
二つの幅広い階段が別々の方向へ下り、その間から家の一角が見える。階段の上にはそれぞれ六本の柱が並び、三角形のペディメントを支えている。二つのポルティコの間で、淡い色の壁面が折れ、くっきりした垂直の稜線をつくる。さらに奥では屋根が丸く盛り上がり、同じように堂々とした二つの顔を一つにまとめている。
これはヴィラ・ロトンダの公式サイトに掲載された、斜め上空からの写真である。手前の二つのポルティコはほぼ同じくらい目を引き、一方を正面、他方を単なる側面とは呼びにくい。しかし、周囲の風景まで家に合わせて繰り返されているわけではない。左には開けた農地、右には密生した木々があり、遠くには家々が点在し、起伏する山の稜線が背景を横切る。公式写真を見る
ヴィラ・ロトンダでじっくり見たい食い違いはここにある。建築は外へ向き合う同じ姿勢を四度繰り返すが、外の世界は四つの同じ景色を用意してはいない。反復は場所ごとの差を消さず、むしろその差を比べられる位置を与えている。家は完結し、安定して見えると同時に、四方へと伸びている。
ヴィチェンツァ郊外のこの住宅は、パオロ・アルメリコの依頼でアンドレア・パッラーディオが設計した。工事は1560年代後半に始まり、1569年には居住可能になっていたが、完成にはまだ遠かった。1580年にパッラーディオが亡くなると、ヴィンチェンツォ・スカモッツィが関連工事を引き継ぎ、後にはカプラ家が建設と装飾を進めた。現在の建物には、そうした継続的な仕事の成果が含まれている。パッラーディオ博物館:建築資料
これはまず、居住、隠棲、社会的地位の表明を兼ねる郊外の邸宅だった。パッラーディオは『建築四書』でこれを宮邸の部に収めている。土地経営との関わりはあったものの、一般的な農園のヴィラのように、生産用の付属棟を主屋の両側に密接につないではいない。そのため主屋は独立した量塊として、周囲の土地に向き合うことができる。性急に「田園の農場邸宅」に分類するより、この点を理解するほうが目の前の建築に近づける。
一 階段が正面を地面へと広げる
まずドームから目を離し、手前の階段を見てみよう。
階段は柱の間に隠れた小さな通行設備ではない。ポルティコのほぼ全幅に広がり、両側の低い壁が外へ伸び、その端には彫像が立つ。地面と列柱の間で、重なる踏面が一枚の傾いた面をつくっている。垂直に立ち上がる家が、ここでは少し外へ、そして少し下へと進み出る。
正面からの構図では、柱とペディメントは古典建築の一つの図像として捉えられやすい。斜めからの写真では、その図像に厚みが現れる。列柱の背後には外壁があり、扉はさらに奥にあって、両者の間にポルティコの空間が残されている。階段が地面を柱の足元まで導き、列柱がその上昇を屋根の下へつなぐ。入口の荘重さは、古代神殿の形を借りることだけから生まれるのではない。扉に着くまでの空間が引き延ばされ、高く持ち上げられることからも生まれている。
公式サイトの別の近景写真は、この重なりを横から見せる。手前の柱身が奥の柱を隠す一方、側壁のアーチ状の開口がポルティコの奥行きを示している。画面の下部には低い位置の出入口や窓も見える。主階の足元は、中身を埋めただけの高い壇ではなく、地面とつながる下層階があるのだ。ポルティコ側面の公式写真を見る

こうして同じ家に、地面との二通りの接し方が生まれる。幅広い階段は上へ向かい、主階への到着を際立たせる。低い開口は階段と主階の下へ通じ、別の用途を担う空間に属する。歴史資料では下層階はサービスのための階とされ、主階は居住と接客を担っていた。整然とした外観は、日常生活に必要な層の違いを消してはいない。
遠くから見ると、階段は家を基壇上の記念建造物のように見せる。一方、写真の細部に目を寄せると、それは地面と住宅を最も明確につなぐものでもある。持ち上げることと結びつけることが、同じ部材の上で起きている。
二 角を曲がると、堂々とした正面がまた現れる
多くの建築では、柱や装飾、階段を最も多く一つの面に集める。角を曲がると、窓列や壁面は続いていても、入口の重要性は次第に薄れていく。
ヴィラ・ロトンダが示す順序は違う。一つ角を曲がれば、また外へ張り出すポルティコがある。独自のペディメント、列柱、幅広い階段を備え、前のポルティコに自らの存在意義を説明してもらう必要がない。四方がほぼ等しい建築的な重みを与えられている。
