一 四十メートルを隔てた二本の鋲
浙江省長興県の市街地を出たところに、石灰岩の斜面がある。斜めに顔を出した岩層が、幾重にも重なっている。下から上へと読んでいけば、二億五千万年余り前のある時期が読める。ここは煤山。この斜面には、二本の鋲が打たれている。
一本は、第十四篇の大絶滅に近いペルム系・三畳系境界を定める。正式な境界点と主要な絶滅層準は近接しているが、同じ定義ではない。2001年、国際的な承認を経て、煤山の断面がこの境界の世界標準になった。
もう一本は、そのすぐ下にある。ペルム系最後の階、チャンシンジアン階の下限を定める鋲で、二〇〇五年に承認された。年代表にはいくつかの階級がある。大きいほうから、界、系、統、階。
主要な単位では階がいちばん小さく、一つの階はふつう数百万年に当たる。この篇では、階が最小で、統は階より大きいとだけ覚えておけばいい。二本の鋲のあいだには、四十数メートルの岩層がある。
この二本は、何を目印に打たれているのか。それぞれ、ある種類のコノドントが初めて現れる層だ。コノドントとは、はるか昔に絶滅した動物が残した、小さな歯のような部品である。大きさは一ミリに満たないものが多く、顕微鏡で見る。ペルム系と三畳系の境界を定める種は Hindeodus parvus、チャンシンジアン階の下限を定める種は Clarkina wangi という。
一つの地質時代の始まりが、一ミリにも満たない歯によって定義されている。
こういうものを、ゴールデンスパイクと呼ぶ。第十篇で、その仕組みを見た。年代表の境界を定義するのは、数字ではなく場所だ。世界のどこかに実在する岩壁、その上の特定の一点である。数値年代は後から測る。測り方が進歩すれば数字は変わるが、その点は動かない。
名前の由来にも、少し触れておこう。一八六九年、北米初の大陸横断鉄道がつながったときに打ち込まれた、記念の金の犬釘から借りた名だと説明されることが多い。ただ、最初に誰が、どの論文でこの呼び名を層序学へ持ち込んだのか、確かな出典は見つからなかった。
もっと実際的な話をすると、現地の「金」の鋲は、真鍮製の大きな鋲や標識であることが少なくない。銅の銘板だけという場所もある。承認済みなのに、現場にはまだ何もない境界も多い。国際層序委員会自身、碑を建てたり鋲を打ったりする式典は、承認から一〜三年遅れることがあると説明している。
第十四篇にも、同じ斜面が登場した。海でできた炭酸塩岩の層のあいだに、火山灰が密に挟まっている。その灰には直接年代を測れる鉱物が含まれるからこそ、ペルム紀末の絶滅の時期を、狭い時間幅へと絞り込めた。同じ斜面が、年代を測る場所であり、年代を定義する場所でもある。
中国のゴールデンスパイクは全部で十一。そのすべてが南方にあり、浙江、湖南、広西、湖北、貴州に分布する。煤山だけで、そのうち二つを占める。いまは地質公園となり、斜面には拡大した化石の模型が立っている。本当の目印は、顕微鏡がなければ見えない歯なのだが。
ここで、この篇を通して使う区別を一つ置いておこう。後の七節は、すべてこれを踏まえて読む。煤山のあの斜面では、性質のまったく異なる三つのことが行われている。
第一に、その岩層に Hindeodus parvus があるかどうか。これは観察だ。試料を顕微鏡にかけて数える人がいる。数えられるし、別の人も同じ作業を繰り返せる。
第二に、このコノドントの初出を世界のほかの地層断面でも見分けられるか、火山灰の年代や炭素同位体の変化と対応づけられるか。これは方法についての判断だ。経験も比較も要るし、覆されることもある。
第三に、条件を満たしたいくつもの候補層のうち、どれを三畳系の正式な始まりと宣言するか。これは標準化のための決定だ。委員会が投票で決める。
言い換えよう。もし明日、煤山の境界より五メートル下からも Hindeodus parvus が見つかったら、第一の事柄は変わる。第二は計算し直しになる。だが第三まで、自動的について動くわけではない。三畳系の始まりは、もとの層のままだ。
これは仮の話ではない。第十篇で見たように、カンブリア系の下限を示す鋲は、もともとある虫が掘った巣穴の跡が最も低い位置に現れる層を基準に定められた。ところが二〇〇一年、その鋲から三メートル余り下と、四メートル余り下でも、同じ巣穴の跡が見つかった。鋲は動かなかった。
この三つは、互いの代わりにはならない。 年代表は人がつくったものだ、というとき、言っているのは第三のことだ。第一と第二は、相変わらず観察と検証である。この先で「構」と呼ぶのも、すべて第三の層のことだ。コノドントが偽物だと言うのでも、どの層の上にどの層が載るかを好きに並べてよいと言うのでもない。
この篇でも繰り返し使う、本シリーズの三つの言葉を、ここで置き直しておく。人が言葉を交わし、比較するためにつくる仕組みを、構と呼ぶ。その構に収まりきらず、それでも消せない部分を、余項と呼ぶ。そして構をつくる行為を、鑿と呼ぶ。一本のゴールデンスパイクは、この「鑿」という字が、もっとも文字どおりの姿で地面に降り立った例だ。
では、なぜわざわざ、連続する時間に切れ目を入れるのか。
世界の地質学には、互いに重ならず、途中に隙間もなく、どこでも共用できる座標が必要だからだ。境界をただ「何々という出来事のあたり」としておけば、地域ごとに同じ名前の始点がずれてしまう。二人が「前期三畳紀」と言っても、同じ時間を指さなくなる。一点を下限と決めれば、名前の問題が、実行できる地層対比の問題に変わる。手元の地層をその点に照らし、対応がつけば境界より上だと判定できる。
ある地質学者は、早くからこの事情を明快に述べていた。地質時間そのものは連続している。どこで区切るかには、つねに取り決めの要素がある。そして標準化の利点はまさに、いったん合意すれば、境界をめぐって何度も争わずに済むことなのだ。煤山の四十数メートルの岩層に何があるかは、投票で決まったのではない。どの層に鋲を打つかは、投票で決まった。
二 百二の位置と、水没した一本の鋲
鋲の承認までには、小委員会が作業部会を設け、候補断面と指標を比べ、その提案を投票にかける。ICSのGSSP手続きの説明では、投票権を持つ委員の六割を超える支持が必要だ。二十人なら最低十三票であって、十二票ではない。その後にも承認段階があり、一回の投票で全手続きが終わるわけではない。
