Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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鑿構周期律 · 陸上競技シリーズ · 日本語独立再構成版
第 07 篇 / 全23篇

通約できないものを通約する

十種競技の採点表は、十種類の異なる能力を一つの総得点に押し込む。表が書き換えられるたびに、どんな身体や技術に、どれほどの価値を割り振るかも決め直される。

Han Qin (秦汉)
この篇の目次

一 一つの大会に五つの総得点

ソープが1912年のストックホルムで出した十種競技の成績は、こうだった。100メートル11秒2、走幅跳6メートル79、砲丸投12メートル89、走高跳1メートル87、400メートル52秒2、110メートルハードル15秒6、円盤投36メートル98、棒高跳3メートル25、やり投45メートル70、1500メートル4分40秒1。

この十個の数字は、百年以上、一度も変わっていない。あの二日間に実際に起きたことを審判が測り、記録した。それきり、手は加えられていない。

変わったのは、総得点だ。

1912年の表では、この十の成績を合わせて8412.955点になる。

1920年の表の式に、そのまま当てはめて計算し直すと、およそ7751点。

1934年の表に印刷された点数を拾うと、およそ6972点。

1950年の表を引くと、およそ6267点。

1985年からいままで使われている表の現行式で計算すると、6564点になる。

同じ大会、同じ人、まったく同じ十の成績。総得点は8412点から6267点まで下がり、そこから6564点へと戻った。2000点以上落ちて、いくらか上がった。

この曲線が、ひたすら一方向に進んでいるわけではないことに注目したい。下がりっぱなしでも、上がりっぱなしでもなく、底まで下がってから持ち直している。つまり、採点表の改訂には、一貫した方向がない。改めるほど厳しくなるわけでも、甘くなるわけでもない。1950年の表がソープにはいちばん不利で、現行表はいくらか親切だ。どの表にも独自の偏りがあり、その偏りをつなぐ一本の筋はない。一人の選手の歴史上の得点が、行き先の定まらない改訂のたびに上下する。入れ替わり立ち替わり、違う手に動かされる曲線のように。

その間、選手は何もしていない。とうに亡くなり、あの二日間もとうに過ぎ去った。十の跳躍、投てき、疾走は、一つとしてやり直せないし、やり直す必要もない。変わったのは彼ではなく、彼の総得点を出す物差しだ。

前回見たように、この構が記す数字は、どれも出来事そのものではない。出来事がある装置を通ったあと、帳簿に残された痕跡である。ハインズのあの疾走が9秒9になるか9秒95になるかは、どちらの布で測るかによる。今回は、そこからもう一段進む。十種競技の総得点は、一つの成績をどの布で測るかで決まるのではない。互いにつながりのない十の成績を、どの表で共通の数字に換算し、足し合わせるかで決まる。そして、その表は五度、書き換えられてきた。

まず、この五つの総得点の開きを見ておこう。8412点と6267点の間には、2100点以上の差がある。十種競技なら、五輪王者と、トップ争いには遠く及ばない選手を隔てるほどの差だ。ところが、これは二人の選手の差ではない。同じ選手の同じ大会を、二枚の表で計算した差である。どの表を使うかによって動く点数の方が、多くの選手同士の実力差より大きい。換算レートの選択が、成績そのものを上回ってしまう。

二 一枚の表は測定ではない

まず、この表が何なのかを、はっきりさせておきたい。

これは、自然の中にあり、発見されるのを待っている尺度ではない。競技を管理する組織が作った装置であり、異なる種目の間に、何と何を同等とするかの関係を定めるものだ。どれだけ速く走れば、何センチ遠く跳ぶのと同じくらい優れているのか。自然界に、その答えはない。100メートルと走幅跳の間に換算レートはない。この表が、それを決めている。

公式の歴史を読むと、委員会での検討、総会での採択、ある等価関係から別の等価関係への置き換えが、繰り返されてきたことがわかる。1983年のプラハでは、作業部会がこの表を、一定の方針に沿って設計し直すべきものとして、明確に扱っていた。掲げられた目標には、比較可能性、さまざまな競技水準で使えること、そして将来にわたる安定性があった。