ただし、外壁全体が切れ目のない列柱廊になっているわけではない。二つのポルティコの間には、窓を開け、主屋の屋根を支える、確かな壁の角が残っている。その角が両者を分け、一群の柱をそれぞれ独立した展開にしている。四つのポルティコを、家の周りをつなぐ回廊だと考えると、ここで重要な、繰り返し訪れる間合いを見失う。
斜めの空撮写真では、まさにこの壁の角が、二つの方向を同時に成立させている。左の階段は左下へ、右の階段は右下へ広がり、その間の壁面は立ったままである。目は二つの面を一つのまとまった量塊として捉えると同時に、それぞれが外へ向かう方向を別々に追うこともできる。
ペディメント上の彫像も、輪郭に切れ目をつくる。勾配屋根と水平なコーニスはもともと明瞭だが、その縁の上から人体の形が現れ、空を背景にした線を幾何学だけではないものにする。ポルティコの基本的な秩序を変えずに、反復する部材に異なる身振りの細部を添えている。
したがって、四面が呼応することは、箱に同じ模様を四枚貼りつけることではない。外へ張り出すポルティコと、その奥にとどまる主壁が交互に現れ、実体と空間がともに家の輪郭をつくっている。
三 中央が四つの経路をまとめ、その間に部屋が収まる
写真の横に、パッラーディオの1570年刊『建築四書』の図版を置くと、四面の関係がさらに明らかになる。ページ上半分は平面図、下半分は立面と断面を並べた図である。ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵するこの図版は、建築家が公刊した案を示すものであり、現在の建物を一つ一つ実測した記録としては扱えない。1570年の図版を見る

平面の中央には円形広間がある。四本の通路がそれぞれ外へ伸び、四つのポルティコに達し、その一番外側に階段が並ぶ。どの通路を内へたどっても、同じ円形広間に行き着く。別の通路を外へたどれば、家を出て別の方向へ向かう。
ここで中央の役割は、単にすべての部屋を周囲に配置することだけではない。四つの入口を互いに結びつける役割もある。一つの進入路は室内に入った後も、異なる方向へ向かう通路群の一部であり続ける。それぞれのポルティコの背後に、互いに無関係な広間を別々につくってはいない。
さらに詳しく見ると、四本の通路の間は空白ではない。長方形の部屋が主屋の角部を占め、その脇に小さな部屋が付いている。円形広間に近い厚みのある部分には階段も見える。部屋には外壁と窓、通路には外へ向かう軸線、中央には比較的大きな共用空間を確保する。それらの要求を一枚の平面図の中で解いている。
そのため「ロトンダ」、つまり円形広間に由来する名前は、誤解も招きやすい。これは丸い家に四つの入口を付けたものではない。円形広間は四角く整った住宅の主屋に埋め込まれ、正方形が残す角部に別種の空間が収まる。円と正方形の関係には、具体的な内容がある。一方は四方のつながりを組織し、他方は部屋、壁、窓を展開できるようにする。
また、四方向があることは、内部の寸法がすべて同じであることを意味しない。公式サイトの各階の説明は、広間へ至る四本の通路の幅が異なると明記している。四方向に同じくらい重要な出口を持たせるために、その途中の部屋をすべて回転させた複製にする必要はない。大きな秩序は繰り返しながら、内部には調整の余地が残されている。ヴィラ公式サイト:階と空間
四 屋根は共通の重心を与え、風景は方向ごとの差を残す
1570年の図版から空撮写真に戻ると、ドームの輪郭が違うことにすぐ気づく。図版のドームはより高く、現存する形は低くなだらかで、頂部には小さな採光塔(ランタン)もある。後の完成にはスカモッツィが関わっている。図の線を一本ずつ現在の建築にそのまま当てはめることも、屋根の頂部を空に完全に開いた円孔と考えることもできない。
今回の見方で、ドームの最も重要な働きは外部に現れる。四つのペディメントはそれぞれ外を向き、独自の頂点を持つ。その背後からドームが立ち上がり、四方向を再び一つの家にまとめる。それは五つ目のポルティコのように、もう一つの入口を指定するのではなく、外へ展開するいくつかの部分に共通の重心を与えている。
