Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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019 / 108 · 世界をつくる

ベートーヴェン――聴こえなくても書き続ける

四つの音、ハイリゲンシュタットの文書、後期四重奏、そして橋。聴力の喪失は仕事も人とのつながりも終わらせなかった。

一 四つの音

ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン——。

ベートーヴェンの交響曲第五番。その冒頭の四つの音。短い音が三つ、長い音が一つ。音楽史でも、とりわけよく知られた始まりだ。

「運命が扉をたたく」。本人の説明として伝わるこの言葉は、信頼性に問題のあるアントン・シンドラーに由来する。それでも、作曲家の署名を借りなくても、何かが近づき、応答を求めるように聴くことはできる。

この連作の言葉なら、四つの音は「鑿」だ。すでにあるものに切り込みを入れる。

静けさを破る。音楽はこう始まるものだという予想も破る。ゆったりした序奏も、優しい案内もない。冒頭のごく短い休符のあと、いきなり、ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン。

交響曲はその圧力を受けながら、材料を展開し、ほどき、組み直していく。ハ短調から終楽章のハ長調へ。暗闇から光へ、圧迫から解放へ。扉をたたかれるところから、自分で開くところまで。聴く中に生まれた物語が、歩いていける形を得る。

対照をいったん鮮明にしてみよう。バッハは「構築」——声部を織り合わせ、秩序の内で緊張を動かす。ベートーヴェンは「鑿」——切迫した動機が迫り、聴く者を葛藤の中へ連れていく。バッハにも激しさがあり、ベートーヴェンにも精密さがある。ここに描くのは、耳を向ける二つの方向だ。

この聴き方では、バッハの宇宙はすでにそこにあり、中へと招く。ベートーヴェンの宇宙は今まさに生まれつつあり、同行を促す。一方は建物を見上げさせ、他方は足もとの道を感じさせる。

二 聞こえなくなる

聴力の衰えは二十代に始まった。一八〇一年、友人ヴェーゲラーへの手紙では、三年前から悪くなってきたと書く。翌年の自述では、さらに前までさかのぼる。困難は深まり、周りの音は少しずつ聞き分けにくくなっていった。

ピアニストであり作曲家である彼にとって、それは仕事、人との付き合い、自分をどう理解するかにかかわる危機だった。苦しみは現実にあった。しかし聴力を失うことは人そのものが滅びることではなく、彼の経験が失聴したすべての人の人生を定めるわけでもない。

医師を訪ね、薬や入浴療法などを試し、回復を願った。後には補聴用のラッパも使う。望んだ聴力は戻らなかった。それでも、日々を少しでも過ごしやすくする方法を探し続けた。

一八〇二年十月、まだ三十二歳の誕生日前、ウィーン近郊のハイリゲンシュタットで弟二人に宛てた文書を書く。六日に署名し、十日に追記した。送られず、死後に発見された。いわゆる「ハイリゲンシュタットの遺書」には、苦しい胸の内とともに、弟たちへの財産の相続も記されている。

自分は生来冷淡だったのではない、と彼は説明する。人の輪に入りたかったが、会話が聞き取れず、その理由を認めることも恐れていた。人一倍鋭い耳を期待される音楽家が、聞こえなくなっている。羞恥と不安に人の輪の端へ押しやられながら、理解してほしいと書いた。

命を絶つ寸前まで近づいたが、芸術が引き留めた、と書いている。生み出すべきだと感じたものを世に送り出す前には、去れなかった。その文書には徳、人への愛、友人への感謝もある。「孤独な天才」という一語だけでは読めない。

まだ書くべきものがある。まだ終わっていない。それが、この世界にとどまる一つの理由になった。

この連作の言葉では、目的が語っている。身体の一つの能力が変わりつつあっても、彼は作曲したかった。後の交響曲、ソナタ、四重奏はまだ存在しない。不確かさの中で続けることを選んだ。ただし目的は身体に命令する主人ではない。作品を仕上げなければ、生きる資格がないわけではない。

プラトンの描くソクラテスは脱獄を拒み、自分が正しいと考える仕方で死に向き合う。ベートーヴェンは自分の文書の中に生き続ける理由を見いだす。一人は逃げず、一人は残る。この二つの姿勢を比べても、自死を作曲と同じくらい単純で自由な選択肢と見なしてはならない。

