Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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あの場所は少しもよくない

Han Qin (秦汉) · 日本語版 · 2026-10-09

この版について

この日本語版について: 中国語原作の論旨をもとに、日本語の読者に向けて独立した文章として書き直した。 中国語原作は、同じページで簡体字と繁体字を切り替えて読める。

ここまでの四篇で、繰り返し使ってきた言葉がある。「外」だ。

これまでは、よいものとして使ってきた。猫猫には外がある。だから、自分のものを守れる。壬氏にはない。だから、与えられた条件のなかに閉じ込められる。後宮の女たちにもない。だから、帝の関心がすべてになる。

この篇では、その言葉の中身を開いてみる。開いてみれば、少しも美しくない。

この連作の主張は、まさにそこにある。帰れる場所は、よい場所でなくていい。ここから与えられた場所でなければいい。

花街という場所

猫猫は花街へ帰ろうとしている。

花街は、女を売る場所だ。

緑青館は、その通りにある妓楼の一軒である。妓女たちは売られてきて、格によって値をつけられ、客を取り、金を貯め、誰かに身請けされるのを待つ。けれど、大半にはその日は来ない。身請けされなければ、客を取れなくなるまで働き、次は別の仕事をして、そのままそこで年老いていく。病気になれば、奥の部屋へ移される。

作品はそのすべてを映している。やわらげてはいない。

猫猫はその通りで育った。人気の妓女三人を姉と呼び、そこを家だと思っている。

猫猫はどう生まれたか

その猫猫自身の生い立ちが、この篇の中心になる。この主張を試すうえで、もっとも厳しい試金石でもある。

生母は鳳仙。かつて花街でもっとも人気を集めた妓女だ。

生父は羅漢という。軍部の太尉で、変人軍師と呼ばれている。

羅漢には生まれつきの問題がある。人の顔を見分けられない。

目鼻立ちを区別できず、誰もが同じ顔に見える。幼いころには母と乳母を取り違えた。男女の区別もつかなかった。父は手を焼き、母も諦めた。

たった一人、教えようとした人がいた。叔父の羅門である。後に猫猫を引き取って育てる、その人だ。

羅門は、声で人を覚えること、振る舞いや体格で見分けることを教えた。一人ひとりを象棋の駒として覚えてみる。盤上の遊びが好きな羅漢には、その方法が通用した。

こうして人を見分けられるようになった。その代わり、それ以来、彼の目には人の顔がすべて駒として映るようになった。

生涯で顔を見分けられた相手は、二人しかいない。鳳仙と猫猫だ。

父は何をしたか

羅漢は鳳仙に夢中になった。緑青館に通い、彼女と象棋や囲碁で対局した。鳳仙は決して笑わなかった。そんな年月が、長く続いた。

やがて、独り占めしたくなった。

後に壬氏にこの話をしたとき、羅漢はひどい言い方をした。妓女の値を下げる、という言い方だった。

だが、アニメが後から見せる過去を、彼が一方的に妊娠を仕組んだという自白へ押し縮めることはできない。鳳仙も選択をし、羅漢も判断を誤った。二人は身請けの値段に縛られたなかで道を見つけようとした。そして、最後に代償を払いきれなくなったのは、二人だけではなかった。

猫猫の誕生は、初めから母につけられた値と、身請けの算段に巻き込まれていた。

それから三年姿を消した

子は生まれた。だが羅漢は、三年のあいだ姿を現さなかった。

自分で望んだ三年ではない。父に各地を巡るよう命じられて出かけ、途中で問題が起きた。判断を誤り、手紙すら送れなくなった。

三年だ。

その三年のあいだ、鳳仙は一人で猫猫を産み、一人で育てた。身請けの話は流れた。人気の妓女が子を産んだことで、館の客は減り、暮らしは苦しくなった。

それでも、客を取り続けた。

そして、梅毒にかかった。

作品は、このくだりを説明せず、告発せず、誰か一人に責任を引き受けさせることもしない。ただ、起きたことを順に並べて、その先へ進む。

あの象棋の一局

何年も後、羅漢は猫猫が自分の娘だと知り、異様な執着を見せるようになる。会いたがる。引き取ろうとする。何度も何度もやって来る。

猫猫は、そのすべてを断る。

最後に猫猫が選んだ解決法は、羅漢と象棋を一局指すことだった。負けたら緑青館から妓女を一人、身請けする。それが賭けの条件だった。

猫猫はこの賭けに勝った。羅漢の酒量を知っていたからだ。強い酒で羅漢を酔い潰すことが、彼女の勝ち筋になった。

身請けは、その後のことだった。緑青館に来た羅漢は、初めは梅梅を選ぶつもりだった。ところが、梅梅が開けた扉の向こうから鳳仙の歌声を聞き、最後には正式に彼女を身請けした。梅毒にむしばまれ、骨と皮ばかりになった女を。

