Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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鑿構周期律 · 経済
第01篇・全23篇

互酬と贈与

クラ交易、ポトラッチ、危機を分け合う贈与網を手がかりに、貨幣以前の経済を物々交換ではなく、返し終えない義務が人を結ぶ制度として読み直す。

Han Qin (秦汉)
この篇の目次

一 清算しない世界

親しい者同士では、勘定をきれいに済ませることが、かえって相手を傷つける。友人の引っ越しを手伝ったあと、向こうが財布から紙幣を取り出して「これ、お礼」と差し出してきたら、友情には少し冷たい風が吹くだろう。家族なら、なおさらだ。誰が夕飯を作ったか。誰が壊れたドアを直したか。誰が苦しいときに手を貸したか。その一つひとつを金額に直し、その場で支払ってしまえば、片づくのは勘定だけではない。関係そのものがほどけてしまう。これは感傷の話ではなく、関係の成り立ちの話である。人類学者デヴィッド・グレーバーは、ある関係がこうした仕組みで成り立っているかどうかは、そもそも誰も勘定をつけていないこと、つけようとすれば滑稽か無礼に見えることによって、いちばんよくわかると述べた。彼が挙げるのは、イロコイの人々が葬儀を助け合う慣行から、ごくありふれた日常の手助けまでだ。必要なときに手を貸す。そこで小さな帳面を取り出す者はいない。

貨幣や正式な帳簿が現れる以前、人間の社会の多くは、こうして清算しないことで動いていた。

この一文は、いかにも牧歌的に読める。昔の人は損得を考えず、人情だけで生きていた、と。実際はまるで違う。貨幣がないことは、経済がないことでも、まして計算がないことでもない。食物を分け、働き手を組織し、集団をまたいで物資を運び、婚礼や葬儀を営み、不作の年の不足を埋めなければならない。味方をつくり、敵を押さえ込む必要もある。何に価値があるのか。誰が誰に借りをつくったのか。いつ返すべきか。どんな場合には返してはならないのか。そして返さなければ何が起こるのか。そうした判断も当然あった。違うのは利害の有無ではなく、利害が何に織り込まれていたかだ。親族、評判、儀礼、庇護、敵意、神々、負債、恥、記憶。二十世紀の経済史家カール・ポランニーは、このあり方を、経済活動が社会関係に「埋め込まれている」と表現した。それより早く、フランスの社会学者マルセル・モースは、さらに踏み込んでいた。多くの社会で、与えること、受け取ること、返すことは、別々の経済行為ではない。人と人、集団と集団を結びつける、一続きの義務なのである。

計算なら、どこにでもある。だが、あらゆる計算を同じ単位に換算し、誰もがその単位を使って、誰とでもその場で清算できるようにする。そのような仕組みは、きわめて珍しかった。人は誰に世話になったか、誰に一つ貸しがあるか、何をどう返せばよいかを、よく心得ている。ただし、その心得は場面ごと、相手ごと、親しさの度合いごとに異なる。すべての人とすべての出来事に、そのまま当てられる一本の物差しではない。乏しかったのは計算する能力ではなく、異なるものを共通の尺度で測る仕組みだった。

この世界を見るには、まず、あまりに見慣れた一枚の絵を脇へ置かなければならない。ばらばらに暮らす個人が、それぞれ物を持ち寄って交換する。直接交換は不便だから、やがて貨幣を発明する。人間関係は、交換が成立したあとで付け加わる。そのような絵だ。ところが、多くの民族誌が示す順序は逆である。人は、まず関係のなかで生きている。財が動くのは、その関係を保ち、深め、試し、人前に示し、ときには引き裂くためだ。価格をつけることも、清算することも、あとから、限られた場面に現れる。複雑な関係を短く圧縮する技術であり、その圧縮は、しばしば暴力的な結果を伴った。

帳簿以前の世界とは、そういう場所だった。清算しないことによって成り立ちながら、同時に、関係を少しでも清算しやすい形へ押し込もうとする。しかし圧縮のたびに、どうしても平らにならない部分が残る。物差しをどれほど精密にしても、帳簿のなかへ収まらず、消すこともできないもの。本稿では、その残りを「余項」と呼ぶ。

この古い作法は、今日でもなくなっていない。祝い事に包む金、親戚づきあいの贈り物、友人同士が交代でごちそうする食事。いずれも、その場では清算しないという昔からのやり方で続いている。たとえば、あなたが五百という額の祝い金を包んでくれたなら、私はそれを覚えている。いつかあなたの家に祝い事があれば、こちらも包む。少し多いか少ないかを、その場で細かく詰めたりはしない。だが、贈り物を受け取った直後に、同額の現金にして突き返したら、親戚づきあいもそこまでだろう。貨幣と帳簿が世界を覆ったあとも、このもっと古い仕組みは押し流されなかった。親族や友人のあいだへ居場所を狭めながら、いまも独自の作法で動いている。

二 与える、受け取る、返す

モースは、贈与を論じた著名な著作で、この制度の要を三つの義務に求めた。与える義務、受け取る義務、返礼する義務である。どれも、気が向けばしてもしなくてもよい個人の選択ではない。与えるのを拒むこと、招待を怠ること、受け取りを拒むことは、戦争の宣言に等しい、と彼は述べる。このような社会では、まず財を清算し、そのあとでつきあいを考えるのではない。関係が先にあり、財はその関係を育てるために用いられる。贈ったものを相手が受け取れば、受け取った側には、いずれ応えなければならない借りが生まれる。いつ、どんな形で、どのくらい返すかは、紙ではなく関係のなかに書き込まれている。

