国家論・逆相変化の専論 · 02
選挙が戻っても、終わらないこと
もう一度未来を選べるようになった。その喜びと、まだ残る権限、まだ答えられていない問いを、どちらも消さずに見ていく。
ようやく選挙の日が発表された。長く待った人にとって、通知でいちばん大切だったのは、誰が何を語ったかではなく、暦に丸をつけられるその日付だったかもしれない。国家はもう、ただ待ってほしいと言うだけではない。その日には投票所へ入り、これから誰が職に就くかを、再び自分たちの選択に戻すことができる。
『逆相変化』が引き継ぐ架空の国、目的連合都市邦、略称UCSEは、実際にここまで来た。第十一年の秋に選挙が行われ、冬には新しい首席執政官が就任する。それまで閉じる方向へ向かっていた変化は、元の事例では止まった。次の篇で初めて、止まらなかったらどうなったかという別の仮定を扱う。この二つの道筋を混ぜてはいけない。
ほっとできる日は、物語の終わりの句点にもなりやすい。選挙が戻ったのだから、それまでの数年を、終わったこととして引き出しへしまってよいのだろうか。実は、ここからまた問題が始まる。未来を決める機会が戻ったことは、過去への回答が済んだことではない。過去に使われた道具が、すでに取り除かれたことでもない。
止まったのは、すべてが自然によくなったからではない
振り返ると、完全には失われずにいた働きがいくつかある。首席裁判官は弾劾されたが、加盟院での有罪票は十二、反対は八だった。必要な十四票に届かず、裁判官は復職した。加盟単位の脱退を禁じ、条項そのものを改正不能にしようとした統一条項も、同じ民衆院の任期中に両院の採決を終えられず、手続きに従って失効した。皆が突然納得し合ったのではない。異なる場所が、一つの決定に完全にはまとめ込まれなかったのである。
ただし、それらの働きをすべて、閉じた扉を再び開くことと呼ぶわけにはいかない。加盟院は罷免を阻み、新条項を通さずにおくことができる。しかし、その拒否だけで、遅れている選挙を予定どおり行わせることはできない。次の一歩を止めることと、以前に失った問いの手段を取り戻すことは、異なる働きだ。前者は大切だが、それによって後者まで起きたと書くことはできない。
重要な判断が一つ、実現されないままでもあった。終審裁判所は六対五で選挙を行うべきだと認めたが、執政院は裁判所を尊重すると言いながら選挙令を出さなかった。後に選挙が実際に行われても、一年間執行されなかったことを、起きなかったことにはできない。その裁決は無意味だったわけではない。問題を公の記録に残したからだ。しかし記録が残ったことと、そのとき生きていた人々が受けるべき結果をすでに得たことは、同じではない。
当時、一度も使われなかった道もあった。四つの加盟単位の議会が共同で改憲を提案し、UCSE全体の住民投票にかけることができた。投票は各地の選挙委員会が実施でき、執政院の命令を待つ必要はない。問われている側の許可に従属していない道だった。原論文の提案する見分け方によれば、この道がなお残っていたために、第十年の冬の深刻な後退も、元へ戻す経路がすべて同じ側の支配下に入るところまでは至っていなかった。
だが、その文を逆にして、この道が回復を起こしたと書くことはできない。事例は、誰かが実際にこの道を使ったとは述べていない。非常命令のもとで、公平な利用条件が得られたとも限らない。それが示しているのは、その時点で何がなお可能だったかであって、後に実際に何が起きたかではない。ある閉鎖が完了したかを見分けることと、回復がどのようにもたらされたかを説明することには、別々に根拠が要る。
実際の転換には、外の変化もつながっていた。第十年の春に停戦し、第十一年の春には撤兵協定が結ばれた。第十一年の夏、議会両院はそれぞれ過半数で戦時状態を終わらせた。執政院が自分で延長できる特例は適用されなくなり、非常事態の延長を決める権限は合同会議へ戻った。期限までに延長の申請がなく、非常事態は終わった。同じ月、民衆院は秋の選挙日を決めた。
この一連の変化を、すべて戦争が終わったおかげと数えることはできない。停戦がひとりでに議会の票を投じるわけではなく、撤兵が自動的に条項を失効させるわけでもない。反対に、制度が看板を保っているかぎり外で何が起ころうと関係ない、と証明することもできない。このときは、外の条件と、内側でまだ動けた場所とがつながった。そのつながりを事実に即して語ることはできる。しかし、どちらか一方がなかったらどうなったかまで、この一つの物語でわかったと宣言することはできない。
国家の上にもう一段の政府がないからといって、元へ戻れない運命にあるわけではない。ただ、すべての望みを、さらに高い裁定者に託すことはできない。新たな越境を止め、以前の問題に再び問いが届くようにするには、内側とその傍らにある具体的な経路を通る必要がある。その道には、判断する人がおり、問題を口にする代償を負う人もいる。しかしそれは、普通の人すべてに英雄になれと命じることではない。
新しい名前のまま、古い使い道が残る
選挙後、実際に再び開いた扉もあった。監察署は防衛軍への苦情を再び受け付け、新しい監察長が選ばれ、公開の聴聞も再開された。代替役務の審査が再開した。それとは別に、あの技師は改めて国籍離脱を申請し、後に認められた。戦争調査委員会には記録が届き、隣国の連絡所から送られた遺族の陳述も受け取られた。宣伝の中でひとまとめに「正常」と呼ばれたものではない。一件ずつ、再び起こせるようになった事柄である。
しかし、第十四修正条項が廃止されたとは書かれていない。いくつかの条項が戦時状態の終了によって一時的に適用されなくなったことは、規則から消えたこととは違う。次に戦時状態が宣言されれば、再び働く可能性がある。監察署で代理人が長期間務めることを可能にした移行条項や、弾劾後の職務停止の仕組みも、事例の中では改められたことになっていない。一度使われた道具は、まだ元の戸棚に置かれている。
