Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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鑿構周期律 · 陸上競技シリーズ · 日本語独立再構成版
第 11 篇 / 全23篇

比較可能性を守るために古い帳簿を壊す

ホーンの104.80メートルは「消された」のではない。やりの規格が変わったとき、古い帳簿のなかに封じられたのだ。比較できるということを守るために、制度は連続性がすでに断たれたことを認めなければならなかった。

Han Qin (秦汉)
この篇の目次

一 まず訂正しておかなければならない話

はじめに、広く流布しているある話を訂正しておきたい。そこを出発点にしてしまうと、この一篇は最初から何もかも間違うことになる。

よく語られるのは、こんな話だ。ホーンが1984年に投げた104.80メートルは、永遠の記録でありながら、取り消された一投でもある。あまりに遠くまで飛んだため、ほかの選手にも追いつけるようにと、国際陸上競技連盟がその記録を帳消しにしたのだ、と。

この話は、ほとんど一語ずつ訂正しなければならない。

ホーンのあの一投は、取り消されていない。今もワールドアスレティックスの公式資料に、やり投の旧種目の記録として残っている。正式に公認された成績であり、ホーンの自己最高記録であり、旧規格の用具によるものという注記とともに、世界記録の変遷にも載っている。一度も不正な投てきと宣告されたことはないし、のちの技術裁定が遡って、ホーンの使ったやりを規則違反としたこともない。

仕切り直されたのは、ホーンの成績ではなく、新しい規格の用具について世界記録をつないでいく系列だった。1986年4月からやりの規格が変わり、この構はその新しい用具のために、新しい記録簿を開いた。ホーンの一投は旧規格の用具によるものだから、古いほうの帳簿に残った。現在の男子やり投の世界記録は、ゼレズニーの98.48メートルであって、ホーンの104.80メートルではない。

だから、正確にはこう言うべきなのだ。104.80メートルは旧規格の種目における最後の世界記録であり、取り消された一投ではない。

「永遠の記録」という言葉にしても、公式に使われたことはない。国際陸連あるいはワールドアスレティックスの規則、総会決議、公式記録表のどれを見ても、ホーンの一投を永遠、永久、あるいは破れない記録と呼ぶものは見つからない。これは一般向けのメディアやソーシャルメディア、回顧動画の言葉だ。この構自身が使う言葉は、旧種目という区分や記録の変遷といった、実務のための言葉である。

この一篇で考えたいのは、それよりも正確で、それだけにいっそう奇妙な事実だ。ある成績は適法で、有効で、歴史のなかにそっくり保存されている。それなのに、その成績が現行の記録として属していたカテゴリーは、この構自身の手で廃止された。しかも、そのやり方は成績を消すことではなかった。それが記された帳簿を閉じることだった。

前篇で見たのは、構が自分の境界を越えられて初めてその境界に気づき、守るか、開くかを決めるということだった。今回は、構が守ると決めたとき、そのために何を支払うのか、という話になる。

ただし、ここで「守る」という言葉には注意がいる。前篇で構が守ったのは、走幅跳とは何か、という定義だった。構は宙返りを走幅跳のなかに入れなかった。今回守るのは、別のものだ。一つの記録の系列の内部で、成績どうしを比較できること。同じ系列に属する成績なら、どれもほかの成績と比べられなければならない。新しい用具の登場でそれができなくなったとき、構が比較可能性を守るために選んだのは、古い用具による成績と新しい用具による成績を、二冊の別々の帳簿に分けることだった。比較できるということを守る代償として、比較できないものをつくる。矛盾に聞こえるこの一文を、ここから解きほぐしていきたい。

二 一度に五メートル以上伸びた

1984年7月20日、東ベルリン。ホーンが104.80メートルを投げたのは、フリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーン・スポーツパークで開かれたオリンピック陸上デーでのことだった。ワールドアスレティックスの資料によれば、その大会での二投目だった。

それまでのペトラノフの世界記録、99.72メートルを5.08メートル上回る一投だった。旧規格の男子やり投で、100メートルを超えた成績として公認されたのは、この一投だけである。

