一 すべての生命につながる一つの祖先
2024年の夏、英国ブリストル大学の研究チームが『ネイチャー・エコロジー&エボリューション』誌に、地球上のあらゆる細胞性生命の共通祖先の肖像を描いてみせた。
その姿はこうだ。生きていたのは約42億年前。地球ができてから、まだ3億年あまりしかたっていない。月は今よりはるかに地球に近く、海はようやく落ち着きはじめたところだった。
地質学では、この最初期を冥王代と呼ぶ。名の由来はギリシャ神話の冥界の王だ。かつては、そのころの地球は地獄のように溶岩だらけだったと考えられていた。この印象を変えたのが、オーストラリアのジャック・ヒルズで見つかったジルコンである。44億年前のジルコンに含まれる酸素同位体の特徴は、結晶ができたとき、すでに液体の水に触れていたことを示していた。当時の太陽は今より3割ほど暗く、空にはずっと大きな月がかかり、一日の潮の満ち引きも今よりはるかに激しかった。
それはすでに、立派な細胞だった。複雑さは現代の細菌とそう変わらず、ゲノムは約275万塩基対、遺伝子は約2,600個。今のごく普通の細菌が持つ遺伝子は、およそ4,000個である。
酸素は使わない。そもそも当時の大気には、酸素がほとんどなかった。水素から電子を取り出し、二酸化炭素を一段ずつ組み立てて有機物に変え、酢酸のような小さな分子を外へ出していた。
タンパク質をつくる機械一式も、回転するエネルギー装置も、すでに持っていた。ウイルスを迎え撃つ免疫の仕組みさえあったのかもしれない。侵入者の配列の一部を覚えておき、次に来たときには見分けて切断する仕組みだ。ひとりきりで暮らしていたわけでもない。排出した老廃物は、同じ海底にいた別の微生物の餌になっていた可能性が高い。
これが、現在のあらゆる細菌、あらゆる古細菌、すべての動物、植物、菌類、そしてこの文章を読んでいるあなたにも共通する祖先である。生物学者は最終共通祖先と呼ぶ。英語の略称LUCAは、よくある人名の「ルカ」のように読めるので、そのままルカと呼ぶ人も多い。
この肖像は、ただ一つの化石にも基づいていない。42億年前の岩石はほとんど残っておらず、残っていたとしても、「これがその祖先です」と札がついているはずはない。
今、生きている生物から、時間を逆向きにたどって描かれた像なのだ。何を共通して持ち、何を欠いているかを比べ、一歩ずつ過去へ戻っていく。この回では、その肖像がどう描かれたのか、どの線は確かで、どの線はまだ揺れているのかを見ていく。
この発想を最初に示したのはダーウィンだった。1837年、携帯していたノートに小さな枝分かれの図を描いた。一本の幹からいくつかの枝が出て、その枝がさらに分かれている。図の上には「I think」という二語、「私は思う」と書かれていた。それから22年後、『種の起源』の結びには、類推によれば、この地球にかつて生きたすべての生物は、おそらく何らかの原初の一形態に由来する、と記されている。
ダーウィンは考えを示したが、その祖先を見つける方法は示さなかった。データで答えられる問いに変わるには、人間が分子を読めるようになるまで、さらに100年以上待たなければならなかった。
まず、名前をはっきりさせておこう。「最終」とは、過去へさかのぼったとき、すべての系統が最後に一つに合流する地点のことだ。時間の上で最初に現れた生命を指すわけではない。
人類そのものが、よい例になる。現在、地球上に生きているすべての人の家系をさかのぼると、ある時点で一人の人物に行き着く。2004年のあるモデルによる推定では、その人物が生きていたのは、わずか数千年前かもしれないという。
第5回で取り上げる、現生人類すべての母系の祖先「ミトコンドリア・イブ」は、約20万年前に生きていた。それは母親から母親へという一本の線だけをたどった結果にすぎない。もちろん、人類の歴史はどちらよりもはるかに古い。その共通祖先より前にも無数の人が生きていた。ただ、その血筋はどこかで途絶えたか、とうに同じ一本の線へ流れ込んでいたのである。
生命でも事情は同じだ。最終共通祖先より前に、すでに長い生命の歴史があったかもしれない。最初の膜、最初の代謝、最初の自己複製する分子が生まれてきた歴史だ。
同じ時代に、ほかにも多くの生命がいた可能性がある。ただ、現在まで続く子孫を残さなかったために、この木には載っていない。第8節で、もう一度その生命たちに戻ろう。
つまり、最終共通祖先とは、ある関係につけられた名前である。定義は「現在のすべての子孫をさかのぼったときの合流点」だ。仮に明日、細菌がすべて絶滅し、古細菌とその子孫だけが残ったなら、この合流点はたちまち後の時代へ移り、古細菌の枝の内側に入る。42億年前のあの祖先が変わるわけではない。変わるのは、誰が生き残っているかだ。
関係は岩石の中には残らない。 たとえ40億年前の細胞が一つ、完全な姿で保存され、顕微鏡の下に置かれたとしても、それこそがあの節点だと証明することはできない。祖先のいとこかもしれず、祖先の祖先かもしれず、同時代の傍系かもしれず、あるいは子孫の一つかもしれない。この対象は、生きている子孫から逆に推し量るほかない。
このシリーズでいう「構」、つまり組み立てられた枠組みとは、つまるところ一本の線を引くことだ。線の内側は数に入れ、外側は入れない。その線は、一組の判定基準のように人が引くこともあれば、一枚の膜のように自然が引くこともある。
今回の線は、「今も子孫がいる」というところに引かれる。子孫のいるものは、すべてこの節点に流れ込む。いないものは、当時どれほど栄えていたとしても、線の内側には入らない。
二 共通する装置
肖像の最初の一筆は、驚くべき事実から始まる。地球上のすべての細胞が、同じ中核装置を使っているのだ。