つまり、作り手自身が、この表を真理として扱ったことはない。道具として扱ってきた。道具は目的に仕える。目的が変われば、あるいは目的の捉え方が変われば、道具も作り直す。

公式の記録でいう「変更できる」には、少なくとも四つの異なる意味がある。

一つ目は、得点の基準にする成績を変えることだ。どの成績を1000点とするかは、変えられる。

二つ目は、換算の数学的な形を変えること。成績を得点に変える関数は、直線にもできる。累進的にも、強い累進にもできる。種目によって、違う向きに曲げることもできる。

三つ目は、この表を混成競技だけに使うのか、それとも種目間の一般的な比較にも使うのか、その適用範囲を変えること。

四つ目は、累進の向きと強さを変えることだ。成績が同じだけ伸びたとき、低い水準では何点、高い水準では何点を加えるか。そこも調整できる。

四つとも、表を書き換える入口になる。そして、この表は四つの入口を、どれも使ってきた。

こうして並べると、気づくことがある。この表には、動かせない部分が、ほとんどない。基準となる成績も、数学的な形も、適用範囲も、累進の向きも変えられる。それなら、変わらず残るのは何か。十の種目を点数に換算して足し合わせる、という枠だけだ。中身のない殻である。その中の具体的な内容は、すべて調整できるパラメーターなのだ。基準点も形も範囲も方向も変えられるものが、何らかの客観的な量を測っているとは、なかなか言いにくい。何度でも組み直せる取り決め、と言う方が近い。

十種競技の点数は1912年に一度で決まった、誰か一人が決裁して、いまの点数を定めた。そんな単純化された説明が、よくある。だが、それでは誤解を招く。公式の記録が示すのは、組織による度重なる改訂だ。1920〜1921年、1934年、1950〜1952年、1962年、1984年。その後にも、表の一部に限った調整が何度かあった。

では、最初の1912年の表は、誰が作ったのか。確かな答えは得られない。確認できる1912年の計算式の表には、方法と基準は記されているが、ただ一人の作成者を特定できる、信頼に足る記述はない。後年の公式史が描くのは、主催者が案を出し、専門家に意見を聞き、最終的に直線型の表が採用された、という経緯である。いちばん確実に言えるのは、ストックホルムの主催者が最初の案を作り、専門家に相談し、その結果、一枚の直線型の表が採択されたということだ。確認できる一次資料だけでは、この数学の作者を、特定の一人に帰することはできない。

この作者不明という空白は、思いのほか味わい深い。この表は競技の中核をなす規則であり、百年以上にわたって、すべての十種競技選手の運命を決めてきた。その最初の作り手が、はっきりしない。一方、採点される選手の方は、一人ひとりの名前も成績も順位も、きちんと残っている。構は、測る対象については極めて正確に記録し、自分が何を根拠に測っているかについては、曖昧にしか記録しない。この非対称は、本シリーズで何度も姿を現してきた。ここでは、とりわけ目立つ。曖昧なのが、ほかでもない物差し自身の生い立ちだからだ。

これも、前の回で見た数々の空白と同じ種類のものだ。あらゆる成績に証拠を求める構が、いちばん根本にある表の作者については、証拠を十分に持っていない。

三 書き換わるたびに種目別の配点も変わる

表の変わり方を見るには、一人の選手の十の成績を動かさず、表だけを取り替えるのがいちばんわかりやすい。ソープの五つの総得点も、そうして得られた。だが、総得点の変化よりも、さらに見るべきものがある。種目ごとの点数の変化だ。

1912年の表では、ソープの走高跳1メートル87は958点、110メートルハードル15秒6は943点になった。この表では、どちらも途方もなく大きな得点だった。

走高跳の958点とは、どれほどのものか。少し読み解いてみよう。1912年の表は、各種目の1908年の五輪記録を1000点にしていた。1メートル87で958点を得られたということは、この直線型の表では、ソープの成績が当時の五輪記録に非常に近い水準だったということだ。同じ1メートル87が、現行表では687点にしかならない。1メートル87という高さが低くなったわけではない。十種競技全体の中で、走高跳の値付けを現行表が下げたのだ。あの日、記録に迫った同じ成績を持ってきても、換えてもらえる点は少ない。成績は動かず、全体の中での重みが小さくされた。