見えてくるのは、人は自分が大切にするものを通して境遇に応じるということだ。身体が重要ではない、ということではない。身体をもって生きることが困難になっても、意味は見つけ直されうる。

三 暗闇から光へ

彼は生きた。そして書き続けた。後に音楽の営みの中心を占める作品を、いくつも生み出した。

「中期」「後期」という区分は、一度の失聴で人生が二つに切れたことを意味しない。聞こえは徐々に変わり、作曲も徐々に変わった。二つの線は交わるが、一本の因果の線にはつぶせない。

交響曲第三番《英雄》は主として一八〇三年から〇四年に書かれた。現存する校訂済みの筆写譜では、表紙のボナパルトの名が削られ、紙に穴が開いている。ナポレオンの皇帝即位を知って怒ったという場面は、後にリースが語った。出版譜の献呈先はロプコヴィッツ侯爵だ。紙の傷から音楽へ入っていこう。大きな規模、葬送行進曲、何度も立て直す終楽章に、英雄性、死、再び立ち上がる力を聴くことができる。

一八〇八年に初演された第五番。ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン。ハ短調からハ長調へ。美しい旋律が現れただけで葛藤が消えるのではない。音楽は一歩ずつ出口を切り開く。

同じ演奏会で初演された第六番《田園》。小川、鳥、嵐、そして嵐のあとの感謝。聴力はすでにかなり衰えていたが、自然との関係は続いていた。経験、記憶、想像、作曲の技が一緒に、この音の世界をつくる。

第九番が初演される一八二四年には、聴力は著しく損なわれていた。終楽章にシラーの《歓喜に寄す》が入り、独唱、合唱、管弦楽がともに声を上げる。歓喜、神性の火花。

それは合唱を用いる交響曲の中でも、最も大きな影響を与えた作品の一つとなった。その衝撃は作者の聴力の状態だけにあるのではない。異なる声を、どう同じ空間へ迎え入れるかにもある。

五月七日、ウィーンのケルントナートーア劇場。ベートーヴェンも舞台上で合図を出したが、実際に演奏を統率したのはミヒャエル・ウムラウフだった。後の証言は、一つの振り向く姿を残した。アルト独唱のカロリーネ・ウンガーが、彼を拍手する聴衆の方へ向かせたという。楽団に向かっていた作曲家が、自分へ応じる人々と向き合う。

その回想の中で、彼は誰かに促されて初めて人々の反応を見る。ここにあるのは隔たりだけではない。誰かが、彼をともにいる場へつなぎ直している。

四 後期の作品

一八一〇年代半ばから最晩年へと展開する音楽は、何度近づいても尽きることのない世界だ。

第二十八番から第三十二番のピアノ・ソナタ。第十二番から第十六番の弦楽四重奏曲、そして後に独立して出版された《大フーガ》。《ディアベリ変奏曲》。《ミサ・ソレムニス》。異なる作品が、ただ同じ一言を繰り返しているのではない。

中期の強いイメージの一つを「暗闇から光へ」と呼ぶなら、後期はその道筋を開いていく。勝利のほかに、待つこと、感謝、ためらい、遊び、落ち着く場所のない痛みがある。勝利への関心を失ったとは言えない。勝利だけでは、この音楽を言い尽くせなくなったのだ。

長いアダージョでは、時が止まったようになる。静けさが突然、激しい響きに裂ける。フーガが帰ってくる。バッハから受け継ぐ技法が、声部どうしの摩擦を新しい強さへと押し進める。子どものように単純な旋律が変奏され、曲げられ、ほどかれ、組み直される。戻ってきたとき、それは同じ旋律でありながら、遠くまで歩いている。

戸惑う聴き手や批評家もいた。理解しにくさを失聴のせいにした人もいた。同時代に敬意を払い、学び、演奏した人もいた。《大フーガ》はとりわけ論争を呼んだ。理解にちょうど百年かかったのではない。理解と無理解は、最初から隣り合っていた。