1961年、米国国立衛生研究所のニーレンバーグとマッタイは、一種類の文字だけを繰り返した人工のリボ核酸を試験管に入れ、細胞から取り出したタンパク質合成の機械を加えた。すると、フェニルアラニンだけが長々と連なったタンパク質ができた。
こうして、遺伝暗号の最初の「単語」が解読された。同じ文字が三つ並ぶと、一種類のアミノ酸を指定する。数年のうちに、64個のコドンがすべて読めるようになった。三文字の組み合わせ64通りが、20種類のアミノ酸と「ここまで」を示す停止信号に対応し、多くのアミノ酸には意味の同じ綴り方がいくつもあった。1968年、ニーレンバーグは遺伝暗号を研究したほかの二人とともにノーベル賞を受賞した。
その後の発見は、さらに意外だった。細菌も、酵母も、トウモロコシも、ネズミも、人間も、ほとんど同じ暗号表を使っていたのである。同じ三文字の組み合わせは、大腸菌であるアミノ酸を指定するなら、人間でも同じアミノ酸を指定する。
わずかな変更を加えたのは、ミトコンドリアと一部の生物だけだった。たとえば人間のミトコンドリアでは、ほかでは「停止」を意味する組み合わせの一つが、トリプトファンと読まれる。
1968年、クリックはこの暗号表を「凍結された偶然」と呼んだ。初めにどう決まったかには、多くの偶然があったのかもしれない。だが、すべてのタンパク質がその暗号で書かれるようになれば、一語を変えるだけで何千、何万ものタンパク質が一斉におかしくなる。だから、そこで凍りついた。
共通しているのは暗号表だけではない。タンパク質をつくる機械、リボソームも、ほとんどあらゆる細胞で同じ設計になっている。大小二つのサブユニットが伝令役のRNAを挟み、アミノ酸を一つずつつなげていく。
2000年前後、研究者はついにリボソームの原子構造を見極めた。そして、アミノ酸どうしをつなぐ肝心の一段階を担っていたのは、内部のリボ核酸であり、周囲のタンパク質は補助役にすぎないとわかった。リボソームの中で本当に働いているのは、リボ核酸なのだ。 この発見から、生命にはDNAとタンパク質を使う以前に、主にリボ核酸に頼る段階があったと考える人が多くなった。2009年、リボソームの構造を解き明かした三人の科学者がノーベル化学賞を分け合った。
タンパク質をつくる20種類のアミノ酸も、どこでも同じ一組だ。左右の区別がないグリシンを除けば、すべて左手型を使い、右手型は生命の中ではほとんど使われない。なぜ左手なのかは、今も決着がついていない。
1969年にオーストラリアのマーチソンという町へ落ちた隕石から、研究者は数十種類のアミノ酸を見つけた。そのうち数種類では、左手型がわずかに多かった。生命の好みは、そうしたアミノ酸が地球へ降ってくる前から、宇宙で起きた何かに少し背中を押されていたのではないか。そう考える人もいる。
細胞が支払いに使うエネルギー分子も、みな同じアデノシン三リン酸だ。成人が一日に合成して使い切るアデノシン三リン酸は、合計すればほぼ自分の体重と同じ重さになる。細菌もこの分子を使う。遺伝子はどれもDNAに書かれ、まずRNAへ写し取られ、それからタンパク質へ翻訳される。
この一式が、それぞれ独立に何度も発明されたとは考えにくい。最も単純な説明は、すべてが同じ起源から受け継がれた、というものだ。
2010年、米国ブランダイス大学のセオボールドは、この「最も単純な説明」を正式な統計検定にかけた。あらゆる生命が持つタンパク質を20あまり選び、「すべての生命が一つの共通祖先から来た」モデルと「独立した複数の起源から来た」モデルのどちらが、今ある配列をよく説明するかを比べたのである。
結果は、共通祖先モデルが勝つオッズが、10の2,860乗対1。 宇宙にある原子をすべて数えても、10の80乗程度にしかならない。
装置が共通していれば、比べることができる。どの生物にも同じ仕事をする分子の一群がある。同じ仕事を受け持つ分子でも、生物が違えば配列は違い、その配列は一文字ずつ照らし合わせられる。
二つの生物で、同じ分子の違いが少ないほど、ふつうは分かれた時期が新しい。多くの生物を二つずつ比べていけば、誰と誰が先に分かれ、誰と誰が後に分かれたかという関係図が描ける。これが分子の水準で描く生命の木だ。
見た目からも木は描けるが、それだけでは遠くへ行けない。犬とオオカミは似ているから近縁だ。犬と魚は似ていないから遠い。ところが、大きく異なる群どうしを比べようとすると、見た目は頼りにならなくなる。近い共通祖先を持たなくても、似た暮らしをしていれば、似た姿になることがあるからだ。
第9回でエディアカラを取り上げるとき、この問題にまた出会う。似ているのは、共通祖先を持つからかもしれないし、別々に似た姿へ変わったからかもしれない。木を組み立てるのに使えるのは前者だけだ。分子なら、この二つをはるかにはっきり区別できる。
木を過去へたどると、すべての枝が一つの場所に集まる。その合流点が、最終共通祖先である。
三 木の形
祖先を再構築するには、まず木がどんな形をしているかを知らなければならない。その形そのものをめぐって、40年にわたる論争があった。
ウーズ以前にも、生命の木は何度か描かれていた。1866年、ドイツのヘッケルは、大きく三つに枝分かれする木を描いた。植物、動物、そしてさまざまな単細胞生物をまとめたもう一本の枝である。
1969年、米国のホイタッカーは、生物を動物、植物、菌類、原生生物、細菌の五つの界に分けた。これらの木は、いずれも目に見える形態と栄養の取り方をもとに描かれていた。単細胞生物のどれとどれが近いかとなると、ほとんど手のつけようがなかった。
1977年、米国イリノイ大学のウーズとフォックスは、当時の目には奇妙に映ることをした。形態も代謝も見ず、たった一つの分子で、あらゆる単細胞生物を比べようとしたのだ。選んだのは、リボソームにあるリボ核酸の一部分だった。
