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Non Dubito

国家間の協力 · 07

人が入口まで来たとき、どうするのか

滞在を認められた記者は、治安機関のために報告を書くことを断った。人を受け止めることは、その人を手に入れることではない。川の向こうにいて、入口へさえ来られない人のことも、隠せない。

Han Qin ·

事例に登場する国、地名、人物、出来事、票数は架空であり、実際の歴史ではありません。共通の強制的な上位者を置かない協力を考えるシリーズであって、現実のすべての国際機関や現行法の解説でも、実際の紛争や外交に対応策を指示するものでもありません。

彼女はまず漁船で峡口港へ渡り、そこから飛行機で河口市へ向かい、空港で庇護を申請した。旅券は本人のもので、逮捕状も本人に向けられていた。故郷の沙口では日刊紙に勤め、教導収容所について書き、外から撮った写真を載せ、逃げ出した人々を取材していた。安定委員会は、噂を流して安定を乱したとした。

沙洲は続いてUCSEに身柄を求め、通常の刑事犯罪だと説明した。故郷に残る両親は出国を禁じられ、弟は三十日間拘禁された。一人が出ていっても、後ろに残ることまで持ち去れるわけではない。それでも空港での決定が今直接及ぶ相手は彼女だった。ひとまず滞在させるのか、送り返すのか。

この架空の物語では、両国の条約は政治的な犯罪を引き渡しの対象外としており、UCSEは後に庇護を認めた。ここまで読むと、彼女はすでによい結末を得た人に見えるかもしれない。しかし、受け入れたあと、その側が彼女の使い道を決め始めないか。それが、次の問いになる。

滞在を認めることは、見返りを求めることではない

翌年の秋、UCSEの内務安全署は、沙洲の状況について報告を提供してほしいと彼女に持ちかけた。彼女は断った。自分が書く相手は読者であり、どこかの役所ではない、と。その後、同じ依頼は来なかった。第二十年には、居留許可は通常どおり三年延長された。沙口の臨時議会も、戻って報道官になってほしいと頼んだが、彼女はそれも引き受けなかった。

依頼そのものに、必ず問題があるわけではない。機関が話を聞きたいと頼むことも、議会が仕事を申し出ることもある。大切なのは、彼女が断ったあとも、ここにいられる資格が残るかだ。更新がいつまでも下りず、庇護も突然見直しになるのなら、あの入口は取引条件に変わる。受け入れたのだから、こちらの役に立つ人になれ、ということになる。

この件で、物語はそうならなかった。彼女は自分の読者に向けて書き続けられたし、帰国して別の勢力のために発言することも断れた。受け止めることは、手に入れることではない。故郷を知っているからといって、受け入れ国に情報を一件渡す借りがあるわけではない。迫害されたからといって、情勢を変えるための道具にならなければならないわけでもない。

そもそも入口での責任は、彼女が役に立つかどうかを条件としない。入国拒否も送還も拘留も、受け入れ国の機関が行い、直接彼女に及ぶ行為だ。まだその国の身分を持たないからといって、その国が説明すべき範囲の完全な外側にいるとは言えない。少なくともこれらの行動については、問える場所があり、問うたために報復されないことが必要になる。

これは、来た人が誰でもただちに市民資格を得るという意味ではない。彼女はなお沙洲の旅券を持ち、庇護後の居留は三年ごとの更新で、帰化は現地の法に基づく別の手続きだった。危険へ送り返さないことと、長期的な身分を分けるのは、後者がまだ決まらないから前者に答えない、という口実を防ぐためだ。現行の移民法全般を説明しているわけではない。

母国のあらゆる救済手段を最後まで試した証明を、先に求めるべきでもない。目の前の危険から逃れた人が、受け止められるために、情勢全体の解決を待つ必要はない。「いずれよくなるかもしれない」は、今日送り返されたらどうなるかへの回答にはならない。

UCSEの議会でも、問いが出た。自分たちの法にも、国家の安全を害する虚偽情報を罰する条文があるのに、なぜ向こうを批判できるのか。この質問を消すべきではない。似た罪名だからといって、実際の行動まで同じとは限らず、何を処罰しているかを見る必要がある。UCSE自身がその種の条項をどう使うかも、なお説明を求められる。

来た人が、村を焼いた指揮官だったら

同情できる人だけのための入口だと考えれば、話はずっと簡単になる。しかし論文は別の仮定を置いている。灰河沿いで実際に起きたこととして付け加えたわけではない。安定隊の指揮官が部下二人と川を渡り、武器を渡して庇護を求めたとしよう。キャンプの村人は、村を焼いたとき部隊を率いていたのが彼だと気づいた。

この仮定では、事務局が持つ十四件の証言に、すでに彼の名が出ていた。人々が彼のテントを取り囲み、守備隊はキャンプ外へ移して別に保護した。私刑から守ることは、村人に忘れろと求めることではない。隔てることには、傷ついた人たちが再び、取り返しのつかない出来事に押し込まれるのを防ぐ意味もある。

二つの道を、ひとまとめにしてはならない。一つは、殺害、拷問、裁判を経ない拘禁を受ける場所へ送り返さないこと。もう一つは、以前の職務で何をしたかが、川を渡っても消えないことだ。過去の責任を理由に好きに処置させれば、保護は褒賞になる。保護するために過去を消せば、庇護が潔白の証明になってしまう。

白垣政府は身柄を求めたが、裁こうとしているのは村を焼いたことではなく、無断で職を離れたことだった。別の側の臨時議会も引き渡しを求め、特別法廷での公開審理と、自分で弁護人を選ぶことを約束した。しかし、求める側の自己申告だけでは足りない。どの道で公正な裁判ができ、どの手続きが適用され、受け入れ国に管轄があるかは、法に従って調べる必要がある。この散文で代わりに手早い判決を下すことはできない。