長年鍛えた内的な聴覚と作曲能力、そして草稿を何度も直す労働が、この音楽を支えた。奏者と演奏を、出版者と刊行を相談していた。《大フーガ》は独立して出版され、作品一三〇には新しい終楽章を書いた。内なる声は、世界を遮断する密室に引っ越したのではなかった。

杜甫は挫折と流離の中でも詩人になり続けた。失意が詩を使い果たしはしなかった。ベートーヴェンは聴力を失いつつ書き方を変え続けた。困難が音楽を使い果たしはしなかった。「鑿」と呼ぶなら、傷から自動的に天才ができたのではなく、応答が繰り返しなされたのだ。

杜甫は詩を残した。ベートーヴェンは後期四重奏曲を残した。それを「余項」と呼んでもよい。ただし、二人のほかの人生を削り捨ててよい材料にしてしまわないかぎりで。

作品は深い。その深さは、具体的な書く行為と、後の読むこと、稽古すること、聴くことに宿る。苦しみを贈り物と呼ばなくても、深さは失われない。

五 バッハとベートーヴェン

バッハとベートーヴェン。ひとまず一枚の図の両端に置き、二つの世界が互いをどう照らすか、聴いてみよう。

バッハ——構築、フーガ、対位法。複数の声の間に秩序をつくり、栄光を神へ。
ベートーヴェン——鑿、葛藤、転回。動きの中で形を得て、人の声が前に出る。二人とも、彫り、組み立てる。

バッハの音楽は「秩序はここにある。入っておいで」と語るようだ。
ベートーヴェンの音楽は「まだつくっている。一緒に暗闇を抜けよう」と語るようだ。

《フーガの技法》を開けば、展開し続け、未完の場所も残る建築に出会う。第五番を聴けば、ハ短調からハ長調へ、時間の中を連れ立って歩くように感じる。一方には入る扉があり、他方にはたどる道がある。

建築家バッハは大聖堂を差し出す。入って、見上げる。
登山者ベートーヴェンは道を差し出す。暗く、風が強く、ときにはもう歩けないと思う。音楽は進み、頂の光も無償ではない。けれど建物の中にも道はあり、山道にも建設は要る。

バッハのS.D.G.、ただ神にのみ栄光を、という記号は、仕事をどこへ捧げるかを示す。ベートーヴェンの「芸術が引き留めた」は、生き続ける理由を示す。しかし《ミサ・ソレムニス》を書いたのも、ハイリゲンシュタットで神に呼びかけたのも彼だ。人の声と神への呼びかけは、その内で別々に暮らしてはいない。

導管と火山。一人は受け取ったものを紙へと伝え、一人は内なる圧力を紙へと噴き出すように見える。だがどちらの机にも学びと推敲があり、他人の助けがある。天の音楽も手を経なければならず、内なる炎も形を得なければならない。

二つの音楽、二つの構築は、「音楽はどこから来るか」という問いの違う方向を照らす。信仰から、自分から、受け継いだ技から、人と人の間から。どの方向も全部ではない。

どちらの答えにも立ち止まるだけのものがある。どちらも音楽を尽くしてはいない。二人の人間を尽くしてもいない。

六 担い手と目的

この連作は繰り返し同じ問いに出会う。人の能力や暮らしの条件が損なわれたとき、大切な仕事はどう続くのか。「担い手」と「目的」は問いのための言葉であり、人を役立つ部分と不要な部分に切り分ける刃ではない。

死刑に向き合うソクラテスは、プラトンの対話篇を通して伝わる。杜甫は貧困と動乱の中で、他人を気にかける詩を書いた。司馬遷は宮刑のあとも『史記』に取り組み、天と人、古と今を問い、一家の言を成そうとした。失明後のバッハの仕事は、臨終にコラールを口述したという物語と分けて考えなければならない。ゲーデル晩年の恐怖、病気、栄養失調も、定理によって説明されたり償われたりはしない。互いに置き換えられない人生が、それでも同じ問いを開く。

ベートーヴェンの聴力は若いころから衰え、晩年には意思疎通に深刻な困難をもたらした。音楽は止まらず、後期作品は新たな深さを開いた。そこまでは起きたことだ。その深さを失聴の必然的な結果とするなら、証拠を越えてしまう。