返礼は、すぐに済ませてはならない。モースが繰り返し強調したように、時間そのものが関係の構造の一部なのだ。贈与は、その性質からして、返礼までの期間を必要とする。一緒に食べた一食の料理、分けてもらった飲み物、持ち帰った護符。どれも、その場でそっくり同じ形にして返すわけにはいかない。あまりに早く返してしまえば、二人のあいだに生まれたばかりの借りを、もう帳消しにすることになる。それは、あなたとは関わりを持ちたくない、と告げるに等しい。だから、未清算であることは、制度の不備ではない。未清算の状態こそが、その制度なのである。差し引きがいつまでもゼロにならないからこそ、関係は生き続ける。

では、その借りを何が記録するのか。帳簿ではない。人々が共有する記憶、その場にいた証人、称号、恥、名声、そして物そのものの来歴である。多くの贈り物は、名も知らぬ相手への一度きりの受け渡しではない。誰が贈り、誰が受け取り、さらに誰へ渡したかをたどれる、長い連なりになっている。南太平洋のクラ交易圏を巡る宝物には、名前と経歴がある。北米北西海岸のポトラッチで用いられる銅板は、以前どんな取引を経て、どんな場面に登場したかによって、値打ちが変わる。また、婚礼、葬儀、収穫、飢饉のとき、誰が手を差し伸べたかを長く記憶する社会もある。数字の帳簿がなくても、誰が誰に何を負っているかについての社会的な知識はある。その知識が、物語や歌、儀礼の場での発言、親族の系譜、物の名前、見守る人々の頭のなかに分かれて置かれているのだ。何をしたか。誰に借りがあり、誰に恩を返したか。それは帳面の上ではなく、他人の口と心に残る。こちらの記録のほうが、紙よりも消しにくい。

この点は、のちに何度も重要になる。帳面は破れる。数字は書き換えられる。王朝や政権が代わったとき、帳簿ごと白紙にすることもできる。だが、人々の口に残る勘定を消すには、ひと世代まるごとの記憶が、同時に間違わなければならない。評判を偽りにくいのは、昔の人が今より正直だったからではない。あまりに多くの人の口に分散していて、一人の手では書き換えられないからだ。見知らぬ市で一度、人をだませる者も、自分を育て、祖父のことまで知る村で、長年にわたって別人を演じるのは難しい。

したがって、明確な帳簿がないからといって、負債がないわけではない。モースは、贈与の制度に、信用と期限の観念がすでに備わっていたことをはっきり述べている。彼は、人類はまず物々交換から売買へ進み、現金払いのあとに掛け取引を発達させた、というおなじみの一直線の歴史にも異を唱えた。彼の考えでは、多くの仕組みの出発点にあったのは、時を定めて贈り、時を定めて返す贈与の体系である。物々交換も、売買も、貸し借りも、その古い体系を簡略化したり、組み合わせ直したりして生まれた。履行を先へ延ばせる義務のほうが、その場で完結する交換より先にあったのだ。

こう考えると、順序がひっくり返る。現金と商品をきっぱり引き換える取引が先にあって、そこへ人情を加えた掛け払いが生まれたのではない。人間関係に支えられた貸し借りが土台にあり、現金と商品の同時交換は、その土台からあとになって切り出された特殊な一例だった。今日、私たちは掛け払いを、特別な信頼のしるしだと考える。即時払いが原則で、信用があるから少し融通を利かせてもらえる、と。だが、あの世界では、その場で支払いを求め、互いの貸し借りを残さないことのほうが、関係からわざわざ切り離さなければ成立しない、よそよそしい扱いだった。

だからといって、昔の世界が温かかったという話にはならない。その場で清算することにも、用途はある。もう会うつもりのない相手、信用できない相手、いつ敵に回るかわからない相手とは、金と物をその場で引き換えるほうがよい。どちらにも借りを残さず、すっぱり縁を切れるからだ。即時の清算は、関係の通常の形というより、その反対側にある。一度のやり取りを、その場で終わらせるための手段なのである。長く関わり続けたい相手ほど、勘定をきれいに済ませてはならない。互いに何も負わずにいたい相手だからこそ、きれいに済ませる必要がある。

三 クラを巡るもの

ポーランド出身の人類学者ブロニスワフ・マリノフスキは、ニューギニア東端の島々に長く滞在して調査した。彼が一九二二年の著作に記したクラは、大きな輪を描く島々にまたがり、何千人もの参加によって維持される、部族を越えた巨大な関係の網だった。二種類の宝物が、互いに逆の方向へ巡る。赤い貝を連ねた首飾りは時計回りに、白い貝を磨いて作った腕輪は反時計回りに進む。網に加わる者は、周期的に一つを受け取り、しばらく持ち、それから自分の相手へ渡す。地位の高い有力者には多くの相手がいる。地位の低い者には少なく、そもそも輪に入れない場合もある。向こう岸の相手が持つ宝物を得るには、本当に危険な海を渡らなくてはならない。出航前には呪術を行い、着いた先では歓待を受け、道中では互いに身を守る。危険な航海、航海の呪術、上陸先でのもてなし、相互の庇護、ついでに行う売買。そのすべてが、ひとまとまりになっている。

