この版について
版について: 中国語原文の論旨と細部を踏まえ、日本語の読者に向けて書き直した独立日本語版。原文サイトでは簡体字と繁体字を切り替えられる。
小津とは、どんな男なのか。
主人公に言わせれば、長いこと日を浴びていないような顔色で、目の下には隈があり、妖怪じみた顔をしている。人の不幸を見るのが好きで、息をするように嘘をつき、他人のうまくいきかけたことを、わざわざ台無しにする。
二人は一緒に、人の恋路を邪魔する「黒いキューピット」として悪名をとどろかせる。だが主人公の語りでは、その悪名の影はもっぱら小津に落ちる。
そんな男が、どの並行世界でも彼にぴったりとくっついている。
彼の診断
自分の二年間に下す主人公の診断は、いつも同じところへ落ち着く。
あのとき小津に出会わなければ、今ごろはきっと、黒髪の乙女と薔薇色の日々を送っていたはずだ。
作品の中で、この言葉は何度も繰り返される。彼の持論を丸ごと支えているのは、この一点である。
まったく根拠がないわけでもない。小津は実際、嫌なことをたくさんしている。恋人たちの頭上に花火を打ち込むようそそのかし、あちこちに罠を仕掛け、何かがうまくいきそうになるたびに横槍を入れる。
どれも本当にあったことだ。しかも、一度や二度ではない。
作品も、あとからそれをなかったことにはしない。あの花火も実は君のためだったのだ、などとは言わない。あれはただの悪ふざけで、主人公はそのせいでひどい目に遭った。
結末から振り返る
結末まで来ると、作品は小津がこの二年間にしてきたことを、改めて振り返らせる。それまであちこちに散らばっていた場面が、つながって見えてくる。
長いあいだ主人公を悩ませた謎の文通相手、「樋口景子」。この仕掛けは、第八話ですでに明かされている。小津が始め、明石が代筆し、小津が飽きたあとも明石がやりとりを続けていた。確かにそれは、主人公を明石の前へと連れていくことになった。だが、その一部始終も結果も、すべて小津が初めから善意で計画していたことにはできない。
小津の行動には、いたずらも、手助けも、面白半分の気持ちも、絡み合っている。
たとえ手を貸すつもりがあったとしても、「不器用な」という言葉は外せない。ぴったりの言葉だからだ。やり方はひどく、逆効果に終わることも多い。しかも本人は、それを楽しんでいる。手を貸しながら、相手が右往左往するのを面白がってもいるのだ。
誤解されていた善人、というわけではない。とにかくやり方のひどい人間が、口にするつもりのないことをしている。
あの語り
第十一話に、この一篇がたどり着く場所となる語りがある。趣旨を言い換えると、こうだ。
小津は八面六臂の活躍で、自分のキャンパスライフを存分に謳歌しながら、どの世界の「私」にもちょっかいを出していた。
こんな男と出会っていたのなら、私のキャンパスライフも、さぞ面白かったはずではないか。
小津はどうやら、「私」にとって、たったひとりの親友だったらしい。
この語りのあと、主人公は泣く。
作品はここに、全篇で唯一、笑わせようとしないひとときを置く。それまでの十話は、ほとんど一分の休みもなく、猛速度で冗談を飛ばし続けていた。ここだけは静かだ。
ひとりいたのに、二年も彼のせいにした
何が起きていたのか、その形を並べてみよう。
主人公は二年間、自分には何もないと繰り返してきた。まともなサークルもない。友達もいない。恋もない。薔薇色の生活などない。
その同じ二年間、毎日訪ねてくる男がいた。毎日まとわりつき、毎日いろいろなことへ引きずり込む男が。どの並行世界でも、一度もいなくならなかった。
ひとりはいた。そのひとりを、ほかの何も持っていない原因だと決めつけ続けて、彼は二年を過ごした。
これは皮肉話でも、道徳を説く話でもない。もっと具体的な、順番の問題だ。
彼はまず、「薔薇色のキャンパスライフ」という基準を決めた。それから、その基準で周囲のものを測った。小津の点数は、さんざんだった。見てくれは悪いし、嫌なやつだし、役にも立たないことばかりする。
こうして小津は、「障害物」の欄に入れられた。
いったんそこへ入ると、その後の二年間に起きたことは何もかも、その分類が正しい証拠として読まれる。
小津がいいことをすれば、何か魂胆がある。悪いことをすれば、それが本性だ。何もしなければ、ろくでもないことをたくらんでいる。
分類は、ひとたび出来上がると、自分で証拠を集め始める。
小津にも、自分の暮らしがある
作品は、小津を主人公のためだけに生きる人間としても描いていない。
小津には小津の生活があり、それがずいぶんにぎやかだ。あちこちのサークルに居場所があり、知り合いも大勢いる。そこかしこで騒ぎを起こして、実に忙しい。
好きな女の子もいる。小日向だ。携帯電話のパスワードは、その名前である。
つまりこの二年間、「私の人生を台無しにした」と主人公が決めつけてきた相手は、主人公よりよほど充実した人生を送っていた。
そのうえでなお、毎日この男にちょっかいを出す余力まである。
ほかにすることがないから、主人公のところへ来ていたわけではない。
二つとも本当である
最後に、ひとつ区別しておきたい。ここが、この一篇のもっとも読み違えられやすいところだからだ。
小津は実はずっと彼を助けていた。主人公は誤解していた。だから、これは誤解が解けて仲直りする話だ。そう書くこともできる。
だが、作品はその読みを支えない。
小津は本当に、ずっと邪魔をしてきた。花火は本当に打ち込まれた。罠は本当に仕掛けられた。厄介事は、本当に厄介だった。主人公が被った具体的な損失は、何ひとつ減っていない。
それと同時に、小津はこの二年間、ずっとそばにいた唯一の人間でもある。
どちらも本当だ。そして、互いを帳消しにはしない。
作品も帳消しにはさせない。最終話のあとも、小津は小津のままだ。相変わらず不細工で、相変わらず嫌なやつで、相変わらず役に立たないことをしている。何も変わらない。
変わるのは、ひとつだけ。主人公が、彼がそこにいたことに気づく。
気づいたところで、実際には何も変わらない。小津がいいやつになるわけではない。二年間が役に立つものへ変わるわけでも、薔薇色のキャンパスライフが現れるわけでもない。
ただ、帳簿の一欄が計算し直される。この二年には、本当に何もなかったのか。
結末によって小津が善人へと塗り替えられたのではない。主人公も、受けた迷惑を友情の恩恵として説明し直す必要はない。本当に変わったのは、二年間の帳簿に、ずっとそばにいたひとりの人間が、ようやく書き込まれたことだけだ。
そして同じあいだ、もうひとつ、もっと小さなものも、ずっとそこにあった。部屋に掛かっていたそれは、運命でも人生設計でもない。いつでも明石に返せるのに、二年も先送りしてきた、ただそれだけの用事だった。