現行表で同じ二つの成績を計算すると、走高跳は687点、ハードルは751点になる。

いちばん激しく落ちたのは、棒高跳だった。3メートル25は、1912年の表なら751.6点、現行式なら418点だ。

751点から418点へ。同じ3メートル25である。300点以上も減り、ほとんど半分になった。

競技でのパフォーマンスが変わったのではない。換算する装置が変わったのだ。1912年の表は、棒高跳の3メートル25を750点ほどの価値があると見なした。現行表は、400点少々と見る。同じ一回の跳躍に対する二つの値付けには、ほぼ倍の開きがある。

どちらが正しいのか。この問いに答えはない。測りさえすれば見つかる、客観的に正しい値段など、ここにはないからだ。棒高跳の3メートル25は何点であるべきか。それは、十種競技の中で棒高跳にどれだけの重みを持たせたいかで決まる。事実の問題ではなく、方針の選択である。

この話には、変化の向きについて、見落とせない点がある。ソープの総得点は、1950年の表で最低の6267点となり、現行表では6564点に戻る。書き換えは、過去の成績に付く点を下げるだけでなく、上げることもあるのだ。

点が上がる例もある。楊伝広が1960年の五輪で銀メダルを取ったときの成績は、後の採点法では8010点になる。トンプソンの1984年の優勝時の得点は、当時の表で8798点だったが、現行方式による統計では8847点と表示される。同じ一度の十種競技でも、表を替えれば数十点増える。

だから、表の書き換えは、過去をひたすら安くすることでも、高くすることでもない。配分し直すことなのだ。改訂のたびに、十の種目の間で、それぞれに配分される点数が見直される。それを過去の特定の成績に当てはめれば、上がることも下がることもある。その選手が当時、どの種目に強かったかによる。

ソープは走高跳とハードルに強かった。現行表は、ちょうどその二種目の値付けを下げたので、全体の得点も下がった。砲丸投と円盤投に強い選手なら、現行表に替えることで上がるかもしれない。どの歴代十種競技選手を、より高く買うか。表は書き換えられるたびに、それをひそかに変えている。

ここからは、落ち着かない結論が出てくる。選手は引退するとき、自分が歴史のどこに立つかを知っているつもりでいる。自分には総得点があり、前の時代、後の時代の選手と比べられるからだ。だが、その位置は固定されていない。何年か後に表が変われば、自分の得点も、ほかの全員の得点も計算し直される。歴代順位は上がるかもしれないし、下がるかもしれない。本人には、どうすることもできない。すでにこの世にいないことさえある。一生の努力を押し込めたその数字を、本人は確定しておけない。握っているのは、後から表を書き換える人たちなのだ。

四 書き換えるほど曲がっていく

この五枚の表は、数字が違うだけではない。形そのものが、何度か根本から変わっている。その形の変化には、この構の考える公平が変わってきた跡がある。

1912年の表は直線型だった。各種目の当時の基準、1908年の五輪記録を1000点とし、それより良い成績も悪い成績も、一定の傾きに沿って、基準から上または下へ動かす。

直線型とは、どういうことか。どんな水準にいても、同じだけ成績が伸びれば、同じだけ点が増えるということだ。ひどく悪い成績を少しましにするのも、とても良い成績をさらに良くするのも、増える点数は同じになる。

1920年の表も直線型だった。1908年の基準を1912年の五輪記録に替え、それを引き続き1000点としただけだ。替えたのは基準点であって、形ではない。

1934年の表が、この直線を曲げた。フィンランドで進められた仕事で、オールス(Ohls)が1931年に計算し、1932年からフィンランドで使われ、1934年に国際陸連が採用した。累進的な表だった。種目が違っても、同じくらい優れた成績には同じ点を与える。それが目指す原則だった。

累進とは、どういうことか。競技水準が高いほど、成績を同じだけ伸ばして得られる点が増えるということだ。頂点近くでのほんの少しの進歩は、低い水準でのほんの少しの進歩より、ずっと高く買われる。

なぜ、直線から累進へ移ったのか。水準が上がるほど成績を伸ばすのは難しくなるが、その難しくなり方は種目によって異なる。それが認識されるようになったからだ。直線は、その違いを表せない。累進は、得点を実際の難しさへ近づけようとする試みだった。

