関係論 · 06
引っ越したあとに、何が残るのか
仲直りしても、不一致が解けたとは限らない。去っても、すべてが清算されるわけではない。関係を終えるために、相手のすべてを分かったことにしなくてよい。
シェンとタンは九年同居した。タンがこの街へ来た時には分からないことが多かった。年長のシェンは道を知り、大家と話せ、家の問題にもすぐ手を打てた。タンは料理を学び、街での生活にも慣れた。九年目、転居を決めた。
楽しい日がなかったのではない。毎週日曜、下の階で独り暮らす高齢者へ野菜を届け、九年途切れさせなかった。しかし同じ争点も九年続いた。シェンは二人のことを決めてから告げ、タンは先に相談してほしい。シェンには、うまく済めばよく、毎回初めから話す必要はなかった。
善人と悪人を判定する物語ではない。一人が確かに助けたこと、解けない不一致、退出の希望、去った後も野菜を待つ人がいること。それらが一塊になりやすいので、並べて見る。
助けてくれた人も、私の代わりに決められない
シェンが有能なのは、それ自体悪くない。街を知る人が新人を導き、料理する人が教える。与える量、速さ、力が等しくなければ余地を作れないわけではない。五年目からタンの料理のほうがおいしくなり、初めの上下は逆転もする。
問題は違いの使い方だ。次は先に聞いて、とタンが言い、「家まで探してやったのに文句か」と返すなら、過去の助けで今の拒否を押さえる。段取りの巧さが、もう聞かなくてよい理由になっている。
「考えておいたよ」は気遣いにも、本人の再考の一歩の取り消しにもなる。声の優しさだけでなく、「ありがとう。でもそうは考えていない」と言う機会があるかを見る。すぐに同じほど見事な代案を出せなくても、不賛成は無効にならない。
能力の非対称と位置の権限も別だ。上司でもあるなら評価や任免には既存制度があり、仲のよしあしだけでは説明できない。資源、住居、安全を使って表現や退出を実質的に圧迫するなら、二人の話し合いだけに留めず、保護、手続、処理も同時に入れる必要がある。
非対称を見つけ次第、関係を終えよという意味ではない。異郷で助けを要するのは恥でなく、かつて助けたことも自動で問題にはならない。違いが「私のほうが知っているから最終的に私だけが決める」という資格に変わったかを見る。
仲直りしても、あの問題は残る
激しく争った時、シェンはきつい言葉を使い、後で謝った。タンが受け入れ、また一緒に食べられた。修復は本当だ。後で争うから、あの謝罪は無意味だったとする必要はない。
しかし相談を先にすることと、済ませてから伝えることは、一緒に食事をしたからといって自動的に両立するわけではない。傷つけた一言と、次にどう共に決めるかは別の事柄だ。謝罪を一括清算にすると、「もう謝ったのに、まだ言うのか」になりやすい。
逆もいけない。意見がまとまらないから、傷ついた人へ「正誤を決めてから、つらかった話をしよう」と待たせてはいけない。傷を認めるため、争論全体に先に勝敗をつける必要はない。
修復と不一致の解決は助け合えても、互いの代わりにはなれない。仲直りしても両立しないものが残り、実行可能な配置ができても、傷つけた一言を受け止めていないこともある。細かく責めるためでなく、一方が少し進んだことで、もう一方の未解決を覆わないために分ける。
「もう気にしないでおこう」と合意しても、その一言が各人の気持ちを終えはしない。依頼し、考え直す契機にはなっても、まだ気にかかることを不当と宣言できない。和解は、一人が他人の心を代わって受領することではない。
結局タンが去っても、修復の失敗や九年のすべてが偽物だったことを意味しない。シェンが残ってほしくても、再挑戦を要求する資格にはならない。すべて修復すべきとも、深い不一致なら終えるべきともいう一般則はない。
自分の分を引くことと、相手を罰すること
転居で料理と共同生活が終わり、シェンには不便や、新たな同居人を探す費用が生じる。それは本当でも、それだけでタンの退出を禁じない。自らの参加を引くことと、別に罰して相手の選択を押さえることは違う。