考えたいのは一つの可能性であり、苦しみと偉大さを交換する法則ではない。

一つの能力の喪失が、あらゆる目的を消すとは限らない。方法を変え、助けを受け、進む方向そのものを変えることもできる。傑作を残さない人の人生も、少しも価値を減らさない。

聴力を大きく失う前から、ベートーヴェンは楽器、響き、会場、奏者、聴衆と向き合っていた。音楽は閉じた頭脳の私有物だったことなどない。世界と相談して生まれたからといって、自分の作品でなくなるわけではない。

失聴後、その相談は難しくなったが、続いた。補聴ラッパ、手紙、一八一八年からの会話帳、稽古でのやり取りが他人と彼をつないだ。後期四重奏の遅さ、静けさ、激しさ、単純さは、複雑な創作の過程に属する。外からの入力を消せば自動的に手に入る純粋さではない。

喪失を鑿にたとえるなら、余項とはその後にも働き続けうるものだ。ときには新しい力になる。しかし、その力から逆算して、あの傷には価値があったと言ってはならない。

『荘子』では、儵と忽が七つの穴を開け、渾沌は死ぬ。ベートーヴェンの音楽を聴くと、傷のあとにも始まりはありうるという、別の結末を想像したくなる。これは本文と寓話の対話であって、ベートーヴェンの発言ではない。まして誰かを傷つけてよい理由ではない。

七 歓喜の歌

第九番の終楽章。ベートーヴェンはシラーの《歓喜に寄す》を選び、組み替え、自分の導入の言葉を加える。詩は音楽の中の出会いになる。

歓喜よ、美しい神性の火花、
エリュシオンの娘よ!
燃える思いを抱いて、
天なるものよ、あなたの聖所へ入ろう。
あなたの魔法は再び結ぶ、
慣習が厳しく隔てた者たちを。

深く聴力を失った人が、喜びの音楽を書いた。孤独と苦しみを知る人が、自分より大きい世界を音で抱こうとした。

「すべての人は兄弟となる」——Alle Menschen werden Brüder。言葉はシラーのものだ。ベートーヴェンはそこに、新しい公共の生命を与えた。

欧州評議会は一九七二年にこの主題を採用し、一九八五年には欧州共同体の首脳たちも欧州の歌として採用した。後にEUの象徴となる。公式のものは歌詞のない器楽版であり、あのドイツ語の一文を共通の歌詞に定めたのではない。一八二四年の旋律が、別の時代にも人と人の間を渡っていく。

『ルカによる福音書』のイエスは、十字架上で自分を傷つける者の赦しを願う。ベートーヴェンは重い聴力障害の中で、シラーの詩の人類にともに歌う声を与える。一方は加害者へ応じ、他方は見知らぬ人々を招く。

赦すことと抱きとめることは同じ行為ではない。境遇も信仰も表現も違う。一つの公式にしなくても、互いを照らし合える。

似て聞こえるのは、境遇が狭まっても、気にかける範囲は外へ広がりうるという可能性だ。

杜甫は屋根を風に破られて、寒さに苦しむ人を住まわせる無数の家を願う。シラーの詩はベートーヴェンの音楽によって、兄弟という呼びかけを万人へ差し出す。福音書の祈りは、いま傷を与えている相手に向かう。どの声も目前の自分を越える。

だが苦しみが自動的に高みを生むのではない。壊れなければ空間をつくれないのでもない。彼らは困難の内で、言葉、伝統、技、他人の力を借りて応じた。残された作品に感謝しても、傷をつくった一撃に感謝する必要はない。

八 去るとき

一八二七年三月二十六日。ベートーヴェンはウィーンで病の末に亡くなった。五十六歳だった。

後のアンゼルム・ヒュッテンブレンナーの回想には、有名な光景がある。雷雨と稲妻。瀕死のベートーヴェンが突然、拳を握って腕を上げ、やがて落とす。人々は何度も、それを運命との最後の対決として語ってきた。

当時の手紙にも、その日の嵐は記されている。ただ、天候に裏付けがあることと、すべての動作や意味に裏付けがあることは違う。拳は慎重に扱うべき回想に属し、死にゆく人の心を読む窓ではない。

