧人、宮廷に属する人々、債務隷属へ追い込まれた家々である。商隊交易の商業信用まで一緒に消すべきかとなれば、それはまた別の話だった。
つまり、一括免除は、区別なくすべての負債をならしてしまうことではなかった。宮廷の胸のうちには、さらに細かな勘定があった。何より解きたかったのは、宮廷自身の基盤を空洞化させる負債だ。耕せる者が皆、債権者の従属者になっては困る。兵士になれる者が皆、借金のために身分を失っては困る。賦役を担える者が皆、逃亡しては困る。商人どうしが合意して取り交わした売買の勘定には、王はたいてい、手をつけようとしない。同じ一つの免除令のなかで、この種類の人々を救い、あの種類の債務は残す。そこには一連の計算が潜んでいる。誰を救い、誰を救わないか。いつ救い、どこまで救うか。どれ一つ、自動ではない。慈悲深い統治の顔の下には、きわめて冷静な利害の秤がある。
七 帳簿を消す権利は、誰にあるのか
これらの債務免除令を、どう読むべきなのか。研究者のあいだでは、激しい議論がある。
ハドソンは、シュメール、古バビロニア、そして『レビ記』第二十五章のヨベルの年を、一つの長い伝統のなかに置く。その主張には、大きく三つの層がある。第一に、王令は気まぐれな善意の表れではない。青銅器時代の近東諸国が、社会の二極化と債務隷属の拡大を防ぎ、自分で耕す家々から債権者集団へ土地が移るのを食い止める、構造的な制度だった。第二に、主な対象は農業社会で膨らみ続ける非商業的な債務、つまり税、地代、費用、家計のために借りた穀物や銀であり、商隊交易を支える商業信用ではなかった。第三に、この伝統はのちにヘブライの聖典へ取り入れられ、『レビ記』の自由を宣言する言葉は、表現においても内容においても、メソポタミアの先例につながっている。彼はさらに、債務の総量という問題を繰り返し強調する。二割、三割の利率に、収穫の不安定さ、地代や税の滞納の繰り越し、文書による長期の請求が重なれば、多くの家の負債は、自分からゼロには戻らない。人を隷属へ追い、土地を失わせ、逃亡させ続ける。だから王権は、周期的に一括して消すほかなかった、という。彼にとって重要な対比は、専制的な古代と自由な近代ではない。社会が自らを守る二つの方法である。近東は繰り返し債務を消し、自由な土地保有者の層を、できる限り保とうとした。後のギリシアやローマでは、むしろ債権が行き着くところまで積み上がるに任せ、内戦、暴動、あるいはごく限られた改革によって、あと始末をすることが多かった。
この対比に重みがあるのは、債務免除を古代の珍しい逸話から取り出し、どんな社会も避けられない難題への、一つの答えとして見せるからだ。利息がつき、文書によって長く請求できるなら、負債の総量は実物の富より速く、自ら膨らんでいく。あるところまで達すると、誰かが上からまとめて消すか、社会が引き裂かれ、暴力によって決着するまで放置するかになる。ハドソンの描く近東は前の道を選び、王が繰り返し勘定を消して、社会の足場を置き直した。古典古代の世界は、後の道をたどることが多く、崩れるところまで債務を積み、血のなかからやり直した。どちらも負債の問題を解決したわけではない。それぞれ、繰り返し処理する方法を見つけたのだ。そして、ここが最も重要である。帳尻が合わないのは、ある時代だけの不調ではない。帳簿というものが、初めから抱えている病なのだ。
より慎重なアッシリア学の研究者たちも、免除令が存在したことを否定してはいない。それが取引、債権、人々の身の上を、現実に変えたことも認めている。気にかけているのは、資料をあまりに整然と、あまりに連続的に、あまりに後代のヨベルの年に似たものとして読んでしまうことだ。ある研究者は、循環論法に陥る危険を指摘する。一方で『旧約聖書』の安息年とヨベルの年を使ってメソポタミアを解釈し、他方でメソポタミアの史料を使って、旧約のヨベルの年は古代西アジアの制度の遺存に違いないと証明する。こうして行き来すれば、本来は異なる制度が、次第にそっくりのものにされてしまう。また、別の研究は、簡潔に言う。これらの免除は、決まった時刻に鳴る目覚まし時計のように、暦に従い、固定した周期で起きたのではない。断続的であり、新王の即位後に布告されることが多かった。この指摘は鋭い。一般向けの文章がつい滑ってしまう場所を、正確に突いているからだ。よく見られること、繰り返されることを、厳密な周期、定例の仕事、どんな文明にも欠かせない機構へ、いつの間にか書き換えてしまうのである。
