Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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鑿構周期律 · 陸上競技シリーズ · 日本語独立再構成版
第 20 篇 / 全23篇

問うな

アンチ・ドーピングの厳格責任は、主観的な故意の立証を違反成立の条件としない。だが、違反が成立するかどうかと、どれほど重く処分するかは、なお別の層にある。制度は内心を問わない。それでも、そこに一人の人間がいないふりはできない。

Han Qin (秦汉)
この篇の目次

一 内心を問わない規則

アンチ・ドーピングの制度には、「問わない」ことを核心に据えた規則がある。

世界アンチ・ドーピング規程の第2.1項は、競技者の検体に禁止物質、その代謝物、またはマーカーが存在することを、違反と定めている。続く第2.1.1項には、禁止物質を自分の体内に入れないようにするのは、競技者一人ひとりの責任だとある。

この二つが、厳格責任の原則を成り立たせている。適用される禁止の範囲と検出・判定基準のもとで、第2.1条にいう「存在」が認められれば、原則として故意、過失、不注意、意識的な使用を立証する必要はない。ただし、どんな微量の検出も一律に違反となるわけではない。判定限界、特別な報告・評価基準、有効な治療使用特例(TUE)を考慮しなければならない。有効なTUEに従った存在や使用は違反を構成せず、単なる処分の軽減ではない。以下で「存在すれば違反」と略して述べるときは、これらの条件を満たしていることを前提とする。問わないのは意図であって、規則の適用条件まで問わないのではない。

この「問わない」が、本篇の出発点になる。

これまでの数篇で、構は内側にあるもの、目に見えないものの判断に苦労してきた。第13篇では、存在しない身体がどれほど速く走るかを判断しなければならなかった。第14篇では、連続している生理的な線のどこに区切りを入れるかを判断しなければならなかった。どちらも、届かないものに手を伸ばそうとする、きわめて難しい判断だった。だが本篇で、構は逆の選択をする。競技者の内心もまた見えず、立証しがたい。それなら、いっそ問わない。違反の成立を、外から客観的に検査できる事実だけに置く。検体の中に、その物質があるかどうか。

ただし、この「問わない」には、きわめて重要な境界がある。その境界を見落とすと、規則全体を読み違えてしまう。

二 内心を問わなくても、自動的に重罰が決まるわけではない

厳格責任とは、陽性なら自動的に4年間の資格停止になることだ。そういう説明が、広く出回っている。

法的には、間違った説明である。

規程は、意図的に二つの問題を分けている。一つは、違反があったのか。もう一つは、その違反にどのような結果を伴わせるべきか。厳格責任が答えるのは、最初の問題だけだ。物質が存在すれば、違反は成立する。この層では内心を問わない。だが、そこから何が帰結するかは別の問題であり、規程の第10条が扱う。この層では、過誤も故意も大いに関係する。

この二段階の構造を、はっきり見ておきたい。第1段階は違反の確定であり、厳格で、内心を見ない。第2段階は結果の決定であり、こちらはまさに内心を見る。第10.5項によれば、競技者が自分に過誤も過失もなかったことを立証できれば、本来適用される資格停止期間を完全になくすことができる。第10.6項によれば、過誤があっても重大でなければ、資格停止期間を短縮できる。

だから厳格責任は、潔白を考慮しないということではない。違反と過誤を、二つの層に分けて扱うのである。厳格なのは、違反の成立を問う層だけだ。本人を責められるのかどうかは、結果を決める層で、真剣に問われる。厳格責任だから自動的に4年だと言うのは、二つの層を一つに潰してしまうことであり、間違っている。

この原則は、何もないところから発明されたわけでもない。世界アンチ・ドーピング規程ができる前から、スポーツ仲裁裁判所は厳格責任の考え方を用いていた。よく知られているのが、1995年のクイグリー事件である。2003年の規程は、この原則を国際的に統一したのであって、ゼロから生み出したのではない。