マリノフスキのよく知られた説明によれば、クラは物々交換ではなく、贈与による関係である。第一の原則は、贈り物への応答が一定の時間を経た返礼によってなされること。値切り交渉による交換ではない。第二の原則は、返礼が見合うものかどうかを決めるのが、返す側だということだ。強制はできず、交渉も許されない。こちらが一つを贈れば、いずれ相手が一つを返してくれる。その返礼で面目が立つかどうかは、相手が自分で考える。こちらから品定めして文句をつけたり、増やせと掛け合ったりはできない。

価値を判断していないのではない。むしろ、等級の高低、品物の名声、相手の気前、名高い宝物が誰の手を通ったか、長く持ちすぎて評判を落としていないかに、クラはきわめて敏感だ。始まりには先に差し出す贈り物があり、そのあとに正式な返礼がある。すぐには釣り合う物を用意できないなら、小さな首飾りをひとまず渡し、誠意を示して待ってもらうこともできる。最後には、ふさわしい品を返して、一連のやり取りに確かな結び目をつくる。どの段階にも、踏むべき手順がある。クラは計算しない制度ではない。相当に細かく計算する。ただ、そこで測っているのは、誰が払っても同じ匿名の価格ではない。面目、時機、相手とのつながり、寛大さを人前で示す振る舞いを含んだ、幾重もの返し方である。

この網のなかでは、本当の富を、手元にため込んだ物の数だけでは測れない。名高い首飾りが自分の手を通れば、ほんの一度のことでも、その来歴の一部に自分の名が刻まれる。立派な有力者を何人、相手に持つか。それが、その人の重みになる。その重みは、懐にしまって持ち歩くことも、息子へ遺産として渡すこともできない。他人がその人について語るあいだだけ、生きている。貨幣はまだない。だが、関係と名声だけから積み上がる富は、すでに動いていた。目に見えるどんな財よりも、その富のほうが激しく求められていたのである。

クラだけが孤立して営まれていたわけではない。民族誌は繰り返し、クラと並んで、もっと値切り合いの売買に近い交換が存在したことを伝えている。現地の人々はそれに別の名前をつけ、クラとははっきり区別していた。片方が古く、もう片方がそれを乗り越えたのではない。二つは同じ道を一緒に進む。先に贈与の網が相互の関係を安定させ、安全ともてなしを用意する。その関係に包まれて、より実利的な売買が可能になる。海を渡り、見知らぬ部族と取引するのは命がけだ。だが相手がクラの仲間なら、先に関係があるから、商談もできる。ここには、このあとの歴史を貫く一つの事実が見える。匿名の交換と、関係を重んじる交換は、長く共存できる。それどころか、前者が後者に寄りかかって成り立つことは多い。貨幣が現れる前から、評判はその人の保証人になっていた。そして、人を保証する仕組みと、値段を掛け合う仕組みは、初めから絡み合い、どちらも相手を呑み尽くせずにいた。

だから、この一まとまりを、ばらばらにはできない。航海は航海、呪術は呪術、売買は売買と切り分け、人間関係の部分を不要な飾りとして剝ぎ取れば、純粋な物の交換が残るというわけではない。関係を剝ぎ取ったなら、あの海路を渡ろうとする者はいなくなる。取引も、足を下ろす岸辺を失う。実際に交換を可能にしているのは、換算できず、単独にも取り出せないものなのだ。自分のために保証を引き受けてくれる相手がいること。海の向こうに、自分を迎え入れてくれる家があること。それらを交換から差し引けば、交換そのものが成り立たなくなる。

クラは、いわば作りかけの地点にとどまっている。参加者は、どの等級の品を返すべきか、相手は公正で気前がよいかを、ひどく気にする。それでも、その「釣り合い」を統一された価格に訴えて決めることも、その場で清算することもできない。贈り物を比較できるようにはしたい。しかし、支払いを強制できる価格にはしたくない。そのため、クラを「時間を置いた交換」と読み替えれば、一面は捉えられても、なお噛み砕けない部分が残る。相手とのつながり、名望、互いを守る義務、そして、その物だけが背負う来歴である。

四 財産で闘うポトラッチ

北米北西海岸の先住民のあいだには、ポトラッチという大規模な儀礼がある。富を誇示する宴として知られるが、宴という言葉で捉えられるのは、そのごく一部にすぎない。たしかに、盛大な食事、踊り、演説、贈り物、それを見届ける人々がいる。婚礼や継承、称号の承認、死者の追悼にも営まれる。だが同時に、それは序列を公に定める仕組みであり、負債の網であり、財産を持つ権利の宣言であり、相手に恥をかかせる手続きでもある。財産で戦争を置き換えるもの、あるいは財産そのものを使って戦争をするもの、とさえ解釈される。モースは鋭く指摘した。ポトラッチでは与える義務が中心にある。首長が部族、村、家系のなかで権威と地位を保つには、ポトラッチを催し続けなければならない。この地域では、威信を失うことは、ほとんど魂を失うことに等しかった。

人類学者フランツ・ボアズが残した、北西海岸のクワキウトルの人々のポトラッチに関する記録は、物事を数量で測る側面を鮮明に示している。そこでは毛布が価値の単位になり、多くの品物が毛布何枚分かに換算された。毛布をめぐって、貸し付け、利子、信用の等級も生まれている。一部の貸し付けでは、年利がおよそ二五パーセントに達した。信用の乏しい者は、自分の名前を一年間、担保に差し出さなければならないことさえあった。その名を取り戻すため、三十枚の毛布を借りて百枚を返すという、極端な負担が生じた例もある。金融的な仕組みの芽がなかったわけではない。単位、利率、担保、信用の格付けまで、すべてがある。ただ、担保の一つが、人の名前そのものだったのである。