もちろん転居するだけで賃貸契約を無効にはできず、共同資源、第三者への責任、成立した手続上の義務も自動で消えない。費用や物の引き継ぎは別々に扱う。「この暮らしをやめる」は「共通の事は全部無関係」にはならない。
具体的な違いは、元々の自分の分をしなくなるのか、別の行為で相手の拒否に代価を課すのかだ。「転居後は連絡しない」は自分の境界の説明でありうる。しかしシェンが共通の友人にタンを無視するよう呼びかければ、相手の道へ別の手を加えている。
「まだ友人なら、あの人と付き合うな」は、自分が誰に会うかだけを決めていない。友人とタンの間まで接収しようとする。「あの人のいる集まりへは行かない」は、自分の側を引くに留まりうる。違いは言い方の優しさだけではない。
条件文という形だけでも決められない。「また殴ったら去る」は自分を守る退避で、「反対してよいが、また罵るなら会話を離れる」も異論の道を残しうる。「またこの件を言うなら、今後頼るな」は違う。援助停止を発言を押さえるために使えば、境界の説明だけではない。
当時へ戻るべき言葉もある。「転居後はもう連絡してこないで」は、連絡を終える自分の決定かもしれず、決心前に支えを断つと脅して引き留める手段かもしれない。先に嫌だと言ったのは誰かでなく、何をするための撤回かを見る。正確な情報の提供と、便乗した圧力や孤立化も混同できない。
去る時の「誰も損せず、あなたにもよい」は、一見立派だが、相手の理解まで終えている。自分には必要な道でも、残る人の損失と意味は、本人が理解する余地を要する。
「職場の近くに住みたい」は自分の予定、「どうせあなたも気にしていない」は相手の心を語る。自分の理由を知らせられるが、相手が何を得て何を失うかまで宣言する必要はない。感謝があっても、代弁の正確さは保証されない。
連絡を絶つことと、相手をなお人と認めることは両立する。軽んじていない証拠に番号を残し、いつでも再開を許す必要はない。「付き合わない」を「誰とも付き合う価値がない」へ広げないことは別の話だ。
去ってもタンは料理できる。技はシェンの所有へ戻らない。いつも決めてもらえるという九年の習慣も残り、緩むのに時間がかかるかもしれない。助けも困難も残り、連絡の断絶は消しゴムではない。
下階の高齢者もいる。九年間の野菜はその生活へ入った。二人の別居で第三者の状況は消えない。誰が届け、どうつなぐかを関係する人が考え直す必要があり、「別れた」で全部清算はできない。
早めに知らせ、説明し、鍵と必要な情報を渡せば、後もつなげる。引き継ぎは詳しくてよいが、受け取る人が改め、使い、やめられる配置にしたい。毎週誰が何を何時に買うかまでシェンに固定すれば、人は去って指令が場所を占め続ける。
逆に、高齢者宅の鍵を去り際に渡さずにおくことは、退出だけではない。後の人が続けにくくなる別の行為だ。自称の意図だけでなく実際に何をしたかを見る。退出そのものの不便と、足した障害は分けなければならない。
頼る人がいるから永遠に帰る義務があるのでも、去れるからその頼りを最初からなかったことにしてよいのでもない。両方を保てば、過去を否定せずに終えられる。
最後に残るのは円満な結論でないかもしれない。タンの技、シェンが後で聞き取った一言、なお野菜を届ける呼び鈴だ。同居は続かなくても、各人に生き直し、理解し直す道がある。関係はここで終えても、人の判決まで終える必要はない。
原論文へ
七篇の本論は原論文一〜七に対応する。案内は第零篇に基づき、この関係論の問いの立て方と、哲学の伝統との対話の一部を紹介する。八篇とも一般の読者に向けた完結した散文であり、すべての技術的論証を段落ごとに訳したものではない。日本語は中国語の散文を基に独立して書き直し、各篇に原論文へのリンクを付す。私的な人間関係の議論は、法律上の要請、安全のための支援、当事者自身の語りに代わるものではない。すでに成立した制度上の規則を置き換えず、留まるか、去るか、連絡を再開するかも代わりに決めない。