ここには、構の巧みな設計が見える。構が直面するのは、二つの難題だ。陽性のたびに故意の立証を求めれば、故意に薬物を使った者も、故意ではなかったというもっともらしい説明ができさえすれば逃げられる。故意は内側にあり、立証がきわめて難しいからだ。しかし物質の存在だけを見て一律に重く罰すれば、禁止物質の混入したサプリメントを知らずに摂った人など、本当に責めを負うべきでない人を罰することになる。構の解決法は、この二つを切り離すことだった。違反を確定する層では故意を問わず、故意の否認だけで逃げる道を塞ぐ。結果を決める層では過誤を真剣に問い、責めを負うべきでない人が免責される道を残す。問わないことと、問うこと。二つの層に分けて置くのである。

三 二つの層の間で、批判はどこに向けられるか

厳格責任は妥当なのか。この論争には、双方に筋の通った議論がある。本篇では両方を並べ、裁定はしない。

原則を支持する側には、四つの論点がある。

まず、立証の可能性。故意は内面に属し、多くの場合、立証がきわめて難しい。陽性事例の一つひとつについて、意識的な不正をアンチ・ドーピング機関に証明させるなら、故意の薬物使用であっても、もっともらしく否認できるだけで逃げおおせてしまう。

次に、制度を実際に運用できるか。クイグリー事件で仲裁裁判所は、故意を争う訴訟がスポーツ団体にもたらす費用と複雑さを強調した。物質の存在を基準に、統一した責任の原則を適用すれば、裁定は大幅に簡素化できる。

そして、競技の公平。摂取が故意であっても偶然であっても、他の競技者が被る不利益は同じように存在する。だから成績の取消しは、一人を罰するだけではなく、競技の場全体を守るものでもある。

最後に、第2段階で確保される、処分の釣り合いである。支持者は言う。不公平が生じうることへの対処は、第2.1項の違反認定を弱めることではない。第10.5項と第10.6項によって、過誤がない場合や小さい場合に、資格停止をなくしたり短縮したりすることである。

反対する側の議論も、単純ではない。どんな場合にも故意を要件にすべきだ、と一括りに主張しているわけではない。

反対論は、競技結果を正すことと、個人を非難することを分ける。相手選手が客観的に不利な立場に置かれた以上、ある成績を取り消すことには正当な理由があるかもしれない。だが、ある競技者が違反を犯したと宣言することは、最終的に資格停止が一日も科されなくても、評判、スポンサー、心理状態、競技人生に長く影響しかねない。この二つを、同じこととして扱うべきではない。

また、処分の軽減には、意図せず入った物質の経路を競技者が再構成するよう求められることが多いが、混入事例では、それが実際には不可能な場合もあると指摘する。資力の不平等も重要だ。専門の弁護士や科学の専門家を頼めるかどうかは、混入源と過誤の程度を立証する力を左右する。さらに、規制する側とされる側の力が釣り合わない制度の下で、厳しい懲戒上の結果を課すことは、行政上の効率だけでは十分に正当化できない、とも指摘する。

双方に道理がある。そして、その道理の成り立ち方は、このシリーズで何度も見てきたものだ。両者は異なる価値の上に立っている。一方は競技の公平と制度の運用可能性を優先し、もう一方は、本人に落ち度がないのに非難されないことを優先する。どちらの価値も、本物である。

四 一つの事件、正反対の二つの裁定

厳格責任の二段階構造が最もよく見えるのは、混入をめぐる事件である。ただしここでは、申し立てられた主張と、裁定によって認められたことを、厳密に分けなければならない。

ローソンの検体からは、ある筋肉増強作用のある物質への曝露を示す陽性所見が得られた。最初の懲戒審理では、第2条の違反が認定された。同時に、物質の由来と自分に過誤がなかったことに関する彼の抗弁は退けられ、4年間の資格停止が科された。

ここでの言葉遣いに注意してほしい。最初の審理は違反を認め、彼の抗弁を退けた。混入によるものだという説明は、その段階では彼の抗弁であって、すでに確定した事実ではなかった。