理由は三つある。どの細胞にもあるので、あらゆる生物を比較できる。変化がとても遅く、きわめて古い信号を残せる。そして、まったく変わらないわけでもないので、比較に使える違いも残る。
彼が選んだリボ核酸のこの部分は、のちに微生物を知るための標準的な道具になった。今、土壌や海水、人間の腸から見たことのない細菌が見つかると、ほとんどの場合、最初にこの部分の配列を調べ、ウーズが描いた木の上に置いてみる。
当時、自動の配列解析装置はなかった。ウーズはこのリボ核酸を放射性同位体で標識し、酵素で断片に切り、ろ紙上で分離させ、その上に感光フィルムを重ねた。フィルムに現れた斑点を、一枚ずつ読み分ける。実験室のライトボックスで何千、何万枚ものフィルムを眺める作業が、十数年続いた。
そこから出た結論は、当時の常識にはかなり刺激的だった。それまでは、生物は細胞核を持つものと持たないものの二大群に分けられていた。細菌は後者に属し、「核がない」という一つの籠にまとめられていた。
ウーズは、その籠の中に、実はきわめて深く分かれた二つの系統が入っていることを見つけた。一方はふつうの細菌。もう一方は、沼や温泉、牛の胃にすみ、メタンを出す微生物だった。牛が一日にげっぷで放出する数百リットルのメタンは、主に胃の中のこの微生物がつくっている。二つの系統の違いは、それぞれと核を持つ生物との違いに匹敵していた。
彼は後者を当初アーキバクテリアと呼び、のちにアーキア、すなわち古細菌と改めた。1977年11月、『ニューヨーク・タイムズ』はこの研究を一面で報じた。見出しには、動植物のような複雑な生物より古い生命の形が発見された、とあった。
多くの同業者は信じず、ウーズは何年も冷遇された。1990年、ウーズはドイツのカンドラーらとの連名で、細菌、古細菌、そして核を持つ真核生物を、最上位の三つの分類群として正式に定めた。三ドメインである。ドメインは、それまでの「界」より一段上に置かれた。2003年には、ノーベル賞の対象にならない分野のために設けられたクラフォード賞を受賞し、2012年に亡くなった。
三ドメインの図では、細菌が片側にあり、古細菌と真核生物は対等な姉妹群となる。1984年、米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校のレイクは、別の描き方を提案した。真核生物は古細菌の姉妹ではなく、古細菌の内側から伸びた一枝だというのだ。
彼が比べたのはリボソームの外形だった。電子顕微鏡で見ると、真核生物のリボソームと、ある耐熱性古細菌のリボソームには、同じ小さな突起がある。彼はその古細菌を「暁の細胞」と名づけた。
この考えは、当時は主流にならなかった。比べられる特徴が少なすぎ、古細菌の標本も偏っていた。しかも、木の深い部分の枝には、ある見かけの効果が入り込みやすい。とくに速く進化する二本の枝は、類縁関係がなくても、図の上では引き寄せられてしまう。長枝誘引と呼ばれる現象だ。
転機は北極海の海底からやって来た。グリーンランドとノルウェーの間の中央海嶺に、2008年に発見された熱水噴出孔群がある。黒い煙突が城のように並ぶので、発見者は北欧神話の気まぐれな神ロキにちなみ、「ロキの城」と名づけた。2015年、スウェーデンのウプサラ大学のチームが、その近くの海底の泥から、それまでまったく知られていなかった古細菌のゲノムを組み上げた。ロキ古細菌である。
発見の道筋は変わっていた。その生物を見た人は、誰もいなかった。研究者は泥の塊に含まれる遺伝物質を丸ごと取り出し、すべての配列を読み、計算によって同じ生物に属する断片をつなぎ直したのである。
組み上がったゲノムには、それまで真核生物にしかないと思われていたタンパク質の近縁が、いくつも含まれていた。細胞の形をつくる骨格のタンパク質や、膜の小胞で荷物を包み、運ぶタンパク質だ。2年後、この仲間は大きな一族へと広がり、やはり北欧神話から、アスガルド古細菌と名づけられた。アスガルドは、神々の暮らす場所である。
一族のいくつかの枝には、それぞれロキ、トール、オーディン、ヘイムダルという北欧の神の名がついた。系統樹では、真核生物はこの一族の内側に収まった。2023年の大規模解析では、真核生物の最も近い親戚は、ヘイムダルの枝に含まれる小さな一群に絞り込まれた。
そして、実際に育てた人が現れた。2020年、日本の海洋研究開発機構の井町寛之らは、日本の南海トラフの水深2,500メートルを超える海底の泥から、約12年をかけて、ついにアスガルド古細菌の一株を培養したと報告した。
12年のあいだ、研究室で深海の堆積物の条件を再現し、このとてつもなく成長の遅い生物を、少しずつ増やしていった。細胞が一回分裂するのに、約20日かかる。名前はギリシャ神話で火を盗んだプロメテウスから取った。
育った細胞は、直径およそ半マイクロメートルの、きわめて小さな球形だった。細長く枝分かれした触手を何本も伸ばす。内部に核はなく、内膜もなく、真核細胞の小器官は何一つなかった。
アミノ酸を分解し、水素とギ酸を放出する。その生成物を、そばにいる微生物の仲間が絶えず食べてくれて、初めて反応のエネルギー収支が成り立つ。仲間なしでは生きられない。
仲間を必要とし、長い触手を伸ばす小さな古細菌。それは「真核細胞は、古細菌と細菌の長期の共生から生まれた」という考えに、生きた姿を与えた。第5回では、その共生を取り上げる。
現在の主流の見方では、真核生物は古細菌の内側から生まれ、生命の木の最上位には、細菌と古細菌の二大分枝がある。アスガルドのどの枝が真核生物に最も近いかについては、まだ議論が続いている。
木の根をどこに置くかは、また別の難問だ。ふつうの関係図なら、その集団の外にあるとわかっている群を参照にし、そこから内側を眺められる。これを外群という。