この一点が、問題の芯に触れている。関係を一本の共通の物差しへ押し込もうと、必死になっている社会は、確かにある。しかし、その物差しは、測っている途中で、必ず人そのものに突き当たる。ポトラッチで数えられるのは毛布だけではない。銅板にも、過去の値段と競り上げの論理がある。一枚の値打ちは、前の取引で毛布何枚に換算されたかによって定まる。次に手にする者は、自分の格が劣っていないことを示すため、さらに高い値を出さなければならないことが多い。それでも、銅板は、誰の物だったかを問わず自由に流通する、近代的な一般的等価物ではない。名前があり、登場する場面があり、競い合う相手がいて、証人がいる。相手を辱める働きもある。儀礼のさなかにわざと打ち割り、同等かそれ以上の応答を相手に迫ることさえできる。銅板がいくらに当たるかは、誰の手を経たか、誰の目の前で割られたかと、決して切り離せない。数量化が最も激しく進むところで、人格との結びつきも、また最も濃くなる。

この地域を扱う古典的な研究の一つは、ポトラッチを端的に、財産による闘争と呼んだ。二人の相手が交互に賭け金をつり上げる。こちらが一群の財を贈れば、向こうはさらに大量に返す。相手が銅板を割って突きつけてきたのに、同じだけの一撃を返せなければ、人前で敗北を認めたことになる。財産は武器として使われる。だが、打撃を受けるのは財産だけではない。勝負の結果として失うのは、序列であり、継承の資格であり、一族が人々の前で顔を上げていられるかどうかである。数えられるのは毛布や銅板だが、勝負の場に差し出されているのは、面目だ。その人が、なお人々の目に、重みを持つ一人として映るかどうかなのだ。

外から見た人々は、ポトラッチを、見せびらかすための浪費と捉えてきた。物を壊す。惜しげもなく配る。倍にして返す。どれも、不合理な散財に見える。だが、資料に目を向ければ、その「浪費」の多くは、地位、継承権、同盟、人々の記憶への投資であった。初期の研究には、利子を生む財産投資として描いたものもあり、この捉え方をめぐっては長い論争が続いた。人間関係をめぐる競争を、金貸しに似せすぎているという批判がある。一方、信用、利子、返礼を抜きにしては、仕組みが回る理由を説明できない、という主張もある。振り返ってみると、本当の難しさは、ポトラッチが銀行に似ているかどうかではなかった。それは財産、人格、宇宙の秩序、さらには植民地化による衝撃まで、同時に扱っていたのである。一つの説明だけで捉えようとすれば、必ずどこかが押し潰される。

そこで人々が払わされた代償は、抽象的なものではなかった。カナダ政府は一八八四年から法律によってポトラッチを禁じ、一九二一年の大規模なポトラッチのあとには、多数を逮捕した。投獄された人数には資料によって多少の違いがある。だが、数十人が逮捕され、裁判にかけられ、一部の人々が数か月にわたって収監されたこと、数百点の儀礼用の品々が没収され、売り払われて、カナダ、アメリカ、イギリスの博物館へ散っていったことでは一致している。より重い刑を免れるため、共同体は仮面、衣装、銅板、その他の聖なる品を引き渡させられた。一九五一年に禁止が解かれるまで待っても、なお多くの品は元の持ち主に戻らなかった。浪費を取り締まるという名のもとに実際に行われたのは、一つの民族の序列、継承、法、記憶、信仰を、まとめて打ち砕くことだった。単に古い風習を改めさせたのではない。人がどう生きるべきかを定める一つの秩序全体を、刑罰によってならそうとしたのである。その理由は、外から見たとき、その秩序がまともな経済に見えなかったということにすぎない。

この見誤りこそが、問題をよく示している。価格しか見分けられない目には、ポトラッチは、大量の物をただ贈り、ただ壊す場と映る。だから、浪費だ、倹約を知らない野蛮だと断じる。その物と引き換えに得られた地位、同盟、継承権、村じゅうの人々の記憶は見えない。値札がつかず、どの帳簿にも載らないからだ。外に向けた価格は、表に出ていて、誰にも見える。内側の重みは、関係のなかにあり、そこに生きる人にしかわからない。取り締まる者が、つねに悪意で読み違えたとは限らない。本当に、価格を見る目しか持っていなかったのだ。その目には、人と人のあいだで実際に何がやり取りされているのかが、見えていなかった。

五 贈与のさまざまなかたち

古典的な事例の外へ出ると、資料に現れる違いは驚くほど大きい。グレーバーは、イロコイのロングハウスを舞台にした想定で、その違いを説明した。誰かが靴を一足欲しがったからといって、二人がそれぞれ物を出して交換する場面になるとは限らない。むしろ、家の女性たちやロングハウスの年長の女性が、共同の蓄えから材料を取り出し、作ってもらえるよう手配するだろう。そこで動いているのは、二者間の交換ではない。家族、ロングハウス、共同の備蓄をつなぐ関係の網だ。必要なものは、共同の蓄えから受け取る。前に何をそこへ入れたかと、今度何を取り出したかを、誰もその場では相殺しない。