そこで彼は、スポーツ仲裁裁判所に上訴した。仲裁裁判所は、由来と過誤に関する証拠について、正反対の結論に達した。適用される「蓋然性の均衡」、つまりそうである可能性がそうでない可能性を上回るという立証基準の下で、汚染された牛肉によるものだとの説明を受け入れ、過誤も過失もないと認め、資格停止期間をなくしたのである。

この逆転は、厳格責任が否定されたことを意味しない。むしろ、第2.1項による違反と、第10条による過誤に応じた結果とを分けて扱う、教科書のような例だ。どちらの審理でも違反は成立している。物質は、確かに存在した。変わったのは、過誤の層での結論である。最初の審理は過誤があるとし、上訴審は過誤がないとした。同じ物質の存在が、両方の審理で違反を成立させた。同じ由来の問題について、両方の審理は正反対の結論を出した。

シンプソンとパウエルの事件も、同じ理屈の別の形である。この二人のジャマイカの短距離選手の陽性は、いずれもあるサプリメントにさかのぼった。最初の審理で科された資格停止は18か月。仲裁裁判所への上訴では、サプリメントが摂取源だったことに関する証拠が受け入れられ、二人とも6か月へ短縮された。

二つの事例を並べると、混入がどこに作用するかがわかる。陽性所見を、なかったことにするのではない。物質が存在したという事実は、一度も覆されていない。混入が変えるのは、処分の重さの評価である。ローソンの場合には、4年という期間をゼロにした。シンプソンとパウエルの場合には、18か月を6か月にした。違反は、違反のままだ。変わるのは過誤についての評価であり、そこから生じる結果である。

ここでも、強すぎる言い方を避けなければならない。混入があれば、競技者は自動的に免責される。そうではない。サプリメントの混入であれ肉の汚染であれ、それだけで抗弁が通るわけではない。由来、説明の信用性、競技者の過誤の程度は、いずれも争って確かめるべき問題だ。ローソンの事件は、同じ事件の証拠について、異なる法廷が正反対の結論に達しうることを示している。一方、サプリメントへの混入には実証的な根拠がある。2001年から2002年にかけて行われた分析では、非ホルモン系の栄養補助食品634製品を調べ、その約14.8%から、表示されていない蛋白同化ステロイドまたはホルモン前駆体の混入が見つかった。ただし、この14.8%は、現在の世界のサプリメント市場全体に当てはめられる推定値ではない。後の研究で得られた、もっと幅のある数値も、単一の母集団における有病率のように扱えるものではない。

五 毎日申告しなければならない一時間

厳格責任が扱うのは、検体が採取された後のことだ。しかし採取するには、まず競技者を見つけなければならない。そこから、もう一つの制度が登場する。居場所情報の提出である。

検査対象者登録リストに入り、居場所情報制度のすべての義務を負う競技者は、毎日、特定の60分間と、その間にいる場所を指定しなければならない。その時間には、そこにいて検査を受けられる必要がある。現行の規則では、指定できるのは午前5時から午後11時までの範囲に限られる。

よくある誤解を、ここで解いておきたい。規程の第2.4項が定めるのは、単に「検査を3回受け損ねること」ではない。12か月間に、提出義務違反と検査未了が、どんな組み合わせでも合計3回あることだ。提出義務違反1回と検査未了2回の組み合わせも、要件を満たす検査未了3回と同じく、違反になる。また、検査員がたまたま訪れた時刻に競技者を見つけられなかっただけでは、検査未了にはならない。正式な検査未了には、指定した60分間の中で、記録を伴う検査の試みが必要である。申告場所との食い違いが一度あったことや、ノックしても誰も出なかったことが、自動的に第2.4項の3回のうちの1回になるわけではない。