すべての細胞性生命を含む木には、外群がない。参照に使える第四の生命を見つけられないのだ。1989年、日本の九州大学の宮田隆のチームと、米国のゴガルテンらは、それぞれ同じ巧妙な方法を考えついた。最終共通祖先より前に一度重複し、二つのコピーになった遺伝子がある。その後は別々に進化した二つのコピーを、互いの外群にすればよい。二つのグループは二種類の古い重複遺伝子を使い、同じ向きを得た。根は、細菌の枝と、古細菌および真核生物の枝の間に来る。
木の形は、祖先の再構築の結果を直接左右する。三ドメインの図なら、細菌、古細菌、真核生物のすべてにある遺伝子は、三つの系統で独立に残されたように見え、祖先までさかのぼらせやすい。
二大分枝の図では、真核生物は古細菌の内側から後に伸びた枝なので、「真核生物にもある」という事実は、独立した第三の証拠にはならない。祖先の再構築に本当に効く深い比較は、細菌と古細菌の二者だけになる。
四 この祖先が持っていたもの
2016年、ドイツのデュッセルドルフ大学のマーティンのチームが、この祖先について初めて本格的な遺伝子リストをつくった。
細菌と古細菌の約2,000のゲノムから、タンパク質をコードする遺伝子を約610万個取り出し、機能が近く、配列が似ているものを、まずいくつもの山に分けた。同じ山の遺伝子は、同じ祖先遺伝子に由来すると考える。できた山は、全部で約28万6,500あった。
そこから選別する。ある山を「祖先がすでに持っていた」と数えるには、細菌と古細菌の双方で、複数の大きな分類群に現れなければならない。しかも、その山の内部の関係図がすっきりしている必要がある。細菌の配列は一つの枝に、古細菌の配列はもう一つの枝に集まり、両者が明瞭に分かれていることが条件だった。
この規則は、横から渡ってきた遺伝子を締め出すためのものだ。それについては第6節で述べる。ふるいにかけたあとに残ったのは355の山。1,000のうち、合格できるほど整っていたのは、わずか一つだった。
この355の山から浮かんだ祖先は、こういう生物だった。酸素を使わず、水素から電子を得て、二酸化炭素を有機物に変えられる。多くの酵素の活性中心には鉄と硫黄があり、高温を好み、大気中の窒素を固定する能力も持っていた。
マーティンのチームはそこから、水素、二酸化炭素、鉄に富む海底の場所にすんでいたと考えた。現在の海底にある、アルカリ性の熱水噴出孔によく似た場所だ。第3回で取り上げる大西洋中央部の「ロストシティ」、高さ60メートルにもなる白い煙突群が、その生きた見本である。2000年の深海調査で、大西洋中央海嶺近くの海山に偶然見つかった。噴き出すのは温かなアルカリ性の水で、黒い煙突から出る灼熱の酸性熱水とは、まるで違う。
マーティンと英国の地球化学者ラッセルは、2003年の共著論文で、生命がこうしたアルカリ性熱水噴出孔から生まれたという説を体系的に論じた。岩石と海水の反応が水素を放ち、噴出孔の内と外にある酸性・アルカリ性の差が、天然の電池のように働く。祖先が二酸化炭素から有機物を組み立てた経路は、今も酢酸生成菌と呼ばれる細菌が使っている。地球上で最も古い炭素固定経路かもしれない。
8年後、ブリストルのチームは、まったく別のやり方で同じ仕事に取り組んだ。まず古細菌350と細菌350のゲノムで大きな木をつくり、次に数千の遺伝子ファミリーそれぞれの小さな木を、一つずつ大きな木に重ねて比べた。
疑わしい遺伝子も捨てない。モデルの中で、遺伝子の水平移動、重複、喪失を明示的に認めたうえで、「この祖先がその遺伝子を持っていた」確率を計算する。最も厳しい基準では399の機能単位が得られ、マーティンのチームの355と同じ桁に収まった。
その先へ、もう一歩進んだ。存在確率が高い遺伝子も、中くらいも、低いものも、すべての確率を足し合わせた。さらに現代のゲノムで「確実な中核遺伝子が全体のどれだけを占めるか」という割合を使い、祖先の完全なゲノムの規模を推定した。約275万塩基対、タンパク質をコードする遺伝子が約2,657個。第1節の肖像は、ここから来ている。
355と2,657では、ほぼ一桁違う。どちらも正しい数字で、答えている問いが違う。 古い倉庫の棚卸しを考えるといい。
一つの方法では、ラベルが無事で、出どころを確認できる箱だけを登録する。数え終えると355箱になる。もう一つの方法では、箱をすべて見て、一つずつ「もともとここにあった」可能性を見積もり、それを足して2,657という数を得る。
前者は見落としが多く、後者は推定に頼る度合いが大きい。登録する方法では、ほぼ一つ一つが確実なかわりに、本当に倉庫にあった箱を数多く取りこぼす。推計する方法では取りこぼさないが、どの数字にも見積もりが入る。
さらに古い研究では、規則が違うため、80個、572個、1,500個前後という結果も出ていた。目盛りの違う定規が並んでいるようなものだ。それぞれが、自分の規則のもとでは正確なのである。
2,600を超える遺伝子があれば、いろいろなことができる。ブリストルのチームは祖先の遺伝子の中に、タンパク質をつくる機械一式、中核となる代謝網、エネルギー装置、そして現代の細菌がウイルスを覚えて切断するために使う免疫系の部品を見つけた。
この免疫系の発見にも、一つの物語がある。1990年代、スペインのアリカンテ大学のモヒカは、海辺の塩田の古細菌を研究していて、ゲノムに奇妙な繰り返し配列が並び、その間に出どころのわからない断片が挟まっていることに気づいた。
その断片が、かつて侵入したウイルスに由来するとわかるまで、十数年かかった。細胞はウイルスの小さな一部分を自分のゲノムに写し込み、記録として残す。同じウイルスが次に入ってくると、その記録に照らして切断する。2012年、米国のダウドナとフランスのシャルパンティエは、このはさみを遺伝子編集の道具につくり替え、2020年にノーベル化学賞を受賞した。ブリストルの推定が正しければ、このはさみの祖先は、40億年以上前から使われていたことになる。