1950〜1952年の表は、累進という考え方を引き継ぎ、それをはるかに強くした。1946年に採点表委員会が設置され、スウェーデンのホルメル(Holmér)とヨルベック(Jörbeck)が再設計に当たった。各表の上限を1500点に引き上げ、等価関係を定める重要な基準成績を1300点に置いた。そして、それまでの専門家の判断の一部を、実績から得た曲線、とりわけ走種目の世界記録の速度曲線で置き換えようとした。

ここで、少し足を止めたい。転換が起きる。1962年の表は、1950〜1952年の男子用の表が累進を強めすぎたことへの反動だった。新しい男子用の表は、すでに女子用の表で使われていた原則を取り入れた。トラック種目は緩やかな累進、フィールド種目は緩やかな逓減である。

逓減は、累進と反対だ。フィールド種目で緩やかに逓減するとは、水準が高くなるほど、同じだけ成績を伸ばしても、増える点がかえって少なくなるという意味である。

わずか三十年ほどの間に、この構は同じ問いに三つの異なる答えを与えたことになる。直線型は、一歩の価値はいつも同じだと言う。累進型は、高いところでの一歩ほど価値があると言う。そして1962年、フィールド種目に導入された逓減は、高いところでの一歩ほど価値が小さいと言った。

この三つは、どれも間違いではない。そもそも事実の問題に答えているのではなく、この競技は何に報いたいのか、という方針の問題に答えているからだ。まんべんなく力を備えた選手を評価したいのか。それとも、ある種目で人間の限界に迫る突破を評価したいのか。答えが違えば、表の形も違う。この構は三十年ほどの間に、三つの立場を順に採用してきた。その立場が変わるたびに、過去のあらゆる成績を総得点で並べた順序も変わる。

ここから、この構に広く当てはまることが見えてくる。構が直面する問題の多くは、表面上は技術の問題であり、正しい式さえあればよさそうに見える。実際には、価値の問題であり、どの立場を選ぶかが問われている。技術の問題には正解と不正解がある。価値の問題にあるのは、何を取り、何を捨てるかだ。構が価値の問題を技術の問題として扱えば、正しい式を探すことになる。その探索は、いつまでも終わらない。待っている正しい式などなく、それぞれに代償のある選択肢が並んでいるだけだからだ。十種競技の採点表が何度も改められてきた理由の一つは、そもそも存在しない正解を探していることにある。

五 何点がふさわしいのかという問いさえ一つではない

いまも採点を支配しているのは、1984年の改訂が残した表である。その表への批判は、この話のいちばん深いところを露わにする。「公平」をどう定義するかにさえ、広く認められた一つの答えはないのだ。

1984年の改訂は、現代の採点を決めるものとなった。作業部会は、新しい表は混成競技だけに使うべきだとした。比較できる成績には比較できる点数を与えること、全種目でわずかに累進的であること、世界の頂点に立つ水準の総得点はおおむね変えないことも求めた。ロサンゼルスの総会がこの表を採択し、1985年から使われることになった。

ここでは、作業部会が公平をどう定義したかに目を向けたい。厳密な統計上の珍しさが同じであることでも、訓練に費やす労力が同じであることでも、生理的な負担が同じであることでもなかった。もっと折衷的な定義だ。比較できる成績には比較できる点を与える。初心者から一流選手まで使える表にする。各種目の専門選手のデータは設計に取り入れるが、一つの得意種目が混成競技全体を呑み込んではならない。

ところが、その折衷案は後に、すでに均衡を失っていると批判される。

現代の批判の中でも、もっとも鋭いものは、1984年の表は単に古いのではなく、いまや釣り合いが崩れている、と言う。現在の仕組みは内在的に不安定であり、特定の種目、とりわけ走幅跳、110メートルハードル、100メートルを構造的に優遇する一方、投てき種目と1500メートルを低く評価している、とする研究がある。その批判を一段掘り下げると、哲学上の主張に行き着く。同じ点数は、本当に比較できる難しさを表すべきだ、という主張だ。