この制度は、プライバシーに現実の問題を突きつける。その問題は、正式に法廷へ持ち込まれた。フランスの競技者団体と競技者個人が、欧州人権裁判所で居場所情報制度を争った。居場所を示し、検査に応じられるようにしておくという、これほど立ち入った義務は、私生活と家庭生活への干渉だと主張したのである。

2018年1月18日、裁判所は判決を下した。この判決の中身は、正確に述べなければならない。

裁判所は、居場所情報の義務が私生活に大きく干渉していることを認めた。干渉はない、と言ったのではない。そのうえで、私生活と欧州人権条約第8条の問題について、この干渉は正当で、目的に照らして釣り合いが取れており、健康や他者の保護を含む正当な目的に資すると判断した。したがって結論は、第8条違反はない、となった。

「条約に違反しない」と「干渉していない」を同じ意味にしてしまうのは、この判決の曲解である。裁判所は干渉の存在を明確に認め、その干渉が正当だと判断したにすぎない。この二つは、まったく違う。構は、居場所情報の提出がプライバシーに立ち入らないとは言っていない。その立ち入りは正当化できる、と言っているのである。

そして、その釣り合いが本当に取れているかは、判決後も争われている。支持する側は、意味のある競技会外検査には、実際に事前通告なしで検査に入れることが必要であり、制度の範囲を狭めれば、検査が来ないと予測できる空白が生まれると強調する。批判する側は、監視の負担、家庭の空間への立ち入り、データの秘密保持、そして監督機関が接触できるよう、私生活を絶えず組み立てなければならない負担に目を向ける。実証研究が見いだしたのは、重要な中間の立場だった。多くのトップ選手は、原則としてアンチ・ドーピングを強く支持している。それと同時に、実際の居場所情報の負担には、無視できない不満を抱いている。

六 十年後の検体

厳格責任と居場所情報の提出は、現在を扱う。だが構の手を過去へと伸ばす、もう一つの制度がある。検体の長期保存と、さかのぼって行う再検査である。

関連する期限は、2015年の改訂で、それまでの8年から10年へ延長された。現行の枠組みでは、採取した検体を保存し、採取から最長10年の間、効力を持つ形で再分析することができる。

再分析は、狙いを定めて行うものであり、自動的に実施されるわけではない。長期保存がつくるのは、法的な機会である。分析技術が向上したとき。新たな情報や捜査上の手がかりが得られたとき。あるいは検査戦略上の理由から、保存検体をもう一度調べる意味が生じたとき。構は、その検体をさらに分析できる。だから五輪の再分析事業でも、保存検体の一部を選ぶのであって、ある大会の試料管を片端から、区別なく再検査するのではない。

規模を見てみよう。2016年の主な数次にわたる再分析について、国際オリンピック委員会は、2008年北京大会と2012年ロンドン大会から選んだ計1,243検体を公表した。2020年12月までに、この二大会に関する追加分析から、130件を超える違反が生じていた。ここでは、二つの数字を分けなければならない。選ばれた検体数は、検査段階の数字である。違反の件数は、結果管理の手続きを経て、法的に確定していく結果である。同じ母数に基づく数字ではなく、置き換えて使うことはできない。

この遡及的な制度は、メダルの行方を現実に変えた。査読を経たある分析では、IOCが2004年、2008年、2012年の三大会の検体を再検査した結果生じた違反が、76のメダル獲得成績に関係していた。これは、その研究が用いた歴史的データセットの中で、ドーピングの影響を受けた全メダル成績の57%に当たる。

この分析は、時間についての数字も示している。大会終了から、これらの遡及的な違反が公表されるまで、平均6.8年。そこから上下およそ2年の幅があった。

この6.8年は、きわめて誤引用されやすい。何を測った数字なのか、はっきりさせておく必要がある。測っているのは、大会終了から再検査による違反の公表までの平均間隔だ。大会から、競技者が繰り上げのメダルを実際に受け取るまでの間隔ではない。その間には、上訴がある。競技連盟による成績の修正がある。IOC理事会の決定がある。元のメダルが返還される場合も、されない場合もある。そして競技者自身が選ぶ授与式がある。だから、繰り上げのメダルを受け取るまで競技者が平均してどれほど待つのかを示す、信頼できる世界共通の数字はない。

