106 / 108 · 他者と空席
リルケ――美は恐ろしいものの始まり
プラハの子ども、ロダンの工房、ドゥイノの風、ミュゾットの三週間。十年にわたる断続的な執筆の先で、詩は何を受けとめ、何を自分のものにしないでおけるのか。
一 プラハの子ども
一八七五年十二月、プラハ。オーストリア=ハンガリー帝国内の、ドイツ語を話す家庭に男の子が生まれた。最初の名はルネ・マリア。「ライナー」を名乗るのは一八九七年からである。
名前の奥には、もっと語りにくい幼年時代がある。母ゾフィーは、その前年、生後一週間の女の子を亡くしていた。伝記で繰り返し語られるのは、その喪失が息子の生活に落とした影だ。女の子の服、長い髪、人形、女性としての呼びかけ。五、六歳ごろまで、生きている子どもの居場所に、亡くなった子どもが重なっていた。
やがて両親は別居する。一八八六年、少年は軍の学校に入れられた。
そこにも、彼がなるべき人物像が待っていた。ただし今度は、強くあれ、従え、訓練に耐えろ、集団の中で自分の序列を知れ、というものだった。少女の服を着ていた子は、起床ラッパで目を覚まし、軍人になるための型に合わせられていく。
五年間。なじめない生活と不調が続き、一八九一年、健康上の理由でようやく学校を去った。十五歳だった。
外へ出てきたのは、傷ついた、痩せた少年である。誰かに「おまえはこういう人間でなければならない」と決められること。その経験に、彼は鋭く反応するようになった。
母が求めたのは娘で、学校が求めたのは兵士だった。彼は両方の期待を背負った。他人の期待が心の中を占め、自分のための場所がほとんどなくなることを知っていた。
彼の後の仕事の一部を、ここから読むことができる。場所をあける仕事として。
まず自分のために。かぶせられた期待を少しずつ下ろし、その下にいる自分が姿を現せるようにする。そして、出会うもののために。一人の人、一本の木、彫刻、音楽を、自分の期待で先に覆ってしまわない。
二つの動きはつながっている。ただし、傷つけられた経験が、そのまま他人への優しさになるわけではない。傷口から問いが始まることはある。自分がそう扱われたくないのなら、目の前の存在にはどう接すればいいのだろう。
彼は五十一年生きた。借りた部屋、用意してもらった住まい、賃貸の家を移りながら暮らした。支援者の城、友人宅の一室、ヨーロッパ各地のアパート。詩集、一冊の小説、翻訳、そして一万通を超える手紙を残した。
ライナー・マリア・リルケ。
ルネをライナーに変えたあとも、マリアは残った。マリアはカトリックの男性にも用いられる名で、名前だけから母の意図を読み取ることはできない。それでも、残された名に、消されなかった過去を聞くことはできる。自分になるとは、来た道を全部なかったことにすることではない。起きたことは起きた。その先は、まだ書ける。
二 ロダン
一九〇二年、パリ。リルケは二十六歳だった。前年に彫刻家クララ・ヴェストホフと結婚している。出会いは一九〇〇年、ドイツの芸術家村ヴォルプスヴェーデ。二人にはルートという娘がいた。
パリへ来たのは、ドイツの出版社からオーギュスト・ロダンについての本を依頼されたためである。
ロダンは六十一歳、その年十一月に六十二歳になる。パリ郊外ムードンの仕事場には、石膏、粘土、青銅、大理石、完成作と断片が並んでいた。モデル、助手、職人たちもいる。ロダンは見て、形をつくり、素描する。作品の制作を支える手は、彼の手だけではなかった。
リルケは言葉の世界から入ってきた。詩を書き、考え、言い回しを探す人だった。ここでは仕事に、重さや角度や表面がある。
ロダンの秘書になるのは一九〇五年からだ。しかし本当の学びは、封筒の中だけにあったのではない。身体を観察すること、角度を直すこと、断片を組み合わせ直すこと。毎回大きなひらめきを待たなくても、戻ってこられる仕事のリズムがある。
そこで学んだことは、短く言える。ものを見る。
創作はいつも「自分は何を表現したいか」から始まらなくてもいい。目の前の身体や素材に、自分の考えを中断してもらう。この姿勢は本当にこうなのか。この手の何を、まだ見落としているのか。見ることと形づくることが、互いを修正する。完成済みの観念を素材に貼りつけるのとは違う。
たとえば、一本の手。想像の中の「手」ではない。この関節、このしわ、この曲がり、この疲れ。手は一つずつ違う。「手」という分類だけを見ていると、実際の手が見えなくなる。