恨みを覚えていられる細胞がいたなら、その周囲にはすでにウイルスがうろついていたはずだ。モデルでは、この細胞が出す酢酸と水素が、ちょうどほかの微生物の餌になり、全体で小さな生態系を形づくる。42億年前の海底には、すでに食物網があったのかもしれない。
高温を好んだかどうかを調べるには、別の方法もある。古いタンパク質を「復活」させるのだ。今ある配列から、何十億年も前の祖先タンパク質の配列を推定し、実験室で合成して、何度まで働けるかを測る。
2008年、米国の研究者はこの方法で、細菌の祖先がタンパク質合成に使っていた古い因子を復元した。摂氏60度台でも安定していた。その後、日本の研究者が復元した別の古い酵素は、さらに熱に強かった。何十億年も前のタンパク質が、今の試験管の中でもう一度折りたたまれ、もう一度働きだす。
いくつかの特徴については、二つの研究の見立ては一致していない。マーティンのチームの祖先は明らかに高温を好むが、ブリストルのチームは、証拠はそこまで一方的ではないと考える。窒素固定の能力も、後から別の場所から伝わったと見る人がいる。肖像の輪郭は確かでも、細部はまだ揺れている。
五 この祖先が欠いていたもの
何を持っていたかを数えたら、向きを変え、何が足りないかを数えてみよう。その欠けたものこそが、最も頭を悩ませる。
まず、DNAを複製する機械だ。1999年、米国国立衛生研究所のクーニンらは、細菌と古細菌のDNA複製部品を体系的に比較し、現在も成り立つ対照を見いだした。
DNAに関わる周辺の仕事、たとえば材料の合成や損傷の修復では、双方の部品は相同で、同じ祖先に由来する。ところが、染色体を実際に複製する中核部品のいくつかは、両者で別物だ。新しい鎖へ一文字ずつつなぎ足す酵素は、細菌が一つの種類を使うのに対し、古細菌は別の一ないし二種類を使う。構造と配列から見ると、同じ祖先酵素から生じた二つの子孫ではない。コウモリの翼と昆虫の翅のような関係だ。複製を開始する酵素も、二本鎖を引き離す酵素も、双方で異なるファミリーに属している。
二大群はともに二本鎖DNAに情報を蓄え、その二本鎖を開き、複製を始め、鋳型に沿って鎖を伸ばさなければならない。仕事は同じなのに、それを担う中核部品のあちこちが、二組の別のものになっている。
この観察は20年以上覆されていない。だが、説明は四通りあり、いまだにどれ一つとして退けられてはいない。
最初の説明は、もっと大きな構想につながる。1986年、米国ハーバード大学のギルバートが「RNAワールド」と名づけた構想だ。DNAとタンパク質の分業が始まる前は、リボ核酸が情報の保存と触媒を一手に引き受けていたという。
第2節で見たとおり、リボソームの中で実際にアミノ酸をつなぐのはリボ核酸だ。それは、その世界が残した化石である。この説明では、祖先はまだ主にRNAで情報を蓄え、現代型のDNA複製は、二つの枝が分かれた後、それぞれで形を整えたことになる。難しいのは、DNAに関わる周辺装置を双方がこれほど多く共有しているのに、なぜその装置はそれほど古いのか、という点だ。
別の説明では、祖先はすでにDNAを使っていたが、二大群が後にそれぞれ複製の中核を交換したと考える。難点は、染色体の複製を止めずに、どうやってそれほど大きな交換を成し遂げたかだ。走っている車のエンジンを、走りながら取り替えるような話である。
もう一つの説明は、祖先が二組、あるいはそれ以上の複製系を同時に持っており、細菌と古細菌が後に別々の部分を失ったとする。これなら、複製が二度発明されたと仮定する必要はない。そのかわり、祖先は想像していたより複雑になる。
最後の説明は、ウイルスを招き入れる。初期のウイルスがそれぞれ固有の複製機械を持ち、それを別々の細胞系統へ運び込んだというのだ。ウイルスは今でも複製機械の一大宝庫で、多くのウイルスのポリメラーゼには、細胞の中に近縁が見つからない。難点は、それほど古いウイルスの系統には、照合できる化石も連続した記録もないことだ。
次は膜を見よう。両手を出してほしい。形は同じなのに、左手をどちらへ返しても、右手とはぴたりと重ならない。親指が必ず逆側に来る。分子にも、同じことがある。同じ原子が同じつながり方をしていても、鏡に映した関係にあって重ならない、二つの型ができる。
細菌と古細菌の膜脂質は、まさにこうした関係にある。細菌の膜脂質の骨格は一方の立体配置を使い、古細菌はその鏡像を使う。つなぐ化学結合も違えば、そこについている油性の長い鎖も違う。
三層の違いが同時にある。この隔たりを、生物学者は膜脂質の分岐と呼ぶ。古細菌の膜はとくに頑丈で、膜脂質の両端がつながって膜全体を貫くものもある。ホチキスの針を並べたようなものだ。米国イエローストーン国立公園の、沸騰に近い酸性の温泉にも、こうした古細菌がすむ。ほかの細胞ならとうにばらばらになる温度と酸性度の中で、いつもどおり暮らしている。
祖先の膜がどのようなものだったかにも、いくつもの案がある。現代型の膜はすでにあり、二大群が後から合成系を交換したのかもしれない。祖先の膜には両方の脂質が混ざっていて、分かれた二つの枝がそれぞれ片方に固定したのかもしれない。
祖先にはもっと単純な膜しかなく、鏡像のどちらを使うかは、まだ定まっていなかったのかもしれない。最も大胆な説では、自前の膜さえ持たず、海底の熱水噴出孔にある岩石の小さな穴にすんでいて、鉱物の穴の壁が細胞壁の代わりをしていたという。
混合膜は、かつては不可能だと思われていた。逆の鏡像の脂質を混ぜると不安定になる、というのが理由だった。2011年、人工的に混ぜた膜を使い、安定して存在できることが示された。
2018年、オランダのフローニンゲン大学の研究者は、大腸菌を改変し、自前の細菌型膜脂質に加えて、古細菌型の膜脂質も大量に合成させた。改変した細胞は、変わらず成長し、分裂した。一つの細胞が、二つの鏡像を含む膜の中に同時に暮らせるのである。
