Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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鑿構周期律 · 陸上競技シリーズ · 日本語独立再構成版
第 17 篇 / 全23篇

構は決着の手段を備え、人はそれを使わない

この一篇への入り口:バルシムとタンベリが金メダルを分け合ったのは、規則を書き換えたからではない。規則があらかじめ用意していた、一つの結果に閉じなくてもよい出口を使ったのだ。制度はなお勝負をつけられる。それでも、勝負をつけない選択を人に認めることがある。

Han Qin (秦汉)
この篇の目次

一 審判がまず「まだ続けられる」と言い、選手が「続けなくてもよいか」と尋ねた

2021年の東京オリンピック、男子走高跳の決勝。バルシムとタンベリは2メートル37まで一度も失敗せず、2メートル39では二人とも3回ずつ失敗した。試技回数や失敗数を比べる順位判定の規則を当てはめても、二人はまったく同じだった。

そこへ審判がやってきて、まず口を開いた。

「判定できません」でも、「同順位にしましょう」でもなかった。「ジャンプオフで競技を続けることができます」だった。

審判が最初に伝えたのは、この先にまだ進める手続きがあるということだ。構の手元には、さらに勝負をつける方法が残っていた。審判は、まずそれを示した。

そのあとで、バルシムが尋ねた。

「金メダルを二つにすることはできますか」

審判は、それは可能だと答えた。

この順序に、この一篇の鍵がすべてある。審判が「差がつかないので同順位です」と告げたのではない。「まだ勝負をつけられる」と告げられた選手が、「つけなくてもよいか」と尋ねたのだ。構がまず、勝負をつける手段はまだあると示す。そのうえで選手が、その手段を使わずに済むかと問う。

これは、ここまでの十六篇に登場した構とは違う。これまでの構は、どうすれば物事を一つの確定した結果へ閉じられるか、どうすれば決着をつけられるかを考え続けてきた。尺度を設け、記録をつくり、参加資格の境界線を引き、換算表をつくり、スタートの閾値を定める。どれも、宙に浮いた問いをただ一つの答えへと収めるためだった。ところがここでは、構にはこの競技をただ一人の優勝者へと収める力がある。ジャンプオフはすぐ手元にある。それなのに、そこまで進むかどうかを選手に委ねた。

この一篇で考えたいのは、そのことだ。構は決着をつける手段を備えている。それでも、人は使わないことを選べる。

この出来事だけで一篇を書く価値があるのは、本シリーズで繰り返し現れてきた問いの、裏側を見せてくれるからだ。前の十六篇ではほとんど一貫して、構が、時にはむなしくも力を尽くしながら、物事を一つの確定した答えへ閉じようとする姿を見てきた。ここで構に足りないのは、閉じる能力ではない。閉じようとする意志だ。いや、もっと正確に言えば、この一歩を踏み出す意志は自分では決めないと、構が自ら決めたのである。確定した答えを追い求めてきたものが、確定しないことに、規則上の居場所を用意した。この事例のいちばん意外なところ、いちばん考えたくなるところはそこにある。

その前に、広く語られているいくつかの話をほどいておきたい。この出来事は、ほとんどどの場面も、一度は間違った形で語られているからだ。

二 まずほどいておかなければならない話

第一は、東京では審判のほうから金メダルを二つ出そうと提案した、という話だ。

そうではない。審判が先に、ジャンプオフで競技を続けられると説明した。それを受けてバルシムが、金メダルを二つにできるかと尋ねた。勝負をつけない道を自ら持ち出したのは選手であって、審判ではない。審判が示したのは、勝負をつけ続ける選択肢だった。

第二は、審判にはどちらが強いかわからなかったので、仕方なく金メダルを二つ出した、という話だ。

これも違う。判定する能力の問題ではない。構には、なお勝負をつける力が十分にある。そのための仕組みがジャンプオフだ。バーをある高さに上げ、どちらが越え、どちらが越えられないかを見れば、たちまち差はつく。構が分けられなかったのではない。選手が、分けるための手続きに入らないことを選んだのだ。