工房の手、頭部、胴体、さまざまな断片は、その違いを目に見えるものにした。身体全体から離された手にも、身ぶりがあり、重さがあり、長く見つめるだけの何かが残っている。
リルケも試み始める。人だけでなく、豹、木、秋の噴水、教会の薔薇窓。具体的なものに場所をあける詩。後に「事物詩」と呼ばれる仕事だった。
よく知られた「豹」の最初の二連を、ドイツ語からここで訳してみる。
通りすぎる鉄格子に、そのまなざしは
疲れきり、もう何も留められない。
千本の格子があるかのようだ。
千本の向こうには、世界がない。
しなやかで強い足取りが、静かに
いちばん小さな円を回る。
中心をめぐる力の踊りのように。
そこには、大きな意志がしびれて立っている。
題の下には、パリ植物園、とある。入れ替え可能な「豹」の一例ではない。檻に押し縮められた一つの生、その目、その足取りだ。
詩は、さらに先へ進む。瞳の幕がときおり開き、一つの像が入ってくる。それは四肢の張りつめた静けさを通り、心の中で存在するのをやめる。
もちろん、これは詩人の想像でもある。動物の内面が透明に見えるわけではない。それでも、一つの教訓を先に当てはめて、この動物を見る時間を奪うまいとしている。豹に何かを語らせる前に、豹のそばにとどまる。
もののために、場所を残す。
ものには、私が決めることとは別の存在がある。見てから、自分の道具で他人にも少し見えるようにする。ロダンなら造形、リルケなら言葉だ。創作をやめるのではない。創作が独占にならないようにする。
二人の関係には亀裂も入った。一九〇六年五月、私的な通信の扱いをめぐって、ロダンはリルケを解雇する。一九〇七年には文通が再開し、一九〇八年に和解した。亀裂が学びを消したわけではない。やがてドゥイノで、リルケは別の聞き方を学ぶ。工房の音ではなく、まだ形のない詩が来るのを聞くことになる。
三 事物
事物詩の中心には、こういう姿勢がある。世界は具体的なものからできていて、それぞれは、それぞれ自身である。
ふだん私たちは、そうは見ない。あれは木、これはカップ、あそこにいるのは猫。種類を見分け、整理する。これは役に立つ。予測し、計画し、話し合うために、分類は欠かせない。
けれど、分類がまなざしの全部になると、代わりに失われるものがある。
あの木の曲がり方、傷、ある朝の光を受けた一枚の葉。それらは「木」の中に消えてしまう。種類がわかれば、それでもう見たつもりになれる。
詩は、置き去りにした具体性を呼び戻す。
種類を禁じるのではない。種類が目の前のものを完全に代替しないようにする。分類が役目を果たしたあとも、まだ見ていないものがそこにある。
二十世紀初め、この姿勢は近代生活の圧力と鮮やかな対照をなした。科学は一般法則を求め、哲学は体系を築き、工業は働く人と製品を規格に沿って組織する。それぞれに理由がある。しかし効率と分類だけが眼鏡になると、具体的な人やものは、取り替えられる一つの席になりやすい。
リルケの詩は、反対の側へ力を向けた。同じころフッサールの現象学も、経験に現れる事物へ立ち戻ることを求めていた。同じ学説ではない。並べて読むと、こんな問いが聞こえる。すでに知っている答えで、いま現れているものを隠してはいないか。
抽象の下には、具体的なものがまだ残っている。種類の名前だけでは、それを言い尽くせない。
豹、ロダンの工房の手、秋の噴水、薔薇窓、倒れた水差し、スペインの風景のオリーブ。こうした像は、大きな理念の説明に役立って初めて詩に入れてもらえるのではない。
すでに整理された世界の中に、一つずつ居場所をあける。もののところまで届く、迎え入れ方の練習である。
人も詩から消えない。老いた人、孤独な人、病む人、死んだ人。しかし注意は人間のところで止まらない。木も豹も水差しも、名前がわかっただけで見終わったことにはならない。
この楽章で、リルケは人と人の関係の外へも視線を連れていく。この猫は、私の生活の中で「猫」に与えた役割と同じではない。この木は、「木」という言葉ではない。
だからといって、水差しと動物と人間に、同じ主体性や同じ権利があることにはならない。注意力を広げることと、倫理上の区別を消すことは違う。
まずは認める。目の前にあるものは、私の概念だけでは使い切れない。すべてのものに人間のような返事を要求するのではなく、こちらが全部を決めていない場所を残せているか、と問うのである。
