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Non Dubito

政治経済学・理論を読む · 01

お金があれば、何を決めてよいのか

蓄積が生む力を認めながら、それを他人の人生の支配に変える使い方は制限する。SAE政治経済学の出発点、二つの境界、制度が向かう方向を読む導入です。

Han Qin ·

中国語の読者向け散文をもとに、日本語として書き直した全文です。通衢・青窯などは架空の設定で、実際の事件は別の伴読ルートで扱います。制度はどうあるべきかを論じるもので、現行法の説明ではありません。

ある企業が小さな工房に買い手を紹介した。ところが数年後には、工房の値付け、使う配送業者、検索結果の何ページ目に載るかまで決められるようになっている。別の財団は失業した人を資金で助ける。支給は厚く、計画も行き届いている。ただ、受け取る人がこの先どこへ進むかまで、すでに計画書に書かれている。私たちは貢献に感謝すべきなのか、それとも条件を警戒すべきなのか。

SAE政治経済学は、そこで二つを分けて考える。貢献は貢献として認め、条件は一つずつ調べる。前者を認めても、後者の検討が済んだことにはならない。富裕な人を最初から悪人と決めるのでも、合法的に得たお金なら、それで買える決定は何でも正当だとするのでもない。蓄えられた資源が他人の暮らしの余地をどう変え、制度はどこで歯止めをかけるべきかを問う。

先に中心となる主張を述べよう。制度の目的は蓄積を減らすことではなく、その使い方を抑制することにある。人が生きる基盤を支配する力にも、問い直しの経路を支配する力にも、蓄積を交換させてはならない。条件を用意する力は残し、他人の人生を決めてしまう使い方は制限する。そして抑制する側も、問いを拒むことはできない。

ここには立場があり、その理由はこれから説明する。現実の事例を読めば、不安を覚える仕組みは見つかるだろう。しかし不安だけでは、何を変えるべきかは分からない。この8篇では、主張をほどいて、その理由、成り立つ範囲、そこからすぐには導けないことを明らかにする。先に論文を読む必要はない。

まず人がいる。そのうえで経済の役割を問う

新聞に、喬家の資産は青窯町の労働者の賃金300年分に当たる、という比較が載ったとしよう。これは原論文の架空世界であって、歴史統計ではない。差が大きすぎるから不公正だという人も、誰からも一銭も奪っていないという人もいる。どちらも理解できる反応だが、この家が実際に誰に対して何を決められるかは、まだ分からない。資産と長年の賃金はそもそも同じ種類の量ではなく、この比較をそのまま証明にすることもできない。

SAEの出発点は、そのさらに手前にある。人は、それ自体が目的である。生産、利益、公共事業への貢献を証明して初めて、人として扱われる資格を得るのではない。自分の価値を育ててもよいし、ある仕組みに反対してもよい。成果がない、収入を失った、他人の好意を断ったという理由で、好きに処分してよい物にはならない。

そこから二つの層が見えてくる。基礎にあるのは、生き、人としての資格と基本的な権利を保つための条件で、成功して稼ぎ取るものではない。もう一方は、自分の方向を見つけ、育てていく層だ。論文ではこれを創発の層と呼ぶ。陶器を焼きたい人、看護を学びたい人、まだ次に何をしたいか分からない人もいる。守るのは、本人が少しずつ方向を形にしていける可能性である。

一方を与えれば他方を取り消せるわけではない。よい仕事の機会を用意したからといって、命や拒否する資格を交渉の札にはできない。食事を保障したからといって、養う側がその人の将来を一手に決めてよいことにもならない。基礎の層は、抽象的な権利の一覧だけでもない。すでに制度が認めている資格や、ある供給が実際にどう生命を支えているかも、具体的に見分ける必要がある。

これは、普通に「人には価値がある」と言うときとは順序が違う。用途に応じて先に値をつけ、そのあと誰を尊重するか決めるなら、有用だと証明できない人はいつも承認を待たされる。SAEは順序を逆にする。まず人を手段に還元してはならないと認め、その人が自分の価値を見つけ、育てる機会をどう用意できるかを問う。政治経済学はその共同生活を支える条件を整えるのであって、全員に共通する成功像を指定しない。

