第九篇 スミスと見えざる手:余項は、一度も本当に勘定台から退けられていない
アダム・スミスは利己心だけで市場が完成するとは書かなかった。共感、正義、自制、教育を含む著作から一部だけを残した後世の圧縮を解く。
一 最後の版
一七九〇年、アダム・スミスは、世を去るその年に、一つの仕事を終えた。
『道徳感情論』を、もう一度書き直したのである。
生前に出た、この本の第六版だった。初めは出版社に手紙を書き、二つの部分へ少し書き足すだけだと伝えていた。ところが、書いているうちに論じたいことが増え、ついには、まるごと一つの部を新たに加えた。徳、良心、自制、そして道徳感情がどう腐敗するかを、そこで論じた。彼の生涯で、最後の大きな執筆の仕事となった。
このころには、すでに体調がひどく悪く、自分に残された時間が少ないこともわかっていた。そういう時期に人が筆を執るなら、書くのはたいてい、いちばん大切だと思うこと、どうしても気にかかることだろう。スミスが選んだのは、徳がどう育ち、良心がどう働き、人の心がどう腐るか、という問いだった。
新たに加えたその部分で、彼は自制に多くの頁を費やしている。意味の深い選択である。自制とは、自分をどう律するかということだ。それが必要なのは、人間が、利害だけに従って動く機械ではないからである。そのような機械なら、自制はいらない。計算さえ正確ならよい。自制を論じるには、まず、人のなかには計算できないものがあると認めなければならない。
この出来事が大切なのは、時間の順序があるからだ。
『道徳感情論』が出たのは一七五九年。『国富論』が出たのは一七七六年。そして、この大幅な増補が行われたのは、『国富論』の十四年後だった。
最も広く流布してきた物語は、こういうものだ。若いスミスは共感や道徳を語っていた。だが、のちにフランスへ行き、世の中を見て、ようやくわかった。人間は、自分の利益だけを追っても社会を動かせる。その発見が『国富論』になった。先の本には、まだ青さがある。後の本にこそ、成熟した彼がいる、と。
だとすれば、晩年に最も力を注ぐべき仕事が、昔に戻って、共感を論じたあの本をさらに厚くすることだった、というはずはない。
とりわけ、徳と良心を論じる章を、丸ごと一つ加えるはずはなかった。
これだけで、すべてに決着がつくわけではない。それでも、後世のどんな解釈も避けては通れない、動かしがたい事実である。道徳哲学を捨てたと言われるその人が、生涯最後の数か月にしていたのは、道徳哲学への書き足しだった。
言い直してみよう。もし『国富論』が、本当に別れの書だったのなら、別れを告げた人は、十四年たっても、別れたはずの側に煉瓦を積み、建て増しをしていたことになる。しかも、小さな継ぎ当てではない。新しい一部を、まるごと足していた。この事実で二冊のあいだの緊張をすべて説明できるわけではないが、少なくとも、いちばん手軽な説明への道は閉ざされる。
ここで考えたいのは、一人の人間が自己矛盾していたかどうかではない。別のことである。
これまでの八篇で、「構」、組み立てられた秩序が圧縮してきたのは、世界だった。負債、価格、品物、航海、そして人間。スミスのところで、構が圧縮するのは、一人の人間の思想になる。
そして、押しつぶされて消えたはずの半分が、そのあと、何度も帰ってくる。
このことを確かめるには、まず、スミスが何を仕事にしていたのかを知る必要がある。
一七五二年、彼はグラスゴー大学の道徳哲学教授に就いた。
経済学の教授ではない。当時は、まだ、そのような学問分野はなかった。
後年の回想によれば、彼の道徳哲学の授業は、大きく四つに分かれていた。自然神学、倫理学、正義を扱う法学、そして、適宜性、あるいは政治経済学と呼ばれた部分である。
この順序を、よく見てほしい。
のちに倫理学の書物とされた『道徳感情論』と、経済学の書物とされた『国富論』は、スミス自身の授業の組み立てでは、もともと同じ一つの講義のなかに、隣り合って置かれていた。
二つの人格ではない。一つの講義の、第二の部分と、第四の部分だった。
この順序は、もう一つのことも語っている。スミスの講義で政治経済学が最後に来るのは、それが締めくくりだからだ。土台だからではない。先の三つが扱うのは、世界にはおおむねどんな秩序があるか、人は何を根拠に正邪を判断するか、どんな規則なら強制して守らせてよいか、という問いである。第四の部分は、それらがすべて立ったあとで、一つの社会がどうすれば豊かになるかを論じる。豊かさは、彼にとって、もっと大きな学問の最後の一節だった。そのすべてではなかった。
年代の裏づけもある。一七六二年から一七六三年の学生のノートに、彼の法学講義が残されている。そこからわかるのは、分業、貨幣、価格、富に関する多くの中心的な議論が、フランスへ行く前に、すでに形を得ていたということだ。この講義録が世に出たのは、一八九六年になってからだった。出たとたん、フランスへの旅で彼が変わったという説明は、足場を失い始めた。
この出来事の形も見ておきたい。百年近く通用してきた説が、学生の授業ノートの束によって覆された。新しい論証によってではない。ずっと存在していたのに、誰も見ていなかった紙の束によってである。このあとにも、同じことが起こる。一度ではない。