通れば国際層序委員会に送られ、執行役員と各小委員会の委員長が、もう一度投票する。ここでも通って初めて、国際地質科学連合の執行委員会へ提出される。その承認を受けて、ようやく正式な国際標準になる。承認後には正式な論文が出るが、現地の標識は、さらに一〜三年待つこともある。
冷却期間もある。新しい単位やゴールデンスパイクが定まってから十年間は、変更案を出せない。
候補の断面に求められる技術的な条件も細かい。境界の近くに明瞭に観察できる指標があること。十分な厚みがあり、堆積がなるべく連続していること。地殻変動や変成作用の影響が少なく、長期にわたって現地へ行けて、研究できること。補助的な目印も複数そろっていることが望ましい。いまゴールデンスパイクに求められるのは、もっとも劇的な出来事ではなく、もっとも頼れる世界の基準点だ。その二つは、同じ層にはないことも多い。では、全部で何本打つ必要があるのか。
近年の国際年代層序表に従えば、顕生代には、階に当たる枠が百一ある。そこへ後期更新世に当たる、まだ正式名称のない位置を加えると、下限を決めるべき位置はおよそ百二。そのうちゴールデンスパイクがあるのは、約八十一だ。
二十一は、まだ空いている。先カンブリア時代に当たるエディアカラ系下限の一本も加えると、表の上で承認済みのゴールデンスパイクは約八十二になる。国際層序委員会がこの登録簿を管理し始めたのは一九七七年。計算すれば、平均して年に二本も打っていない。
一本に、どれだけ時間がかかるのか。期限はないし、平均値もない。白亜紀のカンパニアン階境界作業部会は、二〇一七年の夏に再編された。当初は早く仕上がると思われていたが、承認されたのは二〇二二年十月だった。再始動してからだけでも、五年である。
同じ白亜紀のベリアシアン階は、もっと長い。二〇二〇年の案は白亜紀層序小委員会を通らず、二〇二一年二月に新しい作業部会が動き始めた。二〇二五年までにオンライン会議を約二十五回開き、二〇二六年になってもなお、候補となる指標や断面を評価し直している。案が退けられるとは、もう一度投票すればよいという話ではない。最初からやり直すこともある。先カンブリア時代には、別の制度が使われてきた。
太古代と原生代の大部分では、広く豊富に見つかり、大陸をまたいで精密に対比できるような化石帯が、長く不足していた。そこで国際的な尺度では、その巨大な時間を数値年代で直接区切った。二十五億年前をこの境界、十億年前をあの境界とする。大きく、きりのよい数字だ。これを国際標準層序年代という。
ゴールデンスパイクとの違いは根本的だ。国際標準層序年代は「年代が境界を定義する」。その数字そのものが境界である。ゴールデンスパイクは「物質上の点が境界を定義する」。断面上の一点こそが境界であり、数値はその点に与えた年代の較正値にすぎない。
だから年代測定法が更新されれば、ゴールデンスパイクの数値年代は変えてよい。境界そのものは動かない。二〇二六年六月版の国際年代層序表でも、アニシアン階、オレネキアン階、ウーチャーピンジアン階の下限について、それぞれ数値年代が調整された。同時に、こうした較正とゴールデンスパイクの定義とは、別のものだと説明されている。
きりのよい年代への批判は、単純明快だ。安定はしているが、観察できる地質の変化と何の関係もないかもしれない。だから現在の大きな方向は、純粋な数字だけの境界を、対比可能な岩石記録にできるだけ置き換えることにある。エディアカラ系下限には、すでに確立した先例がある。クライオジェニアン系の小委員会も、「岩石に基づく下限のゴールデンスパイクを定め、従来の純粋な年代境界を置き換える」ことを、いまなお中心課題に掲げている。
鋲は動くことがあるのか。ある。広西の来賓、紅水河のほとりに、蓬萊灘という地層断面がある。二〇〇四年、そこがローピンジアン統下限の世界標準点として批准された。ローピンジアン統は、ペルム系の最上部に当たる。その後、下流の黔江に大藤峡の水利施設が建設され、貯水による水位上昇が来賓まで及んだ。鋲は一年中、水の中に沈むようになり、「長期にわたって到達でき、繰り返し研究できる」という条件を満たせなくなった。
そこで国際作業部会は、もとの断面の岸辺で別の地層を探し、さらに柳州郊外の鳳山断面を標準補助断面に定めた。二〇二三年七月二十四日、国際地質科学連合は、この移転を承認した。国際標準が一つ、貯水池に沈められたのだ。
これだけではない。シルル紀のアエロニアン階とテリチアン階の二本は、二〇二四年、そろって新しい参照断面に移された。国際層序委員会は、その年の年代層序表における重要な更新の一つに、この移転を挙げた。もっと以前には、同じ断面の中で層を移した例もある。シルル系の下限は、もとの指標では対比がうまくいかなかったため、同じ断面の別の層へ移されたことがある。
移さないまま、朽ちてしまう危険もある。フランスにあるセノマニアン階のゴールデンスパイクは、承認から二十年余りたっても、現地の保護が十分ではなかった。
そのため、承認済みのゴールデンスパイクも定期的に見直すべきだ、と唱える人がいる。氷床コアやボーリング試料を使った「点」に至っては、恒久的な標識を取り付けることさえ難しい。制度そのものが水漏れしているような話だが、もう半分もある。
一つの露頭が損なわれても、世界の年代区分まで無効になるわけではない。対比を本当に支えるのは、最初の定義、正式な記載、補助断面、複数の生物学的・化学的指標、そしてその後の較正の網だ。ゴールデンスパイクの一点は、名前を最終的につなぎ留める錨であって、使う人が一人残らず自分で触りに行く場所ではない。
ただし逆も本当だ。あまり頻繁に変えれば、名前が落ち着かない。だから六割の賛成という基準も、十年の冷却期間も、単なるお役所仕事ではない。「変えてよい」と「むやみに変えない」のあいだで選び取った位置なのだ。
三 十八票
この制度の性質が、これまででもっともはっきり見えたのは、二〇二四年だった。
人新世作業部会は、二〇二三年十月三十一日に正式な案を提出した。人新世を設け、それに対応する階も提案する。下限はカナダ、オンタリオ州のクロフォード湖にある年縞堆積物のうち、一九五二年を表す層に置く。世界の記録を結びつける主要な指標は、プルトニウム同位体の急増だった。
