Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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彼らに「戦わない」という選択肢はなかった

Han Qin (秦汉) · 日本語版 · 2026-10-09

この版について

日本語版について:中国語原作をもとに、日本語の読者に向けて独立に書き直した版。原文は同じページで簡体字と繁体字を切り替えて読める。

戦うために造られた種族がいる。

戦争が得意なのでも、戦争によって国を築いたのでもない。造られたときから、その用途を組み込まれていた。

並外れて強靱な肉体、高度な兵器、数百万隻を数える艦隊を持つ。

それ以外は、何も持たない。

その社会には何があるのか

まず、彼らがどんな毎日を送っているのかを見ておきたい。この一篇で考えたいことは、そこに尽きる。

男と女は別々に編成され、それぞれの軍で暮らし、互いに接触しない。家庭はない。子どももいない。彼らは親から生まれてくるのではない。

音楽も、絵も、物語も、祭りもない。戦闘と無関係なものは、一つもない。

食べるのは支給された食糧、住むのは艦内、することは訓練と戦闘。ゼントラーディ人がこの世に現れてから死ぬまでに経験することは、部隊に所属し、任務をこなし、やがていなくなる。それですべてだ。

身長は十メートルほどある。艦も兵器も、その大きさに合わせて造られている。ただし、どれ一つとして自分たちで設計したものではない。技術もまた、彼らが造られたときに一緒に与えられたものだ。

使い方は知っていても、造り方は知らない。戦い方は知っていても、何のために戦うかは決められない。

乏しい社会、というのでは足りない。ここにあるのは、一つの機能しか持たない社会だ。

乏しいというなら、ほかのものも少しはある。だがここでは、ほかのものが入り込む場所そのものがない。言葉にも、それを表す語がない。艦内にも、そのための空間がない。予定表にも、それに充てる欄がない。

なぜ彼らは戦うのか

では、もっと肝心なことに移ろう。なぜ彼らは地球を攻撃するのか。

作中で示される事情は、こうだ。彼らは一隻の船を追っている。

遠い昔の文明が残したその船は、地球に墜落した。人類が発見し、修復し、改造して、あの要塞になった。ゼントラーディはそれを取り戻そうとしている。

上からそう命じられたからだ。

その「上」とは誰なのか。なぜ船を必要としているのか。そもそも、あれは何なのか。命令を実行する者たちは、どれも知らない。

彼らは、どこから来たのかもわからない命令を実行している。

その命令が効力を持つのは、理解されているからではない。同意も、説明も、信じることさえ求められない。求められるのは実行だけだ。

戦う以外に生き方を持たない種族には、「なぜ」と問うための仕組みもない。

そう問うには、命令の外に立てる場所が要る。その場所を持つには、命令の実行とは関係のない何かをできなくてはならない。任務に属さない時間がなくてはならない。そして、このことを話せる相手がいなくてはならない。

彼らには、その三つのどれもない。

自分たちに欠けているもの

ここで、もう一つ設定を確かめておきたい。それによって、この物語の形が決まるからだ。

正確には、さらに古い文明が彼らを戦力として造り、文化や家庭、男女がともに暮らすことを、その設計から排除した。兵士一人ひとりがかつてそうした暮らしを持ち、後から奪われたわけではない。初めから閉ざされていたのは、そうした暮らしに触れ、自分自身の可能性を育てていくための条件だった。

だから、その後の変化は、進んだ文明が遅れた文明を教え導く話にはならない。誰もが覚えている昔の暮らしを取り戻す話にする必要もない。人類の暮らしが、比べてみることのできる別の生き方としてそこにあった。それに対するゼントラーディ自身の反応が証明するのは、造った側が定めた用途だけでは、造られた側が何になれるかまでは決まらない、ということだ。

自分たちに何が欠けているのかをまったく知らないまま、一つの種族が何千年も、その欠落の中で生きることはありうる。

しかも、それは内側からは見つけられない。何かが自分に欠けていると気づくには、まず別の場所で、それを見たことがなくてはならない。

彼らには一度も、その経験がなかった。出会う相手はすべて、攻撃する者か、攻撃される者だった。彼らの宇宙全体に、比べられる第二の生き方は存在しなかった。

指揮官にも顔がある

一人の人物に目を向けてみよう。

この物語で最も多く登場するゼントラーディの指揮官が、ブリタイだ。名前があり、性格がある。考え、部下と言い争い、わからないことに戸惑う。

残虐な人物ではない。戦いには彼なりの流儀があり、捕虜を捕らえれば虐待するより調べようとする。理解できないことに出会えば、確かめに行く。

それでも、生涯を通じて彼がしてきたことは、すべてこの体制の中で任務を遂行することだった。

この人物の描き方がいい。作品はゼントラーディを、内面のない怪物の群れにはしていない。人間と同じように戸惑い、議論し、損得を計算する者たちとして描いている。それでいて、彼らには一種類の生き方しかない。

その二つが同時に成り立つこと。そこが、この物語の出発点になる。

人類との最初の接触

初めて接触したとき、双方とも相手のことを何も知らなかった。

人類側にいるのは、ようやく寄せ集められた部隊と、異星の残骸から改造した一隻の船と、誰を相手に戦っているのかさえまだわからない人々。

ゼントラーディ側にいるのは、いつもの任務として、あるものを回収しに来た艦隊。

その接触の結果、操作の誤りによって、船は乗っていた何万人もの人々もろとも、太陽系の外縁、冥王星の軌道付近まで飛ばされてしまう。

何万人もの人々は、命を狙われながら、地球へ戻らなくてはならなくなる。

しかも船の中では、食べなくてはならない。住む場所が要る。学校へ行き、仕事をし、何かすることを見つけなくてはならない。

戦うために造られた要塞に、暮らしを続けなくてはならない都市が入り込んだ。

軍事的には、とてつもない厄介事だ。そしてこれが、この後に起こるすべての出来事の条件になる。

ゼントラーディの一人ひとりに、かつて家庭や芸術があり、それを後から取り上げられたのではない。創造者は彼らを軍隊として設計し、文化や男女がともに暮らすことを制度から締め出していた。後の接触によってわかるのは、その設計が、彼らに可能なあり方のすべてを決めていたわけではない、ということだ。

そして、その設計を初めて本当に揺さぶったものは、人類が周到に用意した文明の紹介ではなかった。軍事情報を集めていた三人の偵察兵が、何の軍事的な役にも立たないミスコンテストの放送を、偶然傍受したのだった。