Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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彼女にも、なぜそうしたのかわからなかった

Han Qin (秦汉) · 日本語版 · 2026-10-09

この版について

日本語版について:中国語原文の論旨と細部を踏まえ、日本語の読者に向けて独立した文章として書き直した版。シリーズ全体の結末に触れる。作中の発言は、特記のない限り本文の議論に沿った言い換えである。

公園の広場。

寄生生物を掃討するために来た警察の精鋭部隊が、周囲を取り囲んでいる。その真ん中に、女が一人、赤ん坊を抱いて立っている。

彼女の戦う力なら、包囲を破るのは難しくない。この部隊を全滅させることさえ難しくない。作中でも、その力ははっきり評価されている。ミギーは、正面からぶつかればほぼ勝ち目がないと言い、後藤は、機会があればぜひ一度戦ってみたいと言っていた。

彼女は、まったく反撃しない。

子どもを抱いたまま、撃ち込まれる弾をすべて受ける。

名は、田村玲子。寄生生物だ。

問い続けていたこと

話をさかのぼろう。

初めに名乗っていたのは田宮良子。新一の学校の女性教師だった。その人の脳を奪い、身分を乗っ取り、そのまま授業をし、会議に出て、同僚と付き合っていた。

演じるのはうまかった。毎日何百人もが行き来する場所に、長くいても支障がないほどに。

それでも、一人だけ見破った人がいる。田宮良子本人の母親だ。目の前にいるのが自分の娘ではないと、ひと目でわかった。

彼女は、その母親を殺した。

だが、その出来事は新しい疑問を残す。細部はすべて合っている。それなのに、どうして娘ではないと一目でわかるのか。その後も彼女は、この問いを考え続ける。

寄生生物の中で、彼女の知性は最も高い。その知性を、同類の誰もしないことに使う。

自分は何なのか。なぜ生まれたのか。それを知ろうとする。

本人もそう語っている。自分はいったい何のためにこの世に来たのか、ずっと考えている。一つ疑問が解ければ、次の疑問が現れる。そういう趣旨の言葉だ。

同類が人を食べているあいだ、彼女は研究している。

あの命令

研究の最初の発見は、この連作の第一篇でも触れたことだった。

人間の脳を奪った瞬間、命令が来た。

この種を食い尽くせ、という命令だ。

新一にそれを話したあとで、彼女は尋ねる。人間には命令が来なかったのか。

書き込まれた命令を持って生まれ、物語を通じて、その命令がどこから来たのかを問い続ける。

同類でそんなことをするのは、彼女だけだ。ほかの寄生生物は命令を受け取れば実行する。出どころを問わない。「命令の出どころを問う」という行為自体は、命令に含まれていないからだ。

自分を使って実験する

彼女はいくつかのことをする。どれも実験で、どれも実験の対象は自分自身だ。

一つ目は、食べ方を調べることだ。人を食べる量を減らし、人間の普通の食事で補う。

それだけで、人を食べずにずっと生きられると実証したことにはならない。わざと餓死の危険を冒した実験として描くのも、行き過ぎだろう。

この篇にとって大事なのは、別のところにある。彼女は、書き込まれた命令を、何も問わずに実行するものとして扱わなくなった。衝動とその実行のあいだにどんな余地があるのか、自分の暮らしで確かめようとしている。

二つ目。自分が何人を殺したか、覚えている。

さらりと描かれるが、軽いことではない。人間がただの食べ物なら、数えたりはしない。数え、覚えているということは、彼女にとって、その人々は完全には食べ物になっていないのだ。