現実の遅れは、非常に長くなることがある。2024年のパリでは、10人のオリンピアンのために特別な式典が開かれ、2000年シドニー、2008年北京、2012年ロンドンの各大会に関するメダルが授与された。つまり、大会から式典までの遅れが、およそ12年から24年に達した例があるのである。

七 十数年遅れて届くメダル

十数年遅れて届くメダルは、このシリーズが繰り返し触れてきた問いを持ち出す。遅れて行われる訂正は、最初の過ちを埋め合わせられるのか。

この問いには、正反対の二つの答えがある。本篇では、どちらとも裁定しない。

一つの答えは、埋め合わせられる、というものだ。メダルの再配分は、公式記録を正し、メダルを本来の持ち主へ返す。そして、本当ならその場所に立つべきだった競技者を、式典という形で認めることを可能にする。IOCは今、メダルを郵送したり、事務的に手渡したりするだけでなく、再配分のための正式な式典を設けている。それ自体が、一つの承認だ。一つのメダルには、一つの式典を開く価値がある。

もう一つの答えは、埋め合わせられない、少なくとも完全には、というものだ。代わりの式典も、訂正済みのデータベースも、失われたものを再現できない。失ったスポンサー。失った賞金の機会。失ったメディアの注目。失った国を挙げての祝福。そして何よりも、あのとき五輪の表彰台に立つはずだった、最初の一瞬。その一瞬は、十数年前、競技人生の頂点にあったとき、世界中が見ていたあの夜に属していた。後からの授与式がどれほど厳粛でも、それは、あの夜ではない。

二つの答えは、実のところ、このシリーズで繰り返し現れるものを指している。構は帳簿を直せる。しかし、帳簿の外にあるものは直せない。メダルを配り直し、記録に名前を書き戻し、式典を後から開くことはできる。それらはみな、帳簿の内側で行う訂正だ。だが、本来なら自分のものだったあの夜に競技者が失ったすべて、帳簿の外で実際に起きたことを、構は取り戻せない。記録を正しくすることはできる。時間を巻き戻すことはできない。

IOC自身が正式な式典を設けていることは、まさにその事実への自覚を示している。後から渡すメダルで最初の過ちを完全に埋め合わせられるなら、郵送すれば済むはずだ。郵送では足りないからこそ、メダルの背後にある失われた瞬間を埋め合わせきれないからこそ、IOCは式典によって、少なくとも象徴の上では、その遅れて届く承認に重みを与えようとする。式典は、完全には埋め合わせられないものがあるという承認であって、その修復ではない。

八 「問わない」を極限まで押し進めた例外

本篇が扱っているのは、構が内心を問わずにアンチ・ドーピング制度を動かす仕方である。だが歴史には、「問わない」を極限まで押し進めたものがあった。それはこの制度の一部ではなく、この制度が防ごうとするものの、極端な姿である。ここでは構造を明確にしておかなければならない。ここまでの「問わない」とは、性質がまるで違うからだ。

ここまでの「問わない」は、手続きの設計だった。アンチ・ドーピング制度が競技者の内心を問わないのは、故意に薬物を使った者が、故意の否認だけで逃げられないようにするためである。そして第2段階では、過誤を真剣に問い、責めを負うべきでない人のために出口を残す。この「問わない」は競技者の行為に向けられ、過誤を問う第2段階によって均衡を保っている。目的は、クリーンな競技を守り、薬物を使っていない選手を守ることだ。