第三は、二人の友情のために、その場で規則に例外を設けた、という話だ。

これも違う。二人は親しい友人で、けがに苦しんだ経験も共有している。それは、なぜ二人が優勝を分け合いたかったのかを説明してくれる。しかし、この結果が規則上認められる理由にはならない。結果を成立させた根拠は、それ以前からあった規則の条文だ。二人がまったくの他人でも、互いを嫌ってさえいても、同じ決定を共同で下せば、規則が導く結果は同じでなければならない。友情は動機であって、根拠ではない。

第四は、しかもいちばん重要なのは、東京の一件があってから世界陸連が金メダルの共有を認めた、という話だ。

そうではない。同順位の1位をそのまま残すことを認める条項は、少なくとも2009年11月1日に発効した版の規則には、すでにあった。東京のおよそ十二年前である。

ここは別に取り上げておく必要がある。この出来事が成立するための、制度上の前提だからだ。

2008年の規則では、試技記録による順位判定を経ても1位が並んだ場合、定められた幅でバーを上げ下げし、一跳躍ずつ勝負を続けなければならなかった。同順位が解消されるまで、選手はそのつど跳ばなければならない。当時は、全員がもう跳ばないと決めれば同順位の1位を残せるという、現在の出口はなかった。

2009年の規則改正で、その出口が加わった。該当する選手たちがこれ以上跳ばないと決めた場合を含め、ジャンプオフを行わない場合には、1位の同順位をそのまま残す。この新規則は2009年11月1日に発効した。

だから東京は、新しい制度を生んだ出来事でもなければ、例外を認めた出来事でもない。2009年に書かれていた規則が、2021年に使われたのだ。その規則は十二年間、規則集にひっそりと記されていた。東京はただ、その姿を初めて世界中に見せたのである。

三 認められたのは金メダルの授与ではなく、閉じないこと

この事例を正確に語るには、規則が何を認めたのかを見極めなければならない。審判が金メダルを二つ授与してもよい、という許可ではない。もっと厳密で、同時にもっと根本的なことだ。

規則の法的な組み立ては、こうなっている。試技記録を比較してもなお1位が並ぶ場合には、原則としてジャンプオフを行う。ただし、ジャンプオフが行われなければ、1位の同順位は維持される。そして規則は、選手たちがそれ以上続けないと決める場合を、その一つとして明記している。

この順序をよく見てほしい。規則は、審判が金メダルを二つ与えてよいとは言っていない。一定の場合には1位の同順位を維持すると言っている。オリンピックのメダル制度は、1位の選手一人につき金メダルを一つ与える。だから二つの金メダルは、順位が決まったあとに生じる帰結であって、直接二つを授与するという決定ではない。まず規則によって二人の1位が残り、その二人にメダル制度が一つずつ金を与える。選手が審判に、余分な金メダルを一つ申請したのではない。

この因果の順序が、決定権のありかを決める。もし金メダルを出すのが審判の判断なら、それは自由裁量であり、権限は構にある。出してもよいし、出さなくてもよい。いくつ出すかも構が決める。しかし実際の仕組みでは、この状況なら同順位を維持すると規則が定めている。順位は自動的に導かれるのであって、裁量で決まるのではない。ここで審判に裁量権はない。一つにするか二つにするかを決めることはできず、選手たちの共同の決定によって生じた、規則どおりの順位を確認するだけだ。決定の出発点は、審判の自由裁量ではなく、選手たちの共同の選択にある。審判はその選択を順位に、さらに順位をメダルの数に読み替える、間の役割を担っているにすぎない。