プルトニウムという元素は、自然界にはほとんど存在しない。二十世紀半ばの核実験で地球全体にまき散らされ、世界各地の堆積物に、ほぼ同時に現れた。年縞堆積物とは、一年に一層ずつ積もり、一枚ずつ数えられる湖底の堆積物だ。木の年輪に似ている。
クロフォード湖の深い水は、表層の水と年間を通じて混ざらない。そのため沈んだ縞は乱されず、一年また一年と積み重なる。案には補助断面もいくつか含まれていた。日本の別府湾、中国吉林省の四海竜湾マール湖、そしてポーランドの泥炭地だ。
なぜ一九五二年なのか。その年、最初の水爆実験が行われたからだ。この作業部会は二〇〇九年から活動しており、内部では早くも二〇一九年に投票を行っていた。三十三票のうち二十九票が、二十世紀半ばを下限として正式化することに賛成した。 ただし最初の水爆実験の年だからというだけではない。堆積物中で対比できるプルトニウムの変化が必要だった。暦上の出来事とコア中の実際の指標を、単純な等号では結べない。
ところが二〇二四年、第四紀層序小委員会での投票結果は、反対十二、賛成四、棄権二。 必要な六割には、遠く及ばなかった。国際層序委員会の執行機関はその後、この否決を確認し、人新世を国際年代層序表の正式単位には加えないと、声明で明らかにした。非公式な用語としては、引き続き使ってよい。
手続きをめぐる争いもあった。小委員会の委員長と副委員長は、投票を始めた過程や実施方法に正式な異議を申し立てた。当時の科学報道も、手続きの適正さをめぐる対立として報じた。委員の任期、誰に採決を開始する権限があるのか、案は十分に審議されたのかといった問題も、争点になった。
最終的に上位機関は結果を覆さず、投票を有効と認めた。正確には、こう書くべきだ。投票手続きに小委員会の指導部から異議が出されたが、上位機関は結果が成立すると判断した。層序学上の理由も、双方に十分あった。
賛成側は言う。二十世紀半ばは、世界の堆積記録に、きわめて同時性が高く、長く保存され、複数の指標で相互に確かめられる信号を残した。放射性核種、とりわけプルトニウムは、従来用いられてきた多くの生物学的事件よりも、地球規模の同時間面に近い目印を与えてくれる。
「人間の影響は、はるかに前から始まっている」という反論には、こう答える。年代層序単位の下限は、その名が指す現象の最初の原因と一致する必要など、もともとない。この点は、ほかのゴールデンスパイクと変わらない。仕事は、もっとも対比しやすい参照層を選ぶことだ。因果の過程は長く続いていても、境界は同時性のある一点に定義できる。
反対側も、二十世紀半ばに地球規模の信号があることは否定していない。理由は別だ。ごく短い最近の堆積物を、従来の「世」と同格の正式単位に格上げしても、地層対比がよくなるとは限らない。
「人間の影響」が始まる時期は、記録ごとに大きく異なる。それをいくつもの時期にまたがる出来事と捉えるほうが、その違いを収められる。逆に一九五二年へ固定すると、通常なら人新世の一部と考えられる、それ以前の多くの影響を、単位の外へ締め出すことになる。
つまり争点は、信号があるかどうかではない。その信号に、国際的な階級体系の正式な一席を与えるべきかどうかだった。
その席は、名ばかりのものではない。通れば世界中の層序学者は、二十世紀半ば以降の堆積物について書く際、その名前と下限に従って年代を示すことになる。通らなければ、誰もが使うのに、表には載っていない言葉であり続ける。
この件を、第一節の二本の鋲と並べてみれば、違いは明瞭だ。煤山の二本で争ったのは、どの層に打つかだった。人新世で争ったのは、そもそもこの表に、その枠を設けるかどうかだった。
第一節で置いた区別の、まさに実例である。プルトニウムの急増があるかどうかは、観察。その信号で世界の地層を対比できるかどうかは、方法の判断。そしてそれを「世」にするか、一つの出来事とするか、それとも非公式な呼び方にしておくかは、データだけでは決まらない。決めたのは十八票で、そのうち十二票が、否と言った。
「科学は社会的につくられる」と大ざっぱに言うより、こちらのほうが、ずっと正確だ。年代層序表は、証拠に制約されながらも、標準化の決定を集団で行う必要のある制度である。 証拠によって、多くの案を退けることはできる。しかし退け続ければ、唯一の答えが残るとは限らない。最後に残る一歩は人が踏む。しかも、定められた票数に従って踏まなければならない。
四 一本の樹、一枚の表
第二の構は、生命の樹だ。いまのこの樹の姿は、異なる二つの仕事が、順に重なってできている。
最初は、一七三五年のリンネの『自然の体系』。初版は驚くほど薄く、十数ページしかなかった。彼は自然界のものを、入れ子の階級に組み込んだ。界、綱、目、属、種。一つの中に、また一つが入る。門と科は後から加わり、今日おなじみの「門・綱・目・科・属・種」になった。
ただし当初の役目は、共通祖先を復元することではない。見分け、名をつけ、並べることだった。植物学では、リンネ自身が二つを分けていた。同定に便利な体系と、求めてはいるがまだつくれない「自然な体系」だ。後には、彼が固定した少数の階級に教条的にこだわったと言われることも多かったが、新しい歴史研究は、それを正確な理解とはみなしていない。彼にとって階級は、情報を整理する実用的な手段だった。
第二の仕事は、二百年以上後になる。一九五〇年、ヘニッヒがドイツ語で一つの考え方を体系的に示し、一九六六年の英語版がそれを英語圏へ押し広げた。中心となる変化は、分類は共通祖先の関係を表すべきだ、ということだった。
理想的な自然分類群とは、一つの祖先と、その子孫のすべて。一つたりとも取りこぼさない。これを単系統群という。形が似ているかどうかや、どちらが「一段上に見えるか」でまとめるのではない。
この規則が生む結果として、もっともよく挙がる例がある。この基準なら、「魚」は適格な分類群にならない。すべての魚の最終共通祖先と、その子孫を残らず数えれば、陸にいる四本脚の動物も入れなければならない。「魚」という名前が自然分類群を指すのをやめるか、それとも四肢動物まで含めるか、どちらかになる。
第十七篇のあの一文は、同じ規則を別の側から言ったものだ。鳥は恐竜の遠い親戚ではなく、恐竜の中にいる。すると、伝統的な「爬虫綱」も資格を失う。鳥を入れるか、自然分類群ではないと認めるか。こうした座りの悪さは、分類学者の難癖ではない。数百年前に決まった名前へ一つの規則を当てはめれば、必ず生じる摩擦なのだ。