一方、東ドイツには、国家の指揮する計画が存在した。記録上の番号は、国家計画14.25。

ここからは、語り方を変えなければならない。

ドイツ連邦文書館のシュタージ文書は、「国家計画テーマ14.25」が、1974年に始まった国家主導のドーピング計画であり、より広いスポーツ研究の仕組みに組み込まれていたことを確認している。これはメダルの数から推測した話ではない。公文書から明らかになったことだ。記録の中では、「支援手段」といった語が、この薬物計画を婉曲に、符牒めかして表す行政用語として使われていた。ただし、この公式の用語と、個々の競技者が実際に聞かされた説明とは、区別しなければならない。

文書には、隠された投薬が記録されている。未成年者への投薬も含まれる。競技者には、場合によってはとりわけ未成年者に、薬物の正体を偽って与えることがあった。たとえば、錠剤をビタミンだと説明する。一次資料を用いたある文書研究も、国家の資金によるアンドロゲン投与が、男女双方の未成年者に行われていたことを独立に記録し、とくに女性と青少年の競技者に注目している。

全体で何人だったのかについては、学術的な議論がある。その文書研究は、回収された機密資料から、未成年者を含む数千人の競技者が毎年アンドロゲンを投与されていたと結論づけた。これは、報道上の推測よりはるかに強い、公文書に基づく重要な実態の復元である。だが、被害を受けた競技者全員の名簿ではない。したがって、その後に現れる一つの数字にまとめた人数は、あくまで推計と呼ぶべきだ。その数字は、対象時期、薬物使用の定義、薬物の種類、残存資料がどれほど揃っているかに左右されるのであって、ベルリンの刑事裁判所が確定した人数ではない。正確な年齢分布も、現存する文書から信頼できる形で算出することはできない。未成年者が含まれていたことは、確認されている。特定の年齢層が何%だったかは、確定していない。

ベルリンでの裁判は、起訴時には142件を対象としていた。これは起訴の段階の数字であって、最終判決で認定された犯罪の件数ではない。2000年7月18日、ベルリン地方裁判所は、20人のトップ女子選手に傷害を与えた隠された投薬を幇助したとして、元東ドイツのスポーツ責任者エーヴァルトに、執行猶予付きの22か月の拘禁刑を言い渡した。スポーツ医師ヘプナーには、同じく執行猶予付きの18か月。2001年9月5日、連邦通常裁判所はエーヴァルトの上告を棄却し、有罪判決が確定した。連邦通常裁判所の司法記録は、この事態を、国家中央の指揮の下で、事情を知らない競技者に有害なドーピング物質を投与したものと記している。

ベルリンの判決が、確定していないこともある。全体の正確な人数を、司法の判断として確定したわけではない。投与された全員が未成年だったとも、全員がまったく同じ「ビタミン」という説明を受けたとも認定していない。刑事上の認定が対象とするのは、法廷で立証された事例である。より大きなシステムの存在は、公文書が独立に裏づけている。しかし、刑事判決を全数調査にまで膨らませることはできない。

ここで初めて、その構造についての判断を述べられる。この判断は、ここに置く。そして、文のつながりの上でも、それまでの手続きの議論とは切り離す。

アンチ・ドーピング制度の「問わない」は、競技者が何をしたかを扱い、その過誤は第2段階で問う。国家計画14.25の「問うな」は、競技者が何をしたかを扱っているのではない。自分に何が与えられたのかを、競技者自身が問うな、という命令である。前者がいったん判断から外すのは、法的な内心状態の範疇だ。後者が奪うのは、自分の身体に入るものについて知る、一人の人間の権利である。未成年者を含む、事情を知らない競技者に有害な物質が与えられ、それを「支援手段」という言葉が行政手続きとして包み隠す。ここでは、人が一つの目標を達成するための手段にされている。この一点を、中立の語り口で通り過ぎることはできない。一方がすでに、人を目的として扱うという最低限の一線を越えたとき、中立はもはや通用しない。

九 クリーガー本人は何を語ったか

国家計画14.25について、とりわけ多く語られてきた一人の人生がある。そして、その人生こそ、最も誤って語られやすい。アンドレアス・クリーガーのことだ。ここでは、彼自身が公の場で語ったことだけに依拠する。