別の一角には、アフリカ南部のある採集社会に見られる、時間を置いた互酬のネットワークがある。人類学者ポリー・ウィースナーの記述によれば、その贈り物は、短期間で同じ価値の物を返してもらうことを目指さない。広い空間を越え、いざというときに頼れる援助関係を保つことで、季節ごとの変動や、年による豊凶の危険を分散する。記録では、この網はおよそ二百キロメートル先まで広がりうる。ある土地で干ばつが起こり、その年の食物が得られなくなったら、長年、小さな贈り物を交わしてきた遠方の相手が、人々を受け入れ、支える。クラやポトラッチと比べると、首長が張り合う色合いは薄く、競争の熱も弱い。より純粋に、危険を分け合い、関係を保つことに近い。今日、遠くへ物を贈るのは、来年、釣り合う物を返してもらうためではない。いつか自分の土地が困難に見舞われたとき、贈り物を重ねて通い慣れたあの道が、まだ開いているようにするためなのだ。

これらを並べてみると、いわゆる贈与経済は、一つの制度の名前ではないことがわかる。共同の備蓄、近親者の分かち合い、時間を置いた互酬、首長を中心とする再分配、そして火花を散らす競争的な贈与まで、幅広い連続体がある。共通しているのは、無私の心ではない。ある種の勘定は、その場で済ませるべきではない。ある種のものは、即座に清算できる値段へ変えてはならない。そのような判断である。関係の核に近づくほど、勘定を済ませない作法は徹底される。外へ向かい、見知らぬ者や競争相手の領域へ進むほど、損得勘定、値切り、ときには欺きや略奪までが、次第にあからさまになる。

この幅のなかで、まだ詳しく触れていないのが、首長を中心とする再分配だ。物はまず、あちこちから一つの中心へ集まり、そこから再び配られる。集める側から見れば貢納に近く、配る側から見れば恩賞に近い。だが、どちらを動かしているのも価格ではなく、身分である。誰がどれだけ納めるべきか、誰がどれだけ受け取れるかは、その秩序のどこにいるかによって決まり、市場では決まらない。再分配も互酬も、一本の物差しではなく、社会の構造を支えにしている。人々が正当だと認める中心を取り去れば、物は集まらず、また配れなくなる。

価格は、外へ向かうものだ。二人がいて初めて成立する。人と人とのあいだで比べ、交換し、せめぎ合った結果として生じる比率なのである。たった一人で、周りに誰もいなければ、価格はない。一方、その人自身の値打ちや、関係のなかで換算を拒み続ける重みは、内側にある。その人自身がすでに備えていて、誰かに値をつけてもらうのを待つ必要がない。核心に近い関係ほど、この内なる重みによって支えられ、外向きの価格を必要としない。関係が薄くなるほど、外向きの価格が必要になる。何のつきあいもない二人を、ひととき結びつけるためだ。外に向いた価格と、内にある重み。この二つは、関係の遠近に応じ、この連続体のあちこちで、一方が強まれば他方が弱まる。このせめぎ合いは、この先も、舞台を大きくしながら何度も現れる。

六 経済の論理は一つなのか

ポランニーの実体主義は、よく「経済は社会に埋め込まれている」という一言に縮められる。しかし、彼の仕事には二つの段階があった。まず「経済」という語を、別々の二つの意味に分けた。一つは、物が十分にはないという条件のもとで、目的と手段を合理的に選ぶという形式的な意味だ。教科書でなじみ深いのは、こちらである。もう一つは、人間が自然や他者から、生きていくのに必要なものを実際にどう得ているか、という実体的な意味である。ポランニーは、二つの意味に共通の根はないと考えた。経験的に存在するあらゆる経済を研究するとき、前者だけで十分だと決めつけてはならない、と。次に彼は、経済を、人間と環境との相互作用が制度によって一定の形を与えられた過程として捉えた。そして、その過程が一つにまとまる仕方を、互酬、再分配、交換に分けた。

この三つについて、彼はよく知られた定義を残している。互酬とは、対称的な構造を持つ集団の、対応する位置どうしで行われる往来である。それを支えるのは、社会に備わった対称性だ。再分配とは、いったん中心へ集め、そこから再び外へ動かすことである。それを支えるのは、何らかの中心だ。交換は、相互につながる価格を通じて、市場で行われる。さらに重要なのは、この三つを発展の三段階としてはならない、とポランニーが繰り返したことだ。三つは長く共存できる。違うのは、それぞれの比重と、どれが主となるかである。家族のなかでは互酬が働き、首長や国家は再分配を行い、周縁や特定の品目では交換が行われる。同じ社会のなかで、三つとも動きうる。

この枠組みが与えた衝撃は大きく、反発も大きかった。形式主義の側からは、近代的な市場がなくても、人は制約のなかで選択するという主張が出た。最大化の対象は、金銭でなくてもよい。名声、安全、親族の支援、宗教的な功徳でもよいではないか。ならば、好みや目標を現地のものに置き換えれば、ミクロ経済学による分析が、必ずしも西洋の尺度の押しつけになるとは限らない。この主張には力がある。しかし、実体主義にも二つの反論があった。一つは、実際の制度に関する反論だ。産業化以前の社会の経済行為を、そのまま希少性のもとでの選択と効用最大化へ翻訳すると、それを可能にしている制度上の前提を見落とす。対称的な構造がなければ互酬は安定せず、中心を備えた構造がなければ再分配は続かない。問題は、個人が計算できるかではなく、どんな制度のなかで計算するのかだ。もう一つは、概念そのものへの反論である。どんな行為でも、あとから何かの最大化だと言えるなら、その概念は、限りなく空疎になる。ついには生計を支えるものが何でも経済になってしまい、結局、何を経済と呼ぶのかは、何一つはっきりしない。