三つ目は、いちばん大きな実験だ。妊娠し、人間の子どもを産む。

子どもは研究対象だった

この点は正確に押さえたい。先回りして、彼女を立派な存在にしてはいけない。

子どもを産んだのは研究のためだと、はっきり言っている。人間とは何かを知りたい。いちばん直接的なのは、一人作り、初めから観察することだ。

産み、育てる過程を通じて、彼女の言葉は研究者の言葉である。記録する。比べる。判断する。子どもの前で話す口調も、観察対象を記述する者のものだ。

つまり、その子は最初から、実験材料として用意された存在だった。

ところが後に、別のことが起こる。ほかの寄生生物が子どもを狙う。守るために、彼女は研究とはまるで関係のない手を打つ。

そのとき何をしているのか、作品は彼女に説明させない。ただ、そうする。

このかたちは、別の場所でも見覚えがある。ある目的に合わせて作られ、何らかの結果を生むために置かれる存在。

今回はそれを作っている側もまた、一つの命令によって作られた存在なのだ。

彼女がたどり着いた答え

最後にたどり着いた答えを、作品はきちんと残している。四つの言葉からなる。

寄生生物と人間は、一つの家族だ。

私たちは人間の子どもだ。

私たちは弱い。

自分たちだけでは生きていけない、細胞の集まりにすぎない。

並べてみると、かなり具体的なことを言っている。長く研究した末に、彼女は自分たちの種を、人間に対立するものではなく、人間から生じたものだと考えた。そして、宿主を離れては生きていけないものだと。

ここに道徳上の判断が一つもないことに注意したい。人を食べるのは悪いとも、人間は善いとも言っていない。同類にやめろと呼びかけてもいない。

すべて、構造の話である。私たちは何か。どこから来たか。どれほど強いのか。

あの日、広場で起きたこと

冒頭に戻ろう。

いきさつはこうだ。彼女は調査のため、人間の探偵を雇っていた。探偵はそのために知りすぎてしまう。同類が殺しに行くが、本人は留守だった。殺されたのは妻だった。

復讐しようとした探偵は警察に協力し、彼女の子どもを連れ去り、時刻を指定して公園へ呼び出す。

公園へ行くまでには、まだ時間があった。彼女は新一の家に行く。誰もいない家に入る。

そのあと、公園へ向かう。

逃げ切れるだけの戦闘力がある。それでも、一切反撃しない。

子どもを抱き、自分の体で包み込むように守り、弾丸を受ける。

撃たれたあと、最後にしたのは、子どもを人に渡すことだった。そばにいた新一に渡した。

それまでの二人の関係は、彼女が新一を研究するというものだった。観察し、人をつけて尾行させ、何度かは殺しかけさえした。

その相手の手に子どもを託して、彼女は死ぬ。

ミギーに読めなかった信号

この篇がたどり着くのは、ここだ。

ミギーには寄生生物の脳波を読む能力がある。基本的な能力の一つだ。同類の存在を感じ、距離を測り、相手の状態を見分けられる。それによって、物語の中で何度も命を救ってきた。

ところが、田村玲子が最後に発した脳波を、ミギーは判別できない。

何なのか、わからない。

測るための器械に、その信号が読めない。

この連作で、最も大事な一文だ。だから意味をはっきりさせておきたい。

ミギーは同類だ。彼女と同じ種の存在で、似た構造を持っている。誰かが彼女を読み取れるはずだとすれば、それはミギーだ。

そのミギーにも読めない。

ということは、彼女の中に、その種の規格にないものが生じたということだ。命令の中にも、構造の中にも、同類の誰かと照らし合わせるための型の中にも、ないものが。

強くなった信号でも、複雑になった信号でもない。そもそも分類表に載っていない信号なのだ。

本人も説明しなかった

最後に、もう一つ加えておく。彼女自身も、この行為に説明を与えていない。

長く研究し、四つの答えにたどり着いた。だが、その四つでは、あの日、なぜ反撃しなかったのかは説明できない。

自分の結論に従うなら、あの日すべきだったのは、何より生き延びることだったはずだ。自分だけでは生きられない細胞の集まりであり、まだ解けていない問いも山ほどある。死んでしまえば、もうその問いを問う者はいなくなる。

「母性愛とは何かがわかった」といった言葉は残していない。

あの行為をして、死んだ。

それを最も余すところなく記録しているのは、傍らに立つ同類に、彼女が何を発しているのか読めなかったということだ。

作品の終盤、新一の前に、もう一つの答えが立ちはだかる。

その答えは、新一とミギーとは正反対のかたちをしている。

次の篇へ。

中国語原文:Non Dubito 掲載ページ