四 ドゥイノ
一九一一年。アドリア海沿岸、トリエステ近郊。当時はオーストリア=ハンガリー領、現在はイタリアにあたる。
海を見下ろすドゥイノ城。文学に親しんだマリー・フォン・トゥルン・ウント・タクシス=ホーエンローエ公妃は、リルケの支援者の一人だった。自分の城に、彼が静かに書ける部屋を用意していた。
リルケは一九一一―一二年の冬をここで過ごし、三十六歳になる。『新詩集』とその続編は一九〇七、〇八年に刊行され、事物詩は一つの頂点に達していた。唯一の小説『マルテの手記』も一九一〇年に出ている。パリのデンマーク人青年が、都市、記憶、病気、死のあいだで自分の生を引き受けようとする小説だ。
さて、その先は。
本人にもわからなかった。一つの書き方では、できるところまで来た。何かを待っている。しかし何を待っているのか、まだわからない。
公妃の後年の回想によれば、一九一二年一月、リルケは崖沿いを歩いていた。冬。アドリア海の強い風。崖の下の海。
そこへ声が来る。後に繰り返し語られるこの始まりの物語では、一文が風の中から届いたかのように現れる。
「私が叫んだなら、天使たちの列の中で、誰が聞いてくれるだろう。」
Wer, wenn ich schriee, hörte mich denn aus der Engel Ordnungen?
城へ戻り、書きつける。ここから第一の悲歌が生まれた。一九一二年、ドゥイノで最初の二篇が書かれ、後の部分の芽も残された。
この話の胸を打つところは、到来の感触である。先に伝える内容を決めて、適切な言い方を探したのではない。一文が、まだ歩いていない道を伴ってやってくる。受け取ったからといって仕事が終わるのではない。そこから何年もの仕事が始まる。
重要な詩になる予感はあった。続きを書かなければならない。だが一息には続かない。
スペイン、パリ、ミュンヘンへ移りながら書いた。第三の悲歌は一九一三年、第四は一九一五年に完成する。ほかの部分は断片のままだった。何篇かができていることと、全体をどう終えるかがわかることは、同じではない。
待つ。
一九一四年八月、第一次世界大戦が始まった。リルケ自身も当初、『五つの歌』に戦争への熱を記している。後に恐怖や失望を抱いたからといって、最初から時代の外にいたことにはならない。
召集は一九一六年一月。短い軍事訓練のあと、ウィーンの戦争文書館で働き、同年七月に軍務を離れた。軍隊は昔の傷を開く。ヨーロッパの文化生活も、周囲で引き裂かれていく。
書くことは難しかった。それでも完全に筆を止めたのではない。第四の悲歌は一九一五年の作品だ。欠けていたのは、十篇が一つになるという、その全体だった。
戦後、かつての暮らしは散らばっていた。戦争でパリへ帰れず、住まいと持ち物も失った。クララとは長く別々に暮らし、経済的には支援に頼る。一九一九年、スイスへ来た。帝国の解体は時代の背景であって、彼が落ち着けなかった理由のすべてではない。
静かな場所が必要だった。もう一度、聞こうとできる場所が。
五 十年の待ち時間
戦後のリルケは、友人や支援者に助けられ、スイスの住まいを移っていた。体調も安定しない。最後に命を奪う白血病が診断されるのは、一九二六年である。
詩の仕事が、また進み始めるのを待っていた。
悲歌は、彼にとって途方もなく重いものだった。ドゥイノでの始まりによって、自分が引き受ける仕事ができた。しかし、終わりを意志の力で注文することはできない。すでに完成した詩も本物なら、つながらない空白も本物だった。
抽象的に「霊感を待つ」のではない。三十代から四十代になっていく、一人の人がいる。ある朝、ある机に向かう。始めたことはわかっている。大切なものがまだ完成していないこともわかっている。手放せないが、無理に押しても進まない。
繰り返す動作はこうだ。用意をする。もう一度試す。多くの日には、来ない。
別の仕事もする。時期は異なるが、ミケランジェロのソネット、ルイーズ・ラベの詩を訳した。一九二〇年代にはポール・ヴァレリーが大切な対話相手になる。すべてが一つの空白期の仕事ではない。それでも、自分の中心的な作品が進まないからといって、言葉の仕事全部が止まるわけではないと教えてくれる。他人の文で、手を動かし続けることもできる。
手紙も書く。一生に一万通以上。今もドイツ語の美しい散文として読まれるものが少なくない。現実の相手との関係であり、自分の状態との対話でもあった。