ドイツの国内アンチ・ドーピング機関による記録プロジェクトによれば、クリーガーは1979年、14歳でエリート選手を育てる児童・青少年スポーツ学校に入り、その後、ベルリンのディナモで練習した。1981年、およそ15歳から16歳のころ、青い錠剤を与えられ始めた。後に、蛋白同化ステロイドと確認されたものだ。錠剤はメーカーの通常の包装では渡されず、コーチは競技力を助けるものだと説明した。クリーガーは、自分に与えられたものが何の薬物なのかを知らなかった。この事実を確かめるのに、投与量の情報は必要ない。

後年のインタビューで、クリーガーはその制度の中にいた経験を、自分の言葉で語っている。錠剤を疑わなかったのは、東ドイツの時代にはコーチを信頼することが当然とされていたからだ、と彼は言う。別のインタビューでは、欺瞞の規模を知ったとき、役人たちが、十分な説明に基づく同意を得ずに、自分を実験用のネズミとして扱っていたのだと悟ったことを述べている。これはクリーガー本人の証言として述べるものであり、すべての東ドイツ選手が何を知っていたかを推定するものではない。

クリーガーは、ステロイドを投与されていた年月に、アンドロゲンの作用による、はっきりした身体の男性化が起きたことを公に語っている。そして、自分の意志によらないホルモンへの曝露を、ある感覚と結びつけている。自分の身体がどう育ち、それをどう理解するか、その主導権を奪われたという感覚だ。証拠に即して言えるのは、彼がそうした変化を語っていること、そしてステロイドの投与そのものには記録があること、である。

ここで、きわめて重要なことを明確にしておかなければならない。

クリーガー自身、ジェンダーをめぐる不確かさはドーピングより前からあった、と語っている。もともと明確だった性自認が、薬物によって突然切り替えられた、というのは彼の説明ではない。インタビューには、ドーピングの時期より前から、自分の身体やアイデンティティに違和感や不確かさを経験していたことが記されている。後に彼が訴えたのは、本人の意志によらないホルモン介入によって、自分のやり方でアイデンティティを見いだし、育てていく力を奪われたということだった。

したがって、「東ドイツの薬がクリーガーをトランスジェンダーにした」という、見出し向きの広く流布した言い方は、彼自身の説明を越えている。しかも重要な点で、その説明と衝突する。彼は、アイデンティティの不確かさがドーピングに先立っていたことを認めているからだ。

述べられるのは、次のことである。役人たちは、十分な説明に基づく同意なしに、アンドロゲン作用のある薬物を投与した。彼は、身体に大きな影響を受けた。そして彼自身、この介入が、自分のアイデンティティを見定める自由を損なったと考えている。「薬物がトランスジェンダーとしての性自認を生んだ」という決定論的な主張を、彼の言葉にしてはならない。

これは、第15篇で決定論的な物語を解体したときと、同じ規律である。あの篇では、ある身体的特徴が結果の原因として語られていたが、その間の因果の鎖は測定されていなかった。ここでは、ある薬物への曝露が、あるアイデンティティの原因として語られる。だがクリーガー本人の説明は、その決定論的な断言を支えるどころか、むしろ話を複雑にする。因果の問題は、シュタージの文書からも、ベルリンの有罪判決からも、クリーガーの回顧的な証言からも解決できない。構は、投薬があったことを証明し、身体の変化を記録できる。しかし、あの曝露がなければその人のアイデンティティはどうなっていたか、という反実仮想を確定することはできない。その反実仮想は、第13篇の存在しない身体と同じく、観測できない。

十 システムと、一人ひとり

国家計画14.25の後に、最も明瞭な比較対象として挙がるのが、ロシアである。ただし、この比較には慎重さが要る。

世界アンチ・ドーピング機構の独立調査も、IOCの独立委員会も、ロシアには国家と結びついた制度的なシステムが存在し、アンチ・ドーピングの手続きを操作し、薬物を使用した競技者を保護していたと認めた。中心となった証拠には、検査機関の記録、文書資料、証言、科学的な証拠調査がある。これらは、国家が組織的な役割を果たしていたことを、記録に基づいて認定するための証拠水準に達している。