彼は、初めは道徳を語り、のちに経済へ転業したのではない。ずっと同じ授業をしていた。経済は、その授業の最後の部分だった。
ついでに言えば、この二冊はどちらも、一度刻んで出来上がりにした碑文ではない。『道徳感情論』は生前に六版、『国富論』は五版を重ねた。彼が一生をかけて手を入れ続けた、仕事の途上にある文章だった。
一人の人間が、二冊の本で違う主題を書く。それ自体は、ごく普通のことだ。本当に説明を要するのは、なぜ後世が、そのうち一冊だけを残し、しかも、その一冊から、ほんの数行しか残さなかったのか、ということである。
残された数行も、すべて、ねじられていた。肉屋とパン屋の一節は、後半を切り落とされた。見えざる手は、具体的な分析から抜き出され、一般法則にされた。分業は、ただ良い知らせとして受け取られた。削って書き換えるとは、単に捨てることではない。残すほうも裁ち直し、互いの継ぎ目がぴたりと合うようにすることがある。そうすれば、一つの完結した体系に見える。
二 人間をどれほど利己的なものと考えようとも
『道徳感情論』の冒頭の一文は、ほとんど、のちに作られる経済学版のスミスに対して、あらかじめ打っておかれた予防接種のようである。
彼は書く。人間をどれほど利己的なものと考えようとも。
そのあとに続くのは、だから社会の秩序は利害の計算だけに頼るほかない、という言葉ではない。明らかに、人間のなかには、他者の行く末を気にかけ、他者の幸福を自分にも必要なものとする、いくつかの原理がある。そこから自分が得るのは、相手の幸福を見る喜びだけだとしても。そう続くのである。
すぐあとで、彼は共感を定義している。彼のいう共感は、憐れみに限られない。他者のどのような感情であっても、それをともに感じることである。
この区別は大切だ。日常の「同情」という言葉は、ずっと狭い意味で受け取られ、ほとんど、相手をかわいそうに思うことだけを指す。スミスが言っているのは、それではない。もっと根にある働きである。他者がいま感じていることを、自分も感じられるかどうか、ということだ。
この能力自体に、善悪の色はついていない。苦しむ人を見て悲しむこともできれば、得意になっている人とともに喜ぶこともできる。他人が怒るのを見て、自分も腹を立てることもある。スミスには、まさにこの中立性が必要だった。善を勧めるためではなく、判断するために、この働きを使おうとしていたからだ。善いことにしか働かない仕組みでは、判断の土台にはならない。
しかも、その仕組みを語る彼の言葉には、神秘めいたところが少しもない。
私たちには、他者の感情へ直接入り込む通路はない。彼は繰り返し、そう言う。できるのは、想像力によって自分を相手の境遇に置き、私だったらどう感じるだろうと考えることだけだ。
道徳判断は、したがって、天から降ってくるものではない。当事者と観察者のあいだに生まれる。当事者が感情を表し、観察者が、その感情についていこうとする。ついていければ、私たちは、その感情を適切だと思う。ついていけなければ、度が過ぎる、ふさわしくないと思う。
肝心なのは、いまの私が実際に何を感じているかではない。事情を知り、どちらにも偏らない観察者が、私についてこられるかどうかなのだ。
この一歩は巧みである。道徳判断を、私はこう感じるという場所から、互いに話し合える場所へ移しているからだ。私は不当に扱われて悔しい、という気持ちそのものは、争いようがない。だが、事情を知る公平な人にも、私が不当に扱われたように見えるだろうか、と問えば、話し合える。二人が言い争っていると、どこかで必ず、ほかの人の立場でこの件を見てみろ、と誰かが言う。その瞬間に働いているのは、まさしく、スミスのこの仕組みである。
やがて彼は、この観察者を人の心のなかへ移した。良心を、「胸中の人」と呼び、また、私たちの行為を裁く偉大な裁判官とも呼んだ。
理性を別の名で呼んだのではない。長い社会生活のなかで、外から向けられるまなざしを内に取り込み、その結果、人が自らを裁くために備えるようになった装置なのである。
その働きは、偏りを正すことにある。
偏りを正すのは、自分を押さえつけることによってではない。立つ場所を変え、自分を見直すことによってだ。スミスの説明は、簡明である。一人でいるときには、自分のわずかな得や損が、視野のすべてを占めてしまう。誰かが見ていると思ったとたん、それらは、本来の大きさへ戻る。彼は、さらに踏み込んでもいる。自分が損をするか、他人を害するかというとき、人が前者を選べるのは、他人を自分以上に愛しているからではない。心のなかの観察者が、自分の味方になってくれないからだ。自愛は、自分の小さな利益を、いつも過大に扱おうとする。胸中の人は、それに対して、認めよと迫る。他者の目に映る私たちは、大勢のなかの一人にすぎず、生まれつき、ほかの人より大切なわけではない、と。
だからスミスは、自愛を悪だとは考えない。自然に備わっているものだと考える。ただし、観察者の視点を通して一度、枝を刈り込まれてこそ、他者と共に生きていけるものになる。
これは、計算することしか知らない、あのスミス像からは、すでに遠い。