後に『若き詩人への手紙』となる十通は、一九〇三年から〇八年に書かれた。まだ長い行き詰まりを経験する前から、彼は忍耐や孤独、解けていない問いと暮らすことについて、他人に語りかけていた。
読む。ギリシアやイタリアの詩。キリスト教を越えた宗教の世界、『コーラン』。悲歌のために正解を集めるのではなく、呼吸のできる場所を増やしていく。
翻訳し、手紙を書き、読み、待つ。大きな作品は未完成でも、人まで完全に仕事をやめたわけではない。
一九二一年の夏、四十五歳。スイスのヴァレー州、ヴェイラ近くに、ミュゾットという小さな石の塔が見つかった。バラディーヌ・クロソフスカが住まい探しと準備を助けた。支援者ヴェルナー・ラインハルトが一九二一年に借り、一九二二年に買い取り、リルケが暮らせるようにした。
そこで独りになるための場所を得た。クララとルートは同居しないが、他人が暮らしから消えたのではない。お金、部屋、日々の世話、手紙。その静けさの背後には、誰かがあけてくれた場所があった。
秋と冬を過ごす。まだ待っている。
一九二二年二月。声が戻ってきた。
六 ミュゾット
一九二二年二月二日、木曜日。ミュゾットの小さな書斎で、リルケは書き始める。
二日から二十三日まで、およそ三週間。『ドゥイノの悲歌』が、ついに全体として完成する。最初の二篇は十年前から、第三、第四と断片はそのあいだの歳月から来ている。二月の爆発が十年を消したのではない。つながらなかったところが、つながった。
しかも、それだけではなかった。
悲歌とは別の連作がやってくる。同じように長く予定していたわけではない詩。『オルフォイスへのソネット』である。
ギリシア神話のオルフォイスは、音楽によって動物も木も石も聞き入らせる。亡くなった妻エウリュディケを取り戻すため、冥界へ降りる。歌は死者の国の王を動かし、妻を連れ帰る許しを得る。ただし、道中で振り返ってはいけない。出口の近くで彼は振り返り、彼女は消えてしまう。
得ることと失うこと。見ることと、見てはいけないこと。神話にはその痛みがある。しかしソネットは、物語のあらすじを再現するだけではない。若くして亡くなった踊り手ヴェーラ・オウカマ・クノープの記念として、喪失、音楽、事物、生と死を、歌の中で近づけていく。
まず二十六篇のソネット。悲歌が集中的に完成へ向かう時期を挟み、さらに二十九篇。合計五十五篇。
五十五篇のソネットと、完成した十篇の悲歌。六十五篇すべてを同じ二月にゼロから書いたのではない。長い仕事が、短い時間に結晶したのである。
手紙でリルケは、この時の執筆を嵐と呼んだ。文を指揮するというより、文が自分を通って世界へ来るような感覚。だが、それを受けとめられたのは、長く鍛えられた言葉であり、待ち、直し、やり直した手だった。
二月十一日、すでに公妃へ、悲歌十篇が完成したと伝えている。十四日には旧第五篇に代わる新しい第五篇を書く。十一日の手紙には、直後の興奮が残っている。
「ついに、公妃、ついに、この恵まれた、なんと恵まれた日でしょう。私に見えるかぎりでは、悲歌の完成をお知らせできます。十篇です!」
名のつかない嵐、精神の中の暴風。繊維も組織もすべてが音を立てたようで、食事を考えることもなかったという。そして、「けれど今、できた。できた。できた。アーメン」。
Aber nun ists. Ist. Ist. 短い語が続く。起きたことに言葉が追いつかないように。説明はまだない。そこにある。
推敲し、まとめ、刊行する。二つの詩集は一九二三年に出た。彼は四十七歳だった。
ドゥイノで始まった仕事が、他人へ渡せる一つの作品になった。待った時間は空ではなかった。ただし、傑作が完成して初めて人の価値が生じるのではない。胸を打つのは、一人の人が長い未完成にすべてを呑み込まれずにいたことだ。
ミュゾットでさらに数年を過ごす。健康の問題が深まり、一九二六年に白血病と診断される。十二月二十九日、スイスの療養所で死んだ。五十一歳。
一九二五年、墓に刻む言葉を選んでいた。
「薔薇よ、純粋な矛盾、喜び。
これほど多くのまぶたの下で、
誰の眠りにもならないことの。」
Rose, oh reiner Widerspruch, Lust, / Niemandes Schlaf zu sein unter soviel / Lidern.