これは言葉尻の問題ではない。この一篇の主題をどこに置くかに関わる。審判が金メダルを与えたのなら、決定権は審判に、構にある。実際に構がしているのは、二人の1位という順位を維持することだ。その結果を引き起こすのは、これ以上跳ばないという選手たちの共同の決定である。だから決定権は、選手の側にある。

この選択権については、もう少し正確に述べておこう。少し言い換えるだけで、違う話になりやすいからだ。

不正確な言い方は、こうだ。選手は勝負をつけることを拒み、金メダルを確保できる。

正確には、こうなる。なお同順位の1位にいる、該当するすべての選手は、勝負をつける手続きを共同で打ち切ることができる。

二つの言い方の違いは大きい。これは誰か一人が行使できる拒否権ではない。一人が自分だけで跳ばないと決め、もう一人は跳びたいと考えたなら、跳ばない側はさらに上位を争う資格を失い、跳ぼうとする側が勝つ。なお1位に並ぶ選手全員が、これ以上跳ばないと共同で決めたときにだけ、1位の同順位は残る。これは集団で行使する打ち切りの権利であって、個人の拒否権ではない。

東京で同順位の1位にいたのは、バルシムとタンベリの二人だけだった。3位のネダセカウも2メートル37を越えていたが、それ以前に失敗があり、試技記録による比較で3位と決まっていた。金メダルを分け合うかどうかを三人で選べたわけではない。まったく同じ順位にいたバルシムとタンベリの二人が、もう跳ばないと共同で決めたのである。

四 選手は規則を書き換えず、規則が用意した道を選んだ

ここで避けなければならないのは、選手が規則の上に立ったとか、この瞬間だけ規則が機能しなくなったとかいう読み方だ。

どちらでもない。選手は規則を一つも書き換えていない。規則がすでに用意していた二つの合法的な道から、一つを選んだだけだ。

第一の道。ジャンプオフに進み、新たな試技によって、構が結果をただ一人の1位へと閉じる。

第二の道。なお1位に並ぶ該当者全員が共同で競技を打ち切り、構が同順位の1位を受け入れる。

どちらの道も、規則にあらかじめ書かれていた。もう跳ばなければ同順位を維持できること自体が、制度の想定に入っていたのであって、選手がその場で勝ち取ったものではない。選手たちはすでに敷かれた二本の道の前に立ち、二本目を選んだ。選択は確かに彼ら自身のものだ。しかし、選んだのは構が与えた選択肢であって、自分たちでつくった選択肢ではない。

したがって、この一篇の主題を正確に述べれば、こうなる。構は結果を閉じる能力をしっかり自分の手に握ったまま、その能力をさらに使うかどうかのスイッチを、自らの判定を受ける人々に渡した。

この言い方には、どの部分にも意味がある。

構が決着をつける能力を握っている。これは事実だ。ジャンプオフは、まるごと構の仕組みである。バーを上げ下げするのも、越えたかどうかを判定するのも、構が行う。選手が自分たちで勝負のつけ方を発明することはできない。

けれども、その仕組みを動かすかどうかのスイッチは、選手に渡された。構は、必ず勝負をつけろとも、つけてはいけないとも言わない。この一段上の決定、そもそも続けるかどうかという決定を、自分の外へ委ねたのである。

そのスイッチを受け取ったのは、構に判定される側の人々だった。いちばん微妙なのは、ここだ。選手は構による判定の対象であり、成績を測るのも順位をつけるのも構である。ところがこの一点では、判定される対象の側が、構に最後の一歩を踏ませるかどうかを決めるスイッチを手にした。判定する者が、一つの決定を、判定される者に渡したのである。

五 同じ制度で四度、結果は二通り

この規則の性質をいちばん鮮やかに示すのは、異なる大会で、それを使って正反対の結果が生まれたことだ。構は変わらない。選ぶ人が変わると、出てくる結果も変わる。

2015年の北京世界選手権、男子走高跳では、制度が最後まで使われた。通常の試技を終えてもドルーイン、ボンダレンコ、張国偉の三人が1位に並び、ジャンプオフに進んだ。まず2メートル36で全員が失敗。バーを2メートル34に下げるとドルーインが成功し、ほかの二人は失敗した。ドルーインが単独の世界王者となり、あとの二人は銀メダルを分け合った。このとき選手たちは続行を選び、構は結果をただ一人の優勝者へと閉じた。