この5.08メートルという数字の前で、少し立ち止まりたい。

ホーン以前、記録はこう動いていた。1980年のパラギが96.72メートル、1983年のペトラノフが99.72メートル。メートル単位で伸び、この間の伸びは三メートルだった。それをホーンは、一度に五メートル以上伸ばした。センチメートルを積み重ねた続きではない。飛躍だった。

ただ、ここでもう一つ、よくある印象をすぐに訂正しておかなければならない。1980年代には、やり投の成績が毎年伸びていたという印象だ。そうではない。

各シーズンの世界最高の成績を並べると、1980年は96.72メートル。1981年には92.48メートルに下がり、1982年は95.80メートルに戻る。1983年が99.72メートル、1984年が104.80メートル。そして1985年にはホーン自身がシーズンの世界最高を出しているが、その数字は96.96メートルにとどまり、自分の104.80メートルには遠く及ばなかった。

正確に言えば、空気力学の発達とトップ選手たちが、記録の上限を描く包絡線を一気に外へ押し広げたのだ。しかし、どのシーズンも前年より遠くへ飛んでいたかのようには描けない。包絡線は広がり、その内側で各シーズンの成績は上下していた。ホーンの一投は、広がっていくその包絡線のうち、最も極端な一点である。なめらかな右肩上がりの曲線の頂点ではない。

あの一投について、今では手に入らないものがいくつかある。そして、何が欠けているのかも、書き留めておく必要がある。

まず、ホーンが使ったやりの正確なメーカーとモデルがわからない。のちの記述には、当時の有名な旧型のやりを挙げるものがいくつもある。だが、特定のモデルをあの一投と結びつける用具検査の証明書、メーカーの製造番号、あるいは信頼できる大会用具一覧は見つからない。だから、あるブランド名や、ある公称の飛距離クラスを、確定した事実として述べるのは危うい。

その一投のときの正確な天候と風速も、手に入らない。やり投の記録には、短距離走や走幅跳、三段跳にある毎秒二メートルの風速制限はない。しかし、やりの飛行は風速、空気密度、迎角、そして用具の姿勢に大きく左右される。ホーンのあの試技について、風の向きと強さ、気温、気圧、空気密度を記した信頼できる記録は見つからない。したがって、天候を仮定して行う精密な換算は、どれも推測である。

ここには、第5篇で見たビーモンの跳躍と同じ事情がある。極端な成績が生まれた瞬間、その条件は完全には記録されていなかった。だから、どこまでがその人の力で、どこまでがその日の条件だったのかは、いつまでも計算しきれない。ただし違いもある。ビーモンの跳躍の条件には、規則の改定で処理できるものがなかった。風は規則の範囲内にあり、標高は地理だった。ホーンの一投をめぐって動いたのは、用具そのものの定義し直しである。

この違いは大きい。ビーモンの跳躍に対して、構には規則で手をかけられる場所がなかった。計算しきれないその成績をそのまま受け入れ、記録表に載せ、二十三年間も最上段に掲げておくほかなかった。ホーンの一投には、手をかけられるものがあった。やりそのものだ。やりは用具であり、用具の規格なら定め直せる。遠くへ行きすぎた成績を前に、ビーモンの場合には何もできなかった構が、ホーンの場合には動けた。それは一投の成り立ちをよりよく理解できたからではない。今回は、動かせるものを見つけたからだ。標高は動かせない。やりなら動かせる。

三 提案はすでに動き始めていた

ここで、否定しておかなければならない説明がある。ホーンの一投だけが、記録の仕切り直しを強いたという説明だ。それでは因果が逆になる。

そうではなかった。

国際陸連の技術委員会に関わったブレミッカーは、その時系列をはっきり否定している。変更に向けた作業は、あの一投よりずっと前から進んでいた。1982年から83年にかけて、技術委員会は実験を行った。用具の構造規則の改定案は1983年にはまとまり、1984年初めにはロサンゼルス総会の議題に入り、同年5月には加盟団体へ回覧されていた。ホーンが104.80メートルを投げた7月20日は、総会が開かれるおよそ二週間前だった。