花びらは重なったまぶたのようだ。しかし、その下には誰かのものと言える眠りがない。薔薇、眠り、誰にも属さないこと。像は近づきながら、一つの説明には収まらない。占有しないことを読み取ってもいい。だからといって、三行の曖昧さをすべて取り上げなくていい。
死ぬ間際に書いた最後の詩ではない。それでも墓石の上で、一生の仕事を開いたままにしている。一つの具体的なものが、一つの解釈では終わらないように。
人は去った。問いは残る。
七 美は恐ろしいものの始まり
ドゥイノの一文へ戻ろう。「私が叫んだなら、天使たちの列の中で、誰が聞いてくれるだろう。」第一の悲歌は、こう続く。
「仮にその一人が突然
私を胸に抱いたとしても、私はその
より強い存在に消え去るだろう。美とは
恐ろしいものの始まりにすぎず、私たちは辛うじてそれに耐える。
それが、私たちを滅ぼすことなど
平然と退けているから、私たちは驚嘆する。どの天使も恐ろしい。」
Denn das Schöne ist nichts / als des Schrecklichen Anfang, den wir noch grade ertragen.
よく引用される言葉だ。何を聞けばいいのだろう。ここまでの「場所をあける」という姿勢から、一つの入口を探してみる。まず中断されるのは、美は私を楽しませ、心地よくするためにある、という習慣である。
春の木が花をつける。見知らぬ人が日差しの中を通る。音楽が広がる。心が動く。その瞬間、私たちは世界を便利に使っているだけではなくなる。
私のものではない何かが現れる。そこにいて、それ自身である。所有できなくても、触れられる。
この経験を、詩はさらに先へ押す。花の木が「きれい」という感想に収まらず、私には配置できない存在として近づいたら。いつもの物差しが、急に役に立たなくなることはないだろうか。
なぜ、それは不安なのか。自分ではないものの確かさは、自分の限界も見せるからだ。ふだんは「自分はここ、世界は外」で足りる。けれど自分と同じくらい確かで、自分を基準には測れないものに出会うと、その配置が揺らぐ。
私たちは名前をつけて扱いやすくする。桜、モーツァルト、美しい人。名前は必要だ。しかし、出会いに動かされる前に分類を終え、知ったつもりにさせることもある。
その包みがほどけるところに、恐ろしさが始まる。
リルケの天使は、安心するための飾りではない。宗教の天使も、そもそも優しく愛らしいものばかりではなかった。悲歌の天使は、人間の尺度をはるかに超えた存在を思わせる。ここでの読み方なら、「私のものではない」が、迎え入れられる限界近くまで押し進められる。
だから、想像された抱擁も恐ろしい。相手に悪意があるとはかぎらない。より強い存在は、私を敵にしなくても、私が世界をつかんでいた仕方を崩しうる。
詩の恐怖は、危険が迫ることだけではない。自分の物差しで何もかもを収められなくなることでもある。「どの天使も恐ろしい」は、そのような入口を開く。詩全体の唯一の正解を与えるわけではない。
それなら、どう生きればいいのか。すべては受けとめられない。しかし、受けとめられないものが、それだけで非現実になるわけでもない。
悲歌とソネットは、いくつもの道を試している。小さなところから始めてもいい。見知らぬ人と話す。愛する人に、自分と同じであることを求めない。自分の経験で、他人の経験を置き換えない。こうした力は、育つことがある。
けれど、怖がる子どもや、傷を負った大人の価値が低いわけではない。成熟した人間と認められるために、恐怖に耐えなければならない人などいない。
境界は必要だ。場所をあけることは、自分を差し出すことでも、害に耐えることでもない。近づいてもいいし、下がり、休み、助けを求めてもいい。受けとめきれないと認めても、それは必ずしも相手の存在を否定することではない。
一生の仕事であって、最後に合格する成熟試験ではない。
十篇の悲歌は場面を移す。愛と幼年時代、死と英雄、曲芸師、動物の開かれた世界、つかの間の人間の生、嘆きと賛美。「立派な大人」の項目を並べるのでなく、難しさを何度も言葉へ迎え入れる。
第十の悲歌は、こんな言葉で終わる。
「私たちは、幸福を