2021年の東京は、先に見たとおりだ。選手は共同で続けないことを選び、構は同順位の1位を受け入れた。金メダルは二つになった。

2023年のブダペスト世界選手権、女子棒高跳では、東京と同じ構造が別の種目に現れた。ムーンとケネディは、試技記録を比べてもなお並んでいた。二人はジャンプオフを行わず、世界王者の座を分け合うことを選んだ。世界陸連もその後、二人はジャンプオフで競技を続ける代わりに、優勝を分け合うことで合意したと明言している。

2024年のパリオリンピック、男子走高跳では、同じ規則から東京とは逆の結果が生まれた。カーとマキューエンは通常の試技でともに2メートル36を越え、試技記録による順位判定でも並んだ。二人はジャンプオフに進むことを選んだ。追加の試技でも失敗が続いたのち、バーが下げられ、カーが2メートル34に成功して唯一の金メダリストになった。マキューエンは後日、一人の優勝者が決まるまで争うべきだとして、この選択をはっきり擁護した。

四度の大会を並べると、一つのことが見えてくる。2015年には使い、2021年には使わず、2023年にも使わず、2024年には使った。同じ制度、同じ規則。四度の競技に、二通りの結果。どちらの結果になるかを決めたのは規則ではない。分かれ道に立った選手が、どちらへ進んだかだった。

これこそ、東京が特例ではなかった証拠だ。再現できないオリンピックの偶然ではなく、走高跳と棒高跳の規則に備わる、一般的で実行可能な選択肢だった。そして、最も意味のある反例がパリである。同じ制度上の出口がありながら、カーとマキューエンは続行を選び、二つの金になりえた結果が、金と銀になった。構は変わらず、選ぶ人が変わる。それだけで結果は、金二つから、金一つと銀一つへ変わる。

だから東京とパリを、温かさと冷酷さ、友情と競争の対立として描くべきではない。これは同じ制度の下で認められた、二つの「どうあるべきか」という判断だ。東京の側は、通常の競技ですでに等しかった以上、その同順位だけで、ともに1位になるに足りると考えた。パリの側は、構がさらに勝負を進め、1位をただ一つの値へと閉じるべきだと考えた。規則は両方の判断を認めている。どちらも規則にかなっている。

ここには、立ち止まって考えるだけの深さがある。二つの判断が分かれるのは、どちらが正しく、どちらが間違っているからでもない。同順位というもの自体の理解が違うからだ。東京の側では、同順位は競技が実際に生んだ結果である。通常の試技でも、その記録を比べても二人はまったく同じなのだから、もともと等しい。その等しさこそが競技の本当の結論であり、ジャンプオフは、一つだけの順位を人為的につくる追加手続きにすぎない。実は二人には差があると明らかにするための手段ではない。パリの側では、同順位はまだ解決されていない保留の状態だ。二人はひとまず並んでいるが、優勝という席は本来一人分なのだから、誰かが勝つまで競技を続けなければならない。どちらの理解にも筋は通っている。そしてこの違いは、本シリーズが問い続けてきたことに、ちょうど重なる。等しいということは、さらに破らなければならない膠着なのか。それとも、それ自体で成立する結果なのか。規則はこの問いに、ただ一つの答えを与えなかった。答えを当事者に残したのである。