これは、細部へのいちゃもんではない。時と場所によって異なる断続的な行為を、暦に従って自動運転する憲法のように読むと、歴史の最も重要な部分が消える。決まった答えのない余地だ。同じ債務免除でも、今回は即位直後の人心を鎮めるためかもしれない。次は不作や敗戦への対処で、その次は債権者集団から権力を少し取り戻すためかもしれない。動機が異なり、範囲も強さも結果も異なる。慎重な側が守ろうとしているのは、美しい一つの模型に、こうした生きた違いをならさせないことだ。ハドソンの長い時間を見渡す大きな構想には、遠くまで見通せるという長所がある。だが危険も、そこにある。遠くを見すぎると、足もとの細かな襞まで伸ばしてしまいかねない。語の意味を厳密に区別する研究者もいる。ミーシャルムとアンドゥラールムは、しばしば関係するが、完全な同義語としては扱えない。その王令が主に免じるのは税や地代の滞納なのか、債務隷属から人を放すのか、他人へ移った特定の土地を戻すのか。一通ずつ文書を見なければ、わからない。
争点を一つに絞れば、こうなる。これらの布告は、日常的な統治の技術だったのか。それとも即位、不作、戦争、財政の不均衡に際して作動する、危機への手段だったのか。ハドソンは、構造的で常態的な性格を重く見る。慎重な側は、後のヨベルの年から初期近東へさかのぼって推論してはならず、散在する文書をつなぎ合わせて、完成しすぎた周期制度を作ってはならない、と念を押す。書き手にとって大事なのは、どちらかへ一票を投じることではない。議論から露わになる、決まりきらなさを見ておくことだ。これらの社会が何度も債務を消したことは確かである。だが、どこまで消すのか、誰のために消すのか、政治のどの局面で消すのか。私的な債務も一緒に消せるのか。古い文書は本当に破棄されたのか。裁判官はどう処理し、債権者はどう逃れようとしたのか。そのどれにも、自動的に出てくる答えはなかった。
『レビ記』第二十五章まで来ると、確かに一つのことが変わる。解放が、固定した暦の仕組みとして書かれるのだ。安息年を七回数え、五十年目には、その土地のすべての住民に自由を告げる。一人ひとりが自分の所有地へ戻り、自分の一族へ帰る。大切なのは後半だ。未払いを単に免じるだけでなく、所有地へ戻り、一族へ帰る。これは、メソポタミアの文書に繰り返し現れる、人を放し、もとの保有を回復するという構造に、きわめて近い。ヘブライ語で自由を表す語と、アッカド語で解放を表す語を、一つの系譜のなかで論じる研究者さえいる。しかし、変わったものがある。バビロニアでは、解放は主として、ある時点で王が動くことに懸かっていた。『レビ記』ではそれが、王の恩恵ではなく、暦の周期と共同体の義務に基づくものへ書き換えられる。書き換わったのは、帳簿を消す権利の持ち主だ。地上の王から、時が来れば訪れる、その一年へ。だからこそ後世の人々には、それがユートピアに見えやすくもなる。理想の法、厳格には一度も実行されなかった綱領として、受け取られやすくなるのである。
けれども、厳格に実施されたかどうかとは別に、この変更は深い。帳簿を消す力を王から取り上げ、時が来れば訪れる年へ渡すことは、一つのことを認めるに等しい。債務を消さなければならないのは、ある王が一時、心優しくなったからではない。負債自体が、いずれ消さずには済まないところまで膨らむからだ。ならば、誰かの慈悲を待つのをやめ、最初から定期的な法にすればよい。帳消しは、偶然の善政から、必ず行うべき制度へ引き上げられた。この帳簿は、周期的に崩してつけ直さなければならない。その必要が初めて、明示された法へ書き込まれたのである。人の世で本当に実行できるのかは、また別の、古い問いだ。メソポタミア以来、その議論はいまも続いている。