この仮定の石峡邦の法務部署は、自国の刑法ではその国外の犯罪を扱えないと述べた。枠組みを離脱するときにも庇護申請は未決で、物語はその後の結末を書いていない。二つの原則をきれいに両立させるために、成功した引き渡しを補うわけにはいかない。使える司法の道がないことは、解けていない問題なのである。

記録が残ったことは、訴追が行われたことではない。一方、訴追されていないから記録が無意味になるわけでもない。訴追するかは具体的な法と受け入れた約束に従う。適法に訴追すると決めても、先ほどの最低線が禁じる場所へ人を渡すことはできない。同じ入口を通ったからといって、それぞれが負う責任まで同じにはならない。記者と指揮官を一括りにできないのは、そのためだ。

国ごとの分担は、人の振り分けではない

入口に来るのは、一人だけではない。五万人向けに設計された灰渡キャンプには、最も混み合ったとき、約十四万人が暮らしていた。費用と移送の受け入れ枠を分担するのは、国境の一国だけに受け入れが集中しないようにするためだった。一国に入口があるからといって、その一つの入口で全員を受け止められるわけではない。

ただし、共同の分担は、いつの間にか人を割り振ることに変わりうる。第三号決定は世帯ごとに行き先をくじで決め、成人した子は別世帯とし、結果を断ればその年の資格を失うとした。担当部署は、抽選しているのは枠であって人ではなく、断ることもできると説明した。紙の上ではそのとおりでも、断ったあとにどう暮らせるかを見なければならない。

四十六世帯はNUTに親族がいたが、別の国を引いた。そのうち三十一世帯は拒否してキャンプに残った。九世帯では、成人した子どもと親が違う国に分かれた。一緒に暮らすためにはもう一年待つしかないのなら、「行かなくてもよい」がどれほど使える選択なのかを、枠を配る側だけで答えることはできない。

キャンプの人々は共同決定そのものを申し立てた。後の規則では、成人した子どもと親を一世帯にでき、拒否した人にも翌年の資格が残るようになった。しかし、兄弟姉妹は同じ世帯にできないままだった。変わった二点は書きたいし、変わらなかったことも書きたい。新しい規則ができても、すでに失った一年は返らない。

本人が行くかどうかを決めることと、どの国にも受け入れを要求できることは違う。長期的な受け入れ条件は、各国の法に基づいて扱う必要がある。ここで守りたいのは、国どうしの配分を整えるために、具体的な人を枠のように移し、拒否の代価を、従うしかないほど重くしてはいけないということである。

分担についても、二つを分けたい。より多くの行き先、経路、支援をつくれることから、哲学が無制限の対外援助義務を導くわけではない。しかし、具体的な分担を各々が約束に書いたなら、もはや完全に任意の善行とは呼べない。また、入口の人を危険へ送り返さない責任は、分担の約束がないことや、約束された枠が実現しないことでは消えない。

共和国が費用を払わず、人数も引き受けなければ、人は国境にとどまり、石峡邦は余分に担い続ける。「みんなで分担できる」と、実際に分担が届くことのあいだには、テント、燃料、薬、そして一年分の生活がある。届かなかった支援は、届かなかったと書く必要がある。問題は解決したと言い換えてはいけない。

入口まで来られない人もいる。渡河中に溺れた人、撃たれた人、沙洲の村に残る人は、キャンプが開いているだけで安全にはならない。それを認めるのは、送り返さないことの重みを保ちながら、全員を救えたことに膨らませないためだ。

灰渡キャンプは後に対岸から二度砲撃され、二十三人が死亡した。子どもが九人いた。石峡邦は対岸へ十五キロ入って通路を守ることを提案したが、協力国は参加せず、派兵の決定には至らなかった。その後キャンプは東へ十二キロ移転したが、約二万人は移動を望まず、親族を待って残った。入口で守る責任が、そこで簡単になったわけではない。

自分たちの受け入れ口で来た人を守ることと、招かれずに国境を越えて通路を設けることは、別の行動である。このシリーズの区別では、後者は開戦の厳しい条件を満たす必要がある。招請を受け、自発的に離れたい人を護送する場合にも、一方に代わって内戦に加わらないこと、招請が撤回されれば退くことという境界がある。「救援」というよい名だけでは、実際に何をするかの点検を省けない。

川一本の向こうにいても救えない人がいる。その結論はつらい。原則の勝利として書くべきではないし、その場で例外を作ってつらさを消してもいけない。戦闘以外の援助、庇護、記録、使える通路をつくることはなおできる。届かなかった保護も、同じページに残さなければならない。

最後に、あの記者を思い返そう。滞在は認められたが、それからの自分を差し出しはしなかった。共同採決の壮観さに比べれば、ごく小さな出来事だ。しかし受け入れが、本人の生活を続けられるようにするためのものなら、報告書の依頼を断り、報道官にならなくてもよいことは、保護の付随的な結果ではない。その保護が本当に人まで届いたかを確かめる、一つの試金石なのである。

原論文と読む範囲

『SAE国家間協力論』をもとに公開された中国語の読者向け散文から、日本語で独立して書き直した。元の散文にある論証、事例、限定を保っているが、論文の命題や付録を一つ残らず技術的に訳したものではない。事例中の制度条文は、一つの選択を示しており、唯一最善の設計を証明するものではない。問うこと、答える義務、強制執行を分け、後に政策が変わっても、先の問いが原因だったと自動的に結びつけない。各篇から対応する原論文へ進める。実際の歴史を読む関連エッセイは英語・簡体字中国語・繁体字中国語の現行版で読める。この日本語版でたどる架空の物語とは、別の読み物として設けている。

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