六 自分の選択には賛成し、その規則には反対する人

金メダルを分け合ったことには、賛否がある。ただ、争いの本当の焦点は、感動的な出来事だったかどうかではない。結果を閉じる権限を、誰が持つべきかである。

賛成する側の語りは、主として公式発表に見られる。世界陸連は当日、この結果を分かち合った成功として紹介し、年末の回顧でも一年を代表する場面の一つに挙げた。バルシム自身の理由は、「差をつけられない」ではない。通常の競技によって、その日の二人の出来が同じだったことはすでに示されており、続ける必要はない、というものだ。タンベリが強調したのは、共有してきた経験、互いへの敬意、そして優勝を分け合う価値だった。どれもこの行為を、主体的な選択として説明している。体力的に続けられなかったわけでも、審判からやめるよう求められたわけでもない。

反対する側の中心的な理由は、オリンピックの優勝者は一人に絞られるべきだ、というものだ。当時、オリンピックの決勝で金メダルを分け合うべきではないとして、ジャンプオフを行うべきだったと率直に述べた論者もいた。勝者が一人になるまで選手は戦い抜くべきだと、失望を示した陸上関係の論評もあった。ここで注意したいのは、この批判が東京の判定を規則違反だと非難しているわけではないことだ。反対しているのは、規則が選び取った価値である。結果が規則にかなっていることは認める。しかし、規則そのものがこうあってはならない、と考えているのだ。

そして、最も重みのある批判の一つは、タンベリ本人から出てきた。

東京から一か月余りたったころ、タンベリは、バルシムと金メダルを分け合ったことを後悔していないと明言した。しかし同時に、選手にこのような選択の機会を与えるべきではない、とも述べた。

この言葉は、ほとんどそのまま、この一篇の主題を射抜いている。タンベリは、東京で自分が下した具体的で個人的な決定を支持している。自分なら、そう選ぶ。それでも、その制度に関わる決定を選手に委ねる規則には反対する。自分に選ばせる規則であるべきではない、と考えているのだ。

これは、まったく別の二つの命題である。「私はこう選ぶ」は、与えられた規則の下で個人がどう行動するかについての命題だ。「規則は私に選ばせるべきだ」は、規則そのものをどう設計するかについての命題だ。タンベリは前者にイエス、後者にノーと言った。自分自身を例にして、二つをくっきりと分けてみせたのである。

その規則から自ら恩恵を受け、自分の選択を擁護する人が、同時に規則の存在には反対している。それだけでも、この事例の本当の争点が、個々の決定ではなく、その決定権を委ねてよいのかという点にあることがわかる。構は、最後の一歩を、自らの判定を受ける人々に任せるべきなのか。まさにそれが、この一篇の問いなのだ。

決着をつける権限という問いを、少し古い歴史に戻して眺めてみよう。写真判定が現れたころから、決着にはすでに二つの異なる役割があった。1932年のロサンゼルスには、性質が正反対で、分けて考えなければならない二つの事例がある。男子100メートルでは、トーランとメトカーフの公式記録はともに10秒3。フィニッシュはきわめて僅差で、審判は撮影記録を詳しく調べたが、公式順位が同着に変更されたことはない。1位はトーランだった。現在の規則ならメトカーフが勝っていた、と後年よく言われる。これは根拠のある歴史的な反実仮想だ。当時は全身が完全にフィニッシュラインを越えて初めて完走となる古い基準を使っており、その基準を先に満たしたのはトーランだったからである。ただし、この仮定の話と、当時実際に下された判定とを、一つの主張に混ぜてはいけない。写真はメトカーフの勝利を証明していたのに、審判がわざとトーランに優勝を与えた、というさらに強い主張には、信頼できる裏づけがない。確かめられるのは、論争があったこと、規則が現在とは違ったこと、そして最終的にトーランが1位とされたことだけだ。同じ大会の男子110メートルハードルは、ちょうど逆の例になる。当初はケラーが3位とされたが、映像を再検討した結果、フィンレーが3位に訂正され、銅メダルを得た。こちらの撮影記録は、論争を生むものではなく、論争に決着をつける証拠になった。つまり構の判定道具は、初めから二つの方向を持っていた。決着をつけるべき争いを終わらせなかったと責められることもあれば、肉眼で見誤った順位を、本当に確定させることもある。この二つは区別しなければならない。どちらもひとまとめに「判定が物議を醸した例」と呼んではいけない。