だから、何か月も前にすでに回覧されていた提案を、その一投が生み出したはずはない。できたのは、変更の理由を政治的にも象徴的にも強めることだった。より確かな言い方をすれば、技術面の作業がすでに進んでいた決定に、104.80メートルという、いつまでも人々の記憶に残る姿が与えられたのである。

これは前篇につながる話だ。ただし、つなぎ方を間違えてはいけない。

前篇の前方宙返りによる走幅跳では、境界は越えられたそのときに引かれた。1974年より前、走幅跳の規則には宙返りを禁じる条文がなかった。デラメアが宙返りをしたことで、初めて禁止条項が生まれた。あちらでは確かに、越境のあとに境界が現れたのだ。

やり投は違う。こちらでは、越えられる前から境界が引かれ始めていた。技術委員会が実験を始めたのは1982年で、当時の世界記録はまだ100メートル未満、誰も大台を超えていなかった。この構は、ホーンが104.80メートルを投げてから慌てて反応したのではない。その数年前から、飛距離が大きくなりすぎることを見越し、準備を進めていた。

では、この物語のなかで、ホーンの一投は何だったのか。すでに熟しつつあった決定に付された、最も強烈な注釈だった。それまで技術委員会の内部で検討されていたことに、誰の目にも見える理由を与えた。一度に五メートル以上、104.80メートル。その数字こそが、最もよくものを言った。それは決定を生んだ原因ではなく、決定を支える最も強い証拠だった。証拠と原因は、別のものである。

ここでは、それまでの篇とは違う型が見えてくる。これまで、構はしばしば後手に回っていた。出来事が起きてから反応し、規則をつくっていた。今回は先回りしている。極端な成績が出る前から、準備をしていた。なぜ、今回は先回りできたのか。問題になっていたのが、ある技術をよしとするかどうかという判断ではなく、物理的な傾向だったからだ。飛距離の上限は遠ざかっていく。その傾向は先へ延ばして考えられる。ある特定の成績が出るのを待たなくても、いずれ距離が大きくなりすぎることは予見できる。構は傾向に対してなら先回りできるが、単独の不意打ちには後から対応するほかない。飛距離が伸びるのは傾向であり、前方宙返りが現れるのは不意打ちだった。

この区別は、もう一段考えてみる価値がある。傾向を先へ延ばして考えられるのは、そこに連続性があるからだ。年ごとの上下はあっても、長い目で見た上限は遠くへ動いていく。線を引けば、その向かう先が見える。不意の出来事には、それができない。出来事は飛び石のように現れる。誰かが突然、それまで誰も考えなかった動きを思いつく。予兆はなく、線も引けない。だから構は、傾向を前にすれば、満ちてくる潮を見て堤を築くように備えられる。不意の出来事を前にすれば、それが起きて初めて、そんなことがありうると知り、反応するしかない。やり投の飛距離は潮であり、前方宙返りは突然落ちてくる隕石だった。潮には備えられる。隕石には、落ちたあとで片づけるほかない。同じ構が、一方では先回りし、もう一方では後手に回ったのは、そのためである。

四 やりの穂先を下へ向ける

この構が行ったのは、選手に制限をかけることではなかった。やりを設計し直すことだった。

1982年から83年にかけて、国際陸連の技術委員会とメーカーは試験用のやりを製作した。重心を前方へ二センチ、三センチ、四センチ、五センチと、それぞれ移したものだ。投てきは数百回行われた。主に発射装置を使い、一部は選手が投げた。三センチ移せば穂先から確実に着地させるには十分だと判断されたが、委員の多数が選んだのは四センチだった。飛距離をさらに抑え、将来また費用のかかる規格変更をしなければならなくなる可能性を小さくするためだった。

主な寸法の変更は、こういうものだった。重心を穂先の側へ四センチ移す。尾部の許容最小直径を大きくし、きわめて細く、大きな揚力を生む尾部形状を制限する。ただし種目は、それまでと同じ男子800グラムのやり投である。軽い用具に替えたわけではない。