問題は、その「本当に比較できる難しさ」にも、両立しない複数の捉え方があることだ。

文献の中で競い合っている、公平についての主な考え方を並べてみよう。

一つは、難しさが同じなら同じ点、という考え方だ。種目が違っても、達成するのが同じくらい難しい成績には、同じ得点を与える。

一つは、珍しさが同じなら同じ点、という考え方。種目が違っても、同じくらい稀な成績には同じ得点を与える。

一つは、まんべんなく力を備えることを公平に評価する、という考え方だ。どの一種目も、仕組みの上で総得点を支配してはならない。点は、総合力に報いるべきだという。

もう一つ、より古い考え方として「等訓練則」がある。訓練負荷の累進性との整合を基準とするもので、批判者は、直線型やそれに近い換算は、この原則に反すると言う。

文献は、このうちのどれか一つに収束してはいない。

ここが、この回のいちばん大事なところだ。これまでの回では、ある成績が何に由来するかを切り分けられなかったり、どちらの布で測るかで数値が変わったりした。それでも、明確な一つの問いに確定した答えを出せない、という話だった。ここでは、さらに先へ進む。問いそのものが、一つではない。難しさの等しさと珍しさの等しさは、別の基準であり、別の表を生む。総合力を公平に評価するという第三の基準があり、等訓練則という第四の基準がある。どの意味での公平を採るかを先に選ばなければ、表が公平かどうかは言えない。そして、どの意味を選ぶべきかを裁く、さらに上位の基準はない。

もう少し突き詰めてみたい。このシリーズ全体の根に触れるところだからだ。測るためには、何を測るのかがはっきりしていなければならない。長さを測れるのは、長さとは何かが明確だからだ。ところが混成競技で測ろうとする「総合的な競技力」は、それが何なのかからして、はっきりしない。十種目の難しさの平均なのか。十の成績を合わせた珍しさなのか。それとも、特定の種目に偏らない均衡なのか。この候補は互いに異なり、どれか一つを指して、これが本当の総合的な競技力だとは言えない。ここで困っているのは、測り方の精度が足りないことではない。測られるもの自体が定義されていないことだ。構は、定義のはっきりしないものに精密な点数を与え、その精密さが、定義の空白を覆い隠す。

だから、「同じ点数は、本当に比較できる難しさを表すべきだ」という要求は、明快に聞こえて、その内側に答えのない問いを抱えている。どの意味で比較できる、というのか。この構は1984年に、一つの折衷的な定義を選んだ。正解を見つけたから折衷したのではない。いずれも正しさを証明できない複数の基準の間から、使えるものを一つ選ばなければならなかったのだ。

使えるものを一つ選ばなければならない。この一言が、採点表全体を理解する鍵になる。この構は、公平にいくつもの基準があると知らないわけでも、論じる力がないわけでもない。何を選んでも、別の基準から不公平を指摘される。かといって、表を出さずにはいられない。十種競技は、総得点を出せなければ行えないからだ。そこで構がするのは、正解を見つけることではない。どれも確かな足場を持たない選択肢の中から、皆がどうにか受け入れ、競技を動かし続けられるものを選ぶことだ。それは失敗ではない。解けない問題を前にしても動かなければならない構に、唯一できることである。

六 公式の係数なのに由来を誰も説明しきれない

現行の男子十種競技の計算式は、トラック種目とフィールド種目で形が異なる。いずれも一組の係数を持ち、計算結果の小数部分は切り捨てる。

係数は公開されている。どの種目にも三つの係数があり、規則に印刷されている。

だが、その係数がどう得られたのかを示す、公式の導出はない。

現在使われている1984年の係数を、一つ残らず最初から再現できるような導出は、公式の公刊資料には見つからない。後の研究者たちも、この透明な導出過程の欠如を繰り返し指摘している。係数そのものは公式だ。だが、どう作られたかを完全に逆算しようとすると、確認できる文献からは、ほとんど見通せない。

ただし、この不透明さが、意図的な隠蔽とは限らないことは、はっきりさせておこう。よりありそうなのは、作業部会が大量の成績データ、専門家の意見、いくつかの原則を総合し、何度も調整して係数を得た、という経緯だ。そして、その調整過程には、一つの式として書き下せる、すっきりした論理がなかったのかもしれない。演繹による導出ではなく、設計作業だったということだ。設計の成果は精密にできても、そこまでの道筋は、再現できる形で残らないことが多い。だが、意図的かどうかにかかわらず、結果は同じである。この競技を支配する規則は使えるが、第一原理までさかのぼることはできない。