もう一点にも気をつけたい。この仕組みは、初めから、人と人との関係に根を下ろしている。人は、つねに他者を心のなかに置き、参照し続けなければならない。親切心からではない。そうしなければ、自分を判断できないからだ。本当に自分の勘定しかしない人間なら、スミスの考えでは、道徳判断の力さえ持てない。自分を見るために借りる、もう一つの立ち位置がないからである。
三 称賛されること、称賛に値すること
『道徳感情論』で、最も削り落としてはならないのは、一つの区別である。
人間は、ただ愛され、褒められ、称えられたいだけではない。スミスはそう言う。その愛や称賛に、自分がふさわしくありたいとも願っている。
彼の言葉は短い。称賛されるだけでなく、称賛に値すること。
この一言は、二つのものを切り離す。
称賛されるということは、他者から与えられる。人と人とのあいだにあり、外にいる人が決める。勝ち取ることも、演出することも、偽造することもできる。
称賛に値するということは、違う。自分の内にあり、胸のなかの裁判官が決める。他人がどう見るかによって、それが変わるわけではない。
そして、この二つは、しばしば重ならない。
万人に称えられる人が、自分はそれに値しないと、胸の内では知っていることがある。人々に軽んじられる人が、自分は何も間違っていないと、胸の内では知っていることもある。前者には、やましさがある。後者には、不当に扱われた悔しさがある。二つの感情が存在するのは、人が同時に、二本の物差しを持っているからなのだ。
しかも、その測り方は、まったく違う。称賛されているかは、人に聞かなければならない。何と言われているか。何人がそう言うか。どれほど声高に言うか。称賛に値するかは、聞く必要がない。自分の胸に、わかっている。聞く必要がないからこそ、偽造もできない。すべての人を欺けても、心のなかで裁くものだけは欺けない。もし欺けるのなら、その裁くものは、もう失われている。
スミスには、はっきり見えていた。市場の社会も、宮廷の社会も、社交の場も、称賛される機会なら、いくらでも用意できる。だが、もう一方は、用意できない。
金で他人の働きは買える。称賛に値することは、買えない。
もう一歩、進めてみよう。金で買える、敬意に似たものは多い。華やかな構え、席次、他人の丁重な応対、新聞の紙面。それらは、確かに実在し、測ることができ、値段もつけられる。だが、すべて外を向いた側にある。買えない、あの一つは、他人の手中にはない。だから、誰もそれを、あなたに売れないのである。
この境界を引いたのは、後世の人ではない。スミス自身だ。そして、その境界が大切なのは、一つのものを、価格の手の届かない場所に残したからである。
価格は外を向いている。二人がいなければ成立せず、人と人とのあいだで比較されて定まる数字だ。称賛に値することは、内を向いている。一人でも、すでにある。誰かが値をつけるまで待つ必要はない。
ところが人は、何度でも、この二つを混同する。
スミスは、そのことにきわめて敏感だった。人々は、富者や権力者を、ほとんど拝むように崇めながら、貧者を軽蔑し、あるいは見向きもしない。これこそ、私たちの道徳感情を腐敗させる、最大にして最も広く見られる原因だ。彼はそう書いた。
この一文は、『道徳感情論』という一冊が商業社会に浴びせる、冷水と読むべきだろう。
そこで言っているのは、商業社会が、人のまなざしを身分から価値へ、自動的に移してくれるわけではない、ということだ。それどころか、富そのものを、新たに人を目立たせる機械へ変えるかもしれない。敬意に値することと、羨ましく見えることを、いっそう見分けにくくするかもしれないのである。
人がどれだけ金を持っているかは、測れる。その人が敬意に値するかは、測れない。そして、測れるほうがますます目立つようになるほど、人は、それを、測れないほうの代わりに使いやすくなる。
後世がスミスへ押しつけた批判ではない。彼自身が、書いたことである。
四 正義と善行
もう一か所、省くことのできない部分がある。建物全体の土台を定めるところだ。
スミスは、正義と善行を、厳しく分ける。
人に恩恵を与え、気前よく施し、友愛を示す。そうしたことは、つねに自由なものだと彼は言う。強いることはできない。しない人は、失望を招き、嫌われ、非難されるだろう。それでも、一般には強制してはならない。
正義は違う。正義に背けば、特定の誰かに、現実の、はっきりした害を与える。そのため、強制して守らせることができ、違反には罰を科すことができる。
その違いがもたらす結果も、彼は具体的に述べている。善行がなければ、社会はいくらか不愉快になる。正義がなければ、社会はそもそも存続できない。
二つの文の重さは違う。スミスは、あえて違わせている。不愉快なのは、程度の問題だ。存続できないのは、あるかないかの問題である。彼は、善いことを何もかも義務にするつもりはない。それをすると、善意までも、要求され、査定され、果たしたと報告しなければならないものになりがちだからだ。守ろうとしているのは、最低限の一線だけである。その上に広がる大きな領域は、説得、世論、称賛、そして羞恥による調整へ委ねようとする。
『国富論』を理解するには、この区別が欠かせない。
社会は、日々のやり取りをすべて善意で動かせと要求しているわけではない、ということである。パンを買うあなたが、パン屋を愛している必要はない。あなたにパンを売るパン屋が、あなたを憐れむ必要もない。