その背後にある空気力学は、この一篇で唯一、少し技術的な説明を要するところだ。だが、きちんと説明するだけの価値がある。話全体の理屈は、ここにあるからだ。

旧規格の高性能なやりでは、迎角が変わると、圧力中心の位置が重心に対して移動しえた。そのため、穂先を上げる正のピッチングモーメントと、持続的な揚力が生じる余地があった。平たく言えば、古いやりは飛びながら自分で頭を持ち上げ、滑空する翼のように、平らな軌道で遠くまで飛び、そのまま平らに落ちてくる。それがフラット・ランディングである。これには二つの問題があった。穂先が先に地面に触れるわけではないため、有効か無効かの判定が難しく、争いになること。そして、遠くまで飛びすぎることだった。

新しい重量配分では、圧力中心が重心より後ろに位置するようになり、正の迎角で、穂先を下げる負のピッチングモーメントが生じる。平たく言えば、新しいやりは、滑空を続けたり平らに落ちたりする代わりに、飛行中に自分で頭を下げる。穂先を下にして落ち、先端から着地するので、判定が明瞭になる。そして滑空を続けなくなるぶん、飛距離も短くなる。

つまり、この構はフラット・ランディングと飛距離という二つの問題を、同じ方法で解いた。飛行中にやりの頭を下へ向けさせる、という方法だ。一つの重心移動で、判定をめぐる争いと、大きすぎる飛距離が同時に抑えられた。一挙両得だった。

見落としやすいが、この二つはそもそも性質の違う問題だった。平らな着地は判定の問題である。ある一投を有効か無効か、この構が明確に判定できるのかという、測ることそのものに関わる問題だ。飛距離が大きすぎるのは、競技場の問題である。その投てきをスタジアムのなかに収められるのかという、物理的な空間の問題だ。一方は帳簿の内側、もう一方は帳簿の外側にあり、本来、必ず結びつくものではない。それが重心を前へ移す一つの変更で、たまたま両方とも抑えられた。判定のための工夫が、ついでに競技場の問題も解いたという点では、どこか幸運に似ている。だが、二つを同時に解いてしまったからこそ、その後も、いったいどちらが変更の主目的だったのかという議論には、決着がつかないままでいる。

そして、その代償こそ、この一篇の主題である。新しいやりと古いやりは、違う二つの用具だ。飛行の物理が違う。一方は頭を上げて滑空し、もう一方は頭を下げて落ちる。この二つで投げた成績を、一つの記録の系列のなかで比較することはできない。

五 一冊の帳簿を閉じ もう一冊を開く

規則の時系列は明確だ。構造規則は1983年にまとまり、1984年5月に加盟団体へ回覧され、同年のロサンゼルス総会で採択された。発効は1986年4月1日。二年近い間隔が設けられ、大会も選手もメーカーも、その間に移行を進めることになった。

発効した瞬間、起きたのは次のことだった。

二種類の用具で出した成績は、もはや互いに置き換えのきく、一続きの世界記録の系列には属さなくなった。1986年9月21日、ターフェルマイヤーが新規格のやりで85.74メートルを投げる。これが、新しい系列で最初に公認された記録となった。

ホーンのあの104.80メートルは、ターフェルマイヤーが越えなければならない目標にはならなかった。

この一文が、この一篇の核心だ。ターフェルマイヤーの85.74メートルは、ホーンの104.80メートルに挑んでいたのではない。数字の上では、104.80のほうが85.74よりずっと大きい。それでも、この二つの数字を生んだ用具のカテゴリーは、すでに実質的に違っていた。ターフェルマイヤーの一投は、旧い系列が閉じられたあと、新しい系列がゼロから始まる、その出発点となった。

「ゼロから始まる」という言い方は、少し正確にしておこう。新しい系列の最初の記録、85.74メートルは、もちろんゼロメートルから始まったわけではない。それ自体、すでにたいへん遠い一投だ。ゼロからというのは、記録の上で、その前に何もなかったという意味である。それ以前の新しいやりによる公認世界記録を越える必要はない。これが最初の一つなのだから。構が新しい用具のために開いた帳簿は、最初のページが白紙で、ターフェルマイヤーがそこに最初の一行を書いた。古い帳簿にある、99.72、104.80というさらに大きな数字と、この最初の一行とを隔てているのは、記録の差ではない。二冊の帳簿の境界だ。85.74メートルは104.80メートルより小さい。それでも85.74メートルは現行の世界記録となり、104.80メートルはそうではなくなった。同じ帳簿には載っていないからである。