上昇するものと考えているが、心を動かされるだろう。
ほとんど驚きに打たれるほどに。
幸福なものが、落ちるとき。」
幸福は上昇だけではない。下降、喪失、持てないこと、生の一部である死とも出会いうる。どんな苦しみも歓迎せよ、という命令ではない。幸福の像が、少し広くなるのである。
レヴィナスと並べて読むと、響き合うところがある。ただし美に揺さぶられることと、倫理的な責任は同じではない。一方では顔が私の安穏を問う。もう一方では、存在の前で私の尺度が揺らぐ。
「どれだけ支配できるか」だけが問いではなくなる。それでも、一人の人からの要求と、一篇の詩による動揺には、それぞれ違う重みがある。
この連作で聞いてきた声を思い返す。カントは、人を単なる手段にしないために。レヴィナスは、顔の要求を聞くために。ブーバーは、もう一度「我と汝」に入るために。曹植は、憧れを所有へ変えないために。ジラールは、共同の迫害を見抜き、自分の加担を問うために。シェリングは、自分の奥にも簡単に支配できない深みがあると認めるために。エックハルトは、名づけられないものを名前で所有したつもりにならないために。リルケは、迎え入れながら自分の限界も知るために。
八つの言葉。一つの学説ではない。しかし、ここでは近い方向を向いている。
その方向から、穏やかな風が来る。
八 橋の上で
リルケは暗い色のスーツを着て歩いてくる。背は高くない。ひどく痩せている。晩年、五十歳ほどの姿だ。薄くなった髪、短い口ひげ、大きく深い目。
ゆっくり歩く。最後の数年、身体は病んでいた。手には何も持っていない。
この橋では、本を掲げなくてもいい。詩はもう世界に出ている。刊行され、読まれ、ほかの言語へ運ばれている。
それでも彼は聞いている。
頭を少し傾ける。周囲の会話を拾うというより、まだ一文になっていない声を待つ人のように。ドゥイノの朝からの聞く姿勢が、ここでも続いている。
橋の中ほどに来る。人が増えている。星盤を手にしたヒュパティア。向こう側には手ぶらのトマス・アクィナス。杖をつくベルクソン。レヴィナス、ブーバー。曹植は巻物を持ち、ジラールは本を持つ。シェリングには『人間的自由の本質』。エックハルトの両手は空いている。
名を挙げた人だけではない。幾世代もの人がいる。方程式を書く人、トウモロコシを見る人、詩を書く人、星図を読む人、小説を書く人、図面を引く人。しゃがんでメモを取る人、ただ座って遠くを見る人、隣と小声で話す人。
リルケは会釈する。自分の知る時代に近い顔もあるようだ。だが急いで輪に入ろうとはしない。独りで働く部屋に慣れている。その部屋の外では、誰かが手紙を書き、助け、彼の返事を待ち続けてもいた。
橋の中ほどに、立つ場所を見つける。すぐに長い話を始めず、聞いている。
レヴィナスが近づく。「恐ろしいものの始まり」と「無限の責任」は、ここでも同じ一文になる必要がない。二人が認め合うのは、似たような立ち止まり方だ。目の前の存在に向かうとき、自分のいつもの尺度だけでは足りなくなる。
レヴィナスが軽く頭を下げる。リルケも返す。この出会いでは、儀式をうまくこなすことではなく、認める気持ちが身ぶりを見つけたのである。
ブーバーも来る。彼の「汝」は、木でもありえた。自然への道をリルケだけが持っているのではない。完成済みの概念に出会いを置き換えさせたくない、その点で二人は会う。ブーバーが少し笑い、リルケが微笑み返す。
エックハルトが来る。六百年は残る。神学と詩の距離も残る。それでも二人とも、名づけることが簡単でなくなる場所へ言葉を運んだ。エックハルトが両手を合わせて一礼する。リルケも同じ身ぶりを返す。信仰が一致しなくても、承認は届きうる。
遠い橋の端に、カントが立っている。今夜は顔が少しはっきりして、眉のあたりまで見える。
橋の外の別の道には、暗い空と稲妻がある。まだ歩く人がいる。
遠くまで行った人たちは、もう見えない。近いところで、教授の服を着たハイデガーが歩いている。一九四六年の「何のための詩人か」で、彼はリルケを長く論じた。詩は思想を養っても、読む人の行動まで決めない。知的な鋭さは、政治的選択の責任を消しもしない。