どちらも、相手を完全には退けられなかった。実体主義は、近代市場と古代・部族社会の経済とを切り離しすぎるおそれがあり、構造を固定的に描くことで、生きた人間の働きかけを過小評価しがちだ。形式主義は、文化ごとに好みが異なるとすることで最大化の説明を守ろうとするが、しばしば、起きた結果に別の名前をつけるだけに終わる。なぜ、ある社会では即座の返礼が禁じられるのか。どうしても売ってはならない物があるのはなぜか。ある種の支払いになぜ首長の仲介が欠かせないのか。なぜ、もてなしや敵意が取引とこれほど絡み合うのか。それらは、まだ説明されていない。論争に決着はつかなかったが、二つの本当の問いが表に出た。文化を越えて通用する経済の論理はあるのか。そして、制度という前提を、説明のなかでどれほど重く見るべきなのか。

少し荒っぽい例を考えると、争点が見える。ある人が、家でいちばんよい牛を隣村の有力者へ贈り、自分は腹をすかせている。形式主義者は言うだろう。この人も最大化しているのだ。ただし、増やしたいのは牛肉ではなく、将来の後ろ盾と今の面目である。なかなかしたたかな計算ではないか。実体主義者は問い返す。もし、この人にそもそも別の道がなかったらどうなのか。牛を贈るのが礼の秩序から逃れられない務めであり、贈らなければ生きていけないのだとしたら、それでも自由に最善を選んだと言えるのか。一方は、何をしても「その人には得だった」と説明する。他方は、その人に、そもそも損得を計る余地があったのかと問う。この二つの読み方は、この先、なじみのない経済を合理的人間のモデルで説明しようとするたびに、顔を合わせることになる。

もう一つ、付け加えなければならない。今日、ポランニーの「埋め込み」という考えを、そのまま受け入れない研究者も少なくない。すべての経済は制度と社会に埋め込まれていると言う一方で、近代の市場社会は社会関係から切り離された、つまり「脱埋め込み」を果たしたとも言う。その二つは、概念上、矛盾するからだ。ポランニーの思想に残る解きがたい結び目だと、明言する論者もいる。こうした批判は、埋め込みという見方を無用とするためのものではない。市場も一度として真空のなかに存在したことはない、と思い出させるためである。市場は、ある関係を匿名の規則に見せ、ある権力を価格に見せているにすぎない。価格は中立に映る。需要と供給がひとりで計算した数字のように見える。だがそれは、しばしば、人と人のあいだの支配が、ひそかに着替えた姿でもある。

表向きは方法をめぐる論争だが、その下では、大きな問いが争われていた。人間は、どこでも同じように損得を計算する動物なのか。そうなら、社会の違いは同じ論理を包む外側の違いにすぎず、いずれ一本の共通の物差しで測り揃えられる。そうでないなら、一つひとつの制度には、外から完全には翻訳できない計算の仕方がある。この分岐は、部族社会の経済を論じるだけでは終わらない。歴史の先へついていき、ついに誰かが、すべてを測り揃える物差しを、本当に作ろうとする場面にまで及ぶ。

七 交換にしきれない贈り物

人類学者マーシャル・サーリンズは、モースの贈与論をさらに大きく進めた。互酬を何でも入る一つの袋として扱わず、三種類に分け、社会的な距離と結びつけたのである。いちばん内側にあるのは、親族どうしの分かち合いや、長年の世話に近いものだ。正確な勘定はなく、返す時期も決めず、厳しく取り立ても行わない。一つ外へ出ると、それほど長くない期間のうちに、おおむね見合うものが返ることを期待する。さらに外側、とりわけ見知らぬ者、よそ者、競争相手とのあいだでは、できるだけ少なく渡して多く得ようとする方向へ、交換が傾いていく。値切り合い、物々交換、詐術、強奪などが、その典型だ。サーリンズの大きな功績は、贈与と交換を、善と悪の道徳的な対立から解き放ち、関係の距離に沿って広がる連続体として捉えたことにある。同じ社会の内部でも、一つの論理だけが働いているのではない。近い相手には近い相手の、遠い相手には遠い相手の論理がある。

この連続体があるからこそ、後の多くの論者は、贈与も結局は時間を置いた交換にすぎない、と言った。この言い方は、全面的に間違ってはいない。クラには確かに返礼が必要で、ポトラッチの威信も、返礼の連鎖に支えられている。婚礼での贈与、死者をめぐる補償、首長の招宴も、多くの場合、いずれ応答があることを前提にしている。連続体の中ほどにある「均衡的互酬」へ近づくほど、通常いう経済に似てきて、およそ釣り合っているかを見積もる必要が増す。この点は、サーリンズ自身も認めていた。

それでも、贈与を洗い上げ、時間を置いた交換だけにしてしまおうとしても、落ちないものが残る。少なくとも四つある。第一に、返礼はすぐには行えない。ここにある時間は、技術的な都合による遅れではなく、関係のなかの張りである。早く返しすぎれば、結ばれたばかりの借りを先回りして消してしまう。第二に、釣り合いは、統一価格のもとでの等価とは違う。クラでは、釣り合っているかを決めるのは返す側であり、その判断は慣行、気前のよさという評判、品物の等級によって導かれる。誰も強制できない。第三に、やり取りする物には、人や集団の痕跡が残っている。モースはマオリの人々について、贈られた物には一種の霊的な力が宿り、出発した場所へ帰ろうとすると述べた。物の霊という説明を受け入れなくても、彼が少なくとも一つのことを捉えていたのは確かだ。贈り物は、贈り主、家系、土地、称号の延長として扱われることが多い。来歴を完全に切り離せる物ではない。第四に、返礼しない結果は、経済的な損失だけでは済まない。恥をかき、味方を失い、資格を失う。場合によっては、屈辱、従属、さらには暴力を招く。