こうして、たいへん奇妙な状況が生まれた。ワールドアスレティックスは現在、互いに矛盾しない三つの扱いを同時にしている。男子やり投の現行世界記録は、ゼレズニーの98.48メートル。ホーンの個人プロフィールでは、104.80メートルは旧種目のやり投に分類される。そして公式の記録変遷には、旧用具による記録という注記とともに、過去の成績が残されている。

閉じられ、切り分けられたのは、記録の系列である。その下を流れる歴史そのものが壊されたわけではない。

ここは、はっきりさせておきたい。規則に適っているかどうかと、現行の世界記録であるかどうかは、別々の判断だ。ホーンの一投は今も適法であり、歴史上、正式に公認された成績である。ただ、その世界記録という資格を支えていた種目のカテゴリーが、別のものに置き換えられた。同じことは、ほかでも起こる。統括団体が競技距離や採点表、体重別階級、用具のカテゴリーを変更したとき、以前の成績は公式のものとして残りながら、後継の種目の記録を支配する地位を失うことがある。

第7篇で扱った十種競技の採点表にも、これとよく似た理屈があった。あちらでは換算表が変わり、ソープの大会での十種目の成績は同じまま、総得点が変わった。こちらではやりが変わり、ホーンの一投の距離は同じまま、それが属する記録の系列が変わった。どちらも、出来事そのものは動いていない。構がその出来事に与える位置づけが変わったのだ。ただし違いがある。採点表の場合、新旧の総得点を並べて示せる。同じ大会の成績を計算しているからだ。やり投の場合、新旧の成績を横に並べて比較することはできない。二種類の違う用具で投げられた成績だからである。

六 その原文は手に入らない

この仕切り直しについて、一つ、率直に述べておかなければならないことがある。それを決めた原文は、手に入らない。

参照できた資料のなかには、1984年総会の動議全文の公開スキャン、記名投票の記録、修正の経緯、あるいは記録を仕切り直す条項の逐語的な本文は見つからなかった。発効日と決定の実質は、技術委員会関係者の証言と、その後の国際陸連の運用によって、強く裏づけられている。だが、総会が実際にどの動詞を使ったのか。無効としたのか、廃止したのか、閉じたのか、保存したのか、移したのか。原記録が手に入らない以上、それらに引用符をつけて、原文の言葉として差し出すべきではない。

ワールドアスレティックスがのちに用いた「新たな一組の記録」という表現は、制度として生じた結果を的確に言い表している。しかし、それを1984年の総会そのものからの引用として扱ってはいけない。

こうした空白は、このシリーズですでに何度も現れてきた。今回は、その空白がひときわ特別な場所にある。

第2篇では、最初期の記録申請書の原本が見つからなかった。第3篇では、ソープが自ら認めたという手紙が見つからなかった。第4篇では、1928年の種目削除をめぐる個々の議論が記録されていなかった。第10篇では、前方宙返りを禁じた決議の原文や、審議の記録が手に入らなかった。そして今回は、この競技で最も有名な成績の一つを左右した仕切り直しについて、その元の条項が手に入らない。

毎回、同じ形をしている。構は結論を残した。閉じた帳簿と、新しい記録の系列を残した。だが、そこに至る過程、帳簿を閉じると決めた議論は、参照できた資料には残っていない。今回は、その落差がとりわけ大きい。決定の影響を受けた104.80メートルは、この競技で最もよく語られる数字の一つだからだ。数えきれないほど語り直される成績なのに、その身分が変えられた瞬間の原記録は、手に入らない。結果は誰もが知っている。けれど、その決定の過程は、手元の資料からは見えてこない。