ここは正確に書かなければならない。そうでないと、娘が母のために正義を取り戻した話として読めてしまう。

猫猫の勘定は明確だった。この人から逃れたい。見つけた方法が、ちょうど母の必要としていたことでもあった。

実際に起きたのは、羅漢の執着の先が猫猫から鳳仙へ移り、そのことで猫猫が自分の安全を守れた、ということだ。

作品は、この二つを並べて置いている。どちらが主なのかは言わない。

ここで議論を閉じる

これで、この連作の議論を結ぶことができる。

猫猫の「外」は、こんな場所だった。

母はそこで売られ、梅毒になるまで客を取った。両親の関係は、身請けの値段に行く手を塞がれていた。そして猫猫の誕生は、母の値も境遇も変えた。猫猫はそこで生まれ、その誕生もまた、人につけられる値と身請けの算段に巻き込まれていた。彼女の知る女たちは、一人残らず売られてきた人だった。

どんな物差しで見ても、後宮よりよい場所ではない。ある面では、もっとひどい。女が妊娠し、子を産めば、その結果まで、彼女を売買する帳簿に計上されるのだ。

それでも、この場所は役に立つ。

これがあるから、猫猫は後宮で自分のものを守れる。日を数えられる。身を隠せる。手柄を捨てられる。昇進しても、それを厄介事と思える。誰もが上を見ているとき、出口を見ていられる。

効き目を生んでいるのは、その場所のよさではない。ここから与えられたのではない、ということだ。

その仕組みの管轄外にあるかぎり、そこは、その仕組みだけに自分を決められないための足場になる。たとえそこ自体が、別のひどい仕組みであっても。

優れた人格ではなく条件の話だ

最後に、この連作でもっとも容赦のない一文を述べたい。

今の主張から、直接導かれることがある。耳に心地よい話ではない。

猫猫が自分を守れるのは、後宮の女たちより強いからではない。

あの外は、自分で勝ち取ったものではない。花街に生まれることを選んだわけでも、羅門の養女になることを選んだわけでも、薬の知識を身につけることを選んだわけでもない。自力で獲得したのでなく、たまたま持っていたのだ。

外を持たない女たち、玉葉妃、梨花妃、里樹妃、数千人の下女たちは、猫猫より弱い人間ではない。

里樹妃は幼いうちに宮中へ送られた。何も持ち込めなかったのは、入ってくる前の日々に、何かを渡してくれた人がいなかったからだ。それは彼女の落ち度ではない。

この連作は、猫猫を手本となる人物に仕立てるつもりはない。彼女のもっとも大事なものは、誰かから与えられたものだからだ。

もちろん、反論はできる。粘り強さは本物ではないか。判断力も本物ではないか。幾度もの危険を、自力で切り抜けてきたではないか。そのとおりだ。

それでも、この連作の主張はこうである。同じものが外のない人に備わっていたら、この仕組みはそれを自分の尺度に換算してしまう。上へ登るための腕になる。寵愛を勝ち取る手段になる。もう一人の玉葉妃や、もう一人の毒を盛る人になる。

同じ能力でも、外のある人には余地となり、外のない人には持ち駒となる。

物語はまだ終わっていない

最後に、ひとつはっきりさせておきたい。

この四十八話だけで、物語は完結していない。

ここまでで後宮の物語はいったん区切られる。壬氏は公には帝の弟という立場で姿を現すが、それと実の親子関係の確定とは別だ。猫猫は花街へ戻って薬師をしている。だが、物語はさらに続く。舞台は後宮を離れていく。

つまり、この連作が読んだのは、まだ結末のない物語の前半である。ここまでの主張も、その半ばから読み取ったものだ。

この先の展開で、覆されることはありうる。猫猫がついに花街を失ったり、花街が猫猫を失ったりすれば、この議論は最初から計算し直さなければならない。

ただ、この四十八話のなかでは、成り立っている。


本稿の対象は、テレビアニメ第1期・第2期、全四十八話(2023〜2025年)である。日向夏の小説を原作とし、キャラクター原案はしのとうこ、アニメーション制作はOLM/TOHO animation STUDIO。第3期は2026年10月2日放送開始、原作者の日向夏がストーリー原案を担当するオリジナル劇場版は2026年12月11日公開であり、いずれも本稿の論拠には含めない。原作小説は連載が続いている。

原典:中国語原作・英語版