Non Dubito · 関係論
関係の中でも、自分であること
一つの約束、待っている手紙、何年たっても残る習慣、そして別れ。七篇の本論と、最初にも最後にも読める一篇の案内を通じて、人の間に何が残り、次の出会いをどう変えるかを考える。
はじめに
関係は大切だ。でも、私の人生を代われない
「私たち」は支えにも、一人の声を覆う言葉にもなる。共に経験したことと、誰が誰に代わって決められるかは別だ。
全文を読む →01
その言葉は、知らない人から来た
著者は、あなたがその本を読んだことを知らない。それでも、書かれた言葉はあなたを変えた。関係は、互いを知ることからだけ始まるのではない。二人に代わって語る「私たち」にしてもいけない。
全文を読む →02
二十歳の規則を、四十歳で変えていいか
毎朝の一時間は耳を開くことも、休めない規則になることもある。昨日は残る。それでも今日を生きるのは今日の人だ。
全文を読む →03
約束したら、変えてはいけないのか
相手がまだ予定を変えていなくても、約束の言葉には重みがある。去ったあとも作用は残る。難しさは、その両端にある。
全文を読む →04
返事をくれても、私に約束したことにはならない
一通の返事をきっかけに、次の便りを待つ気持ちが育っていく。でも「待っています」と「大切ならこうすべき」は、同じことではない。
全文を読む →05
一言が、次の会話に住みつく
本当に身についた技と、ますます言えない「嫌だ」が、同じ人から来ることもある。長い関係は、よかったか悪かったかだけでは読めない。
全文を読む →06
引っ越したあとに、何が残るのか
仲直りしても、不一致が解けたとは限らない。去っても、すべてが清算されるわけではない。関係を終えるために、相手のすべてを分かったことにしなくてよい。
全文を読む →07
他者を必要としても、自分が欠けているわけではない
相手を自分の思いどおりにはできない。そこに関係の危険も可能性もある。関係が必要でも、特定の関係を永久に続ける理由にはならない。
全文を読む →これは哲学の散文であり、関係の診断テストでも、留まるか去るかを決める処方箋でもない。日常の特定の困りごとには、日常散文の「関係の中の構造」という入口もある。この組では状況を横断し、約束が変えるもの、積もる期待、仲直りと不一致の解消の違い、退出後にも残るものを問う。どちらも人を採点せず、当人が内心で何を望むかを代わりに判定しない。
原論文へ
七篇の本論は原論文一〜七に対応する。案内は第零篇に基づき、この関係論の問いの立て方と、哲学の伝統との対話の一部を紹介する。八篇とも一般の読者に向けた完結した散文であり、すべての技術的論証を段落ごとに訳したものではない。日本語は中国語の散文を基に独立して書き直し、各篇に原論文へのリンクを付す。私的な人間関係の議論は、法律上の要請、安全のための支援、当事者自身の語りに代わるものではない。すでに成立した制度上の規則を置き換えず、留まるか、去るか、連絡を再開するかも代わりに決めない。