この四つのうち、最も見過ごされやすく、実は最も決定的なのは、二つ目だ。価格は、外から与えられる。市場で需給が一致する価格がいくらになるかは、あなた一人でも私一人でも決められない。二人は、どちらにも動かせない数字を前に取引する。ところが、クラの釣り合いは逆だ。返す者が自ら見定め、判断は最後まで関係の内側にとどまる。外から履行を強制する者はいない。もし、釣り合いを強制でき、一つの外部の数字によって決着をつけられるなら、そのとき贈与は売買になり、関係は一件の取引へ縮む。贈与が手放さずに守っているのは、外へ引き渡すことを拒む、この判断の余地なのだ。

ここでは、モースの言葉が強い力を持つ。贈られた物はおとなしくそこにとどまらず、自分の出発した場所へ帰ろうとする、という言葉だ。それをすべて、現代経済学の長期的な誘因へ読み替えれば、ある部分は説明できるだろう。だが、その読み替えは、資料の最も重要な一面を干上がらせてしまう。当人たちは、自分が長期的な誘因の仕組みを設計しているだけだとは、考えていないのである。手元の品物が、それを贈ってくれた人と、ある土地と、ある名と、今も本当につながっていると感じている。その感覚も出来事の一部であり、換算の過程で消してよいものではない。

ここに、贈り物と商品を分ける、最も深い境目がある。商品の強みは、来歴を消せることだ。袋入りの米は誰が育てたかを問わず、貨幣は誰の手から来たかを問わない。誰の物でも同じだから、見知らぬ者のあいだを自由に動ける。贈り物は、逆である。来歴が消えていないことから、その重みが生まれる。この首飾りを誰がくれたか。何人の手を経たか。どのつきあいにつながっているか。そのすべてが品物に残り、持ち主が変わっても一緒に運ばれる。来歴を消せない物は、何にでも取り替えることはできない。何にでも取り替えられない物には、真の意味で価格をつけられない。取り替えが利くことは、価格の前提である。取り替えが利かないことは、尊厳のかたちである。同じ物が商品になるか、贈り物になるか。その分かれ目は、ここにある。

初期の社会に、尺度がなかったわけではない。むしろ、限られた範囲では、つねに測り続けていた。貝、銅板、毛布、負債の額、返礼の釣り合い、婚姻に伴う支払い、首長のもとへの集積。いずれも、ある部分の関係を、少しでも清算しやすい形へ圧縮する試みである。関係だけがあり、計算はなかったのではない。関係をもっと計算できるようにしようと、絶えず試みていたのだ。だが、圧縮するたびに、平らにならない部分が残る。尊厳、面目、祭祀に加わる資格、仲間の忠誠、守る義務、親しさや疎遠さ。その残りが再び顔を出し、今度は交換のあり方を変えてしまう。なかでも、勘定を合わせることを最も強く拒むのは、人間である。人は、毛布の枚数や、銅板一枚の価格に換算されうる。自分の名前を担保に出すよう強いられさえする。それでも、その全体が物差しのなかへ溶け込むことは拒む。必ず一部が外へはみ出す。その、測り込めず、消すこともできない部分が、余項なのだ。このあとの、より大きな圧縮も、それを取り込もうとしては、取り込みきれずに終わる。

ポトラッチのなかで、名前を担保にした人へ戻ろう。彼は自分の名を一年間差し出し、毛布三十枚を借り、百枚を返して取り戻す。ここでは、人を価格へ押し込む力が、極限に近づいている。名前まで、その人が何者であるかまで、借りて返せる数字になっているのだ。だが、まさにこのとき、押し潰せない部分が、最もはっきり見えてくる。名前が担保になるのは、値打ちがあるからだ。その名前に値打ちがあるのは、それが金銭だけには尽きないからだ。取り戻すことのできる名は、かつてそれが物として扱われたことを示す。どうしても取り戻さなければならない名は、それが最後まで物ではなかったことを示す。人は物差しへ押し込まれ、同時に、物差しを押し返して外へ出る。この二つが、一つの名前のうえで起きている。

八 貨幣はどこから来たのか

物々交換が先にあり、そのあとに貨幣が生まれたという物語に、最も重い一撃を加えた人物として、しばしば人類学者キャロライン・ハンフリーが挙げられる。一九八五年の彼女の指摘は、この議論では避けて通れない。純粋で単純な物々交換経済が記述された例はなく、まして、そこから貨幣が生まれた例はない、という指摘である。物々交換など一度も行われなかったと言っているのではない。純粋な物々交換が日常の標準となり、そこから貨幣へ進んだ社会を、実際に観察した者はいない、と言っているのだ。彼女の研究した事例は、現代において物々交換が中心となる場面が、貨幣の不足、行政の断絶、市場の不安定、辺境での交易といった条件のもとで生じることも示していた。物々交換は、貨幣以前の原初の標準形というより、制度の継ぎ目から押し出されてくる産物に近い。