一九六五年には、第三の仕事も加わった。タンパク質や核酸の配列は、進化の歴史を記した文書である、という考えが正式に打ち出されたのだ。変わったのは、「樹」という幾何学的な枠組みではない。何を証拠に樹をつくれるか、どのようにその樹を推定するかだった。三つが重なったところで、問題が現れる。
十分に解きほぐされた樹なら、どこまでも枝分かれできる。何段分かれてもかまわない。ところが「門・綱・目・科・属・種」には、六、七段しかない。
ある分類群がたまたま起こした事故ではない。構造的な衝突だ。樹の形と、階級を並べた表の形は等しくない。姉妹関係にある二本の枝は、樹の上では対等である。ところが片方は後に何千種にも分かれ、もう片方には三種しか残らなかったとする。樹なら同格だが、表なら誰かが、どちらを綱にし、どちらを科にするか決めなければならない。だから単系統性を厳密に貫けば、出口はたいてい三つになる。伝統的な分類群の範囲を変える。大量の中間階級を追加する。あるいは、いくつかの階級を手放す。
一九九〇年から、二人の研究者がこの第三の道を提案し始めた。名前をある系統群に直接結びつけて定義する。たとえば、「甲と乙を含む最も近い共通祖先と、その子孫のすべて」とする。先にどの階級でなければならないかを決めない。この考え方は、後に正式な系統命名規約となり、実際に登録して使えるものになった。
従来の動物命名規約や植物命名規約とは、並行して存在する別の体系である。すでに制度となり、登録もでき、影響も明らかにある。ただし従来の規約と同じように、広く一律に適用される地位を得たわけではない。
反対意見は五つに分かれ、どれも中身がある。樹の仮説が変われば、分岐点で定義した名前の範囲は、大きく飛び移るかもしれない。階級をなくせば、「綱・目・科」のように長年培われた、すばやく見当をつける手がかりを失う。
何百年分もの名前をすべて新しい定義へ変換すること自体が、もう一度、不安定さを生む。化石の樹上での位置が定まらなければ、定義が頼る参照点まで動く。二つの規約が共存すれば、意思疎通の手間も増える。
支持する側は、こう答える。伝統的な体系でも、樹が変われば名は変わる。そもそも階級のあいだには、統一された生物学的な尺度がない。だから争っているのは、「安定か、不安定か」ではない。名前の階級上の位置を安定させるべきか、それとも名前が指す系統群を安定させるべきか、なのだ。
名前の境界を変えた言葉もある。一九七九年、冠群、幹群、総群という一組の用語が確立された。冠群とは、いま生きている構成員の最終共通祖先と、その子孫のすべてをいう。
幹群とは、その祖先より早く枝分かれし、いまは子孫を一つも残していない近縁の群だ。両方を合わせて総群という。第二十篇では扇にたとえた。扇の柄より上が冠群、柄より下で途切れた枝が幹群である。 ただし、その冠群がほかのどの現生群よりも近縁であることが条件だ。先に分岐した絶滅枝がすべて、その幹群に入るわけではない。
分類は、一つの名が冠群だけを指すのか、それ以前の幹群も含むのかを明らかにしなければならない。冠群は現生成員の最終共通祖先と、その全子孫からなるので、絶滅種も含みうる。厳密な冠群定義は従来の成員を外すことがあるが、「今生きているものだけ」という意味ではない。
この言葉が変えるのは、ラベルの数ではない。名前の境界が何を意味するかだ。ただし、解決していないものも明記しておこう。幹群そのものは、ある冠群との関係で定義する側系統的な集合である。化石の樹上での位置が動けば、幹群としての身分も動く。樹はいくらでも枝分かれできるのに、表には六、七段の枠しかない。樹を表へ収めれば、どこかで無理に押し込むことになる。
五 樹では足りなくなるとき
もっと厄介なことがある。そもそも一本の樹ではない歴史もあるのだ。
第二篇で見たように、生命の樹の根元は、遺伝子の水平移動にかき乱され、樹として描くことさえ難しい。それは根元に限らない。交雑、組換え、系統間を横に流れる遺伝子。こうしたことは、厳密な二又の分岐では表せない。
そこで発達したのが、系統ネットワークだ。紙に描けば、樹との違いは一目でわかる。樹の線は分かれるばかりで、二度と合流しない。ネットワークでは、一度分かれた二本の線を、弧で再び結べる。その弧が描くのは、交雑であったり、ある遺伝子の一部分が一方の系統からもう一方へ移った出来事であったりする。
「森」もある。この言葉には二つの使い方がある。一つは、遺伝子が違えば得られる樹も違い、研究者が最初から向き合うのは一本ではなく、何本もの樹の束だ、という使い方だ。
クマのゲノム研究は、そのまま実例になる。ゲノムを区切り、部分ごとに樹をつくると、得られるのは一本ではなく、ひと束である。理由は二つある。
一つは、祖先集団にもともと複数の型の遺伝子があり、枝分かれの際にどの系統へ渡るかには、偶然も働いたこと。もう一つは、分かれた後にも交雑が起き、遺伝子がまた戻っていったことだ。
この二つが重なれば、多数の座位が、それぞれ別の樹を支持することになる。「森」のもう一つの使い方は、より形式的だ。互いに交わらない複数の樹に、それらをつなぐ弧を加え、異なる系統どうしの網状の関係を表す。
「森」が表しているのは、絵柄の違いではない。歴史そのものの不均質さだ。 「環」もある。二〇〇四年には、真核生物について「生命の環」が提案された。二つの祖先ゲノムが一つの系統へ合流する関係を、環で表したものだ。第五篇で見たあの取り込みは、樹では描けない。樹は分かれるだけで、合流できないからだ。これは特定の深い系統関係についてのモデルであり、生命全体を環に描くべきだという主張ではない。そのデータや推論の方法は、後に批判も受けている。
では、普遍的な一本の生命の樹を、いつ手放すべきなのか。答えはかなり明確だ。異なる遺伝子、過程、階層が、もともと同じ樹状の歴史を共有していないのなら、「一本の樹」を守るために、あらゆる型を同じトポロジーへ押し込まなくてよい。問いが違えば、正当な表現の仕方も違ってよい。
樹が失うのは、無条件の普遍性であって、有効性ではない。 垂直遺伝が中心となる数多くの局所的な問題では、樹はいまも効率よく働き、検証できるモデルだ。ただ、使う前に一つ聞けばいい。この問題の歴史は、樹の形をしているだろうか。