確実に持っていたものについても、はっきりさせておこう。タンパク質をつくるリボソームは、その中核部品があらゆる生命で高い相同性を示す。複製機械より、はるかに統一されている。
遺伝暗号も、ほぼどこでも同じだ。アミノ酸を運ぶ小さな分子群も、基本構造がきわめてよく保存されている。エネルギー通貨をつくる回転機械は、細菌型と古細菌型で深く分かれてはいるが、作動原理と一部の部品の古い重複は、二大群が分かれる以前にまでたどれる。
この機械は第3回で取り上げる。膜の両側のイオン濃度の差で回り、一回転するごとにエネルギー分子をいくつかつくる。膜を隔てたイオンの差を発電に使う原理は、じつに古い。最初に使われたのが何のイオンだったかは、まだ断言できない。
こうして見ると、この祖先は不思議な取り合わせだ。十分に細胞らしい翻訳とエネルギーの装置一式を持つのに、両群で相同な現代型の複製系は再構築できず、膜がどちらの型だったかも決まらない。そこから、まだ完全には細胞になっておらず、緩やかな共同体に近かったと考える人もいる。
対して、ブリストルの2,600を超える遺伝子は逆の方向を指す。原核細胞ほどの複雑さを備えた祖先に、より近い。欠けたものこそ、この肖像でいちばん面白い空白なのだ。
六 横へ渡る遺伝子
あらゆる再構築は、一つの仮定に支えられている。遺伝子は主に親から子へ伝わる、という仮定だ。細菌では、これはそう確かではない。
1928年、英国保健省の医官グリフィスは、肺炎球菌の研究で奇妙な実験をした。一方の菌株には表面に莢膜があり、マウスを感染させて死に至らせる。もう一方には莢膜がなく、無害だった。
病原性のある菌を熱で殺し、生きた無害な菌と一緒にマウスへ注射すると、マウスは死んだ。その体から取り出されたのは、生きていて、莢膜を持ち、病原性もある菌だった。死んだ細菌の中の何かが、生きた細菌を変えたのである。
1944年、米国ロックフェラー研究所のエイブリーらは、その何かがDNAであると証明した。2年後には、米国のレーダーバーグとテータムが、大腸菌どうしが直接「接合」し、一方の細胞からもう一方へDNAの一部を渡せることを発見した。レーダーバーグはこの仕事で、33歳にしてノーベル賞を受賞した。
遺伝子が横へ渡る道は、いくつもある。細菌は、周囲の水に漂うDNAの断片をそのまま拾い、自分のゲノムへ組み込める。一時的につくった細い管を通して、別の細菌から一部分を受け取ることもできる。
ウイルスに運ばれて引っ越すこともある。ウイルスが細菌から出るとき、宿主のDNAを一部まぎれ込ませ、次の細菌へ注入するのだ。三つの道とも、相手が親戚かどうかは問わない。これを遺伝子の水平伝播という。
これは日常から遠い話ではない。1959年、日本の研究者は、赤痢菌の複数の抗生物質への耐性が、一そろいまとめて別の細菌へ移り、無害な大腸菌から赤痢菌へさえ渡ることを発見した。耐性遺伝子は、単独で複製できる小さな環状DNAに載っていた。プラスミドである。病院で細菌の薬剤耐性があれほど速く広がる大きな理由の一つは、耐性遺伝子が一塊のまま細菌どうしを渡れることにある。親戚である必要も、同じ種である必要さえない。
どれほど広く起きているのだろう。2008年、ドイツの研究者は細菌と古細菌181個のゲノムを解析し、一つのゲノムにつき平均して少なくとも8割の遺伝子が、歴史のどこかで水平伝播に関わったと推定した。これは数十億年を通算した「少なくとも一度」だ。「8割の人が一生のうちに少なくとも一度は引っ越した」というのと同じで、8割の人が今、引っ越したばかりの家に住んでいるという意味ではない。
1998年、ウーズはさらに徹底した考えを示した。生命のごく初期には、細胞の各部品はまだがっちり結びついておらず、互いへの依存も緩かった。外から来た部品を簡単に取りつけられ、横の交換が当たり前だったという。
細胞の設計が統合され、部品どうしの依存が強まるにつれ、外来の部品はますます多くの相手に同時に適合しなければならなくなる。横からの交換は難しくなり、安定した縦の系統が、ようやくはっきり現れてくる。2002年、彼はこの転換点を正式に「ダーウィンの閾値」と呼んだ。
この考えでは、木は初めからあったわけではない。木の形そのものが、進化の途中で後から現れ、次第にはっきりしてきた性質なのかもしれない。 これは理論モデルであり、その転換が何年に起きたかを測った人はいない。
1999年、カナダのダルハウジー大学のドゥーリトルは『サイエンス』誌に、こう書いた。細菌、古細菌、初期の真核生物のゲノムに、さまざまな起源から来た大量の遺伝子が混在するなら、ゲノム全体を厳密な階層分類に押し込むことには、自然な根拠がないのかもしれない。
同時に、分子配列に基づく分類は、依然として不可欠だとも述べている。彼が疑ったのは別のことだった。あらゆる遺伝子について正しい、たった一本の生命の木が存在するのか、ということだ。
同じ年、米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校のレイクらは、見事な仮説を提案した。大きく、緊密に連携するシステムに加わる遺伝子は、比較的独立して働く遺伝子より、水平伝播に成功しにくいという。
リボソームには数十の部品があり、隙間なくかみ合っている。外来の部品が受け入れられるには、その数十の相手すべてと同時に合わなければならない。代謝の一段階だけを担う酵素なら、たいていは自分の一段階をきちんとこなせばよい。
後の研究で、この傾向は実在するとわかった。ただし、絶対の障壁ではない。ある耐熱性細菌では、系統樹づくりに最もよく使われるリボソームRNAのあの区間を、別の門の生物のものに置き換えても、細胞は生きられた。