だが、そのやり取りで、人を害してはならず、権利を侵してはならず、欺いてはならない。
だからスミスは、誰もが慈悲深くあれと命じる道徳の立法者でも、自分のことさえ考えれば万事うまくいくという、冷たい計算の信奉者でもない。彼が引くのは、別の線だ。善を行わないことは許される。害を加えることは許されない。
そして、この線こそ、前の篇で、徹底して踏み越えられた線だった。
二つを並べれば、違いは明らかになる。パンを売る者が、あなたを憐れまなくても、一線を越えたことにはならない。人を船へ積み、運んで売り払う者は、一線を越えている。前者は、善を行わないことは許されるという側にある。後者は、害を加えてはならないという側にある。スミスの一線が大切なのは、要求がそれほど高くないからだ。だからこそ、それを越えたときには、弁解の余地がどこにもない。
五 ピン工場
では、『国富論』を見よう。
最もよく知られている冒頭の話題は、分業である。
スミスは、小さなピン工場について書いた。十人が仕事をおよそ十八の工程に分ければ、一日に四万八千本以上のピンを作れる。ところが、一人ひとりが別々に働き、この仕事の訓練も受けていなければ、一日に二十本どころか、おそらく一本さえ作れない。
この例が長く生き続けてきたのは、数字が驚くほど大きいからだけではない。一つの新しい社会的な技術を、きわめて明瞭に描いたからだ。複雑なものを生産するには、個人が何でもできる必要はない。動作、時間、技能、道具を、分けられ、繰り返せ、互いにつなげられる順序へ組み立てればよい。
だが、そのすぐあとでスミスは、しばしば読み飛ばされることを言っている。
分業は、人間の誰かが、広く豊かさをもたらすと先まで見通し、そのために意図して作り出したものではない、と。
人間に備わる、ある傾向から、ゆっくり生まれた結果である。その傾向とは、交換し、取引し、互いに持つものをやり取りして、不足を補い合うことだった。
つまり、分業には、初めに設計図があり、それが実行されたのではない。無数の具体的な交換のなかから、少しずつ育ってきたのである。
この一文には、このシリーズのなかでの重みがある。分業は、誰かの計画ではない。設計図もなく、上に座って全体を取り仕切る者もいない。それぞれの算盤を弾く人々が、数えきれないほどの値段交渉を重ね、一つの仕事を、ゆっくり十八の工程へ分けていった。のちには、このことを根拠に、自然に育ったものなら必ずよい、と言う人も現れた。だが、スミス自身は、そうは言っていない。同じ本の後ろのほうで、この仕組みが払わせる代償も書いた。
ここでも、言葉を置く順序に目を向けたい。スミスは、まず分業を誰かが設計したわけではないと述べ、次に驚くほどの産出をもたらすと述べ、最後に、人をすり減らし、鈍らせると述べる。この三つを並べたときに出てくるのは、分業はよい、あるいは悪い、という結論ではない。誰も設計していないものが、巨大な利益と巨大な損害を、同時に生むことがある。しかも、両方が同じ過程から生まれる。切り離すことも、一方だけを選び取ることもできない、ということだ。
そのあとに、どの教科書も必ず取り出して載せる、あの一節が来る。
肉屋、醸造家、パン屋。
その文が言っているのは、こういうことだ。私たちが当てにするのは、彼らの慈悲ではなく、自愛である。彼らに語りかけるのは、こちらの必要についてではなく、彼らの利益についてである。
肝心なのは後半だ。ところが、その後半が、よく落とされる。
この一節が本当に説明している仕組みは、善意を当てにするな、ということではない。説得である。
交換を成立させるには、まず、相手が何を欲しがっているかを知り、自分の必要を、相手の利益へ訳し直さなければならない。その動作には、もう一人の人間についての判断が含まれている。この人は何を求め、何を大切にし、どう言えば承知するのか、という判断だ。
スミスにおいて、市場の行為は、したがって、他者を取り除くことではない。むしろ他者を、自分自身の目的を持ち、説得を要する相手として扱うことなのである。
ここでは、匿名の価格が、顔のある人と人との交渉に取って代わっては、まだいない。交渉の言葉が変わっただけだ。どうか私を憐れんでほしい、から、これはあなたにも得になる、へと。
この言い換えには、利点がある。しかも、小さくない。私を憐れんでほしいと言うときには、自分の身を相手の善意へ預けている。何かをくれるかどうかは、相手の気持ち次第だ。あなたにも得になると言えば、二人とも確かめられるものの上に、話を置ける。相手は、こちらを好きになる必要も、憐れむ必要もない。勘定ができれば、それでよい。この一言によって人は、自分を知らず、気にもかけていない相手から、必要なものを手に入れられる。市場が本当に人をほっとさせるのは、ここだ。生きていく資格を得るために、まず人に好かれなければならない、ということがなくなる。
ただし、その気楽さにも代償がある。スミスは、それも避けて通らなかった。同じ仕組みが、一方では、誰にも取り入らずにパンを手に入れさせ、他方では、こちらのことを気にかけない人にも、こちらとの売買を成立させる。人への依存から解かれると同時に、人に気にかけてもらう関係からも解かれる。これまでの篇でも触れてきたことである。ただ、スミスのところで初めて、一人の人が、その両端を同時に見て、同じ学問のなかへ書き込んだ。
