Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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飛んでいった

Han Qin (秦汉) · 日本語版 · 2026-10-09

この版について

日本語版について: 中国語原文全体をもとに、日本語の読者に向けて独立に書き直したもの。作中の言葉は原文に沿った意訳であり、映画の台詞や漫画の文言をそのまま引用したものではない。

1945年8月15日の正午。ラジオがついている。

流れているのは、降伏を告げる詔書だ。

聞き終えたすずは、家を飛び出す。

映画を通して、すずが大声で叫ぶのは、この一度だけだ。

すずは何を叫んだのか

叫びを言い換えれば、こういうことになる。

どうして。

最後のひとりまで戦うのではなかったのか。

私には、左手も両足もまだあるのに。

受け入れられない。

すずは、始めから終わりまでぼんやりしていて、声が小さく、ぼうっとした人だと言われている。映画のなかで、誰かに怒りをぶつけることが一度もない。嫁ぎ先で小言を言われても、径子にひどいことを言われても、右手を失っても、そうだった。

ところが、この瞬間には叫ぶ。しかも、泣く。

この言葉は、一つひとつ順に読まなければならない。その順番が、いますずが何に向き合っているかを教えるからだ。

敗戦を嘆いているのではない。あることが途中で打ち切られた、そのことを問いただしている。

配給が減り続けること。警報がますます頻繁になること。家が焼けること。姪が死に、右手を失うこと。すずが耐えてきたそれらには、すずの側で受け止めていた説明があった。最後のひとりまで戦うのだから、いまは何もかも引き受けて耐えるしかない。

そこへ突然、もう戦わない、と告げられる。

「左手も両足もまだある」という言葉が言っているのは、こういうことだ。私には、まだ残っている。まだ耐えられる。全部を差し出したわけではない。それなのにいま、もう耐えなくていいと言うのか。

あの独白

続く独白が、映画全体の重心をなす。

意味をたどると、こうなる。

飛んでいった。

私たちが、ここまで歩いてきたものが。

それでよいと思ってきたものが。

そして、それがあるから耐えようと思っていた、その理由が。

もっとも重要なのは、最後の一節だ。

その前のふたつは、喪失を語っている。過ごしてきた日々。信じてきたもの。それらがなくなった。あの瞬間なら、誰にでも起こりうる反応だ。

だが、三つ目は違うことを言っている。

私はずっと耐えてきた。耐える理由があった。いま、その理由が飛んでいってしまった。

こう口にしたとき、すずは別のことも言ったことになる。それまでのすずは、ただ耐えていただけではない。同意していたのだ。

耐えるとは、自分の身に課されたものを引き受けることだ。同意するとは、それを課す理由まで受け入れることだ。

すずはそれまで、「私は同意した」と考えたことなどない。「暮らしとはこういうものだ」と思っていた。ところが、その理由が蒸発した瞬間に、理由がずっとそこにあったことに気づく。自分のしてきた一つひとつを、それが支えていた。

映画は、この転換を一分足らずで描く。

2016年版で、その一分が成り立つのは、それ以前の百二十分があるからだ。観客は、すずが米を二度水に浸して二度炊き、野草を見分け、服を仕立て直し、列に並ぶのを見てきた。そのときは、ただの日常に見えていた。

その百二十分に、この一分が、あらためて値をつけ直す。

映画と漫画では違う

次のくだりは、映画と原作漫画とで異なる。その違いは重要だ。

漫画の第39話で、すずの独白が語るのは暴力についてである。信じていた正義はなくなった。この国は、ずっと暴力で他者を従わせてきた。だから今度は、この国が暴力に屈する番なのだ。

映画はそこを変えた。すずは、自分は海の向こうから運ばれてきた米や大豆でできている、と言う。それなら、自分も暴力に屈しなければならないのか、と。

片渕須直監督が挙げた理由は、制作上のものだった。当時の日本は食料自給率が高くなく、穀物の輸入に頼っていた。そしてすずは、日々ご飯を作って暮らしている人だ。食べ物を通して反応するほうが、この人らしい。

この変更は、問題の全体を、すずの手につないだ。

前の二篇で書いたとおり、この映画の本編はご飯作りだ。米を二度浸して二度炊く。野草を見分ける。服を直す。配給の品に工夫を凝らす。この数年、すずがしてきたことは、どれも食べることを中心に回っていた。