大量の水平伝播と、縦に通る骨組みは、両立できる。 保存性の高い中核遺伝子を数十から100以上使えば、今も細菌と古細菌の主要な骨組みを安定して復元できる。周辺へ行くほど、網の目は密になる。
2018年、同じ科に属する105の細菌のゲノムを比べた研究では、光合成に関わる33の遺伝子について、それぞれの関係図が種の関係図と広い範囲で一致しないことがわかった。現在の分布を説明するには、少なくとも7回、一式そろって引っ越していなければならない。
ある細菌の系統が今、光合成をできるからといって、その能力を祖先から受け継いだとは限らない。種の系統は一本の線であり、光合成遺伝子の系統は別の一本だ。二本の線は重ならない。
七 いつだったのか
最終共通祖先が生きていたのは、いつなのか。この問いに答えるには、分子時計が必要になる。
1960年代初め、米国カリフォルニア工科大学のツッカーカンドルとポーリングは、異なる動物のヘモグロビンを比較した。二つの動物が分かれてから長くたつほど、ヘモグロビンの配列の違いが多くなり、その増え方はほぼ一定だった。
そこから、分子に積み重なる変化を時計に使えると考えた。何度も書き写されてきた二つの文章なら、誤字が多いほど、同じ原本から別々に写され始めた時期が古い。そんな具合だ。
分子時計は登場早々、ひと騒動を起こした。1967年、米国カリフォルニア大学バークレー校のサーリッチとウィルソンは、免疫学的な方法でヒトとチンパンジーの血清タンパク質を比べ、両者が分かれたのは、わずか約500万年前だと計算した。
当時の古人類学では、1,500万年以上前という見方が主流だった。論争は十数年続き、結局、分子時計の側がおおむね勝った。
このたとえからは、すぐに二つの困りごとが見えてくる。一つは、書き写す速さが同じではないことだ。変わるのが速い系統も遅い系統もあり、同じ分子でも、枝によって速度が何倍も違うことがある。
現在は、速度が木の上で変わることを認め、統計的に推定する。もう一つの難点は、時計が教えるのは相対的な前後関係だけだということ。年数に換算するには、少なくともいくつかの節点の年代を、独立した証拠で釘留めしなければならない。その釘は、化石と岩石からしか得られない。
ブリストルのチームは2024年、次のように年代を留めた。すべての細胞性生命の木には外群がないので、祖先より前に重複していた古い遺伝子を五組使った。
同じ分岐は、二つのコピーのそれぞれに節点を残す。その二つの節点は同じ時刻でなければならないから、両者を結びつければ、「外群がない」という難問を回避できる。校正点は13か所使った。最も古い上限は約45億1,000万年前の月の形成から取り、生物に関わる最も深い校正には、約29億5,000万年前の地球化学的な制約を使った。
結果は約42億年前で、信用区間はおよそ40億9,000万年前から43億3,000万年前だった。速度モデルを変えると、下限は約9,000万年動く。異なる解析をすべて含めると、範囲は約39億4,000万年前から45億2,000万年前になる。
それ以前の研究も、きわめて古い年代を指していた。2018年、102種と29の保存性の高い遺伝子を使った研究は、この祖先を39億年前より前に置いた。2023年にブリストルのチームが行った別のエネルギー装置の研究では、おおむね45億2,000万年前から43億2,000万年前の間に置かれた。
いちばん難しいのは、どの釘も目標から遠いことだ。40億年前の単細胞生物の化石では、ふつう「ここに生命がいた」としか言えない。細菌のどの枝に属するかを見分けるのは難しく、まして「これが最終共通祖先だ」と表示してはくれない。
実際に使える生物の校正点の大半は、目標より10億年以上も新しい。そこから根へ向かって、速度を外挿することになる。根の近くの年代は、この外挿をどう行うかに、大きく左右される。
岩石の側にも、独自の手がかりがある。西オーストラリアのジャック・ヒルズには、41億年前のジルコン粒子がある。2015年、研究者はその一つに小さな黒鉛の粒を見つけた。炭素が軽い側に偏り、生物が残す炭素に似ていた。
これだけで当時の生命を証明することはできない。だが、「42億年前にはすでに複雑な細胞がいた」という肖像と矛盾するわけでもない。前回取り上げた、約35億年前の明確な生命の証拠よりは、共通祖先は古くなければならない。
それが何を意味するか、計算してみよう。地球は約45億年前にでき、月は約45億1,000万年前、巨大な衝突によって生まれた。火星ほどの天体が原始地球にぶつかり、飛び散った破片が集まって月になったのである。
第1回で述べたとおり、約39億年前にも激しい隕石の集中衝突があったと、かつては考えられていた。今では、そもそもなかった可能性があるとされる。ブリストルの年代に従えば、仮にあったとしても、生命はすでにその前に現れ、それを生き延びたことになる。最終共通祖先が約42億年前に生きていたなら、地球の形成から2,600個の遺伝子を持つ細胞の登場まで、3億年ほどしかかかっていない。
しかも、その前にはさらに古い生命史があり、膜、暗号、リボソームを一つずつつくり上げていなければならない。この惑星に、生命は驚くほど早くやって来た。
八 子孫を残さなかったもの
最終共通祖先の定義が求めるのは、現在のすべての細胞性生命をさかのぼると、そこに合流することだけだ。その時代に、それしかいなかったことまでは求めていない。
最終共通祖先より前には、もっと長い物語がある。1871年、ダーウィンは友人フッカーへの手紙で、生命の始まりを思い描いた。どこかの温かな小さな池に、アンモニア、リン酸塩、光、熱、電気があり、タンパク質のような化合物が生まれ、さらに複雑な変化へ進もうとしている。その歴史の主役の多くは、子孫を残さなかった。