ここまで繰り返し現れたこの形を、そろそろ一度まとめておいてもいいだろう。この構は、結論を生産する機械である。その製品は、規則に書かれ、記録表に載り、資料庫に収められるものだ。製品は丹念に保存される。それを保存することこそが、構の存在する意味だからだ。ところが、結論をつくる過程、討議、対立、比較衡量、投票は、ほとんど同じ丹念さでは保存されない。それらは製品ではなく、製品の製造工程だからである。工場は完成品を大切に保管するが、一つ一つの完成品が生産ラインでどんな操作を受けてできあがったかまで、すべて保管するわけではない。構も同じだ。後世の人は、その結論を一つ一つ手に取ることができても、そこへ至る推論を一つでも復元するのは難しい。構は判断を世界に残し、その理由は、散逸した会議のなかに置いてきた。

関連して、もう一つ手に入らないものがある。ホーンを旧用具の世界記録保持者として残したうえで、新たな記録一覧を始めようと明示した、当時の動議、加盟団体の提案、選手の請願、総会への修正案は、どれも見つからない。同様に、そうした提案が正式に否決されたことや、国際陸連が否決理由を公表したことを示す文書上の証拠も見つからない。

ここは興味深い。実際に落ち着いた扱いは、ちょうど、その仮想の「残しておこう」という提案にかなり近いからだ。旧記録の変遷は公式の記録史に保存され、ホーンの成績は旧種目の成績として分類され続けている。1999年に女子やり投が新規格へ移った際、国際陸連のある広報担当者は、もっと明確に説明していた。旧成績には、異なる条件のもとで出されたものであるという注記が付く、と。この保存の仕方は、提出されたとも言われるその提案に近い。ただし、旧成績に何の限定もない「現行世界記録」の称号は、もう与えないのである。

だから、この構がしたのは、広く語られているような、比較可能性を守るために古い成績をすべて消すことではなかった。重要な意味では、むしろ逆だった。同じ現行世界記録の系列という意味では、二種類の用具による成績は比較できないと宣言しつつ、過去の変遷は歴史として残した。「消す」という言葉が成り立つのは、現行世界記録という称号を失ったことの比喩として使うときだけだ。統計資料に対して行われたことを、文字どおりに述べた言葉ではない。

七 もう並ぶことのできない数字と 二つの真実

ここで、最も人目を引き、最も間違って語られやすい問いに戻ろう。104.80メートルには、もう永久に並べないのだろうか。

答えは、二つに分ける必要がある。そして、そのどちらも、よく言われる「永遠の記録」とは違う。

一つ目。104.80メートルは、現行の世界記録としては終わっている。誰かが越えなければならない目標では、もうない。現在の男子やり投の世界記録は、ゼレズニーの98.48メートルだ。新たな成績が挑むのはこの数字であって、ホーンの数字ではない。現行記録という意味で、104.80メートルはすでに退場し、旧種目の資料庫に入った。

二つ目。104.80メートルという数字そのものが永久に再現されないことを、どんな競技団体も確定した事実にはできない。理論上は、将来の選手が現行のやりで104.80メートルを投げることもありうる。まだ誰も成し遂げておらず、現行の最高記録はゼレズニーの98.48メートルだが、可能性までなくなったわけではない。認められた歴史的用具の競技会で同じ数字が再現されることもありうる。その場合にも、現行規格の世界記録は変わらない。永久であることは予測であって、公認できる記録のカテゴリーではない。

つまり、「永遠の記録」という言い方は、別々の二つのことを混ぜている。104.80メートルが現行記録として終わったことと、104.80メートルという数字が再現できないことを、一つにしているのだ。前者は事実であり、現行記録としては確かに終わった。後者は確定できる事実ではない。どんな形であれ、その数字に二度と到達しないと保証できる人はいない。