いま、すずは知る。自分がずっと手を加えてきた米は、どこから来ていたのか。

暮らしを成り立たせていた土台は、ついさっき受け入れまいとしたことと、同じものだった。

変更には、もうひとつの効果がある。国についての判断が、自分自身の体についての判断になる。「この国は何をしたか」ではなく、「私は何でできているのか」と語るのだ。

ふたつの言い方が指す先は同じだ。違うのは、後者では、語る本人がそのなかに入っていることだ。

映画は町なかの場面にも、原作にはない言葉をひとつ加えた。通りがかりの人が、台湾米に言及する。

話は広がらない。応じる人もいない。人混みのざわめきのなかで、ただ、その言葉が発せられる。

あの旗

家を飛び出したすずは、裏山の畑へ走る。

そこから見下ろすと、太極旗が揚がるのが見える。

この場面については、観客のあいだで少なからず議論があった。ひとつの読み方はこうだ。呉には在日朝鮮人が日本人と一緒に住み、同じように爆弾を浴びていた。その旗が揚がることは、植民地支配の終わりを意味する。

さらに、ある論者は、もっと具体的な点を指摘している。旗を揚げた家は、映画の前のほうにも出てきた。兵士を出征に送り出していた家なのだ。

同じ家が、先の場面では人を戦場へ送り出し、いまはあの旗を揚げている。

作品は何の解説も添えない。登場人物を使って注目させたり、論評させたり、説明させたりしない。ただ、山にいるすずにそれを見せ、画面を切り替える。

すずに旗への反応を示させることもしない。言葉を発しない。近づいていかない。何を考えたのかも示されない。ただ、見る。

そして、見たあとに続く独白の最後の言葉へ進もう。

すずが最後に言うこと

旗を見たあと、独白はこんな意味の言葉で終わる。

何も知らないまま、死にたかった。

この言葉に説明は要らない。ただ、置かれている場所を正確に見なければならない。

真実を知ったのを後悔している、と言っているのではない。この国に勝ってほしかった、と言っているのでもない。

知ってしまった以上、これまでの暮らしのすべてを、もう一度見直さなければならない。すずは、それをしたくないと言っている。

何年もご飯を作り、何年も耐え、姪と右手を失った人がいる。その人がいま、自分の耐えてきたものを支える理由が何だったのか、初めて知った。

これからは、それを知ったまま暮らしていかなければならない。

映画は、その先をすずに代わって解決してはくれない。

新しい理由を口にさせない。誰かを連れてきて説き聞かせもしない。数日のうちに納得したことにもしない。すずが泣き終わると、画面はまた先へ進んでいく。

あの子ども

映画の終盤、すずと周作は広島へ行く。

広島は、もう以前の広島ではない。

廃墟で、まだ幼い女の子を見る。そばでは母親が死んでいて、子どもはずっとそこにいる。

母親が死んで、まだ間もない。子どもはそのそばを離れずにいた。

その子が近づいてくる。すずの右手がない側に来て、そこにつかまる。

なぜすずに近づいたのか、映画は説明しない。「あなたも片手がないのを見たからだろう」などと、誰かに言わせることもない。

ふたりは、その子を家へ連れて帰る。

帰り道、その子はすずにおぶわれている。

この映画がしなかったこと

この連作は、ここで終わる。

最後に、この映画がしなかったことを、いくつかはっきりさせておきたい。そこに、この映画の方法があるからだ。

映画は、すずに代わって判断を下さない。山ですずが気づいたことは、すず自身が語る。そこに映画は評言を足さない。ようやく目が覚めたとも、騙されていたのだとも言わない。

すずのために罪を償いもせず、弁護もしない。何かをさせて埋め合わせる筋書きを作らない。責任はないのだと告げる人も用意しない。

戦争の終わりを、解放の瞬間にもしない。玉音放送の日、この映画でただひとり泣き叫ぶのは、主人公だ。

子どもの登場を、埋め合わせにもしない。その子は晴美ではない。すずが産めなかった子どもでもない。何かの代用品ではない。廃墟で誰にも世話をされずにいた、ひとりの子どもだ。そして、この家の箸が一膳増える。

映画がするのは、別のことだ。この人たちに、ご飯を食べ続けさせる。

最後に、家族は一緒にいる。誰かがご飯を作っている。鍋はかまどの上にある。

この数年、鍋はずっとかまどの上にあった。配給が減っても、警報が鳴っても、晴美が死んだあとも、右手を失ったあとも、放送が終わったあとも。

いま、その鍋のそばに、ひとり増えた。

それが何を意味するのか。あのことを知りながら、なお暮らしを続けるとは、どういうことか。心の麻痺なのか。強さなのか。ほかの何かなのか。それとも、そもそも何かに分類するべきではないのか。

この映画は答えない。

2016年版は百二十九分を使って、ひとりの人が数年のあいだに実際にしてきたことを、一つひとつ映した。そして終盤の短いひとときに、それらを支えていたものが何だったのかを、その人に知らせた。

残る一歩を、映画は誰の代わりにも踏み出さなかった。