それより早く分かれた系統もあったかもしれない。同じ時代に生き、後に絶滅した姉妹群もあったかもしれない。遺伝物質を頻繁に交換し、境界さえはっきりしない微生物の群れもあったかもしれない。それらは何かを残しただろうか。
2005年、米国コロラド大学の哲学者クリーランドは、地球には今なお「影の生物圏」が生きているのかもしれないとまで提案した。私たちと祖先を共有せず、違う化学を使う微生物がいるのに、検出法がすべて既知の生命をもとに設計されているため、見つからずにいるという構想だ。今も証拠は一つも見つかっていない。だが、肝心な点を突いている。生命を探す私たちの網は、私たち自身の姿に合わせて編まれているのだ。
現在、「最終共通祖先の子孫ではない独立した系統に由来する」と、確実に特定できる地球化学的な信号は一つもない。炭素同位体、硫黄同位体、太古の微小構造が、当時の生物活動を証明できたとしても、その生物の系統までは見分けられない。
ある系統が子孫を残さず、識別できる遺伝子を後の生き残りへ水平伝播させず、系統の特徴を持つ物的記録も残さなかったなら、現存するゲノムからそれを復元することは、原理的にできない。その情報は、もう取り戻せないかたちで失われている。
もし生き残った系統へ遺伝子を横渡ししていたなら、理論上は、幹につながらない孤立した深い枝の遺伝子が、現代のゲノムに残るかもしれない。だが、「絶滅した初期の系統に由来する」を、「とくに速く進化した」や「まだ試料を採れていない現生の群から来た」と区別するのは、きわめて難しい。
ウイルスと細胞の絡み合いは、今も私たち自身に書き込まれている。ヒトのゲノムの約8%は、太古のレトロウイルスが入り込んだ名残だ。何千万年ものあいだ、世代から世代へ受け継がれ、中には借用されて役立っているものもある。胎盤で細胞の融合を助けるタンパク質の一つは、古いウイルスの外殻をつくる遺伝子に由来する。
この空白を埋める役に、ウイルスはよく持ち出される。一部のウイルスの中核的な複製遺伝子はきわめて古く、ウイルスは単に後から細胞を抜け出した断片ではないのかもしれない。それどころか、初期の細胞へ異なる複製系を持ち込むのに関わった可能性さえある。そう主張し続けている人がいる。第5節の最後の説明が、それだ。
確かにウイルスには、広く分布しながら、細胞には単純な対応物が見つからないタンパク質がある。だが、ウイルスと宿主の遺伝子交換はあまりに頻繁で、ウイルスどうしにはリボソームのような共通の指標もない。細菌と古細菌の根元に、確実につなげられるウイルスの木は描けない。
巨大ウイルスは、一時、第四の生命が見つかったと思わせた。1992年、英国ブラッドフォードの病院の冷却塔の水から、アメーバに寄生する微生物が分離された。普通の顕微鏡でも見えるほど大きく、当初は細菌だと考えられた。
2003年、フランスの研究者が、実はウイルスであることを確認した。遺伝子の数は一部の細菌を上回り、「細菌をまねるウイルス」を意味するミミウイルスと名づけられた。10年後、フランスのマルセイユの研究者は、チリ沖とオーストラリアの池から、さらに大きいパンドラウイルスを見つけた。ゲノムは多くの細菌より大きく、遺伝子の大半には、既知の生物の中で対応するものが見つからなかった。2010年、巨大ウイルスの数種類のタンパク質を比較した研究で、一部の関係図がそれらを三大群の外側の深い枝に置いたため、「第四のドメイン」が提唱された。
1年後の再解析では、その深い枝は長枝誘引とモデルの選び方がつくったものだとされた。2014年のさらに広い解析では、小型のDNAウイルスが宿主から少しずつ遺伝子を集めれば巨大化でき、絶滅した第四ドメインを想定する必要はないとされた。現在に至るまで、広く受け入れられた第四の細胞性ドメインも、広く認められた「影の系統」の候補もない。
「構」に収まらず、かといって消し去ることもできない部分を、このシリーズでは「余項」と呼ぶ。今回の構は、一つの節点であり、その位置は明確だ。現在のすべての細胞性生命をさかのぼると、そこに合流する。この構には、二つの余項がある。
一つ目の余項は、建材そのものが動いていることだ。木が成り立つには、遺伝子が主に親から子へ伝わらなければならない。ところが細菌の遺伝子は、大量に横へ渡る。
中核遺伝子には、見分けられる縦の骨組みがまだ残るが、周辺へ行くほど網に近づく。ウーズが正しければ、木の形そのものが後からゆっくり結晶してきたことになる。この節点のあるあたりは、まさに木がまだ十分に形になっていなかった時期かもしれない。
二つ目の余項は、子孫を残さなかった生命だ。それらは、証拠の手が届く範囲の外にいる。 最終共通祖先そのものに標本がないのは、それが関係だからであり、関係は岩石に残らないからだ。同じ時代にいて子孫を残さなかった生命は、その関係さえ残していない。岩石の中にも、今生きているどのゲノムの中にも、いないのである。
二種類の不在を見分けられない状況には、この先も何度となく出会う。第9回のエディアカラ生物、第11回の化石記録が問うのも同じことだ。記録にないものは、初めからなかったのか。それとも、あったのに痕跡を残さなかったのか。
こうして、この節点は描かれる。生きている生物が共通して持つものから位置を定め、共通して欠くものから輪郭を描き出す。共有する部分は、水平伝播に絶えずかき回されている。不在の部分には、切り分けられない二つのものが混ざる。かつて一度も存在しなかったものと、存在したのに何の痕跡も残さなかったものだ。
42億年前の一つの細胞。2,600個の遺伝子を持ち、水素を食べ、酢酸を出し、ひょっとするとウイルスを覚えることもできた。その肖像の輪郭は年ごとにはっきりしてくるのに、周囲にはいつまでも見えない空白が広がっている。判定基準は、今もふるいにかけている。遺伝子は、今も横へ渡っている。