この版について
この版について:中国語原作をもとに、日本語の読者に向けて書き直した。原文では、同じページで簡体字と繁体字を切り替えられる。
美樹さやかには、上条恭介という幼なじみがいる。ヴァイオリンがうまかった。だが事故で片手が不自由になり、もう弾けなくなった。病室のベッドで絶望し、物を壊し、弾けない手ならないほうがましだとまで言う。さやかは毎日見舞いに行き、CDを届け、そばに座る。役に立つ言葉を、何一つかけられない。
そこへ、キュゥべえが現れる。
さやかの願い
願ったのは、彼の手を治すことだった。願いはかなう。手は治る。医者にも理由がわからない。
病院の屋上で、家族と医者が回復を祝う会を開く。父親が、以前使っていたヴァイオリンを恭介に手渡す。少しためらってから、恭介は弾き始める。腕は少しも落ちていない。みんなが聴き入る。
さやかは、そこに立って見ている。カメラは長いあいだ、その顔を映す。彼女は幸せなのだ。
そこから崩れていく
続く数話は、この人が一段ずつ落ちていく過程になる。魔法少女になったさやかは、毎日魔女と戦う。けがをし、血を流し、家に帰り、翌日にはいつもどおり学校に行く。
恭介は何も知らない。なぜ手が治ったのか。さやかが何を差し出したのか。毎晩何をしているのか。彼女も、それを言えない。
そこに、もう一人の友達、志筑仁美の恋心が重なる。仁美も恭介が好きなのだ。仁美の態度ははっきりしている。告白するつもりだが、一日待つから、先に気持ちを伝えてほしい。さやかは、行かない。
そのうえ、ソウルジェムの真相も彼女に突きつけられる。自分の体はもう空の殻で、魂は石の中にある。そのとき真っ先に思うのは、こんな体で彼に触れてもらえるはずがない、ということだ。
ジェムは濁りを増していく。最後に、さやかは魔女になる。
何が起きたのか
ここから、この一篇の判断に入る。ただし、慎重でなくてはならない。すぐ手が伸びる道徳的な結論があるからだ。人のためになど願うべきではなかった、自分のために願えばよかった。作品は、そうは言っていない。示しているのは、別の構造だ。
自分に与えられた一度きりのものを、自分には決められないことに賭けてしまった。
願いが実現する場所は、別の人の人生にある。治ったのは彼の手だ。ヴァイオリンがうまいのは彼の才能だ。この先どう生きるか、誰と一緒になるか、幸せになるか。それはすべて彼のことで、さやかには一つも決められない。ところが、支払うものは彼女の側に残る。
帳簿にすれば、こうなる。支出はすべて彼女の側にあり、収入はすべて他人の側にある。両者の収支を突き合わせられる場所が、どこにもない。
なぜ収支を突き合わせられないのか
もう少し正確に考えよう。もし恭介が事情を知ったらどうか。感謝してくれたら。報いてくれたら。恋人になってくれたら。この仮定は、作品の後半でも扱われている。ただ、その扱い方は、仮定そのものを意味のないものにしてしまう。
さやかが求めたのは見返りではない。見返りだけが欲しかったなら、屋上で事情を話せばよかった。話さなかったし、最初から話すつもりもなかった。彼女が欲しかったのは、そのこと自体の実現だ。彼にまたヴァイオリンを弾いてほしかった。そして、その願いはもうかなっている。
望んだものは、すべて手に入った。それでも彼女は崩れた。 ここがいちばん厄介なのだ。尽くしたのに報われなかった、という話ではない。彼女の払った代償は、望みどおりの結果をすべてもたらした。崩れた理由は別にある。彼女には、その先も毎日を生きていく必要があった。なのに、自分のために残しておいたものは、何もなかった。
自分では止められない感情
作品はこれを、きわめて物理的な形で見せる。ソウルジェムは負の感情で濁る。憎しみ、嫉妬、怒り、絶望。そのどれもが、石を少しずつ濁らせる。さやかを描く数話では、そうした感情が一つずつ訪れる。
仁美への嫉妬。感謝を知らない普通の人々への憎しみ。自分の体への嫌悪。毎日血を流しているのに、誰一人それを知らないことへの怒り。どれも、思いどおりに抑えられるものではない。
そこへ、さらに逃れにくい条件が加わる。絶望は、それだけでジェムを濁らせる。攻撃や決断という形にしなくてもいい。 戦うのをやめることはできる。だが、嫉妬するな、怒るな、悲しむなと自分に命じても、石の変化は止められない。
杏子
作品はさやかの隣に、同じ形の過去を持つもう一人を置く。佐倉杏子の父は聖職者だった。説教を聞きに来る人はおらず、教会は衰え、家は貧しかった。杏子は、人々に父の話を聞いてほしいと願う。願いはかなう。人が来るようになる。どんどん増えていく。
やがて父は、それが魔法の結果だと知る。崩れ落ち、自分の娘を魔女と呼び、酒に溺れ、家族を殺し、自分も命を絶つ。杏子だけが生き残る。
それ以来、彼女の原則はこうなる。願いは、自分のためだけに使う。 これは杏子が出した結論であって、作品が出した結論ではない。一人の人間が、自分に起きた惨事から持ち出し、それを抱えていままで生きてきたのだ。
作品は杏子とさやかを出会わせ、戦わせ、言い争わせる。そして最後には、杏子をさやかの救出へ向かわせる。だが、その方法では結局さやかを救えなかった。
二つの願い
最後に、二つの願いを、評を加えずに並べてみる。一人の少女は、たった一度の機会を使って少年の手を治した。手は治り、少年は以前と同じように見事な演奏をする。誰が治したのかは知らない。
もう一人は、たった一度の機会を使い、人々を父の説教に集めた。人々は来た。父はその理由を知り、杏子を除く家族を殺した。どちらも成功している。どちらも、願ったものを手に入れている。
その後の二人の日々を描く数話は、この作品でもとりわけ見ているのがつらい。
何を間違えたのか、教えられる人もいない。巴マミにはできない。自分の願いは生き延びるためのもので、それから長く一人で戦ってきた。暁美ほむらにもできない。話したところで、誰も信じない。鹿目まどかは何か言いたい。だが、あの頃のまどかはまだ何も知らない。それぞれが自分の抱えたものの中にいて、誰も誰かを助けられない。
ここで、ソウルジェムの真実が明かされる前へ、いったん戻ろう。当時の彼女たちは、まだ一つのことを知らなかった。体の中には、もう魂がない。その話を、次にしよう。