奇妙な状態だ。切り分けて見ておく価値がある。

競技を支配する一枚の表。その数字はすべて公開され、誰でも使えて、一点刻みの正確な得点が出せる。だが、その数字は何に基づいて決められたのか。それは公開されていない。あるいは、そもそも一度も、完全な形で書き残されなかった。つまり、この構は、精密な規則を執行しながら、その規則の由来は自分でも説明しきれない、という状態にある。

これは第3回の話にも通じる。アマチュア原則は、存在しなかった古代を持ち出して自分を正当化していた。その古代が作り話だったことは、原則の効力を、一日たりとも弱めなかった。ここで起きていることも似ているが、いっそう微妙だ。採点係数には、偽の由来があるのではない。書かれた由来が、そもそもない。それでも精密に作動し、十種競技の勝敗を毎回決め、ソープの棒高跳を750点から400点に変える。構の規則は、異論の余地がないほど精密でありうる。同時に、なぜこの数字で、ほかの数字ではないのかには、誰も完全な答えを出せない。

精密であることと、根拠があることは、別の話だ。この表は極めて精密であり、どの二つの成績の間でも、点差をきっちり計算できる。だが、それは、この数字に、さかのぼって確かめられる正当な理由があるという意味ではない。いったん数字を受け入れれば、その先の計算には曖昧さが残らない、という意味でしかない。この構は、自分の根拠のなさを精密さで覆い隠す。そして使う人は、精密であることを、根拠があることと取り違えがちなのだ。

七 ほかの競技はどうこの問題を避けたか

異なる種目を一緒にして競うスポーツは、十種競技だけではない。ほかの競技がこの問題をどう処理しているかを見ると、十種競技の選んだ道が、いかに特殊かがわかる。

近代五種のやり方は違う。前半の種目では点数を使うが、最後のレーザーランで、点差をスタート時刻の差に換える。首位が先に出発し、追う選手は一点差につき一秒遅れて出る。つまり、競技は最後に一つのレースとなり、そのフィニッシュ順で、直接メダルが決まる。

ノルディック複合も同じだ。スキージャンプの得点を、グンダーセン方式で、クロスカントリースキーのスタートの遅れに換える。個人の5〜15キロメートルの競技では、公式の換算は一点につき四秒となる。ここでも、異質な種目別の点を最後に足して終えるのではなく、最初に誰がフィニッシュするかで決着する。

トライアスロンは、競技結果を決める段階では、十種競技が抱えるもっとも根深い通約の問題を、ほぼ回避している。水泳、自転車、ランを、それぞれの得点単位に換えて足すわけではない。一続きのコースにかかった時間と、フィニッシュ順で順位を付ける。規則が完走者とするのは、コースの全行程を終え、フィニッシュラインを越えた選手であり、成績はその通過時刻で並べられる。

この三つを並べると、共通点が見える。どれも、異質なもの同士の違いを、点数の形でいつまでも残さない。近代五種とノルディック複合は、種目間の差を最後の追走レースのスタート時刻に換え、そのあとは実際の一つのレースで決着させる。トライアスロンは、合計時間をそのまま使う。この三つでは、換算の先に、誰もが認める一つの事柄がある。誰が先にラインを越えたか、ということだ。

十種競技は、そうしなかった。

これは意図した選択というより、歴史の偶然であった可能性が高い。十種競技が生まれた時代には、電気計時も、精密に組まれた追走レースの仕組みもなかった。各種目の成績を点数に換算して足すのが、おそらく唯一、実行できる方法だったのだろう。後にほかの競技が、追走レースという、よりすっきりした解き方を育てたころには、十種競技の得点の伝統には、すでに数十年の蓄積があった。総得点で書き留められた記録と順位が、長々と連なっていた。この時点で追走方式に変えるなら、その歴史をすべて捨てることになる。だから、点数を残した。点数の方が優れていたからではなく、その道をあまりにも遠くまで進み、引き返せなくなっていたからだ。