この二つを分けなければならないのは、混ぜてしまうと、不正確であるうえに、実はこの出来事を小さくしてしまうからだ。104.80メートルを永遠の記録と呼ぶと、消えない記念碑として持ち上げているように聞こえる。だが、その言い方は間違っているだけでなく、間違い方そのものが、本当に奇妙な点を覆い隠してしまう。奇妙なのは、その数字に二度と届かないことではない。それを生んだ条件が、現行の競技にはもう存在しないことだ。「永遠の記録」という言葉は数字に目を向けさせるが、本当に見るべきものは、あのやりである。問題の中心にあるのは数字の大きさではなく、その数字を生んだ用具を、構自身が競技から取り去ったことなのだ。

正確で、それゆえに本当に奇妙な言い方をするなら、こうなる。ホーンの一投は、今の競技には存在しない用具で投げられた。あの旧規格のやりは、1986年4月以降、現行の競技で使える適法な用具ではなくなった。だから、通常の現行ルールの大会で、あのやりを使って何らかの成績を残すことは、もう誰にもできない。やりそのものが、そこから退場しているからだ。

これが、この一篇の余項である。その姿は、シリーズのなかでも、ひときわ鋭い。

これまでの余項は、名簿に入らなかった名前であり、計算しきれない原因であり、裁定されない技術であり、受け入れることもできたのに受け入れられなかった動きだった。それぞれの仕方で、帳簿の外へこぼれたものだった。だが、ホーンの一投は帳簿の外にない。堂々と帳簿のなかにある。公式の記録変遷に載り、明確に注記され、誰でも確かめられる。適法であり、有効であり、保存されている。

それでも、永久に比較不能になった。新しいやりによるどんな成績とも、同じ系列に置いて比較することはできない。それを生んだ用具と、後の成績を生んだ用具とが、別のものだからだ。適法で、有効で、完全に保存されている。それなのに、後の成績と共通の尺度に置くことだけは、永久にできない成績なのである。

この余項は、それまでのどの余項よりも、きれいな姿をしている。傷が一つもないからだ。あの一投について、公平さが疑われたわけでも、不正が疑われたわけでもない。風速違反も、出場資格の問題もない。自分の帳簿のなかでは、何の欠点もない。唯一の問題は、その帳簿が閉じられたことだ。そして閉じられたのは、一投に何か落ち度があったからではない。後の帳簿の内部で成績を比較できるようにするために、構は前の帳簿への新たな記入を止めなければならなかったのだ。

一冊の帳簿が閉じられた。しかし、なかのものは何一つ減っていない。ホーンの一投は、今もあのページにはっきりと残っている。ただ、そのページに新しく書き込める人は、もういない。書くためのペン、104.80メートルを書いたあのやりを、構が取り上げたからだ。帳簿は開かれていて、誰にでも見える。同時に、帳簿は閉じられていて、もう何も新しく受け入れない。

八 換算はできない

それなら、ホーンのあの一投を新しいやりに換算すると、だいたい何メートルになるのだろう。

この問いには答えがない。そして、どのように答えがないのかが、この一篇で最後に考えたいことである。

まず、実際に計算されてきた数字を見てみよう。一割減として計算すれば、94.32メートル。12〜13パーセント減なら、およそ92.22〜91.18メートル。トップ選手の平均的な減少幅とされる七メートルを引けば、97.80メートルになる。

91.18メートルから97.80メートルまで、幅は六メートルを超える。しかも、そのどれ一つとして公式の換算ではない。どれも、ホーンのあの試技に固有の、今では得られない風の条件や、手を離れた瞬間の諸条件、新しい用具への適応を織り込んではいない。

換算できない技術的な理由は、十分にそろっている。空力係数はやりのモデルごとに違う。迎角に応じた圧力中心の動き方も違う。風は相対気流の速度と有効迎角を変える。投げ出す速度、姿勢、上下方向の回転、左右への振れ、軸まわりの回転は、互いに作用し合っていて、それぞれが独立に飛距離へ寄与するわけではない。過去の試験では、公称上は同じ投射条件と大気条件でも、メーカーが違えば飛距離に十メートルを超える差が出ることがあった。さらに、用具が変われば、選手も技術を変える。

これらを合わせると、一つのことがわかる。新旧のやりの間には、普遍的な換算式は存在しない。まだ計算できていないのではない。そういう式は、技術的に成立しないのだ。換算しようとする二つのものは、相互に作用するあまりに多くの次元で違っている。そして、それらの次元をたった一つの係数へ押し縮めることはできない。