続いてスミスは、貨幣を取り上げる。貨幣が解くのは、直接の物々交換につきまとう、あの厄介さだ。自分の欲しいものをちょうど持っていて、しかも自分の持ち物をちょうど欲しがっている相手を、見つけなければならない。金があれば、肉屋は毎回、いま牛肉を食べたくて、しかもパンを持っている人を探さずに済む。
こうして金は、入り乱れる必要と供給を、一本の共通の物差しへ引き寄せる。
それでもスミスは、別のことも譲らなかった。理論の上で、時間と場所を越えて価値を測る、より深い尺度となるのは、貨幣ではなく労働だということだ。金は、商業に共通して使う道具、流通の大きな車輪にすぎない。社会の所得そのものではない。
彼は、はっきりとさえ述べている。同じ時、同じ場所では、金は交換価値の正確な尺度になる。だが、時代を越え、土地を越えると、その尺度は安定しなくなる。
この言葉は、覚えておきたい。のちに通約の父とされたその人が、異なるものを一つの尺度へ載せる通約には、取りこぼしがあると、自分で知っていたのである。
彼の探した、より深い物差しにも、難しさはある。労働のほうが確かなものに聞こえるとしても、ある人の一日の労働と、別の人の一日の労働を、どう比べればよいのか。軽い仕事と重い仕事、熟練者と不慣れな者、危険な仕事と安全な仕事を、どう換算するのか。スミス自身が、本のなかで、何度もこれらの問いへ戻っている。のちには、一つの世代が、延々と論争し続ける主題になった。大切なのは、彼が解決できたかどうかではない。なぜ、どうしても別の尺度を探さなければならなかったのか、である。金だけで計算すると、合わないものがある。そう知っていたからだ。
共通の物差しが必要なことも、その物差しには、どうしても合わないところが残ることも、彼は知っていた。だから、金のほかに、もう一本、より深い物差しを探したのである。
六 めったに現れない手
では、あの手の話をしよう。
「見えざる手」という言い方は、『国富論』に、一度しか出てこない。『道徳感情論』にも、一度しか出てこない。
一度である。
『国富論』でそれが現れるのは、商人がなぜ国内へ資本を投じたがるのかを論じる箇所だ。そこでの仕組みは、きわめて具体的である。
スミスによれば、商人は安心を求め、自分の目が届き、監督ができ、比較的よく知っている国内の産業へ、金を投じたがる。また、資本は、産出の価値が最も大きくなる使い道へ投じようとする。そこで、自分自身の安全と収益を追い求めながら、あたかも見えざる手に導かれるように、社会全体の産出を増やすことになる。
この手を働かせるものが何か、気をつけてほしい。
抽象的な、誰にでも向けられる利他心ではない。価格の仕組みによる最適な配分でもない。どの程度の危険なら受け入れるか、目が届くか、監督できるか、という選好なのである。
平たく言えば、見えないところを信用できないからだ。
ここは、よく考えてみたい。のちに市場をひとりでに最適な状態へ導くとされた手は、書かれた箇所に戻ると、ほかならぬ不信によって動いている。商人は、遠くへ金を投じる勇気がない。遠くのことは、管理できず、見えず、何かが起きても止められないからだ。そこで、金を地元に置く。社会は、そのために利益を受ける。その利益を生んだのは、市場の完全さではない。一人の人間が、不確かさを恐れたことだった。
しかもスミスは、すぐあとで限定をつけている。同じ結果は、ほかの多くの場面でも生じる、と述べた。つねに生じるとは、言わなかった。
さらに、非常に辛辣な一言を添えている。公共の利益のために商売をすると称する人々が、大してよいことを成し遂げた例を、私は見たことがない、と。
今日、この言葉は、鮮やかな皮肉としてよく引用される。だが、引用する人は、その意味の半分しか使わないことが多い。スミスが言いたいのは、公共の利益を求める価値はない、ということではない。公共の利益を口にする商人を、たやすく信じるな、ということだ。商人への疑いは、この本の至るところにある。同じ業種の者が集まれば、話は、結託して値段をつり上げるほうへ向かう、と書いた。商人が持ち出す法律の提案は、どんなものでも、とりわけ慎重に調べるべきだとも警告した。商人に自由にやらせよと主張したはずの人は、実のところ、商人をかなり低く評価していたのである。
この言葉は、ふつう、偽善的な商人をあざけるものとして読まれる。確かにそうだ。同時に、そこからわかるのは、彼が反対していたのは公共の目的そのものではない、ということである。口では公共の善を語りながら、実際には、ほかの人よりよく知っているとも、頼りになるとも限らない人々に、反対していたのだ。
さらに先で彼は、私人に向かって、その資本をどう使うべきか指図しようとする政治家を、はっきり危険な人物として描いている。
これは、『道徳感情論』の、あの有名な言葉と響き合う。スミスはそこで、「体系の人」と呼ぶ種類の人間を風刺した。社会をチェス盤と見なし、自分の頭に描いた図柄に従って、一つひとつの駒を並べ直せると考える人間である。
だが、盤上の駒には、一つひとつ、それ自身の運動原理がある。