七 構はより細かく見えるようになり、自ら見ないことも選ぶ

東京での一歩が持つ重みを理解するには、構が決着をつける力をどう扱ってきたか、その歴史全体の中に戻して考える必要がある。その歴史には二つの方向がある。構が、より強い決着の能力を手に入れていく方向。そして、すでに持っている能力を自ら手放す方向だ。

まずは、能力が伸びていく側を見よう。

1912年のストックホルムオリンピックで、フィニッシュの撮影が初めて使われた。その初期の装置の正確な仕様は、今では厳密には復元できない。毎秒何コマ、精度は何ミリ秒、と書くことはできない。現存する証拠の範囲を越えてしまうからだ。確かに言えるのは、このときから構が、人間の目を上回る判定道具を持ち始めたということである。

1932年のロサンゼルスでは、カービーの「二つの目」を持つシステムが、質的な飛躍をもたらした。カメラは毎秒およそ128コマを撮影し、名目上のコマ間隔は128分の1秒、約0.0078秒だった。電気時計と組み合わせることで、100分の1秒単位の読み取りができた。2024年のパリでは、公式のフィニッシュスキャン装置は毎秒4万回の記録が可能とされ、名目上のサンプリング間隔は約25マイクロ秒、すなわち100万分の25秒になった。

構は、ますます細かく見分けられるようになった。今日、フィニッシュライン上で識別できる細かさは、公表する競技記録の桁数をはるかに上回っている。

ここで、初期からあった重要な現象を見ておきたい。構が細かく見えるようになっても、公式記録まで同じ細かさで公表するとは限らない。1932年の男子100メートルでは、トーランとメトカーフの公式記録はどちらも10秒3と記された。一方、自動計時では10秒38ほどまで細かく読み取ることができた。撮影の中心的な役割の一つは、着順を判定することだ。内部で得られた細かな測定値を、すべて公式記録の桁数へ反映させることではない。

今では、この点は明確になっている。世界陸連自身の写真判定ガイドは、勝ち上がりを決める際の一部の同記録について、1000分の1秒まで読み直すことを明示的に認めている。現在のオリンピックのフィニッシュスキャンには、それをさらに上回るサンプリング能力がある。陸上競技で1000分の1秒を使わないのは機械の精度が足りないからだ、という説明は、もう成り立たない。短距離の公式記録を一律に1000分の1秒まで公表しないのは、規則の選択であって、カメラにできないからではない。

ここは、曖昧にしてはいけない。技術的な限界だと思われがちな、広く流布した誤解を崩すところだからだ。陸上の記録が100分の1秒までなのは、その先は機械にも正確に測れないからだ、とよく思われている。実際は逆である。機械はずっと前から、もっと細かく測れる。構自身、同記録の選手の勝ち上がりを決める必要があれば、1000分の1秒まで読み取る。現代のフィニッシュスキャンでは、サンプリング間隔はすでにマイクロ秒の領域に入っている。だから、公表を100分の1秒にとどめるのは、機械の能力の天井ではなく、構が自ら選んだ表示形式なのだ。構が見えるものは、構が公表しようとするものより、ずっと細かい。すでに手にしている細かさの一部を内部に留め、特定の場面でだけ取り出して使う。これは構が自分の能力に課す制限である。そしてその制限は、東京でスイッチを外へ渡した行為と、同じ性質を持っている。できる力があるのに、あえてしない。あるいは、できるところまで全部はしないのである。