グレーバーは、負債を論じたベストセラーで、この批判を広く一般へ届けた。経済学の教科書が想像する小さな村に、物々交換があふれているのは、現実に対応する村を見つけるのが難しいからだ、と彼は繰り返す。彼が整理した多くの民族誌によれば、近隣の人々の日々の必要は、信用、互酬、分かち合い、首長による再分配などを通して満たされることのほうが多い。物々交換は、むしろ見知らぬ者どうしで起こりやすい。これと並んで、さらに体系的な二つの説がある。一つは信用説だ。信用だけが貨幣である、というほど徹底した形で述べられる。貨幣の単位とは、何よりもまず、債務と債権を測る抽象的な尺度だという考えである。もう一つは法制史からの議論で、貨幣が交換から自然に生まれたという物語を、創世神話と呼ぶ。長く貨幣の想像を支配してきたこの物語は、その一方で、国家、法、徴税、記帳、公的権威の役割を覆い隠してきた、というのだ。

だが、これで論争が終わったわけではない。反論する側は言う。今日の民族誌に証拠がないからといって、遠い過去に、短命で不安定で、痕跡の残りにくい物々交換の局面がなかったとは言えない。また、経済学の理論も、ほかの仕組みをまったく持たない完全な物々交換社会が、長期にわたって存在したことまで、必ずしも必要としていない。近年には、本当に反証されたのは、新古典派の前提を置いた狭い教科書版にすぎず、もっと広い意味での物語は崩れていない、とはっきり主張する論者もいる。さらに、対外交易から考える道も提示されている。貨幣は、共同体の内部の日常生活よりも先に、境界や集団を越える交換、とりわけ見知らぬ者どうしの交換に役立ったのかもしれない。そのような場面では、持続する信用関係を当てにできるとは限らない。そこで、見分けやすく、持ち運べ、相手にも受け入れられる何らかの物が、交換の仲立ちになる。この道は、グレーバーと全面的に対立するわけではない。やはり教科書版を疑いながら、貨幣には、対外交易で見知らぬ者のために生まれた可能性を残している。

したがって、いま本当に争われているのは、物々交換があったかどうかだけではない。貨幣を、まず市場の効率を高める媒介として理解するのか。対外交易で見知らぬ相手に対処するための補助具として理解するのか。債務と債権を測る計算単位として理解するのか。それとも、国家と法が立てた公的な物差しとして理解するのか。どの答えの背後にも、人間をどのような交換者と見るかについて、異なる想像がある。論争が終わらないのは、それが貨幣の出自だけでなく、人間の出自を問うているからなのだ。

貨幣を効率のための媒介と見るなら、人間はまず、少なく出して多く得ようとする、損得に敏い計算者になる。見知らぬ者への対処の道具と見るなら、人間はまず、顔見知りのあいだでしか信用できず、輪の外へ出れば、誰にも通用する確かな物に頼らざるをえない、用心深い生き物になる。債務と債権を測る単位と見るなら、人間はまず、誰かに借りを負い、誰かに貸しを持ち、互いの負い目の網のなかで生きる存在になる。国家が立てる公的な物差しと見るなら、人間はまず、より大きな権力の帳面に記され、その権力が発行した証しを手に暮らす臣民になる。四つの貨幣起源論の背後には、四人の異なる人間が立っている。どれを選ぶかは、初めから経済学だけの問題ではなかった。

帳簿以前の世界の輪郭は、もう見えている。関係によって動き、繰り返される部分的な計測によって動き、そのたびに平らにならない余項を残す世界である。貨幣が先に来て、評判があとからついてきたのでもない。貨幣の影もなかったころから、評判は人の保証を引き受けていた。その保証の仕組みと、値切り合いの仕組みとは、とっくに絡み合い、どちらも相手を呑み尽くせなかった。本当に珍しかったのは計算ではない。すべての計算を同じ単位へ圧縮し、誰でもその単位を使って、誰に対しても、その場で清算できるようにすることだ。あらゆる物事を測れる物差し。万物を記入し、差し引きを合わせ、一切を残さない総勘定。そのような帳簿は、まだ到来の途中にあった。まもなく、やって来る。

だが、その帳尻が合うことは、決してない。帳簿を閉じるには、すべてのものが借方と貸方の二つの欄へ収まらなければならない。たとえ一片でも、書き入れられない余項が残れば、最後の一勘定が合わず、帳簿は閉じられない。閉じられないなら、何度でもつけ直すしかない。つけ直すたびに物差しは精密になり、計上できるものは増える。それでも、さらに細かな場所に、新しい余項を取りこぼす。この循環が止まらないのは、誰かがやめようとしないからではない。すべてを計算し尽くすはずの総勘定に、いつも一つ、足りない勘定があるからだ。だから、いつまでもやり直す。そして、毎回取り込もうと手を伸ばし、毎回取り込みきれずに残すものは、最初からそこにいた。価格に換算されながら、必ず一部が物差しの外へはみ出す、あの人間である。圧縮する。余項が残る。余項が顔を出す。交換のあり方を書き換える。そして、さらに大きな圧縮が始まる。この機械は、貨幣が生まれる前から動いていた。貨幣はその手を止めない。ただ、もっと大きな帳面を差し出すだけだ。勘定はいまだ合わず、記帳はいまも続いている。

中国語原文の論証と史料を基に、日本語読者のために構成と文章を新たに組み直した独立編集・再構成版です。 中文・English