市場は、そのためのきわめて重要な方法の一つだ。何かを差し出し、それを必要とする人に出会おうとするとき、まず中央の許可を取らなくてよい。競争、取引、融資、蓄積は、その可能性を広げられる。人は目的だという立場から市場を否定するのではない。ただし市場で生じた結果をすべて、そのまま合格した答えとして受け取るわけでもない。

価格は、ある条件で交換したい人がいることを示す。しかしその条件が、影響を受けるすべての人を尊重している証拠には、それだけではならない。経済がどう動くかと、その動きを支える制度が正当な方向に向かっているかは別の問いである。前者をいくらよく説明できても、後者の判断が自動的に済むわけではない。ここでは、それがSAE経済学と政治経済学の役割の違いになる。

物が買えることと、人のこれからが買えることは違う

蓄積されるのはお金だけではない。株式、資格、知名度、評価、注目も持ち越され、次の機会を得る力になる。他人との取引や承認を通じてそうした力を持つことは、それ自体では過ちではない。蓄積がなければ実現しない、長い時間を要する仕事は多い。

難しくなるのは、その力が決定権になるときだ。架空の通衢市場は売り手と買い手をつなぐ経路をつくった。やがて手数料を上げ、表示順位を決め、物流を抱き合わせるようになる。経営上の理由はありうるが、それは「市場」という名の誰でもないものが下した決定ではない。決めた人や機関があり、影響を受ける人がいるなら、説明を求められる相手を見つけられなければならない。

「嫌なら出ていける」というだけでは足りない。署名はできても、拒んだときの負担には耐えられない人がいる。何とか離れられても、残って是正を求める道を失っているかもしれない。逆に、拒否に費用がかかるだけで、すべての交換を強制とは言えない。実際の条件、依存のあり方、代わりの経路、そしてその条件が何を奪うのかを調べる必要がある。

交換を許してはならない第一の境界は、人自身の基礎にある。お金で一定時間の労働は買えても、身体、基本的な資格、辞めたあとの進路までまとめて買うことはできない。生活の供給を使って、本来その人に属する決定を差し出させてもいけない。ただし資源が重要だからといって、持つ人すべてに無限の供給義務が生じるのではない。先に誰が道を塞いだのか、誰がすでに供給を担っていたのかを、それぞれ確かめる必要がある。

退職後の競業禁止を考えよう。このシリーズの規範的立場では、署名も補償もあったとしても、違約金や差止めによって特定の業界への移動を禁じるなら、辞めたあとの選択を奪っている。期間を短くし補償を厚くすれば、範囲と負担は変わる。しかし誰が本人の進路を消しているかは変わらない。これは各地の現行法の要約ではなく、制度はどうあるべきかについてのSAEの明確な主張である。

異なる仕組みは区別しなければならない。営業秘密を守ることと、その人が以後その仕事をするのを禁じることは違う。勤続期間の約束については、実際に離れられる道を別に調べる。断ることのできる本当に追加的な条件付き給付も、それだけで就業禁止にはならない。起きるのが禁止や制裁なのか、追加のお金が止まるだけなのか。すでに稼いだ賃金ではないか。住宅や借金と組み合わせたとき、断っても生きていけるか。後の篇で一つずつ見る。

第二の境界は、その第一の境界を誰が問い直せるかにある。どれほど裕福でも、「自分に問いを向けてよいか」を決める席まで買ってよいわけではない。申立ての相手だけが申立てを管理したり、経済的利益によって公的な審査が奪われたりすれば、境界を実際に守るものがなくなる。

寄付、投資、就任関係があるだけで腐敗が証明される、という意味ではない。事実は個別に確かめ、動機は作り足してはならない。制度として、蓄積が自分を再審査する経路を奪うことを防ぐ必要がある。また公職での決定が、のちの私的な報酬に交換されることも防ぐ。個々の交換について有罪が立証されるまで、この隔てが必要だと認められないわけではない。

この二つが、「お金があれば何を決めてよいか」に答える。自分の建設や協力の能力は広げてよい。しかし資源の量を根拠に、他人の基礎を所有したり、問いを免れる資格を得たりはできない。問題はお金の出所だけではなく、いまそのお金でどのような作用を買っているかにもある。

使い方を抑え、人が育つ余地を残す

だから、制度の仕事は大企業をすべて小さくすることではない。蓄積によって道路や倉庫をつくり、技能を育て、長期のリスクを引き受けられる。ある立場からの支配を防ぐために、こうした能力まで無造作に壊せば、費用は働く人、利用者、供給に頼る人に及びうる。