この樹には、数えるための単位も付いている。そしてその単位も、つくられたものだ。第一節の三つの層は、ここでも通用する。人が単位を定めたからといって、それを使って数えたものが偽物になるわけではない。以下の数段落も、その区別に沿って読んでほしい。
種の概念や境界を引く基準が違えば、同じ生物の連続体を切り分けて得られる種の数も変わる。属では、さらに顕著だ。属の範囲は、研究の伝統が違えば、分類群が違えば、同じではない。一つの属にどれほどの違いを含めるべきかを定める、統一理論はない。第二十二篇の三十五属が、そのまま例になる。一つは統合されて消え、一つは属ごと類人猿の名簿から外され、一つは新たに切り分けられた。
統計の単位がつくられたものだからといって、統計まで無効にはならない。 必要なのは三つの具体的な仕事だ。分類をどう行ったか明示する。属と種の二つの水準で、結果がどれほど変わるかを比較する。そして名前の改訂と、本当の多様性の変化とを分けて数える。属のデータで種の傾向を代用できるかどうかは、個々のデータが決める。
顕生代の多様性曲線は、こうして何度もつくり直されてきた。最初の版は、海生無脊椎動物のデータベースからつくられた。その形は、前期古生代に急増し、中生代から新生代に再び広がり、そのあいだに大絶滅の谷が何度か挟まる、というものだった。
二〇〇一年以降、もとの分類群の数と採集の強度が強く結びついていると指摘され、抽出を標準化する処理が行われた。すると、曲線の山や谷の一部も、長期的な傾きも変わった。さらに後には、採集地点の空間的な偏りが処理され、世界の曲線に見える古生代の山の一部、とりわけペルム紀の山が、大幅に弱まるとわかった。ある時代について、より多くの地域で採集したことと、その時代の世界に本当により多くの分類群がいたことは、別の話だ。
ただし補正しても、顕生代が一本の水平線になったわけではない。大絶滅による減少、その後の回復、中生代から新生代にかけての広い拡大は残った。だからもっとも堅実な結論は、どちらにも言い切りすぎないことだ。「ずっと単調に増え続けた」は強すぎる。「補正すれば長期的な増加などまったくない」も、強すぎる。
曲線の下には、もう一層ある。いまの曲線は、公開された古生物データベースから描かれる。そして、その中の一件一件の記録は、どこかの論文から来て、誰かが入力したものだ。
だから一本のデータベース曲線には、四つのものが同時に入っている。もとの地質記録、論文が発表されてきた歴史、分類の改訂、そしてデータベース自身の規則。出典を公開し、文献をたどれるようにし、複数の人で照合するのは、個人の主観を一層ずつ抑えていくための手段なのである。
最後に、きわめて現実的な問題がある。この樹は標本の上に立っている。その標本を誰が持っているかは、ひどく偏っている。
植民地時代、大量の模式標本や比較の鍵となる標本が、ヨーロッパや北米の大博物館へ入った。後の比較資料や歴史的文献も、そこへ集中した。だから今日、不法な採集が起きなくなったとしても、研究者がある論文の根拠となった標本を再調査できるかどうかは、なお旅費、ビザ、研究費、収蔵品の公開状況に左右される。個人のコレクションが売られ、失われ、あるいは閲覧を禁じられれば、そのつながりは切れる。
古生物学で結果を確かめ直せるとは、「恐竜をもう一頭つくる」ことではない。別の人が、その標本をもう一度取り出して見られる、ということだ。
六 一列の行進
第三の構は、「生命の歴史」という語り方そのものである。一九六五年、アメリカの一般向け自然叢書から、『初期人類』という一冊が出た。編集責任者はクラーク・ハウエル。
本には、何ページにもわたる折り込み図があった。ルドルフ・ザリンガーの描いた『ホモ・サピエンスへの道』だ。十五の姿が左から右へ並び、最後が現代人になっている。
最初の五つは、プリオピテクス、プロコンスル、ドリオピテクス、オレオピテクス、ラマピテクスだった。
すべて中新世のもので、しかも第二十二篇で、このうち四つを取り上げたばかりだ。 プロコンスルは二〇一五年に分割され、ルシンガ島の資料の大半が新属へ移った。古い属名の範囲は、ごく狭くなった。ドリオピテクスの属の境界は、何度も広がり、縮んだ。いっときは各地の資料を抱え込んだが、いま指すのはヨーロッパの小さな一群だけだ。
オレオピテクスは、イタリアの島で極端に特殊化した系統で、系統樹上のまったく異なるいくつもの場所に置かれてきた。ラマピテクスは一九八二年、そっくりシヴァピテクスへ統合され、属名がなくなった。
先頭のプリオピテクスはどうか。大きな一群、プリオピテクス類の名のもとになった属だが、現在の分類では、この群は類人猿とサルが分かれるよりも前に分岐した。第二十二篇には、二〇二四年に類人猿の名簿から外された属が出てきた。その移し先が、この群だった。行列の先頭は、類人猿ではない。 もとの図には、後に切り落とされたものが、ほかにも二つあった。
一つは、上部に描かれた色つきの時間帯。それぞれの群が存在した年代と、その長さを示していた。その帯自体が、行列とは逆のことを語っていた。複数の系統は同時に生きていたのであって、一つが退場してから次が登場したのではない。
もう一つは説明文だ。そこには、かなりはっきり書かれていた。オレオピテクスは「おそらく傍系の枝」であり、パラントロプスは「進化の行き止まり」である、と。
一方、ラマピテクスの欄には、現在、一部の専門家はこれを人類最古の直系祖先と考えている、とあった。十七年後、その属は存在しなくなった。
後に広まった版では、時間帯が消え、文章が消え、十五の姿は五つか六つに切り詰められた。残ったのは、かがんだ姿から直立へ、小柄から大柄へと並ぶ、一列の身体だけ。原作にあった「これは傍系」「これは行き止まり」という断りは、一言も残らなかった。
その列は、広告、漫画、さまざまなポスターで何度となくまねされ、もとの説明からますます遠ざかっていった。この視覚的な慣習を、そのまま誤った進化の図像学と呼ぶ人もいる。
誰か一人の不注意ではない。ある視覚の文法が、文章を押しのけたのだ。そして、その文法の効果は測れる。