これで、最も魅力的に聞こえる説明が退けられる。104.80メートルは、ホーンが本質的にゼレズニーより6.32メートル優れていたことの証明だ、という説明である。

その説明では、104.80メートルから98.48メートルを引いて6.32メートルを出し、それが二人の投てき能力の差だと言う。だが、二つの距離は、異なる用具のシステムから生まれている。わかるのは、記録されたメートルの数字でどちらが遠くまで投げたか、ということだけだ。用具の規格から独立した投てき能力の順位が得られるわけではない。現代のバイオメカニクスにも、この比較に決着をつけられる、広く認められた単一の数値による補正はない。

ホーン自身が新しいやりを使えば、ゼレズニーを上回ったのか。それさえ、確かなことは言えない。旧いやりを投げる能力、体格、104.80メートルを投げたときの動作。それらから、何シーズンもかけて彼が新しい用具に技術をどう適応させたかまで、決めることはできない。意味のある長期的な新規格での比較が可能になる前に、彼の競技生活は終わっている。逆に、ゼレズニーの98.48メートルを換算して、ホーンの使ったやりなら彼がどこまで飛ばせたかを、信頼できる形で言うこともできない。

だから、この一篇は二重の不可能に行き着く。

第一に、旧規格のあの記録に、もう並ぶことはできない。104.80メートルの投てきに使われたやりが、現行の競技では使える用具として存在しないからだ。これは、用具の側にある不可能である。

第二に、104.80メートルは換算できない。新旧のやりの間には、成り立つ換算式がないからだ。これは、比較可能性の側にある不可能である。

この二つを合わせると、あの成績が置かれた状況の全体が見えてくる。後の成績が、閉じた旧系列のなかでそれに追いつくことはできない。後の成績と比較することもできない。それは閉じた一冊の帳簿に、孤立して立っている。その帳簿のなかで、最も遠くへ飛んだ一投として。そして、その帳簿とほかのすべての帳簿との間には、どんな換算でも永久に越えられない溝がある。

この構は、あの一投がどこまで飛んだかを測れる。104.80メートル。センチメートルまで測れる。けれど、現在のやりを基準にしたとき、その一投がどれほどに相当するかは言えない。その値は、存在しないからだ。まだ計算されていないのではない。一つの数として成立しないのである。

前篇の終わりでは、構が一本の線を引くとき、それと同時に、本来なら進むことのできた道をまるごと一本、消してしまうと述べた。この一篇は、そのさらに徹底した姿である。新しいやりの帳簿の内部で比較を成り立たせるため、構は古いやりの帳簿を閉じた。そのなかの何かを壊したわけではない。ホーンの一投は、少しも損なわれずに残っている。ただ、帳簿を止めたのだ。そして帳簿が止まったとき、そこにあった最も遠い数字は、永久にその場所へ宙づりになった。適法で、有効で、旧系列のなかで誰かが並ぶことも、別の系列へ換算することもできない。琥珀に封じられたもののように。くっきりと見えるのに、触れられず、取り出すこともできない。

琥珀という比喩を使うのは、この余項の両面を同時に捉えられるからだ。琥珀のなかのものは、完全な姿で保存されている。羽毛一本、昆虫一匹の細部まで、数千万年後にもはっきり見える。それは、ホーンの一投が適法で、有効で、そっくり残されていることに対応する。同時に、琥珀のなかのものは、永久に隔てられている。確かにそこにあるのに、今の世界との間には、透明で越えられない層がある。見ることはできても、生きた世界へ戻すことは決してできない。それは、あの閉じた記録の系列で二度と並べず、換算もできないことに対応する。構はあの成績を壊さなかった。もっと奇妙なことをした。封じ込めたのだ。完全に保存され、完全に隔てられた姿で、閉じた帳簿の最後のページに、いつまでもとどまらせた。ここでは、保存と隔離は、一つの動作の表と裏なのである。

物差しは、まだ正しく測れていない。それでも、測り続けている。