この一文は、シリーズ全体への注釈にしてもよいほどだ。構が何よりも欲しいのは、チェス盤のような状態である。駒の位置も、価値も、動き方も、並べる者がすべて決める。スミスが注意を促すのは、駒は自分で動く、ということだ。自分の思惑があり、自分の判断があり、どうしても譲らないものがある。こちらの図柄どおりに並べたと思えば、次の瞬間には、別の場所へ歩いていってしまう。
だから、スミスは、政府が何かをすることに反対したのではない。この点は、よくねじ曲げられる。彼は、国が教育を行い、道を造り、司法を担い、私人にはできない仕事を引き受けることを主張していた。反対したのは、別の構えである。自分には全体がもう見えていると思い、すべての駒について、どちらへ進むべきかを代わりに決められると思うことだ。この二つは、今日、しばしば一緒にされる。彼のなかでは、はっきり分かれていた。
スミスが警戒したのは、したがって、抽象化ではない。彼自身、抽象を作る人だった。警戒したのは、抽象が、すでに現実を余さず食べ尽くしたと思い込むことだった。
七 鈍る
ここからは、『国富論』で最も引用されることの少ない、一節の話になる。
第五編にある。
スミスは書く。生涯にわたって、ごく単純な数個の動作ばかり繰り返す人は、人間がなりうる、最も愚鈍で無知な状態にまでなってしまう。
そうなった人は、理性的な会話に加われないだけではない。寛大で、高潔で、あるいは優しい感情を伴う判断も、持ちにくくなる。彼は、そう続けている。
この一節を、ピン工場の一節と並べて見てほしい。
同じ人が、同じ本のなかで、まず四万八千本のピンによって分業の威力を示した。そして、その後ろのほうで、この仕組みは、働く人を鈍らせる、と書いたのである。
貧しくする、ではない。鈍らせる、だ。
この違いは決定的である。貧しくなるのは、帳簿の上の出来事だ。賃金、生産量、物価によって測ることができ、成長によって埋め合わせられると期待することもできる。鈍るのは、違う。一人の人間の判断力、好奇心、複雑なことへ向き合う忍耐、他者の身になって考える力。それらが何十年もの反復動作のなかですり減り、失われたなら、どんな収入によっても買い戻せない。スミスが書いたのは、帳簿に載らない損耗である。しかも、その損耗こそが、帳簿に載った成長の、引き換えだった。
さらに厄介なのは、同じ平面の上で、この勘定を相殺できないことだ。生産量が三割増えたから、判断力が二割鈍っても引き合う、とは言えない。二つは、そもそも、同じ物差しに載っていない。同じ物差しに載らないものを並べて比べれば、つねに、測れないほうが割を食う。スミスは、それを知っていた。だから比べようとはせず、直接、これは国家が取り組まなければならない、と言ったのである。
彼が記録したのは、分業の経済的な代償ではない。その精神的な代償だ。
一人の人の産出が増え、その人のなかの別の何かが減っていく。そして、その別の何かは、どの生産統計にも出てこない。
価格はなく、帳簿へ入らず、どんな帳簿の釣り合いも崩さない。
複式簿記の篇で書いたように、購買力を持たない必要は、どの帳簿にも間違いを生まない。だから、どの帳簿も、その必要を気にかけなくてよい。ここにあるのは、同じ事態の、別の姿である。人が鈍っても、生産量は下がらず、賃金は支払われ、帳尻は変わらず合っている。帳簿は、何も言わない。そもそも、そのための欄を設けていないからだ。スミスの並外れているところは、自分でこの帳簿を作りながら、同時に、帳簿の外にある欄をも見ていたことである。
スミスは対策も示した。国家は、このことに力を費やさなければならない。とりわけ、教育において。つまり、この損耗は、放っておいて治るものではない。誰かが、ことさらに引き受けて取り組まなければならない、と考えたのである。
この一節と、先ほどの、道徳感情の腐敗についての言葉を並べると、教科書とは大きく違うスミスが姿を現す。
確かに彼は、富がどう増えるかを論じる本を書いた。そして、同じ一冊に、成長のもたらす二つの代償も記した。一つは人の判断力に、もう一つは人の道徳的なまなざしに、降りかかる代償だった。
商業社会は、物事を共通の尺度へ載せるのがうまい。産出を増やすのがうまい。価格によって、見知らぬ人同士を結びつけるのがうまい。
同時に、判断を腐らせ、富貴への崇拝を生み、目の前を貧しい人が行き来しても、誰にも見えないようにする。働く人を、単調な工程のなかで鈍らせる。
後世の人が、スミスへ付け足した、良心の付録ではない。彼自身が行った、商業社会の解剖なのである。
八 誰が、あの半分を削ったのか
ここで、ようやく、あの問いを立てられる。この半分は、どうしてなくなったのか。
この問題には、正式な呼び名がある。アダム・スミス問題という。十九世紀のドイツの学界で、まとまった形で提起され、のちに、その名がついた。
議論は、大きく、いくつかの段階を経てきた。
第一の段階は、転向説である。『国富論』は、スミスが道徳哲学から物質主義へ滑り落ちた証拠と読まれた。まるで、フランスへ行き、そこの経済学者たちに出会ってから、別の人間観へ改宗したかのように。