二〇〇八年、中等教育から大学までの生物学教科書三十一冊について、進化の図が分析された。後の論文では、この調査について次の数字が報告された。明らかな線形の要素を含む図は、中等教育用の約六七%、生物学専攻でない学生向けの大学入門書の約五〇%、生物学専攻向けの大学入門書の約八三%にあった。つまり珍しい例ではない。過半数の教科書に、一枚は入っている。しかも、とくに二つの例へ集中していた。人と、馬だ。
馬の列も見ておこう。教科書では馬の化石を、小さいものから大きいものへ一列に並べることが多い。指は多いほうから少ないほうへ。体は犬ほどの大きさから、いまの姿へ。
だが、この歴史の本当の形は、列ではなく茂みである。多くの系統が同時に存在し、大きくなったものも、小さくなったものもいた。三本の指をかなり後まで保ったものもあり、大半は子孫を残さなかった。一列に並ぶあの数例は、茂みから選び出したものだ。
二〇一一年の実験は、さらに直接的だった。百八人の大学生が、それぞれ三種類の図を読んだ。教科書によくある線形の図、階段状に描いた分岐図、樹形に描いた分岐図である。
後の二つは、トポロジーがまったく同じで、描き方だけが違った。線形の教科書図は、「ある種が次の種に変わった」と有意に読まれやすかった。 樹形の図では、その読みがもっとも起こりにくかった。著者たちはまた、生物学の知識が比較的豊富な学生でも、完全には免れないことを見いだした。
つまり方向を感じ取ってしまうのは、批評家の直感ではない。図を読むとき、本当に起きることだ。では、樹に描けば安全なのか。そうではない。
樹のどの分岐点でも、左右の枝は自由に回転できる。それでもトポロジーは、まったく変わらない。紙面の上や右端に、「より後」「ある目標により近い」という意味はない。
今日まで生きている先端は、すべて同じ長さの時間を経ている。ある枝をいちばん右上に描いても、トポロジー上の誤りにはならない。だが目には、順位のように映る。
「傍系」という言葉にも危うさがある。樹のトポロジーとして考えれば、共通祖先から分かれたいま生きている二つの姉妹系統に、もともと本線と脇道があるわけではない。
「幹はここまでまっすぐ続き、ほかは途中から脇へそれた」と見える描き方も、たいていは紙面上の配置にすぎない。特定の冠群を明示して論じるときに限り、「幹」は前の節で見た厳密な意味を持つ。時間の比率にも、同じ問題がある。
地球の歴史を一年に縮める方法には、比率がまったく歪まないという長所がある。一年のどこに位置するかが、全体の時間に占める割合へ、そのまま対応する。この尺度なら、カンブリア紀の始まりは十一月十八日ごろ、恐竜の絶滅は十二月二十六日、中新世の終わり、つまり第二十二篇がたどり着いた場所は、十二月三十一日の午後あたりだ。
問題は、注意の向き方にある。数十億年が最初の数か月へ詰め込まれ、身近な最近の出来事は、十二月の最後の数日、さらには最後の数秒に山積みになる。一日へ縮めれば、なおさらだ。秒単位の差など、実感しようがない。「人間らしい時間は、真夜中前の一秒しかない」と覚えても、それ以前の時期どうしにある巨大な隔たりは、忘れてしまうかもしれない。
時間を廊下や一本の縄、校内の道に広げれば、歩く身体によって比率の感覚を取り戻せる。だが、道をどう区切るか、どこに目印を置くか、どこで立ち止まって長く話すかが、また注意を配り直す。一メートル当たりの時間が等しくても、一メートル当たりの物語の重さまで等しいわけではない。
どのたとえなら、歪みがいちばん小さいのか。その結論を出せるような大規模な比較研究は、見つからなかった。
七 三度書き換えた相転移の欄
生命の歴史を一列にするには、もう少し学術的な方法もある。重大な転換の一覧をつくることだ。
一九六五年のあの図は、一般の読者に向けたものだった。対して一九九五年、二人の生物学者が、はるかに本格的な枠組みを打ち出した。「進化における大転換」と呼ばれ、ふつう八項目が挙げられる。分子の複製子から、区画に収められた分子集団へ。
独立した複製子から染色体へ。リボ核酸が遺伝子と酵素を兼ねる状態から、デオキシリボ核酸とタンパク質による分業へ。原核から真核へ。無性のクローンから有性の集団へ。
単細胞から多細胞へ。単独で暮らす個体から、繁殖しない階級を持つ社会へ。そして最後が、霊長類の社会から言語を持つ社会への転換だ。
この枠組みが解こうとしたのは、尺度をまたぐ問題だった。生命の歴史では、それまで独立に複製し、別々に競い合っていた単位が、より大きな単位の一部となり、同時に新しい遺伝や情報伝達の方式が生まれる、という変化が繰り返される。一つの言葉遣いで、染色体、細胞、真核生物、多細胞生物、社会性、言語をつなごうとしたのだ。
後にこの枠組みがもっとも批判されたのも、まさにそこだった。異質なものを、一つの袋に詰め込んでいる。 より上位の部分と全体の関係をつくること、繁殖の仕方を変えること、新しい情報の符号化体系をつくること、細胞内共生が起きること。それらが同じ種類の現象であるとは、とても自明には言えない。哲学分野の総説も、この点を主要な概念上の問題として正面から挙げている。
面白いのは、その後の展開だ。二〇一一年ごろには、この枠組みの再評価に特化した論文集が出た。同じころ、別の研究者たちは、もっと単一の問題へ焦点を絞った。もとはそれぞれに繁殖し、それぞれに選択を受けられた単位が、どうすれば、より高い階層で選択に加われる一つの新しい個体をつくるのか。
もとの一覧より射程は狭いが、判定基準はずっと統一されている。二〇二六年になっても、この種の転換は可逆的なのか、基準をどう定めるか、実験室で実現できるかが議論されている。結論の出た歴史の整理法ではない。いまも動いている研究計画なのだ。
二〇一五年には、当初の著者の一人が、自ら改訂に手をつけた。二十年前の理論を組み立て直すと明言し、すべての候補を同じ基準へ無理に押し込むのをやめた。個体性の転換と、遺伝・情報体系の革新を、切り分けられる二つの次元として扱うようにした。
結果、性は格下げされた。無性クローンから有性集団への移行は、「新しい上位の個体が形成されること」と同じ意味での大転換とはみなされなくなった。その一方で、色素体の細胞内共生による起源が加えられた。
先駆的な一覧が、二十年後、その著者自身によって一項を削られ、一項を足され、判定基準まで入れ替えられた。