十種競技は、異質さをその場に残し、永続的な、抽象的な得点尺度で処理する。ここで走幅跳と砲丸投が換算されるのは、同じレースの中の秒数ではなく、点数である。その点数が足し合わされる。その合計は、現実のどんなレースにも対応しない数字である。

この違いは根本的だ。近代五種で換算表が変わると、変わるのは、その大会の追走レースで、誰が誰に何秒の差を付けて出るかである。競技が終われば、その回の表の役目も終わる。前回の優勝者まで、後から変えたりはしない。前回の優勝者は、あの追走レースで最初にフィニッシュした人であり、その事実は、すでに動かないからだ。

この対比は、フィニッシュラインの利点を一つ教えてくれる。抽象的な得点には決してない利点だ。ライン上で起きたことは、物理的な事実である。誰の胴体が先にあの垂直面へ達したか。それは起きてしまえば変えられず、後からどんな換算をしても関係がない。一方、抽象的な総得点は物理的事実ではない。計算の結果であり、計算はやり直せる。勝敗を物理的事実に結び付ければ、その瞬間に勝敗は固定される。計算に結び付ければ、いつまでも再計算の可能性にさらされる。十種競技は後者を選んだ。だから、その歴史上の結論は、一つ残らず書き換え可能なのだ。

十種競技の換算表が変われば、過去のあらゆる大会の得点まで、さかのぼって変わる。十種競技の結果は、誰が先にラインを越えたかではなく、総得点だからだ。そして総得点は、この表が出す。表が変われば、過去の総得点もすべて変わる。ソープの五つの総得点は、こうして生まれた。

十種競技が独特なのは、換算表そのものを、この競技の憲法ともいうべき中核に据えたことにある。ほかの競技は、換算をその場限りの道具として使い、役目が済めば手放す。勝敗を本当に決めるのは、フィニッシュラインだ。十種競技は、換算を永久に残る帳簿にした。その帳簿の付け方は書き換えられる。書き換われば、帳簿に残る過去の全項目が、もう一度計算される。

八 過去にさかのぼって書き換えられる帳簿

ここまでの話を、まとめてみよう。

この構が向き合っているのは、本当に解のない問題だ。100メートルと走幅跳の間に、換算レートはない。いまは見つからないのではなく、そもそも存在しない。速く走ることと遠く跳ぶことは別のことであり、両者の客観的な交換比率が自然界で待っているわけではない。

ところが、十種競技は、この二つを足し合わせ、総得点を出すことを求める。だから、換算レートを発明しなければならない。発見ではなく、発明するのだ。

その発明されたレートが、あの表である。発明されたものだから、発明し直せる。そして、発明し直せるから、五度、発明し直されてきた。そのたびに行われたのは、間違いの修正ではない。方針の入れ替えだ。ある版では総合力に報い、別の版では突破に報いる。ある版では棒高跳を重く見て、別の版では軽く見る。

ここには、シリーズ全体に通じるものがある。この表が目指しているのは、閉合だ。通約できない十の種目を、比較できる一つの総得点へと通約する。そして、それをやり遂げている。どの二つの十種競技の結果でも、総得点で上下を付けられる。閉合は、実現したのである。

代償は、その閉合が、隠された一つの選択の上に成り立っていることだ。総得点が出せるのは、誰かが十の種目に換算レートを定めたからであり、そのレートは、客観的根拠のない方針の選択である。閉合の条件は、なぜこのレートなのかと問わないことだ。問えば、別のレートでもありえたとわかる。そして別のレートであれば、あらゆる総得点も、あらゆる順位も、歴史のすべても違ってくる。

第5回では、一つの余項を見た。構は成績を受け止めたものの、記した数字の中に、分けられない四つのものが詰まっているとわかった。今回の余項は、別の種類のものだ。構が計算した総得点は精密だが、それは、構自身にも由来を説明しきれない換算レートに依存している。総得点は精密で、レートは恣意的である。精密な総得点が、恣意的なレートの上に載っている。だが、総得点を使う人には、精密さだけが見え、その下の恣意性は見えない。

もう一度、あの帳簿の性質を見てみよう。

第2回の構が最初に覚えたのは、書き加えることだった。差し引くことは、教わっていなかった。ここでは、事態がさらに複雑になる。十種競技の帳簿は、書き加えられるだけでなく、過去にさかのぼって計算し直せる。表を替えれば、どの成績にも手を触れずに、過去の総得点がすべて新しい数字になる。これまで出てこなかった能力だ。元の記録を一つも変えずに、結論をすべて変えられる。