八 書きつけること、消し去ること
ここまで来て、貨幣が現れる前から動いていたあの機械は、初めて身体を得た。そして初めて、自らの歴史を持った。
書かれた帳簿は、構が初めて確かな身体として出来上がったものだ。負い目は粘土板へ押し込まれる。測ることができ、比べることができ、返済を請求する根拠になり、焼き固めて保管することもできる。人の胸に記憶されていたときより硬く、冷たく、強制しやすくなる。異なるものを同じ尺度へ載せ、その差し引きを閉じようとする動きが、ここで最も具体的な一歩を踏み出した。すべてを同じ単位へ換算し、誰でも一通の文書によって、誰に対しても、最後まで返済を迫れるようにするのである。
だが、その帳尻はいつまでも合わない。利息によって負債は膨らみ、一季の作物より速く増える。人の身体も、その額へ丸ごと溶け込もうとはしない。だから、帳簿はどうしても閉じられない。そこで一括免除が生まれる。負債を忘れるのではなく、より大きな文字によって、取り立ての構造全体を書き換える。人を数字のなかから家へ帰し、土地をもとの持ち主へ戻す。しかし、それは根治の薬ではない。王令が出ると、勘定はゼロからまた始まる。記帳を続けるうちに、利息は再び膨らみ、人はまた債務隷属へ追い込まれる。遅かれ早かれ、次の免除が必要になる。書きつける。膨らむ。消す。そして、また書きつける。メソポタミアで、この機械は初めて丸一周した。その回転を生むのは、誰かの往生際の悪さではない。すべてを計算し尽くすはずの総勘定に、いつも一件、足りない勘定があることだ。だから、何度でも初めからつけ直すしかない。
これらの免除が通常の制度だったのか、緊急の措置だったのか。その議論は、いくらでも続けられる。だが、どちらの読み方でも、それが何度も戻ってきたことは認めなければならない。何度も戻ってきたのは、そのたびに、帳簿を閉じることができなかったからだ。免除のたびに解き放たれ、そのたびにまた負債に絡め取られるものは、つねに同じである。値をつけられ、三年間差し出されることはあっても、永久に折られることを拒む人間だ。その人こそ、帳簿へ収まらず、しかも消せない余項である。帳消しが消すのは数字であって、その人ではない。
メソポタミアでの一周を見渡すと、二本の線が、初めから終わりまで並んでいる。一方は勘定だ。何もかも数へ換えようとする、顔のない物差しである。研がれるほど鋭くなり、書かれるほど硬くなる。もう一方は、信頼だ。印章、証言、名声、血縁。その物差しを現実に働かせ、同時に、人を数字の外でも人として立たせているものだ。勘定は信頼を脇へ押しやろうとして、押しやりきれない。むしろ、至るところで信頼に頼らなければならない。そして負債が膨らみ、人を隷属へ追い込むたび、家の匂いのする一言によって、その人を数字のなかから連れ戻さなければならなくなる。二つは絡み合い、どちらも勝ちきらない。そのまま、今日まで絡み続けている。
銀は、顔を問わない物差しを与えた。けれども、その物差しから人を救う言葉は、母のもとへ帰るという、家の匂いを失わなかった。勘定が明確に書かれるほど、それを繰り返し、まとめて消すことが必要になる。負債を書くことと、負債を消すことは、同じだけ古い。その二つの古い営みが合わさって告げるのは、さらに古い一つのことだ。構は出来上がるやいなや、決して取り込みきれない余項を追い始める。追いつけないから、崩してやり直すしかない。勘定はいまだ合わず、記帳はいまも続いている。
中国語原文の論証と史料を基に、日本語読者のために構成と文章を新たに組み直した独立編集・再構成版です。 中文・English