狙うべきなのは具体的な使い方だ。どの仕組みが進路を塞ぎ、どの権力が問いを不可能にし、どの立場が代替者を次々と買って閉じられるのか。分割、再編、理由の公開、独立した申立ては方法になりうるが、名称だけで成功とは言えない。選ぶ側は目的、代償、より軽い代案を説明する必要がある。生産能力と支配の作用を、必ず無傷で切り離せると約束するわけでもない。

それは、現状の富すべてに無罪証明を渡すことでもない。道を塞ぐ使い方を正すために、資産の縮小、売却、再編が必要になる場合はある。減らすことは具体的な作用を解くための手段であって、少ないほどよいという最終目的ではない。この理論から税率、分配比率、各業界唯一の組織形態が出てくるわけではない。

ここでは三つの仕事を分ける。原則は方向と越えてはならない境界を示す。制度はそれを規則、手続、基準にする。判断を担う人や機関は、事実に即して個別の事件を扱う。それぞれ説明を要し、互いの代わりにはならない。「基礎的な供給は保障する」と言うだけでは、ある州の必要水量は計算できない。現行法の対象外にある企業だからといって、その使い方に問題がないことにもならない。

必要な抑制の強さは、その決定が誰に、どこまで及び、どれほどの人が避けて通れないかによる。従業員14人の水道会社は、大きな百貨店よりも一世帯の暮らしを深く左右しうる。私有は免除の理由にならず、公有も正当性の保証にはならない。公と私ではその立場を得た経緯は異なるが、実際に下した決定についてはどちらも答えなければならない。

水や介護では、事後の申立てだけでは足りない。高齢者が呼べば誰かが来ること、人の家に生きるための水があることを、実際に保障する必要がある。その供給を守るのは、特定の会社を永久に存続させたり、経営者を生涯辞めさせなかったりすることではない。引継ぎ、費用、責任を制度として用意し、「別の会社に替えればよい」の一言で済ませてはならない。

人の成長に関しては、制度がする仕事はまた違う。暮らしが安定したからといって、その人自身の道がすでに見つかったわけではない。支援は選択を使えるものにするのであって、出資したからその人が何になるべきか分かっている、と言うことではない。厚い贈り物を断れるか、援助を受けたあとでも方向を変えられるかは、支援が人をのみ込んでいないかを見る重要な点である。

最後に、抑制する側も同じ要求を受ける。審査機関、議会、規制当局も誤りうるし、二度と問わせない立場に固まることもある。誰が再審査を始められるか、何を変えられるか、問われる側がなぜ独断で取り消せないか。この三つは、公権力を持つ人にも向ける必要がある。

つまり富と政府のどちらを究極の善人に選ぶかという話ではない。守りたいのは、互いにのみ込まれない複数の人が共に暮らす条件だ。生産は続けられ、決定も終えられる。しかし決める立場が永久に問いを免れてはならない。制度が望む人にまずならなければ、自分の道を持つ資格がない、ということであってはならない。

続く6篇は、蓄積、関門、抑制、交換、成長、支援を順に扱う。最後の篇は思想の伝統との任意の読み合わせだ。実際の事例は別に隣へ置く。理論を検証し、修正を迫るものであって、常に理論の正しさを証明する列に並べるのではない。まずこの物差しの意味を理解し、それから現実に持ち帰って使う。それを読者に渡したい。

原論文と読書上の注意

本シリーズは、8本のSAE論文を一般読者向けの散文に組み直したもので、技術的な原論文を逐段訳したものではありません。主要な論証と具体例を残した中国語の読者向け本文をもとに、日本語として独立に書いています。元の英語版は独立に書かれており、簡体字・繁体字の中国語版もそれぞれ全文で読めます。通衢や青窯をはじめ、繰り返し登場する町、企業、制度は原論文の架空世界に属します。実際の事件を扱う記事は別の伴読ルートにあり、架空の例とその事実・法的結論を混同しません。制度はどうあるべきかという主張であって、現行法の説明ではありません。 本篇は前置論文の主要な論証と具体例を扱います。資産と300年分の賃金の比較を統計的な証明にはせず、退職後の競業禁止についての規範的立場を、現行法の説明と区別しています。対応する原論文を読む

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