公式サイトの真上からの写真は、この関係を特にはっきりと写している。主屋の赤瓦の屋根はほぼ正方形で、その四辺からポルティコが伸び、中央の覆いは円形である。建築の輪郭だけを追うと、周囲の環境も同じように中心の周りに整然と並ぶはずだと、つい予想したくなる。真上からの写真を見る

しかし、軒の外へ視線を移すと、その予想はたちまち変化に出会う。写真の左側には長めの低い壁と、乾いて黄ばんだような地面がある。右側と下方には形の異なる芝生、花壇、道があり、上方では木々が間近まで迫る。屋根の四方向の秩序は明瞭だが、庭は同じ十字形を拡大したものにはなっていない。
この写真が記録しているのは現在の敷地である。樹木、道、植栽の配置は変化を経ており、一つ一つをパッラーディオの計画だとは言えない。それでも、この家が向き合い続ける関係は十分に見て取れる。対応し合う建築の形が、対応し合わない環境の中に置かれているのである。
ポルティコが似ているからこそ、外に向かったときの違いを比較しやすい。柱と階段は繰り返し現れる近景をつくり、遠景には木、農地、あるいは別の地形が広がる。建築は四方の世界を一枚の同じ絵にはしなかった。世界に向き合う位置を、四度、丁寧につくったのだ。
こうしてヴィラ・ロトンダのまとまりは、「左右対称」よりも豊かな意味を持つ。中央と外部、持ち上げることと地面に接すること、反復と差異が互いに関わる。自らの輪郭を明瞭に組織するほど、周囲の土地の不規則さをならす必要がなくなる。
最初の写真の二つの階段にも、もう一つの意味が現れる。中心にまとまった独立した家が、同時に両側へ伸びることを可能にする。整然としているために敷地から退くのではない。整然としているからこそ、明確な姿勢で、繰り返し敷地に接することができる。
任意の補助読書|反復はどこまで続くのか
Han Qinの「どちらの答えも正しい。なぜこちらは美しいのか?」(英語エッセイ)は、数学の美を論じながら、結果を得ることと、その結果を成り立たせる関係を見通すことを区別している。文中の、数を対にして足す手順をもう一度たどる価値は、数字を整然と並べるだけでなく、変化の中で変わらないものを明らかにする点にある。
この違いを手がかりに、ヴィラ・ロトンダの平面をもう一度見てみよう。まず、ごく単純な関係だけを取り出す。中央に一つの円、そこから四辺のポルティコへ通じる四本の軸線。中心の周りに四分の一回転させると、四方向は位置を交換するが、この関係は変わらない。半回転でも同じである。散在する四つの入口を覚えるのではなく、ある位置と別の位置がどのように対応するのかを見る。
次に、細部を一層ずつ戻していく。通路ごとの幅、長方形の部屋の向き、階段の位置、最後に家の外の道と木々。先ほどの回転の関係は、これらすべてが一対一で重なることまで自動的に保証しない。一層加えるたびに、自分が何を比較しているのかを改めて明らかにする必要がある。
SAE(Self-as-an-End)がいう数学の美は、ここに範囲を定めた確かめ方を加える。「とても対称的に見える」を、自分でやり直せる関係へと展開し、それがどの層で成り立つのかを見るのである。そうすれば、建築の明快さを大切にしながら、同じ規則に回収されない違いも残せる。空撮写真に戻ると、四つのポルティコは変わらず呼応し合い、家の周囲の世界は、より具体的に見えてくる。
図版と資料
本稿はヴィラ公式サイトの現状写真三点と、メトロポリタン美術館所蔵の1570年の図版を詳しく読むものであり、現地訪問の記録ではない。空撮は量塊と敷地の比較に用いており、地上の人が見る視点を表すものではない。歴史的図版は、公刊された案を理解するために用いた。
- ヴィラ公式サイト:建築と各階:四つのポルティコ、主階と下層階、現存するドームと後の完成について。
- パッラーディオ博物館:ヴィラ・ロトンダ資料:設計・建設の年代、郊外住宅としての性格、その後の工事について。
- メトロポリタン美術館:1570年の図版記録:『建築四書』第二書19ページ。
- ヴィチェンツァ世界遺産管理団体:建築と装飾の歴史:現存する内部装飾は複数の時期に由来する。アレッサンドロ・マガンツァの天井画は主として16世紀末から17世紀初頭、円形広間の壁面にあるルイ・ドリニーのフレスコ画はさらに後の時期のものである。現在の装飾全体を、パッラーディオの存命中に一度に完成したものとして扱うことはできない。