第十二年、新しい民衆院は『国家安全法』を可決した。言論についての条項は変わり、刑期も短くなった。しかし国籍剥奪の条項は、そのまま残された。新たな多数派には、以前その条項に反対票を投じた人もいた。この点はとりわけ、誰が政権に就いたかだけでは説明しにくい。古い仕組みに反対した人も、その一部を残すことがある。見るべきなのは、今回具体的に何を残したかだ。昔の一票によって、今日のすべての決定を保証することはできない。
名前だけが変わったものもある。戦時付加税は復興税となったが、税率は変わっていない。収用地の補償は戦後に改めて協議するとされたが、三年たっても協議されなかった。通信傍受の期限は、なお平和条約の署名日に結びつけられていた。名前が穏やかになっても、使い道、続く期間、負担まで変わったとは限らない。届いた納税通知書は、見出しから「戦時」の二文字が消えただけで、軽くなるわけではない。
ここから逆に、残ったものはすべて直ちに廃止しなければならない、と断定することもできない。新たに取り組むべきことが本当にあり、ある仕組みを突然なくせば、空白を残すこともありうる。原論文が求めるのは、別のことである。続けるなら、明確な期限を持つ新しい決定として、今日の理由で説明し直すことだ。過ぎた危機を借りて、際限なく延長してはならない。通常の手続きへ移すだけで、この問いを済ませることもできない。
修復には、壊されやすかった箇所を、次には壊されにくくする仕事も含まれる。非常事態とする理由をもっと限定できるか。緊急時にも停止できないものは何か。延長は誰が確認するか。執行を拒まれたとき、実現させる別の道はあるか。これらは見直す価値がある。ただし、具体的な設計と判断を要する問題であって、数篇の散文が現実の国のためにすでに書き上げた法律ではない。扉を補強しても、今後誰も外そうとしなくなるという保証はない。
だから、戻ったものと戻っていないものは、同時にありうる。一度の選挙は本当に戻ってきたのであり、傍受の際限ない継続も本当に残っている。前者を祝うために後者を見ないふりをする必要はない。後者が残るからといって、取り戻した機会まで一筆で消す必要もない。修復は「完了」の一言ではなく、一つずつ内容を確かめ続けられる仕事である。
戻ってきた側にも、最後の一言を独占させない
境界をいちばん越えやすいのは、自分では修復しているつもりのときかもしれない。あの数年の任命は全部おかしかったのだから、新しい側がまとめて整理すべきだ、と言う人がいる。そうすれば、古い仕組みが戻るのを待つまでもない。新しい権力者は、すでに同じ能力を手にしている。どの職位を認めないかを自分で決め、どの裁決には従わないでよいかも自分で決める能力である。
ある裁判官の任命が、必要な条件に違反したと具体的に指摘されたなら、調べるべきはその一件の就任であって、同時期の任命全部を無効にすることではない。原論文の哲学上の要求によれば、争うどちらの側にも、その働きを支配されない裁判所が、一件ずつ認定すべきである。戻ってきた執政者が、気に入る結論を選ぶのではない。また、就任の経緯に問題があると認定されても、その後の裁決がすべて自動的に消えるわけではない。確定した裁決をどう再検討し、規則をどう変えるかには、それぞれの道がある。
認定が出る前にも、裁決に賛成できないからといって、不執行で代わりとすることはできない。公に理由を説明し、該当する再審査の手続きに入る必要がある。その間も裁決は有効であり、従わなければならない。これは、この系列が修復に対して求めることだ。現実のすべての法域が同じ手続きを採っていると主張しているのではない。重要なのは、戻ってきた側も、自分だけでは独占できない問いのもとへ、自分の判断を差し出すことである。
過去の責任をどう確かめるかも、「どこまでも追及する」「前を向く」という二つの標語だけでは片づかない。誰が延長を提案し、誰が承認し、誰が執行を拒んだのか。そのために誰が何を負わされたのか。それを明らかにし、記録し、回答を得られなければならない。しかし記録が残ることは、誰かの有罪が証明済みであることではない。すべてを訴追しなければならないことでもない。訴追するか、赦免するかには、具体的な法律と判断が要る。記録を消し、もう問うことを禁じるのは、それとは別の行為である。
一つの誤りが直されれば、その件を終えるときがあってよい。しかし、終結から、これから先は問われないと導くことはできない。「選挙も戻ったのに、まだそんな話をするのか」と言うことは、なおさらできない。人が失った時間、届かなかった補償、執行されなかった裁決は、国が見栄えのよい新しい出発を迎えたからといって、過去へ巻き戻らない。直せるようになったことは、すべての人のためにすでに直し終えたことではない。
投票用紙が手に戻ったことは、心から祝う価値がある。それは、これからの時間に、再び入口を残したのだから。ただし投票所の外の暦は、第九年の春まで戻ってはくれない。続いて見るべきなのは、規則の中になお残る文言、まだ答えを受け取っていない人々、そして新しく職に就いた人が、同じ問いを自分にも届かせようとするかどうかである。
原論文と読む範囲
国家論の専論『逆相変化』に基づく中国語散文を底本に、日本語で独立して書き直した。事例の国、票数、出来事は著者が設けた架空のものである。元の事例の後退は、原論文が提案する、回復経路の閉鎖が完了したと認める条件に届く前に止まった。第三篇は、止まらなかった場合を別にはっきり仮定している。哲学上の要求、提案される制度規則、具体的状況での判断を分ける。現行法の説明でも、現実の国の診断でも、実際の外交判断への処方でもない。