一八九六年、この説は大きな打撃を受ける。一七六二年から一七六三年の彼の講義を記したノートが、その年に公開された。ノートは、政治経済学の中心的な考えの多くが、フランスへ渡る前から、明瞭に存在していたことを示した。
第二の段階は、橋を架ける解釈だった。二冊が重心を置くところの違いは認めながら、人間の別々の側面を論じているのだとする。ある人は、自己利益を動力、共感を制御の仕組みと考えた。ある人は、共感は慈悲ではなく、もっと根にある判断の働きだから、自己利益と矛盾しないと指摘した。二冊を、さらに大きな文明史のなかへ置く人もいた。先の一冊は人間の道徳的な発展を、後の一冊は物質的な発展を論じている、と。
第三の段階では、両立しないという説が復活する。一九二七年の、よく知られた論文が、二冊の違いを改めて強調した。スミスが一七九〇年に『道徳感情論』を改訂しても、その衝突は解消されていない、というのだ。この説の影響は大きかった。一致を説く解釈も途絶えなかったが、二十世紀半ばになっても、不一致を説く解釈を、完全には圧倒できなかった。
第四の段階は、一九七六年である。その年、二冊のグラスゴー校訂版が刊行された。新版の序論は、アダム・スミス問題を、おおむね、無知と誤読が作り出した疑似問題として扱った。同じ時期の別の研究者も、共感と自己利益という、二つの言葉の誤解に、問題のもとを求めた。
今日の学界は、全体としては、統一的に読むほうへ傾いている。だが、それは論争が終わったという意味ではない。この学説史をたどる人自身が、いまの議論にも、問題はまだ部分的にしか解かれていないと考える人々がいる、と注意を促している。
本当に変わったのは、問いの形だった。彼は二人の人間だったのか、という問いが、一つの体系の内部にある、議論の層の違い、文章が書かれた時期の隔たり、概念の意味の移り変わりを、どう理解すればよいか、という問いになったのである。
この変化自体も、あることを語っている。問題が解決するのは、誰かが答えを出したからとは限らない。問う仕方が変わったから、ということもある。初めの問いは、二冊は一致するか、矛盾するかのどちらかだと、あらかじめ決めていた。問い直したあとでは、一人の人が三十年のあいだ、異なる主題に向かい、異なる層で語るとき、そのあいだにはどんな緊張が生じるかを尋ねる。確かに、後の問いのほうが、ずっと長くなる。それでも、その人の実際の姿に、より近い。
学界がゆっくり縫い合わせているあいだにも、その外では、削られた短縮版のほうが、ますます広まっていた。
そこには、とりわけ強力な二つの増幅器があった。
一つは、教科書に置かれる行動の仮定である。ある経済学者は、著名な論文のなかで、人間は主として自己利益に動かされるという自説を、スミスの道筋に沿うものだと述べた。後年、別の学者は、それについて、棘のある言葉を残している。アダム・スミスには、あまりに矮小な姿が押しつけられてきた、と。
もう一つは、あの手を近代化することだった。ある研究によれば、一九四八年に出た、きわめて大きな影響力を持つ経済学教科書は、スミスの見えざる手を完全競争へ結びつけた。のちには、一般均衡と厚生定理を先取りしていた、とまで言うようになった。もともと具体的で、限定を伴い、修辞としての性格がきわめて強かった比喩が、こうして、学問全体の大きなトーテムへ作り替えられる。その研究者の要約は、率直だ。一人ひとりの利己心が、すべての人に最善の結果をもたらす。そう読まれるようになったのである。
この改造に、誰かの意図的な捏造が必要だったわけではない。その点も指摘しておきたい。教科書は学生に教えなければならず、教えるには、覚えられる言い方が必要になる。何度も繰り返される比喩のほうが、七つも八つも限定のついた分析より、ずっと教えやすい。そこで限定が省かれ、どの場面の話かが省かれ、あの辛辣な付け足しも省かれる。手だけが残る。省く一歩ごとに、その場では道理がある。だが、省き終わったときには、その人は、もうその人ではなくなっている。
こうして、二段の削除と書き換えが起きた。
第一に、二冊の本に一度ずつしか現れない比喩が、スミスの思想をすべて開く万能の鍵へ変えられた。
第二に、人は自然に、まず自分の面倒を見るという意味の自己利益が、人は自分の利益しか計算しない、というところまで広げられた。
スミス自身は、どちらも書いていない。交換の一節で彼が考えていたのは、相手自身の利益を、どうすれば相手に見てもらえるかだった。『道徳感情論』で考えていたのは、良心、羞恥、観察者のまなざし、そして称賛されることと称賛に値することの違いが、人をどう動かすかだった。『国富論』第五編で心配していたのは、分業が働く人の心や知性を鈍らせ、国家が教育に力を尽くさなければならなくなることだった。
どれも、自己利益だけで自動的に最適な結果になる、と縮められたスミスからは、あまりにも遠い。
だから、のちにスミスへ帰ろうとする動きは、しばしば、市場原理主義へ帰ることを意味しない。帰っていく先は、もっと厄介で、一言の掛け声にはしにくい世界の姿だ。市場の秩序には、価格、分業、貨幣、制度が要る。同時に、正義、自制、慣習、まだ恥じて顔を赤らめることのできる力、他者の境遇を想像する力、そして貧者を完全に見えなくしてしまわない、公のまなざしにも頼っている。これらは、どれ一つ、モデルに書き込めない。だが、これらがなければ、モデルのなかの仕組みも動かない。
