NON DUBITO · 映画を読む · 3 / 3
あの戦車は本物だった
この篇の目次
日本語独立リライト版(中国語原文に基づく) · 中国語原文:簡体字/繁体字
収容所は混乱している。銃声、走り回る人々、サーチライト。ドイツ軍は撤退を始め、その前に収容所を片づけようとしている。
グイドは中庭のブリキの戸棚に息子を押し込み、これが最後の課題だと告げる。しっかり隠れているんだ。外がすっかり静かになって、誰一人見えなくなるまで、出てきてはいけない。
そしてドーラを捜しに行く。
捕まってしまう。ドイツ兵が背中に銃を突きつけ、彼を歩かせる。
その道筋が、ちょうどあの戸棚の前を通る。
子どもは隙間から外をのぞいている。
グイドには、息子が見ていることが分かっている。そこで彼は、生涯最後のひと仕事をする。脚を大きく振り上げ、わざとらしいほど滑稽な軍隊式の行進を始める。戸棚のほうへ、片目もつぶってみせる。
そうして演じ続けたまま、壁の角を曲がって見えなくなる。
続いて、一しきり銃声がする。
一 最後のしぐさを、別れに見せてはいけない
この場面の鋭さは、グイドが何をしたかにある。そして、何をしなかったかにもある。
立ち止まって息子を最後にひと目見ることも、遺言を残すこともしない。「パパはぼくを愛しているんだ」と子どもに悟らせるような、別れのしぐさを一つもしない。
別れに見えた瞬間、子どもは、今までとは違うことが起きていると気づいてしまうからだ。
だからグイドは演じ続ける。あの滑稽な行進は、パパはまだゲームの中にいる、規則はいまも有効だと子どもに伝える。
同じ動作が、観客の目には正反対のことを語る。自分がどこへ連れていかれるのか、グイドは分かっている。そのことを私たちは知っている。そして、残された数秒を恐怖や悲しみや愛の表現に使わず、目の前の光景を息子がどう受け取るかに費やしていることも、分かっている。
守っているのはゲームが途切れないことであって、子どもの記憶に残る自分の最後の姿ではない。
レッシング医師は、殺されつつある人間を、自分の不安を解消する道具として扱った。グイドは自分が殺されようとしているときにも、最後の芝居で、ほかの一人の恐怖を少しでも減らそうとする。
二 戦車は本物だった
朝が来る。収容所は空になっている。
ジョズエは長いこと待ち、外に誰一人いないと確かめてから、戸棚をはい出す。
やがて地面が震え始める。
アメリカ軍の戦車が一台、通りの角を曲がってきて、目の前に止まる。兵士が子どもを抱き上げて戦車に乗せ、そのまま収容所の外へ走り出す。
ジョズエは、千点を取って賞品を勝ち取ったのだと信じている。
戦車は確かに存在する。けれども、それによってゲーム全体が本当の話になるわけではない。ゲームの中の一つの約束だけが、本当に果たされたのだ。
収容所の囚人たちは競技の参加者ではなかった。点数には何の効力もなかった。グイドがあの朝のアメリカ軍の到着を手配できたはずもない。戦車は、後から嘘を事実に書き換えることはできない。
その戦車にできたのは、別のことだ。子どもがまだゲームを信じているあいだに、そのゲームが突然崩れ落ちて終わるのを防いだ。戦車は本当にジョズエを収容所の外へ運び、生きていた母親のもとへ運んでいった。
三 約束が先にかなう。真相を知るのは、その後だ
この嘘は、ばれたその瞬間に実現したのだ。そう言うのは正確ではない。
戦車が来たとき、ジョズエはまだ作り話を見破っていない。むしろ目にしたのは、父親が嘘をついていなかった証拠に思えるものだ。
収容所を離れていく人々の中にドーラを見つけると、戦車から飛び降り、駆け寄って言う。「ぼくたち、勝ったよ」
この「ぼくたち」が大切だ。父親はもういない。それでも子どもは、二人で参加したゲームの中にまだ立ち、二人の勝利を宣言している。
真相が届くのは、映画には映されない、その後の時間である。大人になったジョズエの語りは、収容所とゲームをすでに区別できている。賞品と呼んでいたものが、実は解放軍の戦車だったことも知っている。
生存の道具としてのゲームが先に終わり、信じているものとしてのゲームが終わるのは、その後だ。あの戦車が子どものために稼いだのは時間であって、いつかすべてを知る必要がなくなったわけではない。
