子どもが『暇』と言うと、大人は動画、習い事、遊び方をすぐ提案する。退屈が放置や孤立から来ているなら応答が必要だが、すべての空白が欠陥とは限らない。

予定のない時間には、最初は何も起きない。うろうろし、文句を言い、何度も大人に目的を求める。その待ち時間の後に、箱を家にしたり、古い本を開いたり、自分で誰かを誘ったりすることがある。

大人が毎回用途を与えれば、子どもは与えられた目的を遂行するのは得意になる。しかし『何を始めるか』という最初の動作を練習できない。

余白には条件がある。安全、休息、基本的な材料、必要なら一緒に始める支えがいる。スマートフォンを取り上げて何も提供しないことを創造性と呼んではいけない。

退屈から必ず作品が生まれるわけではない。何も生まれない日も含め、時間を自分で使い始める経験そのものが、後の自由を支える。