二〇二二年には、ある哲学の総説が端的に指摘した。三十年のあいだに、「大転換」という言葉は、いくつもの意味で使われるようになった。基準を明記しなければ、「重大」はすぐに、「研究者がとても重要だと思うこと」へ後退してしまう。だからいまは、そのつど明らかにするほうが確かだ。新しい個体の階層を言っているのか、新しい遺伝体系なのか、新しい協力の構造なのか、それとも大規模な生態的影響なのか。
これは本シリーズに、直接関わってくる。このシリーズにも、同じような一覧があるからだ。
第十篇では、「相転移」を選択の単位が変わるときと定義し、確かめられる三つの問いに分けた。もとは独立に複製できた単位が、独立した繁殖能力を失ったか。適応度を一体として担う、新しい繁殖の主体が生まれたか。下位の単位どうしの対立が、何らかの仕組みによって系統的に抑えられたか。三つとも成り立つときだけ、階層が変わったと呼ぶ。
この三つの問いが覆うのは、一九九五年の一覧の一部にすぎない。 扱うのは個体の階層だけだ。誰が繁殖し、誰が適応度を担うか。情報体系というもう半分には、まったく触れない。だから第六篇の有性生殖は、古典的な一覧では一項を占めるが、本シリーズの基準では該当しない。あの篇では「補強」として書いた。二つの一覧は置き換えられない。このずれは覚えておきたい。
そしてこの基準を立てた後、本シリーズ自身の目次に戻り、三度、書き換えることになった。
第十二篇。構成案では、相転移の欄に「あり」と記していた。三つの問いで一つずつ調べると、陸上進出はどれにも当てはまらない。魚が浅瀬へ入り、植物が陸へ上がり、節足動物が空気を呼吸し始めたとき、新しい、より上位の繁殖個体が組み上がったわけではなかった。
その欄は三行に変わった。選択単位の変化、なし。生態系のフィードバックと地表の状態の変化、あり、しかも強い。環境へ出したものが後の生態的地位の土台となること、直接の物質的証拠あり。
第十六篇。構成案は、ここも「あり」だった。三つの問いで確かめると、「真社会性」全体に対して、ありか、なしかを一括して答えることはできない。ある系統では、働く個体は発生の段階から機能する卵巣をまったく持たず、集団が繁殖者を失っても、元には戻れない。
別の系統では、行動や内分泌によって抑えられているだけで、主な繁殖者が死ねば、産卵を始める個体が出る。その欄は、「ある系統では完了し、別の系統では部分的にしか完了していない」へ変わった。
第二十一篇では「逆向き」の欄を設けた。三つの問いで五候補を調べ、三つを退け、二つが部分的に通過した。
もっと早く、構成案を立てた時点から埋まっていたものもある。当時、「階層が変わる」という言葉には二つの使い方があった。一つは選択単位の変化。もう一つは、「前の層の余項が、次の層の建材になる」ことだ。酸素はシアノバクテリアの廃棄物だった。それが後に、惑星全体の化学環境を組み替えた。
まさに、一九九五年の一覧で批判された、異質なものの詰め合わせだ。第十篇で定義を絞ったのは、二〇一五年の改訂と同じ動作だった。規模が、ずっと小さいだけだ。この種の一覧には、さらに防ぎにくい欠点がある。
「より上位の全体をつくる」変化だけを列挙し、単純化、解体、失敗した連合、長いあいだ上位へ移らない系統を載せなければ、一覧は見た目からして一方向に並ぶ。本シリーズの防波堤は、あえて相転移の起きない五篇を置くことだった。加えて第二十一篇では丸ごと引き算を扱い、第八篇では、多細胞性が独立に生まれた回数は二十を超えたのに、大半はその先へ遠く進まなかったことを書いた。
「子孫を残した転換だけが一覧に載る」という後知恵については、それを定量的に検証した中核となる論文は見つからなかった。言えるのは、「重大」はしばしば、後から振り返って認定されるということだ。
枠組みが自らの基準によって書き換わるからといって、何もわからないわけではない。 歴史科学には、独自のやり方がある。いま残っている痕跡から出発し、それらに共通する過去の原因について複数の仮説を比べ、競合する説明を退けられる、決め手の痕跡を探す。火山灰層、同位体の異常、衝撃を受けた鉱物、骨の病変、分子配列。どれも痕跡だ。
過去の出来事を再演できないことは、その仮説を検証できないことと同じではない。一つの過去の原因は、岩相、生物、化学、磁性という複数の記録に、同時に結果を残す。しかも残る結果は、その原因を立証するのに必要な分より多い。だから後から、新たな検証の手がかりが現れることもある。
八 余項は延長線上にある
ここで、このシリーズ自身へカメラを向けよう。これは第二十三篇であり、最後の一篇でもある。
全部で二十三篇。骨組みは、時間の順に並んでいる。最初の篇は生命の境界を扱い、最後がこの篇だ。二十二篇を一列に並べる。その行為そのものが、四つのことをしている。どの篇にも書かれていない、四つのことだ。
第一に、出来事を選ぶ。三十億年余りに起きたことのうち、二十二の出来事が選ばれ、一篇ずつになった。なぜ色には一篇を割き、嗅覚には割かなかったのか。その選択は、本文には見えない。
第二に、尺度を割り振る。最初の九篇は、生命の始まりからカンブリア紀以前まで、三十億年余りを扱う。後には、カンブリア紀から中新世までの五億年余りを扱う篇が十ある。ほかの三篇は、時間の枠を占めない。二篇は方法を扱い、一篇は最初から最後まで起き続ける、一つの方向を扱う。
平均すれば、前半の一篇が、後半の七篇ほどの時間を受け持つ。地球史を一年に縮める方法には、誰もが気づく欠点がある。最近の出来事が、十二月最後の数日に集中することだ。このシリーズの目次にも、同じ欠点がある。少し軽いだけである。
第三に、どの出来事を因果の鎖でつなぐか決める。大酸化イベントと真核細胞のあいだには、一本の線があるのか。本シリーズは、その線を引いた。だがそれは選んで引いた線であって、証拠の中に勝手に生えていたわけではない。
第四に、現在から振り返り、過去のどの出来事を重要とするか決める。
この四つの動作を切り分けたのは、進化史の語りを研究する、ある学者の一九九二年の仕事だった。彼には、このシリーズにとってさらに重要な言葉もある。歴史の復元とは、ばらばらの証拠を、先後や祖先関係についての叙述へまとめることだ。ただし、その叙述の構造が、証拠に代わって祖先と子孫の関係をつくり出してはならない。