それは「完璧な嘘は何の痕跡も残さなかった」という話より、はるかに控えめな達成であり、それだけ信じられる。心の傷がその後どのように残ったのか、映画には語れない。ただ、一人の子どもを生きたまま境界の向こうへ渡らせる。その瞬間に、支払われた代償のすべてを理解しろとは求めずに。
四 大人になった息子の語りは、何を証明するのか
映画の最後で、この物語を語っているのが、大人になったジョズエだと明かされる。
彼は言う。これは私の物語だ。父が払った犠牲の物語であり、父が私にくれた贈り物なのだ、と。
この語りから、彼が後にかなりの真相を知ったことは分かる。すべてを知っていることまでは分からない。いつ父の死を知ったのか、後からどれだけ細部をたどり直せたのか、あの経験がその後の人生をどう変えたのか。映画は何も教えない。
穏やかに語れることは、傷がない証拠にはならない。
語りが本当に示しているのは、別のことだ。生き残った彼は、もはや、父の作り話の中にいた子どもにとどまらない。自分自身の物語の中で、ゲームと犠牲と、その二つの結びつきを、同時に語ることができる。
だから「贈り物」という言葉は、傷一つない幼年時代だったという診断ではない。嘘であったことをすでに理解した大人が、あのときの父の庇護をどう受け止めるか、その判断なのだ。
五 喜劇はどこまで自らを擁護できるか
『ライフ・イズ・ビューティフル』に向けられた、最も重要な疑問を軽く受け流してはならない。寓話、それも喜劇をふんだんに用いた寓話に、収容所を、父親が愛を証明するための場所として描く資格はあるのか。
この形式には、実際に危険がある。絶滅を涙を誘う背景に変え、名もない死者たちを、一つの家族が意味を得るための材料にしてしまうかもしれない。グイドの機転ばかりが観客の記憶に残り、その機転を必要とさせた殺人の装置は、同じ鮮明さでは記憶されないかもしれない。
善意があれば、こうした危険が自動的に消えるわけではない。
映画が形式によって示す、最も力のある応答は、ジョズエと観客を分けることだ。映画は一度も、これはゲームだと観客に信じるよう求めていない。ユダヤ人を排除する札、固く閉ざされた車両、シャワーへ行けと呼ばれた人々、レッシングの役割、霧の中の死体。それらはすべて、グイドが子どものために施す喜劇への翻訳の外側にある。
これで映画があらゆる論争に勝てるわけではない。だが、何を基準に判断すべきかは示される。喜劇が成り立ちうるのは、登場人物が子どもを一時的に守る方法であり続けるかぎりだ。映画そのものが、観客に代わって周囲の世界を否認する方法になってしまってはならない。
六 この語り方は、どこから来たのか
ベニーニは、この映画に二つの源があったと語っている。
一つは、イタリアのユダヤ人生存者、ルビーノ・ロメーオ・サルモニの記憶と語りだ。もう一つは、ベニーニの父ルイジの経験である。1943年のイタリア休戦後、イタリア兵だったルイジはドイツ軍に拘束され、ドイツの労働収容所で二年間を過ごした。
帰国後、子どもたちにその日々を語るとき、ルイジはよくユーモアを交えた。子どもたちを怖がらせすぎないためだった。
こうした源があるからといって、映画が批判を免れるわけではない。ただ、なぜ二重の語りを選んだかは分かる。より多くを知っている大人が、そのすべてをまだ背負いきれない子どもを、もう一つの話の中にとどめておくのである。
グイドは収容所に勝たなかった。叔父を救えず、解放前にドーラを見つけられず、自分の命も守れなかった。ゲームは、そうした死に意味を与えたわけでもない。
できたのは、もっと小さなことが一つだけだ。もう自分の未来を勝ち取れなくなった人にも、残された力を使い切って、ほかの誰かのために未来へ通じる道を穿つことはできる。
あの戦車は本物だった。
父親がそこに乗っていなかったことも、本当だった。
大人になったジョズエは、この二つの事実を同じ物語に残し、その結びつきを贈り物と呼んだ。
本稿が扱うのは、ロベルト・ベニーニとヴィンチェンツォ・チェラーミが共同で脚本を書き、ベニーニが監督・主演を務めた1997年の映画『ライフ・イズ・ビューティフル』である。