リルケはしばらくそちらを見る。書かれた詩を誰が読み、何に使うかは、作者一人で決められなくなる。橋の上のリルケは、後を追わない。
振り向く。ヒュパティアの星盤に月光が返る。穏やかな光だ。
彼が微笑み、彼女も笑う。彼のドイツ語と彼女のギリシア語。ここでは、共通の言葉より先に身ぶりが届く。星盤と詩は、時代の違う二つの道具だ。まだ理解し終えていないものに、それぞれ注意を開いている。
トマスが反対側から来る。六百年以上を隔てて。一人は言葉の境界まで書き、そこで止まった。もう一人は、言葉がどこまで届くかを詩で試し続けた。境界の向こうを同じように考えているわけではない。けれど、すでに言えたことを全部だとはしなかった。
トマスがうなずき、リルケがうなずく。
橋の中ほどに、多くの人。穏やかな月光。
いつも遠くを見ていた人が、ヒュパティアを、トマスを、ベルクソンを、レヴィナスを、ブーバーを、曹植を、ジラールを、シェリングを、エックハルトを見てきた。今度はリルケを見る。
視線が短く出会う。リルケは目を伏せない。何かを掲げもしない。手には何もない。ただ頭を少し傾ける。相手が何かを言うかもしれない、と聞く姿勢をとる。
相手は話さない。それでも何かが届く。音のない承認、互いの存在。私はここにいる。あなたも、そこにいる。
小さくうなずく。小さく返す。
リルケは橋の中ほどにいる。書けたのは、聞こえたものの一部だった。まだほかにあることを知っていた。その一部を渡せば、誰かにも少し聞こえるかもしれない。
仕事は果てしなかった。自分には完成できないと知っていた。それでも始めた。
彼の築いたものは閉じない。詩が読まれるたび、春の朝、誰かが花の木の前で立ち止まり、美しさを感じながら言い尽くせずにいるたび、場所をあけるその身ぶりは、もう一度この世界で起こる。
読書のための注記と出典
生涯と執筆の年表はリルケ財団、秘書の仕事と文通再開・和解はロダン美術館の資料を参照。悲歌は一九一二年から二二年にかけて断続的に書かれた。ミュゾットの独居も友人や支援者の助けに支えられている。
詩と手紙はドイツ語原文から本稿のために訳し、既存の現代訳は転載していない。一九二二年二月十一日に十篇の完成を報告し、十四日に差し替えの第五篇を書く。墓碑銘は一九二五年のもので、臨終の最後の詩ではない。所有しないという読みは、詩の曖昧さを閉じるものではない。
橋、道、天候、時代を越える出会いは文学的想像である。比較は学説の同一視ではなく、事物と人に同一の権利を与えるものでも、成熟のために害に耐えるよう求めるものでもない。一九一四年の戦争詩についてはMonacensia文学文書館の解説を参照。
Fondation Rilke — life and work chronology · Musée Rodin — Rainer Maria Rilke · Rilke — letter to Marie von Thurn und Taxis, 11 February 1922 · Kulturstiftung der Länder — 11 February 1922 letter to Lou Andreas-Salomé · Rilke — Der Panther, original German · Rilke — Die erste Elegie, original German · Rilke — Die zehnte Elegie, original German · Rilke — Die Sonette an Orpheus, 1923 edition and dedication · Monacensia Literaturarchiv — Kriegsgesänge · Wolfgang Leppmann — reading of the 1925 epitaph · Rilke biography — February 1922 composition sequence · Lorna Martens — The Promise of Memory, childhood discussion
中国語・英語版を基に、日本語の読者に向けて独立に再構成したエッセイ。史料と詳注は 原版。