次に、自ら能力を手放す側を見よう。その最もわかりやすい例は、競泳にある。

1972年のミュンヘンオリンピック、男子400メートル個人メドレー。ラーションとマッキーのタイムは、100分の1秒までなら、どちらも4分31秒98だった。機器でさらに細かく読むと、ラーションが4分31秒981、マッキーが4分31秒983。ラーションは1000分の2秒の差で金メダルを得た。

その後、国際競泳の制度は一つの変更を加えた。小数点以下3桁目を、順位を決められるデータから、機器で読み取れても使ってはならないデータへ変えたのである。規則は、自動計時の記録を100分の1秒までと明示し、3桁目は記録してはならず、タイムや順位の決定にも用いてはならないと定めている。

この扱いを支える、計測学上の有力な理由がある。プールの寸法には公差がある。自動計時用のタッチ板を備えた50メートルプールは、基準の長さが50メートルで、プラス方向におよそ1センチの誤差が許される。一流選手が1000分の1秒の間に進むのは、わずか数ミリ程度だ。つまり、時計が1000分の1秒まで読めるからといって、二つのレーンの競技距離が、その桁で公平に比較できるほど正確にわかっているとは限らない。

ただし、ここは慎重でなければならない。国際競泳が「プールの公差を理由として、正式に1000分の1秒を廃止した」とまで言うなら、それは普段の説明より一段強い因果関係の主張になる。確かめられるのは両端だ。一方では、規則が3桁目によるタイムと順位の決定を明確に禁じている。他方では、施設の規格に長さの公差がある。1972年以降のこの方針転換も、あのレースと広く結びつけて語られてきた。しかし、当時の会議録に「プールの公差がこれだけあるので、1000分の1秒を廃止する」と明記した一文は、見つかっていない。したがって、この理由はひとまず未決のものとして扱うべきで、元の決議まで確認できた事実と見なしてはならない。また、よく引かれるレーン間の3センチ差という数字は、昔の規格を説明するものだ。現在の数字ではない。現行の公差は、もっと厳しくなっている。

こうして競泳と陸上競技には、構が自らを制限する、二つの異なる形が現れる。競泳では、機器は3桁目を持っているが、規則が、その桁には判定の効力がないと宣言する。陸上では、機器と内部の読み取りは1000分の1秒、あるいはそれより先まで届くが、短距離の公式タイムはなお100分の1秒で記録され、着順はフィニッシュの画像によって確定される。どちらも同じことを示している。測定できる能力と、制度がその測定にどれだけの法的な効力を与えるかは、別の話なのである。

八 あらかじめ空けてあり、埋めなくてもよい欄

この一篇を、ここで束ねてみよう。

前の十六篇では、構はずっと閉じることを求めていた。すべてを一つの確定した結果へ収めたい。一人の名前、一つの記録、一つの順位、一つの勝敗へと。けれども、何度も失敗した。どうしても収まらないもの、計算しきれないもの、判定できないもの、置き場所のないものが残る。その収まらなかったものが、これまでの各篇でいう余項だった。

この一篇で、構は初めて逆のことをした。閉じる能力を失ったのではない。ジャンプオフは手元にあり、東京のあの競技を、いつでもただ一人の優勝者へ収めることができる。それでも構は、自ら進んで、前もって規則を設け、閉じない結果の存在を認めていた。自分の規則の中に一本の道を書き込んでいたのだ。その道は、同順位の1位へ、一つの値に収められていない結果へと続いている。

そこから、この一篇の余項が現れる。その形は、これまでのすべてと正反対だ。

これまでの余項は、構が閉じたくても閉じられずに残ったものだった。名簿に載らなかった名前は、構が受け止められなかったもの。計算しきれない原因は、構が切り分けられなかったもの。比較の基準とされる、現実には存在しない身体は、構の手が届かなかったもの。不可能とされた現実は、構が定義によって排除したもの。どれも構の能力の境界であり、構が欲しても手に入れられなかったものだ。