ところが、この構は、その能力を全面的には使わないことを選んだ。過去の十種競技をすべて新しい表で再計算し、古い得点を新しい得点で法的に置き換えたわけではない。確認できる資料の中には、そうすべきかどうかを正面から論じた総会の記録は見つからない。実際の扱いでは、新しい表は1985年から使用し、過去については、元の得点を残す一方、歴史の概覧には現行表で調整した得点も載せることが多い。

歴史を二通りで並べて見せるのであって、法的に全面差し替えをするのではない。

こうして、ソープのあの大会には、いま、帳簿上で二つの総得点が並んでいる。8412.955点は、1912年の表による元の得点。6564点は、現行表による得点。どちらも消さず、横に並べる。

この二つの数字は、違う物語を語っている。8412点が語るのは、1912年の理解のもとで、ソープがどれほど優れた十種競技選手だったかだ。ほぼすべての種目で、当時の五輪の水準に迫っていた。6564点が語るのは、今日の値付けで見たとき、同じ大会の成績がいくらになるかだ。どちらの物語も嘘ではない。立っている換算レートが違うだけだ。だが、並んだ数字だけを見た後世の人には、その開きがすべてレートの変化から生じ、成績の優劣から生じたのではないことは、数字そのものからは読み取れない。数字がレートを隠し、一見矛盾する二つの結果だけを残す。

これは、第4回で見た、並行する帳簿でもある。第6回で見た、手動計時と電気計時が共存する構造でもある。この構は、一つの出来事を唯一の形で言い表せないとき、しばしば、一つを選ぶ代わりに二つとも残し、並べておく。一つの成績に二つの総得点。一度の疾走に二つの読み。一つの種目に二枚の表。閉合できない箇所を、並んだ二つの欄に変えるのである。

じつは、これこそ、このシリーズを通じた構の、もっとも典型的な一手だ。閉じようとする事柄そのものに唯一の答えがないのだから、本当の閉合はできない。そこで次善の策を採る。唯一の答えを無理に選ばず、いくつかの答えを横に並べ、共存させる。自分には一つを絶対と決められない、と認める点では、誠実にも見える。だが同時に、本来下すべき判断を帳簿の読み手に残す、回避でもある。並んだ二つの欄は、構が閉合できないと認めた場所であると同時に、その閉合できなさの負担を外へ移す場所でもある。8412点と6564点が並んでいるのを見た人は、どちらを信じるか、自分で決めなければならない。構の方は、決めずに済む。

一度も変わらなかった、あの十個の数字に戻ろう。

100メートル11秒2、棒高跳3メートル25、1500メートル4分40秒1。ソープが実際にやったことだ。正確で、照合でき、百年以上変わらない。ところが、その十の出来事を一つに足し合わせた総得点は、五度変わり、いまも二つ掲げられている。実際に起きたことは動かず、それに付ける値段は変わり続ける。この構は、一人の人間が何をしたかを精密に記録できる。しかし、その一つひとつがいくらに値するかを、一度きりで永遠に決めることはできない。

この言葉は、ここまでの七回全体に広げられる。名前だけが載った古代の一覧から、記録の登録へ。出場資格の線引きへ。測定の確立へ。手動計時と電気計時の換算へ。そして、十の出来事を一つの数字へ通約する、この表へ。この構の能力は増し続け、記せるものは、ますます精密に、細かくなってきた。だが、いまだに手に入らないものが一つある。選ばなくても済む基準だ。何かに値段を付けるたびに、構はまず、正しさを証明できない選択をしなければならない。どの成績を1000点にするか。どれだけ速ければ同じくらい優れているとするか。どの公平を公平と呼ぶか。その選択を済ませれば、後はすべて、この上なく精密になる。だが、その選択自体には、一つとして客観的な根拠がない。構が精密になるほど、底にある選択は深く隠れる。使う人が、そこには事実があるのだと思い込むほどに。実際にあるのは、かつて下された一つの決定だけなのだ。

物差しは、まだ正しく測れていない。それでも、測り続けている。