語ること自体が、目的論なのではない。科学のさまざまな分野で、展開していく過程を物語の形に整理する。時間と因果だけがあって、目的も、主人公も、終点もない叙述は可能だ。「歴史」は、最後に誰かが勝たなくても成り立つ。
もう一つ、はっきりさせておきたい。本シリーズは冒頭で、初めて鑿の担い手を人間から外す、と述べた。自然選択が形態の空間を切り分ける。目的も偏見もない。それでも構は閉じきらない。
第一の層では、この言い方が成り立つ。だが第二の層で鑿を振るうのは、一度も人以外に替わっていない。分類する人、投票する人、図を描く人、そしてこの二十三篇を並べた人だ。意図を持たない鑿の担い手がつくった構を、意図を持つ幾人もの鑿の担い手が記述している。
このシリーズはその読み方に抵抗しようとした。五篇では上位の個体性への転移が起きないのであって、何も起きないわけではない。多細胞性は繰り返し生まれたが、すべてが複雑な分業へ進んだのでもない。一篇を丸ごと引き算に充ててもいる。
第二十篇の結びでは、席が空くのを待っていた者などいない、と書いた。第二十二篇で扱ったのは、刈り落とされた圧倒的多数だった。それでも一つ、抵抗しきれないものがある。
第二十二篇は中新世の類人猿で止まり、その後のヒトの枝を展開しなかった。それでも時間順に並ぶ点は、読者に線で結び、その先へ延ばしたくさせるかもしれない。
これは憶測ではない。第六節の実験が示すのも、このことだった。姿を一列に並べると、「一つが次のものになった」と読まれる。二十二篇を時間順に並べるのも、同じ動作だ。尺度がはるかに大きく、図の代わりに文章を使っているだけである。
第六節のあの行進図は、この延長線を実際に描いた姿にほかならない。その最初の五つの姿は、第二十二篇でほとんど扱っている。
このシリーズが止まった場所は、ちょうど五番目と六番目のあいだに当たる。その先の十の姿については、一文字も書かなかった。それでも読者は、その先の列を頭の中で補うかもしれない。
余項は証拠の中にない。ものさしの中にも、モデルの中にもない。延長線上にある。そこで第十六の型。余項は延長線上にある。
これは第十二篇の「余項は順序の中にある」とは、分けて覚える必要がある。あの篇が言ったのは、記録が示す前後関係は、出来事が起きた前後関係と同じではない、ということだった。足跡と骨は、それぞれ違う環境へ口を開く、二つのふるいだからだ。
こちらは記録とは関係がない。順序が完全に正しくても、一列に並べる行為そのものが、読者に方向を与える。そして読者は、その方向へもう一歩進む。前者でずれるのは、並べて得られた順序。後者でずれるのは、並べ終えた後の、その一歩だ。
一年へ縮めたあの尺度で言えば、このシリーズの本編は、十二月三十一日の午後で止まる。残る数時間については、一文字もない。
これも、このシリーズの法則が、シリーズ自身に働いた姿だ。構は閉じきらない。二十三篇では三十億年余りを並べ尽くせず、あの延長線もせき止められない。
余項は消せない。第二十二篇で一文字も書かなかったからといって、その一歩は消えなかった。紙の上から、読者の頭の中へ移っただけだ。十六の余項を広げてみると、おおよそ四つの家に分けられる。
証拠と記録の中にあるもの。証拠の外、ふるいの中、順序の中、二度の刈り込みのずれの中。ものさしと座標の中にあるもの。座標軸の中、枠の形の中、存在しないものさしの中、単位のない量、占められることで動く座標系の中。
説明とモデルの中にあるもの。説明そのもの、互いに還元できない二つの記述、測れないものを測れるものにする行為の中、独立性の中、帰無仮説の中。歴史と語り方の中にあるもの。反実仮想の中、延長線上。
次に何かの結論を読んだら、この四つの家をたどりながら聞いてみるといい。余項は、どの家にいるのか。
ただし、この地図もまた構である。十六の型を四つの家に分けるのは、もう一度選ぶことだ。分け方は変えられるし、家の数も変えられる。そして分け終えれば、分けにくかったものが、重要でないように見えてくる。
構について書いた文章も、それ自身が一つの構だ。 謙遜ではない。具体的な中身のある言葉だ。この篇は三つを選び、「このシリーズが自らつくった構」と呼んだ。そしてほかは選ばなかった。たとえば「種」という単位も、「絶滅」という言葉も、このシリーズがずっと使ってきた数々の比喩も選ばなかった。最後に、あの鋲へ戻ろう。
時間を共同で語るため、人は岩層の基準点を選ぶ。地層の上下関係はもともとあった。鋲が与えるのは、海を隔てても対比できる年代の共通言語だ。ここではこのシリーズの比喩がほとんど文字どおりになる。金槌、真鍮の鋲、岩壁。
鋲の両側の地層が名を失うわけではない。それぞれの側の年代単位に属している。名が尽くせないのは、その数十センチで起きたことや、この点を選んだ理由のすべてだ。境界がくれるのは共通の住所であり、そこでの歴史を読み終えたという保証ではない。
このシリーズも、鋲を二本打った。一本は第一篇に、どこから始めるかを定めるため。一本は第二十二篇に、どこで止めるかを定めるため。二本のあいだに、これらの篇がある。二本の外にあるものが、余項だ。
次の鋲は、第二十二篇が止まった場所へ打たれる。その位置はいま、空いている。百二の枠のうち、まだ空いている二十一と、同じように。
このシリーズは、つねにはしごの外に立って書いてきた。第六節であの行列をほどいたときも、列の外にいた。次のシリーズは古人類を書く。その対象は、まさにあの延長線上にある。外には立てない。
最初の仕事は、第六節で行ったのと同じことになる。行列をほどき、一つ一つの姿が、それ自体として何であるかを見る。何番目に並んでいるかを見るのではない。道具は、このシリーズがもう渡してある。
観察、方法の判断、標準化の決定。この三つの層は、つねに分けておかなければならない。余項には十六の出どころがある。冠群と幹群は、境界を引くための一組の言葉だ。そして、いちばん持っていくべきことがもう一つある。ひと組の姿を一列に並べれば、読者は必ず、こちらに代わってその列を先へ延ばす。
一段落足しても延長線は消えず、先へ動くだけだ。次のシリーズが止まるところにも、続きを誘う線が現れる。新しい点を選ぶときも、その両側の名づけられた地層は、名以上のものだと覚えておこう。
物語はここで筆を置く。岩は残り、樹は枝分かれを続ける。読み終えた今、使ってきた物差しを振り返るだけでもいい。