この一篇の余項は、構が閉じることはできるのに、閉じる必要はないと選んだために残る。同順位の1位は、構の失敗ではない。勝負をつけられないのでもない。まったく逆で、十分につけられるが、つけなくてもよいと選んだのである。それは構が自分の帳簿にあらかじめ残しておいた、規則に背かず、最後まで埋めずにおける欄なのだ。

ここで、余項という概念がひっくり返る。前の十六篇では、余項は構の欠陥であり、その力が及ばない場所だった。引きたい線を正確には引けなかったこと、あるいは間違った場所に引いたことの証しだった。ところがここでは初めて、余項は欠陥ではなく設計になる。同順位の1位に、構が困り果てたわけではない。それを収める場所を、自分から規則の中に空けておいたのだ。閉じない結果でも、時には完全で、規則にかない、最終的な答えになりうる。構はそれを認めたのである。

この承認は、見かけ以上に重い。本シリーズの第一篇から、構の威信はほとんどすべて、閉じることに支えられていた。宙に浮いたものを、一つの確定した答えへ収められるという力に支えられていた。確定した答えを出せない構は、失敗し、無力であるかのように見える。だから閉じない結果も完全でありうると認めるのは、閉じることだけが成功の形ではないと認めることだ。構が自分の拠りどころの一部を、手放すことでもある。それができるのは、ほかの場所ではすでに十分に強いからにほかならない。大多数の場合に決着をつけられるからこそ、ごく少数の場合には、自ら決着をつけないことを選ぶ余裕がある。弱く、しょっちゅう勝敗を判定できなくなる構には、同順位を認める規則をつくる勇気はない。それは自らの無能をさらしてしまうからだ。ほとんどいつも結果を閉じられるほど強い構だけが、閉じないことにも、自分の規則の中で堂々とした居場所を与えられる。

そのために構が取った方法は、あのスイッチを外へ渡すことだった。いつ同順位にすべきかを、自分で決めるのではない。完全に並び、自分にはそれ以上区別できない選手たちに渡し、共同で決めてもらう。ここで構は、一つのことを認めている。自分の尺度ですでに二人をまったく同じと判定し、通常の競技の成績も、順位比較に使う試技の回数も一つ残らず同じだったとき、追加の手続きを使ってまで無理に二人を分けるべきなのか。そのことは、自分だけで決めるべきではないのかもしれない、と。

これは第十六篇と、ちょうど対になる。第十六篇で構は、生理学上の仮説を定義として凍結し、0.100秒という線を頑として守った。自ら依頼した研究が示した証拠でさえ、その線を揺るがせなかった。そこでは、最後の一歩を制御する権限を、構は固く握り締めていた。この一篇では、ジャンプオフという決着の手段を握りながら、その一歩を踏み切るかどうかのスイッチを、自ら外へ渡した。同じ構が、スタートでは握り締め、走高跳では進んで手を開く。

握ることと手放すことは、矛盾ではない。構が最後の一歩を扱う、二つのやり方だ。ある線は、自分が引かなければならず、誰にも口出しさせない。その線そのものの足場が怪しくても、である。0.100秒がそうだった。ある結果は、当事者が共同で決めてよい。自分で代わりに決める力が十分にあっても、である。同順位の1位がそうだった。構はいつも、最後の最後まで閉じたがるわけではない。ときには最後の一歩の手前で止まり、その一歩を、自らの判定を受ける人々に残す。

この構は、二人の走高跳選手の試技を一つ残らず記録できる。二人の成績がまったく同じだと計算できる。いつでもバーを上げ、もう一度跳ばせて優劣をつけることもできる。そうしなかったのは、できなかったからではない。何年も前に、この瞬間のための別の道を書いておいたからだ。二人が「これ以上は必要ない」と言える道を。勝負をつけるための手段をすべて用意したうえで、それを使うかどうかという最後の決定を、もはや区別のつかない二人の手に戻したのである。

物差しは、まだ正しく測れていない。それでも、測り続けている。