ここまで来れば、この一幕が、シリーズ全体のなかで占める場所を、明らかにできる。
これまでの八篇で、構が圧縮していたのは、世界だった。人への借りを粘土板の数字へ、価値を一枚の鋳貨へ、商売を借方と貸方の二つの欄へ、国家を一年の差し引きへ、人間を積み荷目録の一行へと、押し縮めてきた。
スミスのところでは、構が圧縮するのは、一人の人間が書いたものである。
四つの部分からなる授業を、一生かけて語った人から、第四の部分だけが残された。二冊の本を書き、晩年にも最初の本に立ち返って、それを厚くした人から、二冊目だけが残された。その二冊目でも、残ったのは、ピン工場と、肉屋とパン屋と、一度現れた、あの手だけだった。
圧縮の理屈は、これまでの篇と、まったく同じである。モデルに入るものは残し、入らないものはよけて通る。自己利益なら仮定として書け、形式化でき、計算できる。共感、羞恥、称賛に値すること、胸中の人、分業がもたらす精神の損耗。それらは方程式へ入らない。すると、別の何かにされる。前史になり、付録になり、若いころの過ちになる。
この扱い方も、前の篇で見たことがある。高利貸しが禁じられていた時代、人々は、利息を補償と言い換え、禁令の射程から外した。ここでは、逆のことが起こる。判断の仕組みを一つ丸ごと、付録と言い換え、理論の射程から外す。どちらも改名である。ただ、一方はあるものを中へ入れるために、もう一方は、あるものを外へ出すために行われる。
そして、今回の余項には、これまでの篇にはなかった性質がある。
ポトシで構が計算へ入れられなかったものは、姓の分布に残り、四百年後の統計を待って、ようやく見えた。中間航路で計算へ入れられなかったものは、蜂起の回数や、奴隷制から逃れた人々の山の集落に残り、断片的な記録をつなぎ合わせなければならなかった。
ところが、ここでは、構が削り落とした半分が、ずっと無事に、本棚に収まっていた。
余項の、とても変わった存在の仕方である。これまでの篇には、一度もなかった。ポトシのように、人口の空白だけが残っているのでもない。中間航路のように、断片的な記録から組み上げる必要もない。完全な形で、一冊の本になり、版を重ねて刷られ、いつでも開けるようにして、そこにある。削って書き換えた人々には、それを破壊する権限はなかった。あったのは、読まないこと、そして他人にも読まないよう教えることのできる力だけだ。
焼かれたのではない。禁じられたのでもない。反駁さえ、されていない。ただ、読まれないのである。誰でも、あの本の最初の頁を開きさえすれば、人間をどれほど利己的なものと考えようとも、という言葉を読める。後ろへ頁を繰れば、称賛されるだけでなく、称賛に値すること、という言葉を読める。
だからこそ、何度でも帰ってこられる。そのたびに、新しい発見が要るわけではない。誰かが、もう一度読めばよい。
これは、文字というものの、奇妙な性質でもある。前の篇では、構の残した帳簿のほうが、いつも余項より長生きしていた。粘土板は残り、積み荷目録は残り、保険証券は残った。その計算へ入れられた人々は、姓の空白としてしか残らなかった。ここでは、逆になる。構が残したのは、教科書の一つの説明である。だが、その説明のもとになった本は、削られた半分も、一緒に保存している。削る側と、削られたものが、同じ表紙の内に入っている。
それによって、これほど繰り返し、規則正しく戻ってくる理由もわかる。焼かれたものが帰ってこられるかどうかは、運に左右される。本棚にあるものが帰ってくるのは、時間の問題だ。どの世代にも、もとの本を開く人が必ずいるからである。構は、ある時代に何を読ませるかを決められる。それを永遠に決めることはできない。
一八九六年、講義ノートが公開され、転向説は半ば崩れた。一九七六年、校訂版が刊行され、疑似問題だという判断が打ち出された。そのあとにも、全面的に無視されてきたあの本を思い出すよう、論文で呼びかける人が現れた。
そのたびに帰ってきたのは、同じものだった。あの人が書き、人々が読まないと決めた、あの半分である。
その半分には、いったい何が書かれていたのか。彼自身のあの一言が、最も短く語っている。
人は、称賛されたいだけではない。称賛に値する者でもありたい。
前のほうなら、市場が与えることができる。価格で測れ、他者のまなざしによって、勘定を明らかにできる。
後のほうは、与えられず、測れず、計算しきれない。
それは、その人自身だけに属している。誰かに見えていても、見えていなくても、そこにある。
スミスは生涯、二つのことを書いていた。一つは、世界をどうすれば共通の尺度へ載せられるか。もう一つは、どうしてもそこへ載らないものは何か。後世は、前のほうを持ち去り、彼が口にしなかった保証まで付け加えた。徹底して尺度へ載せさえすれば、残りは自然によくなる、と。スミス自身は、一度も、そんな保証をしていない。最後の版へまるごと加えた、あの一部で書いたのは、ほかならぬ、尺度へ載らないものだった。
勘定はいまだ合わず、記帳はいまも続いている。
中国語原文の論証と史料を基に、日本語読者のために構成と文章を新たに組み直した独立編集・再構成版です。 中文・English