プラトンのソクラテスは毒杯を飲む。
伝説の老子は牛に乗って去る。
仏典の釈迦は阿難を慰める。
バッハの最後のコラール口述は、手稿とは分けなければならない。
ニュートンも病の中で最期を迎えた。
異なる記録と物語の層が、異なる別れを残す。

そしてベートーヴェンのその物語では、腕が上がる。

音楽の比喩としては忘れがたい。最後まで鑿を振るい、四つの音へ答える。しかし病床の人は衰弱し、世話を必要ともする。ベートーヴェンは病の中で人生を終えた。私たちが聴く抵抗は、その音楽に残っている。

ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン。なお扉の比喩を借りるなら、こんな返事を聴きたい。まだ書き終えていない。まずこの一ページを仕上げさせてくれ。

聴力は衰え、病が来た。「運命の勝ちだ」と言うのは早すぎる。作品を指して「運命は負けた」と言うのも早すぎる。人生は、私たちが勝敗を宣言できる競技ではない。

わかるのは、第九番が残り、後期四重奏曲が残ったことだ。「すべての人は兄弟となる」は、異なる人々によって歌い直せる。これらの作品は完成した。だからといって、一人の人間の目的がすべて果たされたと判定することはできない。

人は去った。作品は次の出会いを探している。

ここで、この連作の想像の橋へ戻ろう。橋のたもとにもう一人いる。風が渡り、水が下を流れ、ほかの人々は話している。彼にははっきり聞こえないかもしれない。誰かが彼に顔を向け、誰かが紙と鉛筆を持ってくる。かつて握りしめた手も、他の人へ伸ばすことができる。

その目は、こう言うようだ。道はまだある。進んでもいい。休んでもいい。一緒に歩こうと頼んでもいい。身体に勝ってからでなければ、ここへ来られないわけではない。

ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン——。

読書のための注記と出典

「運命が扉をたたく」という言葉の出典はシンドラーであり、ベートーヴェン自身による確かな標題説明ではない。第五番の調性の道筋は本稿の文学的な聴き方につながるが、伝記の証明でも、バッハとの絶対的な区分でもない。

一八〇一年のヴェーゲラー宛書簡は三年間の聴力低下を、一八〇二年の遺書は六年間を振り返る。一七九八年の特定の日を発症日とすることはできない。晩年の残存聴力にも一律の年齢による境界は引かず、遡及的な医学診断は行わない。

ハイリゲンシュタットの遺書は一八〇二年十月六日と十日の日付を持ち、弟たちへの相続の定めも含む。芸術が引き留めたというくだりは本人の文章に基づく言い換えである。徳や人間関係にも触れている文書であり、自死を意志だけで解決する問題にはしない。

《英雄》表紙の名を削った跡と、後のリースによる怒りの場面の回想とは、種類の異なる証拠である。題名と献呈も別のものだ。現存する紙から、表紙一枚を丸ごと引き裂いたという動作までは確認できない。

第九番初演を実際に指揮したのはミヒャエル・ウムラウフ。ウンガーが聴衆の方を向かせたという回想は、細部と時点が一致せず、スケルツォのあととするもの、全曲のあととするものがある。本稿は共通する振り向く姿を残し、一つの時刻に確定しない。

後期の開始は突然の全失聴の日付ではない。《大フーガ》の受容、独立出版、作品一三〇の新終楽章は、会話帳とともに、作曲・演奏・出版をめぐる交流が続いた証拠として読める。

第七節の六行は第九番で使われるドイツ語詞からの本稿独自の訳。兄弟となるという句はシラーの言葉である。欧州の歌は歌詞のない器楽曲で、一九七二年の欧州評議会と一九八五年の欧州共同体の採用は別の出来事である。

臨終の拳はヒュッテンブレンナーの後年の回想による。嵐の同時代史料はすべての仕草や心理的意味を証明しない。担い手、目的、渾沌、ほかの人生との対照は本稿の比較であり、ゲーデルの定理を伝記の証明に用いない。橋は文学的な想像である。

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中国語・英語版を基に、日本語の読者に向けて独立に再構成したエッセイ。史料と詳注は 原版。