しかし、ここには法的に守らなければならない区別がある。システムの存在を認定することと、個人の違反を認定することは、別々の命題である。

スポーツ仲裁裁判所は、ロシア調査から生じた事件で、この区別を繰り返し明らかにしている。全体としての操作計画が存在したと仲裁パネルが確信していても、IOCその他の訴追する側は、その特定の競技者と、違反を構成する行為とを結びつける、十分に強い証拠を示さなければならない。だから、一部のロシア選手は、より広いシステムについての証拠があっても、個人としての上訴で勝訴した。計画が存在したことを、集団の罪責に置き換えることはできない。

また、ロシアのシステムと東ドイツのシステムを、制度的に同じものとして語るべきではない。東ドイツの証拠には、名前の付いた国家の研究・計画組織があり、薬物研究、投与、秘密保持までが含まれる。ロシアについての最も強い認定は、国家と結びついたドーピング管理、検査結果、検体処理の操作と、競技者の保護に関するものだ。どちらも、国家の組織的な役割を記録に基づいて認定する水準には達している。しかし、文書で実証された組織の仕組みと行為は、異なる。

この区別は、本篇が最後まで守らなければならない一点につながる。国家的なドーピング・システムが記録で裏づけられても、その国の選手全員が薬物を使ったことにはならない。国家による隠蔽があっても、保護された選手や名前を挙げられた選手の全員が、隠蔽を知っていたことにはならない。そして過去の検体がクリーンで、陰性だったことも、それだけで特定の選手が一度も禁止薬物を使わなかった証明にはならない。仲裁裁判所が個人との結びつきを求め続けるのは、まさにシステムの証拠が、国籍に基づく罪責へと変わるのを防ぐ壁なのである。

ある別の国を、この最も高い証拠の層に含めないことは、その国で組織的なドーピングが一度もなかったと認定することではない。現存する資料が、必要な証拠の水準を満たしていない、ということである。疑惑が長く語られてきたことと、システムの存在が立証されたことは違う。本篇を最初から最後まで貫く規律も、同じだ。疑惑や申し立ては、裁定ではない。システムについての証拠は、個人の罪責ではない。そして物質の存在は、第1の層で違反を成立させるが、一人の人間が何を負うべきかを決めるのは、第2の層なのである。

あの「問わない」に戻ろう。

本篇で見てきた構は、内心を問わずに違反を成立させ、過誤を問うことで結果を決める。故意を証明できない世界で、故意に行った者を逃がさず、責めを負うべきでない者を不当に罰しないための設計だ。巧みで、擁護でき、そして絶えず議論される均衡である。それが必要であり、問わないことと問うことの間に、これほど慎重に線を引かなければならないのは、守ろうとしているものがあるからだ。競技者は、薬物使用の有無にかかわらず、クリーンな、自分が事情を知り、自分の身体に責任を持てる条件の下で競技すべきなのである。

国家計画14.25は、それが根こそぎ奪われた姿だ。構の失敗例なのではない。構の存在理由を、その裏側から示すものである。構があの「問わない」の線を引くのは、人を手段として扱う、あの「問うな」を二度と起こさせないためなのだ。

この構は、検体にある物質が含まれるかを、極微量の濃度まで正確に検出できる。しかし、何も知らない人の身体に物質を入れるシステムが、その人たちに何をしたかは、検出できない。それは検体の中にはない。別の場所にある。自分の身体について知ることを奪われ、後に、自分に何が起きたのかを生涯かけて解き明かそうとした人々のところにある。構が調べられるのは、物質だ。調べられないのは、その人たちが失ったものである。それらは、帳簿の外で失われたすべてのものと同じく、物差しの届かないところに、永遠に残る。

物差しは、